一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

多様な食文化の現代日本

 時々、ランチやディナーを私もインスタグラムに上げてます。

 世の中にはとんでもなく贅沢なレベチの食事をSNSに上げてる人もいて、私など比べられると恐縮し、後悔するときもあります。

 しかし、まあ考えて見れば物価高で、サラリーマンの昼や、ちょっとした家族向けの外食もどんどん値上がりしてる昨今です。そんなに映える写真をアップできる人は贅沢で、一握りの富裕層です。

 もちろん、外食に、関わる方も、存亡がかかっていて、値段をどうしようか悩んでるところです。

 それでも日本人は食事のバラエティという面では、贅沢です。

 友達との会話でも、すぐフレンチやイタリアン、中華や、焼肉と美味しい店からリーズナブルやムードにあわせて、いろいろ知ってる人が多いです。

 普段、スーパーやらで買い込んで作る料理も、そこそこやる人はもちろん、惣菜やレトルトを使う人でも、やはり洋食、和食、中華とさまざまにレパートリーはあるでしょう。

 海外旅行すると、各国のグルメは味わえますし、探せば現地で和食もあります。しかし、これほど各国の料理を、自国内でいろいろ節操なく連日食べているのも日本人ぐらいでしょう。

 そして、特に日本では、食べやすく、整ったカタチ、清潔な個別包装が好まれます。

 果実も、甘い糖度で剥きやすく、種もないものばかりになりつつあります。

 柿の皮を剥き、渋を取って、種も取るなどもはや誰もしないのです。

 ブドウも種はおろか、皮ごと食べるシャインマスカットなどが一気に主流です。

 カップ麺、レトルトなども沢山の種類で溢れています。生活保護者でも、4食入りの袋入りラーメンにモヤシぐらい入れて食べた方がガス代入れても安いのに、割高なカップ麺を購入して文句を言う始末です。

 終戦で焼け野原になり、食べ物もなく、残飯さえ漁っていた日本人の復興にも関心しますが、美食、飽食、偏食にも呆れるのです。添加物まみれといわれながら、戦後生まれ世代の寿命も、どんどん長くなり、長寿国になっています。

 身体に悪いとか言われる、グルテンとか、トランス脂肪酸、カンスイなんかは、寿命には影響しないけれど、人間から問題意識や向上心を奪い、快楽嗜好で、従順なナマケモノにしているのかとさえ思います。

 

戦後80年の66年

 先日「青春の門」が今だに続いているという投稿が結構な反響を呼んでおりました。

 大河小説で最終巻が今のところ9巻目で10巻目で完結と予告されていますが、作者の高齢を考えるとどうなるかわかりません。長いシリーズものは、パターン化されたものが多いですが、この小説は伊吹信介を主人公としてはいますが、巻ごとに状況は大きく変わります。

 1巻2巻の映像化のイメージが強いと思いますが、筑豊編と自立編でも、舞台が大きく変わったように、その後も北海道から、やがては旧ソ連へと舞台は転々とします。

 第8巻を最近読みましたが、第二次大戦末期のソ連参戦の暗部、ソ連核実験のためシベリアに強制移住されたウクライナ人の話なども描かれます。

 今の国際情勢につながる戦後すぐの時代を20代の青年が奔放に歩みます。

 自由に海外旅行に行ける今では考えられない世界での冒険もあります。

 戦後80年といいますが、私の生きた66年は、物心つけば大変平和で恵まれた時代に入り、若者は安定を求め、好奇心も冒険心を失っている人が増えました。大人たちも、臆病に冒険しない人生を子供に求めたのかもしれません。

 私も、生命をかけるような冒険も、恋愛も友情も、テレビや本の中でしか経験はなく、直接は体験しないで年齢を重ねてしまいました。

 世界を見渡すと、本当に恵まれて生きてきたとは改めて思います。

 それでも、風雲編の主人公、作者の生きた時代を慮ると、自分も何か死ぬまでにもっと、できることはないかと、模索したくなります。

 

強すぎる警察権力、政党党首逮捕

 NHK党の立花孝志党首が兵庫県警に逮捕されました。

 賛否は分かれる人ですが、名誉毀損など民事で争う案件で、伊東市長に立候補を表明しているだけに、実際には「逃亡の恐れ」は考えづらく、「逮捕ありき」の判断と思われます。

 胡散臭い奴だと思っていたが、やはりと思われる方もおられるでしょうが、政党党首を逮捕するというのは権力側の大変は強権発動です。いくらなんでも、これが許されるのは、本来人権派の政党やマスコミがもっと、騒がないといけない大問題です。しかし、擁護はもちろん、そのあたりを論説しているところは少ないです。

