一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

財政均衡論を今こそ崩そう!

 昨年亡くなった森永卓郎さんの残した魂のこもった財務省への批判の一冊、日本への警鐘。改めて重いですが、わかりやすく書かれてます。

 例えば、森友学園の問題とかマスコミの情報だけだと、安倍晋三元首相と奥さんが近畿財務局の役人がなんやかんやとやらかしてる、いかにも政治と官僚の癒着みたいなイメージしか持ってないのではと思います。

 あれは財務省に対立する安倍総理の経済政策アベノミクスへの、財務省からの、警告的なものであり、忖度なのか嫌がらせなのか、何らかの工作なのは間違いないのです。

 昨年あたり一時期、日本経済の低迷、国民負担の増加は全て財務省が悪いと、財務省解体が叫ばれ実際にデモが行われていました。

 財務省と対立する者、従わない権力者は抹殺されるか、スキャンダルに消されます。安倍さんは上手い距離を置きながら、政策を進めたやはり稀有な大物政治家です。

 昨年亡くなった、森永卓郎氏の著作も一つのきっかけで騒がれました。

 財政均衡論は日本の財政は赤字だから、もう国債を発行せずに、積極的な財政投資はしないで税金を上げて行くという、財務省の考えです。

 公共投資は、大きな経済対策などは、民間企業の大きな設備投資と同じで、その1年だけで収支を計れるものではありません。

 ちょっと簿記をかじってるか、経営やバランスシートなどを見れる人なら、財務省がおかしいのは分かります。

 赤字垂れ流しで、企業でも、設備投資や新規事業は確かに慎重な分析からの決断は必要ですが、逆に何もしないで沈んで行くのは許されません。財務省は、税金を上げれば財政が均衡すると考えますが、企業なら、商品やサービスだけ値上げして、何も将来が見込めないなら、見向きもされません。

 経済産業省もお役所で、財務省に仕切られる面はありますが、まだ専門なので、わかってる役人もいます。しかし、民間企業は10年20年と見据えて事業を計画し、単年や5年短期で見直しています。

 それを本来監視、指導する役所が、単年決算にあまりにも拘り過ぎることが、日本経済を30年止めた一つの大きな要因でおるのは間違いないでしょう。

 財務省を解体というのは、庶民がデモしようと、実際にはないでしょう。

 しかし、日本経済を立ち直らせるのは、積極財政論者です。

 残念ながら、自民党はドンの麻生さん以下、岸田、石破と多くが最初はキレイ事を言っても財政均衡の宗教にハメられています。

 さらに残念なのは民主党時代に財務大臣に入った野田佳彦現立憲民主党代表です。その前の菅直人にしろ、今は野党でも一度財務省に洗脳されると、リベラルや左翼どころか、官僚の言いなりです。

 鳩山由紀夫や小沢一郎もいろいろ言われますが、財務省はじめ官僚、マスコミに総スカンで潰されました。野田、菅直人はそれを見て、コロリと財務省側に寝返りました。

 国民の期待を集めた民主党政権はいつの間にか、自民党よりも官僚よりで、何ら改革の志のない腑抜けた政権になって、凋落しました。

 野田さんの、民主党政権以前のシロアリを退治する!と、比喩して、官僚の天下りを止める、国会議員も身を切る改革をすると叫んだ姿からは、想像できないほど今は堕落されています。

 高市さんは幸い積極財政です。それと並んで野党で積極財政を唱えるのは、国民民主党、参政党、維新の一部と、一番声高なのが、れいわ新選組ぐらいでしょうか。

 逆に言うとこれは異常に少ないメンツで、いかに財務省の浸透がひどいか分かります。

 高市さんには、今後選挙後の体制を組み直し、内閣再編で、積極財政シンパを増やして、安倍さんが無念のうちにできなかった経済対策を進められるか、外交よりもまずそちらです。

 

 

 

