久しぶりに福知山観光

 4年前に、過去に住んだ場所をレビューする思い出シリーズを書いていました。↓
 京都府福知山市は当時23年前と書いていましたのでさらに4年プラスで27年前。新婚で妻がみごもって、その後、授かった娘ももうその年齢で嫁ぎました。その京都府の北部に位置する福知山市、先日新しい鉄道博物館「フクレル」という施設は福知山城公園にできたということで訪れました。
 当時は鉄道にも、まして廃線跡までには深い趣味でもなく、歴史もそうは興味はなかったので、明智光秀の築いたという福知山城さえ訪ねていませんでした。
 北丹鉄道の廃線跡や、残された車両など、今なら垂涎のものも、散策コースもスルーでした。
 それ以上に20年以上時を経て、その時に合った建物が旧くなり、消えた建物、改築され、新築され、また老朽化したものなど、栄枯盛衰さまざまです。当時大手コンビニは一切なかったものが、今やセブンだけでも駅周辺にかなりの数があります。ドラッグストアチェーンもいくつかできており、地場の化粧品店、薬店の苦戦、撤退も顕著でした。
 人の営みも、鉄道の廃線、新線のごとくです。京都と府北部の中核、綾部市、福知山市を結ぶ山陰本線の普通電車で訪れました。赴任当時はディーゼル大国で、キハ181系特急、キハ85系急行、キハ40系普通など、当時でさえ国鉄型動態保存と揶揄されていました。当時も全国で珍しいぐらい、哀愁のあるディーゼル音を響かせて汽笛もわびしさをかもしていて、絶滅した急行ディーゼル、寝台列車も走り、駅弁の立ち売りまであったのです。
 そんな福知山も、私が去る頃には、電化され遅ればせながら電車特急が走り出し、随分経ってようやくJR化後の電車特急や新快速型の223系が回ってきて、一昨年やっとICOCAなので頭交通系ICカードが使えるようになりました。
 しかし、京都から園部までが快速も含めて4両や8両の編成が行きかうものの、園部~綾部間特に、胡麻から綾部は本数も少ない青春18切符の愛好者でのダイヤ上のネックになるほどです。よくここを電化したなあという、小さなトンネルや鉄橋を繰り返す曲がりくねった路線です。
 昭和のはじめにできた鉄道ですから、特急通過用に電化したのですが、地元の方はやはりクルマを利用するのでしょう。これは、高速道路ができると、いつもいわれることですが、正直ドアツードアのクルマが最新設備で幅も広い高速道路を走るのと、大昔の路盤を使う電車では勝負にならない典型です。丹後の、舞鶴、宮津や福知山も京都縦貫道の完成で圧倒的に早く便利になりました。
 かつては、途中の南丹市までしか、高速道路がなく、そこからのカーブの多い国道の山道を身重の妻が気分悪そうに助手席に乗っていたのを思い出します。今は橋立あたりも飛ばせば2時間以内、平成の終わり頃に一気に便利になりました。
 私の転勤した後、水害や花火事故など不幸な出来事も起こっています。治水においては地下排水のある京都などの大都市とは格差があります。
 鉄道、交通の要衝とされた栄えたJRの鉄道部、支社も今は管理部という格下の組織になっています。
 今も大阪方面と京都方面からの特急が接続し、城崎や舞鶴、橋立へのん乗り換えジャンクションの役割を果たす駅ではありますが、同一ホームで乗り換え出来て、逆に日本海方面の乗客は下車する時間もなく、街をスルーします。高速道路に至っては、サービスエリア以外では止めることもなく、京都から一気に日本海方面へ行きます。
「明智光秀」で観光で注目されたのもつかの間、大手が進出し、デリバリで近代化は進んでも、過疎化に悩む地方都市の縮図が見られます。

 私が結婚して新居を構えた当時新築だったころです。外壁をリニュアルしたりしてキレイになっていました。
 周りは、畑だったのがが外食店になっていますし、買い物事情も随分変わっているようですが、20年以上経て残っているのが嬉しく何か懐かしいです。

思い出から6:京都府福知山市 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

32年前の橋桁落下事故

Wikipediaより

 私が広島に勤めていたのはまだ昭和62年とかでした。若手バリバリ、イケイケで仕事も遊びもしたもので、当時の若手グループが3人ほどと集まり広島会というのもやったぐらいで、ベテラン社員になっても、当時の広島での3年足らずはいろいろ思い出になっています。
 
 そんな広島から転勤して4年ほど過ぎた時、広島で痛ましい事故があって、新聞で見た死亡者の名前に見覚えがありました。
【広島新交通システム橋桁落下事故は、1991年3月14日に当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(愛称アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員の14人が死亡、9人が重軽傷を負った事故】Wikipediaより

 会社の幹部に問いあわせると、亡くなった女性はすでに退職しているが、やはり良く知った事務員の子でした。同僚によるといわゆる寿退社前の20代でした。
 軽自動車で買い物途中か何かではないかと言われています。
 それにしても、悲惨の極みの、上からいきなり構造物が落下しての圧死です。
 しかも原因を聞けば、請負業者の信じられない現場でのミス、怒りをおびえる内容でした。
 
 重量物のジャッキ降下というたいへん危険な作業でありながら素人同然の作業員に任せている状態であった。または素人の寄せ集め故にH形鋼の積み間違い(橋桁を受けるためには、完全に強度不足)という、致命的な作業ミスをしていることに気付く者が誰一人いなかったのです。この背景にはアジア大会準備のために広島市内各所で建設工事が行われており、深刻な人手不足のため熟練した作業員が不足していたこともある。そのため工程に間に合わせるために頭数だけそろえた素人作業員が危険な作業をしていたとされています。Wikipediaより

