お笑いと反社

 昨日もR-1というピン芸人のナンバー1を決める番組がありましたが、M-1、キングオブコント、その他漫才大賞など登竜門となる番組、イベントも人気のあるキラーコンテンツです。毎年、巨額の賞金とともに、一気にスターダムののし上がるサクセスストーリーのような物語の魅力と、実際にテンポの良いお笑い、芸術的なものさえありネタの工夫され新鮮です。
 しかし、雰囲気は盛り上がってスターは量産されますが、芸として長く続くのかというと、何となく大御所を取り巻くひな壇芸人クラスの小物が増えて、俳優やMCやコメンテーター、ユーチューバーなどで稼いでいく売名の場にもなっています。

 古典落語も正当的な漫才も関西では正直下火です。笑いの主流はコント的なルッキズムやシチュエーションの面白さになっています。
 芸と呼べる領域かどうかは難しいところです。

 このお金が大きく動き、お笑いが量産される背景には、企図された経営的野心、政治的な思惑があります。多くの世論は結構お笑いの芸人のわかりやすい説明に左右されています。
 過去の時代でも、お笑いが世相風刺や政治批判を堂々とやっていたものですし、逆に権力の政治的な意向に従い、戦争や経済のプロバガンダに芸人が利用されたケースもよくあります。

 才能とお金や権力への欲望、野心をもった者が、反社的な支援を受け、政治のウラ側でも権力と結びつくと、性質の悪いことになります。

 昔の大芸人にも、桂春団治さん、藤山寛美さん、横山やすしさんら強者が大勢いました。昔の人々でも興行ですから、反社との結びつきも今よりアッケラカンで、お酒や金銭、女性関係も酷いものがありました。しかしどこか、権力と結びついてお金を儲けるというよりは、借金まみれで、泥まみれという芸の肥やしにして自らはボロボロという感じでした。今のお笑い界は、大御所が番組を差配し、冠番組を持ち、カースト上位になってイジメやいじりで年収何億というのがもう何十年も続いている状態です。政治と裏の権力とも、結びついています。河原乞食とは程遠い、金満です。潮目が変わったのが、日曜のある報道番組もMCに漫才師が進出した時です。お笑いだから面白ければいいというものですが、何かが昭和とは大きく変わってきています。
 吉本興行というところは戦中は軍部、戦後もGHQ、権力と常に結びつき、裏の世界とつながりながら大きくなってきました。東京にも進出し、あれよあれよという間に多くの局の番組を席捲して、支配的な存在になりました。
 さすがにこれ以上は詳しく書けないです。

 芸としては、楽しめるのですが、お笑い芸人がこれ以上政治に利用され、あるいは利用する側に立ち絡んで欲しくないものです。

 

少子化対策の本質はお金か

 異次元の少子化対策と言われるが、従来から発想の次元が違うようなものはあられていません。
 従来からある児童手当の拡充、保育、教育の無償化、出産手当の増額などのレベルで『異次元』は誇大に聞こえます。

 結婚して子供を作るのが当たり前だった、産めよ増やせよの時代とは比較も難しいですが、やり方次第のところもあるでしょう。
 あれだけ不信があり人気のなかったマイナカードでもいついつまでに取得して、口座や健康保険紐付けで20,000ポイントというと行列ができるのですから、条件とあおりによって何とかなる時代かもしれません。

 結婚して1年以上離婚しないなら何ポイント、出産すれば何ポイント。高等教育までで何ポイント,最終的に成人まで育てた夫婦に生涯ポイントを年金に付加する仕組みなどを、時限的に試す意味はあるかもしれません。

 子供と添い寝し、だっこするだけで癒され、かけがえのない歓びを感じるという、著名人の発言もありました。それはお金に替えがたいという話でした。
 ペットの動画投稿なども、ものすごい再生数になり、そこそこ余裕がある方は子育てではなく、何でも値上がりの中でもペットにはお金を惜しんでいません。そういう面では人間の赤ん坊、子供の可愛さ、愛くるしさをもっと拡散し、訴求することも大きな効果を持つでしょう。いろんな制度ができても、やはり感情、情緒で人間は動きます。

 メディア、教育、あらゆる機会で子供を育てる良さを『見える化』することも大事です。冗談のような話ですが、何かしていかないと日本の未来は明るく開けません。防衛費か子育てかとか不毛の優先順位の議論をしても始まりません。何をおいても日本の未来への全体像を考えてもらわないといけないのです。

