マイルやポイント割引はオマケ、経済圏に囚われない

 クーポンや特売日というと昔はその日に大変な集客があったものです。

 ドラッグが隆盛してきて、メーカーとしてマツモトキヨシの店舗を担当していた頃は毎月1日カウンセリング化粧品のポイント5倍デーでその日のお客様が多く対応に迫られました。

 ところがポイントデーの日数や倍率、あるいは一般品の割引クーポンの日もどんどん増えていきました。競合店も多いので止めるに止められない感じのようです。

 大手ドラッグは主力のポイントカードプラス自社のポイントカード、SC、地下街などのテナントに入っていればそこのポイントも付くというサービスぶりです。

 客としては、ありがたいようで、企業とか業界として大丈夫かなという気はします。

 メーカーは希望小売価格に基づき卸価格を決めています。しかし、近年のM&Aで、取引先グループはどんどん大きく集約されています。

 売上規模がローカルで小さかった店も、全国規模の大手に吸収されれば、そこのセントラルバイイングと交渉しないといけません。

 さらに大手同士が資本提携を重ねる状態では超大手ができ流通側のシェアも立場も大きくなりすぎます。

 個人店の仕入れとは、どんどん条件格差が開き、かつては商店街で証紙や福引券、オマケだけで定価で売れていたものが、3割とか5割の差ではついていけません。後継者とかの問題ではなく、今や端から個人での商売が難しい時代です。

 テナントに入る条件もテナント家賃もですが、モール全体のポイントシステムも大きな負担です。

 これは、ホテルだとか旅行業界でも、さらにレベル違いになり、定価も何もありません。

 昔は、学割、株主の割引以外は鉄道や船や飛行機も定価、ホテルも季節や曜日で差はつけて定価は決まっていました。

 逆に売れ残ったホテルや、電車の指定席などは、その日の分は空、ゼロになり、二度と売れません。明日になって賞味期限切れで自家消費で処分するとか、スーパーの夕方になって総菜にシールを貼って叩き売りするようなとこもできませんでした。

 ところが業界と言わず社会全体の情報化とデジタル化が進みWEBページの機能、ポイントやネットサイトが進化しました。ホテルは最低限の清掃などがペイできれば、閑散期などで売れ残りそうなら安くして売るようになりました。

 格差比較のサイトができ、定価販売は大崩れして、最初に買った人とバーゲンで買った人は半額以上の差が突き、グレードの低い部屋の方が高い料金を支払うケースさえあります。

 JRも航空会社も会員囲い込みなどで、とんでもないお得な企画切符も出たしました。

 これは他の携帯電話やクレジットでもそうですが、自社の利用だけでなく、系列カードのポイント、マイルを貯めると、それだけで大きなサービスを受けられます。

 会員特典で購入できる企画商品もあれば、通常価格の5割引きはおろか、貯まったマイル、ポイントでタダで購入できるので、お得感は満載です。

 私もポイント利用はしますし、公共料金でポイントが貯まるのはありがたいサービスとは思います。

 反面、携帯電話会社やJR、ドラッグストアにしろ、そうやって囲い込み、儲けているのですから、消費者側は賢く見ないといけません。

 私は定価販売には意味があると思い、マイルでの旅行やポイントでの買い物が目的になってしまってはいけないと思います。

 そもそも消費しなくてもいいものを刺激されて消費してしまう面も否定はできないと思います。

 ポイント購入などでポイントがつかないのに怒る人もいますが、法律や仕組みは別にして、ポイントはあくまで「オマケをタダで貰う」ものです。

 マイル旅行も長年愛用した旅行会社のお礼、昔なら商店街の福引で当たった招待旅行のような、それが決められた日の団体旅行ではないだけ融通が利き、ありがたいご褒美ととらえた方が上品です。

 株主優待もリスクを怖れずその会社へ投資したことに見合うお礼であり、転売したり、それを節約と自慢するのも、少し違うというか、品がなく思えます。(個人的感想です)

 ガソリンやお米が原価や供給量のせいで、上がるのも直近の難しい課題です。しかし、ここでいう値上げも価格維持も決められた価格あっての話です。

 その価格の感覚を値引きやポイント、マイルで麻痺してしまうと、もう物価問題を語れないのです。スーパーでお米を買ったことのない議員が政治を理解しにくい感覚と同じようになってきます。

 あんなにドラッグストアが乱立していて、少しもつぶれないのは何故か、インバウンドだけでもなく、定価で買う非会員のおかげでもないでしょう。ポイントや割引につられて訪れ買い物する人たちが支えて儲かっているからです。

 ポイントやマイル、カード経済圏、その構造を頭に入れないと、庶民は知らないうちにぼったくられています。

 

 

 

100年安心と言われた年金制度改革の巧過ぎる罪

 年金制度の改革は1980年代の共済年金に手をつけた当時から国民年金は破綻寸前で、積立金の豊富な厚生年金や共済と比べ、元々徴収が難しく給付もきつかくなっていたのです。

