故国に帰れなくても            思いは伝わる 帰らぬ人はそこにいる

 コロナ禍はグローバルな時代で自由に海外と行き来できた人々に大きな制約を設け、旅行や運輸産業にも壊滅的な打撃を与えました。
 かく言う私も国内にはいますがお金と時間さえあれば旅行したい鉄オタに分類される人種ですし、娘は海外旅行中心の旅行会社に勤めていてその打撃の大きさにも嘆きます。
 セミリタイアした富裕層は外国のリゾート地に別荘を構えて二重生活をするのもトレンドだった時代もありますが、カントリーリスクに加え日本への再入国の難しさが今や大きなネックとなっています。
 鎖国時代に戻ったようなと揶揄されているほど、日本を出ることは何とかなっても戻る際に2週間の待機は事実上旅行困難な大きなハードルになっています。
 オーストラリアも出入国が厳しく、そっちに行った友人はもう日本との行き来、里帰りは完全にあきらめています。
 
 戦争や内乱のない日本で、こんなにも家族に会えず祖国の墓参りもできないと嘆く向きも多いようです。
 イギリスなどコロナ規制を撤廃し始めている国にとって日本から来るのは易く、日本に入るのは難しいという片鎖国状態が続いています。
 円高時代を背景に年に2回の里帰りを楽しみにして、コロナでそれが不可となり、相当精神的にも参っているような友人がいます。
 ただ世界の多くの国、多くの人々はまだまだ恵まれていなかったり、軍政や戦争、内乱で自由な行き来も制限されている人は多いです。
 昭和40年代、フォークソングで南北朝鮮の分裂を唄った「イムジン河」という切ない曲が流行しました。戦争で南北分断となり戻れなくなった祖国に、川の流れや鳥の群れだけが自由なのを悲しむ内容の詩です。北への配慮で一時期発禁にもなりましたが、当時から朝鮮戦争以後二度と双方にの祖国の土は踏めない人々もいるわけです。
 私の学生時代や20代の頃、1ドル360円時代等海外旅行はかなり高価で難しかったですし、今でも日本にも海外はおろか、国内の旅行や洒落た外食すらままならない人もいます。
 中にはアメリカに留学していて、どうしても親の顔は見たくて2週間の缶詰覚悟でこの正月に帰国した方も聞きました。今はその気になれば海外との行き来も家族友人との通信も簡単です。
 日本にいたとして家族や友人がいたとしても、それなりの年齢になればいつか別れが来ます。それは人間、生き物の宿命です。どんなに優しかった父も、母も、連れ合い、友人、子供もいつか風になっていきます。逆に憎たらしい人、恨みたくなるような人が残るときもあります。
 愛した人と別れる。その人が風になる。その風は別に必ずしも祖国の墓にとどまっているわけではありません。歌詞ではないですが、それぞれ思いのあった、心を通わせた人達のそばに吹きわたります。
 旅行会社には悪いですが、航空運賃等いらないわけです。
 コロナ禍で嘆く向きは多い激変を一つ一つ見ると、やがて来ることだった運命が少し早く来ただけの場合があり、その覚悟が少し足りなかっただけだとか、やがて来るもっと劇的な変化への予告で準備を促しているものだったりします。そこは冷静に考えましょう。

駅の自動改札や五輪の違反。日本人が不公平に思う、欧州の「信用改札」          「バレたら厳罰」方式、日本の「速度取り締まり」「会計監査」は?

 海外の鉄道駅は、構内に入るのにチケットやカードが要らずオープンなところが多いです。欧州には改札機そのものがまったく存在しない国もあります。たとえば、ドイツやオーストリア、スイスなどがそれに当たります。プラットホームへの入り口には、入場時間を刻印する小さなマシンがあるだけで、構内へは一見、自由に出入りできるように見える。これを旅行ガイドブックなどでは「信用改札方式」という言葉で説明しています。チケットキャンセラー?初めて名前知りました。(東洋経済オンライン)

