13日金曜日の激動

 週末は忙しい上、三連休前ということで予想以上にバタバタした昨日、「13日の金曜日」でした。

 間違いの許されない、人名の漢字を貼り付ける仕事をしている際中に、申し立てや届出の来客、電話で再三中断。自らの扶養の書類も再提出しきり、10月の異動に伴う、仕事の分担の内示に呼ばれる。
 戻って送信して、原稿を確かめると、うーん件数が多いので間違った貼り付けを送信している。動揺しながら、対処法をやっと思い出し、パニくりながら修正、良く気付けたというか、冷や汗ものでした。
 なかなか深刻な申し立ても多い中、ミスもありながらもとりあえずやってきた仕事ぶり評価されているのにはホッとしました。
 異動が多いと大変な時期を迎えますが、少し残業して、今日は前に勤めていた事務所の親しいメンバーと飲み会。

 3年勤めた年金事務所、退所して1年半久しぶりの再会に懐かしくて、心地よい時間でした。

 マイペースで、いろいろやらかしたこともありましたが、やってきた仕事や、そこでの会話、コミニュケーションに今でも感謝されることはやはりお世辞でも嬉しいものです。久しぶりに天使が舞い降りる時間でした。これに驕ることなく私も精進したいです。

 社労士試験を目指し、ライバルに負けたくないという後輩さん、力みすぎず頑張って欲しいです。きっといいことがあります。

Rのつく月に

 残暑の厳しい年は、この頃10月はじめでさえ最高気温が30℃超え、真夏日というのもありました。9月半ばでも当たり前に日中は暑いです。
 しかし、9月ということで、Rのつく月、カキフライがお弁当に入っていました。
 セミの鳴き声は聞かれなくなり、日が傾く時間は早くなり、夕方五時半ごろに仕事帰りに歩くと、西日が建物に遮られやすく猛暑はましです。夜の蒸し暑さは、その日の湿度や風により変わりますが、外の空気もだいぶ低くエアコンなしで耐えられないことはなさそうなくらいです。集合住宅や家の込み入った街中では、惰性でみんなエアコンを使うので結局暑い空気が止まないのが困りものです。

 猛暑が行ってしまっても、夏の疲れは残ります。夏休みが終わり、何となくアンニュイになるのがこの季節です。
 健康やメンタルにも注意が必要です。
 読書やグルメ、スポーツ、芸術など楽しむための秋の過ごしやすい季節のはずです。残暑を乗り切って、季節を心地よく味わいましょう。

美しい日本 忘年パーティー?シーズン

 12月も2週目となり、個人的には忘年会が一つありました。といってもちょこちょこですが、昔の会社仲間と雑談程度です。
 キャッシュレス化が進む中、割り勘はやはり現金の方がわかりやすいかもしれませんが、QRコード決済の割り勘も可能なデジタル化は進んでいます。
 来年2月に迫った地元京都の市長選や、パーティ券裏金キックバック疑惑の問題も肴となりました。
 前も書いたと思いますが、政府はデジタル化を進めているというのであれば、このようなアナログな不記載だとかの情けない姿を国民に見せるのは最悪です。私たちだけ、真面目にマイナンバー登録して、税金を納め物価高を凌いでいるのに、何千万、何億の不明を開き直られてはやってられません。
 政治活動は、非課税で使途を問われないものも多いので、なおさら透明にしっかりした管理が必要です。官房機密費で外交など政策上明らかにできないものは、アメリカのように何年かはクローズドでロックをかけ、それ以外は全てAIが読み込んで判断できるようにするのは可能なはずです。
 2004年、私が勤めていたカネボウという会社は、粉飾決算で経営破綻となり、産業再生機構に再建を託すことになります。巨額の負債を抱え再生中ながらでも、化粧品の幹部や多くの社員の中には、経費を今まで通りの飲み食いやらに使う者もいました。しかし、その当時の新しい精算システムで、出張の交通費宿泊費はカード一本管理、接待などは金額や、接待先や、支払い先、同行社員などを入力し、オーバーや重複、繰り返しなどの齟齬があると、チエックされる仕組みがなっていました。たかが、このようなシステムでも、ひっかかり指摘される幹部や、不正を考えごまかそうとして摘発される者もいました。
 人間、ウソをつこうとするとどこか齟齬ができ、機械、AIはそれを見逃しません。金額を増やすため、同行社員を増やすなどで名前を打ち込むようなテクニックはどこかでその社員が別のアクティビテイをしていて発覚し、結果過去にさかのぼって不正が厳しく精査されることになったケースもありました。
 そんなものが通る通らないの人間のレベル自体が低すぎるのです。せめて、経営破綻してお上の助けや親会社の援助を受けているときぐらい、清貧でもルールを守れないものかと思いました。
 これが20年近く前です。政府はもっとデジタル化を進めているはずが、日本の国が他の国に比べてGDPも下がり財政も厳しいと言われる中で、与党のその中でも主流派幹部政治家がこの体たらくです。
 毅然と、清貧な姿で美しい日本を取り戻して欲しいです。

