北陸新幹線 楽しみばかりではない

 2024年3月ダイヤ改正で、大きなエポックと変化は北陸新幹線の敦賀延伸開業とその影響です。
1月1日の能登地震では、一瞬誰も開業が延期と危ぶんだものですが、被災地とはやや離れてもおり、3月以降は北陸支援の輸送、旅行などのアクセスとしても利用されそうです。
 こうやって見ると能登半島は大きく、かつて石川県は加賀と能登に分かれていたのも分かります。
 県南部の山代温泉など加賀温泉郷や県庁のある金沢から、能登半島の先までは新幹線で富山、新潟と回って長野なでいける距離感があります。

 しかし、この北陸新幹線は本当に大阪まで到達するのか、リニアとともに一体いつなのかルートの選定や実現可能性とともに難しいところです。
 ここでは敦賀までの、今回の延伸だけ考えてみましょう。
 金沢延伸は予想以上に好評で、新幹線効果での首都圏からの観光客はじめブームとも呼べるほどの成功と言われています。
 長野までは、五輪のタイミングもあり、早期に開業し、一時長野新幹線と言われていたものですが、新潟県南部、富山、石川と首都圏が直結したのでから、その効果は大きいものでした。
 
 今回の石川県南部から福井県までのルートは微妙です。
 確かに、東京からダイレクトに石川県の南部の加賀温泉郷や、福井県のあわら温泉、福井市、敦賀市へと結ばれることでこの地域への観光客は増えるでしょう。
 もともと関西の奥座敷的な役割の温泉街、経済圏としても関西との結びつきが強かった福井は、直通の特急がなくなり、10分程度のわずかな時間短縮で料金の高騰と乗り換えのわずらわしさで不便になります。
 東京一極集中の加速です。そのバランスの問題です。富山は、前回の金沢延伸で関西からは不便になり乗り継ぎでの関西方面の往復が1~2割減り、首都圏との往来でそれ以上カバーしました。関西依存の高い今度のこの地域はどうでしょう。
 今回は関西からの直通のなくなる金沢からがその影響を受けだします。金沢はターミナルではなく通過駅になり、県以南と福井が首都圏からの流動を奪い合うライバルになります。
 もうひとつ敦賀にとっては、もともと米原経由名古屋から東京というルートがあり料金は2580円高く、時間も30分ほどかかり、乗り換えがないだけで利便が上がったとはいいづらいところです。
 かつて、港町として栄え、鉄道ができてもシベリア鉄道へ連絡する交通の要衝だった敦賀で私はこの町は好きですが、再度注目される今回の再ターミナル化でどうなるか、なかなか微妙なところです。
 この図の北陸新幹線とリニア見れば見るほどよく作るものだと思う距離で、時間的に完成を自分では見れそうにないですが、東海道一本の代替ルートとしても必要ではあり、未来にちゃんと残るのか期待と不安があります。
 
 
 

熊本から能登へ そして三陸、阪神からも 1.17

今日は阪神淡路大震災から29年経った1月17日です。能登で今年も大地震があり、感情的に走り直ぐに被災地支援にかけつけることがパフォーマンスで迷惑と是非が論じられます。いずれにせよ被災の支援、復興支援は地道に継続してお金のかかることです。 

