一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

訃報や喪中便りに思う

 11月末あたりから、年賀状の断りのハガキがチラホラくる時期です。年賀状そのものが減ったとはいえ、ご丁寧な対応です。

 若い頃は友人からだと、祖父母のケースが多かったのですが、最近は父母の場合が増え配偶者というのもありました。

 そして、同世代の方が鬼籍に入られたということで、年賀状のリストから消すこともあります。

 1年を振り返って、著名人の訃報をまとめた特集などもあり、寂しく思うこともあるかもしれません。今年でもプロ野球の大スターだった長嶋茂雄さん始め多くの有名人が亡くなられています。

 同年齢の方が、今自身が患っている系統の病気などで亡くなられると、「次は自分か」などと思ってしまうようです。あるいは、その有名人が活躍した時代、自分も若く元気に満ちていたと戻らない時間に切ない感情にとらわれます。

 しかし、まあそんなことを寂しがってもしょうがないのです。有名人や知人といっても、過去であり、他人であり、今の自分ではありません。

 今直接一緒に利害があって何かをやっているわけではないでしょう。

 しょせん人間は今をこれからの未来に向けて歩むしかないのです。

 今はそのものも減った年賀状に子供や孫の写真を印刷する人がいます。人それぞれですが、子供のいない人の中には不快な印象の場合もあります。

 子供がいる、孫がいるというのは一つの属性かもしれませんが、その人本来のプロフィールではありません。

 本人が心身の状態がどうで、どういう考えを持ち、何をやっていて、次はこういうことをやりたいとかいうことが、本来伝えるべきプロフィールです。

 人間か過去にとらわれると未来の希望をなくします。

 過去を上手くまとめ、どんどん新しい経験を積み重ねて新しいことに取り組む方が良いのです。

 そう考えると、す人生の目的が見えるかもしれません。

 

戦争はルールのない喧嘩

 戦後80年という年があと少しで暮れそうな時期になって、どうもきな臭い情勢です。

 戦争も辞さないという保守と、あくまで戦争そのものまで否定するリベラルのかみ合わない論争は過去にも書いています。

 しかし、心配なのはナショナリズムの煽られ方です。嘘でも真実でも、ある国の政治体制が悪い、◯国人が信用できない。それは真実相当性があるのでしょう。

 けれども、この雰囲気の中、次に何らかの事件がもし起こったとして、それがその国が犯人なのか、その国に見せかけた開戦派、軍部なのかは結局、わからないのです。歴史的にも、たいてい開戦のトリガーは陰謀です。

 それでも勝てば官軍、歴史はいいようになります。

 このナショナリズム世論の後押しの怖いのは、止めるタイミング、休戦の水面下の交渉が難しくなることです。

 世論に嫌われる唾棄すべき国にも外交のパイプはつないでおかないと、休戦の交渉のテーブルさえできません。

 昔は騎士や武士が名乗りを上げて尋常な戦いをしていました。

 火器を使い始め、無差別な攻撃も始まり、戦争の被害は時代とともに増えました。それでもルールが皆無な戦いではないのです。

 ウクライナでもガザでも交渉はあります。戦争はルールがない喧嘩に見えますが、やはり国際法や暗黙のルールが存在します。

 その境界をギリギリ破ってきたのが、過去の勝者でもあります。

 戦争はただのガチ喧嘩ではなく、どこかで密な交渉がなされます。

 兵力、国力以上に世論を誘導したしたたかさも必要です。国民も賢くならないと、悲劇が繰り返されるのです。

https://seizafpkotodama.com/?p=14473

行列に並ぶのは下品 食事を写すのもマナー違反?

