保険証以上にマイナンバーカードと統合が難しい?運転免許証

 運転免許証を持っている方にしかわからりにくい内容もあるので恐縮ですが、保険証に続いて国は運転免許証のデジタル化とマイナンバーカードへ統合を計画しています。デジタル化の推進指標です。
 保険証廃止もさまざまなところから反対が出てなかなか進まない現状、はたして運転免許証の統合は可能なのでしょうか。
 またぞろトラブルも発生して凄まじい反対の集中砲火を浴びそうな予感がします。運転免許証は紐づけ義務のない併用で、一本化も併用も、紐付けしないことも可能なそうです。
 今の各県の旧態依然の免許更新センターの、混雑する日曜などの会場の行列とそれを誘導し、検査や講習、支払い、更新免許交付までの流れを見ているとこれだけの人がかかっている仕事を無くすつもりは全くなさそうです。
 そもそも偽造防止や本籍などのプライバシー保護のため日本の運転免許証にはハイスペックなICチップが埋め込まれています。ここでも多くのコストがかかり、その機械やシステムをむざむざ廃止にはできないのでしょう。それにしても、このチップ、暗証番号で情報も開けれるのですがイマイチ何のためにあるのか分かりません。運転者側のメリットのほとんどない、オーバースペックの技術が利用者負担=国の人員維持や業者の利益で成り立ってそうです。
 マイナンバーカードのチップに運転免許証のデータを入れて紐付ければ、基本免許証は持ち歩く必要もなくなり、マイナンバーカードを出すだけで、免許証の提示、携行は要らなくなります。
 一本化の紛失時などの不安もあるでしょうが、失くす時は財布ごとなくなりそうですから、デメリットはそうないのですが、強制するつもりはないようです。
 パトカーなどの交通取り締まりもマイナンバーカード派と従来の免許証派、両方にハードも含め対応が必要になります。これは混乱が起きないのが不思議だと予想されます。
 パトカーへのカードリーダーの設置などもまた大きな経費がかかりそうです。業者も潤いそうです。
 それにしても、多くの県で免許センターが建物や施設が老朽化して、更新もしていますが、免許を取得する若者も減り、効率の悪そうな運営です。
 少し脱線しますが、国の出先機関は、私の見聞きする範囲でも外務省の大使館や領事館から、厚労省の労働局、法務省の法務局など、どこもそれほど清掃メンテナンスや修繕、バリアフリー化が行き届かず老朽化が激しいところが多いです。
 新しくすると無駄遣いが指摘されがちですが、働いている人も多いわけですし、市民との接点ですから、こういうところにはお金をかけるべきです。
 どうも税金で使う予算は新規のハイテクやハコものとか業者が儲かり、紐がついて管理がユルイところに行きやすく、地味な更新などを抑えて、削る傾向が強いようです。 
 免許証と保険証、私はマイナンバーカード一本、あるいはクレカや交通系ICカードも含めスマホに全部統合でいいと思います。今の若者は現金を使わず財布も持たないのですから、慣れです。スマホを大事に持てば十分です。

過渡期ですまされない保険証の不便 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

何なのかと思うこの格差 いらない壁

 税収が苦しいとか、政府やマスコミが言っていて、舌の根も乾かないうちに、税金は上振れの増収だったとか、全く馬鹿にした話です。 

大金持ち(富裕層)          貧乏人(非正規年収200万)
所得税、住民税  約20%       約6%
社会保険料    約0.5%         約15%
消費税負担率   約1%         約8%
合計       約21.5%       約29%
 【所得に占める、税や社会保険料の割合】
 福祉などは税の恩恵は低所得層に行きますが、インフラなど公共投資は富裕層に行く割合も多いです。年金や医療保険などの給付も富裕層の方が金額は増えます。高額医療費の制限も、上限があるのでやはり大金持ちは負担割合が低くなります。
 上限は、厚生年金保険料、雇用保険料などのそれぞれ壁のある枠で表になっている負担で金額枠になっているものは負担は青天井でないわけです。これを何パーセント負担にすればいいのですが、面倒くさいのか、金持ち優遇なのか、上限があるのです。高額療養費でいうと所得が月額83万を超えると、83万でも830万でも同じがくの負担になります。小金持ちと大金持ちの負担割合が違うのはここです。
 こういう「壁」は常に超えると、超えてすぐのところの人が負担が大きく、超えないと良かったになりますし。「壁」が下にあって上にない大金持ちにはとてもおいしい制度です。