再生紙はサステナブルではない

エコじゃないし、高い

 今日もたまたまある役所にトラックから大量の印刷用の再生紙を荷下ろしする光景を見ました。

 私も民間企業辞めて、勤めた市役所や区役所、他にも裁判所やらでも、この同じ再生紙をよく使い、段ボール箱までお馴染みでした。

 一体、日本中の役所や公的機関で、この再生紙にどれだけコストをかけるのでしょうか。

 エコやグリーン、サステナブルとか言いますが、値段だけで言うと、古紙からの再生紙はバージンパルプの白い紙より高いのです。

 日本中の役所で割高な再生紙にこだわって税金をムダに使っています。

 なぜ再生紙が高く、エコでないのかと言うと、異物を取り除き、インクや汚れを洗剤や薬品で洗い、漂白する過程でコストがかかるからです。

 水も薬品も石油も使って環境には良くないのに、バージンパルプから作る紙よりも高いのでは何をしてるかわかりません。某大手製紙会社の社長さんも、この珍現象を嘆かれ、各社が古紙率の偽造で摘発された背景も語られていました。

 エコやグリーン、サステナブルと言う言葉がイメージだけで広がり一人歩きして、国民にも自然にもムダな負荷をかける典型的な例です。

 森林資源の、保護といっても、バージンパルプ使用は木材の有効活用であって、あえて木を切って森をなくしてるわけでもありません。どちらが環境負荷が大きいかは諸説議論もありますが、古紙回収で比較的簡単なのは、包装や台の厚紙や、トイレットペーパーの芯等のようでそれも、それほど使うものでもなく、余ってるようです。

 インクのついた新聞や雑誌、チラシは燃えやすいので、昔たどおり焚き付けに使う感覚で燃やせば、安上がりなのは誰でも分かります。あれをインク分解して、漂白してたらそれは環境に悪いし、お金も手間もかかると、素人でも少し考えたら解ることです。

 サステナブルといっても、紙やお箸の節約で森が守れるのではないのです。森を保つにも林業にしっかりお金を回さないといけないのです。

 そもそもが未だに役所は紙を使い過ぎで、デジタル化が遅れてることです。

 役所の今までの仕事の中でも、今は随分コンビニで住民票や戸籍、税金の証明などはプリントできるようになりました。

 この動きを加速し、幅を広げれば、多くの手続きや申請はオンラインで可能になり、紙や人の手間は減る。こんなことは大手企業は十数年前からやっています。なぜなら、民間企業はリストラがあり、業績をステイクホルダーに厳しく監視され、改革が進むからです。

 公務員が雇用も含め一定数要るのは、百歩譲って良いとしても、印紙代は電子でも税収なので一定額納めるのもそのままで、せめて紙はリストラして欲しいものです。

 もう一つ再生紙のデメリットとして、やはり白い上質紙より目が疲れることです。

 役所の書面、庁内で再生紙を使ってエコアピールしてても、肝心の身体には良くないですし、そんなとこでは節約にもなんない、天下りの条件をちょっと厳しくする方がよほど世のため、国民のためです。

 どこかで、再生紙NOという運動を始めて欲しいものです。

憧れを壊すな

 昨日、昭和歌謡の話を書き、今昔の紅白歌合戦の比較にも触れました。

 昨年度は昭和のスポーツ界で活躍された、長嶋茂雄、釜本邦茂、尾崎将司と巨星が堕ちました。それに比べ、まあ音楽界は昭和から平成の大物歌手がそれなり残ってはいて、紅白歌合戦にレジェンドで出たり、マイナーな番組や営業をされてたり、発掘映像で見つかったりもします。

 しかし、まあ、ヒーローやアイドルが亡くなるのも寂しいですが、老いて、衰えた姿というのも、私はあまり見たくありません。

 若い頃から美人女優だったのが、すっかり老け役というのも憧れていた者からは寂しいです。吉永小百合さんのようにニノ線?美貌をいつまでも崩さない人もいれば、誰これと言う人もいます。

 昭和の特撮ヒーロー物も好きでこの頃リメイクされ、ウルトラマンや仮面ライダーの初代の俳優さんが存命なのは嬉しいですが、嬉々と出演されるのはちょっと引きます。

 たまに発掘されますが、引退後一切顔を出されない山口百恵さんなどは立派だと思います。

 ベテランでも支援する人や応援するファンなどしがらみもあるのでしょうし、年齢を重ねた役もあるし、ビジネスとしてはしかたないとは思います。

 ただ、歌手の場合は、元々元気な頃の音源はあるので、今さらナマで出て老醜とまで言うと失礼ですが、衰えをファンに見せるのはいかがなものかと思います。

 アスリート同様、鍛錬して衰えが隠せなければ、出られない、ファンも、思い出を大切にできて、憧れを裏切らないからです。

 中森明菜さんも、ディナーショーなどで少し活動は再開されてるようですが、強烈な激しいボイスはもはや望めないようで、毎年噂される紅白歌合戦のナマ出演はやはり無理な年齢でしょう。