 熊本地震で被災して運休となっていた南阿蘇鉄道(以下南鉄)・立野―中松間が昨年2023年7月15日に復旧し、7年3カ月ぶりに全線再開を果たしました。

 南鉄は南阿蘇村、高森町など沿線自治体が出資する第三セクターの鉄道会社。熊本から大分方面に延びるJR豊肥本線の立野駅を起点として、熊本県の阿蘇カルデラの南側を走って高森駅に至る17.7kmの路線を運営しています。もともとは国鉄高森線でしたが、JR化前のいわゆる第一次の赤字ローカル線廃止方針となったことを受けて同社が継承しました。草村社長は高森町長が務めています。そして吉良清一副社長は南阿蘇村の村長など資本面、経営面で沿線自治体と一体化しています。
 2016年4月14日、熊本地震が南鉄を直撃しました。一部区間が比較的軽微で3カ月後に運転再開したものの、立野―中松間は第一白川橋梁など重要インフラが被災。「廃線を考えるほど甚大な被害を受けた」と言われ、なにせ被災直前の同社の売上高は1億円程度でした。これに対して、試算された復旧費用の総額は65~70億円ともされ、とても負担できる金額ではなく廃止という暗雲が漂いました。
 地域の公共交通機関として通学や通院の乗客に不可欠な存在であり、ローカル移住促進にも重要なツールである。何より、地域にとって観光は産業の柱で、雄大な阿蘇を眺めながらゆっくりと走るトロッコ列車はその象徴ともいえ、鉄道の廃止がもたらす観光への悪影響は避けたい。「鉄道での復旧しかない」という経営決断により、ありとあらゆる関係者への努力を積み重ねたそうです。
 
 そして、その前の東日本大震災から3年で復旧にこぎつけた三陸鉄道のスキームも参照していました。その三陸鉄道はJR山田線区間を移管されて全線開通半年後の2019年10月台風で再び被害を受けて甚大な被害で7割が不通区間になり翌年3月にようやく全線復活。それこそ励まし合うように南鉄が7年3か月ぶりに復旧した年、コロナ禍がほぼ終息して三陸鉄道にも新駅も開業、朝ドラテーマの観光列車も走り始めたばかりでした。

 個人的な想像ですが、田舎の町長、村長とて決して暇ではなくさまざまな仕事、議会もあるはずですし、決して給料を上げて働いたわけでもないでしょう。身を切る改革とアピールしたわけでもないでしょう。頭が下がる思いです。

 この南阿蘇鉄道が今、今年1月1日に壊滅的被害を受けた石川県の三セク「のと鉄道」に県下他2社(肥薩おれんじ鉄道、くまがわ鉄道)とともに募金を募り、エールを送っています。
 1月17日は関西では阪神淡路大震災が思い起こされますが、断続的に能登は余震も続き不明者の捜索、避難している方、断水などライフラインが未だ復旧していない状況が続いています。
 私も熊本にはふるさと納税もして、ネットで南鉄の切符やグッズを買ったりしていましたが、なかなか全国各地大変です。関西の方、全国の方も、特に富裕層の方、優雅な旅のファンの方、興味のある方は落ち着いたら能登の支援、ファンドなどもお願いします。
 

1995年の大震災が促進したもの 兵庫県のローカル線

 先日、兵庫県の山陽線加古川からの加古川線に乗り、その中間駅、西脇市駅(当時野村)から分岐していた鍛冶屋線の廃線散策に行きました。
 JR西日本では昨年和田岬線から103系が引退したため加古川線と播但線、JR九州の筑肥線だけとなりました。
 鉄道好きでない人から103系ってなんだと言われると、国鉄が作った通勤型電車で山手線などを席捲した黄緑モノトーンの四角い電車で、過去現在通じ日本一の製造数を誇りました。国鉄車両を多く引き継ぎ改造延命で永らえさせていた西日本ですが、いよいよ残りわずかとなりました。電化されたとはいえ兵庫県中西部のローカル運用で1両もしくは2両の運用でほのぼのと田園や山間を走っています。
 この加古川線は西側の姫路から北に向かう播但線と並び、兵庫県を南北に結び、それぞれ但馬地方の山陰側に結んでいました。比較的人口の多い山陽側に比べ、北へ向かうほど賑わいはなくなり、車両も少なくなります。
 播但線が途中までしか電化していないのに対し、加古川線は2004年に全線電化されました。すでに支線の鍛冶屋線や三木鉄道(旧三木線)が廃止、粟生で連絡する北条線が三セク化して、神戸電鉄粟生線も乗客減で赤字に苦しむ加古川線もモータリゼーションの並で厳しい中でした。なぜ加古川線が、古い103系の1両で北部は2~3時間に1本の過疎ダイヤとはいえこの時期に電化されたのでしょうか。
 そのきっかけは1995年の阪神淡路大震災でした。分断された京阪神~山陽への山陽線はじめ私鉄の代替ルートとして、播但線、加古川線が迂回路の役割を果たしました。このように非常時の備えとしての意義が再認識された路線でもあるのですが、どちらも非電化で貧弱な輸送力で気動車も不足しており、単線とはいえ、トンネルの少ない架線の工事がしやすい加古川線は電化が進められたのでした。


