ワクチン接種  令和4年秋 考察と備忘 #ノババックス

 毎日報道は感染者数や、第8派とか言われていますが、ワクチンに関しては財務省が全額公費負担をストップと報道されました。正式決定とは伝わりませんが、一時期はワクチン打て打てで、6カ月のインターバルを3か月にするとの話もでて、もう6回目7回目と数え切れなく行かされる人も出るのかと思われた流れは、どうも止まるようです。
 一応どちらにも対応できるようにしていますが、9月20日以降に3~5回目のワクチンを接種した人は、もう次のワクチン接種券は少なくとも来年4月までは来ません。
 厚生労働省が11月8日に通達を出し、17日~18日くらいまでに自治体が慌てて対応してHPなどを更新して説明しています。9月に接種した人は3カ月で、正月明けぐらいで風邪のはやる寒い季節に大きな波が来ていたら、抗体が消えていることになります。何だか裏の事情があってのドタバタっぽいです。

 以下👇 自治体の連絡文です。

「令和4年秋開始接種」は、1人1回に限られる追加接種です。次のいずれかのワクチンを使用します。ファイザー社のオミクロン株対応2価ワクチン モデルナ社のオミクロン株対応2価ワクチン 武田社(ノババックス)の従来株ワクチン(1価)

 令和4年秋開始接種においては、基本的にはファイザー社またはモデルナ社のオミクロン株対応2価ワクチンがおすすめされています。武田社の新型コロナワクチン(ノババックス)は従来型のワクチンですが、ファイザー社およびモデルナ社のオミクロン株対応2価ワクチンを何らかの理由で接種できない人のための選択肢と位置付けられています。接種を迷う場合についてはかかりつけ医にご相談ください。

  以上

 私は、主治医との話では、接種そのものをあまり推奨されませんでしたが、1価のノババックス武田の国産ワクチンをこの時期11月18日に打ちました。オミクロン対応2価、mRNAワクチンは信用を個人的にはまだしていないためです。
 というか、身体的にはメリットがデメリットを上回るかどっこいどっこい程度だと思うのですが3回目を受けないと旅行とかに煩雑なのが、うっとうしいだけが主な理由です。

 なぜ、オミクロン最新対応のワクチンを受けなかったと言えば、新型コロナの変異株というのは種の変化ではないため従来型でも抗体は作れるし、変異株対応といっても感染はほとんど防げていません。重症化予防なら既存ワクチンで十分です。実際今はやりはオミクロンBa5.5なのに5.1対応の2価ワクチンを主にそれでも効くと打たされているようです。

 mRNAワクチンが、身体に残りスパイク蛋白を作り体調が悪くなっている方、免疫力が下がって他の病気を悪化させているという情報はありますので、ファーザー、モデルナは避けました。

 もちろんファイザーやモデルナを選んで今すぐどうこうというのもないとは思います。
 後は勘のようなものです。アストラゼネガのベクターワクチンが最初は安全と言いながら血栓症が多く発生するとのことで、いつの間にか選択肢から消えていました。4月に認可されたノババックスに国産ということもあり、かねてより期待していたこともあります。
 しかしゼネカが却下されたのは、日本の厚生省の良心と考えて良いものなのか、そこは信じたいです。 

 真面目に4回目、5回目まで接種している方のおかげで、爆発的な感染や、医療現場の逼迫も抑えられているのではないかとは、感謝も含め感じるところです。
 ただ、もう若者も含め、オミクロン対応の接種率はなかなか上がらずやっと1割いくかいかない程度かです。接種会場での担当医も、今ワクチン全体に市民の不信が強いことは良く分かっておられ苦笑いしていました。

 集団接種会場、平日の昼過ぎにしては予想したより多かったですが、1~2回目の2年前とは全然活気もなく規模は小さいです。それでも会場や、案内係、医師など大変なお金がかかっています。これらの税金も含め、もう財務省的にはすべて国が賄うのは限界なのかなというところです。今度はインフルエンザのように、一部負担や、一部の層免除などの、いろんな制約でも打て打ては続くでしょう。