 その点では、昨日書いた紅白歌合戦の70歳代の歌手たちプラス還暦超えて、すっかり声が衰えた人たちも、高い受信料からギャラをせしめてるのですから、「もう少しがんばりましょう」の人が多すぎです。

 長嶋茂雄さんも晩年はずっと車椅子だったので、亡くなられても若い人にはそれほどの大ニュースではありませんでした。

 長嶋茂雄にファンが求めたのは、現役時代の華麗な動きであり、中森明菜は10代から20代の不良っぽく、薄幸な悪女の力つ叫び声であり、還暦過ぎた明菜は見たくないのです。

 誰にも老いは来るのですが、それだけに、若い頃の憧れを壊してもらいたくないものです。  

昭和歌謡の時代があった

昭和歌謡の時代があった

 昨年末の紅白歌合戦には矢沢永吉さんや布施明さん堺正章さんら70歳以上のレジェンド歌手が7人も出演、その他にも還暦過ぎの歌手がスペシャルなどで活躍し、卒業して経年劣化のアイドルグループも出戻り、一部ではナツメロ大会と言われました。

 1980年代頃、フォークソングがニューミュージックとなり、その後JPOPなんて言われたのですが、音楽的にはもうそれほど変化なく、今の若い人がカバーしても新曲と変わらない70歳ぐらいの歌手の若い頃の歌が感覚的に変わらず受け入れられていたようです。

 昭和40年後半なら50年頃にかけては、紅白歌合戦の視聴率や占拠率は凄まじく、その前の時間にあったレコード大賞も大変な人気でした。

 日本レコード大賞を独占するTBS以外の民放はその次に権威のあった歌謡大賞を持ち回り、独自の賞も設定していました。年末は賞が目白押し、普段も毎日のように歌謡番組がありました。今とは少し音楽的には曲も歌詞もレトロな感じの時代です。夜のヒットスタジオやその後のザ・ベストテン等も今では考えられないほどの人気歌番組でした。

 当時は、若いアイドル歌手も歌謡曲のジャンルに入る人が多くいましたし、演歌やムード歌謡等の中堅からベテランの歌手もたくさんいました。

 昭和42年とか45年の紅白歌合戦のリストを見て年齢計算すると、子供時代に見ていた歌手が意外に若いのに驚きます。今の紅白歌合戦のような60歳や70歳なんて人はいません。

 これは社会全体の傾向、高齢化なんでしょうか。

 昭和42年の紅白歌合戦、司会は白組宮田輝アナウンサー、紅組歌手の佐良直美、総合司会山川静男アナウンサーでした。

 応援団長に堺正章、水前寺清子といますが、司会のタレントは歌手の佐良直美さんだけでした。今は朝ドラの番宣のヒロインが入りタレントや俳優が司会が当たり前ですが、昔はアナウンサーでした。やはりプロの司会が前奏に重ねて滔々と流れるような口調で曲紹介をし、丁寧で手際の良い進行は、当時の歌謡曲に欠かせないものでした。

 歌謡曲の歌詞、演歌というジャンルも、社会そのものが今とはどこか違う感覚がありました。どこか知らない土地や、大人の水商売や裏の世界に引き摺り込まれるような感覚もあり、貧しさの中に温かさや、苦さが混じり、微妙なテイストの名曲も多いです。

 演歌は演じる歌や、怨みの歌か、艶の歌か、縁(えにし)の歌かとか滔々と紹介されていました。

 個人的に、優劣とか何もない好みですが、昭和42年日本レコード大賞を取った、ちあきなおみさんの「喝采」という曲は名曲だと思います。

 時代も風景も変わり、歌詞にある「止める貴方 駅に残し、動きはじめた汽車に、一人飛び乗った」というのは、現代ではあり得ない描写ですね。鉄道ファンでも苦笑しそうですが、列車が動き出してると、ドアは閉まっていて飛び乗ることは今の車両構造では無理です。とは言え情景や気持ちは分かりますね。

