ワクチン接種  令和4年秋 考察と備忘 #ノババックス

 毎日報道は感染者数や、第8派とか言われていますが、ワクチンに関しては財務省が全額公費負担をストップと報道されました。正式決定とは伝わりませんが、一時期はワクチン打て打てで、6カ月のインターバルを3か月にするとの話もでて、もう6回目7回目と数え切れなく行かされる人も出るのかと思われた流れは、どうも止まるようです。
 一応どちらにも対応できるようにしていますが、9月20日以降に3~5回目のワクチンを接種した人は、もう次のワクチン接種券は少なくとも来年4月までは来ません。
 厚生労働省が11月8日に通達を出し、17日~18日くらいまでに自治体が慌てて対応してHPなどを更新して説明しています。9月に接種した人は3カ月で、正月明けぐらいで風邪のはやる寒い季節に大きな波が来ていたら、抗体が消えていることになります。何だか裏の事情があってのドタバタっぽいです。

 以下👇 自治体の連絡文です。

「令和4年秋開始接種」は、1人1回に限られる追加接種です。次のいずれかのワクチンを使用します。ファイザー社のオミクロン株対応2価ワクチン モデルナ社のオミクロン株対応2価ワクチン 武田社(ノババックス)の従来株ワクチン(1価)

 令和4年秋開始接種においては、基本的にはファイザー社またはモデルナ社のオミクロン株対応2価ワクチンがおすすめされています。武田社の新型コロナワクチン(ノババックス)は従来型のワクチンですが、ファイザー社およびモデルナ社のオミクロン株対応2価ワクチンを何らかの理由で接種できない人のための選択肢と位置付けられています。接種を迷う場合についてはかかりつけ医にご相談ください。

  以上

 私は、主治医との話では、接種そのものをあまり推奨されませんでしたが、1価のノババックス武田の国産ワクチンをこの時期11月18日に打ちました。オミクロン対応2価、mRNAワクチンは信用を個人的にはまだしていないためです。
 というか、身体的にはメリットがデメリットを上回るかどっこいどっこい程度だと思うのですが3回目を受けないと旅行とかに煩雑なのが、うっとうしいだけが主な理由です。

 なぜ、オミクロン最新対応のワクチンを受けなかったと言えば、新型コロナの変異株というのは種の変化ではないため従来型でも抗体は作れるし、変異株対応といっても感染はほとんど防げていません。重症化予防なら既存ワクチンで十分です。実際今はやりはオミクロンBa5.5なのに5.1対応の2価ワクチンを主にそれでも効くと打たされているようです。

 mRNAワクチンが、身体に残りスパイク蛋白を作り体調が悪くなっている方、免疫力が下がって他の病気を悪化させているという情報はありますので、ファーザー、モデルナは避けました。

 もちろんファイザーやモデルナを選んで今すぐどうこうというのもないとは思います。
 後は勘のようなものです。アストラゼネガのベクターワクチンが最初は安全と言いながら血栓症が多く発生するとのことで、いつの間にか選択肢から消えていました。4月に認可されたノババックスに国産ということもあり、かねてより期待していたこともあります。
 しかしゼネカが却下されたのは、日本の厚生省の良心と考えて良いものなのか、そこは信じたいです。 

 真面目に4回目、5回目まで接種している方のおかげで、爆発的な感染や、医療現場の逼迫も抑えられているのではないかとは、感謝も含め感じるところです。
 ただ、もう若者も含め、オミクロン対応の接種率はなかなか上がらずやっと1割いくかいかない程度かです。接種会場での担当医も、今ワクチン全体に市民の不信が強いことは良く分かっておられ苦笑いしていました。

 集団接種会場、平日の昼過ぎにしては予想したより多かったですが、1~2回目の2年前とは全然活気もなく規模は小さいです。それでも会場や、案内係、医師など大変なお金がかかっています。これらの税金も含め、もう財務省的にはすべて国が賄うのは限界なのかなというところです。今度はインフルエンザのように、一部負担や、一部の層免除などの、いろんな制約でも打て打ては続くでしょう。

