小さな町の祭、花火大会

 お盆の帰省でふるさとに戻られる人も多いでしょう。地方出身だと田舎が不便でも父母は離れず、本人もやはり懐かしいと言う人は多いようです。
 地元を支える人も普段は静かな田舎でも、お盆の時期は祭りやイベントで何とか盛り上げようと懸命でしょうし、それを楽しみにする人は多かったでしょう。過疎化も進み、コロナの3年間で帰省も減り、なかなか復活しないイベントも多いようです。
 青森ねぶたや、秋田竿灯などメジャーな東北の祭りには、他所からの観光客も増えて賑わいの報道があり一安心ですが、小さいところは復活は難しいようです。このあたりにも地方には地方の格差がでているのでしょう。
 四国や九州など各地にも、全国に知れ渡る祭りやイベントはありますが、格差は広がりそれ以上に朽ち果てていくところも多いでしょう。ファンドやふるさと納税というのも、結局は目立つところ有名どころに集まり格差の是正にはつながらないようです。
 3大花火大会やら、各地の大きな花火大会の運営も大変ですし、夏祭りも1年かけて準備や管理、稽古もする歴史あるものもありますし見事だとは思います。しかしそこに暑い中行列を作り、集まる人やお金の1割でも回せないものかと思います。そんな大層でなくても、小さな町のイベントを支える資金や人員をなんとか確保するてだてはないかと思います。

広島

 広島に20代の頃に最初の転勤で赴任していました。40年間勤めた会社でしたから、本当に長い時間が経過しています。
 
 何かと感傷的になるこの時期です。広島の原爆投下、終戦の日から78年ということです。私が広島県呉市や広島市中区に住んでいたのが1985年から87年くらいですから戦後40年の頃でした。当時の方が時間の経過は短いはずが、その頃は戦時は遠い過去のようで人々は戦争を忘れてバブルに走っていたように思います。

 その我々の同窓世代が60代半ばで、多くは第一線を退きました。役員か、定年延長か、再雇用かはあれですが、友達で大卒で同じ会社に65歳まで勤めると言う人もいます。私が40年勤めて、恐竜か化石かのように思われながら去りましたから、45年というともうただ感心します。それぞれの40年と40年が経過して、あの戦争から80年近くが過ぎているのだけは史実です。

 被爆の実体験を知る語り部の方々がどんどんなくなり、さまざまな活動、施設の運営ももう戦後の混乱期や、高度成長期すら知らない世代に委ねていることに時の流れを感じます。
 当時と変わらないのは、この暑さとセミの声でしょうか。
 

広島を訪れ平和を祈念し、#戦争#核 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

思い出から3:広島市中区吉島町 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

外食のテーブル調味料、漬物などは確認

「醤油差しを舐める」などのふざけた動画投稿で、外食産業への迷惑行為の犯罪が近年よく報道されています。
 お客さんとの信頼関係のもとに、調味料や漬物なども置いてあるので、それをふざけて不衛生にした上で、動画に上げてバズろうなどというのはとんでもない行為です。
関西には、串カツ店、平たい容器に入ったソースに串カツをつけるところが多く、いわゆる『ソース二度つけ禁止!』の文言がゆきわったています。
 醤油や塩などは、基本直接は、口や手をつけた料理に触れることはないため、ここまで言わなくともというのが暗黙の了解です。
 漬物や紅しょうがなども、好みで適量をとるのが便利ですが、これも目が届かないと、迷惑行為をされます。
 砂糖も昔は裸の角砂糖か、粉糖をシュガーポットに入れていましたが、今は個包装がほとんどです。かつてシュガーポットに毒物を入れる無差別殺人の話がミステリにありました。共用の容器の食材に関してはよく確かめること、不審なら食さないぐらい、新しいものを求めるくらいの姿勢は必要かもしれません。
 すべて個包装や店の方が出すのも、効率が悪くお金もかかります。不埒なやつのせいで世知辛くなりました。

