ブルーやホワイトの区別、キャリアもプロパーも無くなる時代へ進むか

 先月、日経に載った記事でアメリカの話だが、Amazonを解雇され配管工となり収入が3倍になった話がありました。

 雇用の仕組みでは、解雇が難しい日本ではありえなさそうなドラスティックさの話です。

 日本では、この雇用の問題と、背広組のホワイトカラーが現場労働のブルーカラーを見下す風潮がある限り無理そうです。既得権益の問題、業種、職種別の賃金も変わらないので、とっくにAIで代替できることも、高給を取って居座り続けます。

 人間しかできない労働を厚遇するシフトチェンジができない。官僚や経営陣に代表される生産性の低い事務や管理への配分が止まらない状態が続き、実質的なデジタル化が遅れると、日本はもう一段階国際社会から転落しそうに思います。

 Fランクの大学なんぞ要らない、厳しい時代かもしれないし、若い間に頑張って働けば生涯暮らせるような体制も必要なのでしょう。

地方の時代の盛衰

 都会と地方、過疎化した地域との格差が激しいと言われます。

 都会というのも恵まれているのは、大都会というか東京一極集中、小池都政だけの一人勝ちというのが現状です。

 確かに子育て環境や、さまざまな施設や助成制度、雇用機会の多さも東京がズバ抜けています。

 高度経済成長期以降には、活気のあった地方も今や衰退して、限界集落も増えています。

 では農村など地方が厳しいのは現代だけかというと、戦前戦中やインフラが進む前の高度経済成長期でも格差はずっと大きかった時代がありました。

 高度経済成長期を過ぎて、一億中流などと叫ばれ、ふるさと創生、バブルの時代ぐらいまでに日本の地方と都会の差はかなり詰まっていました。

 私の実家にも、私が子供の頃、兵庫県の山奥の村から出稼ぎに来ていたお手伝いさんがいました。

 しかし、平成ぐらいにはもう、そんな現象な全く無くなり、そこの村も市となり、お手伝いさんの実家も、大きな家になって、私の家と立場は逆転するぐらいになりました。

 地方の時代と言われ、首都圏機能の移転や分散も声高に叫ばれた平成の初めあたりが地方のピークだったのかとも思われます。

 もちろん、その後も地方都市も大手コンビニや飲食、ロードサイド店舗、配送インフラも出来ました。昭和の初めより、格差は縮まり、土地も安く広い、空気もキレイな住環境に住める時代になっていきます。

 サムネ写真のような娘を人身売買するとか、そこまで行かずとも学校を卒業して、集団で都会に行くしか就職がなかった昭和の時代でほぼ終っていました。

 その地方バブルが弾け、地方と言われる地域でも格差が広がりました。

 少子高齢化とともに、先祖代々開拓されて住んでいた町や村が遺棄されそうなほどに衰退してきました。

 現代の人権やらの基準で考えるから、貧富とか格差などと、考えてしまうからなのでしょうか。娘を売るほどの厳しさ以上のものは、なかなかあり得ないはずなのに、もう日本人の中にそこまで苦労して生きていく活力が無くなっている。いわば贅沢病のような、地方の衰退とも思われます。

 それでも、東京一極集中の危うさを思うと、地方の中心都市にはもう少し分散をして、リスクヘッジだけでなく、経済や産業の富や税の分配をバランス良く考えないと、国土の弱体は止まりません。

 地方の伝統、文化の大切さなど、もっと広がりをもって伝えないととも思います。ネットが進化して、生成AIも発達し、東京という場所がなくても、仕事ができて、経済や産業が地方を潤せる時代にあと一歩とも思います。何か東京の利権が強くて、災害等がきっかけに大きな変革は起こるかもしれません。

少子高齢化問題、人口減少は悪いこと?