 同事故を教訓として、全国的に危険が予想される現場では交通を遮断する措置が行われることになったといわれています。国の対応も危険な交差点で死人が出てから横断歩道や歩道橋を作るようなものですが、尊い犠牲者のおかげではあります。
 最近でも数年前2016年工事中だった新名神の兵庫県有馬川橋で死傷者10名の橋桁落下事故があり、クルマは何とか奇跡的なタイミングで難を逃れました。乗用車に乗っていて、上から構造物で圧死する確率は、天文学的に低いはずですが、何の因果か当たってしまう人もいたのです。
 

 それにしても、突然の圧死とはなんという悲劇でしょうか。そんなものに巡り合う確率が低いだけに、ご両親や、関係者そしてご本人の無念はいくばくか。 それは運命というには、あまりにも過酷で衝撃的なものでしょう。
1994年、広島アジア大会観戦にこの新交通システムに乗車して、通過地点で黙とうしました。

 広島というと、どうしてもかつて原爆投下ということも思い出します。しかし、全て周りが平和になり、豊かに発展していこうとする中で、その発展への突貫工事の犠牲に、何の責もない人間が召される理不尽さには、嘆くしかありませんでした。
 多くの理不尽な事件もそうですが、亡くなられた方に輪廻があり、今よくドラマであるタイムリープなどで、もう一度生まれ変われる人生があることを、切に願いたくなる。そんな切ない事件が30年以上前にありました。きっと、どこかで生まれ変わて良い人生を過ごしていることと信じます、
 
 

どんどん進化する変身術 ビジュアル

  化粧品の会社にいて、女性の変身というものはよく見てきていました。あくまで男性視点の話で申し訳ありません。
 昔だと高卒の美容部員さんが多く、ある年齢から全く老けなくなり年齢不詳になって美しさに磨きがかかる人が多かったです。
 学生の友達や、やがては同期入社からも別人になって、芸能人のように年齢詐称的なつじつまの合わないとこ出てくる人もいました。
 最近はさらに美容整形の技術も進み、一般的なものになり、化粧とのコンビネーションでAIなみの完璧な美女が増えだしました。
 長くチームで仕事をしていると変身前や、その性格や内情を知る立場にあり、それはまたそれで恐ろしいようなものを見る感じです。
 そこを隠す恥じらいに可愛いところがある人もいます。一方で、まるでそういうことに無頓着な人が、だらしないメイクや中途半端な毛染め放置などを見るとやはりキレイに仕上げている人が良く見えます。
 人間はもちろん外見だけではないとは言われますが、おしゃれとか身だしなみの感覚でここまで仕上げてくる方が増えるのは何だかコワイような時代です。

先を読め!後輩が管理職としてふんばっているのに快哉

 会社時代の同僚とお会いして今の最新の動静を聞きました。前に書いた内容の元ネタです。↓

愚痴らず、「倍返し」頑張って欲しい元同僚、同窓 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)


 合併吸収されたような形なので、当社はたすき掛けで半々の役職を貰って化粧品と日用品合わせた管理ポストを分け合ったカネボウと花王でしたが、今やカネボウで管理職になって残っている人がかなり少なくなっているということでした。
 化粧品専門店担当という今や絶滅危惧的なニッチ流通か、よほどヨイショかコネかで幸運に残った方以外、ほとんど現場でマーチャンダイジング(MD)職といえば聞こえがいいですが、洗剤やシャンプーなどを棚に企画書や棚割り書通り並べる仕事です。仕事に貴賤はないとは言いますが、確かに経営幹部や管理職を経験した人には、パートやアルバイトで同じ仕事をやっていますから、肉体以上に屈辱なのかもしれません。これは語ると長くなりますが、それで高給が維持されるのは何だか複雑なところです。
 そんな中で、正マネージャー職として、脱落した多数の先輩、同僚をおいて、私が関わった同部門での二人の後輩が残っていることに、快哉を叫びました。
 一人は、先日あった同僚のサーフィン仲間で、私とは大学の後輩でもあるAくん。四国の高校出身で、よく田舎いびりしたけど、基本スタンスは、人に優しく親和力がある。それでいて問題意識も強く、課題を克服するまで努力する粘り強いところもあります。学びのスタイルはエラそうに教えましたが、きっちり学びかつ、バックスタッフとしては淀みなくジョブをこなしてくれていました。
 もう一人は女性で、Kさん。彼女は販売の現場、美容部員さんから営業に回り、営業企画の企業担当にまでなった根性も天賦の才能もあるのだろう。企業担当としては私より少し先に同部署に入り、大手スーパーを担当して難しい相手をしっかり抑えていました。当時の彼女の上司はちょうど私が辞めるころに格下の職になり、彼女が管理職になっていました。
 私が最初に仕事した頃は、嫌な男性の同僚に敵視されたり、悩んでいた時もあったようでした。その前時代的な体育会系営業の男や、パソコンできない上司らをうまくかいくぐっていますが、決して敵視されるほど女性を武器にした感じの社内営業ではなかったです。
 私の上司にあたるM統括からは、Kさんにとっては井上さんのスタンスの評価がとても高いと言われました。一度、ゆっくり話を聞けばいいとも言われました。
 KともAとも2人だけでも、3人でも梅田あたりでよく呑みました。
Kさん曰く、「井上さんは目の前のことをガツガツ気にしないで先の事を考える。そこがスゴイ、ついて行きたくなるところ」だそうでした。
 あと、まあ「あんまり男女の生々しい脂ぎった欲みたいなところがないクールさ」めんどくさくない感じがいいようでした。
 とは言え、男女。
 しかもKさんはバツイチでしたから、お姑さんに大変苦労されて、離婚してシングルマザーで女の子を大きくなるまで育てています。
 かなり早いこと結婚してできた子供なのでしょう。大学を卒業してスタバでバイトしている娘さんにも会いました。いろんな人生があります。
 私もまるっきり男女を意識してないことはないのですが。コイバナシリーズの話にちょっと設定を変えて、彼女とのあるエピソードは出しています。

