季節は秋?大雨報道に憂う

お盆あたりに、ほんの少し秋の気配を感じたのですが、また蒸し暑く、今週も関西は体温近い猛暑の予報でうんざりします。
南に台風や高気圧があって、湿った空気がくるのか、蒸し暑い上、北陸など局地的に警報が出る豪雨です。
もう少し、雨も各地に均等に降らないものかと思います。これでも水不足で取水制限の地域があるのに、今朝の福井もとんでもない大雨です。
災害に遭い、避難されている方は、まだ不安が続いていると思います。十分に気を付けてください。
熊本の地震もまだまだ避難され不自由を強いられている方、不眠不休に近いハードワークの関係部署の公務員さんなどがおられると聞きました。
とりあえず無事なところに住んでいると、何もできないもどかしさもありますが、悼みいる気持ち、激励の気持ちを心に期したいとは思います。

災害はいつどこでっ来るか予測がつかないからこそ、不安もあり、同情などの気持ちも沸くと思います。
いざ、こういう大きな不幸を見ると、人間は優しさを持ち手を差し伸べる気持ちが生まれますが、なかなか日常ではそうもいかない人も多いようです。

目の前の、仕事や家族、地元を思うのに、他者には優しさを分け与える余裕がなくなるのでしょうか。
安穏とした場所にいて、むしろ、差別やいじめに近い、自己保身にまわりがちなのが普段の人間の行動です。
「情けは人のためならず」といわれるように他人への施しは、やがて自分にも温かい気持ちとして返ってくるのですが、都会に住む現代人はだんだんそういう優しさを忘れてしまうのです。
首都圏と、地方都市、過疎地とそれぞれ格差もあり、課題も抱えています。今、たまたま恵まれている地域の人は、不運な境遇の人に施す、税金を上手く回す仕組みを作り、差別や格差をなくしていく、構図としてごく当たり前の人道的なことです。
たしかにインフラを維持できない限界集落は増えますが、災害対策も日常的なインフラも含めて、しっかりした対策を講じていかないといけません。
優しさを忘れない国民が多くいないといけません。

ヘソ出しが当たり前の時代

1970年代前半に、山本リンダという歌手が「どうにもとまらない」という曲を、へそ出しルックで踊りながら歌い、話題を集めて。大ヒットさせ紅白歌合戦にも出場しました。翌年の同傾向の曲「狙いうち」は50年以上、甲子園の高校野球のブラスバンドの応援曲として演奏し続けられています。へそ出しが強烈なインパクトだったのは間違いありません。

ここ数年は、街を歩いても、平気でお腹を出し、おへそを見せている人がいますが、昔は街中で女性がおへそを出すなど考えられない時代でした。山本リンダも、歌がどうこうより、やはりセクシーが売りのキワモノ、イロモノとしての注目でした。
実際に、昔の女子中高生の間で、男の子は女の子に興味があっても、せいぜいスクール水着や体操着の姿しか見られず、おへそはおろかお腹がチラリでも驚くほどの悦びでした。
ビキニの水着も、テレビやグラビアの芸能人か、海水浴に行く男女になる大学生ぐらいまでは見れるのはあり得ないのが昔ですし、セパレートでもおへその隠れる水着が多かったようでした。

それが今や、外国人だけかと思うと、日本の高校生ぐらいの女生徒が、平然とお腹を出したファッションで出歩いています。おへその形もキレイで、遠くから変な形と思うと、ピアスだったりします。
昔に比べて変な形のおへそもあまりないのでしょう。
それにしても、みんなで見せれば恥ずかしくないし、恥ずかしがっていないといやらしさもあまり感じられません。
しかし、みんなが恥ずかしかった時代もありますし、いまだに国家や宗教が女性の肌の露出に厳しい国もあります。
集団の心理や流行りという面で言うと、おへそまではOKで、乳房やお尻はダメというか恥ずかしいのかはもはや、みんながやるかどうかなのかもしれません。