 今回の紅白歌合戦に79歳で特別出場された堺正章さんだと、私はこないだは歌われなかった曲ですが、昭和48年の「街の灯り」がしみじみとした名曲だと思います。当時もオイルショックなど不安な世相で、落ち着いた歌が求められ、この年のレコ大の作曲賞と、紅白歌合戦の楽曲に民放ドラマの挿入歌としては珍しく選ばれていました。

 良い楽曲は、時代を超えていつまでも心地よく響きます。本人たちはもう亡くなられたり、老いて表に出られなくても歌は残る、それもまた良いことです。

 

 

 核はやはり禁じ手にしないと

 漫画のレビューをするのは珍しいのですが、少し広島の原爆を調べていて見つかった本です。後半、熱く長くなってしましました。

 考え方が真っ直ぐで原爆の悲惨さをしっかり伝えたい訴えたい気持ちがよく分かります。

 広電の女性運転手、被爆電車のお話はドラマ化もされ有名です。もう一話、反戦の気持ちを抱えながらも軍医となった広島陸軍病院の医師が焦土の中を奔走するお話。

 この本を読み終えたのはモールのカフェコーナーで、外は寒くても暖かい中でした。平和な日本で珈琲と甘い物を食べ、多少は景気が悪く貧しくとも周りもみんな楽しそうで、赤ん坊を連れた母親もくつろいでいます。

 この人たちは、身体中に火傷を負い真っ黒の遺体になることも、突然高熱と発疹、吐血で亡くなることもない。平和な日本です。

 しかし、広島、長崎の原爆の日から、80年を過ぎたのに、世界から核兵器は消えていないのです。

 いたずらに戦争反対、核保有反対と叫ぶことに与するつもりはありません。

 しかし、戦争が罪なき市民を巻き込み、健やかだったはずの人生を蹂躙するのはやはり悲しいことです。

 戦争は、それぞれに大義はあっても、国の疾病のようなもので研究し、治療せねばならないものでした。80年前に投下された原爆は、その悲惨な実験が終われば永久に国と国との紛争に使わないという選択肢がなぜなかったのかと思わずにいられません。

 戦争という人間の原罪、宿痾は治癒することなく、現代も社会を蝕み市民を危険にさらしています。

 日本人を守るというためには、核保有も選択肢とされています。どこかの国が核兵器で攻撃してくるので、そのためには必要かと言われればあながち間違いではないでしょう。

 丸腰で、何の武器も力もなく、武器がないから攻撃されない、財産や生命を奪われないとは強盗には通用しない理屈です。

 国際法や国連、人道上許されない兵器を禁じる条約も、結局は無力とも言われます。

 では強いものが勝ち、常に正しいのか。あるいは強いものの庇護のもとなら、人道上許されない兵器が使われても良いのか。

 正義とは何で、正義とはどこにあるのでしょうか。

 核兵器を持たないというだけで、核兵器を持つ国の傘に入っている。

 原発に反対しながら、原発の電気を回してもらい、原発の危険は他の地域や国に被ってもらう、お金が回っているならそれでいいかなというのと、やや似ています。

 原子力も発電の場合は上手くコントロールすればアリとも言えますが、兵器としての核はやはり最終的に使われてはいけないのが大前提にならねばです。

 放射能の恐ろしさは、戦後アメリカの免罪のための正当化や原子力政策のため、少しずつ、マイルドに表現されるようになったのではと思います。時代の波、経年でその悲惨さと鋭利さが伝承されないのではと思います。

 冷戦時代は、SFや特撮ものでは、核兵器による人類絶滅の終末が描かれたものが多かったです。ゴジラはじめ東宝や円谷でもそうですが、放射能も核兵器もマイルドな描かれ方になって、CGや科学的裏付けはしっかりしても、終末は多岐な未来の一つのようになり、危機感を伝えるものでなくなってきたように思います。

 独裁的な人間たちのナショナリズム支配では、核兵器の発射ボタンが押される確率は残ります。

 かつて戦争は兵士同士が名乗りを上げて戦っていました。今でも宣戦布告はあり、禁じ手はあります。戦争が中世、近世、近代、現代と進むに連れ、かつては考えられなかった市民、ロジスティクスを攻撃するなどもアリとなりました。

