モテ期を逃す人、逃さない人 #コイバナリンク集

 昨日、自伝風のコイバナを「つづく」としたのですが、後編があまりに長くなり、現在編集、校正に手間取っています。もうしばらくお待ちください。エピソードに登場中のわが娘がもうじき結婚するので、メッセージも込めて全力で仕上げ中ですので、乞うご期待です。
 実際に多少美化して、切り取りや盛りはあるものの、ほぼあんな恋愛未満みたいなことが多かったのです。
 化粧品会社で女性が多く、モテたとか女性と悪く遊んでばかり思われるでしょうが、そんなことはありません。たしかにスゴイ遊びまくる伝説的逸話のような人、不倫しまくりの噂のような人もいましたがそんなことはなかったです。
 モテる人、すぐ恋人が見つかる人とそうでない人に分類されるなら、圧倒的にモテない方じゃないかと思います。独身の彼女いない歴長かったです。若い後輩に抜かれ何でこんな年上のおっさんがモテて不倫の噂まであるとぐらい、30代で未婚の頃は焦りと選り好みとかでもう典型的なモテない男でした。
 妻帯者がモテるのは、ある種独自の安定感や父性へのあこがれと、母性本能かとも思います。その頃に、一時的にモテ期はくるのかもしれません。顔がイケメンとかお金を持ってるとかも、要素ではありますが、お笑い芸人などでもそうですが、ユーモアとか機転のきいた優しさ、相手を思う敏感さなどがモテる要素、要はモテ期を見逃さないことのような気がします。
 その点でも私は鈍感でした。ただ、また敏感な人はモテすぎて、コントロールできないと誘惑に負け墓穴を掘るのです。
「月に行ける自転車、運命の再会」↓でも、ものすごい偶然に助けられましたが、次回「星空デート」の結末はもっとリアルに切なく感動的になる、なおかつ最後に叙述トリックを仕掛けて、エッ?となる予定です(笑)
 通算の閲覧がそこそこに伸びだしております。今後ともよろしくお願いします。
 コイバナリンク集↓

子連れ中年が禁断の星空デートへ? #コイバナ#星空デート#能恵姫#ラノベ – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

すずらん 「ふたたび幸せはめぐる?」 #コイバナ特別編 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

月まで行ける自転車 (生涯最大の危機と運命の再会)  #コイバナ#運命の再会#ラノベ#剣道少女 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

剣道少女は負けない #コイバナ#ラノベ – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

子連れ中年が禁断の星空デートへ? #コイバナ#星空デート#能恵姫#ラノベ

 これは私が化粧品の北日本販売の支社の時のお話。
 引かれるかもしれない前後編になりそうな長さですが、コイバナ?というより人生でも最大の激流に呑み込まれそうなエピソートでした。お時間のある時にお読みください。


 北国には美人が多いと言われています。赴任した時はもう結婚して子供もいましたので、結婚相手として出会えなかったのが残念なぐらい美しい人も沢山いました。雪の多い冬は厳しいですが、自然は美しく、少しクルマで走れば、野鳥のいる森や清流もあり、夜は都会では考えられないほどの数の星は見えました。ところが、この時期、最悪なことに妻と下の男の子が同時に病気になり入院してしまいました。妻が癌の切除と抗がん治療を決めた時、長男も小児としては難しい疾患で緊急入院となり、実家が遠方のため、取り残された私と小学校低学年の娘にも試練の時期でした。
 
 大手スーパーのAモールがもはや全国を席捲しだしていた時期です。勤めていたメーカーもA(当時の小売商号名はまだJ)での売上依存は大きく、大きなイベントを基幹店で企画して成功させるミッションが本社からもありました。ところがその地域の私の前任者やその上司が、出来の悪い人間ぞろいで、A企業に対して、まともな商談もできず、約束不履行やミスばかりで、関係のとても悪いまま引き継ぎもなく転勤してしまいました。
 Aのエリア内最大のモール内の部門責任者が、とんでもなく怖い方で、怒り心頭でもう我が社にもあってくれないというのです。元々厳しい方で、「女とは思えない鵺(ぬえ)」と周りから怖れられる人で、それでもしっかり現場を強く握った存在で、つむじを曲げられるとアポすらとれない情勢です。これでは大型モールのイベント商談のきっかけすらつかめない困った案件となりました。最悪、本社からのトップダウンで店長から下ろすとかの手段もあるのですが、モールは組織も複雑で現場がノーとなれば、最後はこじれて結果はさらに悪くなる可能性が高いので、手詰まりのまま丁寧なあいさつメールを送って反応を待ちました。休日にも時間があればそのモールを訪れ、客層など人の購買の流れを知り、商談の引き出しを増やして準備になればと思っていました。
 家の看病を抱えながらも、小学生の娘ハルを連れて商圏調査や小型イベントの巡回をしました。ハルが良くできた子で、母と弟のいない寂しさをこらえて我慢して気丈に明るく商用ドライブにつき合ってくれました。
 仲睦まじい父子の姿は、化粧品の現場には微笑ましく映り、また母性を擽っていたとは思います。子ども連れだと、こちらも時間を切りやすく、一人で留守番させているよりも気楽でした。
 ただ好奇心旺盛な子なので、マグロの解体とか呼び込み販売など。物珍しいものを見ると目を離した一瞬にフラフラとどこかへ消えてしまい、モールの中で迷子になるのが玉に瑕でした。ある時も、別のイベント会場に魅入られて、随分長く探し、迷子案内まで行きました。モールの職員であろう若い女性に連れられて、戻ってきました。やっと見つかった時は、嬉しいやら、周りに恥かしいやらでした。
 恐縮しながら、保護してくれた従業員にお礼をしていても、横でハルは「ウチはお母さんと弟がいなくなって、お金があまりないもんで、ノエさんお父さんを許したげて」と父を庇う発言までしてくれました。これにはノエと呼ばれたその若い女性も大笑いでした。すでに娘は名前を知り、友達になっているのかようでした。よく見るとキレイな女性で、こちらが恥ずかしくなりました。
 そんな情けない土日の休日の繰り返しでしたが、翌月曜日になって、ようやく、問題のAモールの現場責任者からアポの返信メールが来ました。
 会って話す前に前任の問題を謝罪し、かなり詳しい提案資料と、実際に詳細を面と向かって話すメリットを書き込んで、魂を込めたメールを送っていたため、さすがに無視はないとは思っていました。前任者が無能で出来が悪いほど、一時期は後始末は大変でも、しっかりカバーすれば実は後任にとってはオイシイことの多いのが、営業の常です。

