戦前から近代日本を支えた女性労働

 女性の働き方について、以前繊維工場で働いたいわゆる女工さんといわれた女子工場労働者について、小説を書こうと思って調べたことがあります。

 その時も感じたのですが、戦後も平成の終わり頃になって法律も世相も変わったため、女性の労働の処遇が大きく変わりました。
 大卒女子が、寿退社までの腰かけ的就労の時代から、最近は総合職として完全に公平に女性の労働を扱われています。
 しかし、繊維工場をはじめさまざまなところで女性の労働が、戦前から近代日本を支えていました。
 明治以降、近代日本を支え、都市と地方の格差を埋めていたのは女性の労働者たちです。都会と地方の格差が大きくなったと最近も言われます。地方には目立つ産業もこじゃれたオフィスもなく、文化施設や商業施設も少なくて、首都圏に出る人や会社が増え、ますます格差が開いてきたとされます。明治から戦後すぐまでの日本の田舎は本当にもっと貧しく、凶作で若い娘が売られるとか、餓死とかの話さえありました。集団就職だとか、出世列車のような写真を見ると昔も働く場所は、都会や工場のあるところに限られていたのでしょう。貧しい農村などでは、人身売買まで行かずとも、家計のために女子が工場で働くのがいわゆる女工哀史のはじまりであり、そこまで集団化しなくても女性の鉄道員という仕事がジャンルとしてできたわけです。
 男性の労働も過酷な時代ですが、明治から近代までの働く女性には過酷、悲惨さと危険さが伝わり、選択の余地のない貧しさがあります。
 週休二日制で有給もあり、残業手当も育児休業もあるのは当時見えることもなかった夢の未来です。
 
 明治12年2月、当時の新聞の女性踏切番の事故死から記述は始まります。線路工の夫が踏切番もさせられ、家族までそれに従事させられられるという、明治悲惨小説の世界が現実にありました。
 その後、出札、車掌、運転士と徐々に職種は広まるが、今なら性差別、ルッキズム、ハラスメントあるあるの雇用で広がりました。
 原爆投下時の広島の路面電車でも、戦時下の男性不足を補うために採用されていた女性を描くドラマもありました。。「太平洋戦争下に、男性の代替として鉄道は女性を大量に動員した」この史実よりずっと前、1900年より前から女性は鉄道員として働いていました。
 「服従」「緻密」「温和」が女子の通有性と、今ならとんでもなく炎上、批判される言葉がこの本にも書かれています。

 戦後の本格的な「女性の社会進出」の男女同一の労働とは乖離した時代の暗部との関わりが浮き彫りになります。
 記述は専ら終戦まで、鉄道ファンでもそうでなくてもわかりやすく、個別な事例を詳細に書かれています。戦後は、女性鉄道員は減ります。新憲法下の労働基準法が「女子」の保護が主目的にせよ深夜労働禁止を掲げたため、20世紀の終わりまで門戸が狭められたのは皮肉なものです。

 パワハラもあり、それ以上に事故などの危険と女性としての危なさもあったでしょうし、労働環境の悪さは書きだすときりがありません。
 しかし、今の男女平等、雇用機会均等というのも、どうもそれぞれの適正の仕事を割り振りすることをできなくしているような気がします。
 そんな時代でさらに、AIやロボットが男女の別もなく台頭して、人間の簡単な仕事は無くなってくるのです。改札機や券売機も減り、旅行をするにも切符の手配はネットか、駅の機械相手です。
 女子鉄道員、バスの車掌さんなどの、温和で親切な対応を懐かしむ人もいるでしょう。

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