四国で出会った死にたい少女の事 天使が舞い降りる3 #人生応援 #コイバナ #大歩危 

景勝 大歩危

 清流吉野川の渓谷、大歩危から見える緑豊かな自然は、都会の競争のような生活の追われた心を癒してくれました。
 そこで私は奇妙な体験、女子中学生と会いました。
 自然の豊かな県は、自殺する人の割合が少ないとは言います。それでも、田舎ならでは閉塞感や、因習などもあるようで、不幸に命を絶つ人がいないわけではないものです。
 隣の芝生が青くキレイに見えるようし、都会に住むものは田舎に癒され、地方に住む者は、都会に憧れ、他所がいいように見えるのです。
 たまに、旅という移動により、気分を変え両方の良い部分を味わうことが、必要なのかもしれません。
 その年、私は自分を管理職にしてくれた上司を失い、反りの合わない以前の反主流派の連中から逆襲にあい不遇の会社人生を送っていました。
 難しいリクエストばかりの取引先を抱えさせられ、口だけの無能な上司に振り回されており、家族の病気で地元関西に帰りながらも、職権は狭められて苦しい状況で毎日がイヤでした。
 会社には、一日体調不良で有給を取り、家族には会社に行くふりをして朝早く、違う目的地に向かいました。
 鉄道が好きな私は休日に乗り鉄をすると、一般的な観光客や用務客以外に、同類とは思われたくなにのですが。鉄道マニアをよく見かけますし、だいたい見た感じで分かります。
 その点では、平日は現役世代のサラリーマンは通勤時間以外はいません。
 仕事や家庭でいろいろイヤなことが重なると、何もかも忘れてふらっと列車に乗り旅に出たくなりたくなることがありました。実際に行動まで出たのは初めてです。何となく後ろめたさもありました。しかし、すぐに気分が高揚していきました。
 あまり、行く機会の無かった四国、香川から徳島に回りました。
 見知らぬローカル駅に降り立ち、渓谷を眺めると、吸い込まれるような気分にもなります。
毎日は面白くないと、線路や、海や川に飛び込みたくなるような気持ちにもなります。しかし、川が上流から下流に滔々と流れ、時折列車が走る姿を見ていると、自分の悩みが小さくつまらなく思えてきました。
 コロナ禍の10年以上前ですが、平日なので景勝地でもそれほど観光客はいませんし、鉄道マニアももちろんいません。
 制服の女子中学生が渓谷を見ていました。手すりに細い両足で立ち、遠くを見つめています。制服なのは平日だからいいのですが、授業が始まっているその時間ということと、その雰囲気は異様、危険な匂いがしました。まさに渓谷をのぞき込み、飛び降りることを考えているようです。
 私は、ゆっくりと,そっと近寄りました。
 女の子も気配を感じ、ゆっくり私を見ました。
「そこは危ないよ」


死にたい少女
 私が呼ぶと、ほんの一瞬だけ、驚きと怖れを抱いた感じでしたが、じっと私を見つめて、やがて少し安心したような笑顔になりました。私はゆっくりと渓谷側にまわり、少女を道の方に誘導しました。
「良かった、優しそうな人で、学校や親に言いつけないで、私このままここにいたいの。おじさん?お兄さん?どう呼んだらいいですか、先生とかおまわりさんではないでしょう」
「君のお兄さんならせいぜい高校生か大学生だからね。おじさんでいいよ、たぶん君のお父さんと同じか年上くらいだと思うから」
 女の子は、本当にほほ笑んだ。私の顔をじっくりとよく見てくる。

