一期一会の意味

 こんなことなら、もう少しアイツと喋ったりしたのに、、、

 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語です。
 私は歓送迎会などの挨拶で、好んでこの言葉を使います。大勢の飲み会、数人の飲み会でも、そのメンバーその人とまた同じよう集まれて会話ができるかというと、なかなかそんな保証はないものです。実際の6人以上のメンバーを、同じように集めるだけでも難しいものだと話しました。
 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉通りです。


 還暦を過ぎたら、人生の師や先輩の訃報にも接することも増えます。
 そして、さらに悲しいことに同じ学び舎で過ごした友、職場で切磋琢磨した同年代の悲報も耳に入ります。いくら平均寿命が延びても60も過ぎればいつ亡くなっても当たり前と思っていても、自分と自分の周りだけは違うとバイアスがかかっているものです。

 一生に一度だけの機会「一期一会」という言葉の持つ意味も、自分が年齢を重ねるにつれさらに深いモノに変わってきた気がします。

 千利休の言葉かともされますが、献杯はお酒で。

湖西今昔 50年以上前の鉄道を追う

 滋賀県の湖西地方は京阪神から近く、湖西線が走っていますが山と湖に挟まれそれほど広い土地がありません。
 湖西線の前身には江若鉄道という単線非電化のローカル鉄道が走っていました。1921年開業ですから大正時代から昭和の戦後まで長閑に走っていたのです。1969年に廃止され、多くの路盤が国鉄末期の湖西線に引き継がれていて顕著な廃線跡は少なく、浜大津近辺の遊歩道ぐらいです。
 当時の最新鋭技術を使った全線踏切の無い高架、複線電化でハイスペックな路線をサンダーバードなどの特急が走る湖西線は、短絡のためトンネルを設け一部は江若の廃線跡とは離れているところもあります。
 湖西北部で風光明媚な近江の厳島と言われる白髭神社あたりも、山が湖に迫り湖西線はトンネルで通過し、最寄り駅もなく、湖西線ではこの光景は見られません。
 クルマでの観光で短時間通過する人も多いようですが、琵琶湖の東側の近江八幡、彦根、長浜などの主要な観光地に比べると、規模も小さく鄙びた感じです。
 短絡新線の湖西線もかつては寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、雷鳥、白鳥といった名物特急が走り、今も高頻度でサンダーバードが駈けますが、特急以外は新快速が走るとはいえローカル線でとくに堅田以北は1時間に1本のダイヤで70年代開業の面影を残す古い駅施設です。
 湖西は湖東ほどは発展せず北陸新幹線が延伸すれば、並行在来線扱いで特急はなくなり、3セクのローカル鉄道へ戻るかもしれません。
 何だか、人生を見るような鉄道の発展、成長、栄枯盛衰があります。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

天使が舞い降りる25の法則

「天使が舞い降りる25の法則」
タカラヅカの楽屋に貼られている「ブスの条件25」の戒めを、自分なりに新解釈してみました。
逆説的に美男美女?で仕事をして、ひとが集まり楽しくできるかにはどういう条件が必要かです。
.笑顔がいい挨拶ができる
苦虫を噛んでるみたいで挨拶もできない人に誰も仕事を一緒にしたいとは思いませんね。
2.お礼を言える
3.美味しいと言える
4.精気がある
5.自信がある
6.愚痴をこぼさない
愚痴らず人の倍働く。時間が倍にならなければ倍工夫する、考える考え抜く誰かに聞いたり本を読んだり最低でも人の倍努力してみる
人と同じだけのことをしていても、つまらない仕事でしかない。人の倍やると、つまらない仕事がつまらなくなくなる。
非凡な人は普通の人の、最低でも3倍働いている。面白くないこと辛いことも経験であり、コヤシとなって人を大きくする。
経験していくことは決して無駄ではない。毎日がつまらないなら、それは君自身がいつまでもつまらないからだ。
つまらない毎日から脱却するのは、自分自身を面白くするしかない。
7.希望と信念がある
8.悪いときも周囲のせいにしない
「仕事が面白くないのは〇〇がバカだからだ。会議ばかりやってる。幹部はちっとも現場をわかっていない。こんな仕事やっていても意味ない」
今が楽しくないのは〇〇が悪いからだ(自分は悪くない)と思うことこそが、諸悪の根源である。自分の好きなことだけしないこと。
みんな「自分のすきなことで、自由にやれて、楽で、給料もよくて、楽しい仕事がしたい」と本当は思っている。でもそんな仕事は絶対にどこにもない。
なのでせめて自分の好きなことをしようとする。それもかまわないが、自分の好きなこと『だけ』をしていると、
結局はそれしかできないことになる。どこにもつながらないし、誰も相手にしないし、何も広がらない。
9.自分をよく知っている
10. 声が大きく元気
11.なんでもないことに傷つかない
12.他人に嫉妬しない
同期や同僚、同じ程度か自分以下の仕事しかできない人が評価されたり先に出世する不公平や不合理はどこにでもある。
自分の能力以上に評価され、昇進することほど、ある意味不幸なことはない。
高いレベルの学習・経験をつもうが、誰も褒めてもくれなくなり、自分を律して成長していくエンジンをうしないかねない。
嫉妬も不平も言わず、ひたすら自分に与えられた職務とそれ以外も、職階以上の仕事をしていく姿が、実は最高にカッコイイ。
13. 目が輝いている
14.いつも口角が上り気味
への字の口の両側を上げ、笑顔になるだけで、毎日すこしずつ面白くなる。
15.責任転嫁しない
16.共感したり感動したりする
17.楽観的に物事を考える
人間は何にでもなれる
必ずなると決意すれば、天使が舞い降り、不思議な力を発揮して、成りたいものに必ずなれる。
周囲を苦しめず 周囲を喜ばす 一歩一歩なりたいものになる努力をする。
天使の心に周囲の天使の心が集まり、なりたいものになるのを手伝ってくれ、幸運の出会いが始まり成りたいものに必ずなれる。
自分の中の天使の力を信じて、決意した理想は必ず叶えられる。
18. 問題意識を持っている
19. 他人に尽くす
自分の身の回り 机の周り クルマ 家 会社 せめてキレイに整理整頓。
他人とのネットワークはやがて自分が助かるときがある。
20.他人を信じる
21.人生においても仕事においても意欲がある
22.傲慢でなく謙虚である
23. 他人のアドバイスや忠告を受け入れる
24. 本当に正しいことは何か常に追い求める
いろんな情報があふれる時代。すぐに結論に飛びついて行動を起こしたくなる。
でも常にこれが正しいことなのかは、始める前に、最悪やり始めてからでもよく考える。
ときに集団も間違った意思決定をしてしまう。
昔は誰もが正義のヒーロー&ヒロインだった。いつからか悪の手下と手を結んでいるような自分がいないか!
25. 存在自体が周囲を明るくする
2017年秋イベントで一緒にお仕事したヘア&メイクアーティストの方
本当に明るく、積極的で仕事が好きで勉強が好きで、毎日が楽しくて輝いてるような人でした。
オフがほとんどないほど、仕事をかけもって、でも収入や保障は大会社のようにはいかない。
それでもあの人にまた会いた、話を聞きたい、指導を受けたい。
大会社で高給とってても、笑顔一つなく、ろくにゴミの片づけもできない人が残念ながら多かったです。
(美を売る会社、掃除道具売る会社だったんですが)
仕事って本来、苦しみ苦行であってはいけない。ましてそれが顔にでるようでは周りが迷惑な話です。
輝いていてまた会いたいなって魅力的な人に天使は舞い降りてきます。