 日本の国力が落ちて、経済が低迷して、国際的地位が落ちたと言われて久しいです。

 人口が減って少子高齢化になっているせいだとされています。

 確かに太平洋戦争で人口が減り人口も減った時代から、高度経済成長にかけて人口は増えて、ジャパンアズNo.1と持て囃されたイケイケの時代がありました。

 しかし、人口が増えることはスケールメリットを産むものの、それだけが経済が成長する要因ではありません。

 かつても日本より、人口が多い国はいくつもありましたが、経済やGDP、生産性で負けていませんでした。

 人口が増え過ぎても、狭い国土では限界があり、一時期は増え過ぎが問題にもなりました。

 今でもインバウンドの観光客の多い地域は、これ以上客が増えるのは困ると言い、観光資源のない地域が過疎に悩んでいます。

 人口もそうですが、増えても減っても、騒ぐ人は騒ぐのです。

 サステナブルとか、コンパクトシティとかが叫ばれて、少ない人口の中で機能的に住みやすい地方都市を目指す動きは出てきています。

 日本の国全体の問題としては、人口が減ることは、働き手の問題が挙げられますが、それだけが経済の致命的な低迷の問題ではありません。今、AIが発展して人ってそんなに要らない時代です。本当に必要な部門、産業にシフトできていないだけです。

 高度経済成長期に比べると、明らかに生産性が下がって来ていることです。

 かつてIT革命とか叫ばれ、デジタル化の時代を迎え、大きな変革の時代と言われましたが、ここ10年ぐらいで生成AIの発展で予想された未来は分野によってはかなり早く来ました。

 既に人間がやることの非効率や、人間の仕事として残ることはだいぶ洗い出されているはず。

 しかし、戦後80年の既得権益など、悪い慣習が残り、権利だけは増えましたが、生産性の低い人間ばかりが要らない仕事に就いたまんまになっているのです。

 労働者も確かに休暇やらは恵まれてきていますが、それ以上に生産性の低いのが、天下りポストなどに代表される特権階級です。

 既に、そんなムダなポストは要らないという結論は出ていても、しがらみと抵抗でズルズルと改善できないうちに、日本は二流の国へ沈んでいます。

 既にAIが適格な回答は出していても、それを見つけた者は自分や身内の利権を考えれば、大きな改革ができないのが、日本の滞る現状でしょうか。

 人口減少や少子高齢化は隠れみの、言い逃れだけです。国もそれで税金ばかり上げては、経済が悪くなるのは当たり前です。

 人口が減っても国は成り立ちます。コンパクトに活気のある国は作れます。大きな改革まであと一歩先んじないと。

高市総理の報道されない苦悩と限界

 高市総理の支持率は少し落ちたとはいえまだまだ最近の総理大臣に比べダントツに高い。

 私の知る範囲でも、元々岩盤ともいえる保守層もですが、政治に関心の薄い人が、分かりやすいフレーズなどで好感を持つ、初の女性首相が一生懸命頑張っているという面で支持しているという話もよく聞きます。

 ここでは憲法改正や外交、経済とか国内外の問題に関するスタンスとかその是非ではなく、純粋に体力や気力と、仕事量の多さに関しての処理能力が心配です。

 選挙でも圧勝して、さあ政策実現という所に来て、何だかここへ来てヒステリックで元気がないという情報です。

 ガラスの天井を破って初の女性首相となった高市さんですが、ここへきて心身の疲労もピークなのでしょう。

 元々、ご家族の介護と、自身のリウマチの持病などを抱え、それが首相という激務で、さすがに心身とも疲労困憊ではという情報です。

 いわゆる側近やお仲間に、根回しの利く実力者が少ないのも高市総理の心配な点です。

 麻生さんに総裁選挙ではバックアップをもらいましたが、今回の衆院の突然解散以降は距離をおいた感じです。

 第2次安倍晋三政権には実力者の菅官房長官が睨みをきかせ、汚れ仕事から根回しまで強力に首相をささえていました。森山幹事長らも党内野党を上手く抑える力とバランス感覚があったといいます。