 軍事施設を攻撃するだけではなく、食料倉庫や病院、学校なども攻撃すると、国際法上許されないとは言われます。しかし、逆に偽装した部隊やゲリラが逃げ込んでいる場合もあり、フェアな戦争の判断は難しいです。近代の戦争はたいてい陰謀めいた暗殺や爆破事故などがきっかけで真実はわかりません。

 権力者が、大量破壊兵器を隠し持っていたからとか、あの紛争地域の自国民を救うためと強弁すれば何でもあり、勝ったものが正義です。

 主義や思想や宗教は自由としても、市民を巻き込む人道上許されない方法での戦争とその兵器に関しては、早く禁じ手を全ての国が批准して決めないと、やがて日本民族の危機も来ますし、人類の危機は続くのです。

 あえて左翼系、平和を訴える人にもここで強く考えて欲しいのは、戦争反対、核保有反対、平和憲法、自衛隊派遣反対と、戦争に頬かむりして蓋をしてもいけない。戦争とは何かしっかり見て伝えることです。

 自衛隊が無ければどうする?もっとアメリカに頼るのか?

 結論が出る問題ではないのですが、核兵器使用に至るような戦争は絶対に止めるというポイントだけは、どんな国の人、どんな思想、宗教の人にも刻んで欲しく、伝えて欲しいのがヒロシマの教訓です。

 

 

日本はアメリカの30分の1のままでいいのか

 今年も、日本のプロ野球から三冠王経験の村上選手や、巨人の主砲岡本選手、パ・リーグを代表する好投手今井選手らがメジャーリーグに行きます。

 毎度驚き不思議なのがその年俸の高さです。大谷選手の数十億も別格ですが、日本のトップクラスで1億や2億の年俸だった選手が20億や30億の契約です。

 日本のプロ野球ってWBCでアメリカに勝って世界一、今度も勝つと騒いでいるのでは?もちろんメジャーに行った選手も含めての代表でしょうが、この待遇格差は何で?これじゃ、誰も日本のプロ野球にずっといたいと思うスポーツ選手はよほどの飛行機嫌いしかいなくなりそうじゃないですか。

 なぜこんなにアメリカと日本の野球選手の年俸に格差があるのか。日本プロ野球界は格差を埋める努力をしているのか。

 格差の原因は調べるといろいろ書いてあり、訳知り顔で解説されてるのですが、どうもしっくりきません。

 アメリカは国土が広く人口も多く、経済もデカい?

 でも、人口ってせいぜい3倍、メジャーのチーム数30チーム、日本の2倍強。面積が広いといっても移動に飛行機使うだけで球団のコストがかかるだけです。

 アメリカは本場だから凄く野球人気があるかと言っても人気はアメフト、バスケ、アイスホッケーに分散されてるし、時折見かけるスタンドってドジャースホーム以外はガラガラもよく見かけます。

 調べてみると、一昨年の世界のプロスポーツ最多動員はドジャースですが、2位に阪神タイガースが入り、5位が読売ジャイアンツです。最近はパリーグ含み消化試合も動員が多くどこも盛況です。

 確かに外資系の業績反映の給与体系の企業は日本企業より従業員の所得は多くヘッドハンティングもされ、優秀な学生やキャリアも集まります。しかし、業界としてそれほど個別企業の業績に差がないのにこの年俸の差には呆れ、手をこまねいて放置する方にも情けなくなります。

 何でこんな差が生まれるか、最終的にもこれだけというのはないのですが、大きな一因として、テレビの放映権やグッズの売上のロイヤリティなどをメジャーが一括管理して分配しているからだと書かれてます。

 ケーブルテレビでサブスクの下地があったアメリカだからと言われますが、それが主因ならもうちょっと頑張ったら日本もだいぶ落ち着くんじゃないかと思うのですが、情けないけれどやる気がないようです。

 地元テレビ局との関係にこだわる球団が一括に反対しているのもあるようですが、そういう人たちはこのままの日米格差で良いのでしゃうか。

 参加選手や代表資格で何かと物議を醸すWBCですが、これも120億だとか放映権料をぼったくられます。全てメジャーリーグの収入でメジャーリーグの宣伝をして、日本プロ野球には分配はありません。日本企業は協賛してチケットを広告の景品にする程度、どちらにせよバカ高いチケットと放映権料は最終的に日本人の負担でなりたちます。

