頑張りすぎない運動、ウォーキング

 ウォーキングなどの健康関連のお話を前にも書きました。いろんな説もあるのと、年齢やそのれまでの運動経験、体形などにもよりますが、真実に近いことは概ね一つの方向にあります。
 1日8000歩くらいを目安に毎日ウォーキングするので十分です。仕事などで一日動くような人は、準備運動的にしっかりストレッチも加えて、800歩ぐらいで十分です。
 そこは、ウォーキングで得られるメリットはほぼ十分満たされ、だんだん疲労からのリスクのデメリットが上回り出します。
 若い頃から、アスリートだった人や、よく運動して、長い距離を歩いたり走ったりが得意な人ほど、万歩計や歩数アプリ、スマートウォッチなどの歩数クリアやチャレンジを意識しすぎて、この罠にはまりやすいのです。
 情報が錯綜して、都合のいいものを取り入れがちになりますが、たとえば短期間にダイエットして、リバウンドせずに維持するためにはある程度の運動量が必要なこと、これも間違いではありません。マラソンやそれに近いパフォーマンスの、年をとってもチャレンジしているなら8000歩や800歩は屁でもない、私は2万歩以上、いや5万歩だとかになります。
 ジムのインストラクターから、さまざまなプロの総合的指導を受けているという方も、突っぱねる話かもしれません。
 どれも正解でもあり、ある意味間違いなのです
 少し、わかりやすい説明として乗用車に例えるとします。クルマを中古で買うとき、やはり年数と走行距離は気になるはずです。新車から10年経ち、走行20万キロの車と1万キロのクルマなら、整備状態もありますが、まず走行距離の短い方を選ぶでしょう。

 クルマなら20万キロも走れば、タイヤはもちろん、ブレーキやらいろんなパーツを交換します。きちんと整備されれば乗れます。しかし、人間は義歯やらはあるものの、摩耗するとタイヤやワイパーゴムのよいには交換できない身体部分もあります。
 それが人間でいうと膝や股関節などの軟骨です。心肺や脚の筋肉は鍛えられますが、膝の軟骨がすり減ると痛みで歩けなくなります。歩けなくなると、急に人間は不自由になり、筋肉も心配も脳も衰えだします。
 経年、使い過ぎ、疲労の蓄積でありがちなのが、膝や股関節の傷みです。肩のあたりも腕とをつなぐ軟骨があり、ここも経年で四十肩などで激痛を伴いますが、歩けないよりは少し不自由度はマシです。
 膝への負担は何が多いかというと、階段を降りるとき、坂道を下るときなどです。軽いジョギングでもウォーキングでも、着地している際に負担はかかっています。2万歩とかになると、歩き方にもよりますが、相当なアップダウンもあったと思われ負担は大きいです。
 京都の街に久しぶりに来た友人が、子供のインスタ映え狙いの写真撮りにつき合わされ一日中歩き回り、30キロ以上歩いて、自分はまだまだ若い大丈夫だと、アップされました。で、その翌々日から何週間かダウンされたという話もあります。
 元アスリート系の人の方が、自分は大丈夫、8000歩くらいでは物足りなく思え、逆に運動をしないで美食やメタボの人は、8000しっかり歩くのもかなりのハードルの高さです。真実に近いことは概ね一つの方向と書いたのはこのことです。
 
 負担を軽減するには、歩幅を広くして、足を下ろすのはつま先ではなく、かかとを下ろす。腕はできるだけ肩を回すぐらいで、手のひらを払う感じでよく降りながら歩いてみてください。結構なハードな歩き方になるので、距離は稼げても800歩くらいで心拍数があがります。
 あとは止まったり、メリハリをつけてゆっくり歩いたりしながらでも大丈夫です。
 膝の屈伸、太股や股関節に力を入れて、足首を伸ばしたり回したりする運動を繰り返すと軟骨を補助する筋肉がつきます。
 ウォーミングアップもせず悪い姿勢のままで、歩きき続けるのは、悪い姿勢のまま机に向かい仕事するのと変わらない。軟骨にも負担が続き、心肺にも悪いことになります。
 一日中、デスクワークとか、移動で電車や飛行機、クルマに乗る場合もこの運動をしておけばウォーミングアップから軽い運動につながり疲労が軽減されます。一日の仕事や移動で元気でいれるか、疲労が蓄積しやすいかは、毎日の準備運動、整理運動にかかるところも大きいのです。
 ジムは悪くはないのですが、ダイエットなど目的がややズレる場合があります。身体の全体的なエクササイズや、好きな運動に偏ることもあります。膝と股関節だけでも保ちたいときには、要らない時間とお金、および要らない部分の運動も含めてしまうことに留意しないといけません。

目的あるウォーキングは長続きする

目的あるウォーキングは長続きする

野球スポーツビジネスとして進化?