 目指す道、思想信条やキレイ事も大事ですが、清濁合わせて呑み込み、盤石の体制は必要です。

 政界のサラブレッドで、閣僚、当幹部も歴任した安倍晋三元総理でさえ、第一次政権では、党内や野党、閣僚、マスコミなど、上手い対応が出来ず心労も重なりダウンして総理を降りました。

 会合や根回しが良いことばかりではありませんが、本人ができなければ、根回しできる側近、味方につく官僚を見出さないと、政策の速やかな実現は難しく、滞りだすと支持は陰りを見せ、党内外の反対勢力やマスコミは一気に加速します。

 一度傾きだすと、政権発足時の支持率は全く関係なく、むしろ低落したことが危機になるのが通例です。

 消費税の食料品暫定除外も是非は別にして、公約に掲げたものであり、実現できないならもっと納得のいく説明もいるでしょうし、外交でも何でも何ならかの新しい政策を実現しないと、勢いはジリ貧必至です。

 新しくてもいいので強力な政策実現と、実務面でのバックアップ体制を確立していくかいかないか正念場です。

 長期安定政権になるか、あの時初めて女性首相になったねと振り返られるだけかの分かれ目を迎えているのではと思います。

 

 

 

ダニーボーイ、戦争と母の愛

 「ロンドンデリーの歌」でも知られる「ダニーボーイ」女性の立場で男性や子供に別れを告げる内容で、邦訳もされ何人もの日本の歌手に歌われています。

 世界で戦争が続く今、戦地に赴く兵士も、危険は国に赴かざるを得ない人もいるでしょう。  イランとかウクライナにしろ戦争の悲惨な場面はやはり、自分の子供や身内がもしと思うと衝撃です。

 アイルランド民謡だったと思いますが、穏やかな旋律ですが、出征した兵士の息子を待つ母親の信条を歌詞で歌われていました。

「手柄なんてなくてもいいから、」という部分は、いくら立派に戦い、戦果をあげようが、生命を奪われてはしょうがない。

 いくつになっても子供は子供で、お腹を傷めた母親は母親で戦場に行った子供が愛おしくてしょうがなく、切ない気持ちが男性の私にも分かります。

 確かに、軍隊や企業で、名誉や出世を得て楽にさせて貰いたいという気持ちより、いくつになっても出来が悪くとも、叱りながらも世話をしたく、生きてそばにいる方がいいものなのでしょう。

 思想信条を論争し、戦争に賛成とか反対という仮説ばかり問う2択には意味がありません。

 軍隊を持つとか戦争をするかしないかは、国を護るための別の高度な議論からの決断です。一人でも多く国民を護るために、誰かが代表して戦場に赴くことは避けられないケースもあり得ます。

 戦争反対と叫んで戦争に巻き込まれることが無くなるわけではありません。そこは難しい問題です。不幸にして戦場に赴くことになった兵士の母親や家族は、やはり無事に帰ってくることを祈るのみでしょう。

 いつか日本もまた戦争に巻き込まれる日が来るかもしれません。しかし、国益のため、一人でも不幸な目に遭わないような、ギリギリまでの外交は必要でしょう。

 

 

 

役人が鉄道やスポーツにごちゃごちゃ言う

 財務省が北海道新幹線の札幌延伸に対して、費用対便益が1を割るのではと警鐘を出しました。

 既にJRや国交省側は、巨額を投じて新函館北斗から札幌の工事を始めており、財務省の意見だけで、いきなりストップというまでの話ではありません。ただ以降の新幹線延伸には相当釘を刺すような財政緊縮論が報道されています。

