
前の職場にお父さんが脳医学の著名な学者で、ご本人も相当なIQの人がおられ、脳研究の奥の深さと、その急速な進化ぶりの一端を聞いたことがあります。
「結晶性知能」と「流動性知能」とかエピソート記憶とか滔々と語られ、勉強のしかたそのものも、ガリ勉で詰め込むようなやり方でなくても、司法試験に受かるタイプのようでした。
逆に面白くない仕事や勉強は受け付けないようで、凡人には理解できない扱い難い面もある人でした。
この二つの資料でも、老化に関してもいくつも説があり、奥の深くかつ、日々更新されるものも多いようです。
身体の衰えも60歳を超えると顕著になるものの、脳の進化は90歳まで続くという説は、取り上げられる以前から聞いていました。脳が成人となって一人前に整うのは実は25歳頃でありそこからまだまだ学習を積み情報をインプットして90歳まで進化し続けるのです。そうなると、定年を迎え体力が衰えると言われる還暦の頃はまだ脳の進化の半ばということになります。
老害と言われ嫌われる一部の政治家や経営者のように、地位に執着するわけではなくとも、定年で目標を失って認知になるのはもったいないということです。
さらになるほどと思ったのは、みなさんも薄々気付かれているところですが、20年前の高齢者と現在の高齢者、例えば65歳だとか80歳だとかは、時代で変わり大きく違ってきているのです。40年ほど前の昭和の高齢者は、55歳くらいで老人と言われ、実際年金を貰い隠居される人も多かったように、今とは全く違っていました。
私も、個人的に感じるのですが、30歳ぐらいの頃より、体力は落ちてルックスも若くはないですが、60歳を過ぎた頃からの方が、いい仕事ができています。経験も知識や教養、知見が積みあがっている面もありますが、ノルマとか、お金、家庭とか、定年までの枠組みのようなものから力が抜けて、純粋に仕事への興味と探求心で働いていますす。
人口減少、少子高齢化が問題と言われますが、根本的に急には変えられないところもあり、まだまだ日本の人口は減り続けて。働き手は減ります。働き手を海外からの移民に求めるのか、あるいは高齢者に対しよくトリセツを周りも本人も理解し、働いてもらうしか打開策はないでしょう。
そしてこの70歳のトリセツというムック本、もちろん高齢者を扱う若者のためだけではなく、これから高齢を迎える者、高齢者自身の自覚、自戒のためにも、良い情報が分かりやすく入っています。
多くの方が自覚している面もあるようで、意外と解っていない点も多いですし、仕組みとして理解していないから、プライドを傷つけかえってコミュニケーションを悪くする場合もあります。
70歳では90歳まで伸び続ける部分と、50歳くらいからすでに勤続疲労し、衰えて劣化している部分が混在して、その扱いは微妙なのです。
自分の現在地でもそうですが、運動不足にならないように歩いていて転倒し股関節や膝を傷めました。同年代でもよく話を聞きますが、転倒が増える年代です。
足が自分の主観イメージよりも上がっていないので、小さな段差につまずくのです。足が若い頃より上がらないという、身体の衰えを客観的にイメージできず、凸凹の多い外の道などは気を付けるという情報を入れて、ゆっくり確認しながら歩かないといけないのです。
ここでも、変なプライドがあったりして、客観的になれないと大変危険です。
高齢者の運転なども、大きな事故につながってます。
自分は若い頃から、良く動けて、運動神経も良いと言う人ほど、危険なのです。過去の主観イメージを引きずり、客観的になれないのです。また、ちょっとしたモノを取るとかも、いちいち台を使うとか、他人に頼むとかができずに、身体を悪化させることがあります。また、それをやってしまったことを、怒られて行動を制限させるのもイヤで、正直にもなれず、自分でも都合よく忘れてしまって、ますます身体もコミュニケーションも悪くなる場合があります。
仕事や家庭生活、ボランティアなども、目標を持ちながらやり続けることは若さを保ちます。自分で自分のトリセツを理解し、できることは目標を低くても設定してチャレンジすることです。体力や瞬発力などが要り、若い人に適した部分は任すことにして、それでも高齢者の経験によってできる分野はあります。
「システム処理とヒューリスティック処理』とも言われ、勘や経験、人間的な交渉、小さな気配りや発想の変換などはAIにできない分野で、高齢者の役割は残ります。逆に若い人の仕事はやり方にもよりますが、事務系はとくにAIに取って代わられ、間違いも少ない分野が多いのかもしれません。
何か、夢や希望、やりたいことが多いほど、若さを保てることに間違いはないです。まずは、比較的大きい目標ですが、高齢者となった「取扱説明書」を自分がよく理解すること、また廻りも理解をし、本人によく理解をさせることです。