読書レビュー「サイコセラピスト」アレックス・マイクリーディーズ

 ハヤカワポケットミステリなんて何年ぶりに読むのかという感じです。

 洋書の新書判サイズで、紙の端っこがなぜか黄色い。世界のミステリが揃っていました。

 何年か前にベストセラーになったイギリスのミステリ。

 イギリスらしい陰鬱な情景と、病院の怪しげ人物が、ぎこちない翻訳でも何となく伝わります。

 夫殺しの容疑で、一言も発せられなくなり沈黙を守り続ける画家アリシア、興味を抱いた心理療法士セオ。

 ❴少しネタバレ❵

 施設やアリシアをめぐる様々な人間をセオの一人称で展開する中、アリシアの日記が挿入された構造で進みます。

 他のレビューでは、ネタバレ前でも、後半の劇的展開、騙されたと語られてました。そう思って読むと、予想どおりという感じで、一人称、日記挿入というと◯◯トリック。犯人も、騙しの構図も何となくそうじゃないかと思ったとおりでした。

 前半がダルいとも書かれていますが、海外作品なので登場人物の名前とキャラが頭に入るかで変わってきます。

 良くできたプロットではあるのですが、それだけに騙されるレベルの人には鮮やか、気付く人には丸わかりみたいな印象です。

 今どき外で本を読んでる人も少ない中、ハヤカワポケットミステリ読んでるという字が自のカッコ良さに酔えます。

 

楽隠居か姨捨か?高齢世代の憂鬱

 高齢化社会を迎えて、なかなかリタイアした老人が優雅に暮らせる割合は低いのではと言われます。

 昔は「年金生活」というと接頭語に「夢の」とか「優雅な」とかがつきましたが、昨今の響きは全く違います。

「悲惨な」「不安な」が頭につきそうな年金生活の人が増え、今後高齢で年金受給を迎える方はますます現役の所得代替率が下がり、不安の通り悲惨となる人が増えそうです。

 昨今の急激な物価高には、年金支給額は対応できません仕事がある場合は別にして、相当な蓄えや、副業や運用で所得がある人以外は楽隠居はありえなくなりました。

 若い人は「ご隠居さん」とか、「楽隠居する」と言われてもピンと来ない言葉かもしれません。

 それでも昔は飢饉や恐慌などもあり、身分によっては弱い老人にまで食い扶持が回らず姨捨という悲劇もありました。

「楢山節考」という映画で描かれ、昔は姨捨という因習がありました。隠れて住まわせた老人の知恵が村を救って、姨捨制度を改めたという美談もありましたが、一般には見捨てられたのでしょう。

 横山光輝さんの描く時代ものにも、忍者や剣豪が出てきます。中には高齢になった者も描かれ、生命をかけ主君のために働いたのに、身体が衰えると最低限の食い扶持で蟄居させられ愚痴る場面もありました。

 軍人恩給という年金の原点もそんな感じで始まりました。鉱山作業員も早く年金制度が整いました。生命をかけ、身体も不自由になる仕事に就かせるには年金のような福利厚生が必要だったのです。

 しかし、誰もが働けなくなる老後は不安なのであり、年金制度は発展してきたのです。

 ところが2000年代以降、日本の政府は少子高齢化社会を見据え、大きく舵をきり、支える人間側の都合を鑑みた財政優先の考えのため、年金支給を減額していきます。

 消えた年金の騒ぎや、将来年金制度が破綻するのではという煽りで、年代で区切り厚生年金の支給の計算比率を下げ、さらに巧みに物価や賃金にスライドするはずの年金支給の乗率を下げていきました。

 高齢者は増えますが、その多くが時代を追うに連れて、年金では生活できなくなりました。定年も少しずつ延長されだしましたが、年金の支給も蜃気楼のように遠ざかっていきます。

 新自由主義が掲げられた2000年代以降、非正規社員比率が増え、所得も減り、貯金も退職金も少ない人がこれからどんどん高齢者になります。江戸時代や明治大正とかの昔に比べて医療も発達し、寿命は伸びて、高齢を迎える人は増えました。

 私の家の家系でも、母方の祖父は私が生まれる前に早死にしていますし、父方の祖父や兄弟も戦死や病死が何人かいました。父母の世代になると、それぞれ80歳は超えて生き、妻の父母は80代後半で健在です。ただ、この世代は自営も長く続けるのに恵まれた時代でしたし、年金もフルに厚生年金受給だと潤沢です。私たちの世代はその30年遅れて年金支給は遅く少ない。そしてさらに若い世代はもっと苦しい世代で自分の今が精一杯になり、高齢者を支えるのも、自分の老後への備えもままならないでしょう。