「うわあ、本当にいい人だ。久しぶりに見る。おじさんって呼んでもいい。でも私おじさんが大好きなの。お父さんはすぐ暴力をふるうし、先生も怖いしね。同級生も変なことするのばっかり、大人もおじさんみたいに時々優しい人はいるのね。まわりはみんな今はイヤなやつばかりで、おじさんみたいないい人がなかなかいない」
「ぼくがいい人って、どうしてわかる?」
「それは、顔見れば、よく見て、表情とか態度、息遣いで私だいたいわかるよ。外れたことはない。人に言うと気持ち悪いって言われるからあまり言わないけど、特技かなと思うくらい、人の性格も考えてることもわかる」
「言いつけたりしないけど、ここで何をしてるの、そのうち見つかるよ。セクハラとか痴漢とか騒がないと約束するなら、少し話をしよう」
「私これから、どうしたらいいのかわからないの。もう生きていたくない」
「じゃあ、おじさんを信じて、もう少し時間を、そう小さな旅をしよう」 
 父親のDVか、学校のイジメか、原因はわからないが、中学生ぐらいにはありがちのことだ。
 騒がず、時間をおいて、気分を変えさせようと考えて、私は彼女を半ば強引に観光地最寄の駅から、電車に乗りました。ちょっと、拉致犯みたいで怪しまれないかと思いましたが、堂々としていればサラリーマンの恰好ですから、親子に見えたでしょう。
 いずれにせよ、このまま彼女に死なれたらこちらも、面倒くさい以前にやはり後悔します。海に近い見晴らしの良い駅に降りて、歩きました。
 彼女の事情は一切聞かず、自分に言い聞かせるように、自然の風景を眺めていました。
「もう少しだけガマンできれば、大人になれる。楽しいこと、いいこともあるし、今まで知らなかったこともわかる」
「大人になると、いいことがあるの?大人を見てるとそう思えないよ。おじさんは大人になっていいことがあった?」
「厳密、そう正直に言うと。大人の方がもっとつらいこともある。いいこともあるけど、悪いこともある。でも子供のうちに死んでしまうと、何もわからないうちに死ぬことになる」
 草木が生い茂り、遠くに波の音や漁船の音も聞こえる。遊歩道にひらひらと蝶が飛び、カモメが遠くに群れている。
「この蝶々は、たぶん何か月か前は葉っぱの上を這うしかできない幼虫だった、運よく羽化できた。大人になれたから、空を飛び見る世界は変った。仲間と交わり、次の世代の子孫を残すことができる。いいとか悪いとか、楽しいとか辛いとかではない。子どもの時しか知らないで人生が辛いからと、捨てるのはもったいない。あの蝶やカモメは苦しいとか辛いと思わずに大人になった」
「海外に行ったことはある?」
「ない」
「東京に行ったことは?
「ない」
「じゃあ、もったいない。働いたら、東京に5回でも10回でもいける。海外旅行もおじさんが若い頃は高くていけへんかったけど、今は少し働いてお金ためたら、若い人でも何か国でも行ってる。世界の5ヵ国ぐらい見て、それから死にたかったら死んだらいい。外国のことわざに『ナポリを見てから死ね』というのがある」
「私みたいなんが働ける?大人になれる」
「誰でもそう、不安だよ。でも時が経てば、大人になっている。
 君は、人をよく観察してどういう人物かわかる洞察力に長けている。接客や営業でも、カウンセラーになれる。看護師や、ダンサーや女優でも何にだってなれる。まっすぐに、一生懸命勉強して、その道の技術を磨けば、なりたい仕事につける。親とか友達は大人に成長する時周りにいる人達であって、それ以上でも以下でもない。
 先生や親の言葉に響かなくても、関係ない有名人、俳優やスポーツ選手、インターネットの言葉に感動して、真似して頑張ってでも、なりたい自分を目指せばいい。頑張る以上必死になることだ。僕なんかも頑張ったつもりが中途半端だったから、大人になっても悩む。でもそれでもまた何かは励まされて、勉強して少し大人度が増していく、そういうものかな」
「、、わかった。お金貯めて、世界中旅して、つまらなかったら死ぬ。もう少し頑張る」
「家に戻れるのか?家族から暴力とか受けてるんじゃないのか」
「ううん、父は手が早いし、武道やってて乱暴だけど、言うことを聞いていたら何もしない。ただ古臭い考えやしきたりを押し付けるのがイヤやっただけ」
「学校は?」
「グループに入らなければ何とかなると思う、やってみる。おじさんは?どこで何をしている人?」
「大阪で化粧品の会社で働いているだけの普通の人」
「すごい、化粧品の会社ってキレイな人がいっぱいいそう」
「そう、キミも学校を出たら、ビューティの仕事もいいかもしれないよ」
「いつか、おじさんにまた会うまで、死なないで頑張ってみる。だから、私を忘れずに見つけてね」
 少女は私の胸にしがみついた。何とも言えない、柔らかい甘い感触。
「キミの名前は?」
 踏切音がして、ガタゴトと列車が到着します。元来た方向に戻ります。
 人を助けたことによって、自分自身のスランプもふっと消し飛びました。つまらないことにクヨクヨしていた自分が馬鹿らしくなりました。
 翌日から、また開き直って仕事、仕事でした。家族もかまわないといけないのですが、自分が愚痴らず、明るく仕事をしている姿が家族の少しでも励ましになるのです。
 この頃、会社人生でも一番厳しい時代、化粧品会社が粉飾で事実上倒産で、産業再生機構の傘下となり、再建の道を模索します。
 あの時、出会った少女とまさか出会うことがあるとは思いませんでした。
「カナ。水島香菜です」
                            (つづく)
 