 私もですが、ついつい外食で、写真を撮ってアップしてしまう癖がついている人は増えました。

 まだ定年前の10年ぐらい前だは、男の私が料理の写真を撮ると「あれっ?何してる」と見られ、写真を撮る人の割合は少なくSNSに上げると言うと奇異に見られました。

 よく考えると、あまり上品な行為ではありません。お店も宣伝になるから慣れてはいますが、本来はあんまり見せたくないホンネもあるはずです。

 そして、みんなラーメン屋など、一度ブームになるとか、地域初出店だとやたら並ぶのです。

 グルメだけでなく、芸術、万博やテーマパークでも、みんな平気で長蛇の列に並びます。

 スマホもあると、動画見たりゲームで時間は潰せますが、待っているのは真夏など特に苦痛のはずですし、非生産的時間です。

 私は商店街に生まれ育った店屋の子なのですが、よその店に並ぶことは、親からは禁じられていました。

 混んでいる時には、その店に行くなということです。

 お店がてんてこ舞いな時に、さらに並ばれてもイヤだろうし、空いてる時間に行くのが礼儀だとされ、いずれにせよ、そんな時はサービスも低下するからです。

 京都でも、行列が当たり前の和菓子や中華等が増えましたが、地元民には微妙です。インバウンド用のメニューにしているところもありますし、次から次にお客さんが来て、入れ食い状態になれば、悪気はなくてもサービスは落ちます。

 予約のシステムも増えて来て、飲食は本来行列無しで成り立つはずです。

 新規開店などで、サクラの行列を見て、良い店と思うのは愚かです。本来、並ばせるということは、お客さんへの的確な対応がなっていないということです。

 新規や奇異をてらうのに飛びつくのは、少し恥ずかしいと思う人が増えれば何かと町が落ち着くと思うのです。

 並ぶのに慣れた人はちょっと困りものです。ほっとけと言われそうですが、品がなく恥ずかしいし、時間的にもムダな行為だという考えがあることはわかって欲しい点です。

 行列ができる店というのは、上品な人が避ける店です。

都会でも生き残っている商店街は一部[回想昭和①]

 こちらは先日訪れた大阪の下町商店街。かつてはアーケードや舗装等からも賑わっていたのが想像できます。

 私は京都市内、ど真ん中の町家、商店街の店舗付き住宅に生まれ育ちました。今は実家は両親も亡くなり廃業し、売却しております。

 それでも地元の友達らの残る商店街は世代交代しながらも、個性ある店を入れたりして、健闘しています。

 もちろん、かつては生鮮食料品や日用品を買う人で夕方は賑わい、今頃の規制、年末は現代のインバウンドいっぱいの観光地なみに混んでしました。

 昭和40年代から50年代、コンビニやドラッグストアもまだなく、大型のスーパーも少ない時代、間違いなく地元の商店で誰もが買い物をしたのです。

 かつては、どこの地方都市にも活気のある商店街や市場があり、バスや自転車で遠くからも買い物に来られていました。

 電気屋さんや、薬局が、量販店に勝てなくなった理由はすぐ分かります。

 思い出してみると、お米屋さん、酒屋さん、タバコ屋さん、八百屋さん、豆腐屋さんなど、果物や鶏卵、豆などの専門店、今は見かけない業種のお店もたくさんあって、賑わいを支え合っていました。

「スーパーのが、ワンストップで何もかも揃う、コンビニのが便利、ネットショップでいいじゃない」の声もしょうがないのです。

 昔は1つの地域でお酒やタバコ、お米などは免許などで決められた店でしか買うことができない独占だったのです。家電や薬、化粧品なども業界団体があり、メーカーもあそこにもどこにもと、卸すことはしませんでした。

 取扱も価格設定も、規制緩和でほぼ自由になると、大手でないと生き残れない時代が来ます。

 メーカーや卸の立場でも、イオンだとか、セブンイレブン、マツモトキヨシ、Amazonだとか、たくさん買って売ってくれる企業体を有利な条件にせざるわ得ません。

 世知辛いですが、メーカーは商品価格も、提案もときには商品開発まで、大手を優遇してしまいます。商店街や住宅街にある個人経営のお店など、下手するとポイント値引きした後の大手やAmazonで売ってるよりも高い値段で仕入れさせられています。