 冗談にもならない姨捨の時代が来るのです。

 子供が親を大切にしてくれるのか、しかし世代としては他人の高齢者まで支えてくれるのでしょうか。後期高齢者の負担を増やせていう世論もここからきています。

 高齢者に気遣う、長幼の序など知らない世代が占める割合が増えると、本当にギスギスした住みにくい世の中になりそうです。

 育ててくれた親の世代を大切にする社会が続くのか、終わってしまうのか、世代間の闘争などない社会であって欲しいものです。これは自分の目の前のためのエゴではなく、誰もが老いは避けられない高齢者を大切にするということはやがて自分たちも老いてうく、未来の自分たちの世代を大切にするという理解を広めることでしょう。

 

町工場がどんどん減っていく

 私の住むマンションのあるところや、近くにある地下鉄駅と区の総合庁舎の辺りも元々は工場でした。

 京都市の右京区は田畑や森が多かった地域ですが、戦前から工場も誘致されて、三菱自動車やDNP、島津製作所も周辺にはあります。

 ごく近所にも製材所や小さな工場がいくつかあったのですが、駅チカで住宅が求められて、どんどんマンションや一戸建て、店舗などになって行きました。

 土地利用が変わり届けが必要な開発です。

 1週見ないうちに、金属というか鋼材の加工工場があったところが更地になっていました。

 火花を上げなから時には土曜日も仕事をされていました。半沢直樹に出てきそうな小さな工場でした。

 跡継ぎ問題や景気なのか、ドラマのように銀行支援が無くなったのかはわかりません。

 京都市でもこんなですから、町工場の多い大阪の東の下町あたりや、全国的にも少なくなっているでしょう。

 空き地になるか、できていくのは大手デベロッパーのマンションや、チェーンのドラッグストアや買取業者、高齢者向け施設、葬儀の相談屋等、地元らしさはなくなっていくのと、地元へ落ちるお金が意外に少ないのではと考えます。

 大手企業は好調でも、中小企業の廃業、倒産はコロナ後最多を更新しています。

 単純に日本中が大手企業傘下とはいかない難しい面があります。コンビニや外食のフランチャイズと同じで、本体はロイヤリティで儲けたいので、決して下請けや系列に甘くはなく、絞りとります。人口が減ると容赦なく切られます。

 怖いのは、地方が都会に、日本が外食に、契約で絞りとられるだけの立場に堕ちることです。

 

冬季五輪楽しめる国は幸せ?

 ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが終了しました。

 リアタイではほぼ見ていないのですが、ニュース番組などで映像はおよそ見ました。

 種目も増えたのですが、日本の活躍する競技も増え、魅せ方?ストーリーやビジュアルコンテンツとしても優れたものになっています。

 オリンピックになれば思い出したように注目されるカーリングなどのマイナースポーツや新しい競技が特に冬季は多いのではと思います。1972年の札幌は黎明期の昭和ですし、ジャンプの日の丸飛行隊だけがメダルでした。

 その後の1998年の長野に比べても、ウインタースポーツがさまざまな面で進化し、関係者の努力もですし、演出や推しの手法も見せ方も上手くなったのだと思います。

 夏季でもそうですが、昔は競技も少ないうえ、全くテレビにも映らない競技がけっこうありました。

 会社にいた北海道の支店幹部に札幌オリンピックのボブスレー代表だった人がいましたが、自慢はされていましたが、現代と比べると自虐ネタでした。

 放映権料の高騰とかも、コンテンツの魅力と関係がありますが、タイムや距離、点数を極限まで競うアスリートの姿にはやはり素直に感心し、感動します。

 15歳からオリンピックに選ばれ通算10個ものメダルを胸にかけた高木美帆さんの挑戦し、力を出し切って、姉に労われる涙も素晴らしかったです。

 フィギュアやスノーボード、カーリング、ジャンプなど、女子も台頭し、見ても楽しくメダルの期待にワクワクする競技が増えました。

 しかし、元々冬季オリンピックは特にヨーロッパ、北半球の国が中心で、暑い国、イスラムの国の女性を見ることはありません。その意味では世界中が集い競い合うスポーツの祭典かと言うと疑問は残ります。

 日本では女性の社会進出が叫ばれ、欧米とともに男女機会均等が当たり前になりつつありますが、世界でも人口の多いイスラムの国はまだまだ女性のスポーツ参加、ましてや海外に試合で出ることは稀です。

 戦禍の国もある中、これだけ女性も活躍し、スポーツを楽しめる国はやはり平和なのだとは思い、ありがたいことだと思います。

 

