一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

大連立 少数与党でも大政翼賛会でも良い政治を

 少数与党に転落した石破自民党が、財務省ら官僚主導で密に立憲民主党と大連立を組もうとしているという噂が真しやかに流れているそうです。

 財務省びいきで、消費税増税のもしてきた野田佳彦率いる立憲ですし、石破さんとも政策で共通するところもあり、あながち火のないところの煙と言えなくもなさそうです。
 そんなことになれば今の国民注目の「103万の壁」論争で、国民民主党と協議してきた内容など完全に反故にされそうです。

 党則、主義主張は違っても政権を取るためには野合するイメージの大連立ですが、過去にも似たケースがありました。今の自公政権も広い意味では政権維持のために当初は主義の違う公明党を抱きこんで自民党が強固な連合を作ったのが始まりです。

 戦前の大政翼賛会はもちろん知りませんが、何度か戦後、大連立の話は浮上し、またそれに近い連立も組まれています。
 今の自公政権の元は、1998年自民党が参議院選挙で惨敗し、いわゆるねじれ国会となり法案成立が難しく安定した国会運営をはかるため、小沢一郎自由党と、その後公明党を引き込んだ自自公政権が今の自公政権の原型で、これはまあ大連立というよりは数合わせの意味あいが強かったです。自由党の小沢一郎は何かと小渕首相に要求して困らせ、すでに公明党の参加で過半数を取っていた自民党は、自由党を切り崩した上離脱させて、保守党という形で残らせ、やがて自民党に彼らも合流します。扇千景党首、二階俊彦や小池百合子はこの時に保守党経由で自民党に参加しています。自由党から保守党に移ったメンツも政権を手放したくない甘い誘惑に負け、一度政権の利権の甘い汁を吸った公明党はその後、主張をどんどん保守自民党寄りに変え今も政権にしがみついています。


 それ以前には1994年、あの30年前の阪神大震災の時の村山首相を生んだ、自社さきがけ政権という今聴いてもとんでもない政権を奪うためだけの野合政権がありました。自民党が下野した日本新党、新進党、さきがけ、公明、社会党などの細川連立政権時代に、さきがけと社会党がまさかの自民党に寝返り社会党の村山首班指名で政権を奪い返したのです。力技もいいところで、その後、社会党は離脱させられます。この辺になるともう歴史になるうかもしれません。
 自民党は、この歴史で見るといつも権力を奪い返すには手段は選ばず、時には主義も政索も二の次で数合わせに走ります。何とか、安定した政権を握りたいのです。悪夢と罵った民主党政権がこけて自公政権に戻り、民主党はバラバラにあり、安倍さんの第二次政権以降安定した盤石の体制が続くと思いきや、裏金問題や物価高などであっという間に転落でカオスの状態です。
 近年の政治体制でも珍しい、少数与党です。予算は通しにくく、委員会も野党に議長をいくつか取られ、何かあって野党が一致すれば不信任案が可決する、不安定な政権地盤です。まして石破首相は党内でも派閥やグループに属さない弱い地盤です。
 それでも、野党の意見を聞きながら、細々と政策を進めています。参議院で過半数割れや、衆院選での不利予想が出る際や、あるいは憲法改正など重要法案を仕掛けたい時、これまで「自社さ」「自自公」以外にも、自民党は野党との大連立を模索しています。小泉内閣時代に前原民主党、麻生内閣時代には小沢民主党に、それぞれ大連立を持ちかけています。民主党政権時代にも、東日本大震災の時に、菅直人政権で谷垣自民党と連携か連立してみればという話も出ています。
 いずれも小選挙区制の二大政党による政権交代を否定したような大政翼賛会、大野合のような企みで、現実には至りませんでした。民主党政権誕生の少し前、麻生内閣時代は、もう次の選挙で負けるのは分かっていたので、自民党は小沢代表を抱き込み実現寸前まで行っていましたが、小沢一郎が党に持ち帰えるや党内では真っ向批判され、結局破談となりました。小沢の思いとしては、今の民主党の若いメンバーで政権を担っても、当面人気はあっても、とても海千山千の官僚や外国相手にまともに運営できないので、一度自民党と組んでも政権運営の練習をして、その後単独政権に結び付けた方がいいという意図もあったようです。
 この話が本当であれば、民主党政権未熟からの崩壊、分裂を読んでいたわけです。ある意味、実現していれば、民主党の中で能力のないモノ、思想があまりに左巻きは淘汰されていたでしょう。自民と民主が適材でポストを担い共同して官僚にもモノを言い、より良い政策に結びついたかもしれません。そこは少し残念に思うところで、その中で多くの民主党議員が結局陰が薄くなり、自民党に仕切られるケースもあったでしょうが、切磋琢磨して、しのぎを削れば案外良い政権運営ができたのではと思います。