 個人的には手洗い、アルコール消毒、検温も含めた体調管理、あまり人混みに行かないなどで、コロナ禍はいろいろ健康面で学んだことも多いです。

「色白は七難を隠す」? 美熟女のせつなさ     #ルッキズム2

 人間は花でも、絵画でも、動物でも美しく、可愛いものが好きなはずです。ですのでルッキズムはごく自然な本能的なところからきているといえるでしょう。
 美の価値観を押し付けたり、美しい人を優遇し、そうでない人を差別し、外見を揶揄したり罵ることが問題なのでしょうか。しかし美が評価されるることが、完全否定できない以上はどうしても起こりうる問題です。

 ミスコンを廃止しようという大学が出てきて。未だに続けている大学を時代遅れとい風潮もありますが、自由な大学にあって楽しいイベントではないかという考えもあながち否定はできません。そんなものを廃止したからと言って大学の価値が上がるなどとは私は全く思いません。むしろ自由さのない、つまらない大学になって人気がなくなり衰退するのではと思います。

 芸能人、モデル。タレントあるいはキャパクラやホストクラブのような水商売などは美形であることが一つの条件の場合もあり、それは仕方ないと思います。

またミスコンのような一過性のイベントに目くじらを立てる以上に、社会にはびこるルッキズムは沢山あります。
 もっと噛みつくべきところは、普通に学校を卒業して職業に就く場合などで美、外見が優先されるということでしょう。資格を持ち、学生時代に取り組んだことがあり、仕事ができそうとか、どういう考えとか意欲をもっているそういうものに関わらず外見が重視されるということです。
 芸能人やモデル、水商売以外でも、テレビ局のアナウンサーも昭和では考えられないほど、美男美女、とくに女子アナが無駄とも思えるほど、ニュース番組にぞろぞろいます。しかも網の凄い高収入です。ニュースや気象情報を読むだけなら外見は関係ないはずなのに、どうもそうではないようです。
 女子アナが視聴率を稼ぎ、あるいは大きな会社の受付嬢、百貨店や化粧品などの販売員も外見優先というのは、採用の段階でそこがポイントなのは何となく分かります。

 前回述べたように、もっと今騒ぐべき問題は、全く一般の営業など総合職に就くためにもルッキズムが蔓延し、化粧どころか整形までする風潮です。どこの会社も就職の選考にルッキズムが入っているということです。

 これはとくに韓国が先行し、日本も欧米以上にこの傾向が強いようです。取り合えず入ってしまえば、秘書や受付嬢などは十分だという男尊女卑的な考えも根強いという面もあるとは思えます。また外国人に受け入れ、移民などが少なく、「色白は七難を隠す」などの言葉があるくらいで、価値観の同じ同一民族の占める割合が多いことも要因でしょう。

 片方で、ミスコン批判やルッキズムを問題視しながら、他の局面では「美しすぎる市議」「無駄に美人(イケメン)」だとかの表現が罷り通る報道もご都合主義です。

 美少女やイケメンばかりのコミックは昔からあります。最近はエンタティメントはもちろん純文学的作品でも映像化を元々狙ってビジュアル化を明らかに意識して、美男美女を書いているようなものも当たり前になっています。

 しかし、現実の世界ではそうそう美男美女が揃う集団はいないので、幸か不幸か適当なところでうまくいきます。ストックホルム症候群とも言われる現象もありますが、テレビやネットの中すれ違う街では美男美女を知っていても、職場などの自分の交友できる人がその人しかいなければそこでその人のいいところを見つけうまくいくのです。
 テレビのキー局と、町工場ではレベルは違っても、それはそれで憧れる人、愛する人ができるのです。そして、それはルッキズム関係なしに、良い仕事や交際に繋がります。誰もが老いを迎え、若い可愛らしさや、美しさは漸減します。元々、それだけでうまく寵愛されてきたのなら限界を迎えます。「ミス〇〇大学でした、15年前、、」では自虐ネタにしかつかえないでしょう。身勝手なもので、異性への外見的な興味は若い美しい方へ移ります。そこへ興味が移る方は、もっと醜く老いていても自分にはルッキズムは適用されない身勝手さです。