今の新幹線延伸問題を語る前に読んで欲しい

 何となく北陸新幹線反対に回る一般の京都市民の方、米原ルートの再検討を言い出した維新の会などにも、読んで欲しい本です。

 夢の超特急と言われた東海道新幹線から、懸案の北陸新幹線、ミニ新幹線、リニア新幹線まで、ルート選定から、工事の内容までが語られています。

 昔の国鉄総裁も、各自治体や地元の政治家の要望を抑え、調整するのは大変だったことも語られています。

 鉄道を新たに作るのは、軟弱な地盤への対策や、長いトンネル工事も、大変です。

 上越新幹線も、その後の北陸新幹線も大変な山を掘り進むチャレンジングな計画を進めました。

 この上越新幹線一つとっても、確かに田中角栄の政治的なものもありますが、もしこれが無かったら、今の上越地方はどうなっていたでしょう。地方を活性というモデルすらなく、格差はもっと酷いものになっているとも想像されます。

 残土や環境以前に、穴を掘り貫通させるのに生命をかけての情熱が、日本の近代化を進めたのです。

 新幹線についての歴史や、目的、仕組みなどの基礎知識をあまり知らずに、将来の国民にとって非常に大事な事項を、浅はかな知識で反対とか賛成と述べていると思えます。

 どのルートであろうと、反対する方や賛成の方でも、イメージだけで反対されて、勉強不足という感じがします。報道の中には分かっている人もいるはずなのに、あえて戦略的に問題をややこしくしているやり方もあります。

 どうも感情的になられたり、目の前のことしか見えなくて、歴史を紐解くことも、未来を想像することもできない人が多くちょっとそこは残念に思いました。

 もちろん、自分が利害に関わるところに住んでおられる当事者なら、やはり反対とかそういう風になるとも思いますが、そこを一歩下がって俯瞰して見えれば、考えもまた変わる時もありそうです。

 それなりの立場の方、政治家でさえ、新幹線のことを知らない、まともに勉強していないのにも呆れました。

 今の各地の新幹線やそれ以前の鉄道も、反対や、誘致合戦、そして国や国鉄の抱えた大赤字、時代時代でさまざまな問題をクリアしてできてきたのです。歴史を知ること、この本を読めばよく分かります。

 昔の政府も国鉄もその後のJRも、もちろん国交省とゼネコンなど利権も絡んではいても、日本の発展のため、苦労を重ねてきました。

 明治の初めにも権力を奪われた昔の侍たち、士族が西南の役を起こしました。その混乱の中、国内交通を馬車と海運を維持したらという既得権益も絡んだ保守派と、西洋の最新技術の鉄道で西京(京都)と新首都東京を早く結ぶべしと主張する勢力とに分かれました。