 店の担当者や巡回の女性教育担当すら、脅すのか、本当に怖れを成しているのかの緊張感で、どんなコワイ人かと身構えて商談の応接室に向かいました。お茶を持ってきた女性がそのまま向かいに座りました。先日ムスメの迷子を案内してくれた女性でした。
「Aモール 〇〇店〇〇部主任 上芝氏(かみしばうじ)能恵(のうえ)です。井上さんハルちゃんのお父さんですね」
 真正面から見ると、能恵さんは色白で華奢で、目元が特に印象的な目蓋をされている北国美人の典型のような別嬪さんであり、この方がそんななかなか会えない厳しい商談相手だったとは驚いてしばらく見つめるだけでした。
「かみしばうじ、、さん。その節はお世話になりました」
「ははあ、変な長い名前でしょ、うじまでが苗字なんて変で私もこの苗字嫌いなんです。ハルちゃんと同じノエと呼んでください」
「まさかご担当の上芝氏様、、ノエさん、、だとは気づかず、ご挨拶も遅れてすみません」
「いろいろ悪口ばかり言われてて、どんな女だと思われてたでしょう。実際よく、コワイとか近寄り辛いと言われてるんです。でも前の方、名前も忘れたけどさすがにひどかったあれはビジネスマンじゃない。あんな人がいる会社はダメだと思ってました。井上さんのメールはよくわかりやすく書いてました。ハルちゃんにも先に話を聞いて、仕事に熱心で真面目な人と出会えたと思ってます。イベントのことですね、一緒に考えていきましょう。こちらこそよろしくお願いします」
 その後、驚くほど彼女はイベントを協力的に推進していただき、他メーカーが羨むほど優先的かつ精力的に動いてもらえたのです。確かに厳しい面もある人ではありますが、全て正論であり、仕事への情熱、現場への意欲から来るもので、順調に課題をクリアしていけました。
 私は家族二人の看病を抱えながら、大型モールのイベントが大成功に向かっていた時です。
妻の癌のステージは、最も難しい段階と医者から告げられました。
 人の運命とは、、人生の激流を感じた時期でした。
                                 (つづく)
 

                       次回、星空デートと能恵姫伝説

すずらん 「ふたたび幸せはめぐる?」 #コイバナ特別編

 最近はまあ年齢が年齢なので、物覚えは悪くなっています。誕生日そのものはめでたいとか照れ臭いというよりもどうでもいいような感じで、個人情報を持ったダイレクトメールからや、以前よりSNSで増えた学生時代の友人で知らされ感謝するぐらいです。最近の事や昨晩のご飯を忘れるように記憶力は鈍っても中学や高校の時のことは覚えているとかいう人は多いですが、私の場合は古いことは都合よくか、たいてい忘れています。

 前置きが長くなりましたが、今日のコイバナ本編は短めです。
 あまり覚えていないその高校ぐらいの時代に、好きだった女性がたぶんいました。クラスの文集か何だか媒体は今となってはよく分からない、全員自己紹介みたいなアンケート質問形式で書かれているものがありました。
 いくつかの質問があり、【好きなものと嫌いなもの】という、なぜかそことあといくつか彼女のものだけピンポイントで記憶が鮮明にあります。その彼女の好きなものの項目に「すずらんの花(ホントよ)」と書いてありました。
 比較的当時珍しいのですが、さわやかな季節の花ということで何人かその花を書いている人がいました。「清楚」「純粋」とかいう意味の花言葉で、彼女にぴったりのイメージでした。
 あといくつか項目を覚えています。きらいなものはある昆虫でした。
 席が近くだったので、書く内容を相談され、書いているのを見た記憶があります。
 私の好きなものの項目には彼女の名前を書きたいなと思いましたが、そんなことはできるわけありません。
 公開するわけにもいかないし、人をもの扱いも変ですし、真似してすずらんとも書いていません。自分が何を書いたか、それ以外の人のことも全く覚えていません。
 覚えているのは、すずらんの彼女のことだけ。
 当時は電話番号とかも、連絡網とか名簿で公開されていましたが、電話をした覚えはないです。たぶんお互い他の人とそれ以上仲良くしていたから、恋とか交際でも何でもないのです。たぶん、彼女の誕生日はどこかに記憶しているはずなのに、すずらん以外は全く数字を覚えていないので、やはり忘れてしまったかなと思っていました。
 よくよく考えてみると、たぶん歴史の年号とか他の行事の日で覚えやすい数字になる4ケタだと思い、自分で自分の過去やりそうなことを推理しました。
 そうでした、私がほとんどのカードの暗証番号に30年以上使っている4ケタ数字〇〇〇〇の由来は彼女の誕生日でした。思い出せてちょっと、スッキリしました。


 ヨーロッパなどでは待ちわびた春を告げる白いすずらんの花言葉はもう一つ「再び幸せが巡る」です。

(過去のコイバナシリーズはこちらから↓)

剣道少女は負けない #コイバナ#ラノベ – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

月まで行ける自転車 (生涯最大の危機と運命の再会)  #コイバナ#運命の再会#ラノベ#剣道少女 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

月まで行ける自転車 (生涯最大の危機と運命の再会)  #コイバナ#運命の再会#ラノベ#剣道少女

マジックリアリズム風ラノベ2、叙述トリックとリアルを少し混ぜて、なぜか、イメージ西野七瀬

 【プロローグ
 長く生きていると、思いもかけない危機に遭うこともありましたし、そこで運よく助かったこともあります。また思いがけない人に奇跡的な確率で再会することもあるものです。
 危険に遭うことは命を落とすかもしれなかったのですが、それでも生かしてくれた運命に感謝するとともに、その巡り会わせの妙には驚きます。
 化粧品会社にいたので、大変美しい女性ともたくさん出会いました。
 男性が悪い、女性が悪いということではなくて、人の運命というか、美人すぎる〇〇的な人もいれば、美人薄命という感じの人もいました。「傾国の美女」という言葉もありますが、そういう間違いで堕ちた人は男女ともいましたし、私は踏みとどまった方なのかもしれません。


 【再会
 十何年ぶりかにかつて在籍した県に戻り、全くの偶然に随分前に退社したある女性、久我カズミ(仮名)を見た時、年齢を重ねた以上に老けて、やつれてやさぐれた姿に衝撃を受けました。清楚で美しかった姿から、想像もつかないくらい肌にシミや皺が増え、整形痕のような線凹みが目立ち、中途半端な毛染めで髪の毛の手入れがされていませんでした。その人のあれからの人生の厳しさを想像し胸がつまりました。私は気づかれないようにその食堂の隅に座り定食を頼みました。目は合ったはずですが、私に全く気付かないのは、視力が元々良くないのもでしょうが、観察力や想像力が足りないような彼女らしいといえば彼女らしいところに思えました。
 いや、自分の目が衰えての錯覚、すべては夢だったのでしょうか。

