
国旗損壊罪が話題となっていますが、そこまで政治的な話ではありません。
鉄道のファン撮り鉄に分類されるのかな一部の人の中には、人気の高いのが天皇陛下や皇族が乗車され行幸に使われるお召し列車があります。
任される運転手も大変な名誉で、車両設備や整備も戦前戦後通じて最高のものが充当されます。
菊の御紋に、日章旗を掲げて走行し、沿道にはやはり日の丸を振って歓迎する国民たちが鈴なりになります。
この光景、日の丸が国民にいつからかというと、この鉄道の創生期からです。
日の丸の小旗を振ったり、祝日に玄関に飾るのも明治の鉄道の開通時期からだそうです。
日章旗は江戸時代後半から、日本の船舶に国際航海のために幕府や薩摩の船にも掲げられていました。
しかし、明治3年に国旗に選定された日章旗を日本人が国旗として意識して振り、掲げたのは明治5年9月12日の横浜〜新橋の鉄道開通式、関西では明治10年の京都から大阪、神戸の開業式典あたりからです。
西南の役など、士族の不満も残り、まだまだ明治政府が安定しない中で、鉄道開通は国威高揚とともに、実際に各地の軍の拠点から戦地へ迅速に物資や兵士を運ぶための重要で不可欠な輸送手段でした。
当時、軍を動かす大量輸送手段は海運しかなく、港湾までの迅速な移動は治安維持と国防上喫緊の課題でもありました。
明治政府は主要軍事施設と港湾を結ぶ鉄路を、厳しい財政の中で最優秀に開通させました。国威高揚のため天皇陛下も開通式典には出席されました。
日の丸の小旗を国民が打ち振る習慣はこの時期の鉄路開通からで、150年ほどの歴史です。古くからの長い歴史ととるか、近代からのまだ短い歴史ととるかは政治的解釈です。
シベリア鉄道に代表されるように、鉄道は国民の便益は二次的なもので、主流だった水運から陸路への転換です。
軍隊の大量輸送の必要で、まずは戦争のためにできました。
鉄道のルートや駅は、昔の技術的問題で、地形や地盤などで今考えると変な場所にできたり、妙なルートを通ります。もう一つの要因に、今は無くなった軍事施設や鉱山を通るためというのもあります。
どこでも新たな鉄道ができると大きな祝典があり、走る列車は日の丸の旗を振って歓迎されたのです。
今の日本のアイデンティティの多くが明治期に確定したものです。
日本の国旗も明治期に、こうして庶民に定着していったのです。