梅田の聖地でピンチに 天使が舞い降りる2  #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

梅田の奇跡 天使が舞い降りる1 #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)
 

ぶらり夏の京都 

DSC_1644

 烏丸御池駅最寄の職場となって、ひさびさに仕事帰りにぎやかな街を探訪できます。
鉾立てなども見るのは何年ぶりでしょうか。
 暑い中、コロナ禍から戻った祭に賭ける街の人の活気や情熱が感じられるのがいいですね。
 新風館はじめ、改装された店、新たにできた店も多くあります。
 昔勤めたメーカーがらみで、ドラッグストアやショップの化粧品コーナーはどうしても気になり覗きます。
 後輩に聞いていますが、なかなか、国内市場での縮小ぶりが顕著でOBとして悲しいい限りです。
 今書いている自伝風の創作コイバナとかにも、ドラッグストア内でのビューティの研修や、バラエティショップでのメイクイベントなど、さまざまなエピソートもメーカーと取り巻く人々あっての話なのです。いろいろショックな撤退場面も目にして、唸るばかりです。
 コイバナ的な部分だけでなく、化粧品の国内メーカーがマス宣伝プラス人間的なもので売っていた時代がやはり少し昔になっていましました。

 そういう面では、祇園祭なんて、お化けみたいに長く続いている、立派なようですし、うあらやましい、ずるい、あるいはそれでいいのかなと思います。

成瀬ひかるちゃんとの事 叶わぬ結婚 #コイバナ#ラノベ#読者への挑戦 ‹ 天使の星座 ‹ Reader — WordPress.com

 コイバナ梅田編の続きは鋭意制作中 いつまで続くのか

京都市バス観光客別運賃に?課題多く

 報道によると、
 京都市は6月5日、市バスを利用する観光客の運賃を市民よりも高く設定することも視野に入れた制度の構築を求め、国土交通省に要望書を提出しました。

 コロナの影響や、それ以前からの東西線の建設費負担などで、赤字が大きく、市の財政を大きく圧迫しています。
 以下 報道のまま
『市バスや地下鉄の利用客が減少し、大幅な赤字が続いています。 市は経営改善に取り組んできましたが、観光客の利用が多いバスの運賃を上げることで、さらなる増収を期待しています。』
以下は関西テレビの報道、文字起こし
『さらに、もう一つの狙いが、”混雑の緩和”です。コロナの感染が落ち着いたことに加え、700円で1日乗り放題というお得なチケットの影響も重なり、閑散した状況から一転、バス停は長蛇の列ができ、車内も”ぎゅうぎゅう”の状態に。 市は「観光客の運賃が上がれば混雑が緩和し、市民が利用しやすくなるはず」と期待していますが、利用者からはさまざまな声があがっています。
【京都市民】 「(運賃は)一緒でいいんじゃないのかと思います」
【横浜からの観光客】 「地元の人が困っちゃうのも気になる。(値上げは)しょうがない」 【京都市民】 「地元と観光客どうやって区別するの?私にはわからない」
【岡山からの観光客】 「値段が高くても利用する方は絶対利用するだろうし、観光におけるバスは景色を見ながらいくというのでマスト。必ず必要なもの」
 地元の人だけでなく、観光客にとっても大切な移動手段になっているバス。京都市の門川市長はあくまでも運賃改定は「混雑の緩和」が1番の目的だと強調します

【京都市・門川大作市長】
「市民生活と観光、この両方の快適度を高めていく。料金に差をつけることが目的ではなく、どうしたら混雑を回避できるかという方策の一つ」

―Q:観光客から多くお金を取りたいという狙いではない?

【京都市・門川大作市長】
「全く違います」

■観光客と市民をどう区別する?
京都市によると、このような試みは全国で初だということです。「観光客と市民をどうやって区別するのか」について、市に聞きました。

あくまで市がイメージとして検討しているのが、「マイナンバーカードとひもづけされた交通系ICカードの導入」と「観光地行きの路線では観光に特化した専用バスを別に走らせる」という方法です。

市は観光客と市民との区別はできると考えていますが、値上げ幅や実施可能かも含め、国と調整したいとしています。運賃の改定に様々な課題がある中、市民と観光客の双方が納得する形に着地できるのでしょうか。』
 関西テレビのnewsランナーという番組からです。