「ドラゴン桜」や「女王の教室」で、「考えない勉強しない、情報も知らない人間は貧しく、お金を取られるばかり」と、「支配層は庶民がいつまでも勉強しないバカでいて欲しいのだ」といった意味のセリフで、主人公の教師が生徒を叱咤する場面があります。一部の富裕層と支配層が決めたルールに従い、せめて東大に入るくらいの勉強をし、ルールを決める側に回らないと庶民は搾取され続けるのだということです。
 財務省の年収2千万程度の官僚トップはアメーバのように、人が変わろうと税収税収と国民を洗脳し続けていることを揶揄しています。
 実際、お金持ちには節税や社会保険料を抑える指南役がつき、一般の国民はせいぜいネットの玉石混淆の知識や情報しかありません。
 本来はこれだけ物価が上がり、国の財政だって楽ではないのなら、もう少し企業なり、富裕層から献金のように紐付きでなく、しがらみのない権利として税金を取る、サービスを有料にするでいいのではと思います。これは1千万とか2千万の富裕層手前の、中間層上位に対してではなく、もっと大金持ちの所得や財産からもっとリミッターなしに税や社会保険料をとるべきということです。それで、大金持ちの資産や権力がなくなるとかではないです。子分や身内にバラマキ、寄付や再投資にムダに使っている有り余るお金の一部を掬い取るだけで、国や国民が救われその活動が元気になるのです。
 戦中や敗戦直後でも、その後の高度経済成長期、バブル以前以後を通じ、国の支配層は、富裕層はそれほど変わらずに、お金を持っていて潤っています。
 今は戦後のどの時期よりも日本の経済、社会全体が苦しみ、国際的地位を失っています。そこに活路を見出すのは、せっかく一流大学で学んだ人間が、自分のためだけでなく、他人のため、国家や仲間、企業全体のために、汗を流すこと、それを美徳とする風潮ができ、それに賛同し行動する人間が増える仕組み、それが定着しないといけません。
 半沢直樹やドラゴン桜の桜木の正義感が、暑苦しくともスカッとウケているのなら、真理としては間違いと感じられているわけではないのが救いです。
 そこから、やっぱり国はだめなんだとあきらめて大きなものには逆らわず、過去からのものには従順にその通りなぞっていけばいいとならないで、しっかり考え行動できる人が増え、それを支える人が一部の支配階層、知識階層にとどまらず広がらないと、この国は衰える一方です。

パープルリボン

 11月はパープルリボン月間です。
 女性に対する暴力撲滅運動です。
 パープルリボンと言ってすぐ意味の分かる人は少ないかもしれません。
 暴力は、その対象の性別や加害者、被害者の間柄を問わず、決して許されるものではありませんが、特に、配偶者等からの暴力、性犯罪、売買春、人身取引、セクシュアル・ハラスメント、ストーカー行為等女性に対する暴力は、女性の人権を著しく侵害するものであり、男女共同参画社会を形成する上で克服すべき重要な課題です。
 毎年、内閣府その他の男女共同参画推進本部構成府省庁の主唱により、11月12日から25日までを期間としてパープルリボンプロジェクトと言われる「女性に対する暴力をなくす運動」が実施されます。
 少年への性被害の某事務所や、女性だけの歌劇団のイジメなど、最近は妻や子といった異性に対する暴力だけでなく、男性同士や女性同士、もはや男女とも言いづらいような時代になりました。それでも、女性は男性に比べ力に劣ることが多く、DVの被害者になる割合は圧倒的です。
 LGBTというややイレギュラーなケースが注目され過ぎる時代だからこそ、本来弱い女性に対する暴力にあえて着目させる月間,そこに重要な意味があるのかもしれません。
 年金事務所で働いているときも、暴力でトラウマとなった人に何度か出会いましたが、DVセンターや裁判所にはさらに多くの人が相談や措置依頼に現れます。
 その傷跡はやはり痛々しいものです。戦争の被害とは比べられませんが、平和なはずの日本であってはならないことです。
 どんな理由があれですが、人権は最低限守られるべきで、暴力に訴える人間は下劣です。もちろんしたたかでズルい、殴りたくなるような人間、イライラさせる人は世の中にいるでしょう。それでもやはり、正当に話し合う、訴える、拒絶するなど別の方法を選ぶべきでしょう。