 結局は長い目で見れば、外見で人を選んでも大した違いはなく淘汰されるのでしょう。「整形して何が悪い」という人は、頑張り続けないといけません。その場しのぎの優位性ではなく、お金をたっぷりため、権力を握り絶大にするなどしないと、やがて容姿の衰えとともに、情けないことになります。

 人間って切ないし、ある意味可愛いなあと思うのは、若い頃とても美しくルッキズム恩恵を余すところなく受けていた人が凋落を恐れ、必死にもがくような姿です。開き直って、強欲とかお茶目で可愛いオバサンになり切れない人が、美に執着して、髪を染め、スキンケアをして、化粧を濃く変える、必死になっても其れでも若い人や昔を知らない人には色気のある滑稽な熟年にしか見えないのですが、その哀れさのようなものに、業を感じるとともに切なさを思います。

 流行語?なのか ルッキズム  #ルッキズム1 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

ミサイルに対するリアクション #ゼレンスキー#ウクライナ#ロシア#北朝鮮

 ウクライナ国境近くのポーランドの町にミサイルが着弾して2人が死亡というニュースはある意味かなり衝撃的でした。

 これがロシアが意図的にポーランドを攻撃したミサイルだとしたら、もうNATOとロシアの全面戦争へのトリガーでした。
 ロシアが今そんな愚挙に出るとはNATOも考えておらずウクライナ側のミサイルとしています。さすがに西側寄りの評論家も、事実関係からウクライナ側のミサイルだと推定しているようです。ゼレンスキーのみがロシア側の発射と主張しています。何らかのウクライナ側の誤射か、ロシアに罪をなすりつける策謀なのかよくは分かりませんが、この大統領の主張は、スルーはされていますがとんでもない盲動です。

 一人の愚かな大統領の意図があろうがなかろうが、その判断、発言がトリガーになって大戦争が起こる可能性があったのです。幸い昔に比べて、航空写真などでの特定がしやすくなり、陰謀やデマ、誤解の検証はある程度できます。それにしても、ロシアが悪いとの国際世論に便乗して、さらに印象を悪くしようとしているのでしょうが、このウクライナのトップはやはり信用が置けないです。

 ちょっとゼレンスキーを非難すると、プーチンを庇うとかロシアを擁護するとか叩かれますが、ロシアの悪とは別問題です。それに間違った対応をして国民(選んでいるのでまだ許容範囲か)やましてNATO諸国や世界を巻き込むような一国に大統領は危なすぎて即刻交替すべきです。ロシアが悪いからこそ、まともな大統領で対抗しないといけないということです。このままでは目くそ鼻くその泥仕合です。

 北朝鮮からのミサイルの報道も人的被害はないにしろ、確かに日本人の神経をピリピリさせます。まして領土に落ち、人命が失われたとしたら大きな問題です。

 戦争につながるような他国への威嚇は高度な戦術的な国家戦略に基づくはずです。その裏のウラをよく読み取らないと判断を誤ります。国家の正義はそれぞれの国にあり、戦前に日本しかりで、自国内では正義護国でも、国際社会からみれば悪のならず者国家とののしられているのです。特撮ヒーローのような悪の国はありません。
 それぞれが正義と正義にぶつかり合いで、誤解や陰謀で戦争のトリガーになった例がいくつもあります。むしろ戦争にきっかけは、陰謀的なトリガーに国家にトップが呼応したものがほとんどです。しかし大戦争となれば犠牲になる者の数、破壊される街は、全く規模が変わります。

 報道のあり方も検証されないといけませんし、政治家やスポークスマンの対応もその表現も冷静で影響を熟慮したものでないといけません。

流行語?なのか ルッキズム  #ルッキズム1

オリコンニュースより「ビフォーアフター」(画像提供:みきしぃさん)

 大学のミスコンなどの問題で、議論したこともあるのですが、ルッキズムという言葉、潜在的にはあると思っていましたが、まさに流行語大賞にノミネートされるほどとは、何だか妙な感じです。言葉そのものは1970年代からあるようで、ウィキなどでは以下の感じの説明です。