 WBCが平日の昼間でありながら、日本が決勝でアメリカに勝った試合は最近の地上波テレビでは記録的な視聴率を叩きだしました。野球の人気、ビジネスの可能性を改めて認識させられたエポックでもあります。コロナ禍でのスポーツイベントの低迷を吹き飛ばし、昨年W杯で盛り上がったサッカーの代表戦を長年羨んでいた野球界としても、してやったりの快挙でしょう。

 しかし、この盛り上がりをどうNPBに繋ぎ、アマや少年までの球界全体の底辺まで伝えるかはこれからの課題です。野球を長年見てきて、バントやゲッツーなどの戦術ぐらいに当たり前に知っているのはオールド世代です。WBC の放送で、ルールや用語解説がテロップに出ていたように、野球の複雑なルールや、戦術、大会規定など知らない世代が増えているのです。

 観るだけでいうと、野球は細かいルールや醍醐味を知るまで覚えることは多いです。申告敬遠で不満を漏らすなども野球を知っていてこそです。ルールもですし、相手の力量など背景を知らないと何のことか分からず面白くもありません。サッカーに比べてもルールも複雑ですし、テニスやボクシングなどの個人競技に比べたら難解な上、人数や、用具、グラウンドなど普及は簡単にできないハードルの高いスポーツです。

 日本で野球が根強い人気のあるコンテンツであることは今回改めて分かりました。そしてあれほどのトップレベルの試合も観つつ、NPBのオープン戦や高校野球にも人は集まっています。それでも懸念はあります。

 ひと昔前の巨人一強独裁時代でセリーグ中心からは改まっていますが、新規参入を拒む古い体質の業界であることに変わりはありません。
 確かに、以前はお荷物だったパ・リーグが南海のダイエー(現ソフトバンク)買収に始まり、千葉へロッテ、北海道に日ハム、そして楽天が仙台に本拠となり、所沢の西武、大阪のオリックスも地域に密着したファンサービスで動員を増やしました。独立リーグも出来ましたが、これだけの野球人気のある日本でトップリーグが12球団しかないのです。NPBが地方巡業をしながら独占していること自体がやはり発展を閉ざしているのです。
 サッカーのJリーグや、一度再編されたバスケのBリーグなどは、実は野球人気やその試合数からして、動員は随分少ないし、やはり人気にないチームは経営も苦しいのですが、業界としては競争原理の働く、健全さがあります。

 NPB、日本のプロ野球は未だに企業名を冠して、大手企業の広告を担っています。そしてNHKはじめ全てのマスコミが、タイガースやマリーンズと呼ばず、「阪神」「ロッテ」とか「ヤクルト」という企業名を連呼します。このあたりから野球界の談合体質、排他性が残っていることが見えます。たかだか6球団ずつの寡占状態では澱みが生まれます。WBCの成功はNPBの成功ではありません。このままではメジャーへの流出が止まらなくなり、NPBはメジャーのマイナーリーグになり結局基盤を失いかねません。

 MLBにしろNPB にしろライバルがいない独占状態で、排他的な一人勝ちであることが底辺の拡大へかえって問題になっているともいえます。一団体が権力を持ちすぎると、ガバナンスが効かなくなり、老害的権力が居座ります。マスコミもよほどでないとお調子記事だけになり制御が効きません。
 人気面も含め、世界的にはサッカーのようにいくつもの国に切磋琢磨できるレベルの高いリーグができることが理想かと思います。日本では16や20くらいの地域クラブから昇格したプロができて、アマとつながっていくことが裾野を広げます。教師のブラック化や一部の指導者のカリスマに頼るような学校での育成はもう限界でしょう。
 名指導者は学校ではなく、クラブに抱える方が健全です。企業や学校の宣伝のためにスポーツが使われることから脱却されないといけません。

WBCあえてアマノジャクに問題を語れば

 WBCは予想通り日本では盛り上がり、準決勝で劇的なサヨナラ勝ち、決勝でも本場アメリカに競り勝ち、ドラマや漫画のような展開で予想以上に盛り上がりました。
流れに竿さす逆張りでもなく、コロナ禍や物価上昇などで元気のなかった日本に侍ジャパン世界一のニュースは素直に良かったと思います。

 最後に勝ったのが日本なので、これ以上の興奮はないわけです。日本は史上最強のメンバーを選りすぐり、決勝ではもう登板しないと言われていたダルビッシュ、大谷がリリーフ登板して締めくくりました。

 誰もが日本の優勝に快哉を叫んでいる時に、繰り返しですが水を差すつもりはないですが、少しだけアマノジャクとも言われるかもしれません。課題点というかあれっと疑問に思ったことを挙げておきます。
 まず、大会のレギュレーション、組み合わせが準決勝になって急に変わった件はやはり問題です。結果としてアメリカと日本の決勝戦、まして大谷とトラウトの夢の対決が最後で良かったという向きもありますが、それを許しちゃうともう、大相撲やプロレスレベルになります。優勝候補同士が、決勝までで潰し合うのも真剣勝負でのレギュレーションで仕方のないところのはずです。サッカーのW杯でこんなことは考えられません。まだまだ、花相撲的な大会だという印象を強めた今回の突然の対戦変更でした。日本の21日祝日準決進出は決まっていたと考えてしまうと、全てが〇百長でないにせよ、この決勝戦を主催者側が強く推したっぽく感じられてしまいます。