 こうやって考えると、人間は過去を振り返る分析型と、現代を見る営業型、未来を創造する企画型に分類でき、それぞれの長所短所もあり、利用しあい助け合いながら進めるのが理想といいます。私は未来しか見えない現実に足がついてないとも言われた時もあります。
 カネボウにいて花王傘下時代に、花王主催のアカウンティングスクールやフュウーチャーセッションという最新の企業戦略の研修に行かせてもらいました。そんなもん今さらカネボウの人間が行ってどうなると言われましたが、花王が会計的な戦略上、どうしてカネボウを買収したか、そして化粧品事業をどうしていこうか企図するか分かりました。
 花王全体の組織をどうしようかということは当然話し合われていて、当時の未来である今はその時にもう開示されていました。IT企業などならもちろんもっと決断も行動も早いでしょう、花王でさえがDX(デジタルトランスフォーメーション)を当時最速ということはなかったのです。10年前でこのぐらいの変革は当然あると、予測できたのです。
 少しの時間や詳細にずれはあっても、「そんなことはない、現状がもう少し続くはずだ」とタカをくくり、何も準備せず自分の周りに都合の悪い変革があると文句だけ言っても始まらないのです。そういう人達は、ほとんどが取り残されて沈んでいったのです。
 ビジネスで成功し、社会人として良いポジションで残っていくには、未来を見据える目は必要だということが、何となく証明されたような、動静でした。
 

成瀬ひかるちゃんとの事 叶わぬ結婚 #コイバナ#ラノベ#読者への挑戦 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)
  

空に一番近い恋人の聖地 天使が舞い降りる4 #コイバナ #人生応援 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)
 
 

天空の不夜城 死ぬまでに一度は訪れたい秋田県能代市

 秋田県能代市というと、ちょっとすぐどこにあるのか分かる人は少ないでしょう。
なかなか、他の地方関西からでは遠いし、知らない人も多いでしょうが、旧暦七夕の時期は、お盆よりは休みがとりやすいと思いますので、ぜひ一度訪れて欲しいのが、青森のねぶたか秋田の竿灯です。中でも能代市は遠いですが、美しい町です。バスケットの能代工で少し名前をはせましたが、あとは自然豊かな秋田県北部の中心市といっても4万人くらいしか人口のない長閑な小都市です。鉄道ファンには東能代から「リゾートしらかみ」が走る五能線という海外沿いの絶景路線の発駅としても有名です。海と米代川の美しい町で、素朴な人が頑張っています。
 沖縄や北海道、ハワイやパリへ行ったことはあっても秋田県、青森県に行ったことなく生涯を終える日本人の何と残念に多いことでしょう。まあ人が集まりすぎ、多すぎるのも困まりものです。元々秋田はどの町も大きな宿泊施設も少ないので、イベントでのキャパにおのずから限界があり、普段持て余すような施設は作れないところです。
 それでも、表題の能代七夕「天空の不夜城」東北のこの斬新というのか、もちろんモチーフには歴史的裏打ちはあっても、正式に復活と言うかこんな絢爛豪快にできたのは2013年というので、全く21世紀の新興イベントです。役七夕に先立つ8月3日、4日に行われる観光行事です。
 各地のお祭りのどちらがいいとかいうのは、好みもあり方向性も違うので比べられませんが、首都圏や関西の祭が伝統を重んじるなら、東北は違います。毎年の破壊と創造、復活が東北の祭の中には息づいています。
 短い夏を追う東北の人々、少ない人口の中で祭りに参加しない人を探すのを見つけるのが難しいぐらい町中が盛り上がります。
 こう案内している私ですが、秋田にいたのは3年でしかも2007年までなので、竿灯まつりや能代ねぷ流しは見ていますが、こんな絢爛豪華な天空の不夜城が出来上がっているのは話にしか聞いていませんでした。
 死ぬまでにもう一度行きたいと思うのが秋田です。

小さな町の祭、花火大会

 お盆の帰省でふるさとに戻られる人も多いでしょう。地方出身だと田舎が不便でも父母は離れず、本人もやはり懐かしいと言う人は多いようです。
 地元を支える人も普段は静かな田舎でも、お盆の時期は祭りやイベントで何とか盛り上げようと懸命でしょうし、それを楽しみにする人は多かったでしょう。過疎化も進み、コロナの3年間で帰省も減り、なかなか復活しないイベントも多いようです。
 青森ねぶたや、秋田竿灯などメジャーな東北の祭りには、他所からの観光客も増えて賑わいの報道があり一安心ですが、小さいところは復活は難しいようです。このあたりにも地方には地方の格差がでているのでしょう。
 四国や九州など各地にも、全国に知れ渡る祭りやイベントはありますが、格差は広がりそれ以上に朽ち果てていくところも多いでしょう。ファンドやふるさと納税というのも、結局は目立つところ有名どころに集まり格差の是正にはつながらないようです。
 3大花火大会やら、各地の大きな花火大会の運営も大変ですし、夏祭りも1年かけて準備や管理、稽古もする歴史あるものもありますし見事だとは思います。しかしそこに暑い中行列を作り、集まる人やお金の1割でも回せないものかと思います。そんな大層でなくても、小さな町のイベントを支える資金や人員をなんとか確保するてだてはないかと思います。