 それでも、西脇市以北の福知山線谷川駅までの区間は、JR西日本の電化区間の営業系数ワーストで、大雨での遅延も多く、地元と廃止の協議も進み今や存亡の危機ではあります。103系の後継電車が颯爽と走る可能性は低いかもしれません。
 私も震災の時、このう回路で谷川駅を利用した時があります。その時は山間の谷川駅が大変な混雑で、福知山から乗り換える、京都に向かうディーゼル特急も指定がとれないほどでした。しかし、震災から数年経つと、谷川駅は乗換駅とは思えないほど閑散とした小駅に戻っていました。
 山陰線も城崎まで電化されましたが、整備が進む高速道路はそれ以上で新しいモータリゼーションの波が鉄道の存在を脅かします。
 バスやトラックの業者、乗用車のお客は道路を作り、維持する心配はないので、そもそも鉄道は公共交通としては不利です。
 西脇市という、小さな市も街中を貫いた鍛冶屋線が無くなり、代替のバスすら走っていない典型的なクルマだけが主となる移動手段の街です。
 加古川線の沿線の、社や、小野、瀧野はじめ、日本全国の多くの地方でこれからどんどんこういった廃線跡を遊歩道にするしかない街が増えていくのでしょう。

「マルス」1960年に国鉄で誕生した画期的システム

 現在窓口に駅員が案内するJRの「みどりの窓口」は、無人駅はもちろん有人駅でも廃止統合されて、トラブル時にインターフォンで集中センターへ連絡する程度です。
 e予約などですでに、ネットで確定したものを発券するとか、そもそもチケットレスの購入もあります。
 戦後、高度成長期に入り長距離移動が鉄道主流の頃は、切符で指定席などを買うのは結構な行列があり、待たされるのが当たり前でした。国鉄職員も「売ってやっている」という横柄な態度で今では考えられない役人のようないばりようだったとも聞きます。
 そんな悪評プンプンの国鉄ですが、新幹線や在来線でも技術的には世界に先進したシステムを構築していました。今回は車両や路線ではなく、切符の発券のシステムについてです。
 列車の座席を予約するとき、A駅の窓口とB駅の窓口、C旅行会社でそれぞれお客さんが予約に来ると、あずさ1号のどの席が埋まっているか瞬時にわからないといけません。今なら個人でもパソコンやスマホでできますが、昔はそれを中央指令の回転式のテーブルに載った台帳を電話で確かめながら予約して発券していたのです。
 列車の数はそこそこ増えだしていましたし、今よりも多い路線もあり、帰省時などに飛行機や高速道路の選択もない時代、気の遠くなるような手作業です。
 時間もかかり、待たされた上に、ダブルブッキングはよくあり、現場でのトラブル対応も頻発しました。

 その問題を1950年代後半から検討に入り、世界に先駆けて「コンピュータ」による予約システムを構築したのが、国鉄なのです。経営陣の英断、技術陣の苦労も並み大抵ではありません。なにせ、「コンピュータって何?」の時代です。65歳で定年を迎えるような人が生まれた年、1960年に国鉄の指定席予約システム「マルス(MARS)1」がこだま(在来線特急)4列車2300席からスタートしました。
 東京オリンピック、新幹線開業の1964年には本格的に自動発券できるプログラムを内蔵した「マルス101」が実用化しました。
 それ以降もまだまだ世の中にコンピュータが普及する前に、マルスは進化して「マルス105」となり全国の駅、旅行会社に普及、予約期間延長、乗車券同時発売、団体、企画商品などへ対応して現代への流れをつなぎます。
 そこには、試行錯誤、顧客や駅員の要望に応えた苦労があり、サービス部門と技術開発を連係して日本らしいシステムで世界をリードし進化しました。このシステムがあってこそ、日本の高速鉄道のスピードと定時、頻発が実現できたのです。ただ早い列車を走らせても切符が指定して売れなければ沢山走らせるのは無理です。