 個人的には手洗い、アルコール消毒、検温も含めた体調管理、あまり人混みに行かないなどで、コロナ禍はいろいろ健康面で学んだことも多いです。

ミサイルに対するリアクション #ゼレンスキー#ウクライナ#ロシア#北朝鮮

 ウクライナ国境近くのポーランドの町にミサイルが着弾して2人が死亡というニュースはある意味かなり衝撃的でした。

 これがロシアが意図的にポーランドを攻撃したミサイルだとしたら、もうNATOとロシアの全面戦争へのトリガーでした。
 ロシアが今そんな愚挙に出るとはNATOも考えておらずウクライナ側のミサイルとしています。さすがに西側寄りの評論家も、事実関係からウクライナ側のミサイルだと推定しているようです。ゼレンスキーのみがロシア側の発射と主張しています。何らかのウクライナ側の誤射か、ロシアに罪をなすりつける策謀なのかよくは分かりませんが、この大統領の主張は、スルーはされていますがとんでもない盲動です。

 一人の愚かな大統領の意図があろうがなかろうが、その判断、発言がトリガーになって大戦争が起こる可能性があったのです。幸い昔に比べて、航空写真などでの特定がしやすくなり、陰謀やデマ、誤解の検証はある程度できます。それにしても、ロシアが悪いとの国際世論に便乗して、さらに印象を悪くしようとしているのでしょうが、このウクライナのトップはやはり信用が置けないです。

 ちょっとゼレンスキーを非難すると、プーチンを庇うとかロシアを擁護するとか叩かれますが、ロシアの悪とは別問題です。それに間違った対応をして国民(選んでいるのでまだ許容範囲か)やましてNATO諸国や世界を巻き込むような一国に大統領は危なすぎて即刻交替すべきです。ロシアが悪いからこそ、まともな大統領で対抗しないといけないということです。このままでは目くそ鼻くその泥仕合です。

 北朝鮮からのミサイルの報道も人的被害はないにしろ、確かに日本人の神経をピリピリさせます。まして領土に落ち、人命が失われたとしたら大きな問題です。

 戦争につながるような他国への威嚇は高度な戦術的な国家戦略に基づくはずです。その裏のウラをよく読み取らないと判断を誤ります。国家の正義はそれぞれの国にあり、戦前に日本しかりで、自国内では正義護国でも、国際社会からみれば悪のならず者国家とののしられているのです。特撮ヒーローのような悪の国はありません。
 それぞれが正義と正義にぶつかり合いで、誤解や陰謀で戦争のトリガーになった例がいくつもあります。むしろ戦争にきっかけは、陰謀的なトリガーに国家にトップが呼応したものがほとんどです。しかし大戦争となれば犠牲になる者の数、破壊される街は、全く規模が変わります。

 報道のあり方も検証されないといけませんし、政治家やスポークスマンの対応もその表現も冷静で影響を熟慮したものでないといけません。

日本人はスポーツを楽しむのが好きではない

 前にも野球とベースボールの話は書いたけど、今度ワールドカップが始まるがサッカーも日本人のサッカーの応援や観戦は今一つ楽しくなさそうです。他のスポーツのOB解説の中に平然と日本以外の対戦は見ないという人もいます。しかし世界の一流同志の、国のプライドをかけ最新の戦術で戦うサッカーは面白いはずなのですが、どうも一般的には何かリードする煽りが必要なようです。

 知っている人が面白いルールや戦術、選手同士や対戦相手との因縁などは、知らないと楽しめないし、深いほど面白いのですが、深すぎると一般に伝わらないのです。

 前に大谷翔平はスゴイけど、今の二刀流の記録だけを切り取って騒ぐのはおかしいという風な趣旨も書いた。素直に喜べばとの意見もわかるのだが、多くの人はMLBを愉しまず大谷の活躍のハイライトしか見ない。
 国内での優勝、最年少記録、最多記録、海外での日本人の活躍、注目するのはこれが主でスポーツのプレイ自体を楽しまない。
 これではもったいないというか。個人競技ではないので、少なくともチームは見ないと失礼な話でです。投手の記録と打者の記録を合わせて図る本来前例がない比べるものでさえない。二刀流も無理くりの記録で、その日米通算などもっとおかしい記録でしかない。