 ルッキズムとは外見に基づく差別または偏見。主に人間が視覚により、外見でその価値をつけることである「look(外見、容姿)+ism(主義)」であり外見至上主義、「外見を重視する価値観」との意味でも使われる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。

 蔑視や差別の意味合いが強くなり、ヘイトや人権、多様化の価値観の昨今ならでは意味が変わりつつあるようです。

 日本では他人に対して ”髪型変や” ”太ったねー” ”老けたねー”等と他人の容姿に対するネガティブなコメントが容認されている傾向があるそうです。日本ではこれは家族、友人間だけでなく職場でも行われています。アメリカやイギリスでは家族間ではたまにありますが職場で他人の容姿を褒めることはあってもけなすことはあまりないそうです。

 不快なことを言う言わないだけでなく、ルックスが良い人が厚遇されるというのは日本に限らないかもしれません。

 2000年代初頭、韓国では就職活動を有利に進めるため、男性の9.3%、女性の22.3%が「リクルート整形」を行なっているという話がつとぁりました。

 女性にリクルート整形はその後日本では割合が上がり、男性も印象を変えるため始まりました。
 2003年には、就職活動を行う大学生だけでなく再就職を目指す中高年男性がプチ整形を行なっているという報道がなされたそうです。

 芸能界はもちろん、政治やスポーツ、報道、あらゆる分野で「イケメン」とか「美人過ぎる〇〇」などという存在がチヤホヤされ、広告塔として目玉にもなってきました。

 美人やイケメンの経済価値というのは、随分前から、陰では言われていました。そのために、私がいた化粧品業界のメイクなどのツールがあるのです。昔は女子高校生が、化粧品会社の就職し美容部員になると、どんどん年齢不詳にキレイになり垢抜けていき30代後半ぐらいまで年齢も若く旬の美しい時期が続きました。
 そして、化粧品からさらに進んで親からもらった身体にメスを入れる整形へと時代は移ります。

 お金をかけて美を追求し、利益を得た人にとっては「何が悪いのか」という意見も、議論の中にあります。

「脱ルッキズム」や「美の多様性」の観点から、いろいろ問題が出だし、その論争が流行語にもつながったのが今年でしょうか。

 議論の詳細は 明日以降に続きます。 (つづく)

秋の読書 書評:#熱源 翻弄され続けたポーランドとアイヌ

 ポーランドもウクライナの隣国としていろいろ事件にもなっています。

 ポーランドと日本のアイヌを描いた力作です。上梓は3年前で、ロシア人も出てきて、ロシア人よりもソビエトの体制や階級、人種などの今も続く問題も出てきます。そして何より、今も嫌悪され脅威となるロシアの姿であり、第二次大戦末期の哀しき動乱期です。

 写真は直木賞候補になっていますが、162回2019年の直木賞受賞された、大変熱い作品です。アイヌと和人のハーフ、日本人も出てくる点ではロシア人ばかりの「同志少女よ、敵を撃て」より読みやすいような気もしておすすめなのですが、やはりロシアやポーランドの長い名前は苦手という人は結構いるようですが、後半は一気に読めるという感じの熱い話です。このような歴史と海外の設定を日本人が紡げることは驚異だと思います。プーチンさんもびっくりではないでしょうか。

 「ラーゲリより愛を込めて」が映像化できるなら、日本人の登場はやや少ない比率ですが、何とか映像化して欲しいものです。

 アイヌとポーランド人の二人の主人公が平行して物語を進めます。周辺の強国に蹂躙され、国家が何度も滅ぼされた悲惨な歴史を持っているポーランド。かつては北海道や樺太に棲み、広大な平原を自由に生きていたアイヌ。

 樺太のアイヌ達とアイヌに魅了された人達の、自分達が何であるべきなのか、翻弄されながらも生きるための熱源を追い求めていくのがテーマでしょう。「アイヌとは人という意。強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ」降伏したことを知らずに、それでも“立派な日本人”であらねば、自分が自分達の存在が消滅してしまうと思っていたオロッコの日本兵の末路は切ないです。

 だいぶネタバレになりそうですが、このあたりで。

 登場人物の端の方に金田一とありますが、探偵ではありません。言語学者になる京助さんの方です。

#ウォーキング 真剣にやれば1日8000歩で良い

 ウォーキングは気軽にできるし、お金もかからないし、健康にもダイエットにも良いということでしている方は多いです。

 ただ、間違っている方、誤解している方も多いようです。私もそうでした、いくつか、ポイントを整理しましょう。

 徘徊に近いようなうろつき、ただの散歩とウォーキングは違います。GPSなどのスマホなどの機器で歩数がカウントでき、昔の万歩計よりも制度が高いようでも、ただ歩いて、異動している、心拍数や位置情報で類推しても「徘徊」は徘徊です。

 心肺機能を高め、免疫力を高め、自立神経も活発にして、代謝を促進し、睡眠の質も改善する、ダイエットにもつながり、ボケ防止にもなる。ウォーキングはいいことずくめのようにいわれます。それだけにただ歩数を稼げばいいのではないのです。

 観光地やら、いろいろめぐるのに2万歩3万歩とか、自慢する向きもあります。アスリートなら確かにジョグやらランニングで10キロ20キロ走らないといけません。そのあたりで一般の人も1万歩いや2万は必要とかになり、いろんなアプリも歩数を稼げばポイントがつくとかになっています。しかし基本はしっかりした歩き方で、毎日8000歩で十分で、それ以上はいわゆるウォーキングのメリットは頭打ちするようです。

 8000とは言え、一日万歩計をつけていれば通勤などで半分くらいは行く人ものではにでしょうか。大事なのは姿勢を正し、腕を良く降り歩幅をしっかりとって歩くことです。この8000歩はやや早歩きで少し汗をかき息も荒くなる程度にすれば、本当のウォーキングでとても良い運動です。

 朝のウォーキングをされる方も多いようですが、しっかり準備運動をとりできれば朝食後、最低でも水分は良く取ってからでないと、循環器系によくないそうです。

 まあそれ以上が難しく考えず歩くことです。私の場合、鉄道の廃線跡とか、ホーロー看板とか史跡遺跡探しのぶらぶらの散策が多いのですが。その合間のまっすぐ歩くだけの時は、意識してしっかりしたウォーキングをするようにしています。

 脚がしっかりしていると、基本自由のどこでもいけます。見慣れて飽きた景色でない方が楽しいので、ジムや施設の中よりは外がいいはずです。外を歩けるうちに脚を鍛えて、老化を防いでおくのは健康寿命にとって大事です。

日本人はスポーツを楽しむのが好きではない

 前にも野球とベースボールの話は書いたけど、今度ワールドカップが始まるがサッカーも日本人のサッカーの応援や観戦は今一つ楽しくなさそうです。他のスポーツのOB解説の中に平然と日本以外の対戦は見ないという人もいます。しかし世界の一流同志の、国のプライドをかけ最新の戦術で戦うサッカーは面白いはずなのですが、どうも一般的には何かリードする煽りが必要なようです。

 知っている人が面白いルールや戦術、選手同士や対戦相手との因縁などは、知らないと楽しめないし、深いほど面白いのですが、深すぎると一般に伝わらないのです。

 前に大谷翔平はスゴイけど、今の二刀流の記録だけを切り取って騒ぐのはおかしいという風な趣旨も書いた。素直に喜べばとの意見もわかるのだが、多くの人はMLBを愉しまず大谷の活躍のハイライトしか見ない。
 国内での優勝、最年少記録、最多記録、海外での日本人の活躍、注目するのはこれが主でスポーツのプレイ自体を楽しまない。
 これではもったいないというか。個人競技ではないので、少なくともチームは見ないと失礼な話でです。投手の記録と打者の記録を合わせて図る本来前例がない比べるものでさえない。二刀流も無理くりの記録で、その日米通算などもっとおかしい記録でしかない。

 日本人が活躍すれば何でもいいのかと思います。もう少し競技の本質を見て楽しむよう、大谷の報道も変えて欲しいものです・
 個人的には、将棋界の藤井聡太さんの最年少記録で、ふだん将棋とは無縁で棋譜読めない将棋ほとんど知らない人が騒ぐのと同じで、マスコミが報道を煽るから、そんなスゴイことなのかというので一喜一憂するのでしょう。
 言い方は悪いですが、最年少ということと将棋そのものは関係ありません。そのタイトル戦がどういう相手でどういう戦術で攻防があったかを報じず、ただ若年記録が更新されることがニュースとは思えないのです。
 あまり批判すると、論旨と違うところで嫌われるので、翻ってNPBの応援の板を見てると、もう高校野球はみんながよく見ています。都市対抗ではなく高校野球とJリーグが日本のフランチャイズなのです。
 やはり高校野球の戦術や敢闘精神、一度負ければ終わり、3年で終わる哀切みたいなのが心情に沁みるのでしょう。それはそれで、やはり面白いなあと思います。東北勢の健闘、大阪桐蔭の番狂わせの敗退、近江と高松商の激闘など、すべて良かったと思います。みんな必死ですから、それは、ちょっとプロとはまた違う美しさがあるのです。

 Jリーグは入れ替えがあり、NPBは入れ替えがない。一発勝負の必死さはリーグ戦で興行的に伝えるのは、優勝マジックとか、プレイオフやら降格条件の分かるリーグの戦績表が必要です。じゃあ、優勝やプレイオフ、個人記録の絡まないチームに何も興行的価値がないのかというと、そんなことはないはずです。
 プレイそのものを見ることを楽しむことです。
 そこがなかなか日本人は理解できない。昔職業野球といわれた,王長嶋のスターが出るまで人気が無くプロ野球が嫌われ、大学やノンプロが潔いとされたのは、興行的な消化試合じゃないかという意識があるのでしょうか。

 その面では多かれ少なかれ、プロレスや大相撲はエンタティメントを意識して進化した興行です。

 ひと昔前は、内容はともかく最後に 力道山などのスターが出てきて勝てば良い時代で、その中身は問われなかったのです。今は背景は複雑です。

 野球もNPBでさえようやく球数制限、分業、休養日など理解が進んでも、未だに人気のあるのは過去鉄拳制裁やパワハラで選手を潰して短期的成果を上げた時代の指導者だったりします。

 メジャーはとにかくボールを遠くに飛ばすフライボール革命が、主流で日本の野球とは違い、初めて球場を訪れるファンに分かりやすく変わってきています。その方が誰にも分かりやすく、強く、派手で面白いからです。大谷や村上はその点でメジャーに近い選手です。

 勝つか負けるかのガチンコは、勝てばいいという身勝手な社会教育になりかねない面もあります。実際イチロー、野茂、大谷も村上も甲子園で優勝したわけではありません。パーフェクト投手のロッテ佐々木も甲子園出場前に温存されていました。

 スポーツを観る楽しみを、もっと報道や先駆は伝え、ルールや規定、戦術も柔軟に変えていくべきです。またファンは、深い部分を愉しむところを見出すことに力を注いで欲しいです。

 

秋の読書 書評:#終末少女 #特殊設定ミステリ  #本格パズラー #クローズドサークル  #スプラッシュホラーも

 古野まほろ「終末少女 AXIA gils」作者は東大法学部卒の警察出身とされていて警察が舞台の本格を書いていた方。デビュー作「天帝のはしたなき果実」以来ミステリランキングでは上位を多く占めていました。

 ただ履歴を確認しようとウイキペディア覗くと、削除されています。「禁じられたジュリエット」という作品をめぐって大学のミス研とツイッターの炎上事件があってメンタルを壊されたようで、この作品に続く「侵略少女、、」「征服少女、、」の3部作を上梓して先月絶筆されています。惜しいことです。

 作品は特殊設定ミステリで、終末の地球、しかも登場するのは孤島にたどり着いた美少女JK7人と、それに犯されるとそれになってしまうというマタンゴよりおぞましいい化け物のみ。人狼ゲームよのようなスプラッシュホラーでありながら、とことん文章の記述に伏線を織り込んだ上、読者への挑戦も入れた本格パズラーの骨太さです。

 このブログ副題も天使が舞い降りるですが、この物語も悪魔と天使の戦いであり、ロジッククイズの必ずウソをつく人間とつかない人間の「うそつき人間の国」のようなところもあり、楽しめます。エログロとえぐい場面もあるのと叙述の性質上、映像化は難しいところです。

睡眠は人生で大事なこと  #眠れない人のために

 5人に一人が不眠症に悩み、睡眠薬を常用しているそうです。薬を日常的に飲むと腎臓を傷めたりしますので、できれば毎日飲むのは避けて、自然に食べて排泄して、動いて、寝られるのに超したことはありません。

 私の父はコーヒーを飲むと寝られなくなると言って、紅茶は飲んでもコーヒーは飲みませんでした。これなどは思い込みだったと思います。

 私も学生時代ゴロゴロ寝てて、いざ死後になった時、朝早く起きないといけないと思うと寝られない時がありました。当時は研修も雑魚寝、寮は相部屋の共同生活ですぐには寝つけず、会議や講義で居眠りしたくなるのもザラでした。よく考えると勝手な不眠症です。

 もちろん私は医者ではないですが、薬の処方は患者の要望があればある程度柔軟に対応して、よほどのダブりや飲み合わせ以外は全体に薬の量が増えていきます。

 母も老いた頃は、毎日山のように処方された薬を小袋に朝夕晩と分けられて、薬ばかり飲んでいました。毎日孤独で不安で眠れないといいながら、それでいて深く寝入って、父の死に目に会えませんでした。

 年配になると日常的に「眠剤、眠剤あの眠剤がないと」とこだわる人が多いようで、今年入院した人もそういう人をよく見ました。しかし、夜は寝つきにくくとも、昼間は良く寝ておられました。もちろん個々に病状は違いますが、寝られないから死ぬということは絶対ないというのは見ていて分かります。

 明日緊張する試験とか、発表会、試合や仕事を抱えている現役の世代の方が、寝つきが悪くなるのは分かります。あるいは毎日の仕事や学校、社会生活に問題があったりするストレス系も不眠に繋がります。

 私の学生時代もそれに近かったのっですが、昼夜が逆転した仕事や徹夜が多いなどがあると、体内時計が狂い不眠症になりやすいようです。

 ただ布団に入り暗くして横になっていると、身体は安らぎ眠っていないようでも一睡もしないということはないようです。これは最近スマートウォッチをつけて寝ていると眠りの質や時間が良く分かります。どんなにぐっすり寝たつもりでも深い眠りに時間はほぼ一定ですし、短い睡眠時間でも質が高い時間はまあまあ確保しているようです。眠るということを意識しなくても横になって安静にしている時間も大切だということです。

 最近読んだ脳医学の本で、人間は目に朝強い光を浴びると約15時間後くらいに、眠たくなるスイッチが入るそうです。これを自分の身体で図ってみると確かに当たっているケースが多いです。6時頃に朝目覚めて、朝日を浴びると、夜9時頃には眠気がきます。雨や曇りでも意識して強い光を浴びるなど、朝のエクササイズを外に出て頑張ると、夜の寝つきが良くなります。そして寝る前にパソコンやテレビの強い光を浴びないこと、タブレットの電子書籍ではなく、紙の本を読んで寝ましょう。

 特に人生の中で寝ている時間は長いです。食事や排せつ、運動などはここまで長くありません。活動があって休養があるのですから、それなり大切だとは思いつつ、あまり悩まずに横になれば良いと思います。

法務大臣更迭 大臣のあるべき姿

 優秀な子供を評して「末は博士か大臣か」という言葉がありました。国会議員はお偉いセンセイであり、大臣ともなれば地方の地元では英雄扱いの名士になるほどの存在のはずです。ところが、今は政権与党の都合で大臣ポストも当選回数や派閥の仕組みが優先し、年功や論功の順列で決まっていくようです。
 たとえば、「国防が専門」「経済に強い」「外交をやりたくて勉強してきた」「厚生労働に精通している」とか、「議員時代にこの問題に取り組んでいた」とかは関係ない門外漢が時が来ると大臣になります。
 企業など社会の幹部、経営層がそうなように、専門職ではなく総合職、管理職だからキャリアアップしていく段階で仕方のない面もあります。

