沖縄の本2 『沖縄論』小林よしのり #書評

 2004年当時の連載でもう20年近く前の本になります。分厚く、最近の『コロナ論』1~5に比べても1章ずつのマンガの内容が濃く、読むのもわりと時間がかかります。小泉内閣時代で、普天間でもめた民主党政権前であり、著者はまだ保守の論客でありながらアメリカ隷属からの自治を目指すスタンスで親米保守とも距離をおきだしたころです。

 この一冊を読みながらも、コロナや戦争の問題、国葬の話、原発やエネルギーなどいろいろな論争が思い起こされました。 

 平行して読んだ岡本太郎の写真集やエッセイも、素朴な時代の沖縄とやはりそこから大きく立ちはだかる基地の問題を避けて通れないものだと思いました。

 私は戦後、比較的恵まれた時代に生まれ、食うに困ることはなく、喉が渇けば自販機もコンビニも近くにある冷暖房完備の住居に特に不自由なく暮らしました。
 学校や会社も今から思えば何とか辞めずにやっていけました。本当に着の身着のまま、食うや食わずの貧しさの時代『イモ・ハダシ』にと言われるとやはりイヤかもしれません。
 人間って楽したい生き物、また苦労して働くよりはずるしてなるべく働かずに生きていきたいというのが本音なのではと思うことがあります。
 沖縄の基地依存は、人間の本質を垣間見ます。それは沖縄特有であるとともに、本土の凝縮でもあり、沖縄人も日本人であり同じようなものです。真面目なところもあるけど、原発の近くで国の援助で大金を得た人々、コロナで給付金や手当を貰い、一生懸命働かなくても給付でいつまでもお金を貰えると気付き、働かなくなった人。事象は違えど、どこか似ているのです。
 沖縄で米軍に暴行された少女がいるという事実、原爆、原発、コロナなどさまざまな災害や事故、災厄で不幸になった人がいながら、横で火事場泥棒のような不労所得を貪る輩が常にいうのです。悲しい現実を知りながら、同様に悲しくなれず、便利な時代に甘えお金のある生活を昔に巻き戻すことができない。結局全ての人の業やわがままが時代を不幸にしているのかもしれません。

 『イモ・ハダシ』論といわれる裸足でイモだけで食べる時代に戻れるかというと、基地やリゾートを捨て自然だけで今さら暮らせないという人の方が多いでしょう。しかし、米軍基地依存は一つ一つよく調べ、日本国家の独立にプライドをもってヴェイルを剥いで、少しでも自立した美しい国家を目指ささないと、あまりにも先祖に申し訳ないようにも思えました。
 戦争を含めた、内容については次の本の紹介など別の機会でも触れます。

沖縄のこと ウクライナの戦いを賛否する前に

 今年は沖縄本土復帰50周年ということで、式典もあり、テレビでもドキュメンタリーはじめ題材を含んだドラマなどが放映されている。戦後70年以上たち、沖縄戦をはじめその歴史を検証することは、現在の国際情勢を鑑みても有意義なことだと思います。

 とはいえ私は残念ながら、沖縄にそれほど詳しくはないです。広島や東北には住んだことがあり、北海道も頻繁に訪れ友人も多いのですが、沖縄は訪問回数も知人も少なく、その面では多くを語る資格がありません。

 何人か知る沖縄出身の人は、苗字で何となく感じ、よく聞いてみないと本土に親や祖父母が出てきているだけで、標準語も垢抜けして他の出身県の人と変わりません。むしろ九州人や関西人の方がコテコテの方言です。↑(ここ重要)

 しかし、第二次世界大戦を語る上では、広島や長崎の原爆投下とその後の本土決戦か無条件降伏かなどの終戦までの道のりに沖縄は外せないところです。そして、やはりウクライナで想起された激しい地上戦という意味では日本国内では沖縄が唯一最大規模のものです。

 たまたま沖縄が舞台になったNHKの朝ドラで、比較的軽いラブコメ要素かの前半から、やはり戦争の問題が取り上げられる回に来て、戦争を知る世代の語りたがらない複雑な思いが描かれていました。同じような沖縄の人の取材の難しさは、別の書籍でも見ました。