誰もが自由に職業を選び働く権利と義務 憲法

 連日、私の自宅最寄を走り、職場の通勤者も多い私鉄で朝から人身事故がありました。全部が仕事や人生に悩んでの自殺ではないでしょうが、その割合は低くないでしょう。

 生活する上で、お金も必要で否が応でも働かないといけない人は多いでしょう。だからこそ悩み、悲観があり苦しみます。仕事が苦行なのかストレス、スランプの苦しみは何度も書いたと思いますが、権利という意味では憲法上で保証された職業の選択というのが実際にはそうもいかないことがよくあります。

 憲法27条

  1. すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
  2. 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
  3. 児童は、これを酷使してはならない。

 障害者や高齢者、出産育児などで昔は働けなかった人や、休んでその後は元の職に就けなかった人が今は随分と法が改正され、働きやすくなっています。

 しかし、現実には就職氷河期があり、コロナでも失業が増えた上、物価高の中、リストラもあります。企業に給付があるとはいえ、優秀な人材すら揃わない中で、ダイバシティだとかいって障害者や高齢者の就労支援をやすやすと受け入れられない状況も想像できます。スキルを持ち即戦力ならまだしも、限られた定員の部署では分かっていても難しい問題があります。

 働き方の改革はまだまだ初期の段階で、その途中にテレワーク、在宅勤務などの流れがきました。仕事によっては既に次の段階への過程が見えてきています。しかし、多くの職場でまだまだ、ストレスは絶えず、生産性が上がらず自己実現に届かない焦りでパワハラまがいが横行します。

 次の段階へのステップはもっときめ細かい適性のマッチングや、メンタルのケアなのかと思うのです。大上段から号令をかけ、法律も変えないとおそらく難しいとは山積みです。しかし例えば、面と向かうとコミニュケーションが難しい人間が、意外と在宅のチャット、メールなどではいい面を出し、良い部分が認識されうまく回り出すなど、どこかに好事例があり、水平展開できるものがあるのではと思います。

 昭和のパワハラ、軍隊式を知る人間にはもう高度成長期でいっぱい兵隊を獲れて使い捨てできた時代とは、全てが違うのです。日本の未来は移民就労だけではなく、日本人の変化でかなり対応できます。そこらをまず変えて欲しいと願うしかないです。

1976年高校生を熱くさせたハードボイルド

 ハードボイルド Gメン’75 熱い心を強い意志で包んだ人間たち,このドラマ冒頭のナレーションは視聴者に強烈な印象を与えました。そのインパクトから派手なアクションを想像されますが、沖縄を描いた3部作など、今の民放の刑事ドラマでは考えられないほどシリアスに社会問題を深く彫り描いていました。

 1970年代後半、Gメン75は、TBS系土曜夜9時枠・東映製作によるアクションドラマシリーズです。この作品はとくに登場人物の葛藤や悲哀、緊張感に満ちた心理描写や、社会性を強調した重厚かつ先の読めない人間ドラマがコンセプト。特に初期は硬派なハードボイルド刑事ドラマとして製作されました。

 劇中
『米軍の武器横流し事件の主犯、マーチンが米軍基地内に匿われていることを知った故丹波哲郎扮する黒木警視は、米軍司令官と交渉すべく沖縄へ飛ぶ。』

 詳細レビューは、また後日。とにかく熱く、カッコよかった1970代。

五公五民 一揆や革命は起こるのか

 【五公五民】 江戸時代の年貢 率を表現したことばで、収穫米の5割を年貢(本途物成 (ほんとものなり))として上納し、残り5割を農民の作徳米 (さくとくまい)とすること。
 この言葉がニュースから少し話題になっています。
 財務省が2022年度の「国民負担率」が47.5%になる見込みだと発表したからです。国民や企業が所得の中からどれだけ税金や社会保険料を払っているかを示すという率で、さらに今後防衛増税や異次元の少子化対策も取りざたされる中、江戸時代に領民が領主に納める年貢割合を引き合いにして「令和の時代に”五公五民” 江戸時代とどっちがマシなのか」と評論家などが「江戸時代,五公五民以上になると一揆が始まった」と不満が爆発するのではないかと呟いています。

