30年以上前にもパ・リーグに激闘と激動があった

 オリックスが一昨日大激闘のシーズンを象徴するような、最終試合での優勝を争ったソフトバンクとお互いの逆転勝ちと逆転負けで優勝を決めました。

 オリックスの宮内オーナーも今年で退任されるということでした。1988年は10月近鉄がロッテとのダブルヘッダーで最後の引き分けで西武が優勝を手にし、近鉄が優勝を逸した激闘の10.19がありました。それと相前後して、名門球団の南海ホークスと阪急ブレーブスが劇的に身売りをしました。

 昨夜優勝した、オリックスバファローズはその年に現宮内オーナーのオリエントリース改めオリックスが阪急ブレーブスを買収したものに、その後2004年球界再編で混乱した原因となった近鉄バファローズをの営業譲渡を事実上合併してオリックスバッファローズとなったものです。優勝を争ったソフトバンクホークスはこの年南海ホークスを買収したダイエーホークスがダイエーの本体の不振で台頭した携帯電話会社が買い取ったものです。
 宮内義彦さんも当時まだ50代で、球界では老舗球団からは新参者として苦労もされたはずです。

 私は子供の頃から、関西のひねくれもので阪神ではなく、実家沿線の阪急でもなく。近鉄バファローズのファンでした。
 当時今のネット配信も、BS放送もなく、せいぜいラジオで放送があれば垂涎ものでした。あとは巨人戦などの途中経過を待ち遠しく一喜一憂していました。今は試合の経過など、ネットですぐリアルタイムで速報されますが、昔は本当に情報は遅く貴重でした。

 マイナーな消滅近鉄球団の、さらに短い時期仰木監督の時期がムックになるのも現代ならではです。オリックスの中嶋監督はオリックス時代の仰木彬の戦術を思い出させる奇策、奇襲を持っています。

 2004年に消えた近鉄球団最後の生き残り現役だった現ヤクルトの坂口選手も今年限りで引退して、ますます近鉄の痕跡は人々の脳裏から消えそうですが、一部のマニアの中に本や記憶はいつまでも残ります。

 1988年はバブル崩壊の前で、まだまだ今は衰退した企業もバリバリでしたが、阪急や南海。近鉄は今のように真面目に球団経営もできず、手放してしまいました。
 近鉄を飛び出した野茂英雄がメジャーへのパイオニアとなり、大谷翔平のような新世代を産むきっかけにもなりました。そして日本の野球も、村上や佐々木が登場し、遠くへ飛ばすパワーのある打者と、150キロを超える速球や強い変化球主体の投手の時代へ、大きく変わりつつあります。

アントニオ猪木と昭和プロレスの時代

1971年日本プロレス時代のUN選手権猪木対Jブリスコ

 闘病中で、なかなかやつれた壮絶な姿しか見られなかった晩年のアントニオ猪木でしたが、昨日とうとう訃報に触れました。

 アントニオ猪木という人は多くの人を愉しませ、騙した昭和の時代のプロレスを支え、本当に数奇な運命で政治家にもなり数々エピソートに満ちた人物でした。

 私は兄がプロレス好きだったもので、小さい頃からテレビでプロレスを見ていました。初めてプロレスをテレビで見たのは1968年1月3日、お正月で親戚の家に集まった時にいとこたちと見ていた正月興行の特番「ジャイアント馬場対クラッシャー・リソワスキー」のインター選手権試合でした。その迫力に怖がりながらも圧倒されました。
 この時のリソワスキーのパワフルでタフさぶりはまだルールも詳しく分からない子供にも強烈なインパクトを与えました。
 翌年、リソワスキーは生傷男と言われるディックザブルーザーというさらに大物とタッグで馬場と若き日のアントニオ猪木の持つインタータッグ選手権に挑戦してきます。
 猪木は馬場に比べて小さく、細くて俊敏な印象で等身大の応援したくなる選手でした。屈強そのもののブルクラコンビには苦戦しそうに思えた戦いですが、ブルーザーは前評判ほど迫力はなかった記憶だけがうっすらと残っています。
 このあたりは、前年のリソワスキーと馬場の一戦の迫力にも大人的な背景があったことは、のちに知りました。(同日、ライバル団体国際プロレスが興行をはじめたため急遽ぶつけたタイトル戦で、馬場は意地でも試合内容含め後発団体を圧倒する内容を示した)