 官民格差も騒がれて、基礎年金番号を統合して、いわゆる一階の基礎部分を揃えて、国民年金の財政危機は救えました。しかし異なるシステムの統合により、消えた年金という大問題も生まれました。

 元々バラバラだった上に、職場を変わり、姓が変わつた人、支給が近くまでは放置しているも多く、自己申告がないと年金機構側も知りようもなかったので統合しけれなかったのです。しっかりした大企業が全てならまだしも、保険料も届出も遅れがちな雇用主もいたでしょし、マイナンバーもない時代、不明になったこと自体はしかたなかった面もあるとも言えます。

 酷いのはバブル時代に、厚生年金保険料は莫大なお金が集まり、当時はバブル崩壊し、少子高齢化で先細る未来が見通せず放漫は投資で積立を散逸してしまいました。

 グリーンピアに見られたような厚生年金の積立運用失敗は責められます。これがトラウマともなり、なかなか積極的な運用も図れず、保険料と税金の枠での制度適用で、ジリ貧の経済の煽りを受けます。

 20世紀末には年金財政が厳しくなり、切迫した課題となりました。

 支給率は徐々に下げながらも、現役世代の負担は増えていきます。

 それでも「このままでは年金制度は崩れ、将来貰えないから、さらに改革すべき」となり、官僚や年金部会議員が知恵を巡らせます。

「年金100年安心プラン」を当時人気があった小泉純一郎総理と坂口厚生労働相が宣言し、今となっては悪名高い「マクロ経済スライド制」が始まりました。

 年金制度は100年経っても枯渇しないという財政上の制度の持続制可能性を指しているのでしたが、小泉さんの勢いで何だか100歳まで十分な給付で安心とか、国民年金だけでも老後年金制度で暮らせるような錯覚を抱かされました。

 現実は大きくは2度にわたり、厚生年金の標準報酬月額からの給付割合は減らされ、所得代替率は3分の2から、半分に減ったばかりか、そこに時限爆弾のようにマクロスライドがじわじわと作動をはじめ、令和になってからの年金生活者はどんどん苦しくなっていきました。

 この年金受給年齢到達による率の低下はまだしばらく続きます。そして、国民年金も元々苦しかったのが、デフレでストップしていなマクロ経済スライドがキャリーオーバー分含めて作動をはじめて、ますます苦しくなったのです。

 この間には住民税、厚生年金保険料や健康保険料や介護保険料も跳ね上がり、天引きされる金額は増えるので、手取りはますます減っていきます。

 本来は貰いすぎの世代からだけ減らして取るべきところですが、それも無理があり全体を下げて行くしかないのです。

 マクロ経済スライド制も、デフレが続きその厳しい顔をなかなか見せず、百年安心の笑顔だけのイメージが残っていたのもタイミングが悪い罪でした。

 本来は100年安心とか美辞麗句ではなく、「もうウチの家にはお金がないから、おじいちゃんのお小遣いは毎年減らすから、切り詰めてくれ」とはっきり言えば良かったのです。厳しくなるけど我慢してと言えば節約や対策もできたのに、選挙の影響を考えるとバレないようにクリアに言わないまま、じわじわと下げたのです。

 昔なら、物価にスライドして年金を1年後に(それでも遅い気がしますが)上げていたのが、それでは賃金が上がらない現役に対して不労の高齢者だけ上がるのはおかしいということで、賃金と連動を加味することになり、ますます物価への連動は遅れていくようになります。

 マクロ経済がさらに悪質で狡猾な面は、デフレで本来年金を下げるべき時はあえて下げず騒がれにくいようにして、インフレの時に上げる分から加算して引くようにしているのです。

 何でこんなややこしいことを考えたかと言うと、年100万円もらっていた人が物価が5%のデフレで支給わ95万円にすると気付いて騒ぎます。その場合は100万円のままにして、次にインフレで8%上がった時に108万円のところをキャリーオーバー分差し引いて103万円に止めるのです。これだと気付くのが難いという小手先の知恵です。

 ただでさえ、わかりにく年金の計算がますます難解になっていくのです。スパゲッティコードといわれる他の業界の知恵者、学識経験者でさえ、理解して解きほぐすのが難しくなっています。

 この間、非正規雇用が増え、元々の標準報酬月額も減り、賞与や退職金も減る世の中となりました。

 年金受給が60歳から65歳になった段階で、多くの人の老後の破綻が誰の目にも明らかになったのです。

 制度として老後を支える公的年金があって憲法で決められた最低限の文化的生活を保証しするには、年金財政も生活保護などの財政も厳し過ぎるのことも、政治家や官僚は気づきました。

 老後2000万円必要問題は、誰言わず財政の実情を遅ればせながら、明言して美辞麗句で誤解された年金100年安心を正したのです。

 年金だけの問題ではなく、賃金や退職金、他の税金や社会保険料で手取りは少なく、ここへ来ての物価高で、現役世代も年金世代も不満と不安が溢れてきたのが、しばらく前からの「年収の壁」「財務省解体」などの問題です。