 日本人が活躍すれば何でもいいのかと思います。もう少し競技の本質を見て楽しむよう、大谷の報道も変えて欲しいものです・
 個人的には、将棋界の藤井聡太さんの最年少記録で、ふだん将棋とは無縁で棋譜読めない将棋ほとんど知らない人が騒ぐのと同じで、マスコミが報道を煽るから、そんなスゴイことなのかというので一喜一憂するのでしょう。
 言い方は悪いですが、最年少ということと将棋そのものは関係ありません。そのタイトル戦がどういう相手でどういう戦術で攻防があったかを報じず、ただ若年記録が更新されることがニュースとは思えないのです。
 あまり批判すると、論旨と違うところで嫌われるので、翻ってNPBの応援の板を見てると、もう高校野球はみんながよく見ています。都市対抗ではなく高校野球とJリーグが日本のフランチャイズなのです。
 やはり高校野球の戦術や敢闘精神、一度負ければ終わり、3年で終わる哀切みたいなのが心情に沁みるのでしょう。それはそれで、やはり面白いなあと思います。東北勢の健闘、大阪桐蔭の番狂わせの敗退、近江と高松商の激闘など、すべて良かったと思います。みんな必死ですから、それは、ちょっとプロとはまた違う美しさがあるのです。

 Jリーグは入れ替えがあり、NPBは入れ替えがない。一発勝負の必死さはリーグ戦で興行的に伝えるのは、優勝マジックとか、プレイオフやら降格条件の分かるリーグの戦績表が必要です。じゃあ、優勝やプレイオフ、個人記録の絡まないチームに何も興行的価値がないのかというと、そんなことはないはずです。
 プレイそのものを見ることを楽しむことです。
 そこがなかなか日本人は理解できない。昔職業野球といわれた,王長嶋のスターが出るまで人気が無くプロ野球が嫌われ、大学やノンプロが潔いとされたのは、興行的な消化試合じゃないかという意識があるのでしょうか。

 その面では多かれ少なかれ、プロレスや大相撲はエンタティメントを意識して進化した興行です。

 ひと昔前は、内容はともかく最後に 力道山などのスターが出てきて勝てば良い時代で、その中身は問われなかったのです。今は背景は複雑です。

 野球もNPBでさえようやく球数制限、分業、休養日など理解が進んでも、未だに人気のあるのは過去鉄拳制裁やパワハラで選手を潰して短期的成果を上げた時代の指導者だったりします。

 メジャーはとにかくボールを遠くに飛ばすフライボール革命が、主流で日本の野球とは違い、初めて球場を訪れるファンに分かりやすく変わってきています。その方が誰にも分かりやすく、強く、派手で面白いからです。大谷や村上はその点でメジャーに近い選手です。

 勝つか負けるかのガチンコは、勝てばいいという身勝手な社会教育になりかねない面もあります。実際イチロー、野茂、大谷も村上も甲子園で優勝したわけではありません。パーフェクト投手のロッテ佐々木も甲子園出場前に温存されていました。

 スポーツを観る楽しみを、もっと報道や先駆は伝え、ルールや規定、戦術も柔軟に変えていくべきです。またファンは、深い部分を愉しむところを見出すことに力を注いで欲しいです。

 

法務大臣更迭 大臣のあるべき姿

 優秀な子供を評して「末は博士か大臣か」という言葉がありました。国会議員はお偉いセンセイであり、大臣ともなれば地方の地元では英雄扱いの名士になるほどの存在のはずです。ところが、今は政権与党の都合で大臣ポストも当選回数や派閥の仕組みが優先し、年功や論功の順列で決まっていくようです。
 たとえば、「国防が専門」「経済に強い」「外交をやりたくて勉強してきた」「厚生労働に精通している」とか、「議員時代にこの問題に取り組んでいた」とかは関係ない門外漢が時が来ると大臣になります。
 企業など社会の幹部、経営層がそうなように、専門職ではなく総合職、管理職だからキャリアアップしていく段階で仕方のない面もあります。

 自分のいた会社でも大きな組織だとそういうことはありました。Bの方がこの事業や部門の部長には適任だけど、どうしてもAをある年齢までに部長にして、その後本社にキャリアアップさせないといけないとか、現場や本人の能力や適性は関係なしの人事がまかり通るのです。何もない平穏な時期はいいですが、乱世というか有事というのか、ひとたび何かあるとリーダーやトップが現場の分からない、仕事のできない人、人心もない人間だと組織は悲劇となります。

 ただでさえ、組織の長になると、民間企業の支店長クラスでさえ、承認して決断してハンコを捺す仕事が毎日山のようにあります。目を通さなくていいものは基本的にないはずですから、大臣ともなると閣議もありますから大変な量です。
 厚生労働省とか、文部科学省、国土交通省、経済産業省など、省庁再編で組織も分野も広くて一つの大臣のテリトリーさえもかなり広範な知識が必要です。

 今回、岸田改造内閣で統一協会問題で辞任した山際経済産業大臣に続き、葉梨法務大臣が失言で辞任に追い込まれました。切り取り発言が問題になり過ぎた面があるのか、それでも与党からも助けが少ない面もあり本人の人格にも多少問題があったのかと、いろいろ思います。詳細はわからないとして、この法務大臣というのはちょっと微妙な立ち位置の大臣です。

 どちらかというと、ルーティンの課題の少ない権限範囲の少ない、考えようによると比較的ヒマな、典型的な年功論功向けの大臣ポストです。そういうと死刑になった人は身も蓋もないですが、ミサイルが放たれた時の防衛大臣、外務大臣だとか、いまだとコロナでひっぱりまわされる厚労大臣のような派手な出番も無ければ、組織の長を務める法務省、検察庁は独立性が強いので普段は実質差配する下部組織がないのです。どこの省でもお飾り的になりがちな大臣のその最たるものが法務大臣です。

 発言の中で、「死刑執行のハンコを捺す」という仕事以外に注目されないというのはあながち嘘ではない本音でしょう。門外漢であればあるほど、司法試験を通った検察官や、官僚に丁々発止して裁量をもってやる仕事はなさそうです。指揮権発動という伝家の宝刀はありますが、昭和29年の造船疑獄以来発動されたことはありません。自民党が民主党に政権を奪われそうなときに、闇の指揮権として当時の民主党の中心にいた小沢一郎周辺を捜査させ、秘書逮捕などで弱体化させたという話はありますが、戦後通じてそれ以外、目だった指揮権を法務大臣が行使したことも、その検討すらした話もありません。

 いざというときは大事な要職ではあるけれど、何も考えていない人でも普段は務まりそうな印象があります。

 民主党政権下でも柳田稔という法相が2010年11月14日、就任祝いをかねた地元広島での会合で「法務大臣は『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて適切にやっています』の2つを覚えておけばいい」と発言。発言から8日後に、当時の菅直人首相に更迭されました。
「門外漢だから大変だろうとか、死刑執行のハンコなどつらいだろう」という労いを投げかける支持者へのウケ狙いで、「実は大したことない、ヒマな大臣なんや」と本音でポロリと失言をしてしまっているところは今度のケースと似ています。

 確かに、総理にしても、大臣や、地方の首長にしろ、大変なルーティンと広い専門外までの知識と的確で迅速な判断が求められます。失言はすぐに切り取られ派手に拡散される時代です。

 岸田首相も自民党総裁選挙の候補者討論の頃の方が断然元気でキレがありました。総理になると、言えないことや、難しい妥協が多いのかと想像されます。国会を見ていると結局、審議拒否で時間がかかり、形式的な代表質問や審議が両院で同じ質問、攻防の繰り返しで無駄が大すぎるように思います。日本の政治が危機の中で行き詰まりだなあと感じます。自民党の支持は高いので、岸田首相にはもう少し自分のペースで頑張って欲しいと思います。

新型コロナワクチンを有料化?

 財務省が、新型コロナワクチンを有料化するように求めたという報道が入りました。日本の財政が厳しい中です。当初パンデミックを防ぐためと始まったワクチン接種ですが、重症化率は下がって、3か月起きにとか12歳以下の子供にもと対象も頻度も上げて税金をじゃぶじゃぶ使うのではさすがに国家財政危機を憂う筋からは疑問がわくのは当然です、
 まして今や反ワクチン派ともいうワクチン懐疑の医師らも増え、実際にワクチン関連死や後遺症の訴訟などの問題も表面化してきています。自己責任とはいえ、無料で最新の変異株に対応できるなら受けておこうという人が流れで接種して、健康被害というケースもありました。

コロナワクチン、自己負担に 財務省が検討要求 財政審

「全額国費は廃止すべき」コロナワクチン接種 財務省が見解 昨年度の接種には約2兆3000億円の国費

 ここへ来て厚労省という怪物に待ったをかける怪獣、財務省。国民そっちのけの怪獣バトルか、毒をもって毒を制するのか。
「財政」のことしか考えていない財務省と、膨れ上がる厚労族、ワクチンメーカーの利権後押しに暴れる厚生省。