 日本で逮捕というと、裁判が決していなくとも、アイツは悪い奴というイメージは定着します。

 いったん、逮捕されると、マスコミは容疑者とはいえ、犯人扱いのニュアンスで扱います。裁判で確定してはいないのにです。識者ても何でもない関係者や市民の批判的なインタビューが取り上げられ、ネット民は一斉に憂さ晴らしのように、叩きます。

 国家権力や警察、検察が力を増し、冤罪も厭わない、本来人権派が最も恐れる構図が繰り返されます。悪役がそれっぽければ、火が点いた市民感情、ネットの暴走は止まらないのです。

 本来が、真相のはっきりしない兵庫県の県庁、議会で二人が亡くなる深い闇の事件です、

 件の兵庫県知事や、立花孝志が一方的に悪く、亡くなられた主因かはまだわかりません。オールドメディアと言われるマスコミは、兵庫県知事選挙の二馬力で負けたことに業を煮やしているのが分かるような報道でますます県政を混乱させ、立花孝志党首を血祭りにしたい感じが見えます。

 県議の自死については立花氏の言動も問題があったとは思われますが、その後の増殖したマスコミやネットの暴力、いわゆる市民のネットリンチによる部分が大きいと思われます。

 立花氏であろうと、大新聞であろうと、どこが火元でも焚き付けられて、リンチをする国民、ネット民は反省なく、憂さ晴らしを続けます。

 最初の段階で齋藤知事が、万一のことがあったらどうだったのでしょう。今回のケースで立花孝志がも、竹内県議のような選択をしたらどうなるのでしょうか。著名人にせよ、たとえ犯罪者だったとしても、マスコミや一般市民に人を裁き、自死に追い込む権利はありませんし、そこまでの知識や判断力は誰もありません。

 不当な逮捕とまでは言えませんが、市民、とくにネット民はもう少し大人しく、今後の捜査、司法手続き、裁判で事実関係が明らかになるのを見守るべきです。

 

 

国会がブラック?議会も司法もデジタル化が遅れ過ぎ

 高市総理大臣が馬車馬のように働いて働いてというのは、熱量は頂けますが、大事な身体ですから、ほどほどにセーブしないと思います。

 そして仕事の効率が悪いままはいけません。

 総理大臣は重要課題だけ取り組めはいいと思いきや、いろんな会合に出て、意思決定を任され、休む暇がありません。連立政権ということで、維新との連携もですし、閣僚や与党議員が問題起こしても責任を問われます。野党はもちろん与党の非主流派とも連携しておかないと、法案が通らないので、いくら支持が高くても、全方位に気配りが必要です。

 外交や経済など重要政策にもっと、集中させたらと思います。国会の同じ質問を繰り返す予算委員会などのムダな時間は何とかならないのかと思います。

 国会の日程が急なのが原因とか、野党が前日の夕方までに質問趣意書を出さないのが原因なのか、首相も担当の閣僚も真夜中まで答弁を作成していたとも言われます。

 そもそも、FAXで議員会館で受ける仕組みが何ともアナログです。

 裁判所にしろ、警察、市役所にしろ、このデジタルの時代に今だにFAX主流で、テレワークもほぼ難しいのですから、若い公務員が辞めたがるの、学生も就職したがらないのは分かります。

 高給取りの官僚になるなど、役人で出世する前に、アナログで旧態依然の仕組みにもイエスマンでないといけないので、優秀でも幻滅して辞める人もいたら、いい人材は揃いません。

 社会人になれば、どんな仕事も厳しいし、理不尽に耐えないといけない局面はありますが、役所は結局それゆえに改革が進まないまんまです。

 デジタル化は少しずつ進んでいるようで、羊頭狗肉、マイナンバーカードを国民に押し付けながらも、アナログなことをやっています。

 せっかく電子申請されたデータを紙ベースで決済し、手入力しているのです。それを例によって間違いがないよう、複数人でチェックしているのですから、効率の悪いこと。

「デジタル難民を救う」というのは体のいい言い訳です。雇用、組織、仕事の中身の見直しが必要で、デジタル化に合うように変えていかないと、効率が悪く情報漏洩などのミスも増えます。

 公務員は仕事や権限を奪われるのを嫌がり、デジタル化は民間企業より遅れています。総務省デジタル庁が進める期限を早めて、あらゆる業務を見直し、デジタル化を進めないと、ムダな残業などで、組織が劣化、肝心の多くの人間の労働者の権利が損なわれた上、税金のムダ遣いが続きます。