 メーカーに勤めている時も、取引条件は、会社の利益と売上に関わり相反する時もある極めて難しい問題でした。

 たくさん買う人を優遇することが、結果的には小さな町の商店を淘汰してしまった。廃れた商店街を見ると、それだけが原因ではないでしょうが、そこここに賑やかな時代の栄華が見えて哀しいものです。

 子供の頃、12月は近所の商店街の大人達もかきいれ時で殺気だっていました。週休2日どころか、休みなしでみんな頑張ってました。

 ちょっと景気が悪いと、「正月のお餅やおせちも買えない」とハッパを掛け合っていました。

 ちょっと重たい回想ですが、別の切り口でまた別の機会に続きを書きます。

Jリーグも観客動員最高更新して終了

 1993年華々しくスタートしたJリーグ、バブルが弾け低迷期、コロナからも回復してJ1過去最高の800万人の観客動員で2025年シーズンが終わりました。

 NPB.日本のプロ野球も一足先に、ポストシーズンの日本シリーズも含めて終了し、こちらもセパとも過去最高の観客動員だったようです。

 チケット代金や飲食も値上がりしている中、グッズもよく売れてビジネスとしても成功しています。Jリーグの理念、地域の活性としても成功しています。パ・リーグなども昭和の時代はガラガラでやっていました。セ・リーグでさえ、巨人以外の球団は巨人戦と優勝でもかからないと、満員になることもなく、余裕で当日チケットを買えました。

 パ・リーグの最下位のチームや優勝の可能性の無くなったサッカーの、いわゆる消化試合のチケットが取りにくく、何万人ものファンが集まりユニフォームに身を包んで応援するなど、昭和、バブル期でも考えられないことでした。

 景気が悪い、物価が高いと言いながら、スポーツ観戦、推しの趣味にはお金を使う心理なのです。

 一つにはマーケティング手法、消費者心理まで研究した経営戦略が身を結んでいるのでしょう。

 景気が悪く、ストレスが多く、自分の身の回りがままならないほど、スポーツや娯楽で発散する行動なのでしょう。

 ロサンゼルスまで行っての大谷さんの応援ツアーが売れるのも、何ともうらやましいようなビジネスです。

 なけなしの大金はたいて生活の困窮してたら、合法的ですが、お金の減り方は悪質な詐欺商法と変わらないくらいです。

 オリンピック含めて、スポーツに熱くなりすぎない人は、その分は少なくともお金と時間が貯まる気がします。

昔イメージの未来の食はグルメの対極

 昭和のSFのドラマや映画で描かれた未来の食事は、宇宙食のように簡単に食べられるイメージでした。

 宇宙船内では重力の関係で、パックから吸うような、今のゼリー飲料、固形や錠剤でもバランス良く栄養が取れて味付けされ空腹が収まるものが想像されていました。

 ウイダーやカロリーメイトなどの感じですね。今もモーレツに働く高市総理はそんな感じでしょうか。今だとブラック企業が、24時間戦えますかと昭和では栄養ドリンク飲んで働いて働いて働いて働いて働いてのモーレツ社員もいました。

 動物は食事を味わうことはなく、必要な栄養を危険を避け、そそくさと取り入れます。交尾も危険を避けて手ばやく済ませます。

 人間もかつては飢えさえ、しのげば満足だった時代が長かったはずです。

 貴族や富裕層から食事を贅沢に楽しむようになりました。

 昭和の頃あるSF作家は、未来の食事を宇宙食のようになるのかと言う質問に、真逆の回答をされていました。

 手間暇かけた味や見栄えが良く、栄養は少ない食事を、時間をかけて味わうようになる。と正鵠を得た予言をされていました。性行為が、妊娠のためではなく、営みを楽しむためだけになってきたのと同じようにと、不適切なタブー的発言もありました。