 今噂されるケースは、あまりにも官僚主導で、大連立を組まれ、国民民主あたりの積み上げたものが反故にされるなら大変なことです。枠組み自体は大きな指導力とリーダーシップを持つなら大連立はありかなとも思います。

 過去の連立や実現しなかった大連立の時代よりも、ネットによる市民の意見の醸成も顕著な時代になっています。
 憲法改正もやがては必要とは個人的には思いますが、今はそれ以前の課題が多すぎます。まず物価や景気賃金、社会保障の問題を落ち着かせ信頼を取り戻さないと、防衛や少子化対策すら進めないでしょう。結局、政治が淀み「民」を見ることがなくなり、税や社会保障の負担割合があまりにも上がりすぎて、多くの人の信頼を失ったのです。他の国なら野蛮な革命につながってもおかしくないのですが、日本人の多くはおとなしい事なかれで進んでしまった、でも不満、でも生活できない状態で政治や行政にNOがつきつけられているのです。
 大連立もいいですが、何かをきっかけに「民」を見る政治に戻らないと、静かな沈没は止まりません。

 


 

2025年イヤな感じを吹き飛ばしましょう

 正月休みが明け、成人の日に祝日も終わり、いよいよ日常ペースです。
 今週は17日が阪神大震災から30年の節目の日、と思っていたら宮崎でも大きな地震のニュースが入りました。昨年の元日の能登半島地震もなかなか復興が進まないような気もします。
 阪神も東日本も季節的には寒い時期で、体調も戻りにくく、イヤな感じです。
 あまり煽るように最高レベルとは言いませんが、インフルエンザ、コロナ、それに呼吸器感染症が流行しているようです。
 私も年末に家族がインフルエンザになり、自身熱はそうでもなかったのですが、平熱に戻ってもしばらく咳と痰の出る上部咽頭炎のようで不調でした。

 2025年ということで、西暦の1の位に5のつく年は10単位の周年になります。1945年が終戦の年ですので、戦後80年でもあります。
 もうモノごごろついた頃の戦争を知って語れる人がどんどんいなくなってこれはこれで、問題もあります。関西であの阪神大震災を知る人でももう30以上なのですから、時の移ろいは早いものです。 

 還暦も過ぎると、たいていの人が一度は入院など重い病気を経験し、自分の身体の特徴、弱点のようなものは知っているのではないでしょうか。
 人生の恩師、先輩や上司の世代ばかりか友人もどんどんなくなっていく世代で、それだけに身体のこと、健康やメンタル、そして自分の軌跡が気になるものです。

 そんな節目的な年ですが、相変わらず政治も経済、国際情勢も、景気の良い話も幸せそうな話題、平和なエポックも聞こえてこないです。

 大阪・関西万博はありますが、あまり盛り上っては来てません、始まれば盛り上がるとは言われますが、ここから上げてこれるでしょうか。

 若い方、高齢の方もそれぞれの人びとの中で、自分の軌跡を見つめ、今年に期すもの、やりぬきたいことが実現でき、夢がかなう年になりますように前に進みましょう。
 そうすれば社会も経済も前に進みます。
 そのために少し我慢したり、いつもより考え、調べたり、相談したりして頑張ってみようではないですか。自分さえよければ、自分だけ逃げ切ればいいいのではないです。少しでも回りの人を助けられればと思うことが大切です。

 世代も世相も「順風満帆」とはいえません、追い風だけを期待して愚痴ってもはじまりません。逆風を利用してうまく波を読み角度を利用し舵を取り、前に進むことはできるそうです。「逆風張帆」というそうです。前に進む気持ちが大切なのです。

サイズ小さく、品質を下げてまで値上げしないのも困る

 良い商品があって、生産者、卸も小売も儲けて、手ごろな価格で売れればそれに越したことはないです。

 しかし、原材料費や人件費、円安などさまざまな要因で、物価が上がっています。主食のお米は昨年の夏以降、5キロが以前の10キロの値段で倍ぐらいになっています。
 それでも入手できた新米のブランド米はやはり美味しくいただいています。