 メキシコはメジャーの主力投手2人が日本戦前に所属チームとの申し合わせで離脱しています。メキシコの3番手や4番手は正直力もコンデションも今一つで日本の逆転劇に繋がりました。あそこまで日本のメジャーリーガーが身体を張り、気力を漲らせ、決勝まで出まくっていることを考えると、限られた条件の相手と一方的にガチンコしているようで、これはと思います。もちろん、日本が最強メンバーをそろえガチに優勝を狙い勝ったことで、大会の価値は上がり次回以降相手もメンバーを揃え盛り上がる成長過程の大会であれば、それはそれでいいのです。
 シーズン前という期間も問題はあります。プエルトリコのクローザーでメジャーのメッツの守護神でもあるディアス選手がドミニカとの激戦を制した勝利の後、大怪我をしてしまったのも難しい問題を浮き彫りにしました。競技に負傷はつきものですが、メッツとは5年135億の大型契約をしたばかりの選手の負傷は、シーズン前の大会の位置づけを難しくします。試合中ではなく、終了後のアクシデントなので何ともですが、1シーズン棒に振った選手も球団も真っ青です。
 その他の選手、日本チームも、鈴木誠也外野手、栗林投手が体調面で直前辞退、源田遊撃手が負傷しました。その他の選手も普段の年とは違う時期から違う環境での練習や、移動、試合を経験しました。日本は優勝しましたし、今回集まったメンバーがこの経験を活かし成長するとは思いますが、今シーズン疲労蓄積での故障や、不調にならないとは限りません。逆に温存した国の代表や、辞退した選手が代表選手を上回るケースも出てくると、大会の評価は変わってきます。

 栗山監督は、選手時代は決してスター選手、大選手ではありませんでしたが、マネジメント力は大いに評価されています。元日ハムの監督だった彼でなければ、大谷やダルビッシュを招集し、あそこまで投げさせられなかったとも言われます。
 しかしそうなると今大会の優勝というのは、選手の力量や監督の采配というよりも、折衝力や政治力の意味合いが強くなってしまっています。予選リーグから準決勝まで日本の選手層は他国チームを圧倒していました。良い選手をリミッターなしで集められれば、へぼが監督をやっても勝てます。かつては胸を借りた大リーガー、日本なりの弱者の戦術などが入る余地がない感じなのは、複雑な思いです。
 潤沢なメンバーにしたため、パ・リーグの本塁打王がほとんど代打だけの控えに甘んじ、セーブ王もほとんど出番なし、追加召集選手もほとんど出番なしで終わりました。ある意味そういう冷遇がイヤなのと、チームとの調整で辞退した選手もいます。今回選ばれて使われなかった選手も文句は出ない雰囲気ですが所属のファンとしてはやはり失礼な扱いと言えます。連携を試し、調整をはかるオープン戦の大事な時期にほとんど出番なく終わった主力を迎えるNPBの球団も、本人も複雑なはずです。興行的にも、活躍した一部のNPB選手はいいとしても、出番のなかった主力の球団は難しいイメージがあります。
 野球というのは、攻撃と守備がある程度力量が合わないと、全く試合が終わらないし、面白くない難しい面を持つゲームです。世界大会に、国籍では強い選手でチームが集まらず、メジャーから日系などルーツ選手を貸し出す許可をするなど伝導の意味合いもあるのです。それもゲームや大会を面白くするためです。

 それならば、勝つだけではなく、召集した選手はちゃんと出番を作らないと、疲労など関係なしに連投とか出番が偏るのでは、勝った方はいいですがその場限りで誰もが面白いゲームになりません。
 球数の制限もなのですが、せっかく細部をレギュレーションで決めれば、もう少し突っ込んだものがないのかと思います。
 何だかもどかしいことが多く、そうなるとつまるところ、WBCの優勝ってどれだけの価値があるの、代表を選ぶところでシャカリキになった国って日本だけじゃないかとなります。大谷が真剣な表情で必死になり叫ぶ、村上が苦悩から立ち上がる、近藤や吉田の冷静でもスゴイ技量、佐々木をはじめ投手陣の粘投、どれも否定するものではないです。選手が頑張っただけに、その周りの人も含め、今後もしっかりした大会にしていくように関係者が熟考していくのと、少なくとも今シーズンはWBC選出の選手たちが怪我無く活躍することで、優勝の価値をさらに高めるのだと祈念します。
 個人的には私は実力世界一を野球で決めるのは一発勝負では難しいような気がします。サッカーのような多くの国に広めたいこのような大会はエキジビション的な意味では必要です。それとは別に、どうぜ強豪国の数は限られるので、ラグビーのような対抗戦にしてホームアンドアウエイの数試合戦い雌雄を決するガチンコの実力世界一決定戦が良いのではと思います。

フルマラソン健康長寿なのかな

 職場同僚、同級生、見ているテレビのMCなどが軒並み直近開催のマラソンにトライして、ほぼ完走ばかりでした。
 同級生等齢63歳で奮闘には頭が下がります。
 しかしマラソンは健康に良いのでしょうか。
 マラソンが長寿、健康に繋がるかというのは概ねそうなのですが、ケースバイケースでもあり一概には言い切れません。
 こう書くと走れない人間のアマノジャクと言われそうですが、30キロ以上をアスリートでない人が、走ることもは当然場合によっては危険でもあります。

 元々運動不足でメタボ系の人にしても、運動するのに超したことはないですが、いきなりは負担が大きいです。心臓、肺など健康にプラスなのはせいぜい1日2キロのランニング程度で十分です。