外食のテーブル調味料、漬物などは確認

「醤油差しを舐める」などのふざけた動画投稿で、外食産業への迷惑行為の犯罪が近年よく報道されています。
 お客さんとの信頼関係のもとに、調味料や漬物なども置いてあるので、それをふざけて不衛生にした上で、動画に上げてバズろうなどというのはとんでもない行為です。
関西には、串カツ店、平たい容器に入ったソースに串カツをつけるところが多く、いわゆる『ソース二度つけ禁止!』の文言がゆきわったています。
 醤油や塩などは、基本直接は、口や手をつけた料理に触れることはないため、ここまで言わなくともというのが暗黙の了解です。
 漬物や紅しょうがなども、好みで適量をとるのが便利ですが、これも目が届かないと、迷惑行為をされます。
 砂糖も昔は裸の角砂糖か、粉糖をシュガーポットに入れていましたが、今は個包装がほとんどです。かつてシュガーポットに毒物を入れる無差別殺人の話がミステリにありました。共用の容器の食材に関してはよく確かめること、不審なら食さないぐらい、新しいものを求めるくらいの姿勢は必要かもしれません。
 すべて個包装や店の方が出すのも、効率が悪くお金もかかります。不埒なやつのせいで世知辛くなりました。

やめるストレス差し引いても害は害

 私はタバコアレルギーで嫌煙家です。お酒は嫌いではないですが、そう強くないので週に1~2回休前日に飲む程度です。分煙、禁煙、電子タバコの流れは大歓迎です。
 昔の居酒屋の煙環境を訴えたいぐらいです。お酒は年齢でますます弱った気もします。
 10~20年年上の社会の先輩たちは、よく呑み、食い、遊び倒し、遅延退職後には肝臓傷め、やっとゆったり年金ぐらしという頃に、パタリと倒れたという話も多かったです。
 昔は55歳定年だったので、やはり平均寿命は今より短かったのでしょう。
いろんな要素を鑑みると学術的にも統計的にもお酒もタバコも身体にいいことなどないそうです。
「ガンだけの統計では大差がない」とか、「やめることのストレスが」とか反論される方もいますが、健康で長生きするには害であって決して百薬の長ではないのです。
 お酒や嗜好品はもはや、人間関係の付き合いだけでなく、そのものの好みとの付き合いでしょう。かく言う私も昨日は少し、美味しいお酒を飲み過ぎました。
 

快食、快眠、快便で

 やはり、健康でいるためにはこの3要素は必須であると思います。

 運動習慣や食事習慣の結果ということもありますが、特に年齢を重ねるとどれかが欠けると他も欠けていき、五感などの大切なものまで衰えを早くしてしまいます。

 病院に行くとか、孤独になってしまうと、楽しみが無いと感じてしまい3要素を自ら手放してしまいがちです。中でも腸の調子というのは、身体のいろんなところに地味に影響します。胃に比べ食べた物の影響は少し時間がかかりますが、水分をはじめ多くの栄養、あるいは害のあるものも腸で吸収されて自立神経、肌など末端にも大きな影響を与えます。