 他の食料品、加工品も生鮮も右肩上がりです。加工品は一度上がれば下がることはないでしょう。野菜や魚、肉は乱高下しますが、今はキャベツなど冬野菜が高いなどとニューストップにもなっています。毎冬買うみかんも1.5倍ぐらいの価格になっています。

 米やみかんなどは、多少のグレードはあっても、その年の出荷ですし、見た目でチエックしやすく水増しも、安物混入も比較的難しいので価格をそのまま受け入れるしかありません。

 サイズのわかりにくいパックされた、加工品、半加工品はダウンサイジングという手で、値段は据え置きに近くても量が減っていたりして、少しタチが悪いです。

 もっと、タチが悪いのは、勝手に品質を落とした安い材料にされてしまうケースです。原価がどれくらいかわかりにいくいもので、真面目に同じ商材で作っていると相場通り高くなるので、どこかで帳尻を合わせてしまうケースです。

 ピザやラーメンが500円のまま、コンビニやイートインコーナーの珈琲が100円のままなのは価格的に助かりますが、品質が劣化していては困ります。

 コンビニの珈琲も100円で挽きたてが最初にセブンイレブンで販売された頃、喫茶店のものとそん色ない味で重宝していました。今は少し値上げしましたが、珈琲の相場はもっと上がっており、喫茶店の珈琲は3割以上上がっています。年末に奮発して買った、実家の商店街にある行きつけの珈琲店の豆は確かに美味しかったです。これを呑んだあとは、最近のイオンやコンビニの安い珈琲はもういけません。

 珈琲は本来、薬効があるほど、健康的な飲み物です。香りやコク、苦みなど、品質により絶妙な味のバランスもあります。劣悪な豆は混じっていても、豆のままをじかに見る機会がなければわからないですが、ディスカウントなどで売られていた安い豆は、病気の豆や劣化した豆が混じっていて、薬効どころか身体にも悪く、香りや味も楽しむどろろではなくなります。

 値段を決めるのは難しい問題です。安く維持されても、品質が落ちて行けば困ります。鶏卵が物価の優等生と言われた時期もあり、最近は少し値上がりしましたが、ずっと安いままの頃鶏の環境は悪化の一方を辿り、栄養価はどんどん落ちていました。
 コンビニやイートインの安い珈琲もそこに似たような感じがあります。
 値上げは生活には厳しいですが、健康に悪いモノが出回るのは最悪です。世の中のいろんなものがそういう感じは困ったものです。

時代劇かサッカーか

 子供の頃、三菱ダイヤモンドサッカーという番組があって、関西だとUHF局で細々と放映していました。ワールドカップやイングランドリーグ(現プレミア)の試合をリアルタイムからは大きく遅れて(半年以上などもザラ)しかも前半後半に分けて45分番組でやっていました。子供には野球人気全盛の頃でしたから、コアなサッカーファンでないと見ていなくて、戦術もテクニックも今とはだいぶ違いますが、芝生もキレイでパス回しや、シュートの精度などは今見ても面白いレベルだったとは思います。
 親や兄弟、祖母などとチャンネル争いしながらの観戦でした。大河ドラマもですが、昔は時代劇や戦中のドラマも毎日のように各局でやっていました。

 今は時代劇は衰退し、歴史ものというと大河ドラマぐらいになりました。

 今回の大河も、いろいろ物議を醸していますが、非常に若い人気の俳優が出ています。それでも、食事時に見てると子供世代は見向きもせず、DAZNなどで欧州サッカーを見ていました。
 チャンネル争いはないですが、少し別の嗜好も話しながら家族でテレビを見るということが無くなった時代で寂しいような感じです。
 時代が移ったなあとは痛感します。

牛飲水為乳、蛇飲水為毒「巳年、禅の言葉」

「牛飲水為乳、蛇飲水為毒(牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる)」という禅の言葉があります。
  同じ水でも、牛が飲めば乳となり、蛇が飲めば毒に変わる。 転じて、同じものでも使い方によっては薬にも毒にもなるということです。

 会社や大きな組織でが、業務を誰がやっても均一したクオリティ、同じ所用時間にするためのシステム構築やマニュアル化が進んではいます。

 しかし、ある程度相手があり環境を読む有機的なプロジェクトなどでは、Aさんに頼んだ時、Bチームに頼んだ時、外注のC社に頼んだ時によって結果、成果は大きく変わります。