 とにかく現在にいたる基地問題も含め、沖縄の歴史的問題は複雑です。多くの政治家や報道関係も実際に現地に行き長い時間をかけ酒でも酌みかい、初めてホンネを引き出せるところが多いようです。以下のことも多くは伝聞から、推測的考察です。

 沖縄の基地問題も確かに構造や人々の心情は複雑で、県民の中にもいろいろと立場も別れるわけです。旧来の自民党政権を打破し日の出の勢いだった民主党鳩山政権は「普天間基地を最低でも県外」と言ってしまって、結局実現できないばかりか、アメリカ側から相当の圧力をかけられたと想像のつく迷走、自滅したのは比較的記憶されています。
 沖縄の人たちの中には基地依存の方もおり、もともと基地移転に消極的ながら反対の立場もいます。民主党や社民党が考えたよりは簡単ではありません。この点は自民党で長く沖縄に関わった政治家の一部からは、何か仕掛けたかもしれませんが、稚拙な進め方にはせせら笑いしながら高見の見物だったでしょう。

 歴史を調べれば、小さいながら独立王国のようだった琉球王朝だった沖縄は明治に遅れて日本になりました。真面目な沖縄の人は日本国民になろうと、学校では沖縄の言葉をしゃべると札をつけて外に立たせるほど、純粋に過剰なまでにキレイな標準語を学んだといいます。これは日本の文部省の強制ではなく、自主的に沖縄県民は日本国民に認められようと努力したと想像されます。

 そして沖縄の人の悲劇は、その真面目さで日本軍とともに米軍と必死で戦い、女学生までひめゆり部隊など学徒隊となってさらに被害が拡大しました。日本軍の中心は首里城にはとどまらず玉砕することなく南部撤退を行い、軍は住民を守れず住民だけの徹底抗戦に追い込まれ悲劇は大きくなりました。
 広島、長崎は米軍が勝手に選んだ理不尽ですが、沖縄の人口の4分の1を失った地上戦は、沖縄にとって自ら追い込まれ日本政府に騙されたような悲劇なのです。
 日本全体から見れば本土決戦の決断がなくなったことは良かったことでしたが、沖縄の人たちは我々に続いて本土でも地上戦をやるものと信じていました。そのために必死になり善戦し粘って日本国のために戦ったのです。ところが沖縄だけが捨て石のように、本土決戦は行われなった。沖縄県民の中には、またも日本政府に、軍に裏切られた、姑息で卑怯な本土人との思いを感じられた方も多くいたのです。
 沖縄の人が、政府に複雑な思い、自衛隊に複雑な思いをするのもそういう歴史があるからなのです。
 単純に左翼にそそのかされているとネトウヨ系が罵るのは簡単で、一部は正しい時もありますが、その根は暗く深いものです。

 そして、ウクライナの戦いを賛否する前にもう一度、日本の、沖縄の歴史を振りかえって欲しいところです。

憲法改正完全版2  核共有は有効か?地政学?

 長くなるから、たくさんの右翼の論客の提言を読んでもその評価等は主なものとする。玉石混交で、なるほどと思わせるものもあれば、ひどい思い込みだけのものもあります。

【かみ合わない議論】

 総じて、右翼と左翼はかみ合ってない、まともなディベートの土俵に上がってない。思想が違うから当たり前と言われるかもしれないが、仮にも政治家や批評家が、まともな議論をしていない。ネット上だけならいざ知らず、国会や公の場、こういった書籍でも、幼稚な喧嘩、一方通行なのです。

 かみ合わないことも多すぎる。そもそもディベートの前提が大きく違うところを、みんなこうだろうと思い込み、相手や一般に対する想像力が足りない。

 たとえば、左翼は元々の自分の受けたいわゆる自虐史的歴史教育を当たり前と思っている。日本はアジア諸国に一方的に狂信的侵略戦争を仕掛けたことが左翼では前提になっている。右翼側にとっては、南京大虐殺など、そんなのは少し考えたらわかるウソだとわかるとおもっている。それでは、靖国神社参拝問題、慰安婦等の問題など、歩み寄れるわけがない。

 自衛隊が違憲か、いくつかの問題で議論がストップしてしまいます。そもそも存在が曖昧で否定されるものではないことは、さすがに共産党でさえ分かっている。憲法改正の前にさえ、自衛隊法などでできることは可能なのにやれていないと言われる。これだけ安定多数を持った与党なら、迅速にやって欲しいところです。