 【誘惑
 私もさまざまな誘惑というのか道を誤りそうな危険はありました。彼女との話、それは生涯でも最大の危険に見舞われた時のことです。
 それは私が結婚して何年か経ち、子供が小さい頃に部下だった人との話です。当時私はある県に赴任して間もない頃です。私の配下のチームに、名前は久我カズミさん、カズミは、タイプとしては別の有名アイドル女優Kに似ていて、実際にはそのKよりもキレイじゃないかと思われるくらいの美人でした。私が出会った女性の中でもトップクラスには入ったでしょう。
 かといって、とくにをひいきするとか、親密になるようなことはなかったですが同僚は妬みなのかどうも一線ひく感じで孤立していました。
 カズミは私の担当の中でも、取引額も大きい、難しい拠点に入店し堪えていました。取引先で見るカズミは清楚で凛とした美しさでしたが、彼女の評判は「キレイなんだけどね、」と妬み半分の辛口が多かったようです。
 夏の終わりで台風が通過した頃のある日、カズミの方から、どうしても今夜食事をしながら大事な相談をしたいと誘われました。内容は詳しくは食事しながら話すが、家族や仕事にも関わる複雑な案件と言いました。それも彼女の家の近くを指定されました。
 取り留めない話をして、なかなか要件を話さないうちに食事を終えると、自分の家に来て欲しいといって、自分の車で案内するからと半ば強引に誘いました。台風で増水した川の近くにある、少し著名な観光地を過ぎ、家の近くで降ろされました。
 私は家には入らず観光地に通じる道路に歩き、やはり外で話そうと提案しました。彼女はどうしても家に来て欲しいと言いますが、私は独身女性の家には入らないと拒否しました。川沿いの適当なベンチを見つけると、そこで話そうと言いました。しのぶは家から見せたいものと渡したいものがあるので、そこで待ってくれと一度家に戻ります。携帯も圏外で、少し待つのも寂しいようなロケーションですが、地元の中年女性がジャージで一人でジョギングしているぐらいなので、そう危ないほどでもなく、不審な目で見られるのはこっちかもしれないと思いました。

危機
 しばらく経って戻ってくると、カズミは洗剤、鍋、サプリメントを持ってきて、
「自分の大事な弟が困っているのでどうしてもこれらの商品を買って、今すぐには現金でなくても、クレジットカードで契約だけして欲しいの、どうしても商品が気に入らなれれば解約はできるわ」
 私に顔を寄せ、手を握り懇願した。悪名高いマルチ商法の商品でした。
「今夜中に契約がないと私も連帯保証で会社を辞めて身体を売るような水商売で働かないといけない。
 契約してくれたら、何でも言うことを聞く。そうでないとは自分はあなたの前からも会社からも消えてしまう」
 と涙声で訴えました。契約は1年で170万ほどになる内容でした。一部上場企業の中間管理職が払えない額ではないです。
 私はカズミと距離をとり、視線を商品と彼女の交互を見て時間をとりました。さっきのジョギングの女性がもう一度通過してくれたおかげで、もうしばらく考えをめぐらす時間ができて助かった気がしました。私は最終の電車時刻と、現在の時刻を確認し、徒歩で帰らされて歩いて帰るとしての時間も計算しました。
 彼女の女優さんのような美しい顔の誘惑に勝つほど倫理や理性があったというよりも、他の可能性を考えると躊躇いが生まれました。
 今日のところは大きな金額でもあるし、こちらも家に帰って検討したいというとカズミの顔色が変わりました。
「どうしても今夜でないと、私は連れていかれる。電話で交渉して確認するから少しだけここで待ってくれ」
 と慌ててカズミは家に戻ったのだったが、ほどなく家の方からきたのは人相のあまりよくない若い男が2人だった。後ろにカズミがおびえた顔で従っている。
「お前が女の上司なら、潔く責任とれ」という意味のかなり汚い脅しの言葉が飛び、カズミは涙声で「お願いだから、私のために契約して」と繰り返す。
 私は男たちの前に1万円札と千円札数枚入った財布を投げつけた。あらかじめ何枚かの札とカードは抜いておきました。私はカバンの中にわりと大型のカッターを持っていました。店頭で段ボールやPOPを切ったりの作業をするためで持ち歩くのは違法ですが、護身には心強い相アイテムです。
「これで勘弁して解放くれ、彼女にもこれ以上からむな」
 そうとう心臓バクバクだったが強がっている様子まで悟られまいと啖呵を切って、カッターをカバンの中で持ち構えた。財布の中を見て男の一人が激怒した。
「こんなハシタ金で、逃げられると思うな」
「それで勘弁してくれないなら、私も命懸けて戦う、勝てるかどうかは分からないが怪我はするかもな」
 私がカッターを向けて構えると、男が合図をした。残念ながら、仲間はもう二人いた。しかも二人ともいわゆるバールのようなものを持っている。得物の長さでも人数でも不利、我ながら、生涯でも最大級、かなりピンチだとは思った。
 大声を上げても近くに彼女の家以外には明かりのついた家はない上、携帯電話も圏外のままだった。騒動を聞いて通報してくれそうな期待も薄い河川近く、このまま頭でも殴られたら一巻の終わりか、子供と妻、両親や友人の顔が浮かんだ時でした。

奇跡
「あんたら、そのへんにしときなさい」
 男たちの野蛮な声を断ち切るような凛とした声。
 自転車を降りて助けに入ってくれた人がいました。
 自転車をおりるや、気合のこもった「タァーッ」という叫びとともに疾走してきて私の前に小柄な女性が立っていました。
「なんや、おばはん」
 先ほどから、ジョギングしていた女性が、自転車に乗って戻ってきたのでした。台風で落ちていた太目の枝をバールに対抗する竹刀のようにして上段に構えています。
 女性でもお構いなしに、バールを振りかざして迫る男たち。
 流れるような早い動きで、バールをかわして間合いを詰めます。
 あっという間に二人の男のバールを小手で打ち払い、胴も打った。もう一人も腕を小手で叩きましった。いきがっていた首謀者もそのスピードと気合に完全に圧倒されていました。それでも手加減しているほど実力差が明らかで、すでに戦闘意欲はなくなっていました。
 中年女性は明らかに剣道の有段者で、不審な動きを察して防犯パトロールと篭に貼られたママチャリを家から駆って戻ってきてくれたのでした。
「女はグルやろ、騙されたらアカンよ」
 カズミは首謀者の弟?とともに舌打ちしながら逃げるように去っていきました。
「井上くん。危いとこや。気ぃつけな。駅まで送ったげるわ」
 まさかと思ったが、助けてくれたのは、かつての高校時代の同級生でした。高校時代剣道少女だった彼女は、同じ大学に進みはしたが、学部もサークルも違い、卒業する直前に就職探しの掲示板の前で一度だけ最後に会ったキリでした。
 その後は同窓会に出た友人に結婚して他県に住んでいるとだけ噂に聞いていました。
 十数年ぶりで、よく自分だと分かってくれたものだと感心しました。彼女は私が化粧品会社に就職したことは知っていて、最初にベンチで見かけた時から気付いて見ていたそうでした。相手のカズミは町内でも派手で色仕掛けの悪徳商法に関わっていることもわかっていて、そこにまんまと、同級生の私が呼び出されているという構図だったようです。