 1970年前半、日本プロレスでジャイアント馬場に次ぐナンバー2の時代のアントニオ猪木を小学生時代、兄と懸命に応援していました。ちょうどタイガーマスクのまんがが連載され、アニメにもなり、実名で馬場も猪木も登場していたころです。

 猪木はナンバー2のタイトルとされるUN選手権を奪取(与えられ)馬場に並ぶエースとなり、日テレに加え新たに参入したNET(現テレ朝)の放送での看板となります。この時代の最も面白かった試合が1971年8月5日のアメリカの若手有望株雨で次期NWA王者候補ジャックブリスコとの防衛戦でした。(写真)

 こんな時代の動画が今になって動画サイトで見れることは夢のようです。今みてもスピーディな技の攻防、決めのジャーマンまで猪木のベストバウトはこの試合だと思います。

 その後、猪木は大人の事情?乗っ取りの疑いで大阪でのドリーファンクジュニアとのNWA世界選手権直前に日本プロレス(会社名)を追放され、独立し新日本プロレスを設立します。馬場も独立して全日本プロレスを作り、両者は興行のライバルとなり、エース二人に抜けられた日本プロレスはみじめに崩壊します。この時に一連の事情を考えると、もう十分プロレスはウラのある世界だとわかります。
 それでも新日本の猪木を応援したい気持ちはあり、大学生くらいまでその推移を見守っていました。
 因縁のジャックブリスコはNWA王者になりましたが、NWAは馬場の全日本と強く結び、王者はじめ大物レスラーは馬場の全日本中心に参戦し、猪木の新日本は外人招聘では苦戦しました。二流のレスラーに無理くり箔をつけ、タイガージェットシンとの抗争、ストロング小林から始まる日本人対決、アリ戦にいたる異種格闘技戦と、独自の工夫と猪木のカリスマで全日本以上の人気を得ました。

 ブリスコはNWA王者陥落後1979年新日本に一度来ますが、猪木との試合はつまらない内容でした。猪木の名勝負としてはビルロビンソン戦や、その前のジュニア戦、小林、シン、スタンハンセンやアンドレとの抗争を挙げる人もいますが、直近で動画を見直しても1971年のブリスコとの初戦がベストです。
 スターになってしまった猪木の試合は、やはり相手がプロレス的忖度をしてしまう部分があるのです。

 そして、プロレスがスターを作ること、タイトルの移動、タッグマッチや反則、覆面レスラーなどなど、全てプロレスには筋書きヤラセがあることだということをだんだん気づきながら私は大学生になり、大人になっていったわけです。

 プロレスの世界では、あたかも真実のように語られていた、外国で起こったこと外国人レスラーのインタビュー記事、NWAとかの権威など、はっきりいってほとんど全て嘘っぱちに近いものでした。

 噛みつきで有名だったフレッドブラッシーと力道山の流血試合でテレビ観戦していたおばあさんがショック死したという逸話がありました。流血そのもが仕込みで八百長なのに、それを見てショック死したなど死んでも死にきれないような話だと憤りかねませんでした。
 ところが実はおばあさんがプロレスを見て死んだというニュース自体が今でいうフェイクだったそうです。何ともほんの一部に真実はあり、屈強な肉体と技を鍛えてはいますが、うすばっかりの興行がまかり通るのが昭和のプロレスでした。

アスリートの引退試合

 日本のスポーツの主流は秋口にシーズンオフを迎えるので、この時期に移籍や引退の話が出ます。
 NPBでは、すでに西武の内海哲也投手、阪神の糸井嘉男選手がシーズン中に引退試合を終え、中日福留選手、オリックス能美投手も引退を表明しています。引退を自ら宣言でき、引退試合までやってもらえるのはほんの一握りの名選手です。

 今クールで終了したドラマ「オールドルーキー」は、いきなりチームが消滅し現役引退を余儀なくされたサッカーの元日本代表選手が、スポーツマネジメントの会社に勤めます。アスリートのマネジメントを務める裏方に回るセカンドキャリアに悪戦苦闘する話でした。

 華やかなスポットライトを浴び、常に自分が主役であり、体調と体力維持で持ってきたアスリートの現役引退は、指導者や評論家などへの狭い道、別の世界に入る道、いずれにせよ現役のプライドと看板は下ろす、人生の転回点であり多くは厳しいものがあります。