 今は庶民でさえ、有名なラーメン店やらには行列を作り、ちょっとしたイベントの後では家族や仲間で豪華なディナーを囲みます。

 人間の社会が豊かになり、油断していても大丈夫な世界になったのは喜ばしいことでしょう。

 熊の出没などは、自然界が驕れる人間へ警鐘をしているのかもしれません。

 

鉄印帳、三セク地方鉄道を応援

 乗り鉄、ローカル鉄道と廃線探索好きですが、それほど几帳面な性格ではありません。

 撮り鉄とは程遠いカメラ技術ですし、切符などの収集を、スタンプ集めするほどマメな細かさも持ち合わせません。

 いろいろやりだすとゆっくり楽しめないこともあります。

 ローカル線の撮り鉄など、待ち時間も大変ですし、クルマなどでないといけない場所で長く待つのも、本来の鉄道好きとはちょっと違う気がします。

 あまり、鉄道のその情景というは、モノとして残りにくい、伝えにくいものというのもあります。

 ただ、大変遅ればせなからですが、全国の第3セクターの鉄印帳を始めました。

 お寺の朱印帳の鉄道駅版のようなものです。書き置きや印刷もありますが、本体を持っていてその駅までの切符を持ってないと書いて(売って)貰えないものです。

 対象のローカル鉄道の駅では、けっこう目的にされて先に待っている人にも出くわします。

 時間的には贅沢な趣味かもしれませんが、経営では相当厳しい元国鉄の赤字地方ローカル線転換がほとんどなので、協力してあげたいと思います。

 もっと、先にやっとけば、あそこであの時貰えたのにと思うところもありますが、それはそれで再訪する運命と思い頑張ります。

 

都会の人も田舎の人もわがまま

 北陸新幹線、西九州新幹線等の整備新幹線、あるいはリニア中央新幹線もですが、推進と反対の利害が激しく対立してなかなか進みません。

 外交などもそうで、政治とはそういうものかとも思いますが、国の未来を思うと交通インフラの店晒し、先送りは残念です。

 都会であれ、地方であれ、自分の生まれ育った街、住み慣れた街が大事なのは分かります。

 それぞれの地域の意見は、間違いではなく、そもそもゼロか1かの議論ではないのです。

 全国に高速道路と新幹線網を巡られて、地域格差を無くし強靭で豊かな国土を作ろうというのは、1970年代に田中角栄ら政府が描いて決めた国家戦略です。

 その戦略の推進によって、戦後日本が発展したのは間違いありません。その後オイルショックやバブルの崩壊で、戦略は完遂されないまま、少子高齢化で人口は減少し、都会と田舎の格差はまた広がりつつあります。

 50年以上前の計画なので、見直しも必要という意見も間違いではありません。

 しかし、都会と地方の格差をなくすという考えは、過度に集中した現在の首都圏などを考えると、少なくとも全否定されるものではないでしょう。

 東京が政治、行政、経済、文化の中心で官公庁が集まり、企業の本社が集中するのも、以前はそれが便利で企図されて進みました。

 ネットの時代で、オンラインで申請やら何でもできるに、もはや多くの会社や人が集まるのに、いつまでも首都圏にこだわるのは何だかです。

 首都機能分散もですが、条件をつけて、もっと半強制的に地方への移転を推進すべきとも思います。

 インフラ整備でいうと、地方都市でも財政は厳しく、過疎地域へ回すのには限界があります。地方都市を住みやすくして、インフラ整備をできる地域をセグメントすることも必要でしょう。

 山奥や離島などの人には厳しい話に聞こえますが、ほっておいても、間違いなく来る未来です。

 御高齢の方とかで動きたくないという人に嫌われても断行して行くべきです。お金があるうちに、しっかりと新しい居住地に住める厚遇と補償をしていくことです。いつまでも限界集落のインフラや危機管理に税金を投入しているよりは、実は劇的に効率が良い税金の使い方なのです。