空に一番近い恋人の聖地 天使が舞い降りる4 #コイバナ #人生応援

 天使が舞い降りる、人生応援のポジティブなブログの原点ともなった体験話。ついに完結編です。
【前回までのお話】化粧品メーカーに勤めていた私の50代半ば頃、任された現場イベントで、女子高校生と見まがうような幼い素顔ながら、メイクアップするとアイドル級のメイクアップアーティスト水島香菜と出会いました。2日間にわたるメイクイベントの初日は、さまざまなトラブルもありながら、彼女の元気で明るい笑顔と、的確な動き、高度なテクニックを披露して、スタッや私のサポートもあって乗り切りました。その後の食事、カラオケで楽しんだ後、恋人の聖地お初天神で、年齢の離れた彼女から思わぬ告白を受けます。そんな二人を良からぬ輩が取り囲みました。↓というのが前回まで 詳しくはこちらを

梅田の奇跡 天使が舞い降りる1 #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

梅田の聖地でピンチに 天使が舞い降りる2  #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

【死にたい少女との再会】
「エエ年して、可愛い子をたぶらかしてんな。こっちに回せやおっさん!」
 クレーム対応でやくざ者の相手もしてきたので私は相手の力量は読めます。正面から啖呵をきって戦う手もありますが、香菜さんを上手く傷つけず守ることが肝要だと思いました。
 胸倉をつかんでくる、リーダー格の手を、横に動いてかわします。
 その腕にゴツンと石のようなものが当たり、男がひるみます。
 香菜さんが石のような何かを掴んで投げたのです。
「その人は、私の大事な人や、手出すな、許さへんで!」
 どっちが、助けてもらうのか分からないですが、こちらもカバンの中から店頭作業と護身用も兼ねて持っているカッターナイフと大型のステプラーを持ちました。ポスターを壁や天井に打ち付けるホチキスのデカイやつですが、ガン型でスタンガンのような威圧感で抑止効果があり、実際に接近戦で相手の腕などに打ち込めば、威力があります。
 そんな武器を使うまでもなく、香菜さんは礫を別の方向に投げ、敵の黒幕を悟っていたようです。礫はガラスのように光るビー玉、それでも樹皮を切り裂く威力。護身術?印地と言われる古武道投擲術のようです。かつて、それを特にしたスケバンのヒロインがいましたが、現実に見るのは初めてです。
 木の影から現れたのは彼女の事務所の細身でイケメンのマネージャーでした。
「香菜、おじさん好きは分かるが、あんまり、のめりこむな。それに危険なビー玉のおもちゃは仕舞え」
「どういうつもりやの、この人には絶対手は出さんといて、私の命の恩人、私たちに大事な2日間やの」
(そうか、徳島出身と言っていた、この子はあの時の中学生か。確かに死にたいと言っていた女の子を助けた。まさか、こんなにキレイに成長してアーティストになっていいたなんて)

四国で出会った死にたい少女の事 天使が舞い降りる3 #人生応援 #コイバナ #大歩危  – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

「何をしようと、その後のウチのビジネスに影響するようなことにはするな。ただでさえ、休みの日に勝手に他所の仕事をしてるやろ。今度遅刻でもしたら許さへんからな」
「わかってるわ、子供やないんやから。とっとと帰れ」このマネージャーも、素人ではなく、優男ながら喧嘩になれば他の雑魚よりも強そうな雰囲気を持っていました。
「〇〇化粧品の井上さんやったかな。この女はハンパやないからな、せいぜい気をつけな」
 マネージャーが去ると、気が張っていたのが力が抜けて、香菜さんは膝まづいた。
「ごめんなさい。お目汚し、はしたない、お見苦しいところをお見せしました。お上品な女やないですから、ナマの私こんなもんや。でも井上さんに迷惑かけたなかった、もといマーベラスを絶対に誰にも傷つけて欲しくなかったんや、これは本当の気持ち、あなたは私の王子様、天使だから」
「僕こそ、あなたにそこまで買いかぶられる存在ではないけど。あんな連中に手を出されたくなかった。素晴らしい技術を持ったアーティストであり、傷つけることはさせないと思った」「それは仕事で大事だから?」
「いいえ、僕個人としての大事な人だから」
「ありがとう。マーベラスが思い出してくれたの分かった。気持ちは読めていた。でも言葉にして確かめられて嬉しい。ますます好きになってしまった」
 決して媚ているわけでもなく、あざとさもないその顔は、神が作った最も美しい造形物に思えた。彼女こそ天使ではないのか、そんな女性に天使と呼ばれたことが意味不明で気恥ずかしくてならなかった。
「私たち、あと1日、思いっきり仕事頑張って、思いっきり楽しい時間にしたい。明日は、あそこの看板に書いてあったもう一つの『恋人の聖地』に行きたい!」
 猫がじゃれつくように水島香苗は抱きついて離さなかった。
そして、そんな状況なので、彼女のマンションまで送っていくと、まだ飲み直すという誘いを断り切れないで、すでに日付が変わりそうになる。ビジネスホテルが無駄になりそうなことは後悔でした。

