昭和歌謡の時代があった

 昨年末の紅白歌合戦には矢沢永吉さんや布施明さん堺正章さんら70歳以上のレジェンド歌手が7人も出演、その他にも還暦過ぎの歌手がスペシャルなどで活躍し、卒業して経年劣化のアイドルグループも出戻り、一部ではナツメロ大会と言われました。

 1980年代頃、フォークソングがニューミュージックとなり、その後JPOPなんて言われたのですが、音楽的にはもうそれほど変化なく、今の若い人がカバーしても新曲と変わらない70歳ぐらいの歌手の若い頃の歌が感覚的に変わらず受け入れられていたようです。

 昭和40年後半なら50年頃にかけては、紅白歌合戦の視聴率や占拠率は凄まじく、その前の時間にあったレコード大賞も大変な人気でした。

 日本レコード大賞を独占するTBS以外の民放はその次に権威のあった歌謡大賞を持ち回り、独自の賞も設定していました。年末は賞が目白押し、普段も毎日のように歌謡番組がありました。今とは少し音楽的には曲も歌詞もレトロな感じの時代です。夜のヒットスタジオやその後のザ・ベストテン等も今では考えられないほどの人気歌番組でした。

 当時は、若いアイドル歌手も歌謡曲のジャンルに入る人が多くいましたし、演歌やムード歌謡等の中堅からベテランの歌手もたくさんいました。

 昭和42年とか45年の紅白歌合戦のリストを見て年齢計算すると、子供時代に見ていた歌手が意外に若いのに驚きます。今の紅白歌合戦のような60歳や70歳なんて人はいません。

 これは社会全体の傾向、高齢化なんでしょうか。

 昭和42年の紅白歌合戦、司会は白組宮田輝アナウンサー、紅組歌手の佐良直美、総合司会山川静男アナウンサーでした。

 応援団長に堺正章、水前寺清子といますが、司会のタレントは歌手の佐良直美さんだけでした。今は朝ドラの番宣のヒロインが入りタレントや俳優が司会が当たり前ですが、昔はアナウンサーでした。やはりプロの司会が前奏に重ねて滔々と流れるような口調で曲紹介をし、丁寧で手際の良い進行は、当時の歌謡曲に欠かせないものでした。

 歌謡曲の歌詞、演歌というジャンルも、社会そのものが今とはどこか違う感覚がありました。どこか知らない土地や、大人の水商売や裏の世界に引き摺り込まれるような感覚もあり、貧しさの中に温かさや、苦さが混じり、微妙なテイストの名曲も多いです。

 演歌は演じる歌や、怨みの歌か、艶の歌か、縁(えにし)の歌かとか滔々と紹介されていました。

 個人的に、優劣とか何もない好みですが、昭和42年日本レコード大賞を取った、ちあきなおみさんの「喝采」という曲は名曲だと思います。

 時代も風景も変わり、歌詞にある「止める貴方 駅に残し、動きはじめた汽車に、一人飛び乗った」というのは、現代ではあり得ない描写ですね。鉄道ファンでも苦笑しそうですが、列車が動き出してると、ドアは閉まっていて飛び乗ることは今の車両構造では無理です。とは言え情景や気持ちは分かりますね。

 今回の紅白歌合戦に79歳で特別出場された堺正章さんだと、私はこないだは歌われなかった曲ですが、昭和48年の「街の灯り」がしみじみとした名曲だと思います。当時もオイルショックなど不安な世相で、落ち着いた歌が求められ、この年のレコ大の作曲賞と、紅白歌合戦の楽曲に民放ドラマの挿入歌としては珍しく選ばれていました。

 良い楽曲は、時代を超えていつまでも心地よく響きます。本人たちはもう亡くなられたり、老いて表に出られなくても歌は残る、それもまた良いことです。

 

 