 私はアメリカに作られた現行憲法は状況に応じ改正すべし派です。自虐史観は間違っていると思います。教科書の改定や現総理や閣僚の靖国神社参拝も何ら問題なくまして他国にどうこう言われる筋のものではないと思っています。

 そういう面では、保守。愛国かもしれませんが。戦争、防衛費拡充や、同盟強化、核共有については右翼の論客の提言の多くに疑問はあります。

【親米や自主独立か】

 およそ、右翼も親米と、自主独立派に別れ、お互い都合よく利用してる場合もあります。親米と自主は実は明確に違います。保守派、右翼の多くもアメリカに洗脳された親米がおり、逆に親中も保守の中にいます。

 右翼の論説は思った以上に、自主独立の提言、特に憲法に関しても多かったです。理想はそうでも現実にはアメリカの傘に入りたいという軟弱さも垣間見えます。安保、核共有は戦略性もありますが、自主独立とは相反する矛盾、ジレンマもあります。

 9条、戦争、核はロジック、ゲーム理論のようにもなってしまいます。戦争の現実、ウクライナの惨状の報道が伝わり、数が減ってきた戦争経験者の伝えるものから、どう感じ考えていくかが右翼と左翼で別れてしまうようです。

 【それでも戦争は回避すべき】

 私は、戦争に関していえばあらゆる可能性を考え、国体を保ちながら戦争を回避すべきだと考えます。それは理想や理論ではなく、現実を見つめ泥臭くても妥協点を探るべきです。

 街や家も倒壊し、劣勢の軍隊でもあくまでも抵抗しつづけるウクライナの徹底抗戦決断を称賛し、一方的な侵略に屈せず国の為に戦う姿とはこういうのが理想のように右翼は好事例、美学として主張されます。また櫻井よしこはウクライナが旧ソ連の核を保有していれば抑止力になったという核共有のロジックです。

 このあたりにはさすがに大いに違和感どころか反対に思います。

 兵士や市民、街の多くを犠牲にする前にまず停戦を考えるべきです。国のトップは国体を維持するこが責務です。市民の多くが大統領の決断によって犠牲になっている時点で、国体の一部が体を成していないので、大統領失格です。

 確かに武器をすて、戦争を放棄して占領を許した時点でもっと酷い国の運命が待っている可能性は自覚しないといけません。

 日本がアメリカに負け占領されると知った時、男子は睾丸を取られ、婦女子は皆暴行されるとかの噂が流れました。結果、僥倖のように、天皇制は保たれ、アメリカは概ね紳士的に日本の民主かを進め軍事的配下に入れつつ日本は復興し、経済成長につながりました。

 この苦い敗戦と奇跡の復興は、アメリカ信仰と他力本願の平和主義、戦争忌避を日本人に植えつけたとは思います。

 おそらく敗戦は、現体制や兵士にとっては全てを失う恐怖であり屈辱です。もちろん停戦、降伏にどんな状況かはケースによります。しかし、市民にとっては戦争で大義名分で死ぬのも占領されてその後苦しむのも天秤にかければ同じか、生きているだけマシかかです。

【核の間違ったロジック】

 核についていえば、日本へ原爆投下以降70年以上、戦争では使用されたことのない禁じ手の兵器です。その保有国が増えれば抑止力が増すというのは、今さら危険な論理です。

 平和憲法に抑止力はないと、右翼は左翼を鼻で笑いますが、櫻井の言を借りれば、全ての国が核保有か共有すれば抑止力が高まり戦争は無くなるのでしょうか。実際には、いろんな意味で核はオワコンで、危険でお金もかかり風評も悪いだけで残念ながら抑止力というものは弱まっています。

 北朝鮮は、狂ったならず者国家のように思われています。しかし、そんな国でさえ先制攻撃で核を使うとか、追い込まれて核を使う状況というのは実際にはありえないですし、あったとして攻撃された国が保有か共有で核を使えるから抑止、殲滅できるか、可否以前にこの時点で人類の終末と言われる核戦争になっています。さすがに、自暴自棄やそな応酬で、核を使うほど人類は愚かではありません。