 【思い出した過去
 香菜さんは、翌日から東京でブライダルメイクの仕事が入り、その翌週以後イタリアに勉強に行くので、当分日本には戻らないという。その前まで2か月近くオフがないという。かの事務所の契約の仕事とは別に、フリー契約での仕事やレッスンを入れるため、休みを取らないため、掃除洗濯まで大変だという。
「誰かを幸せにする仕事って面白いし、私休み取ってるより、仕事してる方が楽しいんや。だ子供の頃から、けっこうヤバイ運命で、暗い重い女の子やったん、死にたいとばかり思っている子やった。」
 冗舌な香菜さんのいろんな前向きになれた話を聞けた。
「あの時、父親にもDVを受け、学校でもいじめられていた。そう、助けてもらった。だからマーベラスは私の天使」
そう、やっと完全の香菜のことを思い出した。
 そしてそれは私も自分が生きてきた意味、生かされた価値が分かったのです。
 電車に飛びこんで死のうとしている中学生の女の子を助けた、その少女とこんな形で劇的に再会するとは。
 「人間生きていればきっといいことがあるから、それまでがむしゃらに頑張って生きろ」と他人を励ますとともに自分に言い聞かせたのでした。
 私自身、仕事で取引先がらみの借金を背負い一時辞表を書こうとか、死のうかとも思ったことがありました。粉飾続きのブラック企業に落ち込み、何もかも忘れて、ふらりと電車に乗り四国の景勝地まで行ったこともありました。その時、ふらふらと渓谷に飛び込もうとしていた中学生を止めた。
 それが、今の水島香菜なのでしょう。私たちは、お互いにとって天使であり、それでも平凡な日々を生きる平凡な人間なのでした。
 さんざん呑んで、おしゃべりをして、なんやかんやで、気がつけば寝入っていて、窓の外は明るくなりかけていた。私の横にタヌキ顔の可愛い天使が寝息を立てていた。
 翌日、さらに元気に明るく派手にイベントは盛り上がった
 集客に苦しむ時間もあったし、スタッフは土曜で妻子持ちのベテランが集まらず苦戦したが、香菜の動きはさらに冴えた。クレーマーもストーカーも来るが圧倒する勢いだった。
 少しの間に、自らハロウインメイクを施し、ホラーっぽい梅田の都市伝説の「赤いワンピースの女」で露出の高い肢体まで見せて、周りの度肝を抜きました。
 かと思うと、子供向きに戦隊ヒーローっぽい、衣装でホンファと二3人で特撮ヒーローショーアクションまで演じて子供連れを集めました。ちなみに「謎」だった、マーベラスとルカのニックネームはある戦隊ヒーローからとっていたのでした。苦労と言うよりは、やりたい放題に楽しんでいました。 
 何人か本社幹部やも来訪し、圧倒的な活気に驚いていた。グループ全社ナンバー2の販社社長や媚びるあざとさで化粧品会社のトップに上り詰めた里崎まで来ました。
 かつて、私と張り合い私の後見だった星井さんが亡くなったため地位を横取りして成り上がった女です。厚い化粧と面の皮の女で、私の様子見に来たのでしょうが、イベントの盛況ぶりと、若いアーティストの魅力的な動きに、また羨望のような妬みの目で私を見ていました。

水楼閣の思い出 京都の中心で哀愁を叫ぶ #カネボウ♯自伝小説#コイバナ#ラノベ#京都観光 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 とんでもないヒーロー衣装で経営幹部にアテントして談笑し、記念撮影をした。
 本社取材で後に社内報にも載り、優良従業員賞まで貰うことにつながりました。
 記録的な動員と売上と、インパクトの注目度で、他のライバル流通を圧倒したという自負はありました。そして、何よりも生涯でも最も楽しく、熱く面白く仕事をした体験でした。

【空中庭園へ】
 50代の身体でもアドレナリンが満ち続け、疲れ知らずで、打ち上げを行い、その後は約束通り二人で、梅田の北側の高いビルに向かいました。35階から空中庭園への架け橋、シースルーエスカレーター「ハブーブエスカレーター」に乗り継いで39階の「空中庭園」へ向かいます。
 実はなかなか行く機会はないものです。もう出来て長く経つのですが、色あせることのない梅田のスカイビルの空中庭園です。香菜さんは、年の差の自分たち二人を棚に上げ、他のカップルのメイクやファッションから、どんな経緯の交際だろうとかを想像で茶化します。大阪湾が遠くまで広がり、視界の良い日には神戸の先に淡路島や明石海峡大橋も微かに見え京セラドーム、大阪府庁咲洲庁舎や天保山大観覧車、ユニバーサルスタジオジャパン、そして大阪城、通天閣まで360度見通す散歩道「ルミウォーク」を仲良く手をつないで歩きます。
 それでも、自分たちがふたりだけの特等席「エスカルゴキャビン」のシートに収まると、清楚な感じで空と星と夜景に感動していました。
「いいですね、夜景」
「本当に、僕みたいなおじさんが相手で申し訳ないけどね」
「マーベラスはおじさんじゃない。落ち着いているし、包容力がある。私は若い独身のイケメンではダメなの。私ね、言ったでしょう。ほとんど顔を見れば考えることが分かる。私もマーベラスが好きだし、同じぐらい、マーベラスも私のことが好きなの。いろんなことで言えないこともあるでしょうが、いいの、もう言葉はいらないから」
 空と海が、遠くで交わる。数えれない星と街の明かりに照らされて見るものを羨み照らすように思える。
「ルミ・デッキ」という最も聖なる場所、ベンチに二人は座れた。高さ173mの梅田スカイビルに誕生した恋人たちにとっておきの場所。中央のベンチに腰掛けたりすることにより、床の光が様々に変化すると言われます。ベンチに座ってしっかり手をつなぎ左右のドームにふれると愛し合うふたりの心が映し出される。ウエディングベルが鳴り響きます。
 もはや、時間も空間も、日常から離れている。二人のエネルギーが霊的な空間になっている。
 走馬灯のように、二人は自分の生まれてきた時間から今までの思い出を共有していました。それを奇妙とか霊的とも思えないのです。
 世俗とか、常識を超えていました。自分にとってのお互いは、現世を超えたパートナーなのか、初恋の人や、親友や配偶者でもあるのだと感じました。
 そして、二人の辛かった思い出もまるで再び体験しているように、脳裏をよぎります。
 都会の仕事に疲れ、電車でふらりと旅に出て、田舎でたくましく生きる農夫や漁師の姿に励まされた時、そこで出会ったのが香菜です。
 香菜もまた閉塞した田舎で、父親と反りが合わず、学校でもいじめにあい現実から逃げようとしていました。
 そこで二人は出会い、また奇跡的に大阪で再開しました。香菜の自殺を止めているあいだに、自分もポジティブになれたのです。私が星井さんの下で本社幹部にでもなっていれば、このような現場で彼女にまた会えることもなかったかもしれません。
 逆に私たちが再開するために、他の運命がアジャストされてきたようにさえ思えます、
 香菜さんの目も私の目も、大粒の涙にあふれています。
「こんなことって」
 香菜は私を企図して探してのものではない。あくまで、この出会いは偶然の双方の組織のビジネスシフトが巡り合わせた偶然のはずです。
「このままでは、こんな偶然誰も信じないでしょうしね。でもこれから、生きていたら、こんなにいいことがあると、どこかで、若い人にも年配の人にも、いろんな人に。できるだけたくさんの人に教えてあげて欲しい。生きてれいればきっとこんな出会いや奇跡的な再会、美しい光景が見られることを」
「香菜っー!」 
「ここまで、ポジティブになれても、それでもあたし明日の朝少し怖い。朝ごはん食べて別れたら、引きずらないかなと、でも前向いていく、たぶん振り返らない」
 展望台の営業は10:30まででした。
 二人は朝まで過ごしてました。
 約束通りホテルの朝食バイキングを食べ終わると、日曜の遅い朝に二人はあっさりと別れました。アドレスも聞かず、もう会うこともないでしょう。丸2日、48時間をすぎて、愛称で呼び合うこともありません。
「水島先生、さようなら、お気をつけて」
「井上さん、いろいろありがとう。ムスメさんが結婚されるときは、弊社の事務所のブライダルメイクを頼んでくださいね」
「ギャラが高そうだから、検討しとくよ。でもキミは海外に行ってるかもだろ」
「その時は、無理しても帰国するわ」
 彼女は飛び切りの笑顔で手を振っていました。終わりに近づく平成の時代で、それが水島香菜を見た最後です。
 その後も私は聖人君子や天使になったわけでもありませんが、どこかに彼女のひた向きな仕事ぶり、前向きなスタンスを自分の中にも取り入れて働きました。頑張っていれば、何かいいことがあるから、愚痴らず前を向いて働くことを伝える役割を果たしました。