 後者の意見が通ったからこそ新幹線に代表される鉄道技術の今日の日本があるのです。

 西南戦争の鎮圧のための、屯田兵や近衛兵まで召集された全国からの大量の派兵は、初めて港湾への鉄道により迅速に行われました。

 それ以降、戦中戦後、高度経済成長期を経て、常に日本の国土軸を支えて、地域経済の発展に寄与しました。

 田中角栄の提唱した「日本列島改造論」により、1982年に開通した首都圏から新潟まで開通した上越新幹線、同時期に盛岡までの東北新幹線もできました。

 二つの新幹線は東海道・山陽の人口や産業が集約された地域を結ぶのではなく、地方都市と首都圏をつなぐ役割でした。

 そして、私も忘れかけていたことですが、この二つの新幹線ができるともう国鉄は赤字でお金がなく新しい新幹線は作らないように凍結を決めました。 

 田中角栄が、最初に日本列島改造論をブチあげた時、その人気も凄いものでしたし、地方の期待は凄まじいものがありました。しかし、その後の財政も悪化し、ロッキード事件のスキャンダルで人気は急降下、全国に新幹線を通すという話も一時忘れ去られました。

 その内に高速道路網が追い越し、新幹線が全ての、地方活性の解決手段ではない時代になりました。

 北陸新幹線も、数奇な運命で、計画が何度か頓挫し、長野五輪の開催決定で長野まではできても長くそこで止まりました。ほくほく線のスーパー特急方式での延伸も決まりかけたところで、やはりフル規格の新幹線方式に戻り、紆余曲折で金沢延伸をして、結果は大成功で、その後ようやく近畿の手前、福井県敦賀まで2年前ようやく延伸しました。

 1972年、田中角栄が約束した福井県小浜市の新幹線、実現は何度も危ぶまれ、随分待たされて、時は流れましたがもう少しです。

 既に交通至便となった京都や大阪などの都会の人が、地方からの新幹線延伸を拒むというのは、各地方の均衡ある発展を望むという当時の趣旨からして、日本人としては言ってはおかしいと私は感じます。

 昔から大きな問題を何とかクリアして、今の新幹線があるのです。

 北陸新幹線延伸だけが、残土処分や水問題があった訳ではありません。

 そんなことは百も承知で、アセスメントをし、検討を重ねてルートが決定されているのです。

 米原から敦賀が50㌔程度で近く早くできそうだという全くの素人考えです。

 反対するというのは公共交通の将来、地域政治の維持、国土軸の未来、これらの大義と自分の今の生活という相反する利害であり元々本質的な議論にならないのです。

 新幹線の設置基本事項には、「新たな旅行需要が見込まれる」というものがあり、誘発旅客による推定取扱収入が増えることが必要とされているのです。

 ただ、この本にも少し書かれているミニ新幹線、現在東日本の秋田新幹線と山形新幹線で実現し良い実績も上げて、車両も更新されています。しかし、何故か、山形新幹線の新庄延伸以来、ミニ新幹線を作る声は一切上がりません。

 西九州新幹線が当初計画されたフリーゲージトレインが技術的に難しく頓挫してしまいましたが、ミニ新幹線は現在も東北の2線を走っています。東北新幹線内では併結運転して、分離して在来線に乗り入れます。

 フリーゲージトレインやスーパー特急方式は一時期は、「ウナギを頼んだのに、アナゴやドジョウが来た」と総スカンを食い、やはり新幹線を作るならフル規格でということが言われ出しました。

 確かに在来線の高速化では、地元のインパクトは弱いし、既存の駅を使い工事発注額も小さいので経済効果は限定的です。

 実際に東京圏で1km地下鉄を作るよりも、山形や秋田の新幹線が安くできたとまで言われています。

 それなら、石破総理の時代にも言われた遅い在来線の中速化と通じます。

 これだけ、地元負担を嫌がられ、その後も運賃が上がり直通も無くなる三セクを押し付けられるなら、新幹線よりミニ新幹線の方がありがたいのではと思います。

 湖西線には大きな都市は少ないですが、近江今津、大津市堅田などにはビジネス、観光のチャンスが広がります。

 路線にはそれぞれ難易度もありますが、湖西線は元々踏切のない高架の複線路線です。風対策を抜本的にシェルターなどでやれば、琵琶湖を眺めて走る車窓の美しい新幹線路線になります。

 私がもし知事なら、路線は引き受けるけど、そこの条件なのです。ただ反対では延びるだけで解決しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運動不足も運動過剰もよくない

 老後はお金も心配ですが、健康寿命も大事と言われます。

 還暦を過ぎると、同年代の方からは、それぞれ何処かしこと不調の話を聞きます。お金がいくらあっても健康は買えないとも言われています。

 歩けることが大事とさわれながらも、加齢で勤続疲労からくる経年劣化は誰にも来て、足腰は時に悲鳴を上げてしまいます。

 高齢者の体調も、劣化の進捗も一人一人が違い、個人差が著しくあります。

 実際に急に自分がその身にならないとわかりませんし、身体の何処に来るかもそれぞれ違います。また、その個人差が言い訳にもなり、怠ける人、改められない人が多いのです。

 一般に、運動不足で飲み食いが止められない人は太り過ぎになり、高血圧や脳出血などの生活習慣病のリスクは高まっていきます。添加物の多い食べ物、喫煙や飲酒、ストレスも加齢を早めると言われています。

 かと言って急に運動を始めるのは、危険です。

 かえってケガをしたり、関節やじん帯を痛めるなど、悪い結果も呼びます。

 群馬県の中之条町で、有名な統計をとった研究があります。長寿された方の目安が早歩きのウォーキングで、4000歩5分から8000歩20分と比較的信憑性の高いデータで明らかになっています。