 サラリーマンの定年は、同じような悲哀の部分もありますが、アスリートは概ね若いためこれからの生きる道を探らねばなりません。

 そんな中、稀有な例でしょうが、55歳で現役にこだわり続ける男がいます。サッカー界をかるつて牽引した「キングカズ」三浦知良はボロボロになり、海外、J2もわたり歩き、Jリーグの下部組織JFLで未だに現役でプレイしています。晩節を汚すとか、客寄せパンダとの非難も半ばありますが、猛練習をして現役を保っている姿にが多くの中高年も心打たれます。

 それにしてもかつてはNPBのベテラン、老獪な技術とか言われる選手は私にとって年上だったのですが、もはや自分の子供でもおかしくないような年齢でベテランと言われ引退試合をしていくとは、見てる私がいかに年齢を重ねたのか、時代を感じます。

55号のホームラン王の時代

 1964年(昭和39年)に王貞治が打った1シーズン55本という記録はその後長らく破られなかった伝説的な記録です。その後、55本に並びその後は2000年以降に、忖度の敬遠で超えることができなかったローズ、カブレラが現れ、バレンティンがついに60本に到達しますが、いずれも外国人選手でした。今回60年近くかかりついに日本人で55本ものホームランを打つ日本人の若者が現れました。
 1964年に記録された55本は、5歳当時の私の記憶にありません。その後の王選手が円熟して、1977年に856号の世界記録と騒がれた頃がリアタイの中学生でした。この記録からネーミングされた芸名、コント55号という二人はお笑いの世界で時代を席捲しました。

コント55号という名前も現代にも通じる斬新なイメージがあります。主に平凡な坂上二郎がエキセントリックな変人萩本欽一に振り回されるような設定のコントも、今キングオブコントでもいけそうですし、東京03がやってもいいようなシュールな面白さや激しい動きがありました。バラエティで野球拳という今では放送できないような破廉恥な内容でブレイクしたため、一時期低迷で二人のコンビは減り、坂上は俳優を中心に活動し、萩本は単独の冠番組で再び一世風靡しました。新しい漫才ブームで浅草からツービートなどの出るだいぶ前の時代で、コントやバラエティー番組の基礎を築いたとも言えます。

 スポーツとしては野球しかない時代なので、55号といえば王選手のホームラン55本を誰もが連想した時代。現代は村上宗隆、大谷翔平といえどもここまで記録は上回っても日本中を席捲して誰もが知っている時代ではなくなって、多様化した時代です。
 

1969年夏の甲子園 延長18回東北青森三沢の無念

 今年の夏の甲子園、全国高等学校野球大会で東北勢として初めて仙台育英高校が優勝し、深紅の大優勝旗を白河の関を越えて持ち帰りました。

 仙台に住んでいたこともあり、知人も多く東北の人がいかにこの優勝を待ちわびたかを知っています。
 悲願に関しては、東北人にとってもう何とも言えない感慨でしょう。

 ただ個人的には最近の高校野球はどうも好きではありません。私にとっては高校野球が子供の頃から、最大の娯楽だった時代がありましたが、いまは多くのエンタメにあふれスポーツだけでも一流のコンテンツが多い時代に入り、何となく底というのか、裏が見えてあまり楽しめないのです。

 1969年今から50年ほど前の、夏の甲子園決勝、松山商対三沢高校は小学生だった私に衝撃的な名勝負でした。
 当時は延長18回制で球数制限なし、3回戦以降連投は当たり前、準々決勝準決勝も三沢は当時の超高校級人気投手、エースの太田浩司が一人で投げ切っていました。

 この試合実は延長15回、16回と三沢は1死満塁のチャンスを迎え、実際にサヨナラ勝ちしていたのではと言われています。審判が同校OBだとか、決勝戦の結末にふさわしくない幕切れなので大変微妙な判定でした。えこひいきよりも、延長18回まで両軍が死力を尽くすのが決勝戦らしいという風潮のような空気が支配していたのかとも思われます。そんな空気がなければ東北勢はとうに50年前に大優勝旗を白河越えて持ち帰っていました。

 今の時代は、多くのチームが複数投手や分業が当たり前で、決勝戦までに休養日も2日はさみ準々決勝も2日に分けたりして投手の負担はだいぶ軽減されています。それでも潤沢な選手層を誇る名門と、少数精鋭のチームは存在します。
 負けると後がない一戦必勝のトーナメントで優勝を決めるため、どこまで行っても実力ナンバー1が優勝するとは限らないのです。サッカーやバスケのようにベストメンバーを出し続けるわけにはいかない野球で本来トーナメントは合いません。ドラマ性やギャンブル性はあって面白くとも、長く練習してきた選手たちが1試合の敗戦で終わるのはやはり理不尽な悲劇であり、やっている人が本当に幅広く楽しみ野球という競技が好きになり、競技力が向上するとは思えないのです。