 白土三平のライフワークで江戸時代の階級闘争を描いた「カムイ伝」という長編劇画があります。この作品は紹介しだすと大変長いですので詳細はまたの機会にしますが、そこに出てくるのは支配する武士階級の暗愚な領主と、そこに連なる悪徳商人の姿です。
 現代の政治家と財界を連想してしまいます。いわゆる大きなイベントや公共事業を事実上独占し中抜きをする電通のようなイメージの悪徳商人も登場します。当初は既存の悪徳職人を颯爽と追いやって、善玉かに見えました。新興で商才ありながらも悪辣な野心家夢屋というキャラクターは現在の国家予算に深く巣食うシロアリのような業者の印象となりました。
 税や社会保険料が5割でも7割でも社会が成熟し高齢化すると仕方のない面もあります。しかし、その分配が本来配られるべき人に届かないで、私服を肥やす一部の人に回っていてはまさに「一揆」が起こってもしかたのない不平不満がたまるでしょう。

 税金の無駄遣いや、談合で一部癒着業者への回っていく構図を見ると、働いて真面目に税を納めるのが馬鹿馬鹿しくなる気持ちも分かります。来年度予算が今年度内の成立が与党多数で国会で決まっていくようですが、一部審議中にも監査などへ使い切れていないとか、別目的流用、全然使えない基金など、無駄の指摘も多くありました。
 官僚には『一揆手前』だとは自覚していただき、各部署が身を切る思い出来を引き締め、トップが今の庶民の苦しみを分かり、政治家がしっかり見張らないことには、反体制側でなくとも予算の承認、執行を看過できないのです。

表現の不自由な時代

マグマ大使 ピープロ 21話

 昭和41年「ウルトラマン」に先駆けオールカラーの特撮巨大ヒーロー番組「マグマ大使」が放送されました。21話に不気味な人間モドキという人間に擬態するゴアの手下の怪人が怪獣とともに暗躍する話の中に、とんでもない映像があります。何と空港でその人間モドキは乞食に扮し、首から札をぶら下げて、何と「めくら」「つんぼ」「おし」と書かれていました。現代では放送することはもちろん、日常でも死語となり「盲滅法」とか熟語ですら使用禁止となっておりドラマなどには考えられないことです。

「唖(おし)」などという言葉自体知らない世代も増えているでしょう。
 しかし、この「マグマ大使」の21話は今動画配信サイトでは視聴することができます。「おし」や「めくら」「キチガイ」「おかま」と言った言葉は、同時期の時代劇特撮「仮面の忍者赤影」などにも頻繁に使われ、これも動画サイトで視聴可能です。
 言葉狩りとも言われ、最近制作される映画やテレビでは使われることはありません。小説でさえも消えていっています。しかし、地上波のテレビで制限されていて、インターネットではオッケーなのも妙な話です。

 地上波の時代が終わり、オワコンとも言われます。地上波テレビで放送禁止で、ネットでは無料視聴でき閲覧者が多くいるなら、どんどん視聴率が下がる地上波での言葉狩りはどういう意味があるののです。

 
 意味は少し違いますが、政治や社会、芸能の討論などでも地上波では、出せない言葉や実名が多くてちっとも面白くなく、ネットの方が自由な表現が多くスポンサーの制限もなく面白いのです。これもおかしな現象です。イニュシャルや音消しでカバーされた人権がネットで晒されるのもあるあるです。

 時代劇、あるいは昭和の近現代を描く際は、方言も含め、リアリティなどないのが当たり前です。時代劇は字幕でもつけないと意味を伝えるのが無理でしょうから、それっぽい言葉で「御意に」「恭悦至極です」とかいれて雰囲気をだすだけです。正直、東北弁や薩摩弁で、幕末維新のドラマをやってもリアルにやれば字幕必要です。
高度経済成長期でも、まさに死語になったような差別用語がザラに使われていたので、それらしくするには放送禁止用語も欠かせないはずです。それを変換して、オブラートに包んだ言葉にすれば変なものになります。

 障害者やLGBTが差別を受けず受け入れやすい社会に本当になっているのなら、差別的に感じられる言葉が残ることは問題で消えていけば良いです。ただ国際社会に合わせ、オブラートに包んで蓋をしただけなら全く意味はありません。むしろ不自由で弊害が多いくらいです。取り巻く環境、組織をリードする人に理解が大きく変わらないと、差別される側も周りも忍耐と努力を重ね疲弊するだけです。
 言葉を消す、狩る、お金で解決するだけでなく、もっと踏み込んだものが必要なのです。