 観光客と地元市民で料金に差をつけるというのは現実に可能か、鉄道系の友達やインフルエンサーの間でも、話題になっていました。
 マイナーナンバーカードの住民情報を利用するとは言え、交通系カード必須と言う問題が一つと、近隣からの通勤客と、観光客の線引きは現実には不可能で混乱を起こしそうということ意見が多かったです。

 京都の場合、地下鉄だでで行ける観光地が比較的少ないのも市バスに観光客が集中した問題点です。市バス一日券を廃止し、地下鉄と市バスの共通一日券のみにしたのですが、それでも市バスに外国人観光客は集中します。観光地が、地下鉄とバスや、私鉄を乗り換えないといけないところが多いのです。京都駅から八坂神社や金閣寺とか銀閣寺に行くとして、1本で行けるバスに集中するのは自明です。
 地下鉄は実際には早くて空いているのですが、彼らは煩雑な乗り換えができないのです。
それなら、一般市民の通学、買い物や、通院などとは、ルートは多少かぶっても観光とは別のバスを仕立て仕立てるのが賢明です。
 実際、市民にとっては、市の財政問題で敬老乗車証は大きく値上がりする上、コロナの自粛が明ければ今度は観光客で満足に移動もできない混雑を強いられて、不満しかありません。実はこの混雑問題はコロナ以前に逼迫して出ていた問題で、コロナで乗客が減って今度は財政赤字問題も勃発し二重の大問題と化したのです。
 交通体系が、計画的でしっかりしたものでないことと、コロナでお客さんが戻っても儲かる構造になっていないのは大きな問題です。バスを増便しても、その運転手やら何やらでそんなに儲からないのは、何とかしないといけません。
 他都市、他の観光地と比べて高すぎる運賃も問題ではあるでしょうが、京都というブランド価値のある都市に来てもらいそこで市が儲かる税、利用料などをうまく徴収しないと、ほっておいてもブランドを利用して外資や他府県の業者が大儲けしているのです。
 地下鉄にしろ、市バスにしろ市民に安全快適に、沢山利用していただくのが公共交通の使命だと考えます。高齢者や乳児、身障者などにも料金や利用時に便宜を図るのは当然の事だと思います。いかに快適にたくさん乗ってもらうか、赤字減らすとか財政とかはそこから工夫次第で何とかなります。市民が乗る機会が増えれば、そこに市民の利便と収入を増やす情報、デジタルサイネージの広告なども増やせますし、エキナカのビジネスももっと儲けることができます。
 市バスの定期券は、通勤や学生の継続などは自販機でも買えるようにすべきですし、いかにも役所的な定期券売り場など改め、私鉄を見習ってほしいところです。

近鉄奈良線平城宮址移設凍結に賛成

 別に政治的にどこの政党を推すとかの立場ではなく、鉄道や関連インフラ、財政の問題とかからの話しです。 

近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の大和西大寺―近鉄奈良間。小学校でも習う奈良時代の首都、「平城京」の宮跡(国営平城宮跡歴史公園)を横切っています。

 平城宮跡は国の特別史跡で、1998年には世界遺産に登録された文化財。そこをを電車が通り抜けているのに違和感を訴える人もいたようです。奈良県・奈良市・近鉄の3者は2020年7月16日、路線を南側に移し、JR奈良駅寄りに油日駅を設け地下線区を拡大して近鉄奈良駅に結ぶ大規模な線路移設案を基本に協議する方向で合意したと報じました。これまで移設に反対していた近鉄が譲歩し、工事完成は20年以上下手すると工事の場所の性質上40年先になるようですが、この光景も見納めと鉄道ファンからも囁かれていました。しかし、これはこれで風情があるのにという声も強かったものです。

 そして、また事態は変わりそうな雲行きもあります。奈良県知事選で例の地元県連代表でもあった高市早苗さんがいろいろやらかし、自民党支援が混迷し、保守分裂となった結果、漁夫の利のような感じで維新の知事さんが誕生しました。大阪以外で初めて維新の知事ということで、例によって、多くの支出をいったん見直すと宣言されました。2000億も県が負担するという線路移設案も待ったがかかりました。