 それでも国鉄は、構造的な赤字が累積して、多くのサービスシステムで大手私鉄に先駆されるようになります。JR化後再び巻き返し、自動改札で私鉄に追いつき交通系ICカードを総合的なビジネスワールドにまで高めました。
 その基本となったのが65年前に開発された「マルス」で現在はMARS301という世代に入っています。さらなる進化が期待されます。


 ここまで読んだ昭和の別のマニアにはマルスと聞くと、ウルトラマンの隊員が使う武器を思い浮かべた人もおられますが、マルスには133という世代はないです。特撮の方は「火星」由来とされていますが133には特に背景はなく、当時画期的なコンピュータシステムとして話題になったマルス103が特撮関係者の念頭にあったのではと思われます。
 

追悼 70年代皇帝と演歌の時代

 オジサンの昭和回顧マガジンみたいで嫌だが、先日は1970年代のサッカー少年の憧れの一人だったドイツの「皇帝」フランツベッケンバウアーが亡くなった。ペレやゲルト・ミューラーも鬼籍、少しあとのクライフ、マラドーナもいない。その後のベッカム、メッシ、クリロナらスターも多いが、サッカーがポジションが躍動する近代化の魁だった選手であり、優雅な姿は懐かしい。
 そして、また八代亜紀さんの訃報。
 フォークや、ロックだと若者きどりでも、大人びてジャズだクラシックだと言っても1970年代の子供は否応なく演歌は耳に入る。それが昭和ならではでした。
 五木ひろしと八代亜紀、森進一、沢田研二あたりがレコード大賞を競い、北島三郎もバリバリで、美川憲一、森昌子、小林幸子が出だして、演歌やムード歌謡の耳に入る割合は今とは比べられません。
 日本の各地を、自然や風土、人情と恋愛を絡めて力強く歌い上げていた時代でした。

 まだ子供でおいそれと旅行にも盛り場にもそう簡単には行けない頃、襟裳岬や知床半島、津軽海峡、能登半島、熊本、鹿児島、長崎、道頓堀や新宿、みんな地理のお勉強よりも、高校野球と歌謡曲から先にイメージを抱きました。
 それにしても、シングルレコードが600円、これA面、B面で2曲だけです。今より高い、LPが10曲以上入って1800円とか2000円でした。レコード買えるのは贅沢な時代でした。当時の歌が版権切れてるのもありますが、ほぼ無料でダウンロードできるとは、他の値段が上がっても便利な時代です。

 新年早々、大変な災害、頑張って能登半島も応援していきましょう。
 
 

「災害関連死」「ペットと旅行」感情よりビジネス感覚で

 能登地震、元旦第一報から最初の夜の報道では十数人の死亡者から100名程度かと思われましたが、全容解明が徐々に進むとともに72時間を過ぎ、1週間経過すると200名を超え、不明者を合わせると300名、災害関連死と言われるケースを含めるとさらに増えそうです。
 地震の直接の被害から何とか助かるも、家族との別離や避難所のストレスで心身を患い、関連死となるのは何とも無念な悲しい話です。
 報道で映る、役所や学校などの避難所でたとえ食糧と水があったとしても、風呂やトイレなどが満足ではなく、日に日にストレスは溜まるでしょう。
 災害時の早急なT(トイレ)K(キッチン)B(バス)の確保、欧米が進んでいるとか言われますが、結局それを優先的に準備するお金の仕組みです。
 地震や台風、洪水は日本のどこでも避けられません。いざとなれば大金は免責になる保険会社ばかりを潤わさずとも、個人、自治体とも、市民の人口に相当する避難施設、アミニティや食糧を含めて民間と提携して義務化したお金でない保険をおくべきでしょう。
 今回も多くの業界に緊急要請を政府がしましたが、いざとなる前に提携しておくべきです。
過疎地に店を設けるのは不採算でも行政サービスや金融機関替わりにコンビニは本部が国と結んで出店しておくべきです。
 普段から姉妹都市提携などでもカバーしながら、いざとなったら、援助物資の提供や警察、消防の応援、被災者の受け入れなどまで、企業や他自治体とセットで組んでおくことでしょう。文化や歴史の交流、災害が起こってからの募金以前にしっかり結んでおくことです。
 備蓄食料なら賞味期限が切れかける時には特売や無料配布で回しながら、余剰や老朽したものも適宜入れ替えるのは民間と公的機関の綿密な監視と連携が必要です。それも含めてビジネスとして入札し予算を回し、企業は利潤を得るようにできるアイデアはあるはずです。
 それこそ、無駄な支出も抑えたいので、癒着や談合、中抜きのないように、しっかりビジネスとして民間の力を最大限生かした仕組みを作って「備える」のです。