沈みゆく日本

 今年中には日本はドイツにGDP(名目国内総生産)で抜かれるといわれていますが、先日の産経新聞1面トップで「GDP 独に抜かれ4位、インドも迫る 円安・低物価・低賃金が定着『安い日本』脱出なるか」との見出しに、やはり失望というか残念な思いを抱きます。オリンピックやサッカーやラグビーのW杯、WBCなどでニッポンと叫び応援する人も、共通のナショナリズムのような気持ちで日本が上にいることを望んでいる人は多いと思います。

 ドイツの人口は日本の3分の2で、約8,000万人である。人口14億の中国に抜かれ、同じく14億のインドに抜かれるのはむしろやむを得ないとしても、人口8,000万のドイツに抜かれるとはショックであす。
 かつて、太平洋戦争でアジア諸国からも、欧米と渡り合ってくれた日本は尊敬され、自分たちも欧米に負けないと戦後成長しましたが、今人口もですが、所得や賃金で追い上げられ、追いつかれようとしています。
 いろんな要素もあると思いますが、日本の復活、経済成長に向け、腹を据えて本当に考えて実行していかないといけないでしょう。

 振り返ると小泉政権で新自由主義政策が進められ、都会優先、地方切り捨て、非正規、パート、契約社員制度になり、日本の文化ともいえる終身雇用、年功序列といった仕組みが形は残しつつ弱くなり、日本人の一番の財産であった勤勉性が失われ、若者をはじめ多くの勤労者がやる気をなくしてしまいました。そのツケが今になって大きく残ってしまったような気がします。23年前、小泉政権が誕生した時、メディアは改革政権ともてはやし、抵抗勢力、守旧派とレッテルを貼り伝統的、遺伝的に頑張ることを止めてしまったように思います。
 東大を出て、プログラミングができて、IT企業を立ち上げた人物が何百億と稼いで,プロ野球や放送局、政治にも参加しようとしました。サラリーマンや公務員がどんなに頑張っても2千万ぐらいがせいぜいの時。その100倍以上を汗も流さずに稼ぐ人種が現われました。一方で、少し頑張れば中流の生活ができた職業は淘汰され始めました。全体の富の上限は決まっているのです。

 今、格差が拡がり、若者にやる気をなくさせた一番の原因は何かと考える時、日本はこのころに何かの選択を間違ったのでしょう。
「人よりも努力すれば、頑張れば結果が付いてくる時代」
 どの街の商店街にもあった個人経営の小さな飲食店、クリーニング店、電気屋さん、化粧品店や薬店、いろんな店の人が日曜も祝日もなく、朝早くから仕込みや準備をして、夜遅く閉めて銭湯で汗を流し深夜に休みました。

 エネルギー資源なき日本が、世界に冠たる日本になったのは、国民の勤勉性であり、働く姿の勝利でもありました。その仕組み、その姿をもう一度取り返さない限り日本の再生はないと思う。

 