 まだ完全に凍結か歯分かりませんし、別に維新推しではないのですが、個人的には、いいことだと思います。この電車が平城宮を通る光景、私は好きですし、百歩譲って景観を損ねているとしてもそれだけのためなら、2000億も血税を使い鉄道会社に負担もかけ移設しなくてもいいと思います。そもそも、近鉄が企業として採算取れず嫌がっていたものに県民の血税を無理に投入しないで、福祉とか子育てに回せば良いのです。
 ただし、踏切をなくして立体交差にしていく、部分的な工事はある程度必要です。個人的には安全や渋滞を考えて西大寺から高架で新大宮まで作り、平城宮周りは現行通りでいいとも思います。この工事でも近鉄と奈良県はかなりの負担でしょう。
 これからの新線も、是々非々で公的支援は検討され、重複する路線もあり代替可能とか、無駄なものは工事しない検討が必要です。
 たしかに考古学や発掘のロマンを追う人には今から40年かけて平城宮址を掘るのもありなのでしょうか、そこはよくわかりません。

進化する大都会の鉄道と、廃止検討の過疎路線の格差

 大阪駅に新しくできたウメキタのホームにつながる出入り口には最新テクノロジーの顔認証ゲートができています。従前のICカードタッチでも通れますが、切符には非対応です。
 大阪の話題で言いますと、万博が2025年で、その跡にIRということで、それまで遊休地に近かった舞洲地区にも路線が延びます。
 首都圏では、この春新横浜線が開業して、神奈川と東京界隈がさらに便利となり、羽田と都心を結ぶ路線も計画が進んでいます。
 土地が高い、大都市圏でも新路線や新設備がどんどんできる一方で、地方の鉄道は休止や廃線、バス転換など厳しい話題ばかりです。
 JR各社、ローカル私鉄で多少の差はあれども、JR北海道がすでに廃止を進め、東日本、西日本も多くの赤字路線の地元協議を提案しています。JR東日本では、只見線が災害から長期の不通からようやく復旧したかと思えば、米坂線が被災で再開には相当の困難なようです。あまちゃんで有名な三陸鉄道は、ファンドの呼びかけで、地震と台風のダブルパンチから蘇りましたが、トーマス列車やSLの運行などで有名な大井川鐡道はまだ台風被害からの、一部区間不通復旧のめどはたっていません。
 これから数年、JRの多くの路線が、三セクやバス転換され、青春18きっぷで行けるような旅情ある路線は無くなってしまうと予想されています。
 JRは儲かる都会の区間だけに投資して、地方や過疎地域は見捨てるのかという声もあります。あるいは、公共交通機関なので、国や自治体が支えるべきだという意見もあります。
 鉄道好きの私が書くのも残念ですが、それは違います。
 国鉄を解体し民営化したのが悪いとか、分轄のエリア分けや安定基金などの仕組みに問題があると言われるのも頷けるところもあります。しかし、40年ほどの前の政策の結果論であり、その後もモータリゼーションの進化や、人口減少、過疎化などを全て予測など誰にもできなかったでしょう。
 私自身、ローカル鉄道の車窓を見ながらビールでも飲むのが好きです。渓谷美、川沿いをのんびり走る米坂線とか姫新線とか乗るのは大好きですが、経営とか数値を見れば残念ながら違うのです。
 観光シーズンの青春18で乗る休日は多少鉄などで混雑しても、普段は誰も乗っていないから、こういう廃止検討数値になるのです。
 コロナで観光客も減って、乗客もゼロに近くなり利益は無くなり、路線維持だけで大赤字です。
 地域に住む、通学や通勤、買い物や通院に利用する高齢者などの住民を見捨てるのかと叫ぶ方もおられますが、ごく一部の方を除いて、ほとんど乗らないという厳然とした数値なのです。
 それを慈善事業のような公共事業として続けるべきだとか、都市部のサービスを犠牲にして、あるいは運賃などを値上げして、利用者の少ない過疎路線の維持に回すというのは、逆に都会で利用してる人や企業として株主には説明しきれません。都市部にもライバル私鉄や他の公共交通やマイカーとの競争もあり、それにも負けると企業価値は下がります。
 国や自治体が支えればいいというのも、結局そう簡単なものではありません。受益者の地域などの特定をどうするかですが、結局いわゆる市民の血税で、一部の通学の高校生と乗り鉄のための路線を維持することになります。わかりやすく言えば、「〇〇鉄道の復旧、維持のため、〇〇県と〇〇市の住民税や、水道代を上げます!」といえば大クレームですし、「JR〇〇の赤字路線15線区維持のため、ガソリン税を倍にします。自動車税上げます。高速道路の料金3割上げます‼」と言われたら、もうそんなんエエワになるでしょう。
 ハッキリ言って新幹線くらいのスピードか、せいぜい在来線でも特急の許容最高速度の130キロくらい出せる基幹線区でもない、50年前か、下手すると100年前にできたうねうねグネグネした鉄路で、最新の高速道路とかで、快適空間で移動できるクルマの勝てるわけが無いのです。
日本は過密な鉄道王国で都市部でそれは残りますが、何十年か先は北米などと同じ、都市部だけに鉄道があり、一部の大都市間は高速路線があるだけで、他はクルマとバス路線になるのではと予測されます。
 とても残念ですが、それが近未来です。

