
テレビ朝日、東映制作のスーパー戦隊シリーズが、50年続いた歴史を今年度で終了するとの報道がありました。
私らが中学生の頃から延々50年も続いているので、日本らしいパターン化された長寿シリーズです。同じく東映では仮面ライダーシリーズや、円谷のウルトラマンも休止期間はあるものの、長く今も続いています。
特撮で言えば、怪獣映画のゴジラシリーズも東宝のドル箱として、何度も設定を変えては制作されています。
アニメや漫画の世界でも、シリーズは、人気があると打ち切ることができない事情で長く続いているものが数多くあります。
国民的なアニメ「サザエさん」をはじめ、同じく漫画としては「ドラえもん」「ゴルゴ13」も超がつく長寿ですし「クレヨンしんちゃん」や「名探偵コナン」も子供がとうに大人になる歳月を延々と設定の年齢は変わらず続いています。
そんな中でのスーパー戦隊シリーズの終了は、ある意味英断なのか、よほど苦しい事情もあるのでしょう。
決して人気が衰えたわけではないようですし、視聴率も悪くはありませんでした。
既にあちこちで書かれてはいますが、ライダーのシリーズとともに、若手俳優の登竜門となっていました。今をときめく横浜流星、山田裕貴、松坂桃李ら多くの人気俳優を送り出しています。
コストに見合う収入が得られない等の理由は囁かれてはいます。
私も子供としては熱中してみたのは最初のゴレンジャーぐらいで、あとは大学から社会人ではやってるなと言う程度でチラ見、子供ができた頃には、土曜日朝にライダーとともに一緒に見ていました。
特撮は昭和に比べCGも使われ垢抜け、変身シーンやロボットの変形などもカッコよくなっています。男女の若手俳優もビジュアルに優れて、ここから人気につながるのも分かりました。
しかし、モチーフとしてネタ切れ感もあり、私が子供と見た時期でも、「忍者」「恐竜」の戦隊などの素材は繰り返してシリーズになっています。子供に人気のあるテーマは限られ、ネタ切れでもあったのです。
シリーズとしては、さまざまなモチーフや、追加戦士など斬新な展開もありますが、5人で戦いプラス巨大ロボットで決戦という毎回のパターンは、昭和の3作目から確立し、ほぼずっと踏襲されています。
この大いなるマンネリは、やはりスポンサーの玩具メーカーの縛りが大きいようです。
玩具メーカーは、他のライダーやウルトラマンのシリーズでも、デザインやストーリーの設定にも、大きな影響を持ち出しました。脚本もかなりの制約を受けているのは知られる所です。番組のタイトルや継続にさえ影響力を持っていました。
最初の仮面ライダーやウルトラマンは基本一人が武器なしで戦っていましたが、本体も戦いにあわせてタイプチェンジやバージョンアップをし、変身や攻撃にもさまざまなアイテムを使うようになり、悪役やバディとなる戦士も覚えきれないほど登場します。
実際に、それほど必然性がなく、雑誌に紹介されても、ほとんど使われなく終わったバージョンすらありました。
さすがにこれでは、脚本家や現場よ自由な表現、創作は難しくなっていたのではと思います。俳優も戦隊シリーズは人数が多く、若手とは言え1年間の拘束は大変で、ロケも多いだけにコストもかかり苦労は多かったと想像されます。
50年もやっていて、シリーズを回顧し、ワールドをつなげる作品や、映画もたくさんありますが、ヒーローたちの競演は、豪華で夢の実現ではあるものの、孤独に戦う戦士のリアルとは離れていきます。
これはウルトラ兄弟やライダーのシリーズでの前シリーズのヒーローの客演と似た問題です。
元々が仮面ライダーの3人が競演したり、ウルトラマンに前ヒーローが助けに来た回が、大反響だったことから、ヒーローの競演、チームプレーが戦隊シリーズの原点のようです。
しかし、これもやがて一人の敵を複数でやっつけるのは、イジメのように見えます。また、単体のヒーローだけでは勝てない弱体に見えるジレンマもありました。
シリーズが長くなると、マンネリも含めて、矛盾が多くなります。
私はやはり、芸術作品は一過性のもの、せいぜい数作で終わりがいいのではと思います。長くても寅さんや古畑任三郎ぐらいで、せめて本人とともに老けて亡くなると終わりがまだちょうど良いのです。
時代背景と時系列的におかしくなるぐらいの長寿はよろしくないです。