 櫻井よしこが核共有の論拠としている、地政学的という核保有国の地図を上にのっけてます。

 戦争好き右翼は、地政学とか言い出す人がよくいます。細かい歴史を勉強しないで、大雑把に地図を見て判断する方がネットにもよくいます。地政学というより、地図のイメージだけの短絡思想で、「ロシアとは戦争もして相性が悪く地政学的にも日本の隣国で悪い国なので経済制裁しないといけない」とかびっくりする発想。長年、エネルギー開発や漁業の交渉でやってる人の苦労とか現実が想像できないのでしょうか。

 この櫻井掲載の地図見て、「日本は核保有国に囲まれている怖い、アメリカは遠いからすぐ助けてはくれない。だから舐められないよう防衛費拡充、核共有、核保有だ!」これも違和感です。

 櫻井よしこも中国の脅威、恐れを1章に渡り語っていますが、基本が中露嫌い、結局自主独立といいながら、アメリカ信仰、アメリカ洗脳なのでしょう。 

 【ロシア、中国とどう関わるか】

 ウクライナ問題で、同盟の強化とロシア制裁を強く主張する側に、ロシアの背後に中国がいるからとの中露嫌いが見えます。

 ロシアは軍備も資源もほぼ自前で用立てるほど豊富で、かつての日本や北朝鮮ほど経済制裁が有効ではありません。その国を追い詰め、中国とロシアをグループとして敵対するのは得策ではありません。櫻井よしこ自身が分析しているように、「世界最大の超大国」です。中国嫌いの人は現実的数値でGDPは抜かれたけど、日本やアメリカのが豊かで優れているという幻想にとりつかれています。まして中国とロシアがタッグを組めば最強です。インドやプラジルはじめ中東やアフリカ諸国もなびいている現状で、世界の警察を降り、ベトナム以降支援国は連戦連敗で中東にも嫌われるアメリカが欧州と組んでも太刀打ちなどのスケールではないです。

 地政学?で考えれば、中国とロシアは国境を接していて従来からは仲が悪い。中国とインドも国境を接しているので、揉め事が多く、逆に国境問題のないインドとロシアは経済的に結びつきが強いのです。日本はできる限り、ロシアと中国を追い込まず、かつ分断を考えた方がいいのです。妥協点は見出しつつ、経済連携など政治を絡めて結びつくのに越したことはありません。一党独裁でカントリーリスクがあるように思われますが、アメリカの方が2大政党制で、政権が変わると経済や行政のやり方が急変し、人も替わり取り付く島もない時が多いそうです。

 親中派とひと括りに、国賊やスパイのように揶揄されますが、要は親米派と同じです。特に中国が強大になれば、その存在は必要です。台湾有事やチベット、ウイグルの問題

、アジア太平洋戦争以来恨んでいるとか、脅威にされがちですが、中国とはもう経済や観光で深く結びつき依存しています。中国が一方的に、日本を破壊し、皆殺しにしたりすることはありません。

 日本が本当に戦場になるのは、アメリカが何らか戦争を影で誘発して、台湾有事が起こり、米中が火花を散らす代理戦争となった時です。米本土は離れていますが、地図で明らかな通り、戦場は東アジアになります。

 アメリカが戦争誘発というのは、やはり日本の右翼や愛国者をうまく焚きつけ、おそらく今のウクライナ以上に正義のため、聖戦として戦争になるはずです。

【防衛費は適正に】

 防衛費問題では、最近も元大臣や幕僚が、銃弾も少ない、演習の時間も少ないとかいろいろ戦い以前の問題で、予算増額を叫ばれていました。事実が、露見しているなら対敵国への情報漏れとしてもおかしな話ですが、現場のホンネなのかもしれません。ただ、日本の予算というのはどの役所でも増額しても本当に必要なところに適正に下りず、結局こういう現場の声は絶えないような気がします。

 イージス艦に5000億も使うことには、当時ハト派の自民党元幹事長野中広務氏は猛反対で憤っておられました。その他のミサイル迎撃システムにせよ、いかにもスペックは素晴らしくプレゼンに騙されそうな最新兵器でしたが、野中さん曰くの通り、現場で訓練の弾薬にさえ回せないのに、大見得を切っても敵に攻撃対象を与え、なