誰もが自由に職業を選び働く権利と義務 憲法

 連日、私の自宅最寄を走り、職場の通勤者も多い私鉄で朝から人身事故がありました。全部が仕事や人生に悩んでの自殺ではないでしょうが、その割合は低くないでしょう。

 生活する上で、お金も必要で否が応でも働かないといけない人は多いでしょう。だからこそ悩み、悲観があり苦しみます。仕事が苦行なのかストレス、スランプの苦しみは何度も書いたと思いますが、権利という意味では憲法上で保証された職業の選択というのが実際にはそうもいかないことがよくあります。

 憲法27条

  1. すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
  2. 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
  3. 児童は、これを酷使してはならない。

 障害者や高齢者、出産育児などで昔は働けなかった人や、休んでその後は元の職に就けなかった人が今は随分と法が改正され、働きやすくなっています。

 しかし、現実には就職氷河期があり、コロナでも失業が増えた上、物価高の中、リストラもあります。企業に給付があるとはいえ、優秀な人材すら揃わない中で、ダイバシティだとかいって障害者や高齢者の就労支援をやすやすと受け入れられない状況も想像できます。スキルを持ち即戦力ならまだしも、限られた定員の部署では分かっていても難しい問題があります。

 働き方の改革はまだまだ初期の段階で、その途中にテレワーク、在宅勤務などの流れがきました。仕事によっては既に次の段階への過程が見えてきています。しかし、多くの職場でまだまだ、ストレスは絶えず、生産性が上がらず自己実現に届かない焦りでパワハラまがいが横行します。

 次の段階へのステップはもっときめ細かい適性のマッチングや、メンタルのケアなのかと思うのです。大上段から号令をかけ、法律も変えないとおそらく難しいとは山積みです。しかし例えば、面と向かうとコミニュケーションが難しい人間が、意外と在宅のチャット、メールなどではいい面を出し、良い部分が認識されうまく回り出すなど、どこかに好事例があり、水平展開できるものがあるのではと思います。

 昭和のパワハラ、軍隊式を知る人間にはもう高度成長期でいっぱい兵隊を獲れて使い捨てできた時代とは、全てが違うのです。日本の未来は移民就労だけではなく、日本人の変化でかなり対応できます。そこらをまず変えて欲しいと願うしかないです。

五公五民 一揆や革命は起こるのか

 【五公五民】 江戸時代の年貢 率を表現したことばで、収穫米の5割を年貢(本途物成 (ほんとものなり))として上納し、残り5割を農民の作徳米 (さくとくまい)とすること。
 この言葉がニュースから少し話題になっています。
 財務省が2022年度の「国民負担率」が47.5%になる見込みだと発表したからです。国民や企業が所得の中からどれだけ税金や社会保険料を払っているかを示すという率で、さらに今後防衛増税や異次元の少子化対策も取りざたされる中、江戸時代に領民が領主に納める年貢割合を引き合いにして「令和の時代に”五公五民” 江戸時代とどっちがマシなのか」と評論家などが「江戸時代,五公五民以上になると一揆が始まった」と不満が爆発するのではないかと呟いています。

 白土三平のライフワークで江戸時代の階級闘争を描いた「カムイ伝」という長編劇画があります。この作品は紹介しだすと大変長いですので詳細はまたの機会にしますが、そこに出てくるのは支配する武士階級の暗愚な領主と、そこに連なる悪徳商人の姿です。
 現代の政治家と財界を連想してしまいます。いわゆる大きなイベントや公共事業を事実上独占し中抜きをする電通のようなイメージの悪徳商人も登場します。当初は既存の悪徳職人を颯爽と追いやって、善玉かに見えました。新興で商才ありながらも悪辣な野心家夢屋というキャラクターは現在の国家予算に深く巣食うシロアリのような業者の印象となりました。
 税や社会保険料が5割でも7割でも社会が成熟し高齢化すると仕方のない面もあります。しかし、その分配が本来配られるべき人に届かないで、私服を肥やす一部の人に回っていてはまさに「一揆」が起こってもしかたのない不平不満がたまるでしょう。