 日航機の事故で、乗客は迅速な誘導で短時間で奇跡的に脱出しました、そこは賞賛されていますが、ペットが荷物扱いで客室に持ち込めないため、人命優先で助けることはできずネットでもさまざま議論されています。
 ペットを連れての長距離移動は、日本では難しいということです。その辺の原則は今始まったことではないです。富豪ならチャーター機でもということになるのでしょうが、その辺も結局はお金の問題です。
 つい100年ちょっと前は人間を動物なみに扱って、船底に乗せ重労働させ、売り買いしていた欧米の人種にエラそうなことを言われたくはないです。富裕層がいてペットを運ぶ旅をビジネスにして採算に乗せたかどうかの違いです。
 国内でも、ペットフード産業から、ペットを預けるホテルができ、今はペットと泊まれる宿泊施設も採算にのっています。ペット連れ専用のツアーなら、ペット同志の喧嘩や恋は心配でもアレルギーの怖れはありません。
 それを打ち出す列車や飛行機もニーズとアイデア次第で採算にのります。
ペット好きの芸能人やインフルエンサーが叫ぶ感傷はいらないので、良いプランを出してビジネスにするということです。
 

路面電車ブーム が再燃 交通網の再構築を

 「ひろでん」の愛称と被曝電車のドラマなどでも知られる広島市内を走る路面電車中心の広島電鉄、1978年に京都市電が廃止となったのを受け、京都市交通局から購入されたものが今も走り続けています。屋根の両サイドに取り付けられた前照灯と車体中央のオレンジのラインが特徴です。各車両に京都にちなんだ愛称を募集した名前がついています。
 広島には若手社員の頃赴任して住んだことがありますが、その当時でもレトロ感があった車両が40年以上走り続けているのには驚きます。川が多く、砂地で地下鉄の建設が難しいとは言え、JRや新交通もある中、広島市内はひろでんで回れる場所が多く、都市交通として便利に機能しています。
 広島や岡山、富山、函館、熊本、鹿児島、長崎と市内交通の多くを路面電車が占めている都市は多く、宇都宮でLRTができるなど、昨今路面電車は見直されています。
 京都や神戸などでは早々に廃止されましたが、地下鉄の業績は芳しくなく、路面電車を残しておいても良かったのではと思われるところもあります。昨今は消防上の退避経路や、バリアフリー化でエレベーターは必須となり、建設コストが高くなるわりには、アップダウンがお年寄りには結局敬遠されています。新規で軌道を作るにも踏み切りの規制があったりで、路面電車を残しておけば、施設もそのまま親しみもあり利用されやすいエコな乗り物だったのです。モータリゼーションの時代と考え急いで市内電車を廃止したところは、時代の先が読めなかった典型です。
 今後もインバウンド観光、病院やモールと住宅地を結ぶ基幹の交通として、地域のいわゆるコミュニティバスやライドシェアと連動したLRTやトロリーバス、BRTなどを使う街は増えるかもしれません。ライドシェアの法改正、高齢者の運転免許返納などだけでなく、地域全体、しいては日本全体の交通をきめ細かく実態を見て再構築することが必要です。
 

