スマホか紙媒体か、脳への伝達が違う

 1970年の大阪万博の準備に来日していたアフリカのある国の代表者が、『日本人は勤勉で、電車の中でも新聞や雑誌、書物を熱心に読んでいる」と感心されていました。当時、識字率も、勤労者割合も低い国情を嘆いてのものと記憶しています。

 ひと昔前と変わり、今や電車内で、新聞や書物、マンガ雑誌すら読んでいる人を見かけることは稀有になり、多くの人はスマホ画面に夢中です。かつては、電車の中で携帯を操作しているだけで、顰蹙を買い注意されることもありましたが、今はもう大声で通話でもしない限り優先席でもスマホ三昧の様相です。

 今の大河ドラマで描かれる江戸時代でも草紙などの読み物が江戸庶民、花魁に至るまで、奪い合うぐらいの楽しみな娯楽として描かれています。その前年の大河ドラマでは平安時代の宮中、下級の役人でも、『源氏物語』がやはり娯楽として楽しまれていました。人気のある話は、文学色もあっても、スキャンダラスな男女関係が多いのも、現代と変わりません。

 しかしながら、紙の文化の時代から、スマホやパソコン、タブレット時代に入り、刺激性は強くなり、脳に与える影響は随分変わってきています。

 科学的には、反射光と透過光と分類され、眼から脳に伝わるモードが違うのです。

 反射光と透過光の違いは、光が物体に当たった後、どのように伝わるかにあります。透過光は、光が物体を透過して目に届く光で、透過した波長によって感じる色が決まります。一方、反射光は、物体表面で反射した光です。
(細かく言いますと、一部は吸収される光もあり、色に影響を与えます)
 透過光がパターンを認識するモードなのに対し、反射光は分析、批判になるモードとも言われます。透過光が眠気をさそう受け身なモードであるのに対し。反射光はより想像的、考察的になるとも言われます。

 紙の書類で点検した方が間違いを探しやすいというのは、諸説ありますが。このモードの違いと言われることがあります。

 紙ベースだと、いくらカラーにして写真を加え、枚数を増やしても、情報量はシンプルでしれています。動画だと、イッキに必要不必要に関わらず大量の情報が眼から脳に伝わります。

 『彼はメキシコ湾流に独り、小舟を浮かべて魚を獲る年老いた漁師である」と小説が始まったとします。これが動画だとすると、老人がどのような顔立ちで体格、服装、日焼け具合か、その日の天候、海の色、舟のスケール、演じている役者さんから小道具までの全ての情報が即座に脳に入ります。ある意味それ以上、想像し、考察しなくても良いので、そのまま動画が流れるのに身を任すだけです。
 自分が想像しない分、相手からの情報に脳は影響を受けやすいとも思います。テレビCMでもそうでしたが、間断なく来る、刺激が多く、関連性や誘導の力の強いネットの広告など、まさにその影響を乱用してくる横暴なやり方です。

 本来は透過光もリラックスしやすいはずですが、結局、情報量の多さで、『クリックせねば』『反応をたしかめないと』など、スマホ中毒にハマるともう行けません。

 ネットデトックスが必要とよく言われますが、寝る前などは、スマホは早く閉じ、紙ベースの読書で、適度に脳を刺激して疲れさせて、ぐっすり寝た方が良いと思います。

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