 いわゆる五公五民の限界を超えた不平不満の爆発なのでしょう。

 さすがに繕っても今の税金や社会保険料は高すぎで、取りすぎです。かと言って高齢者の年金が潤沢かとなるとそこに回しているから現役世代が高いというほどではなく、本当に恵まれているのは今80歳以上の厚生年金受給の高齢者ぐらいです。

 高齢世代の◯◯を削ろうとか、健康保険の率をとやると、結局はこれから老後を迎える現役世代はもっと厳しくなってブーメランが返ってくるのです。

 この大きな国の課題は与野党以上に国会なのか国民会議や、省庁の枠を超えた政治と行政のリーダーたちが、傷みを怖れず改革していかないと進まないでしょう。

 自民党が大きくなったのも良い面悪い面がありますがポジティブに考えたいです。圧倒的な勢力ですから、目先の選挙はもうないのでふ、選挙の支持でお世話になった団体、いわゆる業界などでも改革のためにスバっと切って行く決断ができれば、改革は進みます。

 保守だからといった、憲法さえ変えようというのですから、公務員や官民癒着の構造を改革するのはできます。

 デジタル化の波で改革できるところはいっぱいあるのですが、既得権益に気を使うのと、実際に仕事や利益を失う不安を解消するアイデアや仕組み作りです。

 デジタル化でも人は必要です。特に過渡期ではある程度の人員は必要です。

 自動運転やロボットの登場で、バスや電車、タクシーも専門免許をもった運転士は要らなくなります。ここで業界を守るのではなく、過渡期の監視の人員や自動運転の企業へのシフトなどを上手く回すような仕組みをリードしていかないと、日本は取り残されていくのです。

 憲法も大切ですが、細かい法律を社会の変化に合わせて、既得権益を打破するよう変えることが、財源や雇用を産むのです。

 50年後の日本が素晴らしい国家で残っているかは、今の地味な改革が重要です。

 

 

 

 

風化されつつある震災15年の運命

 私自身が5年前、10年前と比べて3.11を思い起こすことが少ない今年の3月でした。

 東北からは遠い関西では30年以上前の阪神大震災を1月に思い出す同年代の方が多いかもしれません。新聞やローカル局の報道も神戸の1月の割合の方が大きい感じです。

 私の場合は、東北宮城県に震災の2年前まで住んだことがあり、被災した同僚や知古も多くいました。

 運命のいたずらとはいえ、そこに居合わせなかったことを、僥倖とまでは言わないまでも、どう受け止めるのか複雑な思いです。当時、その2年前までは仕事で訪れていた仙台東部道路や石巻市北上川、仙石線野蒜駅に真っ黒な津波が押し寄せるの報道の映像で見た時は、怖さで鳥肌が立った記憶があります。

 当時も今もチャリティーだとか、ボランティアとかふるさと納税など、小さなことしか、東北に役立てることはできませんが、やはり何かやりきれない思いを抱えて15年が経ちました。

 15年の間、京都に居を構え、勤めていた会社も波乱もありましたが無事卒業し、小中学生だった子供も成人しました。世間はその後、コロナ禍にも見舞われて、経済は低迷を続けました。

 この15年、家族を失い、家を失くし、風評に苦しむなど未だ東北の震災の傷は癒え切ったとは言えません。

 復興特別所得税が名前としては残っていますが、多額の血税が徴収されているのに、決して上手く活用されているとは言えないのが悲しいところです。

 日本の税金を予算立てる省庁は、復興とか、森林環境、子育て支援とか名前はキレイでもっともらしい名目をつけます。しかし使われ方は題目の目的と違うとか、特定の法人等が潤うなど、サギまがいになっています。

 公務入札ビジネスを全て否定はしませんが、少なくとも人の不幸を助けるためとかでお金を集めて、半分はそれを利用して儲けているというのはとんでもない構図です。

 震災から時が経てば経つほど、離散していく人、仕事に就けない、健康を害したなどの因果関係の証明も難しくなります。いたずらに手当を上げるだけでなく自立を促さないといけない場合もあり、一律の対応も難しいでしょう。

 復興支援にしろ、被災した人の幅広い柔軟な対応が必要になっています。

 コロナの時もそうですが、緊急自体的な時だけに、急ぐのも大事ですが、悪質な中抜きは厳しく戒めないと、政官財の癒着による国民の苦しみは絶えません。

 震災から15年、個人としては達観した部分もできました。私益を捨てて考えると、能登の地震対応等を見ても、やはり公はもっと迅速かつ厳格であって、柔軟に動く、公僕とならないとと思います。

 

https://seizafpkotodama.com/2021/02/23/%e3%80%90%e6%9d%b1%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%a4%a7%e9%9c%87%e7%81%bd10%e5%b9%b4%e3%80%91%e7%94%9f%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%80%e9%81%8b%e5%91%bd%e3%82%92%e5%88%86%e3%81%91%e3%81%9f%e9%87%8e%e8%92%9c%e9%a7%85/