やめるストレス差し引いても害は害

 私はタバコアレルギーで嫌煙家です。お酒は嫌いではないですが、そう強くないので週に1~2回休前日に飲む程度です。分煙、禁煙、電子タバコの流れは大歓迎です。
 昔の居酒屋の煙環境を訴えたいぐらいです。お酒は年齢でますます弱った気もします。
 10~20年年上の社会の先輩たちは、よく呑み、食い、遊び倒し、遅延退職後には肝臓傷め、やっとゆったり年金ぐらしという頃に、パタリと倒れたという話も多かったです。
 昔は55歳定年だったので、やはり平均寿命は今より短かったのでしょう。
いろんな要素を鑑みると学術的にも統計的にもお酒もタバコも身体にいいことなどないそうです。
「ガンだけの統計では大差がない」とか、「やめることのストレスが」とか反論される方もいますが、健康で長生きするには害であって決して百薬の長ではないのです。
 お酒や嗜好品はもはや、人間関係の付き合いだけでなく、そのものの好みとの付き合いでしょう。かく言う私も昨日は少し、美味しいお酒を飲み過ぎました。
 

華やかでも早く引退する場合もある

私が鉄道を好きになって、ちょこちょこと各地へ「乗り鉄」を楽しみだした頃はまだ国鉄時代の車両が全盛でJR化後の車両は、時代の最新鋭という感じでした。
 私はラストランとか古い車両に愛着を持つことに強い執着はなく、ハイスペックは新しい車両の方にどちらかというとなら乗りたいタイプです。
 国鉄型の103系だとか、113系115系だとかが惜しまれ大変多くの注目の中引退していきました。古い車両はもともとエネルギー効率は悪く、台車や座席など技術的にも乗り心地は良くない車両が、経年劣化していますから、わざわざ最後に乗りたいとも思いません。
 その車両に乗った思い出というのは、自分の中にしまってありそれは貴重だとも思っていまし、淘汰されていくという話には感慨深いものはあります。
 平成の初め頃に乗った山陰本線の気動車特急などは、真鍮のような荷物棚で、グリーン車の座席カバーは紫がかった赤いビロードのような素材で鉄道黎明期のような感じでした。
 その国鉄型も淘汰されだし、平成にできた第三セクターの気動車も駆け抜けて令和になると引退を迎えました。多くのJR化後の車両も特急を中心に引退の時期を迎えています。
 鉄道車両は高価なものであり、普通車両などは場合によっては50年以上の車齢でも頑張っています。広島の譲渡された京都市電だとか、富山や大井川に私鉄特急が譲渡され晩年を長く活躍し続けている例もあります。あまり高速で走らなった車両はメンテナンス次第ではいつまでも走れます。やや特殊ですがSLもその例です。
 逆に新幹線は超高速で走行距離も長いので淘汰されるサイクルも早いです。開業当初の0系やその後の100系、のぞみで席捲した300系はすでに引退しており、500系や700系もE2系もすでにその活躍の場は失われ、N700Aなどどんどん最新鋭に変わっています。今のちやほやされる最新鋭も5年も10年も経てばリストラ組です。
 
 人間の活躍の『旬』そしてその期間も似ています。早く快速で駆け抜けて短い栄華を誇り、早くに悠々と引退を迎える人もいます。若い頃は輝いていて、晩年が地味で「晩節は、、」という人もいます。地味に表舞台ではなくてもコツコツ長く働き続ける人、若い頃は目立たなかったが、何度かの異動でいつの間にか、ベテランになった頃に味が出て、愛される期間が長くなっているような人。人それぞれの人生と、鉄道車両の生涯は重なって見えます。
 若手社員だった教えた後輩たちや、競い合った同僚、イヤだった先輩も当然みんな定年前後の時期になっています。
 JR化後の新鋭とされた車両の引退は、手を取って教え、活躍しはじめ追い抜かれそうになった後輩が、いつの間にかもう定年を迎えていくような寂しさを感じます。