忘れられない女性 Mさんのこと

写真は関係なしの、フリーモデル画像

 天使が舞い降りるような励ましばかり書いていますが、罪深い人間だったことも多く、深く落ち込み反省することの方が多かったかもしれません。現役の化粧品販売の現場時代で、少し暈かしながら書いていたこともありますが、やはりイニシャルでも想像されるとまずいのでいろいろ修正を加えバブル期前後のビターな思い出を含め、少し時代や人物を変えて自戒を込めて振りかえります。

 Mさんのことは、それまで学生の延長っぽい女性との付き合いしかなかった自分にとっては大人的な女性でした。ボーイッシュなショートカットにしても大変アダルトな色っぽい美人だったと思います。ソバカスも多少あり、今思うとアイメイクをばっちりしていてもそれほど目が大きい感じではなく、笑う銀の処置歯さえ見えたのですが、全てが魅力的に見えました。
 キリリと凛とした佇まいで地方局の番組にも出演して、自社商品のPRをする役を担っていました。出演した番組のビデオは毎週録画して何度も静止したりして見ました。そんな自分の好意や興味は自然と伝わるのか、ある時期二人で新入社員の指導プロジェクトチームを組んで仕事をしていた時も、こちらの気の利いた冗談に毎回大うけしていました。
 自身は自分の隣にさらに若く美人で胸が大きく脚も長いHさんにライバル心や、コンプレックスを持っていたようです。H山さんにはMさんはキツく当たるときもあり、そんな面を見せるのを少し恥ずかしがるのか、そのキツさが正当であることを理由を述べて弁明していました。女性二人のバディは難しいものです。ここに何人もの男性が絡みます。
 激しい競争や、出し抜きがありMさんもH山さんも多くの女性社員のトップに立ち、その前にいた先輩女性を押しのけていったはずです。当時からそこの部署の女性トップは、支社トップや本社とのつながりも重視され、男性幹部への接待も当たり前でした。

 Mさんも結婚はしましたが、すぐにすれ違いも続き、子供もできないで別れ、以来仕事一筋の当時の女性としては珍しい生き方で、世間的にも風は冷たかったはずです。
 Mさんの悪い話を聞いても、年上でバツイチということでも自分にとっては変わらずMさんが好きになっていました。美術館へ行く話はたまたま発売される香水の名前が画家にちなんだものなのでトントン拍子に決まりました。当時は気の利いた食事をする店も知らずに、知っているイタ飯に誘いました。美人の横にいるだけで緊張する初々しさが我ながらあったようなデートでした。デートと言えるのかわかりませんが、その後、また会いたいといい2度目のデートの帰り、Mさんのマンションに寄ることになりました。 自分がバツイチで年上だし、もう一度結婚していい奥さんになる気がないんだとははっきり言われましたが、それでも家を出る前の玄関で見つめ合い、抱きしめてキスしました。

 30を過ぎ、当時の男子としては、もう親も親戚も会社も結婚しろの大合唱の中で、結婚する気がなく、万一その気になっても当時の周りからは反対が出そうな相手と、恋に落ちていきました。
 ワンルームマンションとは言え、当時の独身が横に並んだ寮でクルマもなく、帰宅していないとすぐにわかります。休日前なら実家や旅行もいい訳できますが。平日の外泊はいかにもという感じです。
 長い人生の中では、ほんの短い一幕かもしれません、それでも1年足らずの交際期間、半同棲期間の中で、何度も泊まり、食事をしてお酒を飲み、朝近くまで激しく愛し合ったものです。
 バブル景気とは言え、化粧品に課せられた目標は高くノルマは厳しく、私もMさんも仕事だけでも結構疲弊していました。たまに会い、お互いのマンションに泊まるときも体調やリズムが合わないときも出てきました。
 ひた隠しにする二人の仲ですが、私の周りにも取引先からもしつこいばかりに見合い話は来ましたし、Mさんも上司の接待やさまざまな提案を要求されてある程度女性を武器にした仕事を強いられています。