 縦割り行政で省庁間の連携がまったく取れていません。さらにもう一匹の怪獣、防衛省ももちろん右翼や海外軍事産業に強気に押し出て、増税ありきの防衛予算恒久拡大を図ります。

 コロナ関連を煽り、ワクチンに年2兆円もかかってきたわけで、自己負担がかかるとなれば、接種にもブレーキがかかるでしょう。「無料だから」っていう理由で、何も考えずに受けた人もいっぱいいましたから。お金かがかるとなれば、そういう人も少しは頭で考えるでしょうか。
 今や物価高で生活も苦しくなっている状況です。
 物価は上がる、コロナは怖い、ミサイルは怖い、これでは救いのない社会です。報道ももう少し、煽りだけではなく冷静な判断を促すものにして欲しいです。
 血税と言われる大事なお金です。本当に税金の使い道として必要なものは何か、考えていいかないと国家は成り立たないのです。
本当にワクチン接種が必要なのか、そのミサイル防衛は要るのか、さすがに考えるでしょう。

真を写す「写真」,真を誤魔化す「化」

 昔、化粧品の仕事をしていたのでメイクアップのアーティストと多少つながりがあるため、ハロウイン時期になると、やたら不気味な写真がドヤと送ってきます。

 メイクも撮影もプロですから、そこはもう本物のゾンビやら、全身怪我まみれやら、不気味なのが完璧にできています。

 素人が写真を撮ると、変にリアルにうまくメイクで仕上がった顔になりません。光の加減で隠したかった、皺や顔の凹凸を浮き上がらせ、ホウレイ線やクマを目立たせてしまいます。老けてたり、疲れてたり、あるいは整形しているのがわかるような「真」が映ったような感じの時があります。

 男でも免許証や社員証など長く見せる写真が写りのいいものに超したことはありません。私の知り合いの女性で、まあこれには時間とお金をかけてる人がいました。でもまあ、修正やらにこだわっても、それは普段他人が何気に見ている自分の姿が隠せないので、しかたないことです。それよりも、自然に健気に老いることが一番だと言いつつ、まあ化粧品を売って、見せかけの美しさを誉めて愛していたものです。

しょせんは、「化」は誤魔化しなのか、それも「真」なのか分かりにくいところです。

思索の秋、内外の政治を憂う

 何かと物思う秋になります。

「今の政治は、与党も野党も、腐りきっている」「ロシアも北朝鮮も国連で何とかならないのか」との嘆きが、右からも左からも飛んできます。諸物価高騰で、ちょっとしたものが値上げされたり、ダウンサイズしてたりでイラつくとろです。さらにミサイルが発射されただの統一教会と政治家がまたどこかでつながっていたとか、ワクチンの何回目かを打てとか何だかの世相です。

 日本の政治というのも、このままこの程度でもいいという一部の保守層の方もおられますが、今回その背景にあった半島由来の宗教からの支援はちょっと肯定、擁護するのには愛国者、保守でも難しいところはあります。

 かと言って、本当にクリーンに改革でき、入れ替わって政権を獲れる会派も政党もないのが悲しい状況です。というのか、元々、保守と革新(死後か)リベラル、右翼左翼で党派を組み、閣内一致を見ないといけない政党内閣制自体に無理があるような気がします。科学技術も国際情勢も経済も日々変化する中、一つのイデオロギーや体制に固執しても純粋に国家を護ることなどできないのです。

 革新とかリベラルというのはイデオロギーでもなく、現体制のアンチに過ぎず、一時革新都政、革新市長などという首長さんの時代がありましたが、何期かつづくと中央から見ると野党系で革新でも、その自治体下ではどっぷりと地元利権とつながった体制派となってしまいます。

 2009年民主党を中心とした政権交代が起こり、いくつかの改革が進められますが、多くは実現せずに、政権も党も木っ端みじんと言っていいほど解体され、自民党の実質一強時代に戻ります。政権交代可能な二大政党制にメリットデメリットはそれぞれありますが、その実現を図った小選挙区制で政権交代が絶望となると、何らメリットはないのです。