寒さ収まり花粉の季節へ

 体調不良です。

 咳き込む風邪をひいたと思ったら、マシになるかと思えば花粉の第一弾を浴びてまたも不調。

 長い夏に忘れがちだった、寒さ対策、花粉対策の準備不足、加齢による自律神経の衰えかなとも思います。

 変形股関節痛含めて、ぼちぼち回復となるのでしょうが、やはり体調が悪いと気も滅入ります。

 一つ一つやれることを考えて、目標をもってクリアしないといけないですね。

 厳寒が去ったのはそれはそれでポジティブにとらえな得ればいいことで、いろいろ重なると拗れたことにイライラしてしまいますが、一つずつ解いていくしかないのです。

 若い頃に持っていたカリスマのような体力、忍耐力は、いろんなな面でなくなっています。

 生きているだけで幸運とは思い、衰えた身体を大切にし、人間関係を大切にすることですね。

小さいもので満足した子供

 孫ができて、子供だと思っていたムスメがしっかり母親をしているのにはやはり感慨深いです。

 両家にとっての初孫で、いろいろおもちゃや服ももらっています。

 まだ0歳児で、せっかく買ったおもちゃよりも、家の中にある紙袋、スリッパ、スマホだとか何でも口に入れて遊びたいようです。

 母親になったムスメも子供の頃は似たようなもので、身近にあるもので、機嫌よく遊んでいめした。

 ようやくしゃべり出した頃、赤いゴム風船をもらったら、「私の風船、私の風船」と大喜びしていたのを、今でもよく覚えています。

 100均でいくらでも買える安い風船でこんなに大喜びしてくれている。

 やがて大きくなって学校に入り、世間を知る大人になると、こうは行かずにいろいろ欲も出てお金もかかるのだろうとも思いました。

 子供は不自由で、「そっちに言ってはいけない」「それは触ってはいけない」「それはまだ買わない」と制限ばかり言われます。

 では、大人は自由かと言うと、「子供や若い人は自由だからいいね」と嘆きます。

 赤ん坊、ギャン泣きもするし、おむつ交換も大変ですが、差し引いて余りあるほど見てて幸せになれるポジティブさ、無邪気さがあります。

 子供からもう一度人生やり直したい?それはどうなんでしょうか。

 どんなに地位や財産、教養を身につけても赤ん坊には勝てないものがあるのは確かです。

 

民主党政権交代今は昔

 2月8日投開票衆議院選挙で中道改革連合が惨敗しました。

 高市総理の勢いもありましたが、これにより2009年政権交代した民主党政権の中心だった生き残りがかなり国会から消えました。

 既に鳩山由紀夫、菅直人は政界引退しています。今選挙で岡田克也、小沢一郎、枝野幸男、馬淵澄夫、海江田万里、安住淳といった旧民主党の重鎮が軒並み比例復活もかなわず落選しました。野田佳彦さんも惨敗の責任を取り代表は辞任するでしょう。原口一博も党を割ったものの落選、維新に移った前原誠司がかろうじて当選したぐらいです。

 中でも1980年代自民党竹下派から、細川連立政権、自自公連立政権、民主党連立政権と長年政界に君臨してきた小沢一郎の落選は時代の流れを感じます。

 

 壊し屋とも言われ、一時的には与野党問わず、反共よりも反小沢という団結が大きな塊になるほど、言葉を変えれば危険なほどの勢力を持っていました。

 何度か傀儡を使っても政治の頂点のポジションに君臨した力と、結局は政敵の逆襲と味方の裏切りで盛衰を繰り返した稀有な存在でした。竹下登、金丸信、橋本龍太郎、渡辺美智雄、小渕敬三、野中広務、青木幹雄、亀井静香、小泉純一郎、麻生太郎ら強力なライバルたちと壮絶なしのぎをしていました。タフネゴシエーションとして内外に名を轟かせ、昭和・平成の政治を語る上では総理にはなっていないものの、大物中の大物でした。

 その剛力は凄まじいものの、大衆をつかむセンスの無さ、仲間や後継に任せる度量の無さが、2度も政権交代をし通算では4回も与党の中心にいるという偉業も長続きせず最後は残念な末路につながったのです。

 小沢に関して最近の老害的発言だけでイメージを抱く人もおられますし、首相候補を呼びつかた自民党幹部時代も横暴さだけが伝えられます。しかし、アメリカや韓国、中国とも総理、官僚を飛び越えてタフな交渉をし、財務省はじめ各省庁を振るい上がらせ最も激しくやり合ったところはあまり伝えられていません。外交や財務省の官僚や役人の横暴や特権が騒がれる今ならヒーローものです。