国連も国際法も無意味なのか

 

「国際法とか国連は時代遅れで機能していない」という論調が広がっています。

 トランプの指示によるベネズエラやイランの奇襲ともいえる攻撃には驚かされました。

 親米の論客は「日本はトランプ政権に追従するしかない、国際法や国連主義を訴える人は左翼やリベラルで国を危うくする」との論調です。

 それでも、日本は国連に世界でも突出した割合で供託金を出しています。

 トランプが次々と無駄な利権がらみの国際機関から脱退しているように、日本もそれなら国連も国際機関もやめたらという意見は出ないのでしょうか。

 親米はわかっても、アメリカには貢ぐ、国連や国際機関にも払い続けるでは、いくら税金があっても国内にはまわせません。

 国際法に至っては、プーチンや習近平には秩序を求めているので、ダブルスタンダードです。ベネズエラやイラン、かつてのイラク攻撃もですが、さすがにアメリカなら何でもありでは、世界のどこでも秩序はなくなり、大国に媚び、安心して眠れたなくなりめす。

 戦争にもルールがあり、毒ガスや地雷には制限がかかっています。中世の騎士や武士の戦いのように、名乗りを上げて兵士だけフェアな戦争するのではく、近現代は兵站や市民も巻き込む戦争が当たり前になってきています。

 人民をないがしろにするあまりにも非道な独裁者も、かつての歴史では必ず報いを受けて退場しています。

 それを早めるトリガーがトランプの奇襲と言われれば、一見正しそうですが、確定した証拠や裁判もなく、他の人も巻き込まれながらです。制裁は必要となった場合、多少は形式的でもやはり国際機関の公平な認定が必要ではないかと思うのです。

楽隠居か姨捨か?高齢世代の憂鬱

 高齢化社会を迎えて、なかなかリタイアした老人が優雅に暮らせる割合は低いのではと言われます。

 昔は「年金生活」というと接頭語に「夢の」とか「優雅な」とかがつきましたが、昨今の響きは全く違います。

「悲惨な」「不安な」が頭につきそうな年金生活の人が増え、今後高齢で年金受給を迎える方はますます現役の所得代替率が下がり、不安の通り悲惨となる人が増えそうです。

 昨今の急激な物価高には、年金支給額は対応できません仕事がある場合は別にして、相当な蓄えや、副業や運用で所得がある人以外は楽隠居はありえなくなりました。

 若い人は「ご隠居さん」とか、「楽隠居する」と言われてもピンと来ない言葉かもしれません。

 それでも昔は飢饉や恐慌などもあり、身分によっては弱い老人にまで食い扶持が回らず姨捨という悲劇もありました。

「楢山節考」という映画で描かれ、昔は姨捨という因習がありました。隠れて住まわせた老人の知恵が村を救って、姨捨制度を改めたという美談もありましたが、一般には見捨てられたのでしょう。

 横山光輝さんの描く時代ものにも、忍者や剣豪が出てきます。中には高齢になった者も描かれ、生命をかけ主君のために働いたのに、身体が衰えると最低限の食い扶持で蟄居させられ愚痴る場面もありました。

 軍人恩給という年金の原点もそんな感じで始まりました。鉱山作業員も早く年金制度が整いました。生命をかけ、身体も不自由になる仕事に就かせるには年金のような福利厚生が必要だったのです。

 しかし、誰もが働けなくなる老後は不安なのであり、年金制度は発展してきたのです。

 ところが2000年代以降、日本の政府は少子高齢化社会を見据え、大きく舵をきり、支える人間側の都合を鑑みた財政優先の考えのため、年金支給を減額していきます。

 消えた年金の騒ぎや、将来年金制度が破綻するのではという煽りで、年代で区切り厚生年金の支給の計算比率を下げ、さらに巧みに物価や賃金にスライドするはずの年金支給の乗率を下げていきました。

 高齢者は増えますが、その多くが時代を追うに連れて、年金では生活できなくなりました。定年も少しずつ延長されだしましたが、年金の支給も蜃気楼のように遠ざかっていきます。

 新自由主義が掲げられた2000年代以降、非正規社員比率が増え、所得も減り、貯金も退職金も少ない人がこれからどんどん高齢者になります。江戸時代や明治大正とかの昔に比べて医療も発達し、寿命は伸びて、高齢を迎える人は増えました。

 私の家の家系でも、母方の祖父は私が生まれる前に早死にしていますし、父方の祖父や兄弟も戦死や病死が何人かいました。父母の世代になると、それぞれ80歳は超えて生き、妻の父母は80代後半で健在です。ただ、この世代は自営も長く続けるのに恵まれた時代でしたし、年金もフルに厚生年金受給だと潤沢です。私たちの世代はその30年遅れて年金支給は遅く少ない。そしてさらに若い世代はもっと苦しい世代で自分の今が精一杯になり、高齢者を支えるのも、自分の老後への備えもままならないでしょう。