先進技術としての鉄道

 今年乗車することができたJR東海の特急HC85系岐阜から高山本線に入るひだ。
 廃線やローカル鉄道中心で、新車まではなかなか乗り鉄できませんが、2022年7月デビューのJR東海、肝いりの最新鋭のハイブリット車両に乗りました。
 キハ85のディーゼル系のブルンブルーンという豪快な音はなく、プリウスのように靜かで揺れも少ないです。明るい内装もですが、旅をゆっくり落ち着いて楽しめる特急の名にふさわしい車両です。JR化後のワイドビューと言われた強力馬力のキハ85系を置き換え、山岳路線で特急としてのスピードと登板のパワーを持ち、かつ環境に優しく、乗り心地も良いハイスペックを誇ります。
 理系ではない鉄道ファンも、その技術の高さ、そこに至る関係者の努力には感心します。
私は経営やら簿記を学んだ大学商学部出身で数字には少し強くてもさすがに技術系のことは詳しくは語れません。鉄道に関しては、ビジネス面もありますが、感覚的、情緒的な部分も持ち、やはり性能とカッコよさには子供のようにワクワクします。
 私は廃線跡や、ローカル線探訪も好きですが、国鉄時代からのスペックの低い旧型車両を賞賛し、乗り心地が悪いのに、延命を助けるのは好きではありません。地元のJR西日本には社内事情もありながら、未だに姫路や岡山には通勤車両にさえ古い物を使い続けており、失礼な話です。
 鉄道は、たまにはレトロでも良いですが、毎日利用する方には、環境にもよく、利用しやすく快適なもの、特別な旅行には高速でかつ、やはり車内は落ち着いたものが良いに決まっています。
 赤字ローカル線が消えるのは寂しいと言われますが、整備も不十分な古い車両しか回せないような状態なら、やめてしまえばいいと思います。鉄道に夢を抱く、子供に失望を与えてはいけません。多方、三陸鉄道や南阿蘇鉄道、只見線など被災から復旧した路線が開通したイベントでの関係者や子供たちの笑顔は素晴らしいものです。戦前に作られた線路などが、何度も災害を乗り越え、今も地元に愛され、子供の夢を担っている姿には、癒されますし、自分もあやかって頑張りたいと思います。

美しい日本 忘年パーティー?シーズン

 12月も2週目となり、個人的には忘年会が一つありました。といってもちょこちょこですが、昔の会社仲間と雑談程度です。
 キャッシュレス化が進む中、割り勘はやはり現金の方がわかりやすいかもしれませんが、QRコード決済の割り勘も可能なデジタル化は進んでいます。
 来年2月に迫った地元京都の市長選や、パーティ券裏金キックバック疑惑の問題も肴となりました。
 前も書いたと思いますが、政府はデジタル化を進めているというのであれば、このようなアナログな不記載だとかの情けない姿を国民に見せるのは最悪です。私たちだけ、真面目にマイナンバー登録して、税金を納め物価高を凌いでいるのに、何千万、何億の不明を開き直られてはやってられません。
 政治活動は、非課税で使途を問われないものも多いので、なおさら透明にしっかりした管理が必要です。官房機密費で外交など政策上明らかにできないものは、アメリカのように何年かはクローズドでロックをかけ、それ以外は全てAIが読み込んで判断できるようにするのは可能なはずです。
 2004年、私が勤めていたカネボウという会社は、粉飾決算で経営破綻となり、産業再生機構に再建を託すことになります。巨額の負債を抱え再生中ながらでも、化粧品の幹部や多くの社員の中には、経費を今まで通りの飲み食いやらに使う者もいました。しかし、その当時の新しい精算システムで、出張の交通費宿泊費はカード一本管理、接待などは金額や、接待先や、支払い先、同行社員などを入力し、オーバーや重複、繰り返しなどの齟齬があると、チエックされる仕組みがなっていました。たかが、このようなシステムでも、ひっかかり指摘される幹部や、不正を考えごまかそうとして摘発される者もいました。
 人間、ウソをつこうとするとどこか齟齬ができ、機械、AIはそれを見逃しません。金額を増やすため、同行社員を増やすなどで名前を打ち込むようなテクニックはどこかでその社員が別のアクティビテイをしていて発覚し、結果過去にさかのぼって不正が厳しく精査されることになったケースもありました。
 そんなものが通る通らないの人間のレベル自体が低すぎるのです。せめて、経営破綻してお上の助けや親会社の援助を受けているときぐらい、清貧でもルールを守れないものかと思いました。
 これが20年近く前です。政府はもっとデジタル化を進めているはずが、日本の国が他の国に比べてGDPも下がり財政も厳しいと言われる中で、与党のその中でも主流派幹部政治家がこの体たらくです。
 毅然と、清貧な姿で美しい日本を取り戻して欲しいです。