 自民党の中で旧田中派の金権政治が批判されることも多いですが、田中派とその後継竹下派が日本経済を発展させた功績もまた大きいのです。歴史にイフはないとはいえ、自民党保守本流のお公家のような政治家だけでは、外国や官僚の言いなりがもっと早く進んでバブルすら無かったかもしれません。

 小沢一郎にしてみれば、旧民主党の鳩山、菅、前原、枝野仙谷、岡田、野田あたりは、小僧っ子、小物過ぎて丁寧に話す気もなく、突っぱねてしまったのでしょう。結局、その感性が仇となり、次々と党を変え仲間を離合して権力を失いました。

 小沢一郎も年齢を考えると政界引退、少し最近の映像だと痩せておられます。失礼ですが、それほどの間もなくやがて訃報に接し、向こうでまた野中さんらとバトルしそうです。

 そんないかにも昭和、平成前半のガチンコな政治も完全に終わるのだなあとは思います。

 

 

 

 

珈琲豆の値上がりの話から

 

 図書館のカフェコーナーで話していると、珈琲豆の値上がりから話が盛り上がりました。少しご年配の男性ばかり3-4人です。

 珈琲豆に限らず、米はもちろん、チョコレート、ヨーグルト、牛乳、チーズ、卵、コンフレークと何から何まで上がって困るよねという話で盛り上がりました。

 選挙なので、税金の話で、消費税の廃止や、京都市の市民税やら国保料、介護保険料、水道代も高いと愚痴は止まりませんでした。

 珈琲の場合、豆を一定の品質のものとなると、円安や世界的不作、輸送コスト増大とまあ上がる要素のオーパレードです。

 おコメより条件は悪い。と言うかおコメは流通などやり方でまだ抑えられる要素はありますが、珈琲豆は厳しいだけです。コンビニの珈琲も10年ぐらい前にセブンから出た当初は挽きたてが本当に美味しかったのに、今はかなり質の悪い豆を使っていて、イマイチです。

 価格を据え置きしたい売り手の気持ちもやまやまなので、パッケージの見た目を変えずに量を減らすダウンサイジングというやり方はよく使われます。何のことはない、くな小さくっただけでグラムあたりは値上がりしています。

 おコメ5㌔だとか、牛乳1リットルのパックなどはその点ごまかしは効かずある意味正直に値段が分かります。

 困るのは、珈琲豆のように質の悪い安い中身に変えて価格を維持するやり方です。珈琲の場合、ダウンサイジングで昔400g程度あったパックが今は250g以下になっている上、モノによっては質も相当低下しています。

 長年、私は価格維持、定価販売の商売をしてきました。今のようなインフレは経験がなく、むしろ安売りを抑えてブランドを維持する仕事をしてきましたが、質を下げることはブランドを失墜させ顧客を手放すことになります。

 確かに安くて美味しいから、流行っていたお店、唐揚げでも、たこ焼きでも、饅頭でもラーメンでもあったとして、そこの店の味が落ちちゃうと、アイデンティティに関わるのです。それでも価格もまたそこの店、メーカーやサービスの企業が選ばれた理由であるとすると経営者は悩む、考え出して、苦渋の選択をしているのでしょう。

 消費税の軽減や、所得税の軽減で手取りを増やすとかでは抜本的には解決できません。賃金が上がり、大部分の人の可処分所得が上がらないと解決しないのです。

 大手企業は好決算を報告して、株も上がっていますが、ここらの構造、社会全体への分配に問題はあります。勝ち組に集中し過ぎるのか、勝ち方が弱者を出し抜く新自由主義の弊害なのかです。

 選挙の結果はどうあれ、美味しい珈琲豆が手軽に買えるようになって欲しいものです。

真冬にタイトな選挙

 この冬としては、最大級の寒さで雪も少し積もりました。

 近畿でも北部はじめ、北陸などの北国はもっと顕著な雪に見舞われています。

 そんな中、衆議院が解散され、もっとも戦後で短いタイトなスケジュールで衆議院選挙が始まります。

 暑い寒いはしょうがないのですし、衆議院は常在戦場と言われます。それでも16日間という短さ、参議院と違い予定もしていなかったので、政党や候補者も大慌てでしょう。

 これは選挙を管理、運営する選挙管理委員会や、市役所などの地方自治体も同様というか、寝耳に水の混乱が生じています。

 そもそも、年度末を控え、予算や人事の最終調整の非常に忙しい時期です。ポスター掲示板から一切合財の業者依頼やアルバイト手配なども大変だと思います。

 私も市役所で計理の仕事も補助していましたが、年度予算は完全に使いきる状態の時期ですから、特別に申請をまわさないと掲示板の板1枚、時給1200円のアルバイト一人にも支出できません。

