大雪でトラブルから、JR西日本は変わるのか

 JR西日本で1月に京都地区で大雪のトラブルで新快速が止まり1500人以上が閉じ込められる案件がありました。実際1月末にこのブログでも取り上げ、JRにも直接投稿して改善するとの返事ももらいました。
 少し時間は経ちましたが先日、JR西日本京都線と並走する阪急京都線が人身事故で2日続けて、朝の通勤時に不通となりJRに代替輸送のお客が流れ大混雑となりました。私は直接乗っていないので聞いてはいませんが、混雑した車内で車掌が案内とお詫び、朝からの混雑で一日の体調と精神状態を気遣った良いアナウンスをしてくれたそうです。阪急からの振り替え客も、JRの定期客も朝から救われるような内容だったと、同僚が話していました。
 災害時でもそうですが、適切な言葉をかけることがどれほど、人の気持ちを和らげるかですね。マニュアルにないから、ダンマリとか決まったフレーズの繰り返しではなく、温かみのある言葉に人は感動するのです。
 お客様の気持ち、接客するには基本中の基本です、

お客様ファーストではないJR西日本に失望

快食、快眠、快便で

 やはり、健康でいるためにはこの3要素は必須であると思います。

 運動習慣や食事習慣の結果ということもありますが、特に年齢を重ねるとどれかが欠けると他も欠けていき、五感などの大切なものまで衰えを早くしてしまいます。

 病院に行くとか、孤独になってしまうと、楽しみが無いと感じてしまい3要素を自ら手放してしまいがちです。中でも腸の調子というのは、身体のいろんなところに地味に影響します。胃に比べ食べた物の影響は少し時間がかかりますが、水分をはじめ多くの栄養、あるいは害のあるものも腸で吸収されて自立神経、肌など末端にも大きな影響を与えます。

 ついつい外食、コンビニ、インスタントで消化やカロリー面ではよくても腸環境には悪い物が多いと便秘や軟便などで最終的には自律神経や気力の衰えに繋がります。

 運動や睡眠もストレスの改善になりますが、野菜や玄米を多く取るなどが難しい人は安いヨーグルトや整腸剤で一度1月ほど腸内を整えると心身ともに整うかと思われます。

 

お客様ファーストではないJR西日本に失望

 私は旅、鉄道に乗ることが好きな乗り鉄です。JRには普段お世話になっています。しかしやはりJR西日本には深く失望しました。企業としても危機管理、危機や謝罪の対応がなっていません。
 もちろん深夜から夜通し復旧に尽力した現場の保線社員さんは大変な苦労だったでしょう。しかし問題を上に上げられない社員も、判断のできない社長もダメ。
 私が会見で質問する記者なら『これが新快速、通勤客でなく大臣や皇族が乗っていたらどうした?!』と問います。新快速の通勤客などどうでもいいと思うならとんでもない企業です。
 逐一刻刻と状況は変わります、自然の状況も、人間の体調も30分と2時間、2時間から4時間と経てば、最初なんとかなったものも逼迫した事態になります。
 経営者は利用者目線になり、全て加味した判断をしないといけませんし、一度決めても臨機応変に時に朝礼暮改でも、変化に対応して生命と安全を守らないとならないはずです。
 信楽線、福知山線の事故、その後の新幹線トラブルはじめ重大なインシデントが重なる体質は不気味なほど根深い宿痾を感じさせます。
 喜々と鉄道に乗り、レアな路線や車両に乗ることを楽しめなくなります。
 

自然は恐ろしい 状況判断も難しい

 昨日の大雪でいまだに家族が難渋している。
 京都市内在住の昨日は私も外出していて、午前はアラレとみぞれ程度だったし、時折晴れました。しかし3時過ぎから空気がとても冷たくなり最強寒波らしく、風も猛烈に強く厳しくなりました。そして5時過ぎには雪が一気に積り歩行も自動車運転もままならぬ状況になっていました。
 予想通りというか、予想以上の天気の悪化でした。JRが京都周辺で壊滅的な運行取りやめとなり数本の新快速などで、朝まで閉じ込められていました。そのなかに滋賀に通勤して帰る途上の家族がいました。
 早く帰れという指示や、代替手段の連絡も後手に回り、待てばJRも動くという甘い観測は何重にもミスでした。もっと早い段階でなら、京阪京津線石山に何とか移動して最終に間に合った可能性もあり、普段鉄道アナリスト的な話を書いていても状況に判断ミスを悔います。
 自然は侮れない。危機の状況判断にはあらゆる情報を検討し、ベストを尽くさないといけないと改めて思います。
 