「改札機がなくて、駅員もいないのだから切符なんて買う必要はない」と日本人は考えてしまうようです。無賃乗車、キセル乗車はいけないことですから、そんな犯罪をまして海外で犯すことは国によっては投獄されますし、そもそも倫理にも見合いません。日本人が真面目でモラルに厳しいのではなく、ばれるシステムが怖いから従っているだけのようです。
 海外でも薩摩守(さつまのかみ)はいます。(薩摩守忠徳でただのり、無賃乗車犯)しかし捕まった時の罰則規定が日本より厳しく、日本が3倍の罰金(チケット没収の上、2倍の反則金)なのに対し、欧州だと概ね初犯で20~30倍の罰金となり、悪質な履歴があると取り調べのため留置される場合もあります。欧州では真面目やモラルではなく、厳罰が抑止となりチケットを目的地まで買うのが当たり前になっており、ガラパゴス日本らしい複雑で高価な自動改札機は必要なかったのです。
 ※旅の事情も各国のカード所有も変わり、今は国際カードで乗車できるシステムも普及しているようです。


 日本の場合、この改札に入るための全員への公平なチエックが日本人の気質にあっているのでしょうか。
 ドーピングやスキーの板やウエアの違反がオリンピック競技で話題になっています。好記録を出した後やメダルの確定後に抜き打ちの検査があって違反が確定したりすると、後味の悪いものになります。繰り上がる方は嬉しいような複雑なものでしょうし、無論違反となった競技者やその国の応援者は痛恨です。
 それならやる前に検査してという声や、全員にフェアにこういう検査をすると告知すべきとの声もあります。日本の改札はまさにそういう仕組みです。
 しかし、多くの状況でそんなことはやってられないのです。ルールやレギュレーションはもちろん公開されています。事前に検査をやるのは結局たまの割に基本意味ないでしょう。当然事後で(これは仕方ない)サンプルをピックアップして検査をするという言わばスケープゴード方式になるのです。
 ちなみに日本でも棚卸のチエックだとか、会計監査のチエック、システム管理の一部などではこういう方式で代表サンプルだけを確認しています。
 高速道路の速度取り締まりなども、まあそれが妥当な速度基準かはあっても、ネズミ捕りやオービスなど、予告の場合はあっても抜き打ちが基本です。先週は同じ速度で走ったのに大丈夫だったとか、前のヤツは逃げきっていたという愚痴をいっても言い訳は通りません。厳密な速度違反でいうと、オービスとカメラ連動をして全部違反にすれば公平です。
 でもそうなれば大変なことになります。まあそんな中で妥当な速度規制はどこくらいか議論にすればいいとも思います。
 実際には過度な一斉チエックは効率が良くない。日本でも場面により信用に任せてやっている。厳罰がないと審判や行政には威厳を持たせないとルールを守らない社会になります。仕方のないことです。 
 

嗜好品2:ビール

 珈琲の次少し悩んで、紅茶にするか。お酒にするか、お酒をジャンルごとにするか迷いました。
「とりあえずビール」にしました。
 生ビールのジョッキを、夏のビアガーデンなんかでキリット冷えたの飲む最初の一杯はとくに格別ですね。
 子供の頃はこういう苦みなどが全然わからず、20歳すぎても最初はそう美味しいとも思いませんでした。お酒の味がわかるのは30手前くらいからなのでしょうか。
 クラフトビール、地ビールというのもなかなか最初はなじめなかって今も個性的な香りはときどき後悔するのもあります。
 若い頃はキリンラガーがやはり飲み機会としても絶対的に多い鉄板的な定番でした。当時のアサヒやサントリーは営業面もですが、味でも大きく劣っていた気がします。大学の卒業コンパでアサヒが出てきて随分不満を言われた先生や学生がいました。
 その後スーパードライで絶対王者キリンを逆転した隆盛の随分前です。
 やはりスーパードライは家でもよく冷やすと美味しいです。
 この躍進がキリンの再覚醒を呼び、一番搾り産み、サントリーのプレミアムモルツを誕生させ、ライバルも他ジャンル含め次々と新製品を送り出しました。
 私は定番系としてはスーパードライと一番搾りはやはり完成された美味さがあり愛飲しています。