同級生
「ありがとう、何とお礼を言っていいか」
「かまへんよ。地元の恥や、情けないい連中よ、静かな田舎やのに」
 たしかに、かつてのほのかに想いを寄せた美少女とは気づかなかった。でも凛々しい女性に変わりはなく、その顔にはかつて憧れた面影がはっきり残っていました。化粧をばっちりした若いカズミと比べても、天使か菩薩の神々しさを持った輝きがありました。
 お礼をしたいと言うと、もう遅いから駅まで最終列車に乗るには急ぐはずだといい、自転車を使っていいから早く帰ったらと、固辞された。
 自転車まで借りるのはさすがに恐縮したが、駅までは夜道で距離もあります。
 彼女は、自転車を乗り捨てても困るから、二人乗りで後ろに乗っていくことを提案しました。さすがに私が後ろに乗る訳にはいかないのと助けられた立場なので、その提案を飲まざるをえなかったです。
 近所に見られたらまずくないかといったが、笑い飛ばされました。
「いくつやと思てるん」
 恋心があってもなかっても十数年前、もうお互い40の大台になる年齢の中高年ペアの相乗りでした。私は元剣道少女の腕が後ろからしっかり胴に回され、抱きつかれた格好で走り出した。
月までの自転車
「〇△神社の前を回って、近道、段差に気をつけて」
「月が綺麗、満月やのに星も良く見える」
「田舎やしね、明かりが少ないさかい。それっ、月に向かってママチャリ、このまま行けっ!」
 慎重に、でも段差の揺れで二人はますます強く密着してしまう。
「井上くん、昔と全然変わらへんしすぐわかった。私なんかすっかり真っ黒な田舎のおばさんになってたでしょう。さっきから全力で走ったし、汗だくや,お化粧もせんで恥ずかしいわ。ごめんね、いっぱい走って暑かったし、汗臭いやろ」
 元剣道少女が結婚して変わった姓は、そこで初めて分かりました。
「〇〇さんこそ、変わらへん、キレイやで」
「お世辞やん。エエおばはんになってもた思うてる」
 それでもつい旧姓で呼んでしまった。坂道で段差があり、バウンドするぐらいに揺れて、柔らかい彼女のお腹やら胸が何度も当たってくる。結構なアップダウンが続いた。
「ごめん、汗臭い、汚いおばはんに抱きつかれて堪忍や。井上くんも、もう結婚してるんやろ?奥さんに怒られるわ」
「うん、結婚はしてる」と応えると、
「幸せそう、井上くん優しいから奥さんも幸せやろね。私も幸せ、旦那はそんなにかっこよくはないし、もうデブのおっさんやけど。面白いし、ああ私もチビデブか。ダイエットのために走り出して、マラソンにも出てるんよ」
 月明りに照らされた神社の参道付近の道は、ますます段差がありいつ終わるのか見えない長い道に見えた。揺れを抑えるというよりも、転倒しないように慎重にしっかり漕ぐことに集中した。しっかりつかまっている元剣道少女から何か暖かいような、柔らかなふわふわしたような感覚が伝わってくる。
 何だか、いつまでも終わらないような時間と空間に来ているように思えてきました。
 いつの間にか、自転車のタイヤが膨らんできて、まるで空を飛んでいるような感覚になりました。いつの間にか、月が巨大になり自転車は上空まで浮かびあがっています。
 自分がどこで何をしているのか、夢をみているような感じで、卒業した高校に通う若い自分の姿を第3者の視点で見ているように、脳裏に浮かびました。
 授業中や通学途中の姿、バイクやバスに乗り、友達と他愛なく喋り、授業に難渋してノートを取り考え込み高校生の自分の姿、それを見つめている思念が脳裏に転送されているようなのです。
 そして、次に場面が変わると、チヤホヤされながらの仰々しく暑苦しい結婚式場。その後は、何だか古く大きな家で、掃除や洗濯を延々とこまごま叱責されながら指南されているような女性目線の世界でした。親戚一同が集まる中で旧家で行われる葬式であいさつから接遇に気遣いしながらまわる、辛く平凡で味気のない日常、昭和から平成時代への主婦の体験の記憶なのか、思念のようなものに覆われました。
 漕いでいるペダルの感覚だけが続き、段差の多い坂からやっと平坦な道になったようでした。
 気が付くと〇〇駅にたどりついていました。
「やっと、到着、井上くん、疲れたやろ」
 足やお尻は痛かったですが、私は改めてお礼がしたいと言ったが、
「絶対にいらない。もうお礼はしてもらっているやん」
 とピシャリと言い返されました。
「えっ?」
「あたし、高校時代に井上くんのバイクの後ろに乗せてもらいたかんよ、見たんよ、誰か乗せてるとこ。風切って気持ちよさそうやったし、かっこよかった。こんなに後になってかなうなんてね、オバハンの昔の夢がかなってこの上ないお礼やから」
「ウソやん!?」
「ははは、さあウソかな。で、奥さんに報告するん?今夜のこと」
「ははは、ちゃんと報告する」
「それこそ、ウソちゃう。キレイな若い子にひっかかって、昔の同級生のおばはんに助けられ、二人乗りしたてとこまでやで」
「ははは、どやろね」
「ああ、でもさっきはウソついた、あれ近道やなかった。〇△神社の神さんに、今日の偶然の出会いを報告しな思うて、まだ時間あったしな。ちゃっとあの坂と段で試してみた。あの時、井上くんがあの坂にちゃんとまっすぐ踏み外さんと、耐えて走れるかなって、ちょっと、、」
「ちょっと、何?」
「ううん、何でもない。ちょっとでも、そう長いことお尻痛いくらいやと、今度からもっとキレイな人の事警戒するやろと」
「はいはい、痛かったで。漕ぐのもシンドイし、今度からもっと注意します」
「はっはは。長生きすると、いろんないいことがあるもんやね。あの女の人もあんな別嬪やのに人の道間違うたんやけどね。やり直せるんかな。私もね、けっこう辛いときもあったんよ。知らない田舎に嫁入りしてん。でも道だけはまっすぐ踏み外さんかった。負けたなかった。剣道で根性鍛えてたから負けへんねん。本当にお互い、生きてて会えてよかった」
「うん」
「SNSとかはやってへん、連絡取り合えるよ」
「やってない、メールも、うん、井上くん、本当にいいの、もうエエよ」
「そやね、わかった」
 何か、全てではないが、分かったような気がしました。
「あたし、ホンマにおばはん、元気やけど顔も体もホンマに真っ黒のチビのおばはんで田舎の片隅でまっすぐ生きてるさかい」
 カンカンカンカン 
 最終の1本前の電車に間に合いそうでした。
「よかったやん、最終の前やし。あたしも家帰らな、」
 自転車に跨る彼女でしたが、思うようには進みませんでした。なぜなら荷台に私が乗り後ろから彼女を抱きしめたかたからです。
「神社までもう一回行って、戻ってこう」
「エエよ」彼女はうなずいて、その後は無言でペダルを踏みだしました。最初はゆらゆらと、その後はまっすぐに道を走れました。私は彼女の後ろに座りピッタリ身体を寄せました。そして高校時代ずっと憧れていて、好きだという気持ちで、いつも見ていた彼女の情景を思い出していました。そして、その後社会人になって、さまざまな悲哀、苦楽があったことも振り返りました。自転車はゆっくりと、揺れながらもまっすぐ前に進んでいます。やはりちょっと、ふわふわと浮くような感覚も生まれ、さっきとは逆の姿勢で、まったく逆の流れで自分自身の記憶や思いを脳裏に浮かべました。それ以上に何かの方法、手順があるのか分かりませんが何が正解だったのか確かめようもないことです。
 満月だけが、すべてわかって、笑って見ているようでした。
 2回目の、逆パターンでの神社への往復以降は、ほとんど会話を交わさずに、それは話題が尽きたとか気まずいとかではなく、あまりにも脳裏に入った情報の量が多く、声にもならないし、陳腐な言葉にすることは難しかったのです。ようやく口を開いた方は彼女でした。
「月までは、行けへんかったね」
「ママチャリやしな、30年かかるかな」
「じゃあ、またその頃」
「うん、そのトシやと電動アシストは要るな」
「ははは」 
 二人とも泣き笑いみたいな感じの表情で見つめ合った気がします。最後の電車がくる近くの踏切音がしました。
 カンカンカンカン
 結局連絡先も交わさない、また会う約束もしないで、最終電車で帰りました。
 