朝日新聞の歴史にない、昭和17年に「幻の甲子園」大会がありました。

 昭和17年、朝日新聞主催ではなく、国、軍の意向を受けて文部省が主催する幻の「夏の甲子園大会」がありました。朝日新聞社の記録では昭和16年から5年間甲子園大会は中止とされています。「選士(選手ではない)交代禁止」「死球をよけるのも禁止」「延長無制限」 日本語によるジャッジ  準決勝、決勝がダブルヘッダーなど、今の高校野球の連投禁止のため予備日をおき、球数制限をする時代からは考えられない過酷なレギュレーションでした。

 80年近くたち、関係者もほとんど鬼籍に入ってしまったため、知る人もいないこの幻の大会を、あるいは開催するため、あるいは出場するため、必死で奔走し、鍛え、戦い、戦争と言う逃れがたい運命に必死に抗う様が、実にしっかり、細かに描かれています。

  参加すべての高校の対戦とその後の戦中、戦後への生命の慟哭ともいうべきエピソードが語られます。
  夏の優勝旗を持ったまま戦争に入ってしまった海草中(和歌山)。エース富樫を擁し、大会がないながらも甲子園を狙う平安(京都)。猛将稲原幸雄の下、当時は「北高南低」だった四国勢で、初の徳島からの代表入り、さらには全国制覇を狙う徳島商業(徳島)。東の雄水戸商業、西の強豪広島商業、松山商業、最後の外地代表台北一中・・・。
 日本の外地としてはかつて、台湾や朝鮮、満州からも甲子園大会に参加していましたが、すでに朝鮮や満州は野球部の活動を停止、移動もままならなかったとされます。
 優勝旗すらなく賞状だけでも勝利を目指し命掛けて駆け巡る若者。この大会を制したのは・・・?猛暑の日のダブルヘッダー2試合め、決勝戦に臨んだエースは満身創痍、肩や腰に痛み止めの注射をち続けていました。
 短く報われない夏を終えた球児たちのその後、関わった人の話は涙を禁じ得ません。

高校野球 プロ野球 メジャー 大谷翔平

 また野球の話で恐縮です。昨日、お盆休みなどで大谷君の記録がかかった試合ということで、朝MLB見て、昼間高校野球、夜は日本のプロ野球を見たとかいう野球ファンの方もおられるかもしれません。
 一応、延長や指名打者など細かいレギュレーションは違うけど、大まかなルールは同じ野球、ベースボールなのですが、やはり日本の野球とくに高校野球とアメリカのそれは戦術などは大違いです。
 まず日本の高校野球は、高校生の大会が異常なまでに報道される注目度が世界的にも珍しいアマスポーツの聖地的な場所で行われる伝統ある大会です。
 アメリカやヨーロッパで、野球やサッカー、テニスやゴルフなどの他のメジャースポーツで高校生や学生の大会に「甲子園」はありません。それだけ注目されても、高校生や大学として組織だった注目される大会が報道のトップにくることはないのと、すでに学生の段階でどんどんプロの所属になったりする場合が多いのです。

 その特殊な伝統的な要素もあり、昨日もあらためて、メジャーのあと高校野球観るとやはり全然違います。身体もだけど、体格は30年までくりとはかなり違い大きくなっています。戦術が違い過ぎて面白いです。ランナーが出たら、コンコンコンコンと面白いようにバンドする高校野球と、ランナーが出ても、ぶんぶんただ振りまわし、気持ちよく三振かダブルプレイですぐ攻撃終了ばかりかというと、あっという間に連打や2ラン3ランで大量点のメジャー。

 バントの確率や、日本人の犠牲精神には前にも書きましたが、日本のプロ野球の戦術にもあきらかにこの高校野球の戦術の記憶が指導者やファンにも焼き付いている感があります。たまに大谷くんのためにメジャーを見ても、やはりひいきの日本のプロ野球チームがノーアウトでランナーを出して凡退すれば、『なぜバントしない』とつぶやいてしまうようです。これは是非や確率、前に書いたので、置いといてとても面白い現象です。

 とりあえず、まったく違う戦術をとる野球だけど、大谷君は高校野球から、日本プロ野球、そしてメジャーで活躍しているのですから、その才能と努力、環境への適応緑はスゴイものだと思います。