飽食と飽娯楽?の時代

若い頃に比べると、大人になり可処分所得が増えたせいでもありますが、昭和の時代、まだ大人も子供はホテルのバイキングブッフェでたらふく食べるなど無かったです。
今は、そのバイキングでさえ、「味が大雑把」とか「冷凍ものじゃん」とありがたがらず切り捨てる輩もいます。
生活保護や母子家庭とかもですし、そこに至らずも病気などで働けず、ローンや税金などで満足に食べられない家庭もある時代です。それでも、今は多くの人が飽食、食べ物にそう困らない時代です。
戦後すぐは、残飯を煮込んだものがごちそうでしたが、今は賞味期限切れで、腐ってなくてもどんどん捨てられます。

そんな状況と少し似ているのが、配信やらチャネルが増え、見られるコンテンツが溢れてきているのです。
昔の名画から、最近のドラマ、配信会社や、テレビ東京までの地上波、BS入り乱れての制作も放映もあり、録画しているものとサブスクの優先順位も悩みます。ビデオなども普及する前は、国民の多くが同じコンテンツに同時刻齧りつきました。ビデオが出回っても、最初はテープも高く、かさばりました。特定のシリーズをたくさん録画して、ダビングする人もいました。
今では考えられない時代です。

スポーツもかつては、プロ野球の巨人戦ぐらいだったのが、今私もスポーツ系配信に入っているので、パ・リーグもJリーグも見放題です。最新のネット配信ドラマも、地上波の話題作もありますが、気が付けばそれほどテレビに齧りつくこともない、ワクワクは失せています。
食べ放題のバイキングが夢のような時代は過ぎ、もう飽きられたのでしょうか。やはり、あの時代や、恵まれない人がおれば、分けて上げたくもなり、感謝しながら味わいたいし、コンテンツなら鑑賞すべきだとは思います。

板東英二さん駆け抜けた86歳

猛暑と雷雨の中、先日は現役バリバリのミステリ作家東野圭吾さんの訃報があり、昨日は熊本で震度7の大地震で、モールや工場で死者や不明者も出ているという報道がありました。
この暑い中、停電や断水もあり、家屋が倒壊などで避難するのも大変だと思いますし、二次的な被害も心配になります。

そんな中、元プロ野球選手でタレント、実業家として知られた板東英二さんが86歳で亡くなったというニュースも目にしました。
大変、多岐にわたる活躍をした人で、満州に生まれて、徳島に引き上げ、高校野球で名を馳せます。私の父は、板東英二の活躍した徳島商業の出た高校野球大会をよく覚えているそうです。延長18回再試合の制度を作るキッカケになった徳島県予選で延長25回を投げて話題にもなっていて、次の年の甲子園大会で伝説的な延長18回再試合後に勝ち切ったて決勝まで進んだそうです。
早実の王貞治よりも高い契約金をネタに自慢していましたが、肩の消耗もあったのか、プロでは77勝止まりで、解説、タレント、俳優など芸能界に転身し、また脱税や所得隠しなどで悪い話も出た実業家としても活躍していました。
戦前から、戦後の野球界、芸能界、実業家を席捲したこれほどバラティーに富んだ人生も珍しく、1度の生涯で何回もの人生を味わいながら、妬まれつつ、憎めないキャラクターだったと思います。
関西で営業をしている時に、AMラジオしかないクルマに大阪のMBS毎日放送の番組だと思いますが、たわいもないコテコテの関西人的トークが、面白かったです。
中日では後輩にあたる星野仙一が監督に就任して、まわりのタレントがピッチングコーチにどうと無茶ぶりされるのを、上手にかわしていました。
世代が変わり、メジャーに行く者、ITやベンチャービジネスで成功している者には「ワタシはとても無理」と謙遜はされていました。
AMラジオは、もうすぐ絶滅するとはいえ、あんなどうでもいい話やリスナーのハガキが流れる時代が何とも懐かしく、たまに板東んさんの「燃えよドラゴンズ」が頭によぎります。

フルーツポンチ

 あまりにも暑い日々が続くので、少し甘く涼し気な話でも。
 子供の頃、フルーツポンチは給食の最高の楽しむのデザートでした。

 今の学校給食でもあるのでしょうか。現代のカフェにあるフルーツポンチは昔よりおしゃれなフルーツも増えています。
 コンビニなどではゼリーに固めたフルーツが主流で、何よりもフルーツそのものが種類も増え、バナナやパイナップルなど輸入の果物が安価になったのも缶詰主体のフルーツポンチが地味ですみっこに追いやられた原因かもしれません。
 昭和の時代は、フルーツポンチがみつ豆とともに、デザートの王道でした。