 深読みすればというか、そう裏の事情を知らなくとも、積極財政を掲げる高市総理と、緊縮財政の財務省の暗闘からの報道というのは何となく分かりそうです。

 直接、旅行や用務で利用しない新幹線に巨額の税金を投入するのに反対という人や、政党も確かにいるとは思います。

 しかし、それこそ積極財政や地方分権、経済を活性化して回して景気を良くしていく対策が分かっていないのです。

 東京五輪や関西万博、リニアやIRにしろ、あるいは武器輸出なども、反対する人はいつもいます。しかし、その予算を全て福祉とか低所得者給付に回しても、一時的なもので、多少の消費は増えてもそれだけのものです。ましてやどう工夫しても貯蓄に回す人がいてその割合の額は全く経済に影響を与えない死金になります。

 例えば、東京五輪や関西万博はその圏内の業者始め様々な雇用や購買を産み、その人たちがまたサービスや消費を使い、経済が回り税収も増えて、インフラや施設も国や地域の資産として残ります。そのために、万博や五輪に行ってない人も恩恵を受け、その効果も続いているのです。延伸した新幹線やリニアには乗らないし、IRにもいかないし、何だかギャンブルは危なそうだから反対ではなく、将来の日本の国土軸を強くし、強靭なインフラを築き、経済を回すのです。

 それができないと、本当に少子高齢化で、人口も減で、経済も回らず、税収も増えないから一人一人の負担は増えるばかりなのです。将来の日本を支える子供や若者のためにも、今積極財政でインフラを強化しておき、経済を回して国を強くしてのです。

 財務省が締め付けるから、自治体も秋田のJリーグスタジアムのように、志のない反対という意見があたかも正論のように叫ばれます。

 サッカーをする人や関わる人はそんなに多い訳ではありません。野球が好きな人の方が地方では多いですし、スタジアムに税の投入は、賛同が得られないから反対というのです。

 もちろん、チーム運営者ももっとスタジアムスポンサーを探す努力が必要です。しかし、これも税を使われるから何でも受益負担がない市民が反対反対では、何も公共的なインフラも施設も進まない不毛の地方になります。

 Jリーグのスタジアムがある都市は何だかんだとそれを町の誇りにして、ビジターのサポーターも訪れてお金を落としますし、報道でも注目されます。

 巨大なスポンサーが支えてスタジアムも立派な長崎は別格としても、鹿島や柏、鳥栖といった地名もサッカーで頻繁に報道されるため全国的に知られた効果もあります。

 毎日のように試合のある野球は日本ではまだまだアマも含め人気がありますが、プロ野球は球団数も限らら、参入障壁が高すぎて秋田に来ることはありません。年にたった1〜2試合の地方試合と、甲子園の予選ぐらいしか使えない野球場よりは、せっかくサッカーチームが頑張ればJ1への道も広がるJ2であと一歩となっているのに、スタジアムが作れないので無理では悲しすぎます。秋田県も市も精一杯の切り詰めやネーミングライツなどの努力をしたのかは、少し疑問でもあります。

 野球の方ではWBCに負けた腹いせか、文科省はNetflixの独占配信にいちゃもんみたいな発言をしています。では、NHKが受信料から巨額の放映権料を払うのか、税負担でWBCを中継すれば国民のためになるとでも思う役人や議員がいることに呆れます。

 放映権料を海外の企業に支払うのは国益でも何でもありません。

 新幹線にしろ、万博や五輪、IRなど、ゼネコンの利権だと騒ぐ人がいます。利権と言えば利権です。それはみんな予算が絡めば利権で、全ての人に公平ではありません。例えば、難病を患うと厚生労働省から私の家族も貰った支援システムがありますが、貰えない人から見れば利権です。公平ではありませんが、医学の発展のためや、ジンドのための予算が公正に支払われます。

 未来の世帯に借金を残すなとよく言われますが、完全な浪費と未来に繋がる投資やインフラ整備をごっちゃにしての反対が多く、自分に便益がないものを浪費という筋違いがまかり通るのです。

