東日本大震災10年、海岸線ほとんどに防潮堤の是非

2016年に自然観察のボランティアで久々に東北、奥松島を訪ねた。都会から見ると大変な田舎で過疎も進んでいる。自然の風景だけが売りののどかな地域に思うが、何とそれを覆う防潮堤がほぼ海岸線を占めているのです。
高台への宅地移転とともに、確かに津波に対しては頑強な体制を構築しています。
東京や大阪で海抜の低いところで住居がたくさんあり、避難もままならないところに比べはるかに安全で強い街ができているといえます。
5年前、私は美しい自然の情景が損なわれていることとしてと、めったに来ない津波へのコストを考えると疑問でした。でも今年2月13日の余震、これからもある地震を考えると正解かなとも思いました。むしろこちらに移住してのテレワークする首都圏の人がいてもいいくらいです。

東北、大震災から10年復興は進み、教訓は生かされているのか

もうすぐ東日本大震災から10年を迎える今年2月に。震度6の地震が東北を襲いました。幸い津波までは起きず、けが人や家屋、道路等の被害こそでましたが死者は出ませんでした。
否応もなく悪夢の十年前を思い起こし、沿岸部から高台へ逃げた人もおられたようです。
宮城や岩手の沿岸部は防潮堤ができ、高台への住居の移転も進んでいます。5年ほど前私も石巻野蒜や、松島を訪れその変貌には驚きました。
自然環境から見れば違和感もありますが、日本人の偉大な力も感じます。防災意識も今回の余震で図らずも確認されました。
むしろ怖いのは東海や南海トラフ、首都圏や関西に直下型が襲えばの恐怖です。津波で水没する地域の人口は東北の比ではないです。毎年コロナのワクチン等にどの程度予算を投下するのかわかりませんが、すべての国家予算を再構築しても防災を見直す時期が来るのではないかと思われます。

コロナどうなるのかワクチン接種

日本国内でこんなに大量のワクチンを接種することはかつてないことです。
免疫の壁、集団免疫を作るには最低でも6割以上の方が抗体を作ることがひつようとされ、感染力の高い変異種は7割以上とも言われます。
コロナワクチンに関しては、世界で接種が進む中、日本ではようやく医療従事者からは接種がはじまりました。日本が輸入に頼る、大急ぎで承認したもののアメリカや欧州各国に比べずっと遅いタイミングでした。
この自前でワクチンを作れない日本の課題も深いですが、それは別のブログで詳しく語っています。
日本の接種体制そのもが心配です。
受ける側にも、不安があり問診などに時間がかかり、予想以上に混乱するケースや、逆に警戒されて接種が進まずワクチンが余ることもありえます。
担当大臣を設けてスケジュールまではおよそできました。
しかし、副反応への怖れか実際にすぐ受けたくない人が4割も占めているようです。何だか恐ろしいようなトラブルやらロスが待っていそうです。杞憂、私の思いすぎならいいですが。

雨水:小手先の改革では心もとない日本の宿痾

まだまだ寒いし、雪も降ります。
日本は殺伐とした情景も続きます。
宿痾という業の病のような、行政の無駄、政官財の癒着、役人の悪習もなかなか治りません。理想を抱いて優秀な学生が、いつの間にか目の前の壁に取り込まれ世渡りして仕事を覚えるうちに、全体に流され理想とは程遠いものを追いかけるようになります。
政治も行政もどうもそういう結果として、残念な組織やトップになっています。霞が関ムラ、永田町ムラと呼ばれるのはこのあたりです。
本質的には自分のポストや仕事がなくなるような改革を、自らや仲間にはやれないものです。国の財政がとかいいながらも、結局は制度を大きく変えることは組織が許さないものです。ムラの利益、立場が守られてからの全体改革です。
今問題になるのは、ハンコだとかそれに連なる電子申請、ペーパーレス化、それに伴う人員の異動や削減です。
私は行政や政治には一定の人間が必要だと思います。しかし現在の公務員や議員は忙しい人、良く働く人と、既得権に胡坐をかき新たな仕事をしない人に大きく分かれます。問題点を見れば市民からはこんな無駄な人間と思われます。
ハンコの業界などは小さい問題です。日本の宿痾は、国民一人一人が厳しい改革を受け入れるための心構えをして、人を選んでいくことしか道は選べないのです。