 ベーブルースの記録という昨日の騒ぎは、何か104年前の記録でまだホームランキングがシーズンで11本という今とは野球が違う時代のもので、投手兼打者というのは今のメジャーでは誰もやっていないわけで、その意味での難易度は別格で、ケガなくやれば大谷の実力からすれば、投手で〇〇、打者で〇〇の複合的な数字は毎回何らか生まれます。

 実質的に前人未到であるということと、日本からメジャーにわたり環境の違いを完全に克服して、大活躍しているのを見るだけで、ベーブルースは関係なく、ただひたすらスゴイ。

ベースボールを見て楽しむ 犠牲バントはいらない

 政治や感染症対策など硬い話が多かったので、今日はスポーツの話。まあ、コロナも選手たちはスクリーニング検査をしてる関係でしょっちゅうあちこちで陽性、欠場もありますが、昨日は世界陸上含め一日、超一流アスリートたちの豪華な競演を愉しめました。

 時間があったので、昨日は朝MLBのオールスター、夜はサッカー、世界のオールスターともいえるパリサンジェルマンと川崎フロンターレの親善試合をみました。
 エキシビション的な試合もなかなか技量の優れた選手が出ると見ごたえがありました。

 私はサッカー少年でしたから、野球は見る方です。日本のプロ野球もひいき球団があり応援はしています。しかし改めて思うにスピーディでパワフルで見て面白いのはMLBですね。

 よく野球とベースボールは違うとか、日本にあうのはスモールベースボールなどと言われますがどうもプレイボールというように日本のファンは野球をあまり楽しまないのです。日本のプロ野球(以下NPB)の応援の掲示板などを見ても、どうも負ければ選手や監督を厳しくこき下ろすだけで、結果論にこだわり素人の戦術批判愚痴で発散とは言え、野球を応援し愉しんで見るという感覚から遠い人が多いです。

 MLBは回ごとのインターバルも短く、ワンポイントなどの小刻みな投手交代も少ないです。NPBでは序盤からの犠牲バントは減ったとはいえ、いまだにやっている監督もいますし、終盤大量リードしていてもバントや盗塁のサインを出す場合もあります。

 NPBにはクライマックスシリーズや引き分けの問題、指名打者制度の統一などMLBと違ういくつか抱えているものもあります。ここでは私は今、野球の掲示板で少し論争しているNPBのバントについての提言とします。

 高校野球など、ランナーが出ればよほど超高校級の大打者でない限りバントがセオリーです。バントしない学校は解説者が暗にきつめに非難するぐらいです。自分を犠牲にして前の走者を進めチームを有利にする『犠牲』という言葉が日本人の美学に響くのでしょう。ところが個人のアイデンティティが強い野球の本場アメリカでは自分の成績につながりにくい犠牲バントなどあまり見掛けません。状況に関係なく、打ってホームランや連打で大量点につながる場合もあればあっさり併殺の場合もよく見かけます。
 

 ホームランは当然野球の華ですし、野手の間を抜け走者が駆け抜けるヒットは球場へいったファンの最大の見ものです。たとえ最悪のダブルプレイ併殺でも、その併殺がMLBではかっこよく、しかも試合が早く進むので観ていてスカッとします。これは個人の感性なのかもしれませんが、1人を犠牲に出して結局あと二人が凡退した方がモヤモヤは残ります。たしかに感性が違い、バント神話を信じる人はその戦術で後続が凡退してもバントの成功を誉め、この作戦を続ければ、やがて好投手を攻略できると信じてやまない人もいます。

 実際には結果確率はほとんど同じなのですが、聞いてみるとバントの成功率や相手のシフトなどの防御や、その後の得点の確率など、何も数値が応えられない盲目的信仰です。バントは誰にもでき得点につながりやすいという印象だけをひたすら持っている方が多いです。

 バントで塁を進めても、1死は相手に与えるので残り二人が結果を出さないといけないので得点の確率はそう変わらないのです。ひいきチームが併殺されるのを見ると、バントを指示しなかった首脳陣が無能と非難される人がいますが、それは戦術の選択の結果論であり、バントをしても最初から失敗のリスク、最悪の併殺の可能性はあります。総じてバントの成功確率から、その後の得点確率と得点平均を鑑みると、それほど差のない戦術であり、結果として盛り上がり大量点につながるのはバントしない方だと考えられます。