 税金の無駄遣いや、談合で一部癒着業者への回っていく構図を見ると、働いて真面目に税を納めるのが馬鹿馬鹿しくなる気持ちも分かります。来年度予算が今年度内の成立が与党多数で国会で決まっていくようですが、一部審議中にも監査などへ使い切れていないとか、別目的流用、全然使えない基金など、無駄の指摘も多くありました。
 官僚には『一揆手前』だとは自覚していただき、各部署が身を切る思い出来を引き締め、トップが今の庶民の苦しみを分かり、政治家がしっかり見張らないことには、反体制側でなくとも予算の承認、執行を看過できないのです。

追悼西山太吉記者 

 元毎日新聞記者で、沖縄返還をめぐる日米間の密約報道を追求して、一度は逮捕投獄された西山太吉さんが24日、心不全のため北九州市内の介護施設で死去した。91歳でした。

 彼をモデルにした山崎豊子の著書「運命の人」がベストセラーになり、ドラマにもなったためご存知の方も多いでしょう。司法を目指す人には判例でお馴染みの外務省機密文書漏洩事件ですが、一般にはスキャンダラスなところだけ印象に残り、あるいは時とともに風化して民主党政権以上に忘れさられているかもしれません。
 分厚い原作を読む人も減っている時代です。また山崎豊子さんの小説というのはセミノンフィクションと言われどこまで史実かフィクションかがとても厄介なところがあり、美化されたり象徴的にされたり、想像上の人物が出てきたりはします。

 それでもその旺盛で綿密な取材には舌を巻きます。概ね西山太吉さん=弓成亮太は間違いのないところです。

毎日新聞社記者の西山氏は71年、翌年の沖縄返還をめぐり米国側が負担すべき米軍用地の原状回復補償費400万ドルを、日本側が肩代わりするとの密約を示唆する機密文書を入手しました。文書の入手を外務省の女性事務官に頼んだことが、秘密漏洩のそそのかしにあたるとして、国家公務員法違反容疑で事務官とともに逮捕され、74年に毎日新聞社を退社。78年に最高裁で有罪が確定しました。世論の関心は密約よりもスキャンダルに移り、報道のあり方が問われた。

 政府は密約の存在を否定していましたが、2000年以降、米側の公文書や元外務省幹部の証言で、相次いで確認されました。

 山崎豊子の遺作にもあたるセミノンフィクションはアメリカと国家権力に対峙する孤高のジャーナリストを描いて、ぐいぐいと引き込ませます。実際には西山氏のやり方も現代では通用しない強引でコンプライアンス違反なところもあったでしょうが、根源にはジャーナリストとしての正義感があり、それを潰し泥まみれ悪役にして消し去ろうという、アメリカ追従の検察の思惑が見えます。
 検察は直接アメリカからのハンドリングはなくとも忖度をし、また官僚全体の自己防衛や民間へのヤッカミなどが入ってくると思われます。どうしても出る杭を打ち、縛めとしてしまう傾向はあります。検察もまた正義感を持ち仕事をしていて、それが突出したものとは相いれないことになるのです。

 「運命の人」に期せずして田淵角造という名前で金権政治家として後の今太閤総理田中角栄らしき人物も出てきます。角栄も当然そんな背景も酸いも甘いもウラを知っていたはずですが、この後の時代で政権を取ります。しかし田中角栄も日中友好などでアメリカににらまれたのか、早急な改革や地方へのシフトを警戒した官僚のせいか、スキャンダルで泥にまみれ急速に失速し逮捕されます。
「アメリカをないがしろにして中国などと外交」「官僚体制を揺るがす、過激な体制改革」は日本ではタブー的に、アメリカハンドリングの検察のターゲットになります。後にはマスコミもぐるになり袋叩きにされ潰されます。金丸信、中川一郎親子、鈴木宗男、小沢一郎、鳩山由紀夫、それぞれ脛に傷はあっても逮捕されたり死に追いやられるほどのモノではなく、一般の方も詳しい罪状など説明できないほど微細なものです。要はアメリカおよびそこに結びついた権力になびいたか逆らったかです。