簡単には語れない赤字ローカル線廃止

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 JR西日本が先月末、赤字ローカル線の最新の収支(2020年度~2022年度の平均)を公表しました。 東日本や三島のJRも苦しい線区を公表していますが、ここは西日本からですみません。
 公表されたのは、2019年度時点で1キロ当たりの1日の平均乗車数「輸送密度」が2000人未満だった17路線30区間です。  対象となった主な路線の2020~2022年度の「収支率(運輸収入÷営業費用)」と100円稼ぐのにかかる費用を示す「営業係数」、2022年度の1日あたりの「輸送人員」のワーストから並べると下記のとおりです。
 ・芸備線(東城~備後落合)0.6%/1万5516円/20人
 ・木次線(出雲横田~備後落合)1.8%/5695円/54人
・大糸線(南小谷~糸魚川)2.6%/3835円/108人
・芸備線(備後落合~備後庄原)2.6%/3777円/75人
・姫新線(中国勝山~新見)2.7%/3745円/132人
 ワースト区間の芸備線は1日利用わずか20人、100円稼ぐのに1万5516円です。
近畿圏でも、このほかに加古川線、山陰本戦、播但線、関西線、紀勢線、小浜線など多くの路線が赤字で、JR西日本は、これらの路線については「大量輸送という観点で鉄道の特性が十分に発揮できていない」として、沿線自治体と課題を共有することで、鉄道の上下分離などを含めた協議を進めていきたい考えです。
 都市部を抱える、私の住む京都府やその他近畿の兵庫県、奈良県、滋賀県、和歌山県なども中には過疎路線を抱えています。
 廃止や三セク化、バス転換もかなり現実味を帯びています。ワースト5は一部末端区間とはいえ、その近くも似たりよったりで、貨物輸送でもなければ、線ごとの廃止などの処置も十分考えられます。
 青春18族が、シーズンの休日に乗る時は、多少なりとも乗客はいますが、オフの平日などはからっきしで空気を運んでいるのが良く分かります。買い物や通学、通院に必要と議論してもそもそも利用されていないのです。
 観光といっても、鉄道だけでは観光地の目の前には行けません。通院や買い物も同じなのです。駅前に大型の商業施設や病院でもあれば違いますが、そちらはクルマのテリトリーというケースが大半です。
 高速での快適な移動でも、きめ細かな日常への用務でも、鉄道がクルマに勝てないのです。
 それでも、鉄路は遠くに繋がり、夢があります。カッコいい電車が走れば、子供やファンは目を輝かせます。三陸鉄道にしろ、只見線、仙石線など被災で復旧、再開した路線が復活した時の、地元の喜び、子供たちの歓声は心に響く、特別のものがあります。
 大人というのか、政府のトップが日本全体の交通体系、ネットッワーくの中で、鉄道の在り方を考えないといけません。ただ赤字だから、どんどん廃止でいいものなのかです。
 故田中角栄の日本列島改造論ではないですが、かつて地方各地の政治家は、北陸や東北、山陰、四国はじめいわゆる今のJRでの三島会社のエリア含めすべての地方に新幹線をめぐらせ、大都市圏に地元が劣らない利便を持つことが日本の発展と考えて、力を入れて綱引きもしたわけです。
 新潟を皮切りに新幹線が早めにできたところと今ようやくというところ、鉄道が空白に近いままの地域もしくは、ローカル線のままのところでは、地方間でも大きな差になりまあした。かつては、街道や海路の港や宿場で栄え、耕作地もある地域でも今は過疎で見捨てられそうなもったいない土地もあります。
 航空会社、鉄道会社、道路公団がバラバラでは物流も人の流れは上手くいきません。政治が道を開き、コロナ後でもリアルが必要で、住んでいける国土、地方を今創生しないといけないのです。