実はどちらを選んでも正解のことは多い

 人生に迷うことは多いし,後悔することも多いです。また些細なことから、国家や企業全体を揺るがすような議論で大げんかになることはあります。
 しかし、世の中の全ての選択に、どちらが絶対正解で片方は明らかな間違いということは実はあまりありません。
 考え方であり、議論の余地があり、どちらを選ぶのも今の立場にいるからである場合だからであり、相手の立場になれば真逆になるケースが多いのです。

 スポーツの世界でも、野球やサッカーなどで選手起用や戦術の選択でものすごく評論家やファンが熱くなって議論したりします。
 負けたチームのファンはやけ酒煽りながら、監督批判や選手批判をして、まるで自分がプロの監督より優れた知識があり、的確な起用ができ見事な采配を振るえるような酔っ払いやネットに書き込みする人が山のようにいます。でも全て結果論であり、Aの選択をしてメリットデメリットがあり、Bの選択にも同様にあるのです。結果さえ見れば、Aが間違いに見えますがBを選んでも変わらない場合もあるでしょうし、今は結果はたまたまでなかったAの選択による失敗も実は良い経験となり今後につながることは多いのです。

 世の中にはこういうことはよくあります。学校や勤める会社の選択、友人やパートナーの選択、あの時この会社を選ばなければ、あの時あの人を選んでいなければとか、後悔することも多いでしょうが、それはどちらも間違いではないことが多いのではないでしょうか。そう思うと人生少し楽になり、ポジティブになれます。

 政治の選択や、大きなお金のかかるようなことは議論になり、命や大金を無駄にはできず議論は白熱し、分断を産むような対立がおこります。しかし、本質は同じです。どちらも正しい誰も悪くはないのです。

新型コロナ     全数把握事務処理だけが問題ではない

 感染者の全数把握について、政府は今の手法を見直し、医療機関に対し、症状など詳しい報告を求める対象を高齢者をはじめ重症化リスクの高い人に限定する方向で調整を進めています。4県で定点把握を始めているという報道がありましたが、医療体制崩壊を防ぐだとか今後のコロナ対応の方向としては本質的にはほんの一歩進めただけで、まだまだWITHコロナという感じではなく、日本中にまん延した風邪のような病気に対して、あまりにも過剰な対応をして自分の首を絞めている状況に変わりはありません。

 私自身、基礎疾患ありコロナの濃厚接触から、陽性で発熱などの症状ありでしたが、高熱にいたることもなく、自治体に報告し、保健所から2度連絡を貰っただけです。PCR検査を輸送でやり取りし検査結果をいただき、マイハーネスという登録したので、システム的には医療機関や保健所の事務手続きをあまり煩わさない定点把握後の対応とほぼ同じです。

 本質的な問題はこれで症状が重くなった時、医療機関にすぐに診療を受けられるのか、またそういう人が増えた時に、既存の診察や手術などが後回しにならないかでしょう。
 コロナを怖い病気、感染症といつまでも怖がるのならこの体制を波動的に強化することですが。確かにオミクロンは発熱はあってもその程度では入院するほどのことではないでしょう。高熱が続くと日常生活に困るから入院が良いというのは一般には常識ではありません。人口呼吸器ECMOなどを使うような重症化は基本ほとんどオミクロンからはなっていません。今後の変異でも感染力は強くとも、毒性が高まることはありません。
 2類から5類にすると、ワクチンや診察も患者負担が増えるという問題を言う方がいますが、当然のことでもあり、またワクチンを無償にする方法は何とでもあります。

 マスクは不要になり、ワクチンも重要ではなくなりつつあります。
 もうそろそろ報道番組から毎日はコロナのニュースが消え週一の定時報告くらいにする時期です。

議員は何が仕事なのか

 統一教会との関係が取りざたされて、国会議員のモラルというのか、心得のようなものが厳しく問われています。

 統一教会というのは、霊感商法や人権を奪い財産も奪うような合同結婚式とか、宗教と断定せざるを得ず、そんな団体と選挙の組織票目当てに癒着することは許されないことではあります。

 どうも選挙に勝つこと、議員で居続けることが議員の目的になっていいるような情けない状況があります。

 国会議員も地方議員も行政や官僚の監視、立法や条例の制定などを国民を代表して税金を使って委嘱されているわけで、定数や報酬が決して多いとも私は思いません。ただあまりに無駄なことしかやらず、本来の仕事をせず居眠りだけならまだしも、不正な金を動かしたり反社会的な組織とつながっているような人は要らないということです。