 デジタルに慣れない人を丁寧に教えたり、アナログのまま間違いを直したりするのは決して親切とは言えません。時間をかけ、人の手間をかけるのは、片方でシステムを導入してるのに、全く税金のムダです。

 マイナ保険証の読み取り機を、税金も援助して町医者が高いお金かけて導入して、何割かはアナログのままで看護師や医療事務の人件費が変わらないなら意味がないのと、同じです。

 議会や裁判所の連絡がFAXとか言うのも、民間企業ではとうに淘汰された機械だけに驚きます。

 居眠り議員も問題になりますが、議会ともなると、準備や対応に時間がかかり、対応職員は大変な負荷で、待機時間も長いのです。

 繰り返される質問も多く、テレビの討論でもやった同じような話が質問者を変えているだけです。

 国のトップの時間を拘束するのは、もうちょっと建設的にならないかと、誰も思うでしょう。

 逆説的にポジティブに考えれば、「税金が高い、社会保険料が高い」と言いますが、このあたりの雇用を守りつつ、デジタル化の波で組織やしくみを大改革すれば、日本はまだ良くなるのです。

とんでもない大河小説がまだ続いていた件

 一昔前は「青春の門」と言えば知らない人はいないぐらいの勢いでした。五木寛之、近年はシニア向けのエッセイでも知られます。

 最近の若い方は元々小説をあまり読まれていないでしょう。私の高校生ぐらいの頃はカッコよく人気のある有名な作家でした。戦前生まれ93歳の年齢から、おそらく一番読まれたは私より、もう一回りぐらい上の世代だったでしょうか。

 同年同日生まれの石原慎太郎、野坂昭如、遠藤周作、北杜夫らが当時の人気作家でした。

 他界された方が多い中、何と五木寛之は今だに未完の大作「青春の門」を第9部まで書き、まだ完結目指し書き続けておられます。

 主人公は戦中生まれで、第9部でもまだ1961年を20代後半で青春真っ盛りとして描かれています。60年ぐらいに渡って一人の青春時代だけを描いた稀な大河小説です。

 日本の場合、アニメや漫画で原作者が死んでも年数も重ねていく作品はあります。人気が出ると全く年をとらないで、エピソード、事件が起こっても同じ年代で繰り返し、いつの間にか世の中は携帯電話が出てスマホに変わっても主人公は年取らないシリーズが多いです。

「青春の門」は、最初の筑豊編と自立編が、かつてドラマや映画にもなり、覚えている方も多いでしょう。作者は平成に入って長く休篳もされていて、第7部あたりからはよほどのファンでないと続いていたことさえ知らないでしょう。

 ストーリーをレビューするのはまたの機会にしますが、なかなか戦後すぐのこの頃の若者を詳しく描いた小説は少ないので、時代の情景だけでも面白いです。

 早稲田大学時代の自立編では、演劇青年緒方、娼婦カオルが出てきて、劇団をやっていた私も共感もありました。

 しかし、学生運動もですが、売血や赤線が出てくるリアルに出てくるのにはやはり驚きます。たった、15年か20年ぐらいの間に随分日本は小綺麗になったとは思います。

 みんなが、まともに大学を出てサラリーマンになるか、家業を継ぐ時代に、こういう奔放に放浪する若者像はどう響くのでしょうか。また、最近のドラマだとどうしてもタブーが映像化されないのです。制約も多いのと、そもそも若い制作者らが時代考証を軽んじて知らないので、実感が歪曲して伝わってしまいます。自販機やスマホ、ウォシュレットがないだけが時代ではなく、淘汰されたもの、不便や不適切なものがあり過ぎる時代なのです。

 戦後を紐解くには、生き証人の文筆しかないのです。

晩秋?夕暮れは早い

 暑い時期が続き、体調も良くなかったので、散歩は少なめでしたが、あっという間に夕暮れは寒い季節になっていました。

 暦の上では立冬を過ぎていたのです。秋が短いと言われますが、たしかに最高気温20度台の快適な時期はありました。しかし、朝晩と昼の温度差が激しく、ありがたみがあるほどてはなく、衣替えなども慌ただしくなり、ワンポイントで薄く羽織るものが出てきても、あっという間に寒過ぎてお役御免です。