日本を知らな過ぎだと痛感

 只今勉強中。

 日本にも、まだまだ行ったことのない場所、知らなかった文化、歴史、遺産が多いことを痛感いたします。

 私な多分比較的全国を旅行や転勤で回っている方だと思いますが、まだまだあまり知らない県はあります。

 全く初耳もあれば、名前だけ何となくの場所も多くあるものです。

 通過しただけとか、仕事で取り引き先には行ったとか、乗り継ぎで駅には行ったが、肝心のその場所は行ってない、知らないとかもたくさんありますね。

 かつて日本にはたくさんの国や藩がありましたし、明治以降も近代日本を支えた忘れ去らがちな産業もありました。

 生命を削って、山を切り崩し、鉱山に入り、資源を運んだ道を作った先人がいたから現代の日本があるのです。

 飛行機や新幹線、高速道路で行き過ぎると、見落としてしまう地方の街中に、ひっそりと遺るものがまだまだあります。

 限られた一生の時間、世界中を旅するのも選択です。それでも日本の隣にある都道府県でさえ知らない町やそこの文化、遺産はいっぱいありますね。

 地理の勉強、旅行案内としても面白いです。

人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

親分肌の弊害

 一昨日も書いた件で、少し長くなって書きたりなかったエピソードなどがありました。

 合併すると、よく旧◯◯派とかできます。合併しなくても、そこそこ大きな会社だとやはり派閥みたいなのがあって、誰々のグループにいて、親分のイエスマンになれば、少々トラブルを起こしても揉み消してくれるとかありました。

 信じられない方もいますが、私の化粧品会社だと、ザラにありました。どうしても女性の多い会社で、仕事はできるけど、女癖の悪い人も多くて、今なら人権、コンプラ問題のひどい話も多いです。

 親分が揉み消すのは、ほとんど金か女のトラブルで、豪傑も多く、真面目に働いてトラブル無い人よりも、むしろそういう奴のが出世して、処分されてもまた浮かび上がるのには、呆れるケースもありました。

 西日本を統括してる人が私の仲人でしたが、各県の支店長は自分がトラブルを揉み消した経験があると話してました。

 社長になった方も、名古屋時代に私の上司でしたが、パワハラやセクハラありありでしたが、見事に当時のチームを本社の側近に持っていきました。

 親分に取り立てられ、ミスも揉み消してもらったメンツで固めれば、ある程度結束は凄く強いですが、いかんせん不正には弱くなってしまいました。

 これは潰れそうになった民間企業の昔の話ですが、最近でも聞きますし、役所でもあるようです。

 国家や国家間はどうなんでしょう。人間がやってるのでは、やはり似たりよったりです。市会議員さんや、国会議員さんのお話でも、やはり政治もよく似たもんです。

 年明けにまた大きな戦争のニュースが入りましたが、世界の警察や親分となる国、それに従う同盟国はどういう感じなんでしょうか。

 戦争とまでなると、生命がかかりますから、親分が正しいかどうかはしっかり見極めないととんでもないことになりそうです。

http://seizafpkotodama.com/2026/01/05/%e6%8f%90%e6%a1%88%e3%82%84%e6%84%8f%e8%a6%8b%e3%81%af%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/

未来の交通を阻むモノ

 全国的に一般にはあまり知られていませんが、JRの鉄道では唯一?JR九州福岡県の香椎線という路線で自動運転が行われています。

 複雑なポイントやらは少ない都市近郊ではシンプルな盲腸線です。ただ、踏切もある路線なので、自動運転の完全なレベルではありません。

 関西万博ではアクセスに自動運転バスも運行されていました。

 運転手がいない!と不安になる人もいるかもしれませんが、乗り物の安全性という面では状況にもよりますが、今後ますますロボットや機械に任せた方が、ムラのある人間よりは安定しています。今までの電車、機関車では運転手になるのに大変な熟練も必要で、今後の人手不足を考えても、人間が自ら運転するシステムは早めに淘汰されないといけないでしょう。

 ホームドアの位置に合わせてマスコン、ブレーキを毎回どの駅にもピタリと停めるのは明らかに人間よりAIの方が得意なはずです。

 人間に任せるのは、災害などの緊急事態や、高齢者や障碍者への配慮、運賃や行き先、乗り換えなど細かい問い合わせへの対応ぐらいでしょうか。

 役所の窓口での申請なども、ゆくゆくほぼデジタルで可能になります。中での処理も今後ロボット化が進むでしょうが、(法律の改正など諸問題はありです)こちらもデジタル難民的な人への対応に人が要り、少しそういう対応に人は残ります。

