
「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」は、フランス語で「高貴なものは義務を負う」という意味の言葉です。これは、社会的な地位が高い人物には、それにふさわしい責任と義務があるという考え方を指します。欧米社会では、貴族や富裕層が慈善活動を行うなど、社会に貢献する行為を「ノブレス・オブリージュ」の行動として捉えることが多いです。
日本では、企業経営者や政治家など、社会のリーダー層に「ノブレス・オブリージュ」の欠落が指摘されることがあります。自己の利益ばかりを追求するのではなく、社会を構成する責任ある主体としての行動が求められています。
日本で、平成以降、経済界を席巻したベンチャー企業やIT長者、財界、政治、経済の大物の方々も、財団を作りたり豪邸や記念館もできていて、買い物や遊興、グルメなどで散財して経済を回してはいただいていますが、どうも上品というほどではないようです。中には、成金丸出しや、世襲で親の七光りのバカさ加減だけが目立つ人もいます。
一代で事業を築いたり、事業を継ぎ大幅に拡大した人も、改革を進めて経営に秀でた事業家たちも多いです。しかし、節税や脱税まがい、継承のゴタゴタも見えたりして、とくに晩節は老害と言われるようになり、上品とは言い切れない方が多い実態があります。
自分自身の地位継続や、財産の拡大、一族の繁栄にのみ汲々として、税金をちゃんと払う法的義務の最低限は当たり前のこととして、「ノブレス・オブリージュ」と言われるまでのお行動には程遠いものです。
キリスト教的な慈悲、奉仕、仏教的な施しというよりも、どうも日本人は自分への見返りを求めるビジネスとしての「投資」とごっちゃになって、上品でも公正公平でもない胡散臭い脂ぎったものになるのです。
老害ははびこり、社会や経済が低迷し、日本の国際的地位が低下したのもこのあたりの起因とも見えます。
ふるさと納税とかでも、そもそも「返戻」のおかげでもはや寄付でも善意の奉仕でもない長めつい下品なイメージに成り下がっています。
どうも裏ではビジネスになっり、庶民の節税でもなく、儲ける人がさらにモノを貰うような変な仕組みです。
あの、納税という国民の当然の義務に、見返りを貰うというのも、人間の品性を貶めたものです。中には返礼品が高く、実質これだけの負担でとアピールする宣伝もあります。
「ノブレス・オブリージュ」と言われる人は、むしろ多く施して見返りを求めないところがカッコいいわけで、せいぜい納税や寄付の証明がある程度で、無償で匿名で奉仕活動などをするのです。
どこかで、長く続ければ表彰の程度はあってもいいですが、上品な方の名誉であって、日本のお金持ちがどうしても貰う勲章、行きたがる表彰式、高級ホテルで飲んで食べて、高価なお土産を貰うイメージとは違います。
政治もそうで、今の政治、行政を動かすのは、小汚い企業や団体の組織の献金です。こんなレベルなら、選挙などせずに、本当に上品な貴族に政治を返した方がいいという意見も頷けます。