 もうそんな政治や選挙に期待しないという声も増えています。

 定年延長がなされたとはいえ、世の中では60歳も過ぎると役職定年が来て、後継に道を譲りはじめ、体力も気力も判断力も衰えだす時期です。新しいものを取り入れるよりは、排斥して立場も現状維持を図る年の人たちが、一般社会では老害な年齢の方々が今の日本の政治を牛耳ります。これはキツイですね。

 しかもつまらぬ体制反体制の争いが大きくなり、実質的な国民に役立つ議論がないがしろにされ、一般的にオープンにもなりません。左とかリベラルとひとくくりにされて糾弾され、それをまた本当の左巻きが支援したりするので、話がややこしくなります。

 たとえば、原子力発電をどうするとかエネルギー問題。沖縄の基地をどうするとか言う問題、あるいはコロナの対策ワクチンや経済支援などの問題、ウクライナの問題でロシアにどう対処するかなどの問題がそれぞれあります。
 こんな問題はそれぞれ保守やリベラルのグループで分かれるものではなく、これは〇だけどこっちは✕となるはずです。当事者の利害は当然あるとして、純粋に選挙や党派関係なしに日本のためどうすべきだというものがまず必要なのです。それで、当面損を蒙る地域や、業界、負担を強いられる国民に納得をしてもらうことに特化しないと政(まつりごと)は進まないでしょう。行政の失敗でも、統一教会問題でもしかりです。たまたま何政権の時に発覚とか、どうなったではなく、責任ある処分はしても政党や政権全体の責任ではないので、これからどうしていくかであって、そこの議論を開示しないと、政権や与党で強引に進めるのは反発だけになります。

 政党や政権が進めるのではなく、日本が国として決めて進めるのであって、それは決めれば国を護るためやらないといけないことになりわけです。

 国民は高度な政治レベルで言えば愚民です。けれどただそれを利用するだけの政治家、政治家や行政トップでは国は護れないでしょう。民間でも若い年齢でもアイデアはどんどん拠出される時代です。実質的に判断力のない政治家は早く引退して、体制を徐々にでもかわないといけないのです。

 

カラオケでストレス発散

カラオケと言えば昔は、2次会とか3次会の定番コース、バスの中とか、あるいは少し大きな家でマイクと装置のあるところで宴会などでの余興でした。

 一人でカラオケとかなると、変人のような感じでしたが、今は小さなボックスが増えました。練習というのもあるのでしょうが、バッティングセンター並みに、気分転換やストレス発散の憂さ晴らしに唄いまくる人も多いようです。

 コロナ禍でとくに宴会は減りましたので、カラオケで歌を披露する場面は減ったでしょうが、少し収まると今の世代は結構集まるようですし、また年配でもいろんなジャンルの唄を知って歌いたい人も多いようです。

 かく言う私も歌うのは好きです。昔は2次会などがそれこそ多かったので、お酒が入ると人が変わるとか言われましたが、アルコールが全く関係なく歌いたかっただけです。
 一人カラオケの場合、他人の番を待たなくて気も使わないので良いです。ただ一人で歌うのは、時間がもったいないため一気に連続になりますから、相当疲れます。まあそれがストレス発散なのでしょう。

15年後、管理費、修繕積立金、電気代などはどうなっているだろう!?

 マンションの理事役員、修繕委員をやってきた大規模修繕工事が終わり引き渡しが終わりました。

 新築で購入して、中学生や小学生で一緒にお風呂に入っていた子供があっという間に社会人ですから14年とは早いものです。ピカピカの新築と思っていても、いつの間にか雨風にさらされ、人々の行き来と使用に耐えてあちこち劣化、老朽化も進んでいました。新しい設備も10年過ぎると想定を超えた不具合や陳腐化が進みます。

 最初の工事からの不具合もあり、かなりの修繕をして回復しましたが、次回はまた予想を超えるものもあるかもしれません。
 ここへ来て。マンションの総合保険が一気に値上がりし、独自の電力会社を使う電気料金も値上げになる雲行きです。電気代抑制のLED化の検証もできぬままに、値上げの嵐です。あと15年の間には何が傷み、料金がどう上がるかわかりませんが、今40代後半という方も15年経つと定年や役職定年で収入も下がり、年金生活者の割合も増えてくるでしょう。
 そうやすやすと管理費を上げ、修繕積立金を上げるのは、マンションの財政うんぬんよりも居住者の支払いからして厳しいもので離脱する方や入居をためらう人が増えれば元も子もありません。