 【エピローグ
 久我カズミはその後、1カ月くらいは在籍していましたが、ほどなく退社しました。金髪になり歓楽街で働いていいるという話を聞きました。冒頭に彼女に似ているアイドル女優がいると書きましたが、そのKがその頃飛び降りで自死してしまいひどく驚いたものです。
 私もこの県にその後2年半ほどいましたが、元剣道少女の同級生とそれ以後会うこともすれ違うことも無かったです。
それ以降私が昇進しても、いや昇進するほどに女性からの誘惑のような機会は増え、人の道から外れるような甘い誘いはたびたびありました。
 でもあの夜のことを思い出すと、二重にそんな気にはならなかったのです。ひとつはどうせ色仕掛けの罠のようなものかという疑いからでもあるのと、もうひとつはやはり、まっすぐな道を漕ぎ続けたいというあの自転車を二人で乗ったときの不思議な気持ちからです。
 地味でも、世の片隅でもまっすぐに生きることで、素晴らしい奇跡が起こることをあの月が教えてくれたようだからです。

 さらに十年以上を経て、その県でまた仕事をして冒頭の話の食堂で久我カズミを見かけた時代となりました。その食堂で、この地区であった劇的な出来事を思い返さずにいられませんでした。
 昼前に通った、あの時の観光地近くの川沿いは、キレイな遊歩道になっていました。
 その県のスーパーやドラッグストアで仕事をしている自分を元剣道少女がどこかで買い物しながら見守ってくれているような気がしました。
 その遊歩道をジョギングするジャージ姿の女性を見かけました。ちょっと期待しましたが、それは同年代の女性ではなく、中学生か高校生の女の子でした。
 でも、クルマの中からチラリと見えた顔は、高校時代の元剣道少女とそっくりの美少女でした。慌てて見返そうとしてもクルマはもう遠くまで走っていました。
 引き返すこともなく、〇〇駅の踏切にもひっかることもなく、滔々と流れる川を横目に走り去ってきました。
 そして、入ったのが新しい遊歩道には似合わない、昔からあった食堂です。
 やはり、すべては錯覚か夢うつつのことだったのかもしれません。
 もうこの地区に来ることもあるまいと思いました。気を取り直して、昼の定食を食べようと届いた盆の上の皿を見ると、焼き魚が他の人と違い倍の2尾あり、コロッケも2個のっけてくれていました。
 振り返ると、カズミが私を見て、サムアップ。指をたてて、笑っていました。

剣道少女は負けない #コイバナ#ラノベ

剣道少女は負けない #コイバナ#ラノベ

最近の映画やアニメに多いマジックリアリズム風ラノベ、でもないか(笑)想像たくましく痛いモテ期自慢

 最初、彼女が異動で部署に来たときは、デスクトップの陰でなかなか見つからなかった。育児休業明けで、時短勤務なのでいつ来ていつ帰ったかが良く分からないのが第一印象でした。
 何せ、ちっちゃい地味な印象。でも眼鏡を外されたそのお顔よく見るとどこかであったような印象の面影。
 多忙な職場で、とろい仕事には罵声が飛び交う環境なので、彼女の存在は貴重でした。
 ハードワークも多い職場にて、特に背の低い彼女から再三依頼を受けて手伝いました。仕事では紙の保管が重要で煩雑の割には、後回しにされやすく汚れ仕事です。パソコン実務では、エクセルの関数やWordの文頭など、ちょっとしたコツは私がこれも重宝がられよく手伝いました。
ベテランの嫌がらせや陰口があんまり悪質なこともあったので、二人で倉庫作業をやっていた時、私も声を上げようかと言いました。絶対「私は負けない。うまく納めるから、井上さんは何もしなくていい。私高校時代剣道部やったから、根性あるんよ」
 一度だけ、彼女が私ににじりより強く言い切った、厳しいけど意志の強い凛とした美しい表情でした。この人、こんなに美人だったのか、改めて顔を近くで見つめてしまいました。
 ちょっと気まずいほど、二人きりの空間で顔が至近距離になってしまいました。
 いくら年の差があってもドギマギします。そして、上の棚の荷物を取ろうとして躓いた彼女をしっかり抱きとめて転倒を防ぎました。
 「ごめんなさい、井上さん、あたし汗臭いのに、本当にすみません」
 「全然、そんなことないです。気をつけましょう」
 実際、汗臭さなどなく、さわやかな女性らしい香りでした。
 そう、高校時代の同級生の剣道少女を思い出しました。少し恋心を抱いていながら、いろんな事情で告白することもなく、片思いのままだったという感じの人でした。