 アメリカと密約を結んで、ノーベル平和賞まで貰った佐藤栄作(作中では佐橋慶作)とその一族の発展による支配と、あくまでもその背後を隠蔽しようという体質は、当然今の、岸家安倍家の一族に受け継がれています。

 朝日や毎日が、読売がとか言ってもしょせんは今は記者クラブのお仲間で、スクープ合戦も芸能レベルです。妾半ば公認だった時代とはスキャンダルのレベルも違います。日本の命運の根源をスクープするような攻防はないでしょう。日本の支配層を意識改革させるような、西山記者レベルの気概あるジャーナリストはもう生まれにくい背景ですが、次世代に期待はしたいです。

 

中学生の学徒勤労動員で作られていた風船爆弾

 戦中の古い記述をたまたま読んでいると、今中国と米国でもめている気球の原点ともいうべき、旧日本軍の風船爆弾を、勤労動員で作らされ記述がありました。

 実際に風船爆弾は放たれたのは、アメリカ側に近い、東日本の太平洋側に残る地点ですが、各地の紙や紡績、染色なのど工場で、こんにゃく糊を使い、中学生が男女一組で紙を貼り合わせて爆弾の制作に携わりました。60センチ×1メートルの和紙を幾重にも貼り合わせ今の厚手のビニールのような製品を作っていたと回顧されています。
 当時は何を作っているかは知らなったらしいですが、やがて、アメリカまで偏西風でたどり着き山火事などで死傷者も出し戦果をあげた風船爆弾だと知ったそうです。その年の8月にはすっかり制空権をなくした日本は、風船爆弾とは比べ物にならないとてつもない破壊力の新型爆弾を二つの都市に落されます。
 もう鬼籍の方の手記ですが、終戦の前年の2学期から京都の伏見でもこの学徒勤労動員はあったそうです。修学旅行も運動会もカーキ色一色で、英語の授業もない今生きていれば90歳以上の方の、青春を戦争が奪っていた時代が書き残されていました。

 昨日も戦争のことを書きましたが、国が疲弊しきり、子供命さえ危険にさせ、多くの生命を奪われる前もっとできることがあるはずです。
第二次世界大戦の書記、史料を読むとロシア(当時ソ連)の参戦、虐殺その後シベリア抑留など、今のロシアへの恨み骨髄と感じるものも多くあります。ロシア人は悪くないプーチンが悪いんだとはとても思えないような、残虐で非道な暴挙も綴られます。多少はアメリカの占領の影響があるにせよ、ロシアを殲滅したくなり、擁護する意見や助けたくなるなど論外に思えます。
 戦争の終結は難しいのです。相手国を憎む気持ちが強ければ強いほど戦争は終わりません。それでも戦争を始めてしまうと、このような悲劇を繰り返すということでしょうか。

戦争は、賛成反対以前にいつも『停戦』『やめ時が難しい』

 ウクライナの長引くロシア侵攻からの戦争、北朝鮮のミサイルや、中国の台湾や南沙諸島などへの動きが報道されるたび、それ見たことか軍備を拡充しないといけないと語る方向に人がいます。あんな暴挙をするロシアには制裁を強化し、ウクライナを支援しようということです。

 しかし戦争は長引くばかりで、停戦の動きはなかなかです。このまま、さらに戦争が拡大し、停戦がままならずロシアが戦術核を用いたりすれば最悪の道です。

 ウクライナをかつての戦中の日本に重なる人もおられます。
 物資が枯渇し、鉄も砂糖も脂もコメも手に入らないで、田舎に疎開させられ、家は道路の拡充に使われ供出されてしまう。焼け野原になりつつある都市部、それでも絶望的な召集で、武器も戦闘機も不十分で戦地に赴く人々。

 日本もそうでしたが、戦争は戦う双方の国が自分こそ正義だ思っている聖戦です。そう簡単に、停戦を受け容れると、愛国者やその支持者からは轟々たる非難を受けます。戦争をよくぞ止めてくれたとは言われず、何で途中で投げ出すとなります。最後はメンツかもしれませんが、それ以前に戦争のプロバガンダを信じ込まされ洗脳されてしまう人々が大きな問題です。

