地方の時代の盛衰

 都会と地方、過疎化した地域との格差が激しいと言われます。

 都会というのも恵まれているのは、大都会というか東京一極集中、小池都政だけの一人勝ちというのが現状です。

 確かに子育て環境や、さまざまな施設や助成制度、雇用機会の多さも東京がズバ抜けています。

 高度経済成長期以降には、活気のあった地方も今や衰退して、限界集落も増えています。

 では農村など地方が厳しいのは現代だけかというと、戦前戦中やインフラが進む前の高度経済成長期でも格差はずっと大きかった時代がありました。

 高度経済成長期を過ぎて、一億中流などと叫ばれ、ふるさと創生、バブルの時代ぐらいまでに日本の地方と都会の差はかなり詰まっていました。

 私の実家にも、私が子供の頃、兵庫県の山奥の村から出稼ぎに来ていたお手伝いさんがいました。

 しかし、平成ぐらいにはもう、そんな現象な全く無くなり、そこの村も市となり、お手伝いさんの実家も、大きな家になって、私の家と立場は逆転するぐらいになりました。

 地方の時代と言われ、首都圏機能の移転や分散も声高に叫ばれた平成の初めあたりが地方のピークだったのかとも思われます。

 もちろん、その後も地方都市も大手コンビニや飲食、ロードサイド店舗、配送インフラも出来ました。昭和の初めより、格差は縮まり、土地も安く広い、空気もキレイな住環境に住める時代になっていきます。

 サムネ写真のような娘を人身売買するとか、そこまで行かずとも学校を卒業して、集団で都会に行くしか就職がなかった昭和の時代でほぼ終っていました。

 その地方バブルが弾け、地方と言われる地域でも格差が広がりました。

 少子高齢化とともに、先祖代々開拓されて住んでいた町や村が遺棄されそうなほどに衰退してきました。

 現代の人権やらの基準で考えるから、貧富とか格差などと、考えてしまうからなのでしょうか。娘を売るほどの厳しさ以上のものは、なかなかあり得ないはずなのに、もう日本人の中にそこまで苦労して生きていく活力が無くなっている。いわば贅沢病のような、地方の衰退とも思われます。

 それでも、東京一極集中の危うさを思うと、地方の中心都市にはもう少し分散をして、リスクヘッジだけでなく、経済や産業の富や税の分配をバランス良く考えないと、国土の弱体は止まりません。

 地方の伝統、文化の大切さなど、もっと広がりをもって伝えないととも思います。ネットが進化して、生成AIも発達し、東京という場所がなくても、仕事ができて、経済や産業が地方を潤せる時代にあと一歩とも思います。何か東京の利権が強くて、災害等がきっかけに大きな変革は起こるかもしれません。

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