 今の物価が上がった、ガソリンが上がったからと給付、コメが上がったと給付してたらそれこそ税収では足りず未来の世代に借金を残します。

 中には不透明だったり、省庁の間でもドロドロしたものはあるでしょう。しかし、高らかに財務省がマスコミを使って叫ばせるのは怪しいのです。

 役所がお金がないとゴチャゴチャ言ってもロクなことはいのです。

AIの仕事やはり当たり前に凄い 

 ベンチャー企業で働き出して、最近のビジネスマンはAIを使いこなし、頼っているのが良くわかりました。

 年配の方にはAIも間違う、トンチンカンな答えもすると否定的な声も多いですが、上手く使えば仕事のはかどりは劇的に違います。

 本当に有能なアドバイザーであり、指導を受けることも相談することもできます。

 最終的には人間がやるドロ臭い仕事もしているのですが、そこまでの組み立ては本当に早いしです。具体的に上手く尋ねれば、尋ねるほど、良い解答を返してくれます。

 こんなものは、もはや驚きでも何でもない常識なのでしょうが、私より古い頭の人や、未だ古い組織でAIを使わない職場にいる人は驚くとは思います。

 ベンチャーの良いところは、風通しが良く、何かを取り入れるスピードが圧倒的に早いことです。

 大きな組織しか経験していないとこれも大きな驚きです。

 特に公務員のちょっとした買い物も公募にかけるのは本当にそんなスピードの遅さ、関わる人員の多さがいかに損失しているのか。そして、それが平等とか公平を生んでいるかというと全くそんなこともなかったのです。むしろ経済の退潮の要因になっています。公務員病や大企業病です。

 大企業のグループが小さな会社や工場、お店を全部抱えれば賃金も統一でき、効率が上がるという人もいましたが、やはりそれは問題も産むのでしょう。

 社会保険の負担などは、スケールメリットで業界統一にするなどは良いでしょうが、組織を大きくするとやはり仕事は階層が増え、効率は良くなりません。

 どういう仕組みが正解かAIに訊けば分かるのですが、わかってもいてもやりたくない人がいるのでしょう。困ったものです。

年金支給額が上がると言うが

 4月から年金支給額が2%ほど上がります。

 4月分の振込みは6月からです。

 国民年金の基礎年金は1.9%、厚生年金は2.0パーセント増えます。

 物価と賃金を計算し、マクロスライドを引いた複雑な算式だそうです。上がるにこしたことはないですが、正直なところ食料品やら様々な物価の値上がりに対応できているとは言い難い改定額です。

 計算根拠を確認するよりも、だから年金だけでは生活するのが難しいとあきらめて嘆く感じになる層が多いのではと思われます。

 年金だけで優雅にという層が多かった世代、時代はだんだん少なくなります。

 年金制度を維持するには仕方がないともなりますが、今ひとつ納得いかない気持ちにもなります。

 個人的な浪費やアクシデントならいざ知らす、物価の急な値上がりが予想するのが難しく、年金はスライドして上がることを期待しているので仕方ない面があります。だから、四の五の言わずもう少し、物価にフィットとし、しかも年ごとでなく、素早く対応しないと社会は荒れます。

 サラリーマンは長く働いても身体の限界や定年で、辞めると無収入です。貯蓄や運用、副業などをやっておくのが必須というのはもはや現役世代には刷り込まれているとは思えます。

 それでも、今を生きるのが精一杯の人にはこういう数値の報道は寂しくなるでしょう。

 こんなに毎年財政がとかで削るような制度ではなく、知恵のある人がもっと考えればいいアイデアは生まれないものなのかと憤ります。何かもう少し国として切り詰めるところかや、運用で儲けるところを頑張って、老後に夢と安心のある国にして欲しいものです。

 