 しっかりした姿勢と速度で早歩きすると、鬱や認知症の予防から心肺機能や筋肉、骨を鍛えて生活習慣病を予防できます。

 逆に足りないと運動不足、これを超えるとケガなどのリスクが増えますし、心肺を鍛えるメリットは相殺されて減ります。

 5分でもしっかり早歩きするのはそれなりにかなりの運動です。連続で20分続けなくとも、朝夕など分散でも良いそうです。

 ダイエットのために、カロリー消費は必要ですが、過剰な負荷をかけると、膝や腰をやられると元も子もありません。

 私の経験から言うと、ダイエットはやはり食生活からですし。運動では限界があります。脂肪を燃焼しようとするあまり、膝や足首、関節などに過度な負担がくるのです。

 負荷をかける運動も若い頃に比べると、限界が早くなります。無理をしないこと、この見極めが難しいところです。適度な疲労か、慢性化する傷みかで結果は変わります。

 歩いたり、走って、痛いと感じたら腫れているのですから早くやめて休息することです。

 それ以上の負担は、弱い所を悪化させる一方なのです。

 たくさん歩くとか、運動すれば筋肉がついて骨や軟骨の劣化をカバーするというのはありがちな勘違いです。姿勢が悪く運動するたびに軟骨が筋肉に当たるから痛みを伴うのであって、そんな場合に運動しても悪化するだけです。若い世代の運動とは違うのです。

 痛みを伴いだせば、筋肉は硬くなり骨折やじん帯損傷など最悪の状態に向かいます。

 一箇所悪くなると、かばうために、姿勢がますます悪くなり別の箇所に負担がかかり、別の所から傷みが走ります。

 骨折というと、アクシデントのような衝撃によると思われがちですが、高齢者は悪い姿勢での痛みをガマンしての「いつの間にか骨折」が多いそうです。

 痛みなど、体調の機微、変化に敏感になり、受け止める気持ちが必要です。

「何キロ、何歩歩けなくなった」とか「あの坂を楽に登れなくなった」など、受け入れ難いショックで無理をしがちです。衰えを素直に受け入れながら、無理せず休息をいれてぼちぼちと進むことです。

 かつて、高速で走り回った新幹線の運転手やF1ドライバーでも、今は各駅停車に乗り、ママチャリでまったり景色を楽しんで進む感じです。

 そんな気持ちを受け入ること、そして、それでもちゃんと前に進むことです。

 

 

 

癒しと萎えは紙一重?

 とてもアッケラカンと性体験や、下ネタ、下半身の話などを話す女性がおられます。

 年齢差や既婚で恋愛対象と思われていないとか、無頓着・無防備なケースもあります。

 それがとても欲望に火をつける。美味しい?愛らしいと思う人もいれば、異性への憧れを砕かれ幻滅するという人もいます。

 社会人になって女性が多い化粧品の会社で20代の頃、それなりにモテたと思われがちですが、自分の中ではあまりそういう思いがありません。

 同期や若手連中のなかちは随分と遊んでる輩もいましたが、堅物と言われるぐらいに、高校時代に理想とした人を想うような保守ぶりでした。

 地方の営業所に赴任した時も、今思えば相当な美人さんでおっとりとした性格の子がいました。

慰安旅行だったと思いますが、何人かで寛いでいる時、脇毛を抜いていたようです。

 他の世話好き?のような方が、わざわざその毛を私に持ってきてくれて、「若い女性の毛興味ないの?」とまあ野放図というのかワイルドな感じでしたが、確かに興味はありませんでした。その無関心ぶりに相手はどういう気持ちになったかはわかりません。

 人間の欲望と、その心の動きはとても不思議なものです。特に性欲、性の嗜好は千差万別で、その流れも気まぐれ、複雑怪奇です。

 自分の妻や娘とかでもそうてすが、身内とかでもない妙齢の異性でも、あんまり恥じらいもなく普段隠すところや行為を見せられても、案外何も感じないものです。

 それこそ嗜好とか、タイプにもよるのでしょう。関西のある美人アナウンサーが、彼氏とラブホテルでいざプレイに入る時に、お手入れされず生え放題の脇毛を見て、笑われた上萎えてしまった話をされていました。何となく、その男の気持ちが分かる気がします。

 身体の部分のフェチや変態行為、それこそスカトロなんかを好む人もいて、まあ、それぞれだとは思います。

 しかし、まあそういう変な趣味のない人にとっては、本当に何が楽しいのかという感じにはなります。

 SMっぽいのも、映像だとそれなりなのかもしれませんが、やはり実際の人間って普通は、責めて楽しいとな、責められて美しいとはならないのです。

 たぶんそこを映像とかだけで勘違いしてると、リアルではそこで幻滅とかになりそうです。

 愛するとか、好きになるというのはどこの部分か非常に難しいです。

 20代のかなり遠い昔の話からでした。

 

 

国民と日章旗を結んだ鉄道

 国旗損壊罪が話題となっていますが、そこまで政治的な話ではありません。

 鉄道のファン撮り鉄に分類されるのかな一部の人の中には、人気の高いのが天皇陛下や皇族が乗車され行幸に使われるお召し列車があります。

 任される運転手も大変な名誉で、車両設備や整備も戦前戦後通じて最高のものが充当されます。

 菊の御紋に、日章旗を掲げて走行し、沿道にはやはり日の丸を振って歓迎する国民たちが鈴なりになります。

 この光景、日の丸が国民にいつからかというと、この鉄道の創生期からです。

 日の丸の小旗を振ったり、祝日に玄関に飾るのも明治の鉄道の開通時期からだそうです。

 日章旗は江戸時代後半から、日本の船舶に国際航海のために幕府や薩摩の船にも掲げられていました。

 しかし、明治3年に国旗に選定された日章旗を日本人が国旗として意識して振り、掲げたのは明治5年9月12日の横浜〜新橋の鉄道開通式、関西では明治10年の京都から大阪、神戸の開業式典あたりからです。

 西南の役など、士族の不満も残り、まだまだ明治政府が安定しない中で、鉄道開通は国威高揚とともに、実際に各地の軍の拠点から戦地へ迅速に物資や兵士を運ぶための重要で不可欠な輸送手段でした。

 当時、軍を動かす大量輸送手段は海運しかなく、港湾までの迅速な移動は治安維持と国防上喫緊の課題でもありました。

 明治政府は主要軍事施設と港湾を結ぶ鉄路を、厳しい財政の中で最優秀に開通させました。国威高揚のため天皇陛下も開通式典には出席されました。

 日の丸の小旗を国民が打ち振る習慣はこの時期の鉄路開通からで、150年ほどの歴史です。古くからの長い歴史ととるか、近代からのまだ短い歴史ととるかは政治的解釈です。

 シベリア鉄道に代表されるように、鉄道は国民の便益は二次的なもので、主流だった水運から陸路への転換です。

 軍隊の大量輸送の必要で、まずは戦争のためにできました。

 鉄道のルートや駅は、昔の技術的問題で、地形や地盤などで今考えると変な場所にできたり、妙なルートを通ります。もう一つの要因に、今は無くなった軍事施設や鉱山を通るためというのもあります。

 どこでも新たな鉄道ができると大きな祝典があり、走る列車は日の丸の旗を振って歓迎されたのです。

 今の日本のアイデンティティの多くが明治期に確定したものです。

 日本の国旗も明治期に、こうして庶民に定着していったのです。

桜の季節に思う

 

 先日、満開のお花見の帰りに大学生の入学式帰りの集団に遭いました。

 毎年の開花時期や天候などを考えると、記念すべき日に桜が満開というのは幸運です。満開の桜に期するものをしっかり刻めるかもしれません。まあ、最近の学生は気にもしていないかもしれません。

 桜が咲き誇る時期は短いです。

 日本人は桜が好きで、あちこちに桜が植樹され、多くのアーティストも桜をテーマにした名曲をリリースしており、毎年このシーズンに繰り返し聴かれています。

 歌詞をいちいち列挙して解説するとキリがないほどで、やはり季節として、卒業や入学、そこでの恋愛、刹那の別れを綴ったものが多いです。

 J-POPと呼ばれる時代よりも昔の歌を語ると、いかにも高齢者のように思われ笑われそうでイヤなのですが、ご容赦ください。

 42年前の1982年に柳葉敏郎が所属した一世風靡セピアという踊りながら歌うグループがありました。「前略、道の上より」という曲はテンポも良く、歌詞には桜に込められた日本人の思いがよく描かれています。

「咲き誇る花は散るからこそに美しい」という冒頭の歌詞です。

 まさに、かつては軍歌の「同期の桜」で謳われた早く散ってこその日本人の美学、哲学です。

 戦地から復員した遠く南方やロシアや中国まで進んだ兵士たちが、再び日本の地で桜を見たときの思いもいくばくのものだったでしょうか。

 戦後、経済成長を遂げ、医学も進歩して、戦争で死ぬことも無くなった日本人の寿命は飛躍的に延びました。

 かつて、20代で散る覚悟をして、眺めらた桜を、今の高齢者は毎春80回、90回と愛でることができるようになりました。

 時代とは言え、それもまた幸せなことなのか、長生きできるのは早死よりもありがたいのに、どこかで日本人としての美学を失ってしまったのかとも思います。

 

 

北陸新幹線延伸 小浜〜京都ルート

「京都の地下に新幹線は要らない」??

 ことさらに騒ぐ人がいます。

 それなら地上はいいの?その方が景観的に問題ですし、大深度工法で地下を利用しないと、用地買収は高くつきます。

 私自身は北陸新幹線が小浜経由のルートで京都に延伸するのは問題無いと考えます。知事選挙で騒がれますが、そもそも知事や県議に北陸新幹線延伸ルートを決める権限はありません。共産党系の候補に至っては、地方選挙で戦争反対と言い出す意味不明さです。

 代替ルートや財源の具体的なスキームによって、私は賛成でも反対でもあり得ます。湖西線や山陰本線を三セク化するかどうか特急を残すとかも全く見えない中、賛成も反対もないのです。どうしても財政が厳しいなら、湖西線でミニ新幹線という方法も選択肢です。

 市民税や府民税が他所より高いのに、この上、何の手だてもなく、地元負担を受け入れるのはさすがに困りものです。

 ただ、鉄道ファン、乗り鉄、経済鉄系のマニアとしては反対する人やそこ代替案にあまりにも誤解が多いのにはつい意見したくなります。

 水問題とか残土処分とか新しい鉄道や高速道路を作るのには何処にでも発生している問題で、それよりは自治体の負担がどうなるのか、並行在来線がどうなるかが問題です。

 京都の町に住む人、あるいは東京や大阪とか便利なところに住んでる人が「要る要らない」ではなく、かつて裏日本と言われた不便なところ、福井、石川、富山の北陸地方が乗り換え無しで結ばれ、福井県小浜市と関西の都会を結びます。

 東南海トラフ地震で東海道新幹線が不通になった際のバックアップも兼ね、国土軸を均衡に強くするために必要と決まったことです。そのことに関しては異を唱えることはしません。

  
 京都盆地の水事情は井戸の水が出やすく掘りやすい地域でした。元々川が氾濫しやすく、洪水を繰り返すほど水は盆地の地下に溢れていました。

 平安京以来、明治以降も先人が治水し、なおかつ発電もできる琵琶湖から疏水を作っていて飲料水には全く困りません。
 お酒や豆腐、和菓子というのは文化とは言えますが、イメージを守りたい贅沢品です。地下を大深度で掘っても、井戸水が急に全て枯渇するというものではありません。
 新幹線ができて毎日の水や農業用水に困る地域ではありません。この点は、過去の他地域の水問題とは異なる「贅沢な悩み」程度です。
 残土は、日本中の高速道路や新幹線の長いトンネルをどこも適切に処理してきてます。
 こんなことはちょっと調べて、考えればわかることです。

 もう一つ気になるのは「京都には要らないから米原ルートでいい」という意見です。

 確かに地図を見ると敦賀〜米原は短く見え、工事費用は安く抑えられ、早くできそうに見えます。実際に50kmしかありません。それでも、この区間に新幹線を建設するのには、問題がありすぎて、建設する意義は見いだせないのです。

 維新の会も党として、ここを誤解して米原ルートを昨年参院選あたりから言っています。米原には既に東海道新幹線の駅があり、北陸新幹線と結んで現在の北陸本線を三セク化したなら、地元は不便になるだけで何ら利益はないのです。

 多額の建設費用をかけて、米原駅を新幹線→北陸本線の乗り換え駅の現状を、東海道新幹線→北陸新幹線の乗り換え駅にするだけです。今も米原駅には降りてすぐ観光する人も少なく、駅弁を買われるぐらいでした。

 新幹線駅ができる!経済効果がとかいう喜びも刺激も何もない米原ルートは、東海道新幹線に乗り入れるとかの技術的な面以前に、整備新幹線の趣旨の基準から外れてあり得ない選択なのです。

 逆に小浜市は今閑散なローカル線しかありませんから、新幹線が来た時の喜びと変化は当然劇的なものが予想されます。京都や大阪に30分程度で行ける通勤圏ともなり、観光やビジネス需要は現状のゼロから大きく飛躍した数値になります。

 小浜には伝統的なお祭りも、由緒ある寺社もあり、京都との親和性も強いです。反対する最近の京都の人がその辺りは知らなすぎるのです。

 
 新しいもの、新幹線や鉄道は以前から、いろんな誤解による反対や賛成を繰り返してきました。

 京都人は本来、よそ者を拒まず、文化など新しいものをどんどん受け入れてきて発展してきたのです。

 鉄道が最初にできた時代にも京都の市中に蒸気機関車を通すのには反対の意見も多かったようです。新幹線が京都に通る際にも、伏見のもっと南を通す案が出たり、京都駅に新幹線駅が併設となっても、超特急の「ひかり号」は停めなくてもいいと忌避の意見もありました。

 今は全列車が停まる京都駅に、もし「のぞみ」や「ひかり」が通過していたら、京都の発展は今ほどではなかったと思われます。

 そして、小浜から北陸に繋がることで、想像しきれない可能性が開くのです。

 何とか難しい問題をクリアして早期実現を願うものです。

「本線」廃止、最東端「廃駅」、北海道の鉄道事情厳しさ増す

 JR北海道の厳しい経営状況もあり、3月31日をもって留萌本線の最後の残存区画、石狩沼田〜深川が廃止となり、全国初の「本線」が喪失するという事態となりました。

 最後に残された区間はたった14.4kmで留萌にも行かず支線ももちろんない詐欺のような名前で、それでもいわゆる「葬式鉄」など廃止を寂しがるファンで月末は大混雑だったようです。

 この熱気が以前からあればと思われるほど、最終日は3両に増結した車両が超満員で、引退コンサートさながらのように惜しまれて鉄路は閉じられました。

 多くの貨物私鉄も従え、石炭輸送で活況のあった時代から、札沼線、羽幌線と支線が次々と廃止されたのが転落の始まりでした。

 本線の末端区間、珍名で知られた増毛から留萌が2016年に廃止されて、2023年には線名の留萌から石狩沼田の心臓部ともいえる部分が廃止となり、わずかに残った石狩沼田〜深川が今般廃止となりました。くしの歯が欠けるように寂しく、段階的に廃止が進みました。

 防雪、防寒対策で車両や線路保守にコストがかかる路線ばかりのJR北海道の厳しい状態は続きます。

 北海道は大赤字路線の廃止が続いてきました。ひとまずは予定は終わりですが、赤字路線は多く次の検討もなされているでしょうし、ひとたび災害となると復旧はされず放置→廃止となるパターンです。

 北海道新幹線の延伸とともに、並行在来線となる函館本線の通称「山線」の小樽以西は、地元は三セク化を引き受けずに廃止となります。

 昔、青函連絡船で函館に着くと、室蘭本線の「海線」経由の特急と函館本線をそのまま山線経由の特急が並んでいて、猛ダッシュしてきた人がチョイスできたのが懐かしく思われます。

 整備新幹線延伸問題はルートや並行在来線でどこでも問題になって工事が遅れたりしています。

 しかし、この函館本線の有無言わずに廃止は残念というか、東京〜札幌を優先して、いかにも過疎地を切り捨てるようで個人的には一番モヤモヤしたものが残ります。

 西九州新幹線、北陸新幹線、リニア中央新幹線もそれぞれ問題はありますし、要る要らないやルート、地元負担や三セク化で揉めるも分かりますが函館本線山線のバッサリ廃止は文句を言う声すら少ない寂しさがあるのです。

 昭和50年、お金のない学生だった私たちの世代は、飛行機という選択は無く夜行列車と青函連絡船で、周遊券で北海道へ行く一択でした。航空会社はスカイメイトなど格安の割引サービスをはじめ、この頃国鉄が毎年運賃値上げをして、北海道へのシェアは一気に飛行機はシフトしていきました。

 寝台特急も全廃され、今、関西からはもちろん首都圏からでもよほど酔狂なマニア以外は鉄道や船で札幌へ行く人はいなくなり、99%のシェアを飛行機が握っています。格安航空会社もでき、空港アクセスも便利となったからです。

 そんな中で、今さら札幌と新幹線が繋がるのに、在来線を犠牲にして、どれほどの新たな需要が見込めるかということです。

 かつての新幹線延伸は広島、博多、仙台などから航空機のシェアを奪い返し、新潟、長野や山形、富山、金沢などを東京と最速で結び沿線も含んだ観光やビジネスに劇的な利便性を生みました。

 私はリニアは別にして、地方創生という意味で西九州新幹線、北陸新幹線は早く延伸完結すべきと思いますが、これだけ鉄道が廃止されシュリンクした北海道に、さらに在来線を減らしてこういう形での延伸はやはり疑問です。

 札幌延伸ありきの苦渋のルート決定かもしれませんがルート決定は強引でした。

 沿線に都市や観光地、旭川延伸を考えると空港アクセスもある室蘭本線沿いの海線に近いルートが選ばれませんでした。過疎地の山あいを抜ける山線廃止前提でルートが決定しました。

 本来の新幹線の地方活性の原則からは外れて、ただトンネルトンネルで札幌だけを目指すします。東京から乗ったとして、車窓の楽しみも何もない退屈な時間にしかなりません。これでは航空機の方が時間も早ければ、ずっと楽しいのではと、乗り鉄の私でさえ思います。

 学生時代に北海道各地にあった鉄路を懐かしむ身としてやりきれない思いで、廃線鉄として札幌への北海道延伸を待ちます。

 長くなりましたが、最後にもう一つ今年3月の話題で、3月14日のダイヤ改正で閑散駅のJR東日本根室本線東根室駅が廃止されました。

 これによって日本最東端の駅が、根室駅に変わりました。路線は廃止ではないですが、根室本線の終点近くが一度東の端に行ってから北へ曲がりそこから市街地に回るため西方向に行って根室駅があるのです。

 途中にあった東根室駅が日本最東端だったのです。どちらも訪れたことはあります。個人的な日本の東西南北の端の駅制覇は変わりませんが、これもJR北海道の厳しい状況を示す話題です。

 

https://seizafpkotodama.com/2025/11/04/14316/

京都府知事選挙、予算10%カット、マイナスシーリングという考え

 年度変わり、お花見や入学式のシーズン、京都府知事選挙が4月5日に投開票、同日には府議の補欠選挙もあり、わが町が選挙の喧騒でもありました。

 共産党が強いと言われながらもジリ貧で、このところ与野党相乗り対共産党という馴れ合いの無風に近い府知事選挙でしたが、今回は第三極として日本保守党.NHK党の元参議院議員浜田聡氏が立候補しています。

 なかなか、エッジの効いた政見放送で、さすが立花流もありネットやXなどでは注目されて、少し面白い構図になっています。

 全国区では参議院選挙で30万票以上集め落選者では最多得票でしたが、地方選挙ではまだまだネットの力だけでは勝ち切れないでしょう。

 現職の西脇知事を脅かすのはさすがに難しいとは思いますが、組合や業界に根強い組織票を持つ共産党系候補と並んでいること自体も凄いことです。少なくとも供託金没収はない、一定のインパクトを与えるでしょう。

 公約も保守色が強く、既得権益に媚びないで、同和利権の切崩しなどタブーにもチャレンジしておられます。

 共産党系候補が、相変わらず財政の厳しい中、夢物語のような給付や福祉を訴えるのに対し、浜田聡氏は府の予算の10%カット、マイナスシーリングを財源にすると公約にされています。

 府知事選挙の行方は別にして、この考え方はなかなか当たり前のようで画期的というか、主張している政党が意外と少ないのです。

 地方でも国あるいは企業でもスケールや構成要素は違っても考え方は一緒です。

 財政が厳しいとなった時に、それでも減税や給付、社会保障にお金が要るなら、新たな財源を求めるか無理なら節約、企業でいう広義のリストラです。

 リストラ、本来の意味は事業の再構築です。セグメントした事業に集中して、効率の悪い部門をシュリンクしていく、上手く生き延びた企業はこれをやっています。逆に希望退職だけ募り、事業が旧態依然の会社は倒産しています。

 積極財政か緊縮財政かとよく2択の議論になりますが、企業の再生で見るとこれは本来2択ではないのです。両方やるのが当たり前なのです。

 企業が新しい部門に参入するとか、大規模な設備投資をするとして、その財源を社員の給料やボーナスをカットしたり、辞めさせてということはないでしょう。

 不採算の部門は縮小、閉鎖して新たな部門にシフトして集中するのが当たり前です。

 公務員の組織はこのごく当たり前がなかなかできません。

 選挙で共産党の話が出ましたが、共産党系とか組合、あるいは官僚の主張はいつも公務員の立場、仕事内容や勤務地、待遇まで守って現状維持したままで、福祉予算を増やせというので、社会は回らないのです。