 冗談にもならない姨捨の時代が来るのです。

 子供が親を大切にしてくれるのか、しかし世代としては他人の高齢者まで支えてくれるのでしょうか。後期高齢者の負担を増やせていう世論もここからきています。

 高齢者に気遣う、長幼の序など知らない世代が占める割合が増えると、本当にギスギスした住みにくい世の中になりそうです。

 育ててくれた親の世代を大切にする社会が続くのか、終わってしまうのか、世代間の闘争などない社会であって欲しいものです。これは自分の目の前のためのエゴではなく、誰もが老いは避けられない高齢者を大切にするということはやがて自分たちも老いてうく、未来の自分たちの世代を大切にするという理解を広めることでしょう。

 

わかりやすい政治が良いのか?

 友達の発言をあまり悪く書くのもためらわれますが、総理大臣に求めるものがどうも違うレベルの話をする人がいます。

 そこそこの大学を出て企業に勤めた人や、政経に詳しい専門の著名人でも、「政治家の発言はわかりやすくないといけない」という意見になり、田中角栄、小泉純一郎や、高市首相は「わかりやすい」から良いというのだ。

「わかりやすい」だけが、高市首相の支持率高騰の理由とは随分失礼な話ではないのかとも思うのですが、直近でいうと菅義偉、岸田文雄、石破茂は話がわかりにくかったというのが不支持の要因というから何だかである。かつてはボソボソと滑舌が悪い総理大臣もたくさんいました。

 残念ですが、多くの人にとっては、難しい話をしてもわからない。いざ自分の目の前で税金が上がり、お金が無くなるとか生命が危険になると騒ぐだけで、気がつけばもう遅いのです。

 高市さんも、一時期は極端な右翼系の支持しか集まらず、保守党ぐらいと組んで自民党を割るべきといわれた時期もありました。

 安倍晋三の後継と言われますが、高市首相を見ていると、支持基盤は弱く一時期まではやはり総裁選に負け続けた小泉純一郎を思い浮かべます。「自民党をぶっ壊す」と「郵政民営化」のわかりやすい劇場型政治、ワンイシューで大変な人気の総理になりました。

 しかし功罪半ばというか、小泉純一郎の時代に日本の転落は始まりました。

「百年安心」と誇らしげに言われた年金改革は、今に至る所得代替率の漸減の始まりです。

 新自由主義を進め、非正規雇用を拡大して、大企業の正社員は助かっても、それ以外は大変な時代になりました。

 北朝鮮電撃訪問、靖国神社参拝なども、ただ右翼の支持を貰い目立ちたいだけでした。その時限りで、むしろ禍根が深まり広がっています。

 最も残念なのは、パフォーマンスで人気は得てもアメリカの言われるままに郵便貯金も手放し、財務省などの官僚の言われるままの経済オンチだった点です。

 今検証すると、トンデモない悪政しか残っていない小泉純一郎が、守旧派を叩いてあたかも勇気ある改革者を装い、大変な人気でやりたい放題、その後日本は真っ逆さまに転落したのです。

 その息子進次郎は結局高市首相に破れて今は閣僚止まりですが未だに人気はあり、どうなるでしょう。

 国民の大多数の支持がないと、政治を行うのは難しく、大衆迎合、劇場型政治は勝つためには間違いではなく、ネット情報が重要になった現代でも、政治の構図は変わりません。むしろネットにより傾斜が激しくなったかもしれません。

 ヒットラーも演説はうまかったようですが、大衆は破滅へと導かれました。

 話がわかりやすいことが正しいとは限らない。国民は、惑わされないよう、わかりづらくとも人物や政策をしっかり見ることです。

 高市首相はクレバーな面はあり、人気に自惚れずしっかり政策を見極めて進めて欲しいものです。

 

https://seizafpkotodama.com/2026/02/28/%e9%ab%98%e5%b8%82%e7%b7%8f%e7%90%86%e3%81%ab%e6%9c%9f%e5%be%85%e3%81%a8%e4%b8%8d%e5%ae%89/

いつまでも対岸の戦争ですむか?