 一番怖いのが膝です。マラソンとか長距離のランニングやウォーキング、ハイキングなどで無理をして膝の軟骨や半月板、関節、じん帯などに負担がかかり痛みを伴ってきます。アップダウンの多いコース、特に下りなどで発症すると、日常の歩行にも支障をきたします。

 いつまでも若いと思いこみ、ギリギリまで頑張りたい、前年と同じことはしたいと焦ることで結局墓穴を掘る人がいます。膝は複雑でデリケートな精密機械のようにできています。一度損傷するとなかなか完全に元には戻らず、歩けないことによりメタボをはじめ一気に老化は進みます。
 スポーツしまくる、徹夜で仕事しまくる、旅をしまくる人もそうですが、高齢でも若い人でもいつかどこかのタイミングで身体に無理が利かなくなります。 
 膝の軟骨などは消耗品で長持ちさせるには使わないことです。筋トレで軟骨の周りを鍛えるのは正解ですが、限度があり完全な代替は無理です。ボチボチでも毎日着実にがいい場合もあります。

早春 Jリーグ30年目の開幕

フクジュソウ

 早春とは言え2月まだ寒い日も多く、北日本はこれからまだまだ寒波が来ます。それでもスポーツ界は、春シーズンの到来というニュースで盛り上げています。
 サッカーは昨日2月17日にJリーグの開幕戦、今日は各地のホームで試合が始まります。今年は30年目を迎えるJリーグの節目で昨年W杯での盛り上がりをどうつなげるかというところです。コロナ禍での無観客、動員制限、声出し規制がようやく撤廃されます。

 30年というと、やはりもう長いです。その前の20年ぐらいは日本サッカーは本当に低迷してマイナーでした。代表戦の国立競技場でもガラガラ、日本リーグに至っては1000人も動員できない漢字でした。
 今でも代表戦に比べると、Jリーグの人気は世間に広い拡散とは言えませんが、地元の開幕での盛り上がりは隔世の感がします。それぞれの地域にチームがあり、アウエイまで旅行して応援に行くコアなファンが増えているのもスゴイところです。NPBでもそうですが、ユニフォームやグッズの購入額の増加が顕著でしょう。バブル期以前は皆無に等しかったこういう顧客囲い込みのマーケティング戦略、関連販売の儲けなどで経営を支えていそうです。
 とはいえ、私の地元の京都でも実際に月2~3度のホームゲームが街の話題の中心になっているとは思えず、ワールドカップ人気がサッカーに直結するわけではなく動員を上げるのには難しいところです。
 コアなファンから、ごく一般的なミーハー的を動員して魅力や面白さを知ってもらうアイデアが必要なところです。
 終盤での優勝争いや降格争いというものは、最終的には興行のキラーコンテンツになります。しかし序盤や中盤ではどう盛り上げ注目すべきなのか、降格を逃れ優勝には届かないチームも終盤には増えてくるとき、本当にサッカーの面白さがを伝えないと興行としても難しいです。そこに未来の『ミトマ』クラスのスター、野球でいうと佐々木や村上、大谷クラスの見たくなる選手が認知されることも必要でしょう。

 ただ、これはスターありきではなく、競技の面白さが伝わらないと話になりません。報道や解説もそこらあたりを分かり易く、面白く伝えることも求められます。『ミトマ』とか『ドウアン』『クボ』といった代表のキラーコンテンツに未来にはつなげる選手を見つけ、戦術があること、また緑のキレイな芝で単純に選手が動く、ボールを奪い合う面白さをナマで見て存分に味わって欲しいものです。

新春スポーツ雑感 #W杯サッカー#高校サッカー#大学ラグビー#駅伝#WBC

 値上げとか増税や戦争の話が多いので、せめて爽やかになるかどうかは別にして、スポーツの話にしましょう。昨年は12月にかけてサッカーW杯があって、日本代表も活躍して大いに盛り上がりました。
 ただ、年配の方のスポーツ紙の見方などを観察していると、やはり年配の方は野球なのかなと思います。森保ジャパンが試合のない日にさえ1面だった頃は、巨人や(関西だと)阪神が1面に来ないので、ご老人が何人か寂しそうというか所在なさげでした。

 サッカーファンとしては、代表が注目されたので嬉しい面もありますが、Jリーグで活躍している選手がほとんどいなかったのは、これからJの人気につながるかは、ちょっと難しい面もあります。Jリーグの黎明期は、全員ほぼ国内組だし、その後も半分ぐらいに増えだした頃までは、代表がW杯で注目されると、その後あの選手を見にいくという感じでJリーグが注目されたものです。今は、サッカーそのものの地元やひいきを応援するか、将来ビッグクラブやW杯に行く有望株を見に行くという、ややコアな見方になります。
 高校サッカーもW杯ばりにPK戦も多くあり、戦術も優れていてなかなか楽しめました。