 社運や人生を賭けた選択、そこまで行かなくても小さな選択場面で、その人それぞれに与えられた素材をどう味付けするかで、局面は替わり、結果は大きく変わります。
 何を与えられても、決まりきったやり方でやっつけ仕事しかしない人は、チャンスを逃し、ミスを見落として、組織に不利益を与えます。

 同じ食材を使っても、一流の料理人と、素人では全く違う料理になるのと同じです。

 現代は、一見マニュアルが進み誰がやっても同じに見え勝ちです。
 だからこそ選択の場面は重要になります。
 他人より一歩進んだ、気の利いた仕事をしたいものです。
 組織の毒にならず、乳を与えられるか、巳年ですが禅の言葉では蛇は悪役です。

公務員なら37年も続けられなかっただろう

 会社時代の上司が、年賀状に「前立腺がんで4カ月半入院した」と記されていました。電話をしてみると。大変感謝され懐かしがられました。
 しかし、まあ若くして切れ者の本社エリートから関西地区の総責任者となり社長候補の一人とまで言われた方でしたが、声や話の内容はさすがに老いた高齢者のものでした。
 10年ぐらいの先輩やそれ以上の方は、激務をこなしながらも60歳で定年で少し楽な延長をして優雅にリタイアされている方が多いです。この上司の場合は職階も上ですが、10年くらい上の世代になると、退職金や年金の額も違いますし、関連会社も含め、終身一企業でしか働いていない方が多いです。

 平均寿命も違いますが、先輩方も定年後優雅な年金生活と思われても、楽しむ期間は意外に短く、鬼籍に入られたとか、患われている方もよく聞きます。

 65歳にして、「裁判所でフルタイム事務官やってます」などと言うと、驚くあきれられる反応がよくあります。

 私の場合60歳で、再雇用は選ばす民間企業を定年で退職しました。同年代にも、そのまま勤め無い人もおれば、再雇用の道(役員や、定年なしの会社の人も含む)を選んだ人もいます。私は65歳の今の年度まで5年別の仕事で働いたことになります。
 アルバイト含め、こういう働き方の人もいます。もちろん、自営業など、まだまだ働いている人もいますが。大学を出て37年の60歳、42年の65歳区切りをつけた方は多いでしょう。
 42年同じ会社という方にも尊敬と驚きに値しますし、その方はそれが当たり前と卒業されたのでしょう。
 私が37年で定年でも、いい加減長い間という感じでした。プラス、5年の中で今は裁判所公務員の2年目です、年金事務所も公的機関なのでみなし公務員とも言えます。37年民間企業で5年公務員のようなものです。

 公務員的難しさ、楽さや良い面もありますが、大卒でそのまんま公務員だったら37年は勤まらなかったとは思います。今やってみて公務の新鮮さと面白さ、合っている面もありますが、やはり長くは無理です。飽きます。高校、大学時代からもっと勉強して官僚とか裁判官とか検事、公立施設の仕事とか目指すなどというのは、も生まれ変わっても間違っても選びはしないでしょう。

 民間企業だって、大手とは名ばかりでカネボウという会社はブラックで入社した時からもう経営は傾き破綻の道でバブル時代の恩恵もありません。公務員よりは賞与も給料も少ない時代が長かったですし、倒産しそうになり賞与が止まり、給料一律減額という時もありました。
 それでもやはり自分は企業で売上を伸ばすためとか、企業業績のために、いろいろブランドやマーケティングを身につけて、提案のスキルを磨き、仕事してきたのが一番性に合って、輝いていたとは自負しています。

 でも人生はいろいろです。この年になって公務を選んだ人と、出会い関わったことは本当に良い経験でした。
 今年は66歳を迎えます。健康寿命というといろいろ考えないといけないですが、これからも何が起こるのか楽しみです。

還暦からの人生戦略

 知の巨人とも言われる同志社大学神学部佐藤優さんが、アラカン世代に向けて書いた本です。彼の本としては気取らず比較的分かりやすい内容です。
【紹介文より】
 最高の人生にするための“還暦後の設計図”を提示します。「人生百年時代」となり、還暦以降の時間をどう使うかが大きな問題となってきます。漫然と死に向かって時間が過ぎるのを待つのか、生あるうちにできることを追求するのか――。誰しも、自分の生涯を充実したものにしたいと思うはずです。それには、還暦をすぎた時点でお金、人間関係、教養などの棚卸しをして、この先に備える必要があります。また、死にもいっそう近づくことから、確固とした死生観を持ちたいものです。