 季節の変化、温度差なのか秋の花粉症なのか、体調不良の人の話もよく聞きます。

 なんだかんだ、暑くてすぐ汗をかいた時期から、涼しい時期へ身体をアジャストさせるのは個人差もありますが、年を取れば取るほど難しくなるように思います。

 自分なり、食事や睡眠、運動など見直してみることも必要かなと思います。

 生活習慣病と言われますが、まさに習慣、カスタマイズされたものから、なかなか人は離れられません。見るからに暴飲暴食などの不摂生でなければ、ちょっとした習慣はなかなかやめられません。

 タバコや、お酒、甘い物、脂っこいもの、仕事やお付き合いでの無理、、。

 好きなものを止めろと言われるなら死んだ方がマシと言う人もいまし、楽しく長生きしたいのだからと言う人もいます。

 しかし、命、健康寿命と言われれば、多少は考えを変えるでしょう。

 健康は年齢を重ねるごとに、当たり前ではなくなり、優先順位の高い大事なことになります。

実は難しい入札制度

 与党に加わった日本維新の会の、藤田文武共同代表が、公金2000万円を秘書の会社に回したという疑惑でしんぶん赤旗砲を浴びました。その弁明会見も横柄な態度で炎上しています。

 幹事長時代から、この人は何だか胡散臭い感じでした。維新の創始者の橋下徹も批判に回っています。吉村代表も最初は擁護でしたが、ちょっと庇いきれなくなっています。

 維新内部の争いからか、定数1割削減を突きつけられた自民党や野党も裏にいるのかとも、噂されます。吉村代表がトップとはいえ、国会議員でないため、首班指名なら共同代表の藤田氏が投票される立場だっただけに、問題アリの人物の、さらにお粗末な対応です。

 適法と言い張りますが、違法でなくとも、李下に冠を正さず、与党代表ともなれば、紛らわしい行為はだめなのだというのが、橋下徹らの論調です。

 公金を使う契約は、報道で煽られますが、実に難しいです。

 確かに、多くの国民が生活に苦しみ、中小企業は公共の仕事を入札するのに必死に努力している中、いい気はしません。定数削減される与野党の議員にも示しがつきません。

 私も公的機関の、競争入札や随意契約の仕事を実際にやってきましたが、非常に手間もかかり、難しい面もあります。

 税金を使っているので、談合で高くなるのも困るし、大手などで他で設けているから儲け抜きで契約のために安くなるのもダメです。

 案件によっては、藤田氏の弁明にあるように、原価の分かりにくいものもあります。

 しかし、そこで相見積などを簡略し、身内に馴れ合いで契約すると、こういう疑惑を生みます。

 詳しい仕様書と、見積り、契約までの明確なプロセスが第三者に分かることがポイントです。

 そのへんのルールを維新だけでなく、国会で明確にしないといけません。

 与党になった誰だれのタイミングだから、マスコミからスキャンダル砲が出るというのは、全体像としては違うと思います。

 ニュースになろうがなかろうが、法律とモラルがあって、金額の多寡に関係なく是々非々であるべき問題です。

 

今だに路上喫煙の上、ポイ捨て?!DNA鑑定して厳罰にすれば

 一昔前に比べると、タバコがの吸殻が路上に落ちているのは減りました。

 昔は仕事場の周り道路の枯れ葉の掃除などすると、タバコの吸殻が、たっぷりポイ捨てされていました。そんな時代と比べると随分減りました。電子タバコの影響もあるでしょう。

 それでも、今だに路上喫煙禁止のエリアをプカプカふかしながら歩く危ない高齢者などもいます。コンビニでも、小銭を探してタバコの番号を告げているのは、年輩の方、労働者の方の割合が多いです。灰皿のあるコンビニの前には喫煙者が溢れてる場合もあります。

 喫煙ゾーンが少なすぎるのもある意味可哀想だとは思います。公共施設や、新幹線はじめ交通機関なども、かつてはあった喫煙スペースが、受動喫煙防止のためと撤去され、全面禁止になってる場合も多いです。

 あんまり、禁煙タイムが長いと、我慢が効かず路上などでついプカプカしてしまう人もいるでしょう。

 ゴミ箱が撤去され過ぎ、少なくなり、ゴミ袋も有料となって、かえって違法な捨て方が増えるのと一緒です。

 タバコを売ってるコンビニなどは、換気の効いた喫煙スペースを設けて分煙を徹底すべきです。その上で、路上喫煙は重い罰金を科し、ポイ捨ての吸殻はDNA鑑定してでも厳罰にすれば、街はキレイになり国の財政も潤うはずです。