 嗜好品1:珈琲へのこだわらないこだわり

 珈琲は毎朝自分で淹れます。もうここ20年以上同じメーカーの銘柄の粉です。たまに貰い物や少し洒落た店で入手しいたものを挟みますが、朝のトーストと飲むのは安定の定番もので十分と思ってます。
 インスタントコーヒーは飲みません。美味しくなってきているようですが珈琲とは違うものと考えます。缶コーヒーも基本飲みませんが、貰う機会付き合う状況もありますので渋々飲みます。ブラックも昔よりマシなようですが、やはり缶はコーヒー牛乳ですから微糖程度でいんです。アイスコーヒーも飲みません、珈琲は真夏でもホットです。氷の解けて薄くなるアイスコーヒーはやはり珈琲と言えないと思います。
 珈琲には気分をシャキッとさせる覚醒の作用と、穏やかに落ちつかせる作用と両方あります。
 希少で高級な高い豆も出回っていますが、外で1000円も2000円も出してそんな高いものを常飲する気にはなりません。景色とか調度とマッチした雰囲気に多少のお金は払う気になりますが、珈琲だけならコンビニで100円で挽きたてが飲める時代です。
 ワインでもそうですが、自分の中の定番レベルがあればそれ以上の贅沢はしません。

 まあ 王偏の珈琲には独特の雰囲気があります。他に常用のない漢字というのも贅沢で無駄なようですが、こればかりは素晴らしい漢字の当て方です。

宮城県北部大崎市のお酒を呑む #宮寒梅

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 京都も底冷えで本当に寒い日々でお酒が恋しい時期です。
 宮城県北部米どころ大崎平野、古川の寒梅酒造という蔵元の「宮寒梅」を取り寄せて飲み切りました。
 平成23年(2011)に東日本大震災で仕込み蔵が全壊したものの、小さな蔵元ですが同年12月に蔵を再建され、新しいイメージのお酒にトライされたそうです。
 大吟醸ですが重みはなく、フルーティでかつ甘ったるさのないキリっとした味です。
 この1杯だけで嬉しくなるような、ほのかな香りと見事な味わいでした。
 日本酒はそんなに呑んでいるわけではないのですが、こんなに美味しいドラマが味わえるようなお酒があるのに驚きました。東北の人の長い厳しい冬から春を待つ気持ちが伝わります。
 ワインよりも飲みやすく、720mlしばらくの日々で2本空けてしまいました。
 

沁むる哀愁の鉄道物語

  今年は北陸本線の海沿い旧線廃線跡トンネル等を見て。敦賀までの新幹線工事の進捗もチラ見しました。全通から105年を過ぎた長大な鉄道、列車や駅に多くのドラマがあることが良くわかります。
 沁むる夜汽車の物語も各地の駅や鉄道の話をまとめ、本やBSの映像にもなっています。
 鉄道も最盛期を過ぎ。メインストリームは高速道路、クルマになっていく時代ですが、都市部も含めやはり列車や駅への哀愁は独特のものがあります。
 私の世代でさえ、SLが実質的に運行していたリアルタイムは知らず汽笛はせいぜいディーゼルのものですが、何となく心に深く刻まれる音色です。
 道の駅やSA、モールなどにかつての地方益、街の駅の機能が移され、異動された人もいるでしょうし、新設の新幹線やリニアに戻る人もでるでしょう。移動に長時間かかり、出迎えや別れ、列車の中での苦悶、喜びも嗚咽もたくさん乗せて時代を走り抜けていく鉄道です。

今年もいろいろ行きました

 遠距離出張の多かったサラリーマン時代に比べると距離は短い移動でした。
 切符を集める趣味ではないけど、なんとなく捨てがたいものを整理したり、譲ってもらったりで集まってきたものたち。行ったけど残ってないものもあります。
 今年はローカル鉄道と廃線跡散策にスポットをあてました。乗り放題切符等も元取ってるようでまあ不要不急で、飲食など含めると結構な出費といえば出費でした。
 コロナのフェイズアウトが来年こそはと思います。