 働き方やお金の使い方、貯め方というのはこの世代向けに他の人も良く書かれているので、さほど真新しくもないのですが、なかなかこの世代の人は本当に満足し幸せになる設計をにわかにと言うと難しいものがあります。

「老い」と「死」あるいは「病」といった受け入れづらい、宿命と向き合う世代です。どんなに願っても活気に満ちた若い世代には戻れないのですが、いかに老いに向き合い、楽しんでいくか、かく言う私も60歳、65歳と節目の時期や、時折寂しい気持ちに苛まれます。

 リタイア後、毎日が日曜日、旅行にも気楽にいけ、趣味に時間が費やす優雅なシルバーライフという方もだんだん減ってきています。退職金も年金も少し上の世代に比べ大きく目減りもしています。寿命が延びていると言われる割には、働ける環境もなく目標もなく、何年かすると急に老け込む人、健康を害したりする人もいます。
 メンタルでも、自分の生きてきた時間や、今の時間も、これからの時間も何だか、価値のないどうでも良いものに思える時は誰にもあります。

 でも、それは気持ちの波のようなもので、何かに打ち込むとふと忘れていたように、良い方向に過去も現在も未來も見えてくるときが来ます。
 スピリチュアルな宗教的依存ではなく、禅的な感じで心を整えていくことも必要な時期かと思います。

 過ぎ去った時間など、戻りようがないことを考え悔やんでも仕方ないし、無理に良かったと思い込んでも、今からの未来にはつながりません。
 今ある、お金や健康、能力、人間関係をざっくりでもいいので棚卸してみて、これからどういう風に生きるか考えてみることも大事です。
 ファイナンシャルプランナー的な、設計です。棚卸はある程度客観的にすべきですが、考えることは楽しく、好きなことをやるには、どう取り捨て選択するかを楽しみながら考えればと思います。

 みんな決して楽には生きていないですし、なんだかんだ苦しんでそれを乗り越えています。
 お金のこと、健康のこと、寿命のこと、しっかり前を向いて備えた方が結論としてはいいに決まってます。こういう本や、このブログみたいな文章の提案内容がいいのかは別として、考えずに、何事にも備えずに悩み落ち込むことは避けましょう。

不満が多いのは税割合が高すぎる、五公五民

 キャベツやコメも大きく値上がりし、生活が苦しいのは、江戸時代の「四公六民」を凌ぎ、「五公五民」とも言われる重税が原因です。実際、全国民の所得に占める税金と社会保障費の割合を示す国民負担率は2022年に48.1%に到達。以降も5割近い水準で推移しています。その国民負担率の中身をみれば、控除が縮小、復興特別や森林環境税おかしな名前の税など、これ、なぜ取られるの?と疑問になるものも多い……。

 サラリーマンの給料から源泉徴収される税金や社会保険料は、ひっそりと天引きされていることから「ステルス増税」との批判も根強い「103万円の壁」を178万円に引き上げろと国民民主党が訴えると、政府からは「7~8兆円の税収減となる」と懸念の声が上がり、地方首長からも「自治体財政が破綻する」などと反対論が巻き起こったわけです。

政府与党も地方も「税収が減るから大変だ、大変だ」と、税金を取る側の話ばかり……。減税によって手取りが増えれば消費が増え、経済が活性化して税収も増えます。ところが、7~8兆円の税収減という試算は自然増収を完全に無視して、減ったものだけを計算しています。

 たしかに反対している人の中には、浪費家やギャンブル依存などの人も一部はいますが、多くの年金生活者も現役時代からは切り詰めた生活をし、貯えを切り崩しながらも、この物価高には爆発しそうです。教育や住宅ローンを抱えた人も、切り詰めていても食費に回るお金がなくなる、自分の家庭で使っているお金なので非課税や生活保護にも該当はしないが、給料だけでは極めて厳しい人が増えています。せめて手取りをと言って103万円の壁の撤廃に期待しをても「財源がない」??と新たな税負担が増えれば同じです。

