
戦後80年、先の大戦を知る人が減り、メディアをはじめいろいろな立場の人が戦争の傷ましさ、平和の尊さを語られています。
戦没者の慰霊を弔うとされる終戦の日ですが、相変わらず国のために亡くなった多くの兵士がまつられる靖国神社に政治家が参拝すると、問題視するような報道はいかがなものかとも思います。
核武装が安上がりで有効な防衛策かどうかという問題も前に書きましたが、国を護り、戦争を起こさない方法論の在り方であって、原爆の被害を受けた人の苦しむと対比して問題視することではありません。
それを言うなら、アメリカの核の傘を一切拒むことを提案しないと、公平な議論になりません。
憲法9条崇拝、核拡散防止も、軍隊のような自衛隊を持たないというのも。一つの考え方ですが、それで国が絶対護れるかと言えば、不安になる人の方が多いのではないでしょうか。
ウクライナや中東ガザの戦争も複雑です。米露も停戦にむけ会談していますが、ウクライナが核を保有していたら、ロシアの一方的な攻勢もなかったとも思われます。
第二次世界大戦に突入した日本の政府、軍部が愚かなのは、指摘される通りで、停戦して引き下がることもできず、多くの国民を犠牲にしたことはおろかです。
国際社会というよりも、日本の国体護持のためにも戦争のあり方として、無理に突入し、玉砕するまでやめることができなかったことが最も残念とされるのではと思います。
昭和16年のいわゆる「総力戦研究所」がすでに日米開戦をシミュレーションし、どうしてもアメリカには勝てないと結論づけていた話が、このところドラマなどでも注目されています。
しかし、逆に見ますと、昭和12年から中国との戦争は始まっています。アメリカとの負ける戦争は非で、中国との戦争は勝ち切れば良かったのかという問題もあります。
敗戦という反省からは、「戦争は全てすべきではない」と「戦争をやるなら勝てる時だけ」という両方の考え方が生まれます。
日本が領土を拡大し、欧米の植民地を解放し、アジアでの勢力圏を強めていたことを、支配や植民地化と、左翼側は糾弾します。歴史のIFはないですが、少なくとも戦前の日本が正義の戦争だったとも言いませんが、東南アジアを支配していた欧米も正義とは言い難く、日本の方はマシだったということは良く現地からも伝わります。
平和とか、発展に関しての、方法論として、もっと戦争とか歴史の本質を知った上で、まともな議論が生まれないのです。今の報道や教育は残念な極端な議論を生みます。
