鉄道150年です4 

 鉄道150年ということで過去のブログも読んでみましたが、鉄道そのものの濃い内容がそれほど多くなくて、戦争や震災と絡めた話、東北の話が結構ありました。
 いくつか 下にリンクしておきます。
 それにしても、最先端のテクノロジーの新幹線、リニア、フリーゲージや蓄電池のハイブリット車両、BMV、トンネルや踏切、交換などにも感心しますが、その元になった明治の先駆に感謝します。彼らがイギリスなどの技術を、日本流に読み込み、高コストの輸入ではなく、国産で独自の進化を遂げねば、日本が一流国になることはなかったでしょう。
 今の日本が、資本の流れは違えど、ITなどの面で海外資本にぼったくられているのではないか常に、日本の指導者も技術者も、明治の志を忘れず振り返って欲しいです。
 
 仙石線の運命の話は、結構多くの閲覧がありました。
 いくつになっても旅は終わらない。鉄道とともに。
 

 4月25日【霜止出笛】鐡道はそれでも定時運行する – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

【東日本大震災10年】生と死 運命を分けた野蒜駅発205系電車。仙石線の思い出 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

東北の海、山、川、湖すべて美しかった – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

いくつになっても旅は終わらない – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

円安で儲けている企業も国も分配を

 岸田総理の言っていたことは、気持ちの表明だけで具体策はないものは多いです。所得倍増と言いながら、円安が続き原材料を輸入していいる企業や、為替で損をするところは大きなダメージです。エネルギーや食料品も相場や輸入の影響で値上げされ、社会保険料も上がり家計が苦しいという人も多いでしょう。「分配」がテーマならもっと、うまく強く政策を打ち出して欲しいです。
 分配の一つはやはり、円安で儲かっている企業が従業員や株主にもっと還元することです。賃金や賞与でもいいですし、株主には株価は上げているでしょうから、特別に配当や優待品を増やすなど、『分配』を約束することです。

 政府は実はアメリカの債権を大量に買わされています。ということは円が下がると資産はすごく増えています。財政が厳しいばかりと刷り込まれていますが、日本の行財政はものすごく潤っているところがあるはずです。


 セクト的予算主義がはびこり勝ちですが、狭い企業、業界、組織の中で勝った負けたと言って自分のたまたまの取り分だけに固執して、日本が負けてしまう日本の消費が干上がっては意味がないのです。ここは分配の考えと意図をよくトップが説明し、半ば強権で全体を考えないといけないところです。

 富める者がますます富むのは仕方ないじゃないかという考えも分かります、共産主義的考えのようなことではありません。日本の全体のリスクヘッジを考えれば、円安に強い企業、部門、たまたま外国資産を持っていた人が生き残るだけでは、俯瞰して見ると危険なのです。円安でも、採算のとれるようその仕事や人は生き延びるように差配しないといけないということです。これが決められるのは、政治と財務官僚です。政治を動かすのは国民です。

鉄道150年です3

DSC_0039

 いよいよ鉄道150年のその日が迫るのですが、いろいろ特集番組があったり、企画切符があるのですが、その日だからどうとか今年だからどうというものは感情としては沸かないです。
 

 それはあまりにも日常であり、ふだんの日常の喧騒や倦怠を逃れるための鉄旅なのですから。
 今年はコロナ禍も少し規制が緩まり、旅も再開し始め、イベントや祭りも開催されています。
 鉄旅といのは自分にとってお祭りのようなものです。
 お祭りというのも、熱心に主催して、支えているかたは、どこか日常のそういう退屈とかストレスのようなものを、年に一度思い切り発散しているように見えます。伝統的な祭りも、壮絶に暴れる祭も、手作りの地方のイベントも、やってる人の楽しそうな顔、自慢したい話しぶりが好きです。

 また楽しみとか遊びだけでなく、それを支えるのには真摯で地味な日々の努力が必要です。
 鉄道の150年の場合、本当に先駆からの努力がずっとっ積みあがっています。長年続く路線も車両も、引退した車両や廃線も、よく作ったなあと感心する文化遺産です。


 鉄道100年の頃は意味の解らない子供でした、あと50年後には生きていないですが、どういう社会になるかの予想が固まる頃までは生きたいものです。

風情ある銀山温泉と 大人のコイバナ

山形県観光公式サイト

 全国旅行支援が始まりました。「全国旅行支援」とは、旅行代金の割引や、地域クーポンの付与による「全国を対象とした観光需要喚起策」のこと。新幹線やフェーリなどのチケットと宿泊施設がセットになった「交通付旅行」は、割引上限が高くおすすめです。平日に行けば最大で11,000円もお得になります!宿泊施設とセットなら新幹線やフェリーなども割引が適用される旅行会社や旅行予約サイトが提供する、新幹線や飛行機、バスなどといった交通手段と宿泊施設がセットになったパッケージ旅行も割引の対象。宿泊施設だけの単体予約よりも割引上限が高く、遠出をしたい方にはもってこいの割引支援です!

 ほとんど宣伝になっています。えーと、関西の人とか、首都圏、中京圏の人も東北、山形あたりはちょっと遠いイメージもありますが、それだけに沖縄や北海道だけでなく、この機会に一度旅していただければと思います。北欧とかイギリスとかに住んでる日本人の友人がに日本は暖かいとか言わはりますが、日本は南北に長く四季があり、寒さも厳しい地域もあるのです。そんな東北の山形県銀山温泉、温泉地の情緒としてはイチ推しです。
 秘境ほどではなく、近代的などでかいホテルもなく、大正から昭和をイメージできる木造の建物が多い。草津や水上、西日本のイメージだと道後や有馬、城崎あたりをもう少し鄙びさせた感じで、冬は特に雪見の温泉になる確率がぐっと高まります。何せ日本海側の県ですから、

 私が仙台で仕事していた頃、取引先のバイヤーにこの温泉の情緒を台で仕事していた頃、取引先のバイヤーにこの温泉の情緒を教えてもらいました。
 もう20年以上前で、その人はまあ不倫旅行によく利用していました。
 まあ当時のモラルというか、コンプライアンスがそう厳しくなかったのか、彼曰く「私は自分に妻も子もいると堂々と宣言してからしか付き合わない」と明言なのか助言なのか教えてくれました。「君もこう言った方がモテるし、トラブルにもならず遊べる」と教えてくれたようです。
 決してイケメンというタイプではないですが、夜の街では口もうまく面白い方なのでモテたのでしょう。
 仙台の国分町という歓楽街で真夜中を通り過ぎて、朝方まで開いている水商売の女性が仕事を終えてリラックスしてお酒を飲むような店で、豪快で面白い飲みに付き合いながら、聞いたお話です。ちなみにこの接待なのか遊びなのか、当時化粧品ブランドKATEの販売台を180店舗に導入するという話を、国分町のお姉さん10人中過半数が知ってる使ってるという賭けみたいなことをして、見事に商談成立させました。
 そこに登場する女性たちも、若く派手に着飾りながらも、仕事を終えどこか疲れたところが、昭和末期のJPOPか演歌を思わせる感じでした。
 私も山形、酒田と出張があった時、一度だけやり繰りして、銀山温泉に泊まることにしました。
 12月で雪も積りだし、とても幻想的な街並みで、寒くても浴衣に丹前を着て少し歩いてみたくなりました。千と千尋のモデルにもなった?とも言われたタイムスリップするような、そんな感じです。建物は伝統的な「木造多層建築」というものです。
 タイムスリップというのは、超常能力ではなく誰にもできるものと、その時わかりました。
 その一晩だけ、私もSFのような、童話のような、ハーレクインロマンのような夜を過ごしました。(大人のコイバナはここまで、令和の倫理観)
 
 銀山温泉は、銀山川の両岸に大正~昭和初期にかけて建築された洋風の木造多層建築が立ち並ぶ、ノスタルジックな街並みが見どころのひとつです。
 もちろん、ご夫婦、ご家族、仲の良い友達同士でぜひ訪れていただきたい温泉です。

沈黙のパレード 書評&映画評(ネタバレ注意)

意外と雨の日が多い秋なので、そんな日は読書と、お出かけにはミュージアムか映画に行きます。
 映像化と本ということで前の翡翠ちゃんに続き、今回は人気シリーズいわゆる福山雅治のガリレオ最新作、東野圭吾の「沈黙のパレード」を再読して劇場で映画も鑑賞。
 東野圭吾の本格ミステリ作家としてのピークは過ぎて、キムタクのマスカレードホテルシリーズとともに映像向けのキャラミス作家になっている気がしました。
 「容疑者Xの献身」は秀作でしたが、先にテレビで単発ドラマにした「禁断の魔術」と2019年ミステリランキング上位に入ったのこの映像化最新作は、ガリレオ湯川教授あってのキャラミスの域は出ないような、まあまあの出来です。それを言い出すとホームズや金田一でもキャラミスですが(笑)
 どちらが好きかというと映像化は難しいし一般には最近ウケナイ作品は多いですが、セミリタイアされた森博嗣の『犀川助教授』のシリーズが好きです。
 森博嗣が本当の理系ミステリで、今回と前作は、もはや湯川と草薙バディの熱き友情捜査ミステリです。科学の要素とかアリバイや物理トリック、一般の方には騙される?結末のミステリ要素はもちろんそれなり入っています。

 映画の印象としてが、その直前にテレビでスペシャルとして新作で「禁断の魔術」をやるなど興行、宣伝としてうまいです。
 しかし、湯川=福山雅治の印象が強すぎて、福ちゃんも老けたな、柴咲コウも落ち着いたなあ(トシ相応)というのがビジュアル的にはあります。小説の中では年を取らない名探偵が映像上は老いていくのが奇異、新鮮な印象です。北村一輝はそれほどでもと思いましたが、やはり昔の画と比べると経年を感じます。柴咲さんも、、
 他の俳優も音楽も良かったです。田口浩正さん熱演でしたし、檀れいさんや、ええにょぼ戸田菜穂さんも、吉田羊さんもみなさんキレイでいい味を出しています。椎名桔平、村上淳、岡山天音、飯尾和樹ら男性俳優もミステリにふさわしい感じの良い演技でした。そろそろネタバレというか、俳優の格で犯人がわかるかもですが、意外にそれを誤魔化すように端役に無駄な大物が使われているようなキャスティングがあります。地方都市の祭、商店街の人々の描き方も好きです。

 以下ネタバレ
 23年前の犯人を草薙が捕まえながら起訴できなかった少女殺しから、今回、3年前の祭の後失踪した街のアイドル的な歌手志望の少女が別の場所で焼死体で発見されます。そして容疑者は23年前と同じ人物で、遺恨の草薙になぜか湯川も偶然関わり出します。警察や司法の限界に悩む草薙も良く描かれています。
 やがて殺される容疑者に、名探偵や捜査側対善良な街の人々という構図ができます。この構図自体は、すでにいくつかのミステリやドラマで既出ですが、もちろんひねりはあり、結末は意外でもあり、偶然も重なって謎を深め、まあリアルな終局でした。
 しかし、ちょっと事件にいたる傷害(殺人だと本人は思いこむ)の動機が弱いというか、それで錯乱して殺したと思い込み、いくつか悪い偶然が重なるというのは、少し都合が良すぎるような印象です。

 動機としては少女が恋人の子供を妊娠して歌手を辞めたがっているのを、歌手を育てたいという音楽家夫の夢を実現したい妻では、あまりにも弱い。
 どろどろしても、ここは少女の妊娠の相手が音楽家であったという音楽家の妻の嫉妬による犯行か、恋人と結婚し音楽を辞めるという少女を暴行して音楽家が殺して妻が隠蔽に協力したかにならないと、最終的に凶悪犯は別にしても、それなり全部いい人になってしまって偶然が多すぎるのです。

 偶然の結果が、犯人も関係者も予想だにしない複雑や怪奇のミステリ要素になるのは島田荘司の論でもあり全然オッケーですが、それがあまりにご都合主義になるとリアルとは程遠くなる感じです。
 実際、今のミステリはパズラーとして、矛盾さえなければ動機など弱くても良いようですが、一方で動機や人間の友情や連帯を描いているだけに少し残念です。
 とはいえ冒頭に流れる夏祭りのジュピターをはじめ、音楽や映像は前作「真夏の方程式」に続き良い感じの映画でした。なぜ吉高由里子でなく柴咲コウかは、大人の事情で他で調べてください。
 興行的にはどうなのでしょうか、コアなファンは駆けつけるけれど、シリーズとしてテレビから見ていないとやはり面白くないところもあるのは残念です。渡辺いっけいが出ないのと、ガリレオの方程式を書きなぐって結論をまとめるルーティンはありません。

マスコミの怠慢と偽装

 私が東北のある地方に転勤して住んでいた頃、職場のすぐ近くに地方新聞の社屋がありました。私の職場はお客さんを集めてセミナーをすることなども多く、雪が降ると玄関や駐車場の雪かきに終われました。その風景を新聞社がよく取材に来て、写真をとったりインタビューをしたりして一度は1面に載ったりしました。しかし、何度も取材してくるのを見るとただ近いからだけの記者やカメラマンの怠慢だというのが、ミエミエで、笑える感じでした。

 そんな怠慢は笑いごとですが、意図的な選択、ヤラセ演出は悪質です。
 一度、同期と研修で東京に行った帰り丸の内を歩いていると、久米宏時代のテレ朝のニュースステーションの取材を受けましたが、二人で歩いているのにあたかも一人ずつで撮り直し田上、同僚は何度も同じことを繰り返してしゃべらされました。私も横で演出に加わって、「もっと政策に義憤を覚えるサラリーマンっぽく」とか言ってました。私は、関西弁で理屈っぽく、たぶん放送局の意図と真逆で答えたので没にされ、同期のコメントが全国に流れました。こういうやらせ、選択、切り取りはどこでも行われるのでしょう。

 地元の京都のオフィスにいた時も、NHKの地方局の間近のオフィス街でしたので、取材は多かったです。
 地方局なので、当り障りのない案件の取材が多いのですが、選挙などになると意図の入った取材が多いように思いました。
 そもそも放送局の独断で市民のインタビューを報道の後に流すのは、禁じ手にすべきだと思います。
 マイナンバーカードが、一部医療機関で健康保険証で使えるサービスが開始されたというニュースなどでも、「〇月〇日サービスが始まりました」という報道で、当時は機械を導入している医療機関が5%にも満たない割合なので、そこを報道すべきなのに、おそらくはヤラセの役者さんか、それに近い言い含められた素人さんが、「保険証を忘れたけどマイナンバーカードを持ってて助かりました。便利です」とかもうありえないおべんちゃら賛辞を、恥ずかしげもなく放送してました。これはもう政府総務省忖度の広告に成り下がっています。病院に行くのに、保険証持たずそんな都合の良い日にマイナンバーカードだけ持ってくるわけありません。しかも保険証に比べ、顔認証と暗証番号も必要で「便利」ですらないでしょう。もう約束事の100%ヤラセインタビューです。
 市民のインタビューは、放送局の企図でしかありません。
 ワクチン接種のニュースにしても、ワクチンを打つ打たないか、個人が自分の体質、病歴などメリットデメリットを良く勘案して自ら判断することであって、その参考になるデータを公平公正に提供することが報道だけが求められるはずです。
 この欺瞞報道は、コロナの感染者死亡者などの数値的な報道や医療機関の逼迫などの報道の後、その対策としてのワクチンのニュースでもそうです。
 「ワクチンの〇回目が、対象を〇〇にして、どこどこでスタート」「新型対応がスタート、」とかいうのは事実の報道としてそこまででいいのです。その後に、まだ確実な治験やデータ検証がなされていないはずなのに、専門家と称する輩が、「効果が高く、安全で安心ですから対象者は打つべき」「感染予防効果も高く、重症化も防ぐ」とか根拠が薄く、結論のでていないことを、両論表記が原則なのに一方的に垂れ流します。その後に、さらに洗脳を深めるように、一般の方のヤラセインタビューが必ず入ります。これも両論の人を取り上げることもなく「次のワクチンを待っていた、これで安心だ」「副反応もさほどではなく、すぐ職場にもどれそうだ」などという、テレビ情報を盲信する方に選択の余地を与えません。
 この結果、ワクチンの薬害、後遺症が出れば誰の責任かです。厚労省の意図を垂れ流し拡販したマスコミの責任は重いです。現在、確認されているだけで、ワクチン接種後の死者が2000人ほどいます。因果関係を認めたのは1人だけですが、直接ワクチンが死因とは特定されていなくとも、逆に2000人に入っていないその後の死者や、重篤なワクチン後遺症がなっている人はもっといるわけです。

 私が医療機関にもかかりいろいろ関係の従事者からも聞いて思うのは、ワクチンが必要なのは「高齢者と基礎疾患のある方」という表現です。高齢者の設定すら、都合よく65歳、だったり70歳あるいは、60歳、75歳だったりになりますが、「基礎疾患のある」は以前にも書きましたが、もっと曖昧で、無意味な場合も多く危険でさえあります。

 オミクロンに変異してから、コロナ単独で肺炎になり重症化してICUに入ったり死亡に至るケースは無くなっています。オミクロンに変異する過程で、感染力は拡大する性質を持つが、その浸食は気管支にとどまり肺に至らないからです。
 コロナで危険といわれる、呼吸器疾患や腎臓疾患を持つ人でさえ、ワクチンの副反応、後遺症の可能性を考えると、メリットがデメリットを上回るとは言えないのです。実際わたしは肺の基礎疾患がありましたが、オミクロンにかかっても肺炎がぶり返すことなく、気管支で終息しました。長男は慢性の腎臓疾患を抱えていますが、やはりコロナは軽症で終わり、医者からは免疫抑制剤などの関係で、コロナに罹るのは良くはないが「そもそもワクチンは打つべきではない」と言われています。

 友人たちも、60歳前後で、糖尿病や高血圧、肥満などを抱えていますが。それを言い出すとこの年代メタボも対象ならほとんどが基礎疾患ありになります。ワクチンのメリットがあるのかは、個人で考えるべきですが、血糖値が高い、血圧が高い、ウエストが太いからといってコロナが危険でワクチンを早く打たねば、という根拠にはならないのではと思います。その明確な根拠となるデータは示して欲しいところです。

 報道に恣意的な装飾、リードする思惑はいらないのです。

幼稚園児バス置き去り 国会で議論する問題か

写真アフロ

 1カ月ほど前、静岡県牧之原市静波の認定こども園「川崎幼稚園」の女児(3)が送迎バス内に置き去りにされて死亡した事件が今国会の代表質問でもいくつか与野党の質問の出ていました。
 政府側、首相、文科大臣などがソフトやハード面で予防対策を必ず講じていくと答弁していました。痛ましい事件でありあってはならない事故で、亡くなられた家族の感情はいくばくかと思いますが、責任の追及はあっても予防対策のハードまで国会で議論するのは感情論を利用した少し行き過ぎではないかと思います。逆ばりと言われる向きもありますが、このような事件に全国一律に幼稚園バスにハードの整備が必要なわけがありません。
 確かに、1年半前に福岡で5歳の幼稚園児が同様の事故で亡くなっておられ、未然に防止できたヒヤリハットの案件を加えるとそれなりの数でしょう。それでも事故の数としては、一般的に幼児が関わる交通事故や障害事故に比べるとものの数ではありません。
 

 私が長女、長男を預けた保育園もバスを使っていましたが、先生が同乗し、親も兄弟姉妹の顔もよく覚えていました。1年間毎日親と弟がお迎えに来て、卒園の日には弟にまで感謝のメッセージをいただきました。

 二つの事件をある程度詳しく見るとその背景にはそれぞれ固有の事情と、不運な偶然も重なっています。ある程度規模の大きいい施設で、運転手がそこまで見れないという状況になりがちなのでしょう。福岡のように中途半端なカードシステムはかえって責任感を無くしてしあmっています。
 痛ましい事故ではありますが、幼稚園の規模も千差万別であり一律のハードはおろか対策すらも難しいところです。今に人員と体勢で事故が起こる可能性がゼロの園も少なからずあるはずです。
 あくまでも運転手や、バスに関わる人の人的な面での問題です。介護の運転でもそうですが、運転免許があれば運転手ができるというものではなく、雇用とその継続には日々の状況をしっかり責任者がみないといけないでしょう。
 あえてハード面でいうなら、子供が小さいため座席の下に寝てしまうと見つけにくい、ここは高齢者と違う点でそういうバスがはたして特注できるかですが疑問です。

 高齢者も奇矯な乗り降りはやりかねません。介護施設のデイサービスなどである程度の人数を乗せるバスなどと同じで、乗るとき降りるときに簡単な認証のシステムを作り、最後は運転手を除いてゼロになった時に運転手が最終目視して降りる。決して高価なハードはいらない昔ながらのバス乗り降り計算(パズル)で十分なはずです。
 こんなところに莫大な税金と、御用業者へのお金をかけてハードを開発し、義務化して中小の幼稚園の経営を圧迫するような話を、国会でまともに議論する意味などありません。悲惨は事件を金儲けの具にされては被害者が浮かばれないのです。

medium【メディウム】霊媒探偵 城塚翡翠 書評

今般、ドラマ化されるということで、ネタバレ注意です。相沢 沙呼 さんの代表作。

 相沢沙呼さんはティーン向けの、女性マジシャン主人公の『午前零時のサンドリヨン】に始まる酉乃初の事件簿シリーズから,比較的まだ寡作なので全作品読んでいます。
 メディウムは2019年の各社のミステリランキングトップを独占でした。

 好きな作家の小説の映像化は複雑なものもあります。作者自身は承諾し、商業的には当初から狙っていたとしても、見る側はイメージが違うという場合もあります。
 この作品の場合は、発表された主演の清原果耶さん、イメージ的にはぴったりの美人で演技力もありますが、【以下ネタバレ注意】犯人も含め〇〇トリック的部分どういう風に描くか、連ドラということで難しいところです。

 共演者 小芝風花さん、瀬戸康史さんも贅沢なキャスティングもったいないぐらいです。
 ネタバレ考えるとあまり書けない。
 今は、完全オリジナルでない限り、原作通りに描くと意外な展開も先にネットとかで広がってしまうジレンマが制作側にもあるでしょう。
 同じような探偵側が特殊能力を持つ女性主演のドラマとしては、前クールで同局であった「オクトー~感情捜査官 心野彩梨」がオリジナルで、なかなか面白かったです。
 助演的ポジションから、一気にブレイクしそうな飯豊まりえの主演、超アップでもかなりの美しさと悩ましさでした。原作ストーリーがドラマオリジナルを超えられるか、「メディウム」の出来も気がかりです。

人権の時代と言われながら枕の話は尽きない

 このところ、少し大人向けのアブナイ話が多いかもしれません。しかし世の中の裏側とは、そういうものなのかとも思います。
 女性の多い化粧品会社にいたということで、多くの美容部員さんや女性の営業さんと一緒にし、主に管理をやっていたわけで、いろいろと大人的な話はあります。

 最近は、コンプライアンスとかジェンダーとかもういろいろ発言に制限がかかる時代です。「枕営業」という慣習が、女性の人権が守られるはずの時代にと書きかけると、これも女性だけではないと叱られそうで、タイトルも変えました。
 一般的には女性の枕?セックスを条件として仕事を貰うとか、昇進やポストを得るため、あるいは男性が主導する場合もあります。男性が女性上司にという場合もあれば、男性同士女性同士という場合もあるのでしょうが、一応私が見聴きした範囲にはあまりありません。

 今でのそんな悪習が残っているのはヤクザな芸能界ぐらいだと言われそうですが、まあ人間は弱くその欲望と狡さのようなものはどこでもいつでも変わらない気がします。どのような組織にもそれに近い営業はあるようです。

 悲しい性というのかな、私もある地区の担当をしていた時、トップが変わるごとに取り入るタイプの女性がいました。ただ媚びるだけという範疇を超えて、他の女性からはいろいろ「部屋の出入りしていた」などの噂を聞きました。
 いつか、その人も年齢などもあり「こういうスタイルを止めたい」と呟くような相談を受けたことがあります。しかし、やはりそれはできずにずっと同じように年齢を重ね、外見を保つためにお金をかけ続けているような感じでした。

 男性、女性どちらがいい悪いというものではないのですが、そういうことなしに仕事をしているものにとっては、何とも一緒にされたくないというところでしょうか。かといって、そうやってのし上がった人もいい仕事をする場合もあります。
 私も魅力的なルックスの異性には第一印象で好感を持ちますが,他方コツコツと良い仕事をする地味な外見の人も多いので難しいというか、そういっても怒られるのが現代なのでしょうか。

 芸能界は違うというか、そういうものをあるのが、当たり前で分かって大金を稼ぎ、それを一般の人が見ているのだという考えもあります。
 不倫などのスキャンダルには厳しく、人権や倫理、道徳を報道する側の放送局が、ドラマの役を決める際にそういうことがまかり通っているのは、滑稽なものです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期

1980年代後半、バブル期と言ってもパソコンはまだ、会社でも一人一台ともいかず、まだ電卓やワープロの時代でした。

 化粧品メーカーの現場で販売の部門にいましたので、売上の予想や集計には電卓をたたいていました。
 B野君は転職組で過年度の入社ながら、やり手で一気に当時のロートルメンバーを脅かし、陰の実力者と言われた後の経営幹部となるN課長に取り入り、管理職目前まで登り詰めていました。今ならパソコン、その当時より少し前なら珠算、算盤なのでしょうが、彼の電卓をたたく術はとにかく早かったでのです。コツや技術と手先の器用さもでそうが、パソコンならブラインドタッチ(タッチタイピング)のような鮮やかさでした。

 対照的にA田さんという人はもうそろそろ同期が経営幹部や支店長になるとかの話もチラチラ出る中で、まだ課長にもなれず、売上成績はドル箱を抱えてそこそこながら、その仕事ぶりや私生活は借金や女の問題などひどいものでした。

 この二人とは少し距離を置いた関係で、工場経験ありの変わり者S古氏と、ベテランP府氏、私の3人がN課長の派閥に入らず、反主流派で村さ来とか安いところでよく呑みに行きました。

 シャープで時に豪快でいい仕事をしていたB野君ですが、私の転勤後数年して、不倫相手の女性が自殺したということで、職を追われたと聞きました。当時N課長と対立するパワハラ気味のトップが君臨して、別部門の責任者M杉さんはノイローゼになり首を吊った。B野君は直接、自殺には関係してはいないのですが、自分には奥さんがいながら付き合っていたことは公然と知れていたので、スケープゴートになった感じです。
 私は当時独身でしたが、離婚経験はあるけどM杉さんは美しい方で憧れていました。一度二人で美術館に行ったことがありましたが、それ以上何もなしで転勤しました。当時からB野くんとは付き合っていたようで、まあ馬鹿な役回りでした。しかし死んでしまったとなると、ちょっと何かできることがあったのではないかとしばらく後悔していました。

 A田さんはその後、借金まみれで懲戒免職、離婚後、身投げしたそうです。P府さんは早期退職でリストラを受け容れ、仏壇屋の営業をしたあと、職を転々とされていたところしか聞いていません。S古さんはついに定年までも、役職にはつけず現場のままで、すでに管理職になっていた私の地区にも挨拶に来ましたが、あまり同席する気にもなりませんでした。

 私はどこかで、先に出世しそうだったB野君の電卓術にライバル心を覚え、パソコンが導入され、エクセルなどで表計算ができると意地でも電卓を一切使わない仕事を習得しました。後年パソコンの中に電卓ソフトやテンキーでも電卓替わりになるのが出ますが、何だか電卓には良い印象はないのです。
 M杉さんと行った美術館は「ダリ」だったとだけ覚えています。その後フレンチも食べたはずなのです。年上でバツイチではあってもそこは気にしないくらい美しい方でした。けれどどこかでほんの少し感性が合わないようなところがあり、負け惜しみですが、それがこちらも強引にならなかった点です。
 結局、あの当時の部署の5人で管理職、支社幹部になって生き残ったのは私だけだったのは、本当に偶然、運命はわかりません。
 若くして亡くなったM杉さん、A田さんともに北陸、福井県の出身で、カニなどを小さい頃は安くいっぱい食べたという話も妙に覚えています。