 介護等含めてロボット化が進めば、社会の中で人間のやる負担は減ります。

 とは言え、進化の袋小路なのか、狭い道路は昭和以来の古い建物が立ち退かず、道幅も広がらないままで膠着しています。

 介護サービスもなかなか保険料は高騰するのに実態に合わない割には、業界は低賃金でブラックは状態が長く続いています。

 日本だと、タクシー業界などが、自動運転に反対します。

介護サービスにロボット導入というと抵抗する人かまた騒いで時間がかかるのでしょう。

 既得権益をもった業界や役所の関係者は急激な変化を嫌がり、上手く反対意見を盛り上げ粘ります。

「絶対反対」とか「暫定に」とか、「段階的に」とかで新しいアイデアをなかなか認めません。

 官民で連携して考えるべきは、AIに仕事を任せた時、人間がやるべき仕事です。

 自動運転の鉄道などでは、マスコンの操作は無理でも、人員は要ります。

 安全の知識があり、トラブル時の再起動などができ、鉄道会社への要望を聴くなど乗客への対応ができ、普段はひたすら運転台横に座って前面車窓とモニターに張り付けるだけの運転補助のような人が必要です。

「デジタル化は困る!ロボットに仕事を奪われては嫌だ」という人が反対すると、ますます未来は遠ざかります。

 子供の頃に想像された未来の都市が実現されるには古い家、建物やら、古い考え方を変えられない人は、申し訳ないけれど邪魔になります。

 しっかり補償して、未来的住居に移転してもらうことです。かつて高度経済成長期には今から思うと狭い団地や、ニュータウンがトレンドの憧れの住居だった時代があります。人気が出るような、住みやすい未来型住宅を作り、道路幅をまず自動運転に揃えることです。

 デジタル化の第2の波はデジタル難民が減った段階で、国のインフラ系の集中整備で、統廃合が必要です。 

 スマホがほぼ全員に行き渡り、使えるようになった時に、まずは電波の届くエリアをインフラ整備エリアとしてセグメントすることが、これからの限られた予算の投下には必須かと思います。

 私はローカル線や廃線跡など、古い街並みを見るのは好きですが、未来を考えた場合、朽ちゆくもの、要らないからこそ可哀想ですが選別すべきものがあります。

 

 

初夢?胡蝶の夢か夢応の鯉魚?現世はパラレル

 初夢はいつ見たものを言うのかという議論もありますが、それはさておき、新年に限らず夢はよく見ます。記憶の断片なのか、願望なのかはたまた予言なのか、何を意味しているのかよく解らない内容が多いです。

 人にもよるそうで、いい夢ばかり見る人もいるようですが、私なんぞは若い頃苦労した状態に戻っていたり、旅中とかで失くしものを探すようなイヤな夢が定番でよく見ます。

 楽しい夢は1割ぐらいで、夢はまだやり足りないようなことを見るのでしょうか。

 パラレルワールドにいる自分が夢の世界かもと思います。

 胡蝶の夢という例え話も好きです。

 自分の人生は実は今眺めてる蝶が見ている夢だという話です。

 似た感じで、夢応の鯉魚というのもありこっちは何か悪夢に似ています。お坊さんが夢の中で鯉になって泳いでいる、戻ると殺生を戒め鯉の絵を書き続きるようなお話でした。

 鯉や蝶というのは前後の生まれ変わりなのかもしれません。

 今は、タイムリープというSFがドラマなどで流行りで、何周目の人生とかも聞かれます。

 夢だと思うのは前世か来世かもしれませんね。あんまり苦労はしたくないですね。できるただけ、次に活かせる経験を記憶しておきたいものですね。

 毎晩熟睡したあと、周りの世界を含めて記憶がリセットされて、違う人生を歩んでいるんだと書いている人がおられました。

 人生のターニングポイントで別の選択をした方を夢で見ている。あるいは時々入れ替わっている。直前に見た夢は選ばれなかった自分の人生という考え、面白いですがなかなか怖くもあります。