 【エピローグ
 私はそのイベントの実績は評価され、社内報にも掲載され全社に伝播しましたが、あくまでも現場での仕事であり、役職定年を過ぎた55歳以降での偉業であり、経営幹部に呼ばれることもなく、最後まで現場に近いポジションで吸収合併された会社組織の後始末に追われました。里崎はイベントの功労者の私を相談役にして、香菜を専属にアーテイストにしないかと画策しましたが、海外で学ぶことも多い彼女が受けるオファーではありません。
 その後、3年ほどで私は定年退職しました。退職時から、かねて考えていた」人生応援の前向きなメッセージの発信に努めました。在職中に関わったほぼすべての人に、離職の最終日に送ったメールの題目が『天使が舞い降りる25の条件』でした。そのリプライはサーバーがパンクするほどの反響でした。未だに化粧品売り場の、もう顔も覚えていない相手から、『いつも励まされています』と声をかけられます。
 少しでも、前向きの楽しく仕事をしてくれる後輩社員が増えることで、世の中は明るくなるはずです。

 3年後、娘の結婚式が決まった時、メイクとヘアの依頼で私は神戸の事務所に電話をしました。ついこないだ式は終わりました。この時もまた、信じられないことが起こるのですが、それはまた別の機会に。
 
                             完

四国で出会った死にたい少女の事 天使が舞い降りる3 #人生応援 #コイバナ #大歩危 

景勝 大歩危

 清流吉野川の渓谷、大歩危から見える緑豊かな自然は、都会の競争のような生活の追われた心を癒してくれました。
 そこで私は奇妙な体験、女子中学生と会いました。
 自然の豊かな県は、自殺する人の割合が少ないとは言います。それでも、田舎ならでは閉塞感や、因習などもあるようで、不幸に命を絶つ人がいないわけではないものです。
 隣の芝生が青くキレイに見えるようし、都会に住むものは田舎に癒され、地方に住む者は、都会に憧れ、他所がいいように見えるのです。
 たまに、旅という移動により、気分を変え両方の良い部分を味わうことが、必要なのかもしれません。
 その年、私は自分を管理職にしてくれた上司を失い、反りの合わない以前の反主流派の連中から逆襲にあい不遇の会社人生を送っていました。
 難しいリクエストばかりの取引先を抱えさせられ、口だけの無能な上司に振り回されており、家族の病気で地元関西に帰りながらも、職権は狭められて苦しい状況で毎日がイヤでした。
 会社には、一日体調不良で有給を取り、家族には会社に行くふりをして朝早く、違う目的地に向かいました。
 鉄道が好きな私は休日に乗り鉄をすると、一般的な観光客や用務客以外に、同類とは思われたくなにのですが。鉄道マニアをよく見かけますし、だいたい見た感じで分かります。
 その点では、平日は現役世代のサラリーマンは通勤時間以外はいません。
 仕事や家庭でいろいろイヤなことが重なると、何もかも忘れてふらっと列車に乗り旅に出たくなりたくなることがありました。実際に行動まで出たのは初めてです。何となく後ろめたさもありました。しかし、すぐに気分が高揚していきました。
 あまり、行く機会の無かった四国、香川から徳島に回りました。
 見知らぬローカル駅に降り立ち、渓谷を眺めると、吸い込まれるような気分にもなります。
毎日は面白くないと、線路や、海や川に飛び込みたくなるような気持ちにもなります。しかし、川が上流から下流に滔々と流れ、時折列車が走る姿を見ていると、自分の悩みが小さくつまらなく思えてきました。
 コロナ禍の10年以上前ですが、平日なので景勝地でもそれほど観光客はいませんし、鉄道マニアももちろんいません。
 制服の女子中学生が渓谷を見ていました。手すりに細い両足で立ち、遠くを見つめています。制服なのは平日だからいいのですが、授業が始まっているその時間ということと、その雰囲気は異様、危険な匂いがしました。まさに渓谷をのぞき込み、飛び降りることを考えているようです。
 私は、ゆっくりと,そっと近寄りました。
 女の子も気配を感じ、ゆっくり私を見ました。
「そこは危ないよ」