親方日の丸工事は予算や納期を守らせろ【大阪万博】

 公共工事など役所関係の予算で支払われるいわゆる「親方日の丸」の工事は、値切られることもなく、支払いも良く、工期が延びたり資材が高騰したりして予算オーバーしても相手が潰れる心配もありません。オイシイ仕事ですので、各社必死になって入札の競争をし、談合や癒着など不適切であろうが受注をしたいと思います。
 いったん入札が決まると、技術的、専門的な部分で事情ができて予算がオーバーしても厳しく追及されることなく。大きなプロジェクトであればあるほど、結果が国民に公表されるのはずっと後です。
 先の東京オリンピックがまさにそうで、当初はコンパクトな復興テーマの大会のはずが、結局は過去最大級の予算規模で、談合など不正もあとからあとから出てきました。
 大阪万博は、まだ開催前ですが、開催が揺れるほど、工事の遅れや予算の高騰が報道されています。
 結局やりかけたことを投入した予算をパーにして止めるのには勇気もいりますし、批判もでますから投げ出すのも得策ではありません。だからと言って、予算オーバーOK、工期納期遅れOKにしてしまうと、予算の倍以上支出があっても誰も責任を取らないことになります。結局は税金、国や地方の負担、結局は国民の負担です。民間企業だけのプロジェクトなら考えられないことです。
 これを入札の段階で、予算納期絶対厳守とすれば良いと単純に思います。裏の金など回して受注を取るほどオイシクない、名誉と実績につながるだけぐらいにするのです。予算を守るため、納期を納めるため、見積もりも工事も真剣になるでしょう。発注元への要望も厳しくなるでしょう。必死にすり合わせ、喧々諤々とやり、それでもオーバーするなら都度民意に問うぐらいにしないと、血税を蝕み、だらだら談合したゼネコンやら業者が潤う体質は変わりません。
 都市の地下鉄でも新規の高速道路、鉄道、新幹線、リニアでもそうです。
 私の住む、京都市の地下鉄東西線なんて、まさにその最悪の典型です。1キロあたりのコストが日本でワースト2で、その上乗客も伸びずワースト赤字を出しています。その言い訳が埋蔵の文化財が出土して、取り決めでそれを発掘し終えないと工事を進められない。
 京都で地下を掘ると文化財が出て、刷毛でなぞりながら掘るようなものなどと言われますが、市民も大赤字で財政難で、負担がのしかかると笑いごとではなくなりました。そんな事情など、最初からある程度分かっていたなら確信犯です。
 たとえ、そういう案件があったとしても、そこでしっかり議論なり、交渉があり、何とか納期と予算を守りために工夫し、その後の乗客輸送で赤字を吸収する必死の姿勢があったのでしょうか。同じ地下鉄の烏丸線、阪急や京阪なども先に地下線を京都市内に開業してこれほどの赤字にはなっていません。
 文化財だけでなく、消防法や安全対策、バリアフリー対応でも駅や地下路線にかかるコストは厖大になってきていますが、市民も含め、そのあたりも説明から交渉も必要です。
 こういう悪しき例は、どの公共事業にもつきまといます。高度成長期からバブル期までは、それでも何とかしのげました。バブル崩壊後はそうは行きません。
 市民が後から知って、こんなにかかりました、「ハイ市民サービス低下で調整します」「敬老、福祉や子育ては他の市より、我慢してください」では許されません。

今度は運転手不足                    闇が深い京都市交通局

 ローカルではありますが、公共交通は全国的に苦戦していますのでその例としてもです。財政破綻寸前だった京都市、その中でも大きな赤字問題で騒がれる京都市交通局。
 コロナ禍が終わり、観光客が戻ってくると今度は増発して巻き返そうとしても京都市バス運転手の不足が、京都市交通局にとって課題となってると報道されています。
 大型2種免許を持っていなくとも、公費で免許所得を助成して、女性の働きやすい環境をアピールして募集をかけていますが、不足状態はすぐ解消するとは思えません。

 平成11年度には926万円だった京都市バス運転手の平均年収は、令和3年度には542万円に。民間バス会社の運転士の平均年収である529万円と、ほぼ同水準まで下がったわけです。健全財政を訴えるのには、このわかりやすいキャラクターやアニメによる説明はそれでもいいのですが、逆に言うと世間並みに運転手の待遇は営業や他の技術職に比べそうはよくないわけです。
 市バスと民間の運転手の間で給与差が無くなったことで、民間に運航を委託することによる経費削減のメリットも小さくなるといった状況もあり、提携する京阪バスなどの会社も運転手が集まらず撤退路線があるなど、公共交通としての維持が難しくなるところもあります。
 そもそも市バス運転手で1000万円の年収があったというのは、どういう賃金テーブルがあってそうなったのか、不思議でなりません。公務員なので多くの方がいきなり減給や解雇はあり得ないので、徐々に世代により雇用条件を変えたのでしょうか。どう改善して今はそれが無くなったのか、そこに深い闇のような問題がありそうです。
 景気がよくなり、しっかり頑張って何年も働けば他の職種と同じく1000万ぐらい貰える方が人が集まると思います。
 昔は、接客態度も運転も乱暴な運転手がザラにいて、勤務態度も悪いけれども在籍をしているだけで高給だった時代があったのでしょうが、そこを抜本的に変えていることを詳らかにすれば、良い人材は集まるでしょう。
 民間と役所の違いは是々非々や、能力や業績よりも、年功が優先され、いるだけで勤勉手当が貰え、経年で号給が上がり、解雇されることも減給されることもないところです。細かくバス停に止まり、乗客の乗り降りをワンオペでするバス運転手が、ある意味長距離よりも難しい仕事です。成果評価ができるようにして、待遇改善ができればかりがいのある良い仕事になりWINWINの体制になる気がします。