 貯蓄の取り崩しや年金生活になると、すぐには値上げに対応できずその分生活を切り詰めるしかないのが現状でしょう。

 共産党が昨日も辻立ちの演説で、何もかも値上げで、年金は毎年下がる、マクロスライド方式では年金支給は物価が上がっても下がり下がればそれ以上下がりるから改めねばと主張していました。良い方法があれば対案を立てて欲しいのでところです。今のやり方でも、過去からの経緯で直近や現役世代に比べもらい過ぎでいる方の年金支給は少しでも予告しながら減額しないと、給付に充てる財源がありません。本当に物価高、コロナ不況、円安に苦しむ人にはさまざまな救済をするしかないのです。

 野党は「消費税は廃止、年金は増やせ」と当事者能力のまるでない主張を繰り返すからだめなのです。

 もちろん政府側に立ち、体制側に立ち、値上げや財源確保ありきではいけないのもわかります。

 財務省なのから見ればミクロの視点でも長期の視点でも、財源を何とかしたいという思いがあるのもわかります。ところが、景気対策、コロナ対策、防衛費などでは、補正予算も含め大盤振る舞いで「日本が少々のことで破綻しないから、緊急の場合は仕方ない」がまかり通ります。これでは片方で節約し、爪に灯をともし1円を無駄にしないで削る努力は何だったになります。

 マンションなどでも、共用部での照明やエアコンの節電、マナー違反や事故などでの汚損破損防止をきめ細かくやり、次の大規模修繕の予算を少しでも抑えるしかないのです。

 それは日本の縮図でもあるはずです。15年後はどうなてちるでしょう。

脳はサボりたがるから応援する

 剣道や茶道を修行する段階で「守・破・離」という言葉があります。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。 「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。 「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階です。

 私は、子供の頃から、面白いところにすぐ目移りして地道な学習、修行に飽きっぽい性質でしたので、この言葉は好きではありません。どちらかというと今ならADHD、「注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害」に分類されるタイプだったのでしょう。忘れ物やチエックミス、ケアレスミスは多いけれど、上級学年の学習を先にやっていることはありました。天才型にそういう傾向の人は多いと言いますが、残念ながら凡才ではありました。

 しかしまあ天才型にこの、「守破離」を地道に行えないけれど、すごいアイデアを出す人とかは良くいます。親や部下としては厄介ですが、うまく最低限の適合をさせて、良いところを引き出す教育や指導をすると爆発的な才能を開花させ、強力な味方や戦力になるでしょう。

 世間のつまらないしきたりも、それはそれで必要なのですが、ADHDにはそれが全く見えない時があります。それを威嚇して抑え込むとせっかくの才能も、さぼり始めるとまったく機能しなくなります。

 天才にしろ、平凡にしろ、人間の脳はそれなりに経験し対処法を合理的に考える力はあります。企業などの現場で起こっている課題に対処するアイデアや自分なりにステップアップする方法は、実際に経験している人間がバイアスにとらわれず考えると、思いのほか浮かんでくるものです。

 ところが、良いアイデアを出せという上司や、もっと勉強してレベルアップせよという指導者は、前例や組織などのいろんなしがらみに囚われてそれを抑え込み尊重しません。

 提案をしても、それはこうだからできない俺の言う通りやれと言われると、脳は考えるのをやめて、言われたことを消化するだけのイエスマン脳になります。なぜなら考えるのにはエネルギーがすごく要り、褒めらる尊重されるなどの快感ドーパミンをもらえないと辛いだけだから、合理的な脳はもう考えることを止めます。ルーティンを効率よくやる、考えることをサボるのが脳の動きになるのです。

 良いアイデアを出せる人、営業や研究などを長く続けられる人は我慢強い面もあり、良い教育者、指導者に恵まれ環境も良く、本人もそのパーソナリティを知り、自分のスイッチの淹れ方をよく理解したのでしょう。

 ADHDに天才や優秀な人が多いと言って、俺はルーティンは嫌いでサボってもいいではただの変人です。最低限上司や同僚への理解を求める姿勢がないと、社会では残念な人で終わります。こういう知識も含め、アイデアを出し合えれば、良い職場や社会環境になっていくのではと思います。