書評の書評:小谷野敦「このミスがひどい」同世代、共感あるある多め

 面白いし、共感も多かった本です。厖大な本を端折りながらも、ネタバレも多く好きも激しく、一刀両断されています。
 4つほど年下の東大卒の学者、作家さんでかなりの読書家の方ようで、その読みっぷりと書評は評論家の体裁ではなく、好き嫌いが激しい感じも人間味が溢れて良かったです。
 同世代なので、刑事コロンボや日本沈没からコナンなどのテレビや映画までも懐かしく思えます。エラそうな評論家や選考委員さんも実際にはそれほど真剣日本を読んでいないというのは十分想像できますが、それを赤裸々に書くところに好感を感じました。
 ジャンルや部門で分冊してもいいようなエッセンスが詰まった内容に濃さがあります。
 愛煙家であるところは相いれない(笑)
 
【紹介文より】

40年以上に及ぶ推理小説渉猟の結論!
その作品は本当にすごいか?
世評の高い「話題作」「人気作」は90%がクズ、ひと握りの名作を求めつづけた濫読人生。
世の『ミステリー帝国主義』に抗して、
推理小説嫌いの著者が唱える“ひどミス”論。

「…覚えられないくらいたくさんの登場人物が出てきたり、思わせぶりをしたあげくに『え? 誰それ』というような人物が犯人だったり、ミステリーには、さまざまな恨みがある。そんな『すごい』ものが毎年ざくざく出るはずがないのである」(本文より)

<目次より>
第一章 いかにして私は推理小説嫌いとなったか
第二章 素晴らしき哉、『ロートレック荘事件』
第三章「旧本格」の黄昏と古典化
第四章 松本清張、長編はあかんかった
第五章 SF「小説」は必要なのか
第六章 ああ、愛しのバカミス
第七章 人気作家はどのような人たちなのだろうか

 私も松本清張からミステリに入り、社会派の反動で、角川文庫系の横溝正史、クリスティやクイーンも読みました。筒井康隆らのSF御三家、西村寿行、西村京太郎、鮎川哲也、内田康夫らも今はなかなか本屋の棚で希少な作家も以前は量産されて平積みされていました。
 そして、島田荘司以降の新本格を含む綺羅星のごとく群雄の作家が現われる時代へ入りました。いわゆる「このミステリがすごい」常連系のパズラーにはまりつつ、ここでもまた面白さとともに、愚策にもそれなりに当たることを感じるたものです。
 有栖川有栖くん(同級生、もはや大御所)や森博嗣、東野圭吾、米澤穂信らも楽しみました。でも「約束事」の世界とは言え、何だかなあというリアリティの無さ、文学としての軽さは感じる時も多いです。

 文学賞やミステリ界の賞が、必ずしも優秀作に与えられていないという説も、うなずけます。賞はどうしても、商業的成功への論功行賞的な意味合いになり、直木賞でもそうですが、文学史的エポックとはズレが生じます。
 パズラー的ミステリは、どうしても動機などの人間を描くウエイトより、物語の展開の切れ味、可能性や論理性に重きが置かれます。
 筒井康隆「ロートレック荘殺人事件」や西村京太郎の「天使の傷痕」をトップに評価するのは、物語としての完成度、読後感などでしょうか、これらはほぼ共感しますし、世間の評価が低いのにも同じく違和感を共有します。星新一さんの評価が低いには微妙な感じですが、著者のおっしゃることは分かります。筒井が天才なら、星は大衆受けする成功実業家です。

 名作と言われる作品の動機でさえ、時代もあるのですが、興ざめする点は多いのです。殺人を犯してトリックを駆使して逃げるなら、頭が良い人は論理的に考えるなら最初から殺人は行わないのではという点です。

 刑事コロンボの多くの犯人や、松本清張「砂の器」、森村誠一「人間の証明」などでも、出自をばらされるとかでは、殺人の動機としては弱い。それなら「殺人者」の汚名の方がはるかに不名誉で危険すぎるというところに、ミステリが嫌いな人は醒めたり、ついていけないのも分かります。

 読書のあり方、読み方というのが、特にミステリで駄作だと思った時、すっ飛ばせるのは全く私と同じです。海外ものを文学作品でも抄訳を評価するのもなるほど、あるあるです、

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