 そう、いつの間にか40年以上前の、京都市の市バスの中にい私は高校生に戻っていました。
 なぜか、雨の日、なぜか通学帰りのバスの中では一緒になり、私が要領よく座れて彼女はいつも私の前に立っていました。なぜ雨の日かというと、普段はバイク通学だったからです。ただ雨の日は、私のようにバイクや自転車も雨具を持って乗り込みますから昭和時代の京都市バスかなり混んでました。
 剣道少女が何故私の前に立つのか、期待的想像もしましたが、超満員で押されるバスなので、同級生がいた方が安心的なという程度なのでしょう。それでも揺られると彼女の柔らかいお腹あたりの身体が私の肩に当たってきてドキドキしました。今はその区間、彼女が乗り換える私鉄路線が延長して、もっと手前で降りることになっているでしょうが、いずれにせよ剣道少女が私の肩を支えにしてくれている時間が永遠に続いて欲しいと思いました。
 そして、バスが大きく揺れて、彼女の身体が完全に私の足の上になりました。しかも、すぐに戻れないほどの混雑でした。
「ごめんね、井上くん。私汗臭いんやない?」
 いつもバイクなのに雨の日はバスなのだと言う程度の会話をして、しばらくして混雑が少しだけ緩むと彼女は立ち上がり、「〇子に悪いから、井上くん〇子をバイクに乗せて送ってあげたんでしょう」
 たしかに同級のその女性がなぜか、いきなり強引なほどアプローチしてきて、一度でいいからバイクの後ろに乗せて家まで送って欲しいと懇願されて、乗せたことがありました。
 ただ、本当一回こっきりで、お茶を一緒するでもなし、それ以降付き合うこともなしでした。ただ、複数の目撃者があったことと、〇子さん自身も話しているのだなということは、この時わかりました。
 私は「そんなんじゃない」と否定したかたのですが、言葉が出ませんでした。自分のことを気にして、〇子とのことを妬いているのかとの、希望的想像もありましたが、強く関係ないと否定すると、好きでもない女性をバイクの後部に乗せたことも軽薄に取られるとか、もう思考停止に陥りました。
「〇子も井上くんの大ファンだから」
 そういわれて、ファン止まりという認識なのにやっと安心しました。
 だいたい私は当時、好きな女性、キレイな女性と面と向かわれるとドギマギして、思考停止で何言うかもわかりません。
 その後も剣道少女と何度かバスで一緒になり、やはり身体が触れ合うほどくっつくことはありましたが、それ以上何もないままで卒業しました。
 大学はマンモス大学で学部やサークルも違うと、会うこともありません。自分の中では見かけた記憶すらないのです。一度だけ4年生の就職を探す、掲示板の前で見かけました。
「ひさしぶり、就職決まりそう」と声をかけると
「まだ、大阪でも京都でも真ん中へんだから通えるんやけど、なかなか、内定ゼロ、どんくさくて大事な時に、顔怪我しちゃったし」剣道少女は照れ臭そうに鼻の絆創膏を見せてくれて、笑いました。就職前の大学4年生を少女と呼ぶのも変なのですが、ノーメイクのあどけない彼女の笑顔は少女そのものでした。
「大丈夫や、みんな本命はこれから!」
「井上君も頑張ってね。ずっと演劇やったはったんでしょう。演劇は続けへんの。キレイな女優さんみたいな彼女と歩いたはんの見たで、」
 たしかに演劇はやっていて部員と活動はしていましたが、それもただ、一緒に歩いて移動していただけで、交際している彼女ではなかったのです。直ぐ否定したかったが、演劇をやっていた自分を見ていて知っていてくれていたことが嬉しくて、何も言い返せませんでした。
 それと、勇気もなかったので、詳しくは聞くこともなく、勝手に彼女にも彼氏がいてもう遠い存在だと思い込むような気持もありました。
 これが本当に最後になるかもしれない。メールも携帯もない時代で、淡い思いもあったけれど、就職に気持ちの大半もいっていた時期、急なシチュエーションにまた思考停止です。
 二人はとりとめなく、自分の面接の苦労、高校の時代の話をしながら、何年かぶりに市バスに乗りました。時間帯はラッシュでないので空いていて、短い間ですが、高校時代にはなかった状況しかもまぶしいほどの日が射す晴れた日に、二人掛けの初めて席に、並んで座りました。やはり、当時厳しかった今ではパワハラな就職の面接官の質問を話題にしました。
 また、会う約束をしておかないと、彼女に向き合おうとしたとき、揺れるバス。窓から真夏の太陽の光を避けるように、通路側の剣道少女をちらりと見ると、その白いブラウスの肩口を見得ただけで、ドキドキが止まらずまた窓の外を見ました。バスが少し揺れ、風が流れ誰のものかはわからない甘酸っぱいような汗の匂いがしました。
 近くで見た彼女の元々は白い顔が、随分日焼けしていることと、小さなニキビや、小さな傷があることが見え、少し安心したようにもなりました。ドジな面もあり、完璧に美しい女性なんていないだからこそ、人は人を応援したくなるのでしょう。
 私は降りようとする彼女を追いかけ、抱きしめようとしました。

 昭和のバスの中ではなく、やはりここは今は令和の職場の書庫でした。汗の匂いがタイムスリップのトリガーだったのかもしれません。抱き合っていた二人は驚いたように、気まずく離れました。時間にすれば一瞬なのでしょう。

 元剣道少女と話すまで、正直市バスのことも、就職案内掲示板の前での話も忘れかけていました。
 それ以来、時々、小さなクッキーやチョコなどのお菓子やお土産をこっそり、いつも手伝ってくれるお礼と渡してくれるようになりました。
 この時ははっきり分かりました。彼女は私に好意、少なくとも興味か同情まあ良い感情は持っているのだろう。
 私が職場を去るとき、彼女はかなり仕事面でも追い込まれた感じでした。私が去ってしまうのは残念だと、寂しがってくれました。
「私なんか、マイペースな嫌われ者だから、またもっと仕事のできるいい人が来るよ」
「そんなことないです。残念がってる井上さんの隠れファンは多いです」
 ファンだったら隠れてないで出てきて欲しいのですが、そうもいかない職場でした。
 そして、彼女の周辺の状況はますますハードになっているようでした。
「本当にしんどかったら、辞めたらいいんやで。この職場で負けても、人生で負けたことにはならへん」
「ありがとうございました。そんなことまで言ってくれるのは井上さんだけです」
 私が職場を去った翌日、元剣道少女は職場内のベテラン職員のパワハラ、残業を強いられるブラックな環境を告発し辞表を出し、そのまま出勤しないという円満でない自己都合退職をしたそうです。
 私はそのことを、かなり時間が経ってから元の同僚から聞きました。元々彼女がそう決めていたのか、私が後押ししてしまったのかは確かめようもない話です。