 これは法律や慣習が曖昧で倫理にかなっていないのと、議員を目指す人も国民もそれに甘えているということでしょう。国会も地方議会も人数は1000人にも満たない人数規模のムラ社会、会社なら中小企業程度の小集団です。その人数で大きな金を動かし、国や公共の政策を決め税金を貰って秘書や事務員を雇うのですが、結局は古い慣習から改革が進みません。進んだ企業がグローバル化もして、コンプライアンス、ガバナナンスがしっかりして電子化が進んでSDGsを進めている時代に、役所やら行政機関は大きくITからもモラルからも取り残され、それを監視する議会はさらに1周遅れているのが現状の立ち位置です。
 そして、国民の一部も、議員をある時は上がってきた報道で批判はするものの、自分の目の前になると我田引水で「自社に工事を回して欲しい」「家族の進学就職を助け、不祥事をごまかして欲しい」という面を持っています。
 結局、立派な議員が育たないのは、法律とモラルが悪く、国民の監視がユルイからです。大臣や議員が全然仕事をしてないわけではなく、行政を変えるにはもっと真面目な仕事をする力のある人が必要だとは思います。

 

伊藤淳二と稲盛和夫 日航改革二人の明暗

 JALの改革と言えば先日亡くなった稲盛和夫元京セラ会長、創業者が想起されます。
 しかし日航機墜落事件を受け、昭和61年当時の中曽根政権の依頼を受けて、事故の原因究明からその構造を改革する役割を任されて、白羽の矢が立ったのは鐘紡会長の伊藤淳二でした。
 日航の経営破綻で稲盛さんが社長になる25年前です。鐘紡の労使調整や経営再建の実績を評価された伊藤淳二氏も、野心家の辣腕経営者で城山三郎の『役員室午後三時』のモデルとなった、戦後の若き改革型経営者の代表とみられていました。
 しかし、日航の労使問題は複雑怪奇で、さまざまな魑魅魍魎、百鬼夜行のような妨害にあい1年足らずで挫折、更迭されるハメになりました。山崎豊子の『沈まぬ太陽』にも、その経緯や伊藤のモデルのような人物はやや美化され描かれています。
 その後の鐘紡の迷走、破綻から、伊藤の評価は下がり、今やイトウジュンジで検索してもホラー漫画家が出てくるぐらいです。実は稲盛さんの10歳年上で、100歳でご存命なのですが、野心家で自社株も多く抑え、若い頃はCMモデルなどとも浮名があったギラギラした点は稲盛さんとは大違いでした。
 経営の評価は下っていますが、日航の課題を上げた点は大筋でその後の稲盛さんの方針と大きくは変わりません。経営者の明暗は時代なのか、どこかにあったのでしょう。

ドラレコ、GPSで今の営業はさぼれない?

 私が若い頃は化粧品会社の営業の第一線だったので、一人に営業車を与えられ、朝晩はよく上司に怒られても外に出てしまえば気楽というのはありました。
 大阪の新入社員時代からの3年間は、朝から小言や、叱咤、修正の書類など出さされても、営業の主だったメンバーはそれなりどこ吹く風でした。午前中から数件回るような空気出して出かけ「ロイヤルサミット」とか言いながら、昼前から長々とファミレスで上司の悪口や女子社員のだれが可愛いとか、まあ仕事の攻略もちょっと話す程度で結局ランチまでゆっくりしてました。
 ブラック企業的に昭和の営業はみんな夜遅いですが、昼はみんな公園の木陰などにクルマ止めてよく寝てました。
 当時は黒板に行先を書いて、緊急以外はそう探されませんでした。その後、ポケベルを持たされ、やがて携帯となりましたが、サボる人はサボるのです。
 私が平成も半ば過ぎて管理側に回ると、サボる効率の悪い営業をチエックしないとなりません。これが難しいところです。
 Y君という一見人当りのいい営業マンと、2度ほど一緒になりましたが、とにかく評判が悪く、約束を守らない、誤魔化す、取引先にほとんど行かないというとんでもない奴でした。
 営業日報を見ると月に何度も訪問して商談したことになっているが、取引先から数カ月見たことがないと言われるレベル。ホントにGPSでもつけて管理しないとどうしようもないタイプでした。
 今はドラレコついて、行った場所やルートは安全運転管理側で明確にわかるので、あんな営業マンはどうしてるかなあと思います。