 影響力の強い人が洗脳されると、集団にも勢いがつき暴走が止まらなくなります。戦前の日本やドイツが何であんなことになったのか、怒り嘆き、今ならと思う人も多いでしょうが、残念ながら今でも大して大衆の愚かさというのは変わりません。

 ロシアを批判する国々は『力による現状変更を許してはいけない』と言い、特に日本ではそれに毅然と同調しないと東アジアにも及ぶと米国やEUと横並びを強制するような世論が強いです。しかし『力』をさらに『力』でねじ伏せようとし、軍備増強を図ればエスカレートするばかりです。『力』に『力』では戦争は終わりません。長くなるだけです。長引けば、兵士やその家族、一般国民は苦しむだけです。ロシア人は憎くない、プーチンら指導部が憎いのだと言う人もいますが、結局戦争で苦しんでいるもはロシア人です。
 国際世論や他国がまず戦争を止め、国会や国際裁判所、公平な国際世論に委ねるべきです。

 戦争体験の語り部の方々はどうしても、戦争絶対反対の左翼思想に利用される場合があります。国と国の主張がぶつかり合うことそのものは避けられません。戦争やむなしになる事態は、国際社会ではむしろありがちなことです。問題は武力衝突となった時の停戦,やめ時をいかに想定して、国民にも妥協を説明し、交渉していくかです。
 日露戦争は、完全決着で勝敗が決まった終局ではありませんでした。日本が勝ったとも喧伝されましたが、賠償金もなく世論は不満でした。殴り合いで体力もつき、わかったやめようよとなった感じでしょう。有利不利はあったにせよ相手が降伏したわけではなく、条約が結ばれました。
 日本人は潔しなのか洗脳なのか、白黒はっきりさせ無条件降伏まで戦った第二次世界大戦の敗北しか頭にない方が増えました。ロシアのプーチンが完全屈服する可能性はゼロではないですが低いです。むしろ長引き追いつめられると戦術核を使う可能性さえそう低くはなくあります。
 国際世論というなら、玉虫色で双方のプライドや世論に妥協しつつ、停戦を模索する動きが早くでないかと願います。

リニアや北陸新幹線大阪延伸を待望する街もある

 静岡県の反対でストップのかかったリニア中央新幹線、詳細ルートも工事も定まらぬ北陸新幹線の敦賀以西大阪延伸。水の問題で生活や産業を脅かされる街、並行在来線で切り離される街、受益を受ける人と損害が予想される人で対立軸もできて、難しい問題になっています。
 西九州新幹線延伸、北海道新幹線延伸も相当な並行在来線問題や自治体負担で逆風ながらの見切り発車という感じです。京都在住の私でも、小浜、美山あたりから北陸新幹線が京都駅に深い地下へ接続するルートなど想像もつかないところですし、リニアはルートにもなくとりあえず恩恵がありません。名古屋までの開業時には新幹線で名古屋プラスリニアでしょうか。北陸は敦賀延伸で関西からは金沢へサンダーバード直通が難しくなり、乗り換えも不便で料金も上がりそうです。何だか今仕上がりつつある敦賀延伸でもうええやんという感じです。

 リニアは名古屋までさえが、生きているうちに見れるか心配で、反対派の意見も根強く炎上しやすいテーマになっています。
 水の問題でいうとリニアの静岡だけでなく、北陸新幹線京都周辺では伏見の醸造用地下水の問題もあり、延伸反対も出ています。
 そして反対派は、計画そのものに対し、コロナのテレワーク、オンライン授業なども追い風もあり、不要論に繋げます。
 とはいえ、新幹線やリニアを待望しているところもあります。北陸新幹線延伸でいうと福井県の小浜市、リニア中央新幹線では長野県飯田市、岐阜県中津川市あたりでしょう。小浜市、飯田市では特に在来線で、東京、大阪に出るのがとても不便で、新幹線、リニアが来ることを周辺自治体含め、市と地方の活性化、再生計画に大きく組み込んでいます。名古屋、大阪と東京首都圏を短時間で結び、メガ都市圏を形成することに注目が集まりますが、選ばれ限られた範囲ですが地方の活性化を担っています。