 4年続くウクライナ、カザ、ベネズエラに続きイランでもアメリカの攻撃で戦火が拡大しました。

 戦後80年経っても、戦争はゲームやアニメのようにはスマートではなく、火器を使い市民の生命や財産を脅かす近世から人類は学んでいないのです。

 ホルムズ海峡封鎖が中引けば日本の経済への影響は計り知れません。原油価格はいきなり1割上がり、日本の備蓄が減っていくと物価や生活、産業に与える影響は計り知れません。

 しかし、それ以前にこんなにも好戦的なアメリカにずっと同盟国として寄り添い、貢ぎ続けていて大丈夫なのかとは、平和憲法とか戦争反対とはどの口で言うのか素直に感じます。

 日本人の感性では、目の前でころされる人がいれば、特にそれが知る人であれば悲しみ怒ります。

 人気のあるドラマや映画でさえ、思い入れた人が、戦争や犯罪でしんで行くと、大変多くの嘆きの呟きがネット上でも囁かれます。

 しかし、トランプの一声で何百人という人が一夜で亡くなっています。

 戦争にとにかく反対する声もあれば、国際平和のため悪の独裁者の国へは、先制や奇襲もやむなしという意見もあります。どちらも極端で、矛盾を抱えています。

 日本には平和憲法があり、戦争をしない巻き込まれないと、いわゆるリベラルや護憲の方は言われます。

 とはいえ、それ以前に日本は戦争大好きの力強い同盟国の軍事力や核の傘に守られ、戦後アメリカの傘下で朝鮮戦争やベトナム戦争の中継基地、関連特需で潤ってきた面の方が大きいです。

 第二次大戦の戦中、大空襲や原爆投下を味わい戦争の悲惨さ貧しさを嫌と言うほど味わってきたはずです。それでも、喉元過ぎれば、豊かな国になり恵まれた人たちは、他国の戦争は対岸の火事にしか見えません。。

 戦後の日本の奇跡的経済復興は日本人の勤勉さとか創造力と美化されますが、軍隊を持たず経済に特化し他の国の戦争で儲かったラッキーなだけで、何のことはない、今やアジアの国に一人あたりGDPで追い抜かれています。

 トランプという国家元首が「GO!」といえば、何百人がいきなり亡くなります、何万人もの生命や財産が喪われていても、日本人にとっては対岸の火事、遠い国の戦争なのです。

 親米や親中など、政治家のスタンスが極端に外国に寄り過ぎて国士と言える政治家が減っています。

 親米が保守、愛国で、親米がリベラル、護憲などとレッテルを貼ってベクトルを決めて分けてはいけない。真の保守、愛国、国士とは国と国民を思う政治家です。

 1980年代ぐらいまでの政治家は日本の政治や経済に強いブライドを持ってアメリカと、タ歩ネゴシエーションをしてきた人もいました。それで失脚させられたとされる総理大臣、政治家もいます。

 国際社会もソ連の崩壊、中国やイスラムの台頭で複雑になってきましたが、米ソ冷戦時代でさえ、日本はアメリカに対してそれなりに強い姿勢で臨んでいたのです。貿易摩擦に対して、妥協しない交渉で日本の産業、市場を守ってきました。もう一つ、あまり知られていませんが、軍事産業には矜持を持って手を染めませんでした。

 批判は受けますが、湾岸戦争でも当時は自衛隊の海外派遣はせずに済ませました。

 直近、国際秩序を大国の一政治家に任せていて本当に大丈夫なのでしょうか。

 外交は極端に走ってはいけない。一見敵対している国でも平和を望み友好の可能性を探り、交渉の糸は残しておかないとは思います。

 

 

 

 

オリンピック、WBC、W杯で思い出す昭和プロレス

 今年はスポーツイベント目白押しで、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが終わったと思えば、日本では人気の野球のワールドクラシックベースボールがあり、6月にはサッカーの北中米カリブ海ワールドカップが開かれ、9月には愛知県でアジア大会も開かれます。

 なんと言ってもサッカーのワールドカップは世界中で行われて注目される世界最大のスポーツイベントです。サッカーはほぼ世界中の国で盛んなスポーツで、野球やウインタースポーツは限られた国、地域で世界中とは言えません。

 日本では元々野球が人気で、一時下火で競技人口はサッカーに抜かれたようですが、大谷選手の活躍でメジャーリーグの人気に火がつきました。代表チームの国際大会WBCも、シーズン前のエキジビション的大会ですが、メジャーリーガーも出場して、日本のファンは世界一のかかった大会だと信じて熱狂します。

 野球は北中米、東アジアぐらいしか広がっていないスポーツですから、世界一とか世界大会といっても無理やりルーツをたどって欧州の国の代表にしたりして参加国を作っています。権威のある世界大会とは言い難い面があります。

 国際大会の国の基準は大会によって異なり、サッカーワールドカップは国籍要件で一度国の代表で戦うと国籍を変えても別の国では出られません。オリンピックは国籍要件はありますが、国籍変更は3年ほどの待機期間があり、2大会連続で2か国の代表での出場はできないのです。

 ラグビーは国籍ではなく、協会の所属で代表になれますが、通算10年の居住が求められます。

  これに比べると野球のWBCは、国籍、永住権、出生地、両親のルーツと広く認められ、まあユルユルです。大会そのものも、公式のシーズン前の宣伝、エキジビションでどこまで選手が参加し、全力で戦うかは微妙です。