トップやリーダーは能力、適材適所、老若男女は関係ない

昨日オリンピック組織委員会森会長の女性蔑視バッシングの問題を書きましたが、そのネット上の議論の中に後任は「女性に」「若い方に」「アスリート経験者で」といった意見も目立ちました。
しかし、女性限る若い人とかに限る、あるいはアスリートに限るというのは逆に暴論で、男性高齢者、障害などでスポーツを観戦しかできなかった人にとっては差別にもつながります。
男性と女性に限って言えば、最近の女性管理職比率を数値化目標にすることも、私は個人的には無理があると思います。売上とか利益、自己資本比率等数値の目標があっても、管理職の登用比率は能力であったり適材適所であったりライフスタイルであったりで自然にできるものです。女性(男性)は登用しない雇用しないという規則があればそれは差別ですが、ある一定の状況で女性(男性)を登用して目標の率に調整するのであればそこには必ず不公平、差別が生じます、
そんなことは考えずに、組織の活性、リーダーの適任だけを考えるべきでしょう。経験が必要な場合や将来性伸びしろを考慮する場合も当然ありです。
日本の社会、世界でも女性が生涯長く社会に出て働きだしたのはそんなに古い歴史ではありません。最初は短い間に現場の一兵卒で終わり管理職になることなく退職することが決まりことのようになっていた時代もながくあったのです。
どうしても管理は終身組織にいる男性の役割であり、男性がスキル含め特化していました。女性に工場労働が多かった時代や、女子バレーをはじめとする団体競技のスパルタ監督等をみていても分かります。少しずつ時代は、自然に変わりました。
業種によってはほとんど女性がリーダー、マネジメントを務めて男性がサブという会社も出だしています。それは目標を追ってでも、性別ありきでもなく、業績や効率、適性のために自然にそうなったのです。

森会長に対する集団攻撃は五輪理念に反する

民主主義はマスコミやSNSの扇動で実に安易に「大衆主義」に陥り「魔女狩り」「集団リンチ」に向かいます。
森喜朗の失言を言葉として見れば誰だって女性蔑視だということは分かります。
個人的に83歳の彼を支持してきたわけでも適任とも思っていません。しかし彼はそれを撤回し一応謝罪はしています。女性蔑視を信条として主義主張としているわけではありません。
五輪組織委として老骨にムチ打ち、IOCや政界、行政、スポンサー企業、都、アスリートや団体、マスコミその他調整に明け暮れた功労に対して、世話になった方もいれば冷静に見て今この状況で適任がいないというのも一つの意見でした。
それがこの状況下、多少なりとも中立な意見を述べても大変な非難を浴びる次第です。
大衆となった人々の正義が、コロナ禍のストレス発散とばかりに、少数派を封殺し、弾圧し、言論リンチにかけてしまいます。
民主主義の起こりであったフランス革命にもこういった殺戮がありました。
えらそうに思える権力者を追放しろ、火あぶりにしろという大衆の欲望が噴出した時は、一度落ち着いて深呼吸をして便乗してはいけないのです。
83歳の森さんにも、生き様があり心情があり、家族眷属もあります。
フランス革命の暴力から時を経て「アラブの春」と呼ばれた中東のSNSによる民主化運動でも、一見正義に見えたSNSの大衆の力が独裁者を倒せば、混沌がやって来て、IS(イスラム国)が誕生し結局ますます暴力と混沌が生まれました。純粋な正義は結局、混沌(カオス)しかもたらさないのです。
コロナ禍の暗いニュース一辺倒に、森さん批判は格好のストレス発散かもしれません。しかしミクロ的な現象としても、結果的にSNSの暴力を助長して次のイジメのような現象が必ず現れます。
五輪憲章の世界の人々が平和に手をつなぐ精神とは、大衆の心がどんどん離れていくことに気付いていただきたいです。

