
北陸新幹線延伸、小浜ルート京都市内乗り入れ、京都市議会も反対を採決し、ここへ来て総スカンですが、少し違和感もあります。
松井市長は国家的意義という言葉は確認しておられます。いろんなところで議論を聞きますが、このままでは敦賀で放置で何も進まない上、リニアや他の新幹線の延伸工事の大深度工法でやるところにも悪い先例になります。
京都人は、もう少し寛容で、都人として、他国の人を受け容れ、新しいことにチャレンジするのではないでしょうか。
日本で初めて、路面電車を開業し、私鉄の阪急の地下線も東京の銀座線に次ぐ、日本で二番目、関西では最初の地下鉄です。
官制鉄道の東海道線、新幹線ができる時も反対はあったようですが、今振り返ると駅ができていることは当たり前で、町の発展に欠かせないものです。その時も、騒音や環境問題、立ち退きなど課題を乗り越えて、国家と地域のために英断を進めてきたわけです。
仏教会の『千年の愚行』というのも、京都を『水の都』と強調していますが、それは大阪のイメージのようですし、そういうならば京都人は千年の間『愚行』を繰り返し発展してきたのです。鴨川や、伏見の清酒など、水文化はありますが、京阪も阪急も市営地下鉄も作っておいて、北陸新幹線だけダメ、リニアには今だにラブコールも変ですよ。
大深度の地下をシールド工法で掘るのは、開削方式で工事していた時代よりも、地下水への影響は基本的に少ないというのが定説です。専門家も全く水に影響がないとは言えませんが、では今まではもっと地上から路線面全体を掘りまくった工事をしてきて、シールド工法はそれよりも影響は少ないのです。大規模な高速道路も最近は大きなトンネルでぶち抜いています。そこからの残土なども、厳密にはさまざま自然破壊、生態系の激変がおこっていますが、そんなに問題になった話は聞きません。
リニアはどうせ来ないと思っているなら、リニアの招致協議会など、今すぐ解消すべきです。
自民や維新市議も、仏教会などの世論でぐらついています。
しかし、ハシゴを外される小浜市の期待にはどう思うのでしょう。またもし米原ルートにして滋賀県に押し付けたらその影響で、負担やJRから切り離される路線が出ます。
そこは迷惑だと考えないのでしょうか、今さら『水や残土、環境と』キレイごとで小浜京都ルートを否定する人は自分さえよければ良いのかと思います。
府や市の市民への負担の仕組みには、私も反対ですが、それはお金の問題であって、国家的意義を理解してということと、あくまで負担と便益を考えて主張すべきです。
観光資源があり、通勤環境が整えば大化けするエリアを活性できるのかは、あるいはその逆でマイナスの過疎化を産むかは地方の死活問題です。そして、今京都や大阪にとって、すでに交通至便なところには、別の条件のスキームでないと、今さら新幹線が繋がるメリットはないのですから、キレイごとを並べると矛盾が起ります。
経済効果、便益が負担より大きくなることを示さないといけない、あとは国家的意義と恩恵を受ける側からきちっと理解を求めることなのです。

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