各駅停車の人生でも良い

 昨日は、朝京都の自宅から大阪の日本橋、夕方に滋賀県へとややタイトな行程でした。往路は最寄の路面電車のような嵐電から阪急の準急(ほぼ各停)で日本橋まで大阪地下鉄堺筋線直通なので一度の乗り換えで乗り通しました。少し後発の特急に乗れば途中の茨木市で準急に追いつく案内も出ていましたが、そこまでほぼ各駅停車でもさほど変わらすゆったり行けました。

 青春18きっぷや、乗り放題の企画切符でついついタイトなスケジュールを組んでしまいます。快速から快速、ワープして新幹線などとすると、沢山進めるようで、駅間乗り継ぎでダッシュしたり、立って移動とハードにもなります。ゆっくりと普通電車で各駅停車の旅にも特急や新幹線にない醍醐味があります。

 特急や快速が通過する一駅一駅にできた背景があり、通学で利用する生徒や、高齢者、トイレがあり、改札があります。駅前があり、住宅やお店(営業しているかしていてないは別)があります。

 野村正樹さんという、サントリーの広告部におられビジネスや旅の著作を多数出されている著述家の2004年にだされた『嫌なことがあったら鉄道に乗ろう』という本があります。なかなか、人生の指南的部分もありビジネスマン時代から心のよりどころとしていました。

 世代交代、その引き渡す方の年齢になり、またその頃になって同年代や若い人、市井や公務員、いろんな人と会い、なるほどと再び感じることもありました。それぞれの人生は、鉄道車両や駅と一緒で新幹線もあり特急もあれば、快速や鈍行の普通も、路面電車や地下鉄もあります。

 人生のある時期は最速に駆け抜ける新幹線であっても、最高速度の世界記録を何年も続ける車両はありません。その時最新の車両でさえ5年も10年もしたら、最速の主力花形『のぞみ』などからは外され、二番手以下に格下げされ、やがて引退へ、速く多く長い距離を走った分リタイアも早いのです。

 在来線も特急や新快速車両は花形でもスポットを浴びる時期は短く、やがて普通や別の地方路線に転属もされます。鉄道車両は製造にお金もかかります。メンテナンスが良く、省エネで操作のしやすい車両は、保守点検や改造をしながら30年以上も地方の非電化区間やローカル私鉄で頑張っているものもいます。

 マイペースに、のびのびと、時に頑固なほどに淡々と毎日一つずつ駅を回っています。それを何十年とくりかえして、老いを迎える鉄道も車両もあります。

 鉄道の駅も、かつては町の中心や乗り換えの拠点、ジャンクションや大ターミナルだったものが何らかの事情で寂れて哀愁ただようローカル駅になっているところもあります。

 社会においても、花形とチヤホヤされる人もいれば、サポートに回りずっと影で支える仕事、外で汗水たらす仕事もあります。そして、どんなにエリートや花形だった人もいつか次世代に後を託す時は来るのです。長く走った、速く走った、地道に走った、多くのビジネスマンを乗せたか、ガラガラでも地元の高校生や高齢者に貢献した。それぞれの価値には優劣、何の違いもありません。

 引退する車両や廃止される路線、私のような廃線を巡るマニアも含め、そういうところに異様に人が集まるのはそういった惜別や哀愁の感情からでしょうか。

 もちろん、クルマや飛行機、夜行バスなども今は移動の手段で、路面電車や各駅停車の電車で揺られてなんてイヤ、グリーンやファーストクラスでないとという方もいます。好き好きでもあるでしょう。しかし、まあ知ってる路線でも知らない路線でも、一度ゆっくりと車窓を眺めながらの鉄道旅は非日常で心を癒します。

迷いながら道を歩き続ける   #ここはどこ#山の辺の道#念仏寺#六地蔵

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 私は外を出歩くのが好きな性質なのでしょう。仕事でも休日でも、籠ってばかりでは飽きてきて、フラフラと歩いて何かを見つけてそれを活かすのが生き甲斐のようです。かといって、本格的なハイキングやトレッキングでもなく、ましてた登山、マラソンには遠いです。
 知る人ぞ知るニッチな趣味として、乗り鉄やそこから派生した廃線跡探訪、街歩きで古い町並みや寺社を訪ね、ホーロー看板を探索するなどをしています。歩くのが嫌いな人にとっては信じられない10キロほどの距離を探索しながら夢中になって日暮れまでいます。感心する人もおられますが、ただ何も無ければ苦行のように、そんなに歩いたり走ったりしません。そこはマラソン走る人には感心します。

