
国交省は宅配便を「置き配」を標準化する検討をしているという報道でした。
再配達が運送業に与える負荷、環境への悪影響などが要因ということです。
かつては、郵便の小包か、国鉄小荷物が主流をしめた時代があり、国鉄の駅は旅行のターミナルというだけではなく、物流の拠点、取次の機能まで有していました。
コンビニも宅急便もない時代、「駅留め」という小荷物を、庶民はハンコをもって、駅まで取りに行き、エラそうな駅員に渡されたのです。
昭和とともに国鉄の小荷物運送も、国鉄そのものも終焉を迎えます。民間の宅配便が急成長して、親方日の丸的な国鉄も郵便局も淘汰されたのです。
経営もそうですし、社会全体も核家族化し、共働きで不在も増えて、運搬の方法も変わらざるをえません、
しかし、今のAMAZONなどの、おびただしい量の小口の荷物は異常です。下請け業者も個人の請負が多く、モラルもひどい場合があり、誤配や盗難、汚損などの心配の種はつきません。
実際、折り曲げ禁止と書いてあっても、軽トラに積み重ねられ、乱暴の引き上げて、ポストやBOXにツッコまれては、良い状態で届く保証はありません。
環境問題というならば、それほど急ぎでもないモノを、規定で早く届けざるを得ないシステムも何か問題が多いような気がします。国の政策もどこかで、宅配業者寄りになって、根本のところで何か違和感ありです。
かつては、自分で買いに行くか、取りに行くが当たり前、近所でなじみの配達は定期的に決まった時でしたが、そんな時代は遠くなってしまいました。
というながら、無意識にポチっと、買い物買いをしてしまうのです。