 一人の命の重さ

 紅葉もそろそろピークを終え、風が冷たく冬の気配を感じ暦を見るともう師走、今年も1ヶ月ちょっとです。
 晩秋から冬はとりわけ寂しさを感じます。年末年始の欠礼の便りをいただくと、意外な方の御身内が亡くなっておられるのにも驚きます。
 毎年,日本中では100万人以上の人が亡くなっています。大きな事故や災害、ガンなどの病気等、統計的に分析してみると数字になって実感はつかめないです。お医者さんや、相続や死亡の手続きする人、葬儀屋さんなどは毎日他人死に関わるのですが、いざ自分の目の前にそれが来るとやはり悲しいし、怖いものです。
 自分の身内の死、あるいは自分に差し迫る死、これは100万分の1ではなく、1分の1に見えます。
 コロナ禍の規制、自粛要請は緩みつつありますが、その状況下でコロナ罹患もあれば、他の病気、事故もああります。
 自分や家族が直面した死、その死のトリガーとなった原因を人や遺族は恨みに思います。これも仕方のないもので、何かのトリガーは恨まれてもしかたないですし、それを完全に予測して、抑えきることは難しい場合も多く、一つの原因を抑えると他のところが犠牲になる場合もあります。ワクチンの効果と副反応等もメリット、デメリットがあるのと同じです。万能な対策などありません。経済対策、水際対策も同じです。どこかで線を引くと必ず他方に不満がでます。経済を再興しないと自殺や困窮が防げないですし、それによってやはり感染の可能性も広がります。
 紅葉の葉もやがていつかは落ち葉となり流れおちていくように、人の命も栄華も尽きるときがあります。紅葉が一葉、一葉落ちたといって落胆していられないように、役割が果たされたことを厳かに受け止めていくしかないと思います。

北陸新幹線開業で先々代トンネルになる明治の遺構

明治時代の遺構、北陸本線敦賀周辺の旧線レンガで作られたトンネルです。昭和38年長大な新線の北陸トンネルができたため、いままでのルートは廃線となりました。廃線の跡の公道を散策しました。
 いくつかのモニュメント、水の滴る天井、ところどころ欠落したレンガの壁に歴史を感じます。1キロを超すトンネルでは機関士は煤煙で窒息死に至った場合もあり、トンネル工事での死者とともに多くの犠牲者がいたことも分かります。
 鉄道ができる以前は、人間が歩くか、馬か船ぐらいだったでしょう。
 そして敦賀までいくと現在は3年後の開業を控えた北陸新幹線の工事現場が見えます。さらに新しいトンネルと軌道ができると、現在の路線は旧線になります。明治にできたこの廃線は先々代ということになるのでしょうか。
 現在の技術ではトンネルで死者も出さないでしょう。時速300キロの高速鉄道が駆け抜けて明治はどんどん彼方の過去に追いやられます。
 しかし犠牲を伴いながら一歩一歩近代に進んだ日本の歩みは、いつまでも心に刻んでおきたいものです。

引退を労い、ただそれだけ #岩田稔投手

この時期の例年スポーツ界から、引退のニュースを聞きます。
横綱 白鳳や、ハンカチ王子斎藤佑樹の報にも感慨がありました。
私にとっては、阪神の岩田稔投手が今シーズン限りの引退を表明したことが、少しショックでした。
1型糖尿病を患いながら、「自分が頑張ることで、同じように糖尿病と戦っている人たちを勇気づけていきたい」の思いに当時小学生だった息子が大変勇気づけられました。糖尿病ではないものの腎臓の慢性疾患を患い、仙台の病院から京都に移った2008年頃です。東北楽天の応援は親に引っ張られた感じでしたが、関西では友達が阪神を応援しているので、自分で学校から帰ると阪神戦を観戦して応援しはじめました。
糖尿病を患いインスリン注射を打ちながら、ローテーションに入ってWBCに選ばれるほど活躍する岩田投手の話に、息子は勇気づけられたようです。
この頃、妻も乳がんの嫡出手術から薬物療法を受け入退院、残された娘とともに、結構厳しい家庭生活で、会社の仕事もなかなか集中できないほど父娘とも心が病みかけていました。
一度、奮発して4人そろって阪神対中日戦を大阪ドームの内野席で見にいきました。息子とても嬉しかったようで、新聞を切り抜いて絵日記にしていました。
どん底とは言えたこの時期、4人とも何とか明るく振舞って、乗り切れたことを今でもよく頑張れたと思い返せます。
その後、何とか毎年の生検で小康状態を繰り返し、小児慢性特定疾患から指定難病にキャリーオーバーはしたものの、息子は大学を卒業して企業にも就職できました。妻も当時の癌のステージでは多くライフイベントを諦めかけたほどだったのが、考えれなキャンサーサバイバーとなって通常に生活しています。
岩田投手自身が多くの糖尿病を患いながらも頑張った先輩に励まされ、自ら基金も作り慈善活動をされていました。
いろんな思いの詰まった引退発表、号泣されていた姿にこちらも目頭が熱くなりました。
アスリートの引退は年齢的には若く、まだこれからの人生の方が長いので、それもまた大変ですが、それぞれ素晴らしい現役生活を胸に刻みながら、元気で頑張って欲しいです。