 飯田市で9万人弱、小浜市には2万8千人の小規模な都市です。両市とも、伝統産業や文化、古いお寺などの地味ですが観光資源も豊富で、この地に住む人にとってはそれこそ生きている間に見たい乗りたい新幹線でありリニアです。自治体の計画はそれで進んでいます。それぞれ『海の奈良』『南信の小京都』と言われており過疎で朽ち果てさせるに任せるのは惜しい街です。

 いくつか、ルート変更してでも早急に開通をという声もあります。リニアに関してもかなり検討はされていましたが、技術論や他のルートを見ても変更の可能性はほぼないようです。
 北陸新幹線も未だに小浜すら通らない米原案や、湖西案が蘇りかけますが、小浜は変わりはないでしょう。ただ小浜以降京都までも、舞鶴経由や美山経由など輻輳しています。

 工事が着工以降時間がかかるのは、工費が嵩むばかりで、JR本体の負担も増え、利用者負担も増え、地域の活性は遅れます。作業場を抑え契約しているゼネコンが儲かるだけです。
 静岡の水も伏見の水も大切で、見切り発車は許さないと当事者が反対することも心情的には頷けます。コロナの影響で不要論まで出ると議論がややこしいのですが、すでに不要論まで後戻りできる進行ではありません。反対の方もごね得を狙っているわけではないでしょうから、正直なところ反対しても『そうですねじゃあ、やめます』にはなりません。JRが苦しむだけ、利用者が待たされ負担が増え、最終的に、不毛な時間経過で、誰一人得はしないのです。最終的には行政と企業のトップが頭を下げ、早急に『やります、やめます』を早く宣言して、決めることです。 

どうする限界集落 高齢化 どうする日本

 旅行で田舎を訪れると都会の喧騒と比べ、のんびりしていて空気も食べ物も美味いので、田舎暮らしに憧れるときがあります。しかし、それは都会人のが田舎の苦労をよく知らずにいるだけです。

 観光で潤うほどのエリアでなければ地方の経済、インフラは厳しく、雇用など生活していく上でも厳しいものがあります。そしてさらに、過疎に悩む地域では高齢化日本の未来ともいえる厳しい現実、限界集落があります。

 限界集落げんかいしゅうらく)とは、人口の50%以上が65歳以上で、農業用水や森林、道路の維持管理、冠婚葬祭などの共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落のことでです。国土交通省の発表では2015年度時点で全国に1万5568限界集落があり、今後10年以内に消滅する恐れがあると予測される集落は570、いずれ消滅する恐れがあるとみられる集落と合わせると、3,614集落になるそうです。

 正確な数字は多少ぶれるでしょうが、子育て世代が流入するという稀有な可能性がないと、どんどん限界集落は消滅します。

 そして消滅の可能性があるところでも、インフラにまるっきり税金を投入しないわけではないのです。なんとか頑張っている集団の高齢者に可能性を早めに立ち切れば、消滅は確実に早まります。見極めも難しいですが、東日本大震災の復興の護岸工事などは、限界といわれそうでもしないわけにはいかず、宮城県あたりは沿岸部の全市町村に防潮堤を作り終えました。正直、無駄とは大きな声では言えませんが、大金を投じて多くない人口を守っています。大きな津波が次に来るまでに消滅するかもしれないところよりに巨額を投じています。頻々と人やクルマの通る道路の、老朽化、インフラで不安なところは多々あります。

 財源が限られる中、コロナ対策、防衛費、子育て支援とどんどん歳出は膨らみ、インフラは後回しの印象さえあります。東名高速の天井崩落をきっかけに、一斉に全国で点検され補修が必要とされたトンネルでさえ放置されているところが多いと報道されました。橋や道路、踏切、鉄道、電気や水道のライフラインさえ今後利用者の不便はあっても放置を選択され、他の財源に回すインフラが検討されるでしょう。