 ある時、H山さんから、それとなく、Mさんは元々、N課長の寵愛を受けてのし上がり、h本社役員が来る度に夜の接待をしていたことや、今はB野さんとも不倫していると囁かれます。
 B野君は確かに仕事のできる同僚で、上司受けもよく、後輩ながら追い抜かれそうな勢いのあるやり手ですが、家庭持ちの転職組で、それこそ不倫です。
 Mさんにとって、いずれにせよ自分はオンリーワンのパートナーではないし結婚相手ではないのだろう、それが分かって付き合っていたのだから仕方のないこととは言え焦燥感はありました。。

 何となく、Mさんと会う頻度は減り、やがて仕事で顔を会わせるものの、気まずい空気になります。メールやLINEのない時代ですれ違いだすと、電話しかないのでつかまらないと終わりです。深夜に何度も電話がかかり、こちらも体調が悪いと切ると、心配なのか何度も架けてきて、家まで来ると言うけど、断りました。
 関西への異動がほどなく決まり、彼女とはこれという別れの言葉もなく、「お疲れ様でした。ご栄転おめでとうございます」の定番的な言葉だけでした。H山さんはその場面で「京都の彼女とより戻せるわね」とかつまらぬ冗談を言い、送別会の後の地下鉄駅では、私には「Mさん追いかけなくていいの」と訳知り顔で言いました。
 その後、仕事からみで転勤先から何度か電話はしましたが。
 その後私も地元関西で公私とも忙しくなり、元の職場のことも彼女のことも忘れていました。
 もうずいぶん時間が経ってから、彼女はさらに厳しくなった体制下で、パワハラ的な激務が続き、ある日自宅で自死している姿が見つかったという話を聞きました。なぜ、その事件を速報段階でも知らずに過ごしていたか、遡って調べるとその日私は新婚旅行でスイスに行っていました。今でこそ人事や事件は社内イントラですぐ知れる時代ですが、当時はそうなかなかすぐには伝わらないものでした。
 その死の真相を調べる術も何もない自分に呆然としたものでした。何とか電話でも相談に乗ってやれなかったのか、あの時マンションを訪ねると言われ拒否したことも今となっては後悔でした。
 彼女のお墓がどこにあるのか、実家のある別の県なのだろうかと想像するだけで何の情報もありません。今さら前の職場に、実は交際していたから詳細を教えてとは言えない状況です。まして不倫関係にあったとされたB野くんは、自殺の原因としてパワハラのスケープゴートにされ退職に追い込まれています。
 Mさんの後の女性トップには当然H山が座り、新体制を組んでいるとの話でした。
 H山さんには東京の会議でその後顔は見かけましたが、声はけませんでした。ほどなく退社したようです。
 短い生涯を終えたMさんのことは時々思い出したり夢に出てきたりします。テレビを見ていてふと、出てくる女優さんの表情やルックスがMさんとH山さんに似ていたりするのが浮かんだりします。美人薄命とは言いますが、最近は定年まで勤めあげる女性が増えた中、30代で仕事のために命を落とすのは何とも悲しい運命です。

 私にはキャリアウーマンとの共働き夫婦生活は今考えると想像しにくいですが、選ばなかった人生があったのだとは思います。あの時、何が何でもMさんと結婚していたら今Mさんはこの世にいるのかと想像することは少し怖いです。

 人生は無限の選択肢に連続です。選ばなかった人生は存在しないのです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

追悼西山太吉記者 

 元毎日新聞記者で、沖縄返還をめぐる日米間の密約報道を追求して、一度は逮捕投獄された西山太吉さんが24日、心不全のため北九州市内の介護施設で死去した。91歳でした。

 彼をモデルにした山崎豊子の著書「運命の人」がベストセラーになり、ドラマにもなったためご存知の方も多いでしょう。司法を目指す人には判例でお馴染みの外務省機密文書漏洩事件ですが、一般にはスキャンダラスなところだけ印象に残り、あるいは時とともに風化して民主党政権以上に忘れさられているかもしれません。
 分厚い原作を読む人も減っている時代です。また山崎豊子さんの小説というのはセミノンフィクションと言われどこまで史実かフィクションかがとても厄介なところがあり、美化されたり象徴的にされたり、想像上の人物が出てきたりはします。