 個人的には、ラグビーは大学はおろか、高校も何だかあまり面白く見れません。底上げとか将来を期待するのは、サッカーと同じなのですし、W杯も盛り上がるのでしょうが、何だかそことつながりません。体格差というのか、実力差が大きすぎるのが興ざめの大きな要因です。
 大学で優勝した帝京大は、今や大学レベルで伝統の早明や関西の上位校も寄せ付けない強さです。帝京大に50点以上差をつけて負けた選手権出場大学が、1回戦ではさらに地方の大学に大勝しています。その地方の大学も地方リーグでは優勝しているわけで最下位の大学には圧倒的な差をつけているでしょう、さらに、その下に下部リーグがあるようです。そして大学の頂点、帝京大でもトップリーグでは歯が立たない。その日本のトップチームもNZ当りとは大きな差なのです。
 サッカーや後述する野球には連戦のコンデションなどにより番狂わせがあります。ラグビーは拮抗するレベルなら、スコアの動きも試合も面白いですが、実力差のある弱者が勝ち切る戦略がないこともあり、大差がついて興ざめしていしまう試合が多いのが難しいところです。
 野球でも、応援に行ったひいきのチームが、大差でいいとこなくボロ負けはあり、ラグビー並みの大差と揶揄されます。しかも野球は次は勝ったり負けたりしますが、ラグビーのシーズンでの序列は変わらないです。
 それとお金がらみもですが、国内のトップリーグチームもそう人気はなく、かといって世界に金満なメジャーやプレミアがある訳でもなく。ラグビーでプロになって大金という道は狭く若い人も大学あたりで「もういいか」になってしまうのかもしれません。
 これは未だに、大学が人気の頂点になってします駅伝にも言えます。正月の2日、3日に行われる箱根駅伝は物凄い視聴率ですが、そこから巣立った学生を受け入れる実業団の元旦の駅伝はそこまで人気がありません。マラソンこそ五輪で注目されますが、駅伝はそもそも世界的には存在しません。ここらあたりが、視聴率的にはキラーコンテンツながら、学生の多くがここで半分燃え尽きている原因かもしれません。人気がないと、お金が回っていかない悪循環です。

 野球は、その点はお金は潤沢すぎ汚くなるほど回っています。(そこは今回は書かないでおきましょう)大学こそ今は人気はないですが、高校野球があり、伝統と地元に定着したNPBがあって、そのはるか上に夢のような高年俸を貰えるMLBがあります。サッカーに比べ1強でシンプルな構造です。バスケ、アメフト、アイスホッケーも米国では人気でお金も稼げますが、やはり今だと大谷をはじめ多くの日本人メジャーリーガーが活躍している野球の構造は日本のアスリートにとって、サッカーと並んで憧れでしょう。
 サッカーファンは「野球なんか世界的にやってる国が少ない!WBCなんて、サッカーのW杯とは比べ物にならない」と言い野球ファンとよく争いにもなります。それは、まあ意味のない議論です。
 それぞれ、楽しめば良いのです。日本のNPBはMLBに次ぐリーグですが、アメリカとドミニカあたりはMLB現役のスター選手が多く、日本も優勝となるとそう簡単ではありません。五輪とはがらりと変わり準決勝あたりからは、勝敗はクロスしたゲームが増えそうで面白いとは思います。

 ただ予選リーグはまだ、無理やり寄せ集めたような国もあり、課題はありそうです。本当に野球人気があり力のあるのは数ヵ国です。
 ここは別に意地をはらず、上位国だけの大会でいいと思います。
一発勝負を排し、強豪国同志が2~3試合ずつ戦った方が、チーム力の優劣が分かるので、盛り上がる気がします。
 現状では予選リーグはまだ、無理やり寄せ集めたような国もあり、課題はありそうです。
WBCの強豪国はだいぶメンバーもMLBが入り面白そうですが、それだけに一発勝負のトーナメントは実力世界一といくかどうか。シーズン前なので、投手をはじめケガや疲労への配慮が難しいところです。エキジビション的な色合いでいいのではと思います。真剣勝負でないとと日本では何かといわれますが、オールスターだってさまざまな制約や配慮の中、セパは勝利を追求して真剣に勝負しています。
 例えばクローザーにしろ、キャッチャーにしろ一人に決めるのではなく、2~3人で回す方が良い気がします。好不調や相性も見極めながらですが、東京五輪の広島栗林のように一人に決めてしまい、連投でその後のシーズンをもし棒に振ることとかはあってはいけないです。大谷や、佐々木、山本にしろ万が一にもシーズンを大きく出遅れたり、長期欠場ではチームのファンも困ります。
 それと戦術面で、同一リーグのキャッチャーにピッチャーが全ての球種のクセを知らせるのは不公平でもあり、プロなら全部は委ねないでしょう。そこにも無理があります。かなり配慮が要ります。

 そこらあたりを、気取られないぐらいの層の厚さで、面白い野球を見せてくれればと代表いは期待はしています。
 大谷や村上、メジャーの野球を見ていると日本の野球もこれから大きく変わるかもしれないと期待はします。
 個人的には高校野球はいわゆる犠牲バントなども禁止にして、全員が大谷や村上、柳田、山川を目指せせるようにすればいいと思います。勝つための確率論でもなく、精神論の指導や教育のためになってしまっています。それがために野球が楽しくなくなることは、競技人口が減るこれからの世代の野球の大きな課題です。
 古い価値観での戦術に拘り、強行策でダブルプレイなどすると「あそこはバンドだ!監督は野球を知らない」と居酒屋でぼやく老人は日本中にいますが、それはボヤキは自由としても日本の野球もいつまでも「犠牲」や「スモール」ではいけません。大谷、村上あたりの世代が指導者になって大きく変わるところもみたいです。