 ついつい外食、コンビニ、インスタントで消化やカロリー面ではよくても腸環境には悪い物が多いと便秘や軟便などで最終的には自律神経や気力の衰えに繋がります。

 運動や睡眠もストレスの改善になりますが、野菜や玄米を多く取るなどが難しい人は安いヨーグルトや整腸剤で一度1月ほど腸内を整えると心身ともに整うかと思われます。

 

ファミレスの思い出と、現在の風景

 ファミリーレストランというのは、もう1970年代から定着してきて盛衰や変化を遂げて、今に至っています。モールなどにも入っているが、日本の場合チェーン化された郊外型の駐車場のある店舗が多いようです。

 最近はタッチパネル注文システムが増え、ガストなどでは配膳のロボットまで登場しました。20世紀に夢やSFで想像されたロボット社会がほんの一部実現しました。
 とはいえ、まだ年配にはタッチパネルさえ難しいようです。慣れだすとオーダーの間違い、配膳の順番や場所の間違いなど、混雑時にありがちだったトラブルもなく、コストも削減でくるのでしょう。ファミレスのウエイトレスと言えば昔も今も主婦のパートの定番でまあまあ激務でしたがだいぶ変わりつつある時代です。

 若手の営業だったことはよく行きました。当時はドリンクバーやコーヒーはランチに無料か50円~100円でついていました。久しぶりにこの頃、昼間の外の仕事で外食機会が何度もあり、いくつかファミレスを訪れると、今はドリンクバー300円とかでお得感はないです。クーポンとかを使ってもランチで1000円を超えます。牛丼などとは価格的にワンランク上になり、それなら、細かく探せば割烹や居酒屋の昼営業で美味しくて安い店はありそうです。ただ駐車場や待ち時間、ロケーションの問題で、ついつい便利なファミレスが利用されるのでしょう。牛丼屋がいかにも、ブルーカラーの男性や学生が多いのに対し、ファミレスは女性や年配の方、家族やら同窓とか行事系も多い感じです。

 京都は和食系のファミレスも多く、七五三の流れで家族で会食されていたり、年配でしゃぶしゃぶか鍋の宴会をされていたりもします。

 先日は老婦人というかかなりのお年寄りの女性が、「ひさしぶりにこんなところで食べさせてもらえる」と感激しながらメニューを眺めておられるのを微笑ましく横から拝見しました。

 このご老人はひょっとして、施設か何かでなかなか毎日味気なく食事されているのかもと、つまらない想像をしました。家で凝って作ってくれる手料理や、グルメサイトに載るような店と比べ、馬鹿にしがちなところは反省しないといけないと思いました。毎日当たり前のように充実した食事のできることには感謝もし、いろんなところに人がいてさまざまな物語があるのだろうなとは感じます。

 

田舎の方が食事が美味しかった

 京都市の北西部に市内とは離れた広大な地域があります。平成17年3月31日まで京都府北桑田郡に存在した京北町。京都市右京区に編入され京都市ではありますが、長閑で牧歌的な山間にときおりまばらな集落がある大きな過疎地域です。

 仕事の管轄地域ですが、人口も少なく若者も流出しているためめったには行かないのですが、半年ぶりくらいで来訪しました。
京都市街から小一時間クルマで高雄などを通ってたどり着くとその自然の豊かさと風情に癒されます。町域も広かったので北にも東西にも多くの集落が点在していて、時間もかかり冬などは住んでいる人も買い物などには大変だとは思いますが、考えようではなかなか住みやすいところではないかとも思います。

 市街から1時間で水も空気もきれいで、土地も安いでしょうし、道の駅で買えるお弁当をはじめ、野菜なども新鮮で安いです。

 そのお弁当の安さと美味しさには感嘆しました。今は外食もコンビニも値上げの上に、ご飯の量が減ったりいかにも添加物保存料の多い濃い味付けがされている感じで辟易としていたので、このお弁当には脱帽した感じです。