 若い頃、海外旅行すると、シンガポールでは、ガムや吸殻を道路に捨てると罰金だという話がでて、「へえ厳しいなあ」と思いました。当時の日本人の感性で、街角、道路にタバコの吸殻ぐらいは捨ててもいいという感覚だったのです。今では、日本でも旅行先でも、常識ある人はポイ捨てなどしない、、はずです。

 

考えさせられる外国人移民問題

 昭和40年代に始まったウルトラシリーズ、本格的な空想特撮とはいえ、初期の段階では宇宙科学も現代ほど広く知られていない時代で、脚本や設定にもツッコミどころ、不可解なものもあります。

 宇宙はおろか、外国にもそうそう行ってない人が想像で脚本を書いていたのですから、むしろ大したものです。

 沖縄の脚本家の方も、地球侵略を、沖縄の問題から投影したような作品もありました。

 日本人にとって侵略者もウルトラマンも、異国から来た外国人の概念から始まっていたのは間違いありません。

 宇宙人というのも、まだ火星からタコのような怪人かと言われていた時代で、程なく火星には知的生物がいないというのがやっとわかってきました。

 ウルトラマンの第2話に登場する侵略者バルタン星人は、シリーズの怪獣の中で知名度はトップクラスです。ウルトラマンと初めて戦った宇宙人であり、初めての本格的な侵略者です。

 生命という概念を理解できない人間との会話の中身からも、分身や巨大化などの能力も、地球人とは全く違う存在です。よくわからない制作陣が手探りの思案の末の「宇宙人らしさ」が満載です。

 主人公ハヤタはウルトラマンとは別人格ですが、母星を失って彷徨っていたバルタン星人の難民を、「地球の風俗、習慣を守り法律を守るなら、それも不可能なことでもない」と最初肯定的でした。

 しかし、旅行中に母星が核実験で住めなくなったにしては、ミクロ化して20億というのは多すぎます。

 まさにオーバーツーリズム?地球に勝手に永住を決めて、侵略をすることにしたと宣言され、交渉は決裂、戦闘が始まります。

 難民というだけなら、人数の多寡に関わらず助けるのが本来は正義です。

 人道的に助けても風俗、習慣が違うクルド人が一部の町に沢山集まり、騒音などて住民が困っています。

 外国人と一括りにはできない問題も多いです。逆に風俗、習慣を守り、もちろん法律を守り、働いて税金を収めている人が差別に合う場合もあります。

 母国の政治信条などから、やがて侵略に向かうのではと思われる国もありますが、一人ひとりの人間から判断するのは非常に難しいです。

 地球人を助けるウルトラマンもハヤタと一体化した宇宙人ですし、次のウルトラセブンは、地球人に化けている完全な宇宙人です。

 バルタン星人の移住許可の判断もですが、そもそも宇宙人の善悪や居住許可は誰が判断できるものでしょうか。

 ウルトラマンは、20億ものバルタン星人が乗った円盤をスペシウム光線で攻撃し撃墜しました。大虐殺ともいえます。

 地底人や植物の怪人、海底人も、先住民族の可能性があるのに全滅させられています。

 難民や外国人居住問題を問いかけている作品もありますが、子供向き作品とはいえ、大人が悩み、考え抜いた部分も垣間見られて、考察するのもまた面白いです。

 

47年前の周遊券

 古い手紙や年賀状を整理してたら、47年前学割で行った北海道ワイド周遊券が出てきました。

 復路のB券は駅で回収されるので、夜行の座席確保もあり、大阪発着にして最後の京都は途中下車扱いで手元に残していたものです。

 昔は体力的にはきつくても、夜行急行の自由席が宿の代わりに使えました。

 途中下車印も普通にもらえたのか、漏れもありそうです。

 北海道の鉄道地図、これでも炭鉱の鉄道は廃止されたが、まだまだ道北や道東には細かく路線がめぐっていました。

 今は旭川から北に稚内まで一本だけ、富良野はどん詰まりの終着駅になってます。千歳から道東へのバイパス石勝線はできましたが、旭川からの石北本線と釧網、根室本線だけの寂しさです。

 青春18切符が連続5日もしくは5日に限定されて、日帰り使用ができない不満の声は多いようだけど、旅って本来はもうちょっとゆったり長いものとは思います。

 夜行の消滅、路線そのものも無くなり、残っている路線も本数や車両数は減り、条件は悪いです。昔のエリア往復型の長期滞在周遊券のような最強の使い勝手はなかなか難しいですが、現代はそれ以上に便利なもの、的確な情報に溢れています。旅の考察はもっとできるはずです。

 昔の友の年賀状等見てると、ホントに青春時代が甦ります。

 こういうの見出すと片付けが進まないのです。