昭和は遠く2 #昭和のプロレス 書評#猪木と馬場 #1976年のアントニオ猪木

 平成が終わり、昭和がますます遠くなった感がある今年、昭和を代表するプロレスラーアントニオ猪木が亡くなり、すでにだいぶ体調は悪かったようですが、我々の年代の多く特に男性ファンが訃報に接し、呆然と時代の流れを痛感しました。
 プロレスに全く興味の無い方は、晩年の猪木はエキセントリックな政治家としてや、バラエティのビンタなどで、変なおじいさんとしか認識されていないかもしれません。
 今回、今年書かれた「猪木と馬場」(斎藤 文彦著)で改めてその生涯とライバル、ジャイアント馬場との長い因縁を振り返ると、まさに猪木の輝いていた昭和しかプロレスをあまり見ていないことを悟らされます。本当に昭和の子供から学生、若手の社会人だったころ、猪木と馬場の競り合いに一喜一憂していたことと、やはりプロレスは真剣勝負というより「ギリギリの興行で、その境目に面白さがあったということです。
 馬場も、その弟子鶴田も亡くなりましたが、その以前から平成に入ってからのプロレス、全日本はとくに見ていないし、どちらかというと戦後すぐからの長い歴史を淡々と綴るこの本で初めて知ったことが多いぐらいです。昭和の最後の頃は、猪木も欠場が増えだし、馬場よりも体調が悪い時期が多かったとかいうのも気づきませんでしたし意外でした。


 もう一冊、2009年の上梓で「1976年のアントニオ猪木」は柳澤健氏の著作。同世代の著者のデビュー作でかなりプロレスのガチ、深層に迫った玄人というか、ドラマとしても面白い問題作です。格闘技戦の柔道王ルスカ戦、ボクシング王者モハメド・アリ戦、完全に切れたファイトとなった韓国の実力者パク・ソンナン戦、パキスタンでのセメントマッチとなったアクラム・ペールワン戦。それら前後の背景も含め、よく書かれています。
 今は暴露系の動画サイトや、昭和プロレスの詳細記録のブログなども見られます。反社的な事件も多く、猪木も何度か監禁やらリング上でのピンチを逃れてきています。


 馬場、全日本との競争で言えば、ついに実現しなかったのが二人の対決であり、これは昭和のファンはみんなが思い込みもあり、対決して欲しかったけれど、無理だった事情も分かります。

 この前年、1975年には全日本が年末にオープン選手権という豪華選手を集めたリーグを開催して猪木の新日本にも参加を呼び掛けました。シリーズ中の力道山十三回忌興行にも、力道山の弟子として百田(力道山)家も巻き込んで、ふだんは馬場への挑戦を叫びながら、参加できないのかと、猪木を不義理、弱腰と追い込む作戦で攻めました。
 猪木が、リーグ戦に参加すれば、シューティング(真剣勝負)に強い外人レスラーを次々ぶつけ、馬場戦前につぶしにかかる計略というのは、当時からも囁かれていた通りで、全日派の解説者、マスコミも企みを暴露しています。
 ヤクザや道場やぶりの世界ですが、この時、猪木が全日本の興行で戦っていたらどのような結果になったのか、興味深いところでもあります。また、その4年後、一度だけ夢のオールスター戦でタッグを組んだ二人は対決を誓いますがやはり実現がしません。
 これが、引き分け的な筋書きの決着や、1勝1敗などで引っ張れば、興行的に大盛り上がりだったのではと思われそうですが、そうはいかないところがプロレスです。引き分けとかの筋が決まっていても、本番では喧嘩になり真剣勝負になって相手を潰すこともある、これは力道山の木村正彦との頂上決戦や、前記のパクソンナン戦などにも、その傾向はありました。ですので、引き分けの筋書きと安心して試合を受けるなど、とても難しいのです。

 1970年代、世界的にはプロレスというのは、ショーというのがばれて、スポーツとしての地位な完全に凋落していました。日本ではNWAが権威とか言われ、他のスポーツのWBCとか、FIFAやIOCみたいな厳粛な権威ある大組織のように伝わっていますが、それはほぼデタラメです。猪木の新日本プロレスが管理していたNWFや、全日のPWF、国際のIWAなどが外国にそれぞれ本部があるように宣伝しても、国内だけのお手盛り架空団体、創作のチャンピオンベルトだったのと、そう変わらないはったりがNWAでした。それが通るのが、昭和のプロレス界です。
 海外からの報道、インタビューなどもモリモリの嘘が多い古き良き時代です。そんな八百長や嘘ばっかりみたいなプロレスに昭和の夢を、抱かせてくれたのがアントニオ猪木であり、そのライバルジャイアント馬場だったのです。
 

 サッカーのワールドカップでさえ、新聞の報道も少なく、何か月もあとに映像を見ていた時代です。海外プロレスの珍しい技をかけている写真など、どういう技か無理に解釈していた古き良き時代ですね。