「誠と謀略」戦後80年開戦は避けられたのか考察する

読書レビュー:橋本惠「誠と謀略」岩畔豪雄の知られざる日米和平交渉の記録

 戦後80年という節目の年で、「戦争を知らない世代」の割合が増え、ましてその深層まで掘り起こして知る人は限られてきています。

 このところ太平洋戦争が開戦前に日本人によって敗戦確実と研究されていた「総力戦研究所」の話が取り上げられ、ドラマのモデルが訴訟する件も話題になっています。

 同じ昭和16年やはり、日米間でもワシントンで繰り広げられた知られざる交渉があり、悪化した日米関係を修復しようと外交努力があったことを伝えているのが本書です。

 岩畔豪雄、井川忠雄の名前は私もついぞ存じませんでした。近衛首相や、松岡外相、東條英機ら戦争を止めず前に進めた名前の方が知られています。

 成立しなかった交渉に奔走した男の挫折を、太平洋戦争の裏歴史として、史実に基づき著しています。

 外交はつくづく伝えられる歴史だけでなく実らなかった裏があり、埋もれたものがあります。

 状況の変化もあり、ゼロか1かの成果では語れないものがあります。

 改訂版として、著者のご子息が、重い内容を現代にもわかりやすくされ、使命感を持って令和の時代に再度上梓されています。

 現代でも、世論の勢いだけでは危険であり、国際社会の外交は一筋縄では行かないものがあります。

 敵対的とされる中国やロシアにも、毅然とするだけではなく、人間的な外交努力もしていかないと国益は保てません。

 先の戦争以来、現代の戦争は多くの火器を使い一般市民の多くも巻き込み大変な国土と国民を消耗させる悪手です。

 単に厭戦、平和を望むことを軟弱・お花畑と保守層は揶揄しますが、やはり国と国が戦いもじさぬ時には、その裏ではあらゆる妥協点を見出す外交努力が必要です。

 戦後「戦争を知らない世代」と言われましたが、戦争を知る世代に育てられ多くの生き証人の話を聞けた世代する少なくなっていきます。

 歴史を現代から未来に活かすためにも、保守もリベラルも書を読み、学び、感じて次の日本の舵を取し、行き先を間違わないよう見極めないといけないでしょう。

万博の年

大阪で3度目の万博があった今年2025年ももう終わりです。

 大阪では1970年の吹田での日本万国博覧会、1990年鶴見緑地での国際花と緑の博覧会に続き、夢洲で大阪関西万博が開かれました。

 1970年の万博で小学生だった世代は、お金と時間ができて夢洲に何度も訪れた人もいますし、「今さら?万博」とスルーした人もいます。

 営業というか、動員的には目標達成、成功したのか、元々の目標設定が弱気で低かったのかもしれませんが、一応最低限の目標はクリアしたようです。

 国をあげて発展途上に近かった1970年のパワーとは比べられません。

 当時小学生だった世代が.若手社員のバブル期に迎えた1970年の、ワンテーマ博覧会花と緑の博覧会を少し上回る動員程度です。

 こういう風に書くから、私は関西万博アンチとお叱りを受けるのでしょうか。

 一応、モビリティの未来と、京都市絡みで関西のパビリオンは行きましたし、地下鉄は何度も乗りました。

 個人の好みで、結果オーライみたいに「可愛い」と言われてますが、私は一貫してキャラクターの「ミャクミャク」はキモいと思う派で、好きか嫌いかで言うと嫌いです。

 あれがもう少し可愛いと動員もグッズの売れ行きも増えたと思います。

 普通に考えて、人気のあるゆるキャラのような可愛さや、アニメ的なカッコよさなら、少なくとも推しが増えて、何倍かはグッズも売れもっと動員にも繋がつたでしょう。

 好みはあくまで個人の感想です。

 しかし、万博が後半から人気が出てきたように言われますが、バイアスのかかった錯覚です。格安の通期パスのリピーターも多かったようで、このあたりは初期段階での動員が弱気で自信が無かった感が伺えます。規模は70年ほどではないしろ、あれだけの大屋根リングはじめ多くのパビリオンを作ったので強気の設定で良かったのではと思います。

 関西の経済からいうと、やはり跡地のIRが早くできることです。関西らしい元気で活力ある施設を何とか早く作らないと、万博ロスが重くのしかかりそうです。

 怪しげな金の流れが黙認され、破産者も絶たないパチンコやスロットが認められてます。公営で競馬競輪、宝くじが大金使ってテレビCMしてるのに、今さらカジノ反対とかいう上っ面だけのキレイ事二枚舌は何とか黙っていていただきたい。カジノがギャンブル中毒に繋がると反対なら、身近で破産者も沢山産むパチンコや競輪競馬もやめされるように訴えるべきです。

 私は、IRリゾートも人が多いとイヤで.ギャンブルはからっきしなので、まあ静かな万博公園跡地が好きではありますが。

 千里の万博公園も、鶴見緑地も大阪近郊とは思えない広々としてゆったりした癒しのエリアです。関西が首都圏に比べると人が少ないのも分かります。このぐらいのゆとりがある方が良いです。