 まともに考えない、政治家、財務省はまずは、税と社会保障を所得の3~4割に抑えて、その収入を厳しくとっていいのでその範囲をシェアすればいいのです。各省庁に紐付けし過ぎた予算は結局肥大化して、徴収や分配段階でも手間も時間もかかり、誰も得をしてしていなのです。

 ここはあまりにも民の負担は多い、そして年金の支給でい言うと実質の所得代替率がこれまた低すぎる結果につながるのです。

 年金が月7万、15万、20万といってもそこから引かれては現役時代とは大きな差です。年金生活者に税負担など本来なしでいいぐらいのはずです。

 こんな当たり前の図式を分からない官僚や政治家何とかならないモノかと思います。

それでも頑張って欲しいオールドメディア

 このところ、いろいろな問題で記者クラブやテレビ局などの古いメディアをはじめ、古い業界や役所など守旧的老害に批判的なことをいいました。アメリカのGAFAなどの新しい企業がぐんぐん伸びるには老害への忖度批判は必要なことと言われれるのは当然です。
 規制や既得権の多い日本だからなのですが、それはそれで古い組織もしっかり頑張って欲しいということです。

 業界の団体というのも、そこを守る法律や組織というのも最初は、悪徳なところが蔓延らないよう、零細業者や国民の利益を守り、健全な業界にするためだったのです。
 テレビとネットを比べて、「オールドメディアが悪い、古い事実を伝えない」というのも真実ですが、無くなればいいものではないのです。ちゃんと機能して、正しい報道を忖度なく、伝えて欲しいのです。ネットは事実もあるけれども、無秩序です。地上波テレビに権威が全く無くなり、ネットだけが、ニュースや娯楽を配信する時代になっても困るのです。それはある意味今よりも無秩序過ぎる危ない時代になります。
 だから自主規制もしっかり判断し、表現の自由もギリギリまで議論して良いものを伝え、作れるメディアであって欲しいのです。
 政治団体、業界団体、〇〇業組合、農協や医師会なども、ひどい内容だとは聞きますが、やはり組織の下部の人には大事なのですし、その業界がその下部の人を守って欲しいわけです。

 ジレンマではありますが、そこはちゃんとやって改革していって欲しいのです。新聞をみんなが見て、家族そろってテレビを見た時代は戻らないかもしれませんが、無料の地上波テレビの内容が良ければそれに越したことはないのです。

地上波テレビ局終わりの始まりの年 – 天使の星座

壊さないといけない古い組織が多すぎる – 天使の星座

NHK紅白は今さら必要? – 天使の星座

書評:木住鷹人「危険球」 京都関連受賞作 古都と野球

【紹介文より】夏の甲子園出場をかけた京都府大会決勝。木暮東工業のエース投手・権田至の投げたボールが、境風学園の強打者・仁科涼馬の頭部を直撃した。「あんな球、避けられるでしょ」少年はなぜそのような突き放した言葉を放ったのか?
 鮮烈な京都青春物語と銘打たれ、京都文学賞の受賞作です。この投手と打者だけでなく、関わった審判、両校の友人、双方に感情のからむ女性らさまざまな人間関係が描かれ引き込まれます。

 何より、その投球と言動の「なぜ」が明かされる過程は、ミステリの謎説きめいた面白さもあります。また野球のルールや審判の苦労なども描かれ、野球ファンの視点からも楽しめます。そして「東寺と西寺」「衣笠球場」「伏見の酒蔵」など京都の文学賞狙いっぽい巡りも一興です。

 私も個人的に戦後間もない、京都にタイムスリップする小説を書こうとしていて、衣笠球場は題材にしたかったのですが、ちょっと先にやられたかなと思います。ここの知識が立命館大学に行ってる人にはそう珍しいものではないかもしれません。

 ネタバレになりますが、ゲームやルールとしての野球の展開がもう少しあっても良かったかなと思います。やっかみ半分ですが、もうちょっと深堀りできることも多いのではとも感じました。秀作であることには間違いないです。

 同時期に書店で並んでいる「スピノザの診察室」夏川草介の方は、京都「本」大賞なんですが、さすがにこっちはプロ経験も長い、やはり洗練もされていて、感動度合いとほのぼのもあり、京都情緒もいいです。こちらも超おすすめですね。

 今はたまたま冬ですが、京都というとやはり夏ですね。両作品とも何だか、じりじりするような夏の京都がイメージされます。