 この感覚で、思い出すのは、昭和のプロレス、ブックと言われる筋書きや国籍ギミックなどです。

 プロレスもあのような形式ではアメリカと日本ぐらいしか行われていないので、とても世界のスポーツではありません。それでも、世界タイトルの選手権、世界の代表を集めたワールドリーグ戦、チャンピオンカーニバルだとかインターナショナルレスリンググランプリとかを信じて熱狂していた時代がありました。

 各国代表と言いながらもプロレスの国籍、特に悪役は、ショーのようなアメリカンプロレスでは嫌われるロシア人やナチスドイツのような衣装をつけ、プロフィールを偽って戦います。また、権威づけのために世界各国の代表を名乗っていても、実際にはプロレスの行われているアメリカ人でした。

 日本でも戦後すぐの時期、プロレスは敗戦で自信を失った日本人に、ウソでも勇気を与えました。

 力道山が大きな外国人を空手チョップでバッタバッタと倒すのに快哉を叫び、日本人は希望と活力を取り戻したのですから、ウソも方便かもしれません。

 当時はプロレスが、筋書きのあるものとはみんな思わず、力道山が苦しめられても最後には勝つのかハラハラして応援していました。

 少し後の世代はアニメのタイガーマスクでプロレスを知り、馬場や猪木がしのぎを削る時代でやはり内心嘘くさい面もあると子供心に思いながらも業界や団体ぐるみの虚構の世界とは思わず、タイトルマッチとかにはそれなりの権威があると興奮していました。

 ワールドリーグという大会に出場する相手レスラーも、オリンピックのように各国の予選を勝ち抜いた代表か、チャンピオンだと信じていたものです。

 プロレスの場合は、大会のレギュレーションもチャンピオンベルトだとかタイトルも、今となって知ると、全てが作り物、商売で、全く嘘くさいものです。

 それでもウソも方便のとおり、スポーツを見て喜ぶ心理はプロレスもその後の総合格闘技も、オリンピック、野球やサッカーを見るのと何ら変わらないと思います。

 母国や地元、ひいきの選手やチームが、勝てば良い。少し目が肥えると、内容も良く勝てば良い。それでも負けるよりは勝つ方が良い。

 昔の力道山など、ルールもいい加減で、とにかく人気者が勝てば拍手喝采でした。それは今、大谷選手がホームランを打つ、日本人が金メダルを取るのと何ら大差はなきのです。

 もう少しファンの目が越えると、最強のメンバーが集い、試合としても、接戦で競り合い、逆転などスリリングな展開で最後は推しが勝てればいいと思うレベルになります。本来のスポーツのルールを知り、技術の深さや面白さも知って見ている人はどれくらいいるのでしょう。

 やはり自国人や地元の推しが負けるよりは、理由は相手のケガなどのコンディション不良などであれどうであれ、勝てた方が良いと思うのが心理なのでしょう。

 スポーツを全く見ない人から見れば、見るのにかける時間もましてやサブスクやチケットにかけるお金ももったいないと思う程度の娯楽です。

 

 

 

宗教法人には当たり前に課税すべき

 旧統一協会、少し前はオウム真理教とか、怪しげな新興宗教の問題もありますが、普通に

宗教法人にもっと課税せよとの話は出てきています。

 実際に、いくつもの塔頭を抱え、観光客で潤っている寺社が事業を詳細には公表せず、全く税金を納めないばかりか、マネーロンダリングまで行っている疑いさえ囁かれています。

 非課税の聖域とも言われる宗教法人ですが、収益事業はしっかり分けて税金を払っていると反論、庇う方もおられます。しかし、課税非課税のその境界はあいまいであり、インバウンドで増えた膨大な賽銭や御守、御札、おみくじ、御祈祷などは非課税です。その他にも駐車場経営も、参拝補助として非課税となっています。

 私の住む京都市はお寺が多く、寺社の占める面積が大きいので、固定資産税、住民税の割合がいびつで、市の財政も市民にも厳しくなっています。

 京都市域で広大な面積を誇る社寺が境内非課税では、固定資産税や森林環境税は市に納められず、一般市民や民間の営利企業から穫るしかないのです。

 京都の名所旧跡が好きな市民もおられますが、観光客も来て京都の街は素晴らしいと自慢にはなっても、実家に住民税も高く、水道や健康保険も高くてはやはり住みにくく、イヤになるでしょう。

 諸物価が上がり、税や社会保険料が上がり、給与も年金も上がらないとなると、さすがにキツいのです。

 毎年「今年の漢字は◯です」とか呑気なことを言ってられないです。今度は儲かってるお寺さんが市に税金をもっと納めるなり、ふるさと納税のような寄附をして市民を助ける番です。

 今計画される、路面電車や、北陸新幹線など、京都の仏教会とかは反対しているようですが、むしろ儲けてるお寺や神社がスパッと払ってくれたらいいのです。

 近鉄の前身にあたる鉄道会社が奈良と大阪を結ぶ生駒山を貫くトンネルの難工事で、工費がかさみ経営が悪化し、沿線の宝山寺のお賽銭から借りた話があります。

 京都と小浜や福井、金沢は有名な社寺の本山と末寺でもつながっています。お賽銭から北陸新幹線の建設費用を出してもいいはずで、市民税も払わない社寺が反対するのはもってのほかです。それこそ千年の愚行です。