 ホーロー看板の場合、撮影も含め不審に思われるのと、ウロチョロと急に周りの予測のつかない動きをしますので、そのうちクルマに轢かれないか我ながら心配です。
 どうしても、山や森に入って探索や散歩をするときがあり、道に迷って「ここはどこ」という感じになるときもあります。ふらっと出てきているから、捜索とかされたら家族も知らず大迷惑で、そこも避けたいです。しかし、まあ明確な道しるべがあっての散策ではないのでとくに田舎では心配です。

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 比叡山の廃線跡で、帰りの駅への道を間違え、鹿に出会うけものみちに迷い込み、このまま日暮れたらどうしようかと思いました。
 先日も奈良の天理から桜井への山の辺の道に、急に思い立っていったもので、トレッキングに近い山道へ、入ってしまい、だいたいは歩けましたが苦労しました。何回かここでいいのかと分かれ道に悩みました。観光案内にもあった念仏寺では、いつの間にか墓地を通る道に入ってしまい、最後には六地蔵に出会えましたが、妙な体験でした。

 こんな日に一人で「ここはどこ」と思うような、自然以外に何もない長閑な場所に居れるのは不安よりも安らぎが生まれます。

 人生の歩みもそんなものでしょうか、ずっと決まりきった道を歩む人もいるでしょうが、必ずどこかで分かれ道に出会います。もちろん日々のんきに休むむこともままならず目の前に示された厳しいがまっすぐの安定した道を行く人がいてこそ、社会は支えられるのでそこに大きな意義はあるでしょう。
 社会は誰かが、新しい道、違う道を歩き踏みしめ、誰かが今までの道を護り、それで成り立っているのです。

 年末年始で、帰省のニュースなどが出ると、反面で孤独の寂寥が増す人がいますが、人間はしょせん一人でいろんな道を歩いているのです。誰の道が正しいとか、楽とか間違いも模範解答もありません。
 ただ、歩いていると季節や年齢、天気、体調、時間でもそれぞれ全く違う新しい光景が見られ「ここはどこ」と思え、また別の場所へと歩むのです。

 

ファミレスの思い出と、現在の風景

 ファミリーレストランというのは、もう1970年代から定着してきて盛衰や変化を遂げて、今に至っています。モールなどにも入っているが、日本の場合チェーン化された郊外型の駐車場のある店舗が多いようです。

 最近はタッチパネル注文システムが増え、ガストなどでは配膳のロボットまで登場しました。20世紀に夢やSFで想像されたロボット社会がほんの一部実現しました。
 とはいえ、まだ年配にはタッチパネルさえ難しいようです。慣れだすとオーダーの間違い、配膳の順番や場所の間違いなど、混雑時にありがちだったトラブルもなく、コストも削減でくるのでしょう。ファミレスのウエイトレスと言えば昔も今も主婦のパートの定番でまあまあ激務でしたがだいぶ変わりつつある時代です。

 若手の営業だったことはよく行きました。当時はドリンクバーやコーヒーはランチに無料か50円~100円でついていました。久しぶりにこの頃、昼間の外の仕事で外食機会が何度もあり、いくつかファミレスを訪れると、今はドリンクバー300円とかでお得感はないです。クーポンとかを使ってもランチで1000円を超えます。牛丼などとは価格的にワンランク上になり、それなら、細かく探せば割烹や居酒屋の昼営業で美味しくて安い店はありそうです。ただ駐車場や待ち時間、ロケーションの問題で、ついつい便利なファミレスが利用されるのでしょう。牛丼屋がいかにも、ブルーカラーの男性や学生が多いのに対し、ファミレスは女性や年配の方、家族やら同窓とか行事系も多い感じです。

 京都は和食系のファミレスも多く、七五三の流れで家族で会食されていたり、年配でしゃぶしゃぶか鍋の宴会をされていたりもします。

 先日は老婦人というかかなりのお年寄りの女性が、「ひさしぶりにこんなところで食べさせてもらえる」と感激しながらメニューを眺めておられるのを微笑ましく横から拝見しました。

 このご老人はひょっとして、施設か何かでなかなか毎日味気なく食事されているのかもと、つまらない想像をしました。家で凝って作ってくれる手料理や、グルメサイトに載るような店と比べ、馬鹿にしがちなところは反省しないといけないと思いました。毎日当たり前のように充実した食事のできることには感謝もし、いろんなところに人がいてさまざまな物語があるのだろうなとは感じます。

 

立冬:寒さに備える 季節はめぐり冬に

 春夏秋冬という言葉が日本にはあり、12星座でも春分がスタートです。一年の最後、冬は終わりの季節なのでしょうか。

 春に芽吹き、夏に花開き、秋に実を結んだものが、冬は収穫され蓄えられ、次のステージに備えるような1年にも思えます。24節気は旧暦なので実際よりも早いと言われますが、天気図ではもう北部、日本海側が曇天の日が増えてきています。今月末には北国は雪のところもあるでしょう。