仕事をしているとエラいという幻想

 何度か仕事に悩む方に向けて元気づけるようなブログ、スランプの脱出方法も書いてます。

 自分も仕事には長年苦しんでいろんな自己啓発書などをむさぼり読みました。

「仕事は苦行か?」という大きな命題はなかなか結論が出ない難しい問題です。また、仕事をしていることが無職よりもエラいのかというのも興味深い問題です。

 お金が欲しいから仕方なく働く、その動機なら決してエラいものではありません。

 ところが、仕事を休んだり、働かないと、何か怠けもののようでエラいようにはとても思われません。私も昭和の仕事社員で、休むとむしろ後ろめたさを感じたものです。

 しかし、少なくともとりあえずお金に困っていないなら働かなくても優雅で、全く問題はないはずです。

 かつては、せいぜいが社交たけで、仕事を普段はしない貴族や武士が尊敬されていました。労働は身分が低い者がすることでした。

 失業給付や生活保護、年金生活、ましては育児休暇などでも何も恥じることはないのです。

 働いてその代償として、お金を貰う訳ですから、働いていることはエラくも何ともありません。

 最初の命題、仕事はやはり使役される苦行だと思います。確かに仕事が充実している時もあるでしょうが、仕事をしていない気楽さに比べるとやはり苦行に近いものでしょう。

 ところが、仕事を離れ、毎日が日曜日となると、例えば今だに現役で働いている人、役員や定年のない仕事で頑張っいる同世代を見るとやはり複雑な思い、気楽さとともに先ほどの劣等感めいた後ろめたさもちらつきます。

 週5日働いての週末の休みの解放感は、実際毎日が日曜日になると味わえません。

 それでも、まとまった休みが続いてこそ、できることも多いのです。

 特に還暦を過ぎれば、働き方も、これまでの生き様、住んでいる家も持っているお金も家族、取り巻く状況は全て人それぞれ違います。

 今だに働いている方は立派、偉いととるか、苦行を今だに続けさせられエラい目にあってるのかはその人でないと分かりません。

 現役であろうとリタイア組でも、仕事は苦行だったと、そう考え割り切った方がいいかもしれません。仕事にやりがいがあって、あくまでそれが充実と見なす方も自由で、それは感じ方しだいではあります。

 実際にはそう両極端にも考えられないものです。

 仕事であれ、休みであれ、今の時間を充実させ、楽しむことです。リタイアすると、学生や現役の時代が懐かしく思われますが、感傷的になるのは今とこれからの未来を考えると良くはないです。

 資格や能力は過去から培ったものがありますが、あくまで過去は振り返るのではなく、趣味や今からの活動、新たな仕事にせよ、全てはこれからを見つめていくことで、未来が充実すると思います。

戦争はルールのない喧嘩

 戦後80年という年があと少しで暮れそうな時期になって、どうもきな臭い情勢です。

 戦争も辞さないという保守と、あくまで戦争そのものまで否定するリベラルのかみ合わない論争は過去にも書いています。

 しかし、心配なのはナショナリズムの煽られ方です。嘘でも真実でも、ある国の政治体制が悪い、◯国人が信用できない。それは真実相当性があるのでしょう。

 けれども、この雰囲気の中、次に何らかの事件がもし起こったとして、それがその国が犯人なのか、その国に見せかけた開戦派、軍部なのかは結局、わからないのです。歴史的にも、たいてい開戦のトリガーは陰謀です。

 それでも勝てば官軍、歴史はいいようになります。

 このナショナリズム世論の後押しの怖いのは、止めるタイミング、休戦の水面下の交渉が難しくなることです。

 世論に嫌われる唾棄すべき国にも外交のパイプはつないでおかないと、休戦の交渉のテーブルさえできません。

 昔は騎士や武士が名乗りを上げて尋常な戦いをしていました。

 火器を使い始め、無差別な攻撃も始まり、戦争の被害は時代とともに増えました。それでもルールが皆無な戦いではないのです。

 ウクライナでもガザでも交渉はあります。戦争はルールがない喧嘩に見えますが、やはり国際法や暗黙のルールが存在します。

 その境界をギリギリ破ってきたのが、過去の勝者でもあります。

 戦争はただのガチ喧嘩ではなく、どこかで密な交渉がなされます。

 兵力、国力以上に世論を誘導したしたたかさも必要です。国民も賢くならないと、悲劇が繰り返されるのです。

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