「小さな政府」の考えは、いつも絶対的に正しいとは限りませんが、官僚機構は掘っておくと、自己増殖して淀み既得権益で国家のシロアリになります。

 国家や地方が税収もどんどん増えて財政が安定しているならまだしも、高齢化と人口減少で国際情勢も不透明な時代です。 午後と言われ、国民の所得、手取りが少ないと叫ばれて国民的課題になっています。

 官僚ばかりが安定して高所得な上、無駄な独立行政法人などが林立していてるのに、さらにに何かしようとすると、財源!財源!と国民から税金を絞り取る策ばかり考えています。

 もっと民間を見習って、不採算な部門は縮小、幹部給与含めてマイナスシーリングが当たり前という考えが浸透しないと立ち行かないのです。

 浜田聡さんの主張がそれなりに風となって、今後の全国の流れに繋がればと思います。

 

高校古典、故事成句を懐かしく復習

「伊賀の影丸」や「仮面の忍者赤影」「鉄人28号」「ジャイアントロボ」などSFや忍者の漫画で知られる横山光輝さんは、歴史物の漫画もたくさん書いておられます。

「三国志」や「史記」「水滸伝」「項羽と劉邦」などの中国の古典の超大作も、抄訳しながら読みやすく著しておられます。それでも三国志は60巻にも渡る大作ですし、史記も15巻に及んでいます。

 史記は歴史家、司馬遷による伝説の五帝の時代から、始皇帝や項羽と劉邦の物語を含む前漢の武帝まで2000年もの間、三国志の前の時代の通史です。

 個人のエピソードを重ねるように、重大な歴史を描いています。

 中国の歴史、覇権をめぐる抗争がいかに昔からあり、現代に繋がる戦略や人事の教訓のような故事成句が、この時期にできていることに驚きます。

 横山光輝さんの取材や勉強、表現力や想像力にも頭が下がります。もちろん、専門家に言わせれば、細かい間違いなどはあるでしょうが、読者を引き込む力技に感服します。

 高校古典ぐらいで、久しく目にしなかった漢文の詩や故事成句が懐かしく甦ります。

「刎頸の交わり、臥薪嘗胆、背水の陣、四面楚歌、桃李物言わざれど下自ら渓をなす、完璧、虞美人草、先んずれば人を制す」等など、日本人の心に刻まれた数限りない言葉を生んだエピソードが描かれます。現代でもときおり使われる言葉が思い返されます。

 残虐や、卑劣な場面やセクシーな場面もありますが、横山光輝さんの絵は比較的そこはさらりと淡泊に描かれ、読者の想像に委ねてくれます。

 なかなか、読み応えある大作、電子書籍で手軽に読めます。

 

旅をしても、ハレの日は地元にいたい

 今年も桜の季節が来まして、日本のどこでも学校や公園、神社、お寺、名所旧跡、大きな会社などいろんなところに、ここにも桜があったのかと咲き誇ります。

 私は子供の頃は、桜などあまり意識もしませんでした。

 会社に入って多くの転勤で各地の桜も見ました。4月の人事異動で転勤する時上司から「4月の異動はいいぞ、アイツが行った時、キレイな桜が咲いていたなあと思い返される」

 桜の季節の異動は送る方も、送られる方も思い出に残ると言われました。

 そういうものかと思うと、各地の桜が送ってくれるようで感慨深いものがこみ上げました。ある時は、東北に異動して、桜に送ってもらい、迎えてもらう時も、まだ向こうでも桜が咲いてくる時期で、歓迎してくれているようで、また感慨深い気持ちになりました。

 桜守りをする人も大変な苦労と聞きます。名勝といえど、その地の桜を維持するのは大変です。

 仲間や家族と花見へと簡単にいっても、年によって開花はバラバラで曜日を選んでいると天候が悪かったり、その間に散っていってしまいます。

 京都に落ち着いて居を構えてからは、近くにも花の名所があり、春のこの時期には地元の桜を愛でることが落ち着きます。

 春先に旅をしていると、「ここは桜の名所で、あと何日かで絶景だったのに」といわれる時もありますが、その時期は今は地元の花を見る方が安心できます。

 転勤で2年以上その地に住むと、幸いにもその地の絶景が見られます。静岡の富士山をバックにした桜、八郎潟の菜の花と残雪とがマリアージュした桜、三陸海岸の海沿いの桜、天橋立や宮島なとの名勝の桜も見たことはあります。

 それでも、桜や紅葉だとか、祭りや花火なども、旅でその日だけ見に行くのではなく、地元に住む人のものだと思うのです。開花時期などや、天候や曜日の都合で、旅行などで1シーズンだけでは、その土地を知り、語ることは難しく、そこで樹木や祭礼、文化財を護る地元の人たちに失礼な気がするからです。

 京都は確かに大きな町ですが、家から歩いて行ける範囲でも地元の祭礼もあり、桜も紅葉もその他の自然も、社寺仏閣もたくさんあります。毎年、その様子も変わり、じっくり楽しめます。

 旅先のベストシーズンの絶景はお金をかけなくても映像で十分見れますし、無理して行ったところでその通りに見られるとは限りません。

 地元のハレの日には家にいて、地元を支えてくれる人に感謝しつつ、ゆっくり楽しみたいものです。