 パソコン仕事や乗り物で移動中に目を使ったりしたためか、眼精疲労や頭痛がなかなかぬけなかったのですが、ちょっとした自然の多い田舎道のドライブは目の回復に良いようです。

 最近は古民家貸し切りの宿泊施設なども各地にできていますが、民宿や民泊でもこういった田舎にしばらく滞在するのは心身のリフレッシュにいいかなと思います。市街地にバカ高い世界一流のホテルが、これまた高いレストランを備えて林立していますが、京都市内なら今さらそこまで一泊にお金をかけずとも、周辺部で何泊か贅沢したいですね。

日本人の好きな「まがいモノ」はカラダに悪い?

 明治維新以降急速に西洋文化を取り入れ、戦中から戦後にかけてのモノの少ない時代にも、日本人は限られた中で知恵と工夫でいろいろ純国産でやりくりをしました。

 学問や文化も日本流に、日本人が応用しやすいようにわかりやすい翻訳をした先人の功績でもあります。

 戦中、入手が困難になった珈琲豆を大豆で代用した話もありました。
カップ麺へと続くインスタントラーメンが発明されたのも戦後の貧しい食糧事情からです。本家中華とは似て非ざるものになっていますが、今や百花繚乱のカップ麺が店先に並んでいます。
 ちょっと前の人はバターとマーガリンをごっちゃにしていますが、牛乳が豊富でなかった頃マーガリンは日本の食卓、給食にパン文化とともに並び出しました。トランス脂肪酸が身体に悪いので世界的には食されていないと言われだしたのは最近で、昔は植物性のマーガリンがヘルシーと言われた時代もあります。

 酒税を逃れて、お酒を安く味わうという日本の民間企業らしい工夫で発泡酒や第三のジャンルというお酒もまた沢山の種類が生まれました。今やメタボ対策、ヘルシーの要素も加わり、糖質ゼロとか、プリンタ体、カロリーオフ、ノンアルコールなども多く出ています。
 アルコールゼロの、ビールやワイン、チューハイ、日本酒のようなものもでています。それなりのテイストですが。それだけの味を作って、アルコールゼロ、糖質ゼロにするにはどういう努力がされ、何が入っているのかはどうも疑問です。

 そんな「まがいモノ」までして、チューハイとか味わうのは心理もよくわかりません。少し我慢して本物を飲めばと思います。肝臓のためや、運転するため、アルコールがダメなら水かお茶、普通のソフトドリンクでいい気がしますが、それだけニーズがあるのでしょう。

 カップラーメンに栄養バランスを考えた完全食が発売され、マーガリンもトランス脂肪酸が少ないものが発売されています。健康とまがいモノの境界は難しくなっています。日本人の知恵と庶民のリテラシーやどれだけお金持ってるかが問題になるのです。

ちょっとした贅沢

 前にも珈琲や嗜好品の話は書きましたが、この間ヴィドフランスというチエーンのカフェベーカリーでサイフォンの珈琲を久々に飲みました。やっぱりそれが美味かったのです。

 サイフォンは、その美しいメカニズムから来るワクワク感とともに、真空ろ過という独自の勢いで引き出す味があるのでしょう。あまり贅沢をする時間もお金もないですが、時にはサイフォンの動きを見て、その後の珈琲を味わいたいものです。

 朝の定番、大袋の挽き豆からペーパーで自分で淹れるヤツ、昼はセブンかスタバとかがしょっちゅうでこれらも悪くはないけど、専門店でいれてもらったサイフォンやさらに上質の豆はまた良いです。

 お茶やお酒、その他のグルメや遊びにも人それぞれこだわりがあって、散財する人もいるでしょうが、それがないと人生やはり味気ないものなのでしょう。
 確かに、すべてのものに最上級の嗜好を求めると、キリもなくお金もなくなりますが、能動的に働く意欲、あるいは節約する吝嗇、我慢などの気持ちというのは、こういうちょっとした贅沢のためなのかもしれません。