死にたい少女
 私が呼ぶと、ほんの一瞬だけ、驚きと怖れを抱いた感じでしたが、じっと私を見つめて、やがて少し安心したような笑顔になりました。私はゆっくりと渓谷側にまわり、少女を道の方に誘導しました。
「良かった、優しそうな人で、学校や親に言いつけないで、私このままここにいたいの。おじさん?お兄さん?どう呼んだらいいですか、先生とかおまわりさんではないでしょう」
「君のお兄さんならせいぜい高校生か大学生だからね。おじさんでいいよ、たぶん君のお父さんと同じか年上くらいだと思うから」
 女の子は、本当にほほ笑んだ。私の顔をじっくりとよく見てくる。

「うわあ、本当にいい人だ。久しぶりに見る。おじさんって呼んでもいい。でも私おじさんが大好きなの。お父さんはすぐ暴力をふるうし、先生も怖いしね。同級生も変なことするのばっかり、大人もおじさんみたいに時々優しい人はいるのね。まわりはみんな今はイヤなやつばかりで、おじさんみたいないい人がなかなかいない」
「ぼくがいい人って、どうしてわかる?」
「それは、顔見れば、よく見て、表情とか態度、息遣いで私だいたいわかるよ。外れたことはない。人に言うと気持ち悪いって言われるからあまり言わないけど、特技かなと思うくらい、人の性格も考えてることもわかる」
「言いつけたりしないけど、ここで何をしてるの、そのうち見つかるよ。セクハラとか痴漢とか騒がないと約束するなら、少し話をしよう」
「私これから、どうしたらいいのかわからないの。もう生きていたくない」
「じゃあ、おじさんを信じて、もう少し時間を、そう小さな旅をしよう」 
 父親のDVか、学校のイジメか、原因はわからないが、中学生ぐらいにはありがちのことだ。
 騒がず、時間をおいて、気分を変えさせようと考えて、私は彼女を半ば強引に観光地最寄の駅から、電車に乗りました。ちょっと、拉致犯みたいで怪しまれないかと思いましたが、堂々としていればサラリーマンの恰好ですから、親子に見えたでしょう。
 いずれにせよ、このまま彼女に死なれたらこちらも、面倒くさい以前にやはり後悔します。海に近い見晴らしの良い駅に降りて、歩きました。
 彼女の事情は一切聞かず、自分に言い聞かせるように、自然の風景を眺めていました。
「もう少しだけガマンできれば、大人になれる。楽しいこと、いいこともあるし、今まで知らなかったこともわかる」
「大人になると、いいことがあるの?大人を見てるとそう思えないよ。おじさんは大人になっていいことがあった?」
「厳密、そう正直に言うと。大人の方がもっとつらいこともある。いいこともあるけど、悪いこともある。でも子供のうちに死んでしまうと、何もわからないうちに死ぬことになる」
 草木が生い茂り、遠くに波の音や漁船の音も聞こえる。遊歩道にひらひらと蝶が飛び、カモメが遠くに群れている。
「この蝶々は、たぶん何か月か前は葉っぱの上を這うしかできない幼虫だった、運よく羽化できた。大人になれたから、空を飛び見る世界は変った。仲間と交わり、次の世代の子孫を残すことができる。いいとか悪いとか、楽しいとか辛いとかではない。子どもの時しか知らないで人生が辛いからと、捨てるのはもったいない。あの蝶やカモメは苦しいとか辛いと思わずに大人になった」
「海外に行ったことはある?」
「ない」
「東京に行ったことは?
「ない」
「じゃあ、もったいない。働いたら、東京に5回でも10回でもいける。海外旅行もおじさんが若い頃は高くていけへんかったけど、今は少し働いてお金ためたら、若い人でも何か国でも行ってる。世界の5ヵ国ぐらい見て、それから死にたかったら死んだらいい。外国のことわざに『ナポリを見てから死ね』というのがある」
「私みたいなんが働ける?大人になれる」
「誰でもそう、不安だよ。でも時が経てば、大人になっている。
 君は、人をよく観察してどういう人物かわかる洞察力に長けている。接客や営業でも、カウンセラーになれる。看護師や、ダンサーや女優でも何にだってなれる。まっすぐに、一生懸命勉強して、その道の技術を磨けば、なりたい仕事につける。親とか友達は大人に成長する時周りにいる人達であって、それ以上でも以下でもない。
 先生や親の言葉に響かなくても、関係ない有名人、俳優やスポーツ選手、インターネットの言葉に感動して、真似して頑張ってでも、なりたい自分を目指せばいい。頑張る以上必死になることだ。僕なんかも頑張ったつもりが中途半端だったから、大人になっても悩む。でもそれでもまた何かは励まされて、勉強して少し大人度が増していく、そういうものかな」
「、、わかった。お金貯めて、世界中旅して、つまらなかったら死ぬ。もう少し頑張る」
「家に戻れるのか?家族から暴力とか受けてるんじゃないのか」
「ううん、父は手が早いし、武道やってて乱暴だけど、言うことを聞いていたら何もしない。ただ古臭い考えやしきたりを押し付けるのがイヤやっただけ」
「学校は?」
「グループに入らなければ何とかなると思う、やってみる。おじさんは?どこで何をしている人?」
「大阪で化粧品の会社で働いているだけの普通の人」
「すごい、化粧品の会社ってキレイな人がいっぱいいそう」
「そう、キミも学校を出たら、ビューティの仕事もいいかもしれないよ」
「いつか、おじさんにまた会うまで、死なないで頑張ってみる。だから、私を忘れずに見つけてね」
 少女は私の胸にしがみついた。何とも言えない、柔らかい甘い感触。
「キミの名前は?」
 踏切音がして、ガタゴトと列車が到着します。元来た方向に戻ります。
 人を助けたことによって、自分自身のスランプもふっと消し飛びました。つまらないことにクヨクヨしていた自分が馬鹿らしくなりました。
 翌日から、また開き直って仕事、仕事でした。家族もかまわないといけないのですが、自分が愚痴らず、明るく仕事をしている姿が家族の少しでも励ましになるのです。
 この頃、会社人生でも一番厳しい時代、化粧品会社が粉飾で事実上倒産で、産業再生機構の傘下となり、再建の道を模索します。
 あの時、出会った少女とまさか出会うことがあるとは思いませんでした。
「カナ。水島香菜です」
                            (つづく)
 