 秋の祭りや、混雑した観光地や展覧会・イベントなどは避けて、ひたすら廃線跡だとか人気の少ないところを歩いています。

 なかなか、これが遺構、文化遺跡が巡れて面白い。何より美術館や博物館で人に押されて何も楽しめない性質なので、じっくり眺められるのが良いです。この高架橋などローマの楼閣、遺跡を思わせます。

 かつてそこに活力がみなぎり、繁栄があったものの盛衰を見るのは、何であれ意趣があります。

 晩秋なのか冬なのか、まだ厳冬と行かないうちに、歩いて楽しみます。

田舎の方が食事が美味しかった

 京都市の北西部に市内とは離れた広大な地域があります。平成17年3月31日まで京都府北桑田郡に存在した京北町。京都市右京区に編入され京都市ではありますが、長閑で牧歌的な山間にときおりまばらな集落がある大きな過疎地域です。

 仕事の管轄地域ですが、人口も少なく若者も流出しているためめったには行かないのですが、半年ぶりくらいで来訪しました。
京都市街から小一時間クルマで高雄などを通ってたどり着くとその自然の豊かさと風情に癒されます。町域も広かったので北にも東西にも多くの集落が点在していて、時間もかかり冬などは住んでいる人も買い物などには大変だとは思いますが、考えようではなかなか住みやすいところではないかとも思います。

 市街から1時間で水も空気もきれいで、土地も安いでしょうし、道の駅で買えるお弁当をはじめ、野菜なども新鮮で安いです。

 そのお弁当の安さと美味しさには感嘆しました。今は外食もコンビニも値上げの上に、ご飯の量が減ったりいかにも添加物保存料の多い濃い味付けがされている感じで辟易としていたので、このお弁当には脱帽した感じです。

 パソコン仕事や乗り物で移動中に目を使ったりしたためか、眼精疲労や頭痛がなかなかぬけなかったのですが、ちょっとした自然の多い田舎道のドライブは目の回復に良いようです。

 最近は古民家貸し切りの宿泊施設なども各地にできていますが、民宿や民泊でもこういった田舎にしばらく滞在するのは心身のリフレッシュにいいかなと思います。市街地にバカ高い世界一流のホテルが、これまた高いレストランを備えて林立していますが、京都市内なら今さらそこまで一泊にお金をかけずとも、周辺部で何泊か贅沢したいですね。

日本人の好きな「まがいモノ」はカラダに悪い?

 明治維新以降急速に西洋文化を取り入れ、戦中から戦後にかけてのモノの少ない時代にも、日本人は限られた中で知恵と工夫でいろいろ純国産でやりくりをしました。

 学問や文化も日本流に、日本人が応用しやすいようにわかりやすい翻訳をした先人の功績でもあります。

 戦中、入手が困難になった珈琲豆を大豆で代用した話もありました。
カップ麺へと続くインスタントラーメンが発明されたのも戦後の貧しい食糧事情からです。本家中華とは似て非ざるものになっていますが、今や百花繚乱のカップ麺が店先に並んでいます。
 ちょっと前の人はバターとマーガリンをごっちゃにしていますが、牛乳が豊富でなかった頃マーガリンは日本の食卓、給食にパン文化とともに並び出しました。トランス脂肪酸が身体に悪いので世界的には食されていないと言われだしたのは最近で、昔は植物性のマーガリンがヘルシーと言われた時代もあります。

 酒税を逃れて、お酒を安く味わうという日本の民間企業らしい工夫で発泡酒や第三のジャンルというお酒もまた沢山の種類が生まれました。今やメタボ対策、ヘルシーの要素も加わり、糖質ゼロとか、プリンタ体、カロリーオフ、ノンアルコールなども多く出ています。
 アルコールゼロの、ビールやワイン、チューハイ、日本酒のようなものもでています。それなりのテイストですが。それだけの味を作って、アルコールゼロ、糖質ゼロにするにはどういう努力がされ、何が入っているのかはどうも疑問です。

 そんな「まがいモノ」までして、チューハイとか味わうのは心理もよくわかりません。少し我慢して本物を飲めばと思います。肝臓のためや、運転するため、アルコールがダメなら水かお茶、普通のソフトドリンクでいい気がしますが、それだけニーズがあるのでしょう。

 カップラーメンに栄養バランスを考えた完全食が発売され、マーガリンもトランス脂肪酸が少ないものが発売されています。健康とまがいモノの境界は難しくなっています。日本人の知恵と庶民のリテラシーやどれだけお金持ってるかが問題になるのです。