 缶詰のみかんと、黄桃、白玉などが主役でした、今は洋梨やキウイなど、フルーツも豪華なものが増えました。
 給食だと、当番の子の匙加減なのですが、みんな大好きなので、それなりに目が厳しく、ちゃんと公平に配ったものです。

 今の子供世代は、家でのコンビニでもいろんな美味しいおやつがあるので、給食にフルーツポンチが出てもそれほど嬉しくないのかとも想像します。

 飽食で、何でもある時代ですから、それはそれで幸せなのかどうかも微妙ですね。

本当に好きだった人の老いは見たくない?

 先日、中森明菜が久しぶりに地上波テレビに出演するということで、見ようかどうしようかと悩みましたが、結局スルーしました。

 青春時代の憧れの歌手でしたし、歌やファッション、スキャンダラスな私生活など含め一時代を代表するスターでした。当時もきら星のごとくアイドルが量産され始めた時代でしたが、ピカ一でイチオシでした。
 そんな憧れの歌手ですが、もう還暦を過ぎたのもですが、ずっと健康もすぐれず、ライブやテレビもキャンセルが続いていました。

 私にとってももう40年くらい前の存在で、いまさら、変わり果てたというと失礼なのですが、年齢を重ねた姿を見たくない。若い頃のままを胸に抱いていたいという気持ちです。

 この気持ちは、若い頃に憧れ、学校や職場で親しく交際した異性でもそうです。
 ずっと付き合っていてだんだん、年齢を重ねていくのを一緒にいたならそうでもないのでしょうが、やはり好きな異性は美しいあの頃のままでいて欲しい。自分は老けているくせに、ルッキズム的でわがままな思いです。

伝え聞くところでは、中森明菜さん大変頑張って還暦とは思えないパッションで乗り切ったそうです。
 四の五の言わず、アラカン世代以降の高齢者も負けずに頑張らねばと、少し心を奮い立たせようではないですか。

悪目立ち、多動、足元より未来

 自分の生き様。

 子供の頃から、興味があるものには没入し、飽きっぽく、やりっぱなしで片付けができない人間でした。

 斜に構えて、人とはちょっと違った視点で、みんなが熱く同じ方向を進むと、冷めてふらふらして怒られたものです。

 学校でも職場でも基本的にはそういうところは、治ることはありませんでした。それぞれの個性という程度でした。

 そんなに派手に振る舞うのではないのに、いいにつけ悪いにつけというか、たぶん悪い方で少し目立つくらいでした。

 自分では正しいと思って、割と逆張りのような正論を吐き、穏便に済まそうとする人には嫌われることもありました。

 堺雅人のドラマで人気の出たリアル半沢直樹と会社では言われたこともありますが、ああいう風には正論で強い権力に勝ち切るほどの力はありませんでした。もちろん、世の中ドラマよりも甘くはなく、薄汚いものです。 

 いろんなとこを巡って、いろいろ仕事をこなしているので「器用」と言われることがありますが、自分ではとんでもなく不器用な人間だと思います。

 誰しも、そういう面は持ちながらも、もっと忍耐強く仕事をされた方が、社会を支えてきたのです。

 しかし、逆に淀みに抗えず、改革ができないまま、組織とともに自らも心身を腐らせながらも致命とならずに暮らしてきていたのでしょう。それが一般的な日本の社会人です。

 こんな自分ですから、半分呆れ、馬鹿にされられながらも、家族や周りに助けられ、割とマイペースに、ファインプレーとかグッドジョブと言われる目立つ仕事をやり遂げてきたこともあるようです。それがまた、愛されたり、妬み嫌われたりするのでした。