Uターンできる地方都市

 産業遺構や鉄道を訪ねて、いろんな地方を旅しました。

 観光地も行きますが、祭りだとか、桜や紅葉、花火の日とか混雑するトップシーズンはなるべく避けています。

 当日より、祭りの準備中とかの日、郷土資料館や保存館で地元の人の意気込みを見るのが好きです。

 日本の地方都市はどこでも少子高齢化で人口が減り、若い人の後継は難しいとは聞きます。

 自治体も財政が厳しく、子育てを支援する体制はどうでしょう。

 最低限、働く場所としての工場、企業などがあり、商業施設、教育機関が揃っていないと、Uターンして故郷を支える若い人は来ないでしょう。

 観光客が見るお祭りや郷土行事は、さらにプラスしての、街を活性させ、人を繋ぎ元気にさせるものです。

 日本のあらゆる地方にそういう素晴らしいものがあります。

 古くから、産業があり、地域の要衝だった地方都市も、これからどれだけ頑張っていけるでしょうか。

 東京や大阪への集中は、やはりどこかで歯止めをかけて分散する仕組み作りが必要でしょう。

今の新幹線延伸問題を語る前に読んで欲しい

 何となく北陸新幹線反対に回る一般の京都市民の方、米原ルートの再検討を言い出した維新の会などにも、読んで欲しい本です。

 夢の超特急と言われた東海道新幹線から、懸案の北陸新幹線、ミニ新幹線、リニア新幹線まで、ルート選定から、工事の内容までが語られています。

 昔の国鉄総裁も、各自治体や地元の政治家の要望を抑え、調整するのは大変だったことも語られています。

 鉄道を新たに作るのは、軟弱な地盤への対策や、長いトンネル工事も、大変です。

 上越新幹線も、その後の北陸新幹線も大変な山を掘り進むチャレンジングな計画を進めました。

 この上越新幹線一つとっても、確かに田中角栄の政治的なものもありますが、もしこれが無かったら、今の上越地方はどうなっていたでしょう。地方を活性というモデルすらなく、格差はもっと酷いものになっているとも想像されます。

 残土や環境以前に、穴を掘り貫通させるのに生命をかけての情熱が、日本の近代化を進めたのです。

 新幹線についての歴史や、目的、仕組みなどの基礎知識をあまり知らずに、将来の国民にとって非常に大事な事項を、浅はかな知識で反対とか賛成と述べていると思えます。

 どのルートであろうと、反対する方や賛成の方でも、イメージだけで反対されて、勉強不足という感じがします。報道の中には分かっている人もいるはずなのに、あえて戦略的に問題をややこしくしているやり方もあります。

 どうも感情的になられたり、目の前のことしか見えなくて、歴史を紐解くことも、未来を想像することもできない人が多くちょっとそこは残念に思いました。

 もちろん、自分が利害に関わるところに住んでおられる当事者なら、やはり反対とかそういう風になるとも思いますが、そこを一歩下がって俯瞰して見えれば、考えもまた変わる時もありそうです。

 それなりの立場の方、政治家でさえ、新幹線のことを知らない、まともに勉強していないのにも呆れました。

 今の各地の新幹線やそれ以前の鉄道も、反対や、誘致合戦、そして国や国鉄の抱えた大赤字、時代時代でさまざまな問題をクリアしてできてきたのです。歴史を知ること、この本を読めばよく分かります。

 昔の政府も国鉄もその後のJRも、もちろん国交省とゼネコンなど利権も絡んではいても、日本の発展のため、苦労を重ねてきました。

 明治の初めにも権力を奪われた昔の侍たち、士族が西南の役を起こしました。その混乱の中、国内交通を馬車と海運を維持したらという既得権益も絡んだ保守派と、西洋の最新技術の鉄道で西京(京都)と新首都東京を早く結ぶべしと主張する勢力とに分かれました。