 大都会が便利、田舎暮らしで良いというのは両方とも慣れからくるわがままです。昔の日本では、もっと開拓精神で移住なども受け入れられていました。

 大都会で最低賃金でブラックに働くぐらいの仕事しかないとか、限界集落でインフラの劣化にボヤき続けてる人らを整備新幹線の停車駅近くで、工業や1次産業、流通拠点から商業、医療介護施設などの仕事とネット環境やらが整った住宅に計画的に住まわせるのです。

 新幹線や高速道路の交通インフラはそれらと産業に合わせて、次の未来を考えて推進すべきです。それぞれの地域の今の人にアンケートしていても決まるわけがないのです。

怪異!事故も幽霊も今は昔?

 今は合理化で複々線高架下の無人駅となった駅に、昔は夜な夜な怪異が起こったというお話を聞きました。

 関西の大手私鉄、今は合理化で無人駅も増え、トラブル時はインターホンで対応を問い合わせるシステムのところが増えました。

 自動改札はかつては、熟練の必要だった駅員の入鋏作業を無くし、ICカードが主流となって駅で切符を現金で買う人すら激変しました。京阪も小さな駅は自動券売機すら休止されました。

 戦前の話、その怪談に、当時は終電が終わった後に、宿直の駅員が切符と現金を数えてから仮眠に入ったという状況が語られます。

 しかも、高架ではない当時あった近くの踏切では、無残な礫死体の一部が回収されずに残っていて、、

 ところからの恐ろしいお話です。

 そんな駅の宿直室で真夜中一人なんて、それが出なくても、怖いです。

 踏切が減り、ホームドア設置も増えて、宿直も無論なく、現金も扱わなくなり、もちろん昼間でも駅員は配置されていません。

 今なら、連絡インターホンが押されて、幽霊が何か恨み言を伝えるのでしょうか。

刑法39条の功罪

 画像は円谷プロの昭和特撮ドラマ「怪奇大作戦」の中でもトラウマ級の封印作品。

 依頼のあった人間を一時的にわざと狂人にして、恨みのある人間を殺し精神鑑定で責任能力無しで無罪が確定してから、元に戻すという、とんでもない犯罪のお話。

 そんな作品を思い出させるような昨今の世相であり、報道のスタンスも人権グループやマスコミに忖度で及び腰です。本当に50年も前のドラマのアイデアを使う悪人が現れてもおかしくなさそうです。

 東京都足立区で37歳職業不詳の男性が展示車を盗み暴走させて何の罪もない歩行者二人を死に至らせました。

 一部の人権グループなどの弁護士が、マスコミにも圧力をかけて、最近では匿名はおろか事件も取り上げなくなる異常な状況です。

 刑法39条により、精神疾患を持つ人は心神喪失だと刑事責任なしで無罪となる可能性が高いとはいえ、被害者や遺族の無念さを思えば理不尽な話です。

 知事や市長のスキャンダルは根掘り葉掘りと膨大な量を繰り返し取り上げるマスコミが、ちょっと精神的な病歴があると忖度し一気にトーンダウンするのは何なのでしょう。

「日本のように精神異常者が野放しになっている国はないんだ。政府ももっと考えてくれないとね」

 これは同作品の最後に担当警部の小林昭二さんがぼやくセリフ。

 展示車両を盗む段階でかなり悪質な知恵もあり、責任能力も十分のはず、国籍も実名も明かさない警察と、そこをツッコまないマスコミが問題。

 検索、裁判所がしっかり調査して有罪にしている割合が多いと開き直る新聞もありますが、そもそも忖度されて警察の段階で起訴されていないケースが多く反証にはなりません。

 ここらあたりもマスコミの劣化が酷いです。

 これも昔のドラマのセリフですが、「本当に怖いのは怪獣や宇宙人、妖怪でもなく人間です」