 大企業を60歳で定年退職して、また僥倖にもいろんな仕事につけて、いろんな出会いがありました。

 そこでも、またまた、好かれて慕われたこともちょっとありますが、いろいろ誤解もあれば、見透かされて、嫌われたこともあります。

 昭和、平成、令和と気がつけば3つの時代を過ごしています。

 まだまだ、次の時代が待っていると思います。

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人生に無限にある選ばなかった道

 私は比較的同年代の友達よりも結婚は遅かった方、36歳になった5月に結婚しました。

 パートナーはほぼ専業主婦です。一度も選びなおしたことはありません。おかげで、家事や子育てをあまりすることなく、定年まで仕事に、集中した毎日を送れました。

 栄養バランスの整った食事、家の中の掃除や整頓、衣類や寝具などきめ細かくキレイにしてくれていて、子育ても含め、私では絶対できなかったことをやって支えてくれました。

 もちろん、結婚までにいろんな出会いがあり、私よりもスゴイ学歴や資格を持った女性で、働き続けていれば養って貰えそうなキャリアの人もいました。

 家事に関しては、そんなにできなくても働く女性との共働きなんて、今風のことができたのか、選ばなかった人生の選択、時々夢に見て、それらを選んだ自分から羨ましく見られたり、妬んで見ることもあります。

 選ばなかった仕事や、辞めてしまった仕事や勉強、違う選択をした人生はパラレルワールドとして無限に存在しているのかもしれません。

 毎晩、そんな世界を夢で渡り歩き、寝るたびに記憶を共有して入れ替わってるかもしれません。

 

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あまり顧みられない聖子さんが好きでした

 坂道といっても、アイドルグループではありません。キャッチコピーは「イルカの妹」という昭和、1970代のシンガーソングライター(これも死語かも?)。

 当時全盛のフォークというジャンルの中では、相対的に競争が少ないアイドル的存在、それが沢田聖子さんでした。活躍期は少し短いというか、それほどは売れなかったのでオリコン50位が最高レベルでした。よく似た名前の松田聖子のバッタもんかとも言われていました。

 沢田聖子が本名でセイコではなく、こちらはショウコと読みます。可愛いと言えば可愛い、芋っぽいといえば、芋っぽい感じのルックスでした。

 フォークがニューミュージックもなり、JPOPと言われる時代だと、平成からの歌手なら、もう少し顔面の修正も入りそうです。乃木坂などの坂道に入る時代なら変わっていたかもです。

 透き通る声と、素朴な可愛らしさで、それでいて曲はちょっと暗い感じも多かったです。

「シオン」「卒業」「青春の光の影」が代表曲かと思います。吉田拓郎の「風になりたい」伊勢正三の「ささやかなこの人生」とかの他の人の作った曲も売れていて、私は「風になりたい」が好きです。

 もう、平成後半から令和の世代には見向きもされていないかもしれませんが、推しでもなかったのに何となく思い出される今でいうアーティストさんです。

 

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人生には無限の選択肢があったのか

 道を歩いていると、二つの道の分岐点があって、どちらを選ぶか迷う時があります。

 別れ道です。カーナビや地図アプリがある今でも、それに頼っている人でも選択を誤ったり、迷うことがあります。

 迷った時、どちらを選ぶか。道だけではなく、今日のお昼に何を食べる、どの店に入り、誰と会うか避けるか、一日でも選択肢は山のようにあります。

 あの学校に入るために勉強するか、しないか。

 結婚するとかしないか、するなら誰と、仕事に就く就かない就職先は、比較的大きな人生の別れ道もあれば、今日何食べるとか、どこの道から帰るとか地位さ選択もあります。

 どうでも良さそうな、別れ道もたくさんあります。

 元々、親ガチャとか家ガチャとも最近言わるれようで、生まれ育った選べない環境で、人生の多くは決まっているという説もあります。

 ところが、名門やお金持ちの家に生まれた人間を、ハングリーな貧しい環境に育った人間が追い抜くこともあります。トータルの稼ぎや資産は別にしても、幸せな人生に見える時もあります。

 それは、毎日の小さな選択によるものかもしれません。

 毎晩夢を見て、少し違う人生の自分を見ると、実はそっちが本当の自分かもと思う時はないでしょうか。それは、選ばなかった自分の人生かもしれません。

「胡蝶の夢」や「夢応の鯉魚」というお話があります。

 ひょっとしたら、明日の朝は別の人生の自分に生まれ変わってるかもしれません。

 だからこそ、ある意味では今の自分も、立場や環境の違う周りの人も大切にしないといけないと考えるのです。そして、今日目覚めたら、思い出した自分の人生の新しい1ページを精一杯生きることでしょう。

 親ガチャ、家ガチャなんて、妬んでも始まらない、全てのことは、時期が経てば夢のまた夢です。