それでも五輪の開催は冷静に検討するべし

それともう一点、この勢いで五輪を中止した方がいいという考えの方ももう一度冷静になってください。
オリンピックは確かに進退相難でやるもやめるも大きなデメリットがあります。どちらにもリスクは多く、多数の観客を期待する等理想的大会の可能性はないです。
それでもハードルは高くとも観客を制限しても7月なら開催は可能だとも思えます。現在サッカークラブW杯、スキージャンプ、全豪テニス、南半球や世界でも国内でもスポーツ大会は開催しています。
開催できなかった時は結局国家、国民に財政として大きな負担がのしかかります。ただでさえコロナのワクチンや医療体制で今後ますます増税医療負担は必至です。その上に五輪キャンセルでの日本国や日本主要企業は信用低下、保険負担等を強いられ格付けは下がり、円も日本株も大きく下がります。困るのはアスリートや政界、富裕層だけではなく日本全体が東京五輪のステークホルダーなのです。
そこも今一度冷静に考えるべきところです。

同窓生でも大きな格差?

かつて同じ学び舎で、勉強や遊び、いろんな時間を共にした学友も40年以上たち還暦を迎えました。
出世したものは一部上場企業の社長、医者や歯医者で高等市民クラスもおれば、早々にリタイアして年金暮らしや年金待ちで非課税所得の方もいます。
アーティスト系の自由業の方もいますし、京都の老舗を引き継いで門外不出とういか旅くらいはして貼るけど住所は京都市内を一歩も出ずの生涯の方も結構おられます。
とくに部活で一緒にグランドで汗流した中学の頃からの仲間でも、いろいろ数奇な運命をたどっています。
ずっと京都で何代目かの老舗を継ぎ、小学校時代神童と言われ中学校高校と口も達者で元気に遊びまわっていたA君、昔話には花が咲くが、今は少ししんどく他の仲間が羨ましいような様子にも見えました。
高校時代運転免許証を取った時、物凄い事実を知りそのショック、逆境を乗り越えて、勉強を重ね人一倍努力して、大立者になったB君。名士となり誰も羨む出世頭となりました。
人間の運命はわかりません。今60歳を過ぎ、あがりのような悠々自適が良いのか、まだあくせく働く機会があるのが良いのかも、どちらが幸せなのかもわかりません。
何かで分岐があったのでしょう。その分岐点は今も人生のどこかで続いています。

ダメおやじの万年係長

大阪の新入社員時代に結構今ならパワハラを見ました。そういう面では大卒の新人で可愛がってもらったのか。そこまでイジメられることはなかったのでしょうが、先輩がボロクソにやられてるのを見るとプレッシャーがかかったものです。
やはり販売会社、売上数字が中心なのと,その中身が押し込みでなく販促にみあったものでかも、よく見られました。
Tさん、土田さんは小柄で、本当にまんがのダメおやじそっくりでした。係長から平に降格されて転勤されました。給与体系からいっても厳罰の処置でした。
卑屈で見かけも悪い人で、お世辞にもセンスがいいとも言えないタイプですが。そこまで悪い人とも思っていませんでしたが、何だかそこまで悪い人だったのかと驚きました。
次にお会いした数年後、平から主任には戻られましたが、やはりその人格には残念な面は大いにありました。
正月の高校サッカーに息子が出ると親ばかな面も持たれ、私と食堂で弁当等を食べる時、ほとんど残さず一気にキレイに食べるのを見て感心されてました。自分は好き嫌いするから大きくなれなかったと嘆いてました。
最後は倉庫番の係長で、寂しい会社人生を終えられました。もちろん見た目だけですけど、なんだか今の化粧品会社ではあり得ないような昭和の営業マンでした。
もちろん私もその後ベテランになり、おっさんになりリストラ候補みたに厳しく言われて、後輩から情けなく見られてたこともあったでしょう。そんな面ではよく土田さん最後まで耐えられたなあと思います。