 もちろん他の業種の店舗を参考にしたり、息抜きも必要な時もあるのであんまり杓子定規は自分の経験上も良くないとも思います。今はエビデンスがすぐ出る時代なので、深夜まで残業代なしで怒鳴られることもなくなり、本来の営業だけを集中した時間をこなすしかないでしょう、営業はサボれるものという観念がぬけないY君彼は心入れ替えてないと多分厳しいとは思います。

追悼 稲盛和夫氏 ビジネスマン時代の心の師

 私の後輩にD君という、けっこうイケメンだがどこか冷めたところのある社員がいて年は離れているが結構ウマがあいました。よく呑み歩いたり議論もかわし、アドバイスもしました。
 性格的に似ているので同じようなパターンでつまずくので、よく相談にものりました。他の後輩もたまに薦めたが、稲盛会長の本は優秀だが斜に構えたようなタイプの人がスランプに落ちた時に、熱く自分を奮い立たせることができる本だと思っています。

 私自身は若い頃、とても稲盛さんの京セラに入っていたらついていけないような、ダメ社員だったと思います。1982年くらいの京セラの噂はリクルートしている学生にも耳に入っていました。今の自分が思えば、そこで稲盛さんに出会い心酔していれば人生変わったかもしれないので、そういう選択もありかなという気がしないでもありませんが、やはり無理でしょう。

 私とD君もそこまでは熱くなれないという感想を共有しつつ、やはり自分の甘さやらネガティブな感情を稲盛流なら克服できることは感じ取りました。
 それでもなおかつ、ミステリ作家森博嗣の気楽に生きるようなエッセイもいいなという感じで共有していました。人間適度に熱くなり、ときどきは気楽に生きるのが一番のようにも思いました。

 歴史を見て、今の境遇に甘えないで少し冷静に自分を見て足りないところを補う、最低限のところは、私と後輩D君は学べたと思います。

 稲盛さんは一時民主党を支持されていて、政権交代後に失望されて政治とは距離を置かれていました。それでも政府に乞われJALの再建に白羽の矢が立ち、冷静でかつ熱い稲盛さんに重要な経営再建を遂行しました。まさに適任でした。
 90歳での大往生、心よりご冥福を祈ります。

実は最強、マスク要らない状態

 肺の疾患の療養中に家族全員がコロナということで、一瞬真っ青になったが、オミクロン比較的たいしたことなく通過しました。コロナ陽性から、その後PCR検査、抗原検査でも10日後には陰性、これってもうワクチンを放出していないことの証明だし、なおかつ2ー3カ月には抗体の影響でコロナにはかからないそうであり、最強のスーパーマリオ状態です。
 全体主義の周りは気にするけど、人に感染させない、人からも感染しないのであれば、マスクの必要性はまったくないと思えます。暑苦しいだけ、皮膚の過敏症や、呼吸器疾患とか特例以外にも罹患治癒の直後は人にうつさない、人からうつされないのだから、本当にマスクの意味がないのです。

とはいえ油断は禁物ではあります。コロナ以外にもいろんな不潔なものの飛沫は飛んできます。元からいる常在菌やウイルスも疲労などにつけこんで悪さをします。適度にうがいをし、手洗いは有効です。
 マスクは乾燥を防ぐ意味合いもあり、冬場はエチケット以外にも効果は歩きがします。ただコロナに関して言えば、空気を舞ってくるのですから防げるものではないです。
 罹るときはかかるものとして、受け入れるしかありません。

元気復活、15,000歩

毎日15,000歩実践していたものの、肺の疾患を抱えて、その後コロナにも罹患したため、外にも出れなくなったので歩くことは少なく、ほとんど1万歩にも届かない2か月でした。

 歩く距離以前に、腹筋やダンベル、腕立て伏せや体操すらやる気力も沸かない時期が長かったので、フルメニューまで戻れるのはもっとかかるかなと思いました。

 しかし昨日、涼しくもなり、朝からダンベルなどのルーティンをこなし、入院中で三回忌も行けず、コロナ禍でお盆にも行けなった墓参りに行きました。復帰後は初の公共交通機関の地下鉄でエスカレータを使わず階段で頑張りました。その帰りにもう一回りウォーキングをして少し足は疲れましたが、肺も心臓も大丈夫で15,000歩楽にクリアしました。
 この年で、自然良能の力があることに我ながら感動しました。

いつ終わるウクライナの戦争 核使われたら責任は?