 通常シーズンのメジャーリーグの放映権もオオタニさまさまで、どんどん跳ね上がってます。150億とも200億とも言われます。NHKの受信料収入が5900億ですから、割引してもらっても、かなりの比率です。

 日本ではサブスクの意識が高齢者を中心に低く、NHKの受信料を納税義務のように支払い、ただで放送を見るのが当たり前と思っています。

 WBCもメジャーリーグや、サッカーワールドカップも配信会社が独占と言うと大騒ぎで反対し、NHKが放送してくれるとホっとする人がいますが、野球やサッカーが好きでない人もいます。スクランブルをかけ有料契約にしても良いはずです。

 野球の実質の世界選手権とはとても言い難い参加選手の編成で、世界一のタイトルさえ取ればいいと騒ぐエキジビション大会に大金などかけることは要らないです。

 ナショナリズムをかき立てられますが、アメリカが本気になったら勝てないのも内心わかっている心理がまた不思議です。メンバーが揃わないとか連係プレーの練習もままならないぐらいの選抜チームだから勝てるという考えは、本当のフェアな意味での強さとか世界一なのか、良く分かりません。

 メンバーさえ本気で揃えれば、勝てるなんて囁かれる大会が面白いのかと言うと疑問です。

 メジャーリーグは商売上手で、放送権料や看板広告も日本からぼったくって儲けてる訳で、それが国益も国力も削いでいるのです。

 別に毎日メジャーリーグ見たい人は個別に契約してもらってけっこうです。ニュースや災害情報だけは無料、ドラマだけ、歌合戦だけならそれぞれ契約でいいと思うのです。

 少なくとも、この30倍という年俸の差を日本人は屈辱だと思い、思考停止から脱却して、差を縮める努力はしないと、軍事でも経済でもアメリカになめられっぱなしです。

 

 

 

日本を知らな過ぎだと痛感

 只今勉強中。

 日本にも、まだまだ行ったことのない場所、知らなかった文化、歴史、遺産が多いことを痛感いたします。

 私な多分比較的全国を旅行や転勤で回っている方だと思いますが、まだまだあまり知らない県はあります。

 全く初耳もあれば、名前だけ何となくの場所も多くあるものです。

 通過しただけとか、仕事で取り引き先には行ったとか、乗り継ぎで駅には行ったが、肝心のその場所は行ってない、知らないとかもたくさんありますね。

 かつて日本にはたくさんの国や藩がありましたし、明治以降も近代日本を支えた忘れ去らがちな産業もありました。

 生命を削って、山を切り崩し、鉱山に入り、資源を運んだ道を作った先人がいたから現代の日本があるのです。

 飛行機や新幹線、高速道路で行き過ぎると、見落としてしまう地方の街中に、ひっそりと遺るものがまだまだあります。

 限られた一生の時間、世界中を旅するのも選択です。それでも日本の隣にある都道府県でさえ知らない町やそこの文化、遺産はいっぱいありますね。

 地理の勉強、旅行案内としても面白いです。

人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

親分肌の弊害

 一昨日も書いた件で、少し長くなって書きたりなかったエピソードなどがありました。

 合併すると、よく旧◯◯派とかできます。合併しなくても、そこそこ大きな会社だとやはり派閥みたいなのがあって、誰々のグループにいて、親分のイエスマンになれば、少々トラブルを起こしても揉み消してくれるとかありました。

 信じられない方もいますが、私の化粧品会社だと、ザラにありました。どうしても女性の多い会社で、仕事はできるけど、女癖の悪い人も多くて、今なら人権、コンプラ問題のひどい話も多いです。

 親分が揉み消すのは、ほとんど金か女のトラブルで、豪傑も多く、真面目に働いてトラブル無い人よりも、むしろそういう奴のが出世して、処分されてもまた浮かび上がるのには、呆れるケースもありました。

