
昭和の時代には、先ごろなくなった長嶋茂雄さんのような一世を風靡し、時代を象徴する人がいました。『天才』というとADHDなどが疑われ、周りの理解が進むようで、逆に今はグレーの人が住みにくく『空気を読む』ことが強制されるような気がします。
芸能界や政治の世界でも、不倫スキャンダルが話題になっていて、一国の運命を左右しかねない選挙の政党支持が、不倫のスクープで大きく変わる局面がでてきました。
しかし、不倫に関して最近の日本は潔癖というか大変厳しいものです。スクープ週刊誌に一度報道されると、契約していたCMは止められてしまい、次の地上波ドラマ出演の話は難しくなります。仕事を奪われ、収入の道を絶たれ、社会的に制裁されるこのレベルは一般人の罰金にすれば、とんでもない金額の過料です。
別に期間などの決まりはなく、報道を見た庶民がバッシングしておさまるかどうかです。これは少し理不尽な話です。確かに当事者のパートナーは心を傷つけられ、怒る問題ですが、示談などが済めば『ゴメン、もうしない』と謝罪して納得すればそれで終わりの話ではないのでしょうか。
とくに清純派の女性は致命的なものがあり、CMを続けようというスポンサー会社には執拗な抗議に電話が入るようです。
他人の恋愛事情など、演技や政治には関係ないと思います。しかもなぜか、男性はあやまってしばらくすると復帰できる例が多いのに、女性、とくに男性受けするようなタイプの方はなかなか世論は許さないようです。
今回、山尾志桜里さんの国民民主党の参院選公認取り消し問題はさらにひどいものです。
別に山尾さんを庇うわけでも、どこの政党を推すのでもなく。党が本人の過去の不倫事案を承知で公認を出しておいて、世論が過去の問題を許さず党支持が下がると公認取りやめ、党籍除名とはいくらなんでもやり過ぎです。
国民が山尾さんの過去からの行動や発言が気に入らないなら、投票せず支持しなければ良いだけの話で、立候補させないというのは酷すぎます。
不倫問題で、責任を取り当時の党を辞めて、数年経過して、どう考えても通常の禊ぎは終わっただけの時間は経過しています。禊ぎが終わったかの確認を含めての審判のための選挙であり、その出馬すらできないというのはどうかということです。
それをあえて騒ぐならば、不倫問題で選挙に出る出ないの禊ぎの期間はどのくらいか、法律で決めるべきです。
その後に出てきた候補者が過去にこういうことをした、こういう発言をした、今はどういう見解をしていると、来歴や広報を見て投票するのが選挙です。言葉を荒げますが、選挙に出る出ないまで、週刊誌の報道で作られたムードで左右されては、愚民扱いされた、衆愚政治です。
本来、憲法で定めた被選挙権の資格を持つ人を、公党が振り回し、結果立候補させないというのは、とんでもないことです。不倫は良いことではないですが、それだけで刑事事件にはならず、殺人や強盗、不同意性交罪などとは違います。
女性はとくに同性に対し、いつまでも嫌悪する傾向があるようですし、山尾さんの場合は野党出身ということで保守支持者にも強い反発があります。
しかし、東大法学部を卒業し、司法試験合格で検事にもなった大変優秀で頭の良い方で、政治に情熱を抱いて議員となっていて、いくつかの論説では保守や左翼問わず唸らせる国家を思う強い意志はある方で、ここで抹殺するのはやはり惜しいです。日本会議が主導する団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の集会「第23回公開憲法フォーラム」に、櫻井よしこ、菅義偉首相、下村博文、足立康史、田久保忠衛(日本会議会長)、中山義隆(石垣市長)ら、改憲派の人々とともに参加しておられ、自民党からの誘いもありました。菅義偉首相の不信任決議案には議員時代に提出には共感できないと、複雑な思いもツイートしていました。
いかにも肉食系女子が、色仕掛けか軽いノリの野党党首の勧めで、公認を受けたのというのは印象操作による誤解です。世論の総スカンで公認取り消しはいかに理不尽な話になってしまい、結局迷走させた国民民主党自体がこんな措置をする政党なら、過去に一切傷の無い聖人君子でない限り頼まれても選挙に出なくなりますし、公認と取り消しの対応でも、すでに支持を失っています。
残念ながら、政治が国民のものでないとか言いながら、週刊誌のスキャンダルを鵜呑みに、集団リンチをするようなレベルの低い国民では、いつまでたってもオールドマスコミや既得権者の思うままです。
コメ問題が注目されますが、税制や官僚体制全体が、戦後80年老害化し、やりたいほうだいの放蕩政治が続いています。
国民はこの状況を変えることのできる人材を選び、政党を選ばないと、日本は沈みます。つまらないスキャンダルなどに惑わされず、選挙では公報や政見放送、過去の言動にも目を通し、時に友人や先輩と議論し、一票を選ぶことです。
新しい長嶋茂雄のような人がどんどん現れ、女性閣僚も増え、切磋琢磨して日本を良くする、政治に向かうことを躊躇(ためら)わせてはいけないのです。