 京都の寺社が古く格式があり、「伝統を守るのにお金がかかる民間企業や新興宗教とは違う」というのも甘えた反論です。少子高齢化で檀家も減っているかもしれませんが、民間企業は当たり前に厳しいのです。

 壺を売るような霊感商法的な新興宗教だけをいかがわしく思う人がいますが、宗教なんてそういうものです。

 教義なども新しい方が、しっかりしてるかもしれません。他の学問やら機械や車などは新しい方が良い場合のが多いので、宗教も伝統だけではないでしょう。

 宗教も時の権力によって、重用されたり弾圧たり、栄枯盛衰もありました。自らを守るため、武力や財力、政治力を握っているのでしょうが、それは宗教の本質、教義とは違う問題です。

 少子高齢化社会で人口が減り、経済が低迷し、一人一人の負担が大きい時代です。

 既得権のように負担を免れる業界は、ルールを変え、聖域を壊していかないとならないのです。誰だって、税金が少なく儲けてお金が貯まればいいという誘惑にはかられますが、それでは社会は成り立ちません。ましてや、神職、聖職にある人は、まずは公に奉仕し、民に尽くす立場なのは当たり前のことです。

 期間限定で高額の料金を取る、荘厳で、絢爛豪華な社寺など維持するのは勝手ですが、通常の税金はもちろん、贅沢税のような付加税を課してもいいとさえ思います。

 一般庶民が、檀家になり、供養する程度のお寺の範囲なら非課税で良いのですが、かけ離れた事業レベルの宗教法人にはぜひ高市政権で改革の手をつけるべきです。

 

高市総理に期待と不安

 圧倒的な選挙の勝ちっぷりで国会に凱旋する高市総理、期待も大きいでしょう。

 白紙委任に近い議席を得た自民党ですから責任も重大です。毅然とした外交や憲法改正、皇位継承問題も保守の人は望み、積極財政や、税と社会保険の改革、議員定数削減など、国民がやって欲しいと求める問題は多いです。

 高市総裁の選出、公明党の連立離脱から、いきなりの選挙、立憲と公明の合体といろいろなエポックがあり、壮絶な選挙結果でした。

 石破総理時代は自民党も終わりで多党が群雄割拠する時代になったと言われました。

 しかし、小選挙区制度で傾くと大きくなる流れ、無党派の浮動票の勢いが、他の政党、労組や宗教団体をのみ込んだと言えます。

 しかし、心配な要素もあります。

 自民党だけの責任ではないですが、日本経済は30年ほど停滞しており、それぞれの病巣に勇気あるメスを入れていけない待ったなしの瀕死に近づいています。

 積極財政で成長をさせるに旧来の政財官の癒着があったままでは、せっかくの財政支出が血税のムダ使いになります。

 例えば保守の方でも、近年の自民党には何かと失望し、参政党や日本保守党などに興味を持っておられたと思います。根強い保守の論客の方で、やはり自民党は早晩潰さないとという思いの方もおられます。

 その長年の悪い自民党議員が大量に復活、政官財癒着の古い体制の自民党が延命したのです。

 何が悪い?高市さんの表面だけ見れば自民党が変わったと思われますが、それぞれの族議員のバックに紐づけいた団体との関係を普通に見ればやはり真っ黒、幻滅というか怒りを覚える構図です。

 一般の国民にはそこまで見えなくても、少し議員や役人、世の中の裏に詳しい人に知り合いがいればわかるところです。

 それでも大人気(おとなげ)なく、左翼政党を応援したくない保守の人は悩んできた人もいるはずです。

 あるいは、大きな政策を進める人物は少々倫理を外れ私欲を肥やすぐらい許されるとする人もいるかもしれません。

 それが経済を停滞させるほど腐りきり、浮上の妨げになるとしたら断ち切らないとならないでしょう。

 高市さんはかつて総務大臣で電波利権に脅しをかけました。伏魔殿とも言える財務省はじめ官僚、それぞれの省庁に繋がるマスコミ、各業界、各議員それぞれしたたかです。

 その議員が全て当選し、総理にうわべは恩恵を見せていても、裏では既得権益は手放しません。

 これではよほど頑張ってもらわないと、日本の浮上はありません。少なくなった野党の中に、相変わらずギフト券配りの批判など、レベルの低い論戦しか仕掛けられない議員がいるのにもガッカリです。

 せっかく選ばれた数少ない野党議員ですから、国を憂い、官僚の痛いところを的確に突いて高市首相の成長経済や行政改革を推し進めるアクセルになって欲しいものです。

 議会が3分の2がどうだとかいうのは問題ではなく、政策がどうで立法がどうかです。国士が対峙すべきは、議会の野党や与党内の反主流派ではなく、官僚や諸外国です。