任命責任まで言うと

 会社で、誰かが不祥事を起こしたら、決済や監査などに絡んでいた場合、監督責任というのはあります。
 しかし、大人の人間なので任命した人事や上司がその責任を問われることはありません。大臣だからといって、首相が全ての行動を掴み、私生活や人格まで把握することなど無理です。
 何か問題が起きると、任命責任と騒ぐ野党やマスコミも、無責任な誹謗です。その人間が辞職なり責任をとればいいことです。
 プロ野球の監督や球団社長が選手の不祥事でいちいち責任をとる訳ではありません。映画監督やプロデューサーも、役者が何かしでかしても責任を問われません。
 もう少し具体的な政策に関して、追及し、論争すべきが国会であり、大新聞たる政治面ではないかと思います。
 もう一つは今のように、政権支持率が下がると、それまでは忖度というか温存していたようなネタを、一気に放出して、あれもこれも悪いと、池に落ちた犬を棒で叩くような卑怯なやり方も何だかと思います。
 どうでもいいこと、たとえば調子に乗ってエッフェル塔の前でポーズをとっても、そんなものスルーしてもいいネタであり、政権がびしっとしていればゴミのような話です。もうちょっと、何か経済、社会保障にしろ、外交にしろ、議論するところ、ツッコむところはあるはずなのに、素人ウケだけ狙うのがプロのマスコミのやることかと嘆きますし、そんなものはゴミと無視するリテラシーが必要です。。

袴田さん再審初公判

 袴田巖さんのいわゆるやり直し裁判、再審初公判が一昨日静岡地裁で行われました。
 刑事訴訟法は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」がある時に再審公判を開くとしています。袴田さんは拘禁症状があるとして出廷は免除され、お姉さんのひで子さんが「弟の代わりに無実を主張します。巖に真の自由をお与えください」と訴えておられました。
 拘禁症状っていったい何かと、WIKIで調べると
 拘禁反応(こうきんはんのう)とは、強制収容所や捕虜収容所等の監禁施設、刑務所や拘置所等の刑事施設、精神科の閉鎖病棟等、強制的に自由を抑圧される環境に置かれた人が示す人格の変化を指す、精神医学や心理学における術語。より非公式な表記として、拘禁症、拘禁病と表記される場合もある。
 全くの無罪かもしれないのに一度ならず死刑判決を下されたなら、どんな人間でも病むでしょう。
 お姉さんのひで子さん90歳だけど、本当にかくしゃくとして、御立派でした。弟を信じ、支えたい一心で頑張って来られたと想像します。

 検察はなお有罪を訴えるそうです。
 事件の約1年2カ月後に、血痕が付いた衣類がみそタンクから見つかり、これが犯行着衣と認定され死刑判決に至ったが、静岡地裁、東京高裁は弁護側の実験結果により「赤みは残らない」と結論付け「捜査機関の捏造ねつぞうした可能性にも言及し」法と証拠に基づく判断をしました。検察は有罪立証をして行く考えは悪あがきではないかとの見方さえあります。
 立場上断定的なことは言えませんが、時系列を見ると組織的な冤罪なら恐ろしいほどの負担を個人に与え、時間を奪ったのです。そして、袴田さんが無罪だったとして、償えるものでもありませんが、償わせる人もいません。
 事件が起こったのは1966年、死刑が確定したのが1980年、当時を覚えている人も少ないような時間の長さ、袴田さん兄妹に平成という時代があったのでしょうか。1966年まさに高度成長まっさかりで、東京オリンピック、今騒がれる関西勢同士南海対阪神のプロ野球日本シリーズの2年後です。私や岡田監督は物心ついたころで生まれていますが、オリックスの中嶋監督は54歳なので生まれてもいません。そんな前の時代の事件です。
 真実が明らかになり、このようなことが令和の時代には起きないことを願います。
 

日本はやはり平和〇〇?