 後者の意見が通ったからこそ新幹線に代表される鉄道技術の今日の日本があるのです。

 西南戦争の鎮圧のための、屯田兵や近衛兵まで召集された全国からの大量の派兵は、初めて港湾への鉄道により迅速に行われました。

 それ以降、戦中戦後、高度経済成長期を経て、常に日本の国土軸を支えて、地域経済の発展に寄与しました。

 田中角栄の提唱した「日本列島改造論」により、1982年に開通した首都圏から新潟まで開通した上越新幹線、同時期に盛岡までの東北新幹線もできました。

 二つの新幹線は東海道・山陽の人口や産業が集約された地域を結ぶのではなく、地方都市と首都圏をつなぐ役割でした。

 そして、私も忘れかけていたことですが、この二つの新幹線ができるともう国鉄は赤字でお金がなく新しい新幹線は作らないように凍結を決めました。 

 田中角栄が、最初に日本列島改造論をブチあげた時、その人気も凄いものでしたし、地方の期待は凄まじいものがありました。しかし、その後の財政も悪化し、ロッキード事件のスキャンダルで人気は急降下、全国に新幹線を通すという話も一時忘れ去られました。

 その内に高速道路網が追い越し、新幹線が全ての、地方活性の解決手段ではない時代になりました。

 北陸新幹線も、数奇な運命で、計画が何度か頓挫し、長野五輪の開催決定で長野まではできても長くそこで止まりました。ほくほく線のスーパー特急方式での延伸も決まりかけたところで、やはりフル規格の新幹線方式に戻り、紆余曲折で金沢延伸をして、結果は大成功で、その後ようやく近畿の手前、福井県敦賀まで2年前ようやく延伸しました。

 1972年、田中角栄が約束した福井県小浜市の新幹線、実現は何度も危ぶまれ、随分待たされて、時は流れましたがもう少しです。

 既に交通至便となった京都や大阪などの都会の人が、地方からの新幹線延伸を拒むというのは、各地方の均衡ある発展を望むという当時の趣旨からして、日本人としては言ってはおかしいと私は感じます。

 昔から大きな問題を何とかクリアして、今の新幹線があるのです。

 北陸新幹線延伸だけが、残土処分や水問題があった訳ではありません。

 そんなことは百も承知で、アセスメントをし、検討を重ねてルートが決定されているのです。

 米原から敦賀が50㌔程度で近く早くできそうだという全くの素人考えです。

 反対するというのは公共交通の将来、地域政治の維持、国土軸の未来、これらの大義と自分の今の生活という相反する利害であり元々本質的な議論にならないのです。

 新幹線の設置基本事項には、「新たな旅行需要が見込まれる」というものがあり、誘発旅客による推定取扱収入が増えることが必要とされているのです。

 ただ、この本にも少し書かれているミニ新幹線、現在東日本の秋田新幹線と山形新幹線で実現し良い実績も上げて、車両も更新されています。しかし、何故か、山形新幹線の新庄延伸以来、ミニ新幹線を作る声は一切上がりません。

 西九州新幹線が当初計画されたフリーゲージトレインが技術的に難しく頓挫してしまいましたが、ミニ新幹線は現在も東北の2線を走っています。東北新幹線内では併結運転して、分離して在来線に乗り入れます。

 フリーゲージトレインやスーパー特急方式は一時期は、「ウナギを頼んだのに、アナゴやドジョウが来た」と総スカンを食い、やはり新幹線を作るならフル規格でということが言われ出しました。

 確かに在来線の高速化では、地元のインパクトは弱いし、既存の駅を使い工事発注額も小さいので経済効果は限定的です。

 実際に東京圏で1km地下鉄を作るよりも、山形や秋田の新幹線が安くできたとまで言われています。

 それなら、石破総理の時代にも言われた遅い在来線の中速化と通じます。

 これだけ、地元負担を嫌がられ、その後も運賃が上がり直通も無くなる三セクを押し付けられるなら、新幹線よりミニ新幹線の方がありがたいのではと思います。

 湖西線には大きな都市は少ないですが、近江今津、大津市堅田などにはビジネス、観光のチャンスが広がります。

 路線にはそれぞれ難易度もありますが、湖西線は元々踏切のない高架の複線路線です。風対策を抜本的にシェルターなどでやれば、琵琶湖を眺めて走る車窓の美しい新幹線路線になります。

 私がもし知事なら、路線は引き受けるけど、そこの条件なのです。ただ反対では延びるだけで解決しない。