梅田の聖地でピンチに 天使が舞い降りる2  #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

梅田の奇跡 天使が舞い降りる1 #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)
 

祇園祭 山鉾巡行とファストフード店の思い出 #コイバナ

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 梅田のコイバナ編が長く重くなりすぎて、なかなか完結まで書けないので、今日はサラリと祇園祭の思い出、コイバナと呼べるかどうか、設定だけ少しフィルタをかけて記憶違いが無ければ創作なしの淡い思い出です。
 最近はコロナ前でも暑くて混雑する宵山にはほとんど行ってなかったです。社会人生活の多くの期間は京都に居ませんでしたし、帰省はお盆でしたから送り火は見ても、なかなか祇園祭は縁遠くなっていました。
 宵山は高校ぐらいから、デートと言うよりは夜店でゲームや買い食いで遊ぶのが目的でうろうろした程度でした。宵山では、中学ぐらいに浴衣着た子とデートしたことが1度あったのか、もう昔過ぎて思い出せないくらいです。

 今覚えているのは。大学時代に四条河原町高島屋で待ち合わせして、巡行を見た微かな記憶です。つき合っていたと言えるのかどうかの、友達以上恋人未満みたいなサークルの子でした。1階のインフォメーションの前で待っていると「中京区からお越しの井上智史様お伝えしたいことがございますので、1階総合案内までお越しください」と呼びだされたのだけ、印象的に覚えています。「20分ほど遅れる」という、携帯のない時代ならではの伝言でした。目の前で自分の名前が繰り返し読み上げられるのを不思議に見ていました。思わず「それ、僕、僕や」って自分を指さしてました。
 当時でも、ものすごい人波を腕組みながら歩いたのを覚えています。こう書くとスゴイデートやんと思われますが、彼女は良家のお嬢さんであけっぴろげな感じで結構幅広くお友達付き合いはするタイプで、「トモダチ」っていう感じでした。
 当時の私としては独占欲が強くてどこかで波長が合わなくなったことを覚えています。
 ファストフードでアルバイトされていたので、その姿は可愛くかっこよかったのですが、店舗に来てとは言われたけれど、忙しすぎて相手にされずでした。そのあたりのタイミングがやはりすれ違いなのかなと思いました。私の性格をリスペクトし、理解はしてくれているところはあり、「年賀状は必ず、井上さんから書く癖がある」と妙な自慢をしていました。
 お互い結婚しても何となく年賀状やSNSで連絡は取り合い、一度は家に行ったこともある友達関係は不思議と続いているのですが、祇園祭の巡行とファストフード店で遠い学生時代の記憶をたまに思い出します。

梅田の聖地でピンチに 天使が舞い降りる2  #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

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ぶらり夏の京都 

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 烏丸御池駅最寄の職場となって、ひさびさに仕事帰りにぎやかな街を探訪できます。
鉾立てなども見るのは何年ぶりでしょうか。
 暑い中、コロナ禍から戻った祭に賭ける街の人の活気や情熱が感じられるのがいいですね。
 新風館はじめ、改装された店、新たにできた店も多くあります。
 昔勤めたメーカーがらみで、ドラッグストアやショップの化粧品コーナーはどうしても気になり覗きます。
 後輩に聞いていますが、なかなか、国内市場での縮小ぶりが顕著でOBとして悲しいい限りです。
 今書いている自伝風の創作コイバナとかにも、ドラッグストア内でのビューティの研修や、バラエティショップでのメイクイベントなど、さまざまなエピソートもメーカーと取り巻く人々あっての話なのです。いろいろショックな撤退場面も目にして、唸るばかりです。
 コイバナ的な部分だけでなく、化粧品の国内メーカーがマス宣伝プラス人間的なもので売っていた時代がやはり少し昔になっていましました。

 そういう面では、祇園祭なんて、お化けみたいに長く続いている、立派なようですし、うあらやましい、ずるい、あるいはそれでいいのかなと思います。

成瀬ひかるちゃんとの事 叶わぬ結婚 #コイバナ#ラノベ#読者への挑戦 ‹ 天使の星座 ‹ Reader — WordPress.com

 コイバナ梅田編の続きは鋭意制作中 いつまで続くのか