 逆に言うと、それを考えないと国や自治体が破綻してしまいます。大量に負傷者が出た場合ん患者の優先順位を決めるトリアージでと同じです。福祉の考えでは難しいですが、すでに鉄道では過疎路線は協議されながらもどんどん廃止が進んでいます。JRも自治体も潤沢に資金がある情勢ではなく、そこにまわしていては本体の財政が成り立たないのです。

 自治体間の調整、民間企業に弾力的な支援など、何とか知恵を絞りながら地方を再生していく模索が必要です。

世代の差、貧富の差で意見は食い違う

 ウチの妻なんかは、特売のタマゴを買いに走り、売り切れには激怒してる輩で、さまざまな食品やガス・電気の値上げにも嘆くばかりです。まあそんなに稼いでない私の家ですからしょうがないところです。

 いろいろな人と話していると、家電や給湯などの機械も壊れると値上がりしていて半導体の不足で品薄で工事さえままならないとかも聞こえ、全ての値上げに嘆く人も多いです。非正規、失業や年金暮らしで細々の人には不安も大きいでしょう。大企業の中に物価手当などを給付するところもあるようですが、本当に欲しいのは大企業に勤めていない人という気もします。

 中には、『オーガニックとか国産物のそこそこ高い食材ばかりで賄ってたので、円安や運賃の影響も少なくそんなに影響ない』という人もいました。ちょっとムカつくような話です。

 小麦系のパンやカップ麺、菓子類などの安かった人気商品が上がっているため、ぎりぎりの食生活をしている人の生活は直撃を受けている気がします。

 バリバリの現役世代の人は娯楽を少し我慢とか可処分所得の調整で何とかなる範囲でしょうから、年金世代や役職定年して生活をシュリンクした世代とは考えが違ってきます。

 国債発行や財源などの問題で、『未来の子供たちに借金を先送りにしない』とはよく総理なども叫ばれます。しかし今の目の前の食が苦しいひとに20年、30年先の社会全体のことを考える余裕などありません。現役世代とそこはもう決定的に違いが生じ、これを投票で決めるとかいうのも無理があります。
 資産も収入もたっぷりある人と、カツカツの人でも感覚はまるで違い、意見は合いません。余裕のある人は、インフラの整備や防衛費や子育てにも国家予算をバランスよく回す考察もできますが、明日の食事にも困るような人には国家を考えることはできず自分の目の前の当事者としての想いだけです。

 高額納税者だけで国のことを考えた方がまとまるというの意見は極端なようですが、一理あります。未来のことをしっかり考えても、未来の見えない人達に反対されウダウダ決まらないのが民主主義の悲しさです。

投資で儲けるのを潔しとしない日本文化

 最近になって、政府は貯蓄や年金よりも投資によって、老後などの生活資金を賄うように言っています。

 これに対し、このような物価高、賃金も上がらない情勢でそもそも投資に回せないのに何だそれはという反発もあります。政府に鼻薬を嗅がされたインフルエンサーが、株や投信を勧め、現金主義や金利もない銀行に貯金しているのをバカにしています。

 日本人は真面目で、極端に従順なところがあります。また清貧を美徳として、貧しくとも盗泉は飲まずみたいな教育をされてきました。

 汗水流し、日々働いて年に200万円ほどしか稼げない人や、一生懸命勉強し、一流大学出て官僚のエリートで切磋琢磨して仕事一筋で出世を目指しても、ようやく昇り詰めてせいぜい2000万円程度の年俸なのです。これが少しベンチャーやネットビジネスで稼いだりした若者が20代30代で何億も稼ぐと、世の中間違っていると非難轟々なのです。

 投資を勧めると、極端なアタマしかない人には汗水流し、必死に勉強し、社会をさせることを否定するかのように感じてしまうのでしょう。たしかに、そういう人がいないと社会も何も成り立ちません。

 バランスが難しいのです。資産運用は必要ですが、誰もがリアルに働かずニッチ的な仕事だけで稼げないし、社会を支えられないでしょう。しかし、低金利時代です、銀行にお金をおいて、コンビニや時間外にATMで出金していては全く意味がないのです。