 バントというやり方がゲーム的、戦術の一つとして面白いとか、150キロの速球を打球を殺し転がす芸術的な技術は素人にはできないという、バント肯定の意見もよく聞きます。それは否定はしません。これはもう感性の問題でバントで送る野球は面白くないと私は思います。勝つためといっても確率はそう変わらないので、お客さんに見せるプロである以上、外野席から何やっているか分からないバントで塁を進めスクイズバントで決着するような野球は禁止にすればいいと思うのです。MLBと日本じゃパワーが違うとか言われますが、各球団に日本人離れした主砲が揃い、前後や下位打者も甲子園やアマでは綺羅星のごとくのスラッガーばかりです。球場にいくファンは大谷はもちろん村上や佐藤輝、山川や柳田のホームランを期待していくのであって、彼らがバントしたのを見たら失望するでしょう。私はファンとしてバントなどで負けると口惜しい上、勝っても全然スカッとしませんから。

 提案としてはバントそのものを全面禁止、もしくは指名打者制でない場合のみの投手だけ可能とするやり方があります。もう一つ、今のいわゆるスリーバントでファウルの場合打者三振アウトになるのと同様、ノーストライクやワンストライクでもバントファウルを打者アウトにするルールにしても面白いです。それこそプロ中のプロのバント技術者が試みるか、ほぼバントが皆無になるのかゲーム的には面白いと思います。

 3時間や時には4時間が当たり前のNPBの野球はとにかく、もう少しスピーディに球場の観客目線で改革を考えるべきです

 

札幌五輪の是非

 東京大会の本当の意味での総括がされないまま、札幌での2030年の冬季五輪の誘致が話題となっています。
 これには、私の普段から趣味や何やで情報共有したりしている北海道在住の友人も、誘致賛成と反対に見事に分かれます。
 例によって、住民投票は形だけで、誘致ありきで動いてる節もあります。
 ここへ来て反対の元支局長が市長選に立候補して、その対立は激しくなっているようです。 鉄道関係やコロナ関連での友達は概して今の北海道はそれどころじゃない。過疎が進み、インフラ整備も厳しいのに、税金でイベントや箱物は無駄すぎるという意見です。
 かたや賛成派は、北海道経済のためのだからこそ、札幌が大きなイベントをぶち上げるべきだという考えです。やライバル都市との優劣はさておき、東京はコロナ禍で実施してあれはあれで良かったのでしょうか。
 誘致そのものも買収でお金が動き、今さらオリンピックという空気もあった中推し進められ。コロナ禍で中止の声も上がりました。
 しかしコロナ禍でも実際に身近でアスリートたちが躍動し、多くのメダルを母国のため獲得する姿をみれば、オリンピック良かったじゃないかと誰もが思います。それは何をもって成功として、考えるか検証しないと論争になりません。
 開会式などのセレモニー、イベントから、選手村やプレス報道体制含め、大会として、やり切ることは日本の開催都市のイメージアップであり、素晴らしい国だというアピールの機会ではあります、
 それらも含めて、どこまで経済効果があれば成功といえ、失敗となるほど不採算なら誰が責任を取るのか実は明確ではありません。
 そしてよく言われるのは外国や政府御用達の企業が儲け、道民や札幌市民の多くはタダ働きさせられた上、結局は税金を上乗せされて将来にわたり払い続けさせられのではないかということです。
 テレビ局や新聞などは、五輪となれば大きなスポンサーでありニュースのコンテンツですから、お金でつながらなくても派手に五輪をぶち上げます。
 普段は税金が上がる、物価があがる、インフラ整備が遅れている、災害対策が遅れていると騒ぐマスコミが、オリンピックに血税が流れるのにはあまり反対しません。
 オリンピックの誘致から会場まで、コロナの予防接種から対策まで全部、今の子供が将来背負う借金、税金です。市民オンブズマンみたいな人がもっと厳しく見渡し、提言しないと税金の無駄遣いは止まりません。

厚底ウォーキングシューズでよく歩けます

 職場往復で2キロ以上歩くのと、休日はウォーキングでそこそこ歩くのでビジネスシューズよりもほとんどウォーキングシューズを履いてます。
 最近はマラソンで主流になった厚底がウォーキングシューズでも流行りのようです。反発があり、足首もしっかり守られる感じで歩きやすいです。
 若い頃は安いスニーカーやデッキシューズなどぜんぜん靴に拘らず歩いてましたが、やはり膝や脚への負担を考えるとシューズ選びは結構大事かなと思います。
 さあ、気候もよくなりました。健康に何よりの運動、歩きましょう。