 支出の起案稟議が通っても、業者や求人は誰でもいいとは行かず、役所は公募をかけ入札、面接が必要になり、最低限このタイムラグも要ります。

 その事情かどうかわかりませんが、私の住む市では選挙公報の宅配が無理で、新聞折り込みとなりました。前回の選挙で委託業者が公報を配らなかった不祥事があり、入札停止を受けた関係で厳密なのかはよくわかりません。

 新聞宅配など今や3割の家しかやってないのに後はどうするのか、混乱ぶりが察せます。

 大阪は知事、市長も兼ねる選挙なので、ポスター掲示板を大幅に減らすそうです。

 公職選挙法で決められたことが、形骸化してて、なし崩しにできるならば、もっと早い時期にムダな支出を減らし、税金を節約できたのにと思います。

 ネット選挙の時代に、昔からの公選法のやり方で、業者と半ば談合、支出は抑えられないとかなら、時代は変わらず減税など絵に書いた餅です。

 与野党とも、ネット選挙に重きを置きだしたなら、このあたりの改革です。

 自民党と維新の政権基盤が強固になるのか、中道改革連合が生き残るのか、どちらかわかりません。しかし、税制や経済、社会の構造を発展させ、変えるときに、こういうムダを排除して、その際に消滅する業界に代替の産業基盤なり、就くべき仕事をフォローすることも必要だと思うのです。減税だとすぐ財政、財源の議論になるのですが、税負担のたらい回しや先送りではなく、ムダをなくし新たな税収を探すのてす。

 

 

AIがあふれる時代

 自社のモデルが有名タレントでなくって、AIだという場合、社員やらのモチベーションはとうなんだろうか?CMモデルに金かけず社員の給料に回すとか、原価下げた方が評価されるかな?

 AIがどんどん進化して、ちょっと前は、ぎこちない特徴なので丸分かりだったのが、だんだんよく見ないと本物かと思えるのも増えました。

 振り込め詐欺、マルウェアなども、どんどん巧妙になってきています。自分はだまされないなどと思わないこと、チェスや、将棋で人間が名人クラスでもコンピューターに勝てなくなったのと同じようなものです。

 AIのモデルを使っていると、明記しているもの、チラリと作成AIのロゴが画像に入るものなとはまだ分かります。

 背景だけとか、人物の顔だけを入れ替えるのも巧妙になりました。

 有名人が被害にあっているディープフェイクのポルノなど不適切なのも問題になっています。

 話は少しズレますご、昔化粧品会社に勤めていた頃、化ける女性はたくさん仕事で相手にしてきていました。整形や化粧で入社当時はおぼこい女性が、びっくりするほど変身した例は見ました。

 そこそこの年齢になると、化粧を落としたすっぴんを見ようものなら、別人と見まがうとか、幻滅より恐怖すらありました。

 今、ティクトックやYouTubeで再生数をものすごく稼いでる方がいます。

 可愛い女性がいかにも男性受けする水着や透けた衣装など、あざといスタイルで散歩というだけで10万20万とか再生をもらうインフルエンサーがいます。かなりAIを使って美形に加工した動画という説が有力だそうです。

 課金できるプランではもっとセクシーな姿も披瀝しているらしいですが身体の方は本人なのか、やはり修正してるのかもわかりません。知ったところでどうだという話です。

 あざとい水着姿なり、ヌードの女性の美しい顔はAIだったとして、それで課金というのは、何だか虚しいお金の流れです。

 結婚する男女が減る、少子化なのも解ります。

 化粧と整形を重ねて、虚飾の仮面を被った生身の人間と、AIならどっちが良いとか悪いとか、倫理にかなうのかももうわかりません。

 私の会社時代の後輩に、イケメンではあるものの大変な女好きがいて、ルッキズムの典型で遊びまくっていました。「女性は顔で決めるとか美形の経済効果は計り知れない」と言ってはばかりません。

 でも、女性ばかりの会社でトップクラスでも、本当にすっぴん見ちゃうと私は幻滅はしました。虚飾と分かってもいいのかなと後輩には尋ねました。

 実際にAIでCMモデルに作られるとか、動画になるのは当たり前に美形です。アンドロイドとかヒューマノイドもたぶんそうなるでしょう。

 何十年かすると、顔面偏差値はさらに上がって、生きてる人間もロボットもさぞ美形だらけになっていることかと。