炎上しそうな「人種、人権?の話」

BBC

 サッカーのワールドカップはフランスを破ったアルゼンチンが優勝し幕を閉じました。

 同じ地で日本代表が強豪を破り活躍したことで、かつて1993年ドーハの悲劇でW杯アメリカ予選最終戦で引き分けたことが払拭されたといわれます。ロスタイム(現アディショナルタイム)で失点し、呆然自失で倒れこむ日本代表のカズや、森保一現監督、ラモス瑠偉らの姿が積年の映像として想起されました。

 この頃、出場はのがしたものの、ラモスは帰化選手として、代表の主力でリーダーであり伝道師であり精神的主柱でもありました。サッカー日本代表は最近まで帰化選手やハーフの選手が何人か代表で、させてきてくれましたが、今回の代表ではGKの控えだったシュミット・ダニエルがアメリカ出身以外は「純」日本人で固められていました。

 日本人にはないブラジル人やラテン系の生まれ持ったような俊敏な足技や、サッカーへのプロとしてのあきらめない執着心とかを植え付けるために不可欠だった時代がありました。

 この当時は日本代表は彼らに助けてもらっても、どこかひ弱で常に隣国の韓国には公平に見てリードされていました。ちなみに韓国ではこの帰化した外国人の代表登用的な政策が一切行われていません。

 協会が意図的にJリーガーなどから帰化を促した場合と、ブラジルなどではそもそも代表になりにくい日系人が日本での代表入りを熱望してのケースに分かれました。

 田中マルクス闘莉王がつい最近まではそういった例で最後の代表主力でした。ところが世界では移民の大活躍が中心になっています。イングランド、イタリア、ドイツ、スペインらには一歩劣っていたフランスはジダンを中心に強豪にのし上がり、前回大会を制し今大会もエムパべ中心にオールアフリカ+フランスとまで揶揄されるほどになりました。前回2位のベルギーも、日韓大会では地味に予選リーグで日本より下の2位で同格程度でしたが、前回大会では圧倒的に日本をねじ伏せ一気に世界ランクも上位の強豪国となり、これは明らかに移民政策の方針によるものです。

 日本のサッカーはずーっと2000年代から4年ごとにいろいろ成長しているとか、欧州勢が増えてとか確かに内容や、いわゆる足技や戦術も走力も向上しています。しかし、ベルギーなどは実は日韓大会の予選グループでのチームとは、ロシア大会では別のチームのように日本を一気に引き離す急躍進をしています。本当に日本が4年後ベスト8以上というなら、半分をアフリカ系帰化にすればと思いますが、誰もそうは言いません。今の状態では4年後もベスト16あたりの行き来が続くでしょう。

 ガリア人だけのフランスチーム、アングロサクソンだけのイングランドなら想像してもそう強くは感じず、体格の良くなった日本も十分勝負になりそうです。そうなるとやはりブラジルやアルゼンチンの足技はまだまだ真似できないのと、アフリカの民族の身体の図抜けた能力からくる高さやスピード、驚異的な俊敏性は、大和民族とは差があります。

 他のスポーツも多かれ少なかれ、外国人の帰化問題はありますし、国内のチームなどは以前から国際化しています。国技の相撲も上位力士は何年もモンゴル人が占めています。

 陸上100メートル男子がほぼ黒人で占められているのを見ると、やや複雑な思いはあります。

 究極的な選択としては、帰化や移民、優秀なアスリートを国が援助して自国の代表にすることに純粋な競争、ゲームが成り立つのかとも思います。陸上100メートルのメダリスト3人が同じアフリカの同じムラで育った3兄弟になり、支援しる企業やそれぞれ国籍は変わり、メダルの獲得の国は別計算で、それを各国が競い合い一喜一憂することに意味があるのでしょうか。

 しかし、ここで「純粋な日本民族だけで」とか、政治家や著名人が言い出すと当然問題にもなります。
 ただ多くの日本人の中に、今回のサッカー代表や、野球の大谷翔平や村神様は素直に喝采しても、テニスの某女子選手の場合、勝っているうちは賞賛もあっても、勝てなくなり態度や発言も問題は出ると「手のひら返し」でバッシングする傾向があります。

 これはフランスの場合でも勝てば問題なく賞賛して、負ければ「あの黒人のせい」という、やはり差別的な世論はあるようです。

 人種のるつぼのアメリカやイギリスもこういう問題は絶えず、世間は慣れているのか、諦めているのかですが、日本はなかなかすぐ社会が受け入れがたい要素はあるでしょう。
 これはトップのスポーツだけの話ではなく、インフラなど社会の根底を支える若い労働力が減り、やがて日本では移民に頼らないと成り立たないという問題があるのです。

 ダイバーシティなど声高には叫ばれますが、日本的に国際的なそういう声は聞きながらも、暗黙の裡に排除や差別を続けるのか、門戸を完全に開くのかこれからの進路は難しい選択です。

 

スポーツと政治

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 日本もドイツやスペインを倒し大いに沸き、決勝戦も大激闘となって、サッカーワールドカップ(W杯)終わりました。
 CNNテレビが16日、、W杯カタール大会決勝戦のキックオフの前に、ゼレンスキーウクライナ大統領が演説したいとの要請に国際サッカー連盟(FIFA)は拒否したと報じています。