人が変わった再会:鈴木義明(仮名)さん

出会った人の思い出1

いろんな人と社会人になって出会いましたが、最初の3年間大阪の南の方の支店(当時販売会社)の人たちは今でもよく覚えています。その中でも転勤等で複数回あった人は印象も深いのと、縁を感じます。
Sさん(仮に鈴木さんとしておきましょう)は年(学年、入社年次)は2つ上で背の高い好青年でした。先輩社員として養成担当だったI川さんの後任として、当時は3年目で必ず転勤があるローテーションで来られました。私がいた第一南というところは全国でも大変厳しく、細かいところで鬼のトップと課長のいるので有名でした。最初の母点がユルイところで、最初の転勤が厳しいところというのは難しいパターンです。恩着せがましく偉そうに私に先輩ずらしたI川さんに比べ、鈴木さんは社内のモノの置き場、人間関係や地域の実情等は私に聞いてくる丁寧で朴訥な人でした。
丁度1年後輩にも私と同姓がいたので「智史」と名前で呼んでくれていました。
本人もタフだったのでやがて厳しい状況にも慣れて、後輩の私を一目置きながらも面倒見る感じでした。二人で新規開拓に山の奥まで行き脱輪して難儀した思い出もあります。
私が3年目で転勤する前の慰安旅行等で、女性関係でいじられるところを庇ってくれたことを覚えています。
その鈴木さんと20代だった頃から30年ほど経って再会した時、彼は豹変していました。立場、役職はずっと上の流通部長でしたが、その評判はパワハラ、セクハラ、ヤクザまがいの恫喝する噂でした。実際の顔も凶悪な人相で、恰幅もよくなってましたが、どこか疲れた感じで、訓示も暗い話が多かったようです。
「智史」と呼ぶのは変わらず、「智史変わらんなあお前だけは」お前にまた会ったのは、若手の頃思い出して一生懸命やれていうことやろかなという話もしていました。
しかし、大阪での彼の評判は悪いまま売上全体も上がらず、まもなく降格ではないものの長野への異動で短い再会は終わりました。
まもなく鈴木さんの定年退職の告示だけ見てもう会うこともないと思っていました。
ところがある日、私も京都から姫路へ毎日新幹線で通う日々に、一度新大阪駅のホームで鈴木さんにバッタリ会いました。「新幹線通勤」というと、「俺は今から一から研修やのに、何でこんな立場かわったんや。でも智史は変わっとらんなあ」
「まあ、智史、がんばれ」「はいお疲れ様です」
少し、寂しげな背中。さすがにもう会うことはないと思いました。
彼の顔をあれだけ変えた30年も会社生活。当時生き残り、出世するのに大変なく売ろうのあった会社です。変わらなかった私、どちらが良かったのかは聞きもしないし、分かりません。

政治家の許されない嘘、放言

人間は一日に社会や家庭で、誰でもついつい何回もウソをついているそうです。
その場で思わず誤魔化してしまう場合や、追い込まれて仕方なく言い逃れした場合。予想に反して事態が変わってしまって結果としてウソになってしまう場合等、さまざまな場合があります。
政治家はいまや詐欺師に並ぶくらいウソや放言を放って、毎日その謝罪や撤回がニュースになっています。
一国の総理大臣でさえが、成り行きか、結果的かは別として明らかにウソをついて、証人喚問や裁判なら偽証にあたります。
私は個人的にはもう記憶力も弱まっており。元々販売会社でも追い込まれると実現不可能でもその場しのぎの嘘をつきまくったもので弱い人間のウソは否定しません。
しかし国会議員やそのトップの閣僚や、総理大臣は権力をもっています。いくらマスコミや野党等に追及されても堂々と真実をその背景とともに語らないと、上に立つ者ではありません。
立場と状況でついていいウソとダメなウソがあるのです。
そしてダメなウソをついたら誠意をもって謝罪する。それもウソかどうか見る人は見ています。