 ロシアに続いて、エネルギー面で依存する中東の戦争は日本経済に大きな影響を与えるかもしれないです。とは言え、日本にとってはやはり遠い戦争という感じもします。
 批判的で好きな言葉ではないですが、日本人の感覚は、「平和ボケ」「お花畑」なのかもしれません。
 ウクライナとロシアの衝突であれだけの死者が出て、今回パレスチナ、ガザ地区でも市民の命は一瞬にして空爆で失われています。
 戦争に反対する人も、どちらかが悪いとか、一方が早く勝つとか支持するというのはさておき、それだけの命が失われていいるのです。
 かつて日本でも戦争がありましたが、今は平和です。
 戦禍で死んでいった人は、性的虐待を受けたわけではありません。LGBTの権利を叫んでいたわけでもありません。そんなことが全く微細に思えるほど理不尽に一瞬で死んでいるのです。
 平和に中で、マイナノリティだったり、イジメや差別、暴力にあったりするのはそれも辛いことかもしれませんが、やはりそれは「平和」だからなのです。
 ウクライナで戦争が続いていても、ガザに戦火が燃え上っても、日本では少年へに性的被害の賠償や、LGBTの手術が憲法違反とかが、大きく報道される「平和」な国なのです。
 

定年後再雇用 定年延長を考える

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 【報道のまま】定年退職後の再雇用で基本給や賞与が引き下げられたのは不当だとして、名古屋自動車学校(名古屋市)の元社員60歳の定年後の男性2人が差額分(業務内容は変わらなかったが、基本給は定年前の半分以下の月額7〜8万円になっていた)の支払いなどを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は20日、基本給が正社員の60%を下回るのは違法とした二審名古屋高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻しました。嘱託職員の基本給は「正社員とは異なる性質や支給目的がある」とし、詳細に検討すべきだとの判断を示しました。

 個別の判決の趣旨に対してではなく、定年延長と、定年後の再雇用という高齢化社会の難しい問題をはらんでいます。
 これは司法、裁判の問題でもありますが、雇用、労働の深い闇と光の部分です。細かい部分で言えば、高齢者雇用継続給付金が雇用保険から支払われ、基本給の3分の2の範囲で低下した部分をカバーしてくれますが、ここまで下がると給付されてもかなり苦しいでしょう。
 ただ多くの60歳以上にとって、全く新たな仕事、会社に移るのは並み大抵のことではなく、雇用されたとしても、やはり最低賃金に毛が生えた程度で、雇用保険からのカバーも高年齢再雇用給付金となり期間などは減額になります。


 多くの人が、定年延長ならベスト、定年後の再雇用も仕方のない選択なのは事実です。企業にとっては、年齢を重ねた社員は給料は上がっていますから、経営者によっては本当は雇用さえしたくない本音もあるかもしれませんし、退職金も払った上、そこそこの給料で雇用するのは厳しい財政事情という企業もあります。この教習所がすぐに経験者が雇えない現場なのか、合理化で人は余っているので若い社員に切り替えたいのかは分からないところです。
 いずれにせよ、労働者が求めれば、働く権利は認められないといけません。管理職や、転勤のある正社員のリーダーなどが60歳を迎えた時はそれなりに、裁判になっても名目はたちます。同一でない仕事ということで判決的には納得できそうな仕事の区別ができます。実際にはこの会社のように定年前後で同じような仕事をしている営業現場や事務仕事、作業などというような感じの仕事は多いでしょう。
 再雇用制度にはこのあたりに限界がある気がします。
 この問題を突っ込んで考えると、元々正社員と、非正規社員で同じような仕事をしていて、そこにも矛盾がある深い問題が浮かび上がります。
 むしろ正社員が定年後に非正規に均されているような面もあります。
 
 いわゆる管理職定年で、裁量権のない現場的な一般職に年齢とともに降格させて、60歳で急な変化のないような定年延長を段階的に公務員は考えており、大企業も追随しそうですが、これも結局職種や業種によっては難しい面があります。能力の低い正社員が同程度か、それ以下の仕事をしていても高い賃金を貰っている場合があります。給料が高くて、少し人たらしで部下に指示し、自分はスキルなくスタッフに助けてもらうだけの管理職なら、バイトの方が仕事はキツイこともあります。それでも、長年勤め上げ、世間的には価値なくとも本人はそれなりなのですから、始末は悪いです。

 平たく言えば、そもそも管理職までやった人が40代から50歳前後にヒラに降格するというのは結構残酷な話です。やっと、部下に命令して、自分は経営企画に携わり、重要案件の決済、勤退管理やチエックなどに専任と思っていたのが、一から書類を作り商談に赴く、時には現場の作業など指示され加わるのです。それもAIが進化すれば人手がいらないような状況で、人手が要るのはより泥臭いところしか残りません。
 中高年の雇用のところは、考え方を変えないと明るくなりません。昔の体育会系のように、一年先輩が神様ではなく、入社した時から、フランクな友達感覚ぐらいでないと、こうゆう流れにはならないでしょう。