過疎地の商店の物語

ローカル鉄道をめぐり、廃線跡などを散策する途中には、タイムスリップしたような古い看板やお店を見かけます。意図的な景観保全ではなく、昭和から令和まで息づいていて、かつては繁栄もあっただろうに朽ち果てている姿が哀れを誘います。
シャッター商店街が話題にあがりますが、アーケードがあって、企画などのあったスケールの商店街ではなくても、駅前に賑わいがあった痕跡がうかがわれる場所はよく見かけます。
鉄道がピーク時は毎日通勤や通学、買い物の人でにぎわい、乗客や、鉄道車両の管理のための人員とその家族までたくさんいたことも分かります。そんな駅も無人化、廃線となり、大型モールはクルマで飛ばせば行ける時代になり、駅前の店は後継ぎもなく、そもそも商売が成り立つほどのお客さんが来なくなったのでしょう。

そんなさびれた駅前で代々続いた米屋を営んできたY子さんは、ご主人を亡くしながらも、女手一つで、店を回しきました。イオンモールが郊外にでき、若い人がすっかりいなくなっても、Y子さんは近所に配達し、お年寄りを何かと気遣いして細々と商売を続けてきました、
嫁にだした娘の青果店はとうに廃業し、旦那さんの勤めで遠くの近いに引っ越してしまい、年に一度顔を見る程度です。
頑張っていた多くの近所の店も平成の半ばでほぼなくなりました。
令和が始まっても、何とか重い米を外まで買いに出かけられないお年寄りのために商売を続けてきたY子さんですが、コロナにもかかり、復帰する時、腰を痛めてしまいます。
そして、トドメを刺されるように、米の卸先から、回せる米が無くなったと告げられます。とても年金ぐらしのお年寄りにか買えない値段の米しか卸して貰えず、お店の米が売りつくされ、棚がすっからかんになった時、Y子さんは商売をやめる決意をしました。
国民年金とわずかな貯えで店の処分ではマイナスになり、とても高額な施設には入れず、介護サービスを受けながら、シャッターの奥の自宅で、つつましやかな老後生活を送るY子さん。
かつて、にぎやかだった駅前通りをたまに夢のように思い出すことがあるそうです。

というような物語を創作してみたくなります。
この後は、Y子さんから不動産も年金も巻き上げようとする悪徳業者を追い払いう、薙刀と合気道の達人、孫の美少女が活躍。

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