 大会前から、ヨーロッパのチームがキャプテンマークの政治的文言を入れようとして拒否したFIFAです。今回のこの判断も当然です。

 この人を批判すると、ロシア寄りみたいに取られていやですが、W杯サッカーの決勝を利用してまで自分をアピールできると考え、「否定的な反応に驚いている」というゼレンスキー大統領の感覚は普通ではないように思います。ダメ元とは思っていたのかしれませんがが、とんでもない奴です。

 サッカーは西側諸国だけではなく、世界中の人々の祭典です。予選にはウクライナもロシアも参加していました。ウクライナはウェールズとのプレイオフで涙を呑みました。今も状況を考えると出なかった方が良かったと思います。
 国同士はもちろん意地をぶつけます。国と国は過去に戦争があったり、宗主国と植民地だった関係の遺恨もある対戦はありますが、サッカーは戦術とワザ、力を競うスポーツです。戦争ではありませんし、政治的主張をゲームに持ち込みことはやはりNGです。

 FIFAは戦争や政治問題がめんどくさくただ金儲けができれば良いのかもしれませんが、政治問題を見せないスタンスはそれなり評価できます。金まみれの開催で、金満な会場や、工事や放映権料の莫大なお金に対しては、日本の庶民目線では疑問もでるでしょう。東京オリンピックの最終決算が1兆円も超え、不正な業者とのカネの問題も次々と出ている時節です。しかし、じゃあ大会を開催せずに、1兆円は戦争の防衛費に使えばということではないでしょう。たとえ、ゼネコンや広告代理店、スポンサーが不正に儲けても、平和の祭典の範疇で、そこの企業からまわりまわって多少は市民も潤います。

 あくまでもサッカーやスポーツは究極的に平和の祭典なのです。そこにお金をつぎ込んでみんなが楽しめることは、とても良いではありませんか。

 南米などで多少のずるさのあるマリーシアとかがいいかのように言われますが、勝つために手段を択ばないような危険なプレイやガチガチのサッカーは面白くなりません。

 今回参加していない優勝経験のあるサッカー大国イタリアのファンやメディアは、自国の参加しない大会を純粋に見てサッカーを楽しんだ呟きをしていました。日本のファンやメディアは相変わらず、ベスト16へのガチガチの応援を続けるでしょうが、ある意味それが後進国の証拠です。

ダイヤモンドサッカー世代、衝撃だったPK戦

 サッカーのワールドカップ劇的な決勝戦で終わりました。熱烈なファンは現地との時差もあり、しばらく寝不足とロス状態かもしれません。
 サッカーW杯に関してポジティブとネガティブに最近2回ブログにアップしています。またラグビーとの比較は、私のブログの中で通算で最多を争うほど閲覧されています。下記、ご参照ください。

 1970年代、当時野球などと比べ希少なサッカー少年は、三菱ダイヤモンドサッカーという番組で世界のサッカーを知った人が多いです。リアタイで全試合、BSやネットで見たり、少し遅れて配信をみたりできる時代で、多くの人がW杯の好カードを全部見て話題にしている今と比べると本当に隔世の想いです。

 当時、東京12チャンネル(現テレビ東京)は全国ネットがなく、私のところも地方UHF局(死語)でさらに遅れてしか見れませんでした。1年以上前の1970年のメキシコW杯や、プレミアと名のつく前のイングランドリーグを前後半45分を1週ずつ見て、喜んでいたのでしたからマニアックなものです。

 1968年、釜本や杉山を擁してメキシコ五輪で銅メダルを獲得した衝撃から、サッカーに着目し、当時アマ主体だった五輪の上に、世界最大のイベントワールドカップがあるということを知り驚き魅了されたのです。

 今年の大会で決勝含め、5度のPK戦は過去最多になるそうですがPK戦の導入は1970年代で、W杯では実際には1978年規定化されて、実際には1982年の準決勝が初実施だったそうです。
 国際大会では70年代から順次実施され、1971年の東京で開催されたアジアユースサッカーの準決勝で日本と韓国の激戦が中継され衝撃的なPK戦を見たのが、私の初めてのテレビPK観戦で、ここからサッカーに本当に取りつかれました。
 その意味では批判もしていますが、PK戦はやはり面白いのでしょう。

 長いサッカーの歴史と観戦歴から言うと、さまざまな戦術のトレンドがあり、ルールもレギュレーションも変わりました。やはり実力の下のチームが故意に引き分けPK戦勝ち狙いで勝ち進むということが、繰り返されるのもどこかで止めないといけないでしう。その変化、動きも今後出るかもしれません。PK戦の面白さスリリングと、理不尽はもろ刃の刀です。


 日本のサッカーも4年に一度、今回は奇跡的に4試合までできましたが、代表にJリーグの選手がほとんどいません。かつては代表で活躍した〇〇を観るために日本の国内リーグが潤った時代もあったのが皆無です。これは代表の連携強化や、興行としてもいびつな構造で、サッカーの裾野を今以上に広げるのには問題ではあります。Jと欧州の半々くらい、野球のNPBとメジャーの関係くらいが理想ではと思います。

 いろいろ政治的な話、ウラの話はまた次回。

サッカーを心から楽しむ – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

カタールW杯の暗部は日本の未来?     大阪万博の後、札幌冬季五輪、愛知、長野、日本W杯と繰り返されるのか – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

紳士がやる野蛮なスポーツ:ラグビーW杯 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)