 核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用を3本柱とする「核不拡散条約」(NPT)の再検討会議は26日午後(日本時間27日未明)、米ニューヨークの国連本部で最終日を迎えた。コンセンサス(意見の一致)による「最終文書」の採択をめざしていたが、ロシアが同意せず、決裂した。
 という報道で、まあいかにもロシアが悪役のような報道だが、ロシア擁護ではなく、一体戦争の終局はどこにあるのか。停戦の道筋が見えず、当初西側大国メディアがロシア経済が崩壊して早晩ギブアップするという局面はいつまで経っても来ないようです。
 広島、長崎で被爆経験がある日本は、核を使う可能性に言及するロシアに対して、ただの脅しとスルーして経済制裁、後方支援を続けていて良いのかという議論はあまりなされません。脅しの可能性があるにせよ、核は世界を壊滅させる脅威であり万一使われたらとんでもないことです。その局面だけはどんな外交手段を使っても止めないといけないのです。
 今でさえ悲惨な状況のウクライナ東部です。プーチンを怒らせて、さらに悲劇が起これば誰が責任を負えるのでしょう。プーチンが悪いとか悪くないではなく、プーチンの存在はそんなものとして、止める責任は見切れなかったウクライナ側に生まれます。

 だいたいプーチンは精神的におかしくなった狂人だと主張する人もかなりいましたが、狂人が核をもってそれを使うかもしれないと言っているのに、喧嘩を売り続けるというのはどういう了見かよくわかりません。いやまだ理性はあって世論や世界情勢は気にしていて判断力はあるという分析をされている方もおられ、恐らくそうなので核は使われないという見立てというか楽観的判断があるのでしょう。もちろん核を使う可能性は低いことに間違いあないでしょうが、ゼロではありません。脅しに屈するとかではなく、狂人でないのならあらゆる手段を講じちゃんと停戦の交渉をして市民の安全を守るのが、国家の代表と周辺国同盟国の義務だと思います。国家主権を全て手放す無条件降伏とごっちゃに思う日本人が多いですが、主義主張はいったん棚上げして戦闘を止めましょうというのが停戦交渉です。
 東西冷戦のキューバ危機、必死になって世界の破滅を止めた時、どっちが悪いからなどと言ってられなかったのです。戦争をする以上どちらも相手が悪いと罵り合いますが、それよりも次元の高いレベルに核攻撃を止めないといけない欲求があるはずです。日本は被爆国であり、東日本大震災でも福島の原発事故を経験し、核と放射能の恐ろしさはどの国よりも知っているはずです。日本の立場で核は禁じ手としての局地戦争を止める手立てを模索すべきです。

自分がいなくても世の中は回るのか

 世の人々の中には、自分がいないと組織は回らないと思う人と、自分なんかいなくても何とかなると思っている人がいます。完全に2つに分類できるわけではなく、度合いの大きさではあると思います。前者の方が向上心は強いような気もしますが、はた迷惑な自己中心のマウントとりたがりの場合もあります。

 官僚とか会社、組織のリーダーを目指し、あるいは業務の中心となり次々野心に燃え仕事を任されていく人は、自分が休んだら大変なことになると、体調が悪かろう家族になりかあろうが休みたがりません。
 責任のあるポジションにいればいるほど、そういう思い込みに陥りがちですが、概ね組織においてい絶対に必要な人物などそうはいないものです。
 人脈的つながりなら、その人の顔、人物がコネクションにはなっていますが、組織が大きくしっかりしてガバナンスなどのルールが決まって入れば、個人のカリスマに頼ることは少なくなります。

 積極的で必要不可欠と、自ら思い込みながら、結局はマウントをとってエエかっこしたい自己満足というケースが多いようです。初期の段階では、積極的で自己研鑽に励んだようなタイプで、向上心の無い人より仕事をしていたのでしょうが、いつしかそれは組織の癌になります。そしてその成立過程から根強く取り除きにくい浸潤の深い癌になっているケースが多いのです。

 硬直して融通の利かない官僚や役員、現場に長く巣食う長老、ご意見番、お局的な人員がまさにそうなってきます。

 組織の硬直化は、トップが見つけて、癌をよく理解させ取り除くことしかないのです。自分が癌になっていないか、コンプライアンスなどが進んだ中よく理解しないと、この時代ではだんだん淘汰されます。無理しなくとも自分がいなくとも会社も世の中も回ります。