下北沢 アオハル

ほとんど忘れていた記憶を、いくつか偶然が重なってそんな時期もあったかと思いだします。たまたま読んでた青春モノの小説に、放送部が出てきて北原白秋の「五十音」や、この早口言葉満載の「外郎売」での練習があって、学生演劇時代を思い出した。

で、なぜか今受けていいる、パソコン講師の研修でも腹式呼吸含めて、その練習があった。

さらに昨夜のブラタモリを見ていて「下北沢」「吉祥寺」が出てきて、学生時代の最後に、東京の小劇場演劇を観に入社同期の下宿に何泊かしたのを思い出した。

会社に入った地方大学の同期が、私の学生演劇の後輩が地元高校でつながっていて、ちょっと昔のコイバナも。

東京採用の何人かとも遊び歩き、タモリも住んだという下北沢で将来の夢を語り合い、ぴあ持って最後の学生生活を謳歌した若者がそれぞれ全く違う人生を歩んで、いいおじいおばあに。私を青春の門の尾方みたいと慕い、関西演劇にそれなりの足跡を残した人もいたけど、会うこともないし、会いたくもないし、お互いすれ違ってもわかるまい(笑)

あまちゃん10年 万感

 NHKの朝ドラというと昭和の昔は紅白と並んで誰もが知っている番組でしたが、ここ何十年かは知る人ぞ知る若手女優の登竜門にやや毛が生えたぐらいの視聴率の位置づけでしょうか。
 テレビ離れの昨今何度か、テコ入れがあり、盛衰を繰り替えしており、その波の一つに10年前2013年「あまちゃん」という三陸の海女をテーマにした能年玲奈さん主演の作品がありました。
 もう10年かと思うのと、まあそのぐらいの月日かと思うか、とにかく時は経過して、当時無名の能年さん(現在「のん」)、助演の有村架純さんや、橋本愛さんらも無名の若手女優から主演、中堅と経過しています。
 東日本大震災が2011年で、ストーリーの中にはさらりと描かれ、復興の列車が現実より先に走っていました。今回、放送10周年を記念したラッピング列車が、幾度かの苦難を経て全線開通した三陸鉄道を走っています。

 東北、三陸沿岸という震災とその後の復興、過疎に苦しむ地域にこのドラマと、その象徴の列車が多かれ少なかれ希望を与えたのは間違いないでしょう。
 能年玲奈さんは、朝ドラ主演女優として、スターダムにのし上がり一気の映画やCM、民放ドラマの連続主演とかになりそうな雰囲気でしたが、独立問題で彼女の活動は大きく制限されました。ネットやCMでは見かけますが、その出演は少ないまま30歳になろうかという年齢です。
 そこには唾棄すべき大人の事情、芸能界の古い闇のような動きがあったのは事実です。
 それでも、ぴちぴちの若手アイドル女優として、何クールも続けてブラウン管に出てやがて飽きられるよりは、新鮮な「あまちゃん」のまま、伝説のような少女がいることはあるいも救い、幸いなのかもしれません。
 2013年、自分がやっていた仕事や、家族たちのその時を思い出し、忙しい時でドラマをそれほどよくは観ていませんでした。朝のバタバタした時に見たり見なかったりで、録画をとってみる余裕もありませんでした。2015年の朝ドラ「あさが来た」、2008年の大河ドラマ「篤姫」、自分自身が東北から関西に戻り、会社も家族もいろんな経験をし、日本も震災をはさみ大変な時代でした。今当時を懐かしみながらドラマを再放送で見れるのは何だか感慨です。

東北の悲劇の後に来る悩み

 やはり今週は3.11を特集した報道や企画番組も多いです。そんな中、鉄道系の旅番組でも、報道特集番組でも東北日本海側3県の海岸の防潮堤が今年度中に98%まで出来上がると言う情報が流れました。一部しか実際には見ていませんが、少し異様なまで堅牢で、1メートル60センチを超え、美しい海岸はなかなか街から見えなくなっています。
 自然破壊も当然進み、生態系にも大きな影響はあるでしょう。
 自然観察、生態系環境変化調査のボランティアに関わりましたが、その観点でいえばあれだけ他の地方から土砂を持ち込むというのはある意味とんでもないことです。それでも緊急事態で、命や生活がかかれば景観や生態系など優先順位は下がります。
 ところが、ある程度予想はありましたが、それ以上に人口は減り、守るべき人の少ない防潮堤が聳え立つ姿は、何だか寂しい限りです。
 それでも人の命を守るものですから、間違っても「どうせ限界集落になるから要らん」とは言えないものでしょう。
 生き残る人であえて町に残る、土地に執着する人への対応はデリケートで難しいものです。生き残った人、守られる町は、運命を背負いつつ普通の生活に戻るだけを所望しているのですが、すでに戻れないのです。
 それでも、運命を受け容れ、、これだけいろいろなことがあっても生きていくことは意味のあることなのでしょう。

【東日本大震災10年】生と死 運命を分けた野蒜駅発205系電車。仙石線の思い出

東日本大震災10年、海岸線ほとんどに防潮堤の是非

忘れられない女性 Mさんのこと

写真は関係なしの、フリーモデル画像

 天使が舞い降りるような励ましばかり書いていますが、罪深い人間だったことも多く、深く落ち込み反省することの方が多かったかもしれません。現役の化粧品販売の現場時代で、少し暈かしながら書いていたこともありますが、やはりイニシャルでも想像されるとまずいのでいろいろ修正を加えバブル期前後のビターな思い出を含め、少し時代や人物を変えて自戒を込めて振りかえります。

 Mさんのことは、それまで学生の延長っぽい女性との付き合いしかなかった自分にとっては大人的な女性でした。ボーイッシュなショートカットにしても大変アダルトな色っぽい美人だったと思います。ソバカスも多少あり、今思うとアイメイクをばっちりしていてもそれほど目が大きい感じではなく、笑う銀の処置歯さえ見えたのですが、全てが魅力的に見えました。
 キリリと凛とした佇まいで地方局の番組にも出演して、自社商品のPRをする役を担っていました。出演した番組のビデオは毎週録画して何度も静止したりして見ました。そんな自分の好意や興味は自然と伝わるのか、ある時期二人で新入社員の指導プロジェクトチームを組んで仕事をしていた時も、こちらの気の利いた冗談に毎回大うけしていました。
 自身は自分の隣にさらに若く美人で胸が大きく脚も長いHさんにライバル心や、コンプレックスを持っていたようです。H山さんにはMさんはキツく当たるときもあり、そんな面を見せるのを少し恥ずかしがるのか、そのキツさが正当であることを理由を述べて弁明していました。女性二人のバディは難しいものです。ここに何人もの男性が絡みます。
 激しい競争や、出し抜きがありMさんもH山さんも多くの女性社員のトップに立ち、その前にいた先輩女性を押しのけていったはずです。当時からそこの部署の女性トップは、支社トップや本社とのつながりも重視され、男性幹部への接待も当たり前でした。