 西日本を統括してる人が私の仲人でしたが、各県の支店長は自分がトラブルを揉み消した経験があると話してました。

 社長になった方も、名古屋時代に私の上司でしたが、パワハラやセクハラありありでしたが、見事に当時のチームを本社の側近に持っていきました。

 親分に取り立てられ、ミスも揉み消してもらったメンツで固めれば、ある程度結束は凄く強いですが、いかんせん不正には弱くなってしまいました。

 これは潰れそうになった民間企業の昔の話ですが、最近でも聞きますし、役所でもあるようです。

 国家や国家間はどうなんでしょう。人間がやってるのでは、やはり似たりよったりです。市会議員さんや、国会議員さんのお話でも、やはり政治もよく似たもんです。

 年明けにまた大きな戦争のニュースが入りましたが、世界の警察や親分となる国、それに従う同盟国はどういう感じなんでしょうか。

 戦争とまでなると、生命がかかりますから、親分が正しいかどうかはしっかり見極めないととんでもないことになりそうです。

http://seizafpkotodama.com/2026/01/05/%e6%8f%90%e6%a1%88%e3%82%84%e6%84%8f%e8%a6%8b%e3%81%af%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/

未来の交通を阻むモノ

 全国的に一般にはあまり知られていませんが、JRの鉄道では唯一?JR九州福岡県の香椎線という路線で自動運転が行われています。

 複雑なポイントやらは少ない都市近郊ではシンプルな盲腸線です。ただ、踏切もある路線なので、自動運転の完全なレベルではありません。

 関西万博ではアクセスに自動運転バスも運行されていました。

 運転手がいない!と不安になる人もいるかもしれませんが、乗り物の安全性という面では状況にもよりますが、今後ますますロボットや機械に任せた方が、ムラのある人間よりは安定しています。今までの電車、機関車では運転手になるのに大変な熟練も必要で、今後の人手不足を考えても、人間が自ら運転するシステムは早めに淘汰されないといけないでしょう。

 ホームドアの位置に合わせてマスコン、ブレーキを毎回どの駅にもピタリと停めるのは明らかに人間よりAIの方が得意なはずです。

 人間に任せるのは、災害などの緊急事態や、高齢者や障碍者への配慮、運賃や行き先、乗り換えなど細かい問い合わせへの対応ぐらいでしょうか。

 役所の窓口での申請なども、ゆくゆくほぼデジタルで可能になります。中での処理も今後ロボット化が進むでしょうが、(法律の改正など諸問題はありです)こちらもデジタル難民的な人への対応に人が要り、少しそういう対応に人は残ります。

 介護等含めてロボット化が進めば、社会の中で人間のやる負担は減ります。

 とは言え、進化の袋小路なのか、狭い道路は昭和以来の古い建物が立ち退かず、道幅も広がらないままで膠着しています。

 介護サービスもなかなか保険料は高騰するのに実態に合わない割には、業界は低賃金でブラックは状態が長く続いています。

 日本だと、タクシー業界などが、自動運転に反対します。

介護サービスにロボット導入というと抵抗する人かまた騒いで時間がかかるのでしょう。

 既得権益をもった業界や役所の関係者は急激な変化を嫌がり、上手く反対意見を盛り上げ粘ります。

「絶対反対」とか「暫定に」とか、「段階的に」とかで新しいアイデアをなかなか認めません。

 官民で連携して考えるべきは、AIに仕事を任せた時、人間がやるべき仕事です。

 自動運転の鉄道などでは、マスコンの操作は無理でも、人員は要ります。

 安全の知識があり、トラブル時の再起動などができ、鉄道会社への要望を聴くなど乗客への対応ができ、普段はひたすら運転台横に座って前面車窓とモニターに張り付けるだけの運転補助のような人が必要です。

「デジタル化は困る!ロボットに仕事を奪われては嫌だ」という人が反対すると、ますます未来は遠ざかります。

 子供の頃に想像された未来の都市が実現されるには古い家、建物やら、古い考え方を変えられない人は、申し訳ないけれど邪魔になります。

 しっかり補償して、未来的住居に移転してもらうことです。かつて高度経済成長期には今から思うと狭い団地や、ニュータウンがトレンドの憧れの住居だった時代があります。人気が出るような、住みやすい未来型住宅を作り、道路幅をまず自動運転に揃えることです。

 デジタル化の第2の波はデジタル難民が減った段階で、国のインフラ系の集中整備で、統廃合が必要です。 

 スマホがほぼ全員に行き渡り、使えるようになった時に、まずは電波の届くエリアをインフラ整備エリアとしてセグメントすることが、これからの限られた予算の投下には必須かと思います。

 私はローカル線や廃線跡など、古い街並みを見るのは好きですが、未来を考えた場合、朽ちゆくもの、要らないからこそ可哀想ですが選別すべきものがあります。