 それでもその旺盛で綿密な取材には舌を巻きます。概ね西山太吉さん=弓成亮太は間違いのないところです。

毎日新聞社記者の西山氏は71年、翌年の沖縄返還をめぐり米国側が負担すべき米軍用地の原状回復補償費400万ドルを、日本側が肩代わりするとの密約を示唆する機密文書を入手しました。文書の入手を外務省の女性事務官に頼んだことが、秘密漏洩のそそのかしにあたるとして、国家公務員法違反容疑で事務官とともに逮捕され、74年に毎日新聞社を退社。78年に最高裁で有罪が確定しました。世論の関心は密約よりもスキャンダルに移り、報道のあり方が問われた。

 政府は密約の存在を否定していましたが、2000年以降、米側の公文書や元外務省幹部の証言で、相次いで確認されました。

 山崎豊子の遺作にもあたるセミノンフィクションはアメリカと国家権力に対峙する孤高のジャーナリストを描いて、ぐいぐいと引き込ませます。実際には西山氏のやり方も現代では通用しない強引でコンプライアンス違反なところもあったでしょうが、根源にはジャーナリストとしての正義感があり、それを潰し泥まみれ悪役にして消し去ろうという、アメリカ追従の検察の思惑が見えます。
 検察は直接アメリカからのハンドリングはなくとも忖度をし、また官僚全体の自己防衛や民間へのヤッカミなどが入ってくると思われます。どうしても出る杭を打ち、縛めとしてしまう傾向はあります。検察もまた正義感を持ち仕事をしていて、それが突出したものとは相いれないことになるのです。

 「運命の人」に期せずして田淵角造という名前で金権政治家として後の今太閤総理田中角栄らしき人物も出てきます。角栄も当然そんな背景も酸いも甘いもウラを知っていたはずですが、この後の時代で政権を取ります。しかし田中角栄も日中友好などでアメリカににらまれたのか、早急な改革や地方へのシフトを警戒した官僚のせいか、スキャンダルで泥にまみれ急速に失速し逮捕されます。
「アメリカをないがしろにして中国などと外交」「官僚体制を揺るがす、過激な体制改革」は日本ではタブー的に、アメリカハンドリングの検察のターゲットになります。後にはマスコミもぐるになり袋叩きにされ潰されます。金丸信、中川一郎親子、鈴木宗男、小沢一郎、鳩山由紀夫、それぞれ脛に傷はあっても逮捕されたり死に追いやられるほどのモノではなく、一般の方も詳しい罪状など説明できないほど微細なものです。要はアメリカおよびそこに結びついた権力になびいたか逆らったかです。

 アメリカと密約を結んで、ノーベル平和賞まで貰った佐藤栄作(作中では佐橋慶作)とその一族の発展による支配と、あくまでもその背後を隠蔽しようという体質は、当然今の、岸家安倍家の一族に受け継がれています。

 朝日や毎日が、読売がとか言ってもしょせんは今は記者クラブのお仲間で、スクープ合戦も芸能レベルです。妾半ば公認だった時代とはスキャンダルのレベルも違います。日本の命運の根源をスクープするような攻防はないでしょう。日本の支配層を意識改革させるような、西山記者レベルの気概あるジャーナリストはもう生まれにくい背景ですが、次世代に期待はしたいです。

 

カップ麺、コンビニ弁当や菓子パンは割高 節約ではなく時短のためのもの

 光熱費や運賃が上昇し、ベースになる食材のタマゴや油、小麦粉なども値上がりして大変な世相です。
 しかし、コスパの悪いし買い物を続けておられる人も良く見かけます。
 ドラマでは忙しいお医者さんや刑事、弁護士などがカップ麺やコンビニ弁当をかけこむ姿が描かれて、実際私もそういう職業の人が時間を惜しみ忙しい食事をされているのを見たことがあります。

 彼らはお金がないのではなく、時間が惜しいのです。ところが、時間は比較的あるけど時給の安い労働者、所得の低い人が、同様のことをしていて、値上げを嘆き何の防衛策もないのが残念です。

 カップ麺と菓子パンを頬張り、缶コーヒーを飲み、終わればタバコをふかし休憩が終わるまで寝ている。仕事が終われば安いチューハイを飲みまくる。
 本当にお金のない人は、コンビニ食材や弁当屋のものが高いと思い自分でコメを炊き、麺をゆでて弁当を作ります。忙しい朝や、休憩現場でも少し工夫すれば多少できることもあります。
 パンでも菓子パン1個でトースト用が一斤買えます。そこにジャムやマーガリン、あんなどを塗っても安い物です。ほんのちょっとの手間でメーカーや業者の商品はぼったくっているコスパのだとすぐわかります。

 めんどくさいと考えると、どんどんお金は無くなります。缶チューハイを袋いっぱいに詰める人もそうです。炭酸水と焼酎のボトルで、レモンを高級なものにしても、缶入り飲料より安くリッチです。お茶でも茶葉から沸かせば健康的で、ボトルの茶よりはるかに割安です。缶入りのハイボールなどにしても、旅行の車中など限られた時間や空間でこそ便利なだけで、値段は物凄く割高で今言うエコでもありません。

 カップ麺や缶やボトルの飲料、チューハイなどもいろんな種類を出して、メーカーは宣伝して煽りますが、もうそろそろ定番だけに絞り、不毛の開発努力や宣伝をやめ、利益を上げる方向にシフトすべきです。コスパのよい食べ方呑み方を提案するのがSDGsの時代ではないかと思うのです。消費側が値上げに汲々と苦しめられるより、知恵を絞って少し手間をかければ安く収まることでコスパの悪い商品を社会のメインから淘汰するのです。最終消費者は弱いようで、選択権はあるので強くなれます。このシフトを楽しむくらいでないと、この時代は乗り切れません。

音楽や映像の癒し効果 春へ

 JR西日本の人的ミスともいえる雪害による電車閉じ込めに関して、JRにもいろいろ意見を言い返事も貰いました。その後も会見を開き調査や対策を述べられていますが、まだまだ不十分なところもあります。
 素人考えでは、私鉄が走行できているのにと感じ、特に京都~滋賀の路面電車のような京阪京津線に比べ、高規格のJRがなぜという要因に関しては確かにいくつか知り得たJRならではの事情は分かりました。

 それでも、あれだけの長時間、車内の放置したことに対しての説明、大いに不満で対応のまずさ、対策の不足を感じます。

 技術的なことよりも、私が書いたのは待たせている間のアナウンス不足が、不安を増大することです。今度の場合は、人災の部分もあり判断のミスがあるかもしれません。しかし実はこういうことは今後もあり得ますし、地震や台風でもいろんなことが突然来ます。そんな中で、乗務員が多くの乗客をどういう風に安心させるアナウンスをするか。あるいは遠隔でどう対応するか。あらかじめ準備できるものは何か。音楽や映像でも流してヒーリングをすることや、トイレの順番決めを提案したり、ストレッチやツボ押しでも案内することもできる時代です。そういう面では、対応も全くダメでしたし、その後もアイデアも全然ダメ前時代の国鉄レベルです。

 音楽やお笑いぐらい、スマホでパーソナルに見聞きできる時代かもしれませんが、逆に言うと不安や焦燥を和らげるその効果は十分あるのです。 

 緊急事態的な時だからこそ、与えられる音楽などの癒し、不安や不満のガス抜きは効果的です。

 昨日、2月の新年度への複雑な心理を書きましたが、私自身公私忙しく、複雑な思いで落ち込む時、ややベタな音楽やドラマで元気をもらっています。
 今クールのドラマだと、『リバーサルオーケストラ』『女神の教室』といった、青春ものに励まされています。特に『リバーサルオーケストラ』はスカッとします。クラシック音楽そのものにも癒されます。
 ウチの連れあいも音楽畑ですが、私がすごく落ち込んだ時、何気に聞こえてくるピアノに元気づけられます。
 もう二十年以上前に、春の異動で、遠くにあまりいい転勤ではない、要するに泣きたくなるような左遷人事で飛行機に乗りました。まさに飛ばされたと嘆く気持ちで搭乗した座席で、機内で聞く放送から流れていたクラシック『威風堂々』と、最後に切り替えたJPOPのチャンネルで松たか子さんの『明日春が来たら』という曲は今でも覚えています。本当に窓の外の景色とともに感動的にその澄んだ声が響き、よし悩まずに頑張ろうと思いました。
 ついこの間みたいな気もしますが、当時乳飲み子だった長男がもう25歳。松たか子さんもおキレイなままですが、当時20歳そこそこお嬢様的な感じが、今はしっかりした奥様役が似合う45歳くらいというのですから時は流れます。

 気持ちが上がったり下がったりするのは、誰でもいくつになってもあると思うのです。そんな時、気持ちを切り替えられるようなのが音楽かもしれませんし、言葉の力かもしれません。
 JRさんにも自戒を込めて、また多くの人がそうだと思うのです。