結局何がやりたいのか岸田首相

 もう1年半前か2021年9月に、事実上日本の総理大臣を決める自民党総裁選が行われ、現総理岸田文雄が、河野太郎、野田聖子、高市早苗を破り総裁に選ばれました。
 結果を見れば当然と思えるのですが、与党の党内の選挙というのも国会議員や党員、世論もからみ複雑な要素の中から時の勢いのようなものもあって決まることが多いようです。

 いざ総理大臣になってしまうと発言や答弁には制約が多く、それまでの歯切れの良さや勢いはなりをひそめます。
 そういう意味では党首選挙の方が国会よりも、ある程度は制約はあるものの、本音と人となりがよく表れて面白いです。
 確かに1年以上前だとまだコロナ対策が重要なポイントで、各候補これを公約に上げていて、法律や制度の強化の度合いが各候補に差のある程度でした。実際に岸田さんが総理になり水際対策を強化してことは、当初世論は支持をしていましたが、国際的にはウイズコロナへの舵を切るタイミングを遅らすことになります。

 岸田さんが、特徴的に上げたのが『令和の所得倍増』でした、ウクライナ情勢などもありこれほどまでに物価が上がり、在任1年以上過ぎて、やっと財界や労組に物価に見合う賃上げを要請しているのは後手すぎます。首相がやいのやいので昨年春闘でベアを無理にでも上げれていれば、値上げはあったけど給料が上がった分少しは助かったねともう少し評価もされたでしょう。

 防衛費の43兆円とかGDP比2%への増額も唐突な感じで、総裁選で敵基地攻撃能力保持まで言及したのはもちろん保守派の高市早苗さんだけです。高市さんが敬遠されたのは、一気にこういった防衛費増強、軍拡への道に進むのではないかとの怖れでした。ところが岸田さんはアメリカやEUに言われままに増税してでもお金を出して防衛費に充てると唐突に言い出します。
 その印象を薄めるためか、最近になって『異次元の少子化対策』とか言い出しましたが、野田聖子さんの公約が一丁目一番地を子育て対策にというのでした。
 当初優位とも言われ人気のあった河野太郎は、総裁選ではあまり元来の原発反対などの持論は抑え、年金や社会保険料の一体改革を訴えていました。これも大きな問題で、結局年金や健康保険、介護保険の不安不満は尽きません。早く手を付ければ、少子高齢化対策や歳出削減にも結びつけられました。2021年の自民党総裁選は喫緊の日本の課題が全て集約されていたわけで、そこはゆっくりとしてはいられなかったのです。岸田さんはどこかに総理大臣に慣れたことで、とりあえず満足してしまったみたいなところがあり、次の手が遅いというか、何がしたいのか自分でもわからないのでしょう。

 とはいえ、他の候補が良かったのかとは言い切れませんし、総理大臣はそれまで偉そうなコメントを言っていた人でも簡単にはいけないものです。
 いざその立場だと、内外のあらゆる方面からの意見や悪質な攻撃に対応しなければなりません。大変な仕事であることには間違いはなく、岸田さんはこのところ閣僚の不用意な発言などの不祥事に任命責任などで責めまくられていますが、これには絶対ウラがありそうです。このような厳しい情勢の中、岸田さんが名を遺すような首相になるには、やはり経済、所得倍増ならそれはそれで、あらゆる知恵を絞り全力で実現させようという気持ちでしょう。力をもって驀進しているときにはスキャンダルは怖くないのです。優先順位をつけた最重要課題に真摯に取り組めば、他の問題とのバランスや予算や財源の棲み分けが明確になっていくのです。コロナの対策の予算と、経済対策、防衛費や、少子化対策は一見比べられませんが、力を入れだせば何が真実で何が必要なのかはもっと見えてくるはずです。今のままでは、重鎮だったり、アメリカだったり、業界だったり、世論などを気にしたり、言われるままなのです。何もかもかかる費用が増え、税金や国債発行が増え、給付や公的サービスは削減、次世代への借金は減らないばかりです。