 自分のいた会社でも大きな組織だとそういうことはありました。Bの方がこの事業や部門の部長には適任だけど、どうしてもAをある年齢までに部長にして、その後本社にキャリアアップさせないといけないとか、現場や本人の能力や適性は関係なしの人事がまかり通るのです。何もない平穏な時期はいいですが、乱世というか有事というのか、ひとたび何かあるとリーダーやトップが現場の分からない、仕事のできない人、人心もない人間だと組織は悲劇となります。

 ただでさえ、組織の長になると、民間企業の支店長クラスでさえ、承認して決断してハンコを捺す仕事が毎日山のようにあります。目を通さなくていいものは基本的にないはずですから、大臣ともなると閣議もありますから大変な量です。
 厚生労働省とか、文部科学省、国土交通省、経済産業省など、省庁再編で組織も分野も広くて一つの大臣のテリトリーさえもかなり広範な知識が必要です。

 今回、岸田改造内閣で統一協会問題で辞任した山際経済産業大臣に続き、葉梨法務大臣が失言で辞任に追い込まれました。切り取り発言が問題になり過ぎた面があるのか、それでも与党からも助けが少ない面もあり本人の人格にも多少問題があったのかと、いろいろ思います。詳細はわからないとして、この法務大臣というのはちょっと微妙な立ち位置の大臣です。

 どちらかというと、ルーティンの課題の少ない権限範囲の少ない、考えようによると比較的ヒマな、典型的な年功論功向けの大臣ポストです。そういうと死刑になった人は身も蓋もないですが、ミサイルが放たれた時の防衛大臣、外務大臣だとか、いまだとコロナでひっぱりまわされる厚労大臣のような派手な出番も無ければ、組織の長を務める法務省、検察庁は独立性が強いので普段は実質差配する下部組織がないのです。どこの省でもお飾り的になりがちな大臣のその最たるものが法務大臣です。

 発言の中で、「死刑執行のハンコを捺す」という仕事以外に注目されないというのはあながち嘘ではない本音でしょう。門外漢であればあるほど、司法試験を通った検察官や、官僚に丁々発止して裁量をもってやる仕事はなさそうです。指揮権発動という伝家の宝刀はありますが、昭和29年の造船疑獄以来発動されたことはありません。自民党が民主党に政権を奪われそうなときに、闇の指揮権として当時の民主党の中心にいた小沢一郎周辺を捜査させ、秘書逮捕などで弱体化させたという話はありますが、戦後通じてそれ以外、目だった指揮権を法務大臣が行使したことも、その検討すらした話もありません。

 いざというときは大事な要職ではあるけれど、何も考えていない人でも普段は務まりそうな印象があります。

 民主党政権下でも柳田稔という法相が2010年11月14日、就任祝いをかねた地元広島での会合で「法務大臣は『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて適切にやっています』の2つを覚えておけばいい」と発言。発言から8日後に、当時の菅直人首相に更迭されました。
「門外漢だから大変だろうとか、死刑執行のハンコなどつらいだろう」という労いを投げかける支持者へのウケ狙いで、「実は大したことない、ヒマな大臣なんや」と本音でポロリと失言をしてしまっているところは今度のケースと似ています。

 確かに、総理にしても、大臣や、地方の首長にしろ、大変なルーティンと広い専門外までの知識と的確で迅速な判断が求められます。失言はすぐに切り取られ派手に拡散される時代です。

 岸田首相も自民党総裁選挙の候補者討論の頃の方が断然元気でキレがありました。総理になると、言えないことや、難しい妥協が多いのかと想像されます。国会を見ていると結局、審議拒否で時間がかかり、形式的な代表質問や審議が両院で同じ質問、攻防の繰り返しで無駄が大すぎるように思います。日本の政治が危機の中で行き詰まりだなあと感じます。自民党の支持は高いので、岸田首相にはもう少し自分のペースで頑張って欲しいと思います。