 Mさんも結婚はしましたが、すぐにすれ違いも続き、子供もできないで別れ、以来仕事一筋の当時の女性としては珍しい生き方で、世間的にも風は冷たかったはずです。
 Mさんの悪い話を聞いても、年上でバツイチということでも自分にとっては変わらずMさんが好きになっていました。美術館へ行く話はたまたま発売される香水の名前が画家にちなんだものなのでトントン拍子に決まりました。当時は気の利いた食事をする店も知らずに、知っているイタ飯に誘いました。美人の横にいるだけで緊張する初々しさが我ながらあったようなデートでした。デートと言えるのかわかりませんが、その後、また会いたいといい2度目のデートの帰り、Mさんのマンションに寄ることになりました。 自分がバツイチで年上だし、もう一度結婚していい奥さんになる気がないんだとははっきり言われましたが、それでも家を出る前の玄関で見つめ合い、抱きしめてキスしました。

 30を過ぎ、当時の男子としては、もう親も親戚も会社も結婚しろの大合唱の中で、結婚する気がなく、万一その気になっても当時の周りからは反対が出そうな相手と、恋に落ちていきました。
 ワンルームマンションとは言え、当時の独身が横に並んだ寮でクルマもなく、帰宅していないとすぐにわかります。休日前なら実家や旅行もいい訳できますが。平日の外泊はいかにもという感じです。
 長い人生の中では、ほんの短い一幕かもしれません、それでも1年足らずの交際期間、半同棲期間の中で、何度も泊まり、食事をしてお酒を飲み、朝近くまで激しく愛し合ったものです。
 バブル景気とは言え、化粧品に課せられた目標は高くノルマは厳しく、私もMさんも仕事だけでも結構疲弊していました。たまに会い、お互いのマンションに泊まるときも体調やリズムが合わないときも出てきました。
 ひた隠しにする二人の仲ですが、私の周りにも取引先からもしつこいばかりに見合い話は来ましたし、Mさんも上司の接待やさまざまな提案を要求されてある程度女性を武器にした仕事を強いられています。

 ある時、H山さんから、それとなく、Mさんは元々、N課長の寵愛を受けてのし上がり、h本社役員が来る度に夜の接待をしていたことや、今はB野さんとも不倫していると囁かれます。
 B野君は確かに仕事のできる同僚で、上司受けもよく、後輩ながら追い抜かれそうな勢いのあるやり手ですが、家庭持ちの転職組で、それこそ不倫です。
 Mさんにとって、いずれにせよ自分はオンリーワンのパートナーではないし結婚相手ではないのだろう、それが分かって付き合っていたのだから仕方のないこととは言え焦燥感はありました。。

 何となく、Mさんと会う頻度は減り、やがて仕事で顔を会わせるものの、気まずい空気になります。メールやLINEのない時代ですれ違いだすと、電話しかないのでつかまらないと終わりです。深夜に何度も電話がかかり、こちらも体調が悪いと切ると、心配なのか何度も架けてきて、家まで来ると言うけど、断りました。
 関西への異動がほどなく決まり、彼女とはこれという別れの言葉もなく、「お疲れ様でした。ご栄転おめでとうございます」の定番的な言葉だけでした。H山さんはその場面で「京都の彼女とより戻せるわね」とかつまらぬ冗談を言い、送別会の後の地下鉄駅では、私には「Mさん追いかけなくていいの」と訳知り顔で言いました。
 その後、仕事からみで転勤先から何度か電話はしましたが。
 その後私も地元関西で公私とも忙しくなり、元の職場のことも彼女のことも忘れていました。
 もうずいぶん時間が経ってから、彼女はさらに厳しくなった体制下で、パワハラ的な激務が続き、ある日自宅で自死している姿が見つかったという話を聞きました。なぜ、その事件を速報段階でも知らずに過ごしていたか、遡って調べるとその日私は新婚旅行でスイスに行っていました。今でこそ人事や事件は社内イントラですぐ知れる時代ですが、当時はそうなかなかすぐには伝わらないものでした。
 その死の真相を調べる術も何もない自分に呆然としたものでした。何とか電話でも相談に乗ってやれなかったのか、あの時マンションを訪ねると言われ拒否したことも今となっては後悔でした。
 彼女のお墓がどこにあるのか、実家のある別の県なのだろうかと想像するだけで何の情報もありません。今さら前の職場に、実は交際していたから詳細を教えてとは言えない状況です。まして不倫関係にあったとされたB野くんは、自殺の原因としてパワハラのスケープゴートにされ退職に追い込まれています。
 Mさんの後の女性トップには当然H山が座り、新体制を組んでいるとの話でした。
 H山さんには東京の会議でその後顔は見かけましたが、声はけませんでした。ほどなく退社したようです。
 短い生涯を終えたMさんのことは時々思い出したり夢に出てきたりします。テレビを見ていてふと、出てくる女優さんの表情やルックスがMさんとH山さんに似ていたりするのが浮かんだりします。美人薄命とは言いますが、最近は定年まで勤めあげる女性が増えた中、30代で仕事のために命を落とすのは何とも悲しい運命です。

 私にはキャリアウーマンとの共働き夫婦生活は今考えると想像しにくいですが、選ばなかった人生があったのだとは思います。あの時、何が何でもMさんと結婚していたら今Mさんはこの世にいるのかと想像することは少し怖いです。

 人生は無限の選択肢に連続です。選ばなかった人生は存在しないのです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

パソコンからスマホの時代という意味

 スマホの時代というのは良くわかっているつもりです。ところが先日、ふと気づくと、通信手段としての固定電話→ガラケー→スマホという変遷の認識だけでした。

 今の時代の学生などは、たいていのことをスマホやタブレットでやります。娯楽としてのテレビやラジカセが終焉したように、日常でパソコンもそう使わない、使えない世代が増えています。

 パソコンでwordやExcel、PowerPointを教えるインストラクター的な仕事を学びました。
 その時驚いたのですが、高齢者にスマホの普及をという命題がある中、パソコンは年齢を問わずむしろ若い人に履修のリクエストがあります。若い人がパソコン通信やゲームにはまっていたのはひと昔前になります。通信で固定電話やパソコンを経由する人は少ないでしょうし、簡単なプリントはスマホで加工してできます。

 確かに、教育やビジネスでパソコンはまだニーズはあるでしょうし、人口爆発のインドなどの発展する国も需要は増えるでしょうが、スマホに比べると割合は少ないニッチな存在です。かつて日本でもWINDOWSのOSが変わり新発売されると、行列ができ大きなニュースになったいました。今はパソコンは国民のマインドシェアを占めてはいません。

 平成の初め頃、ライバル企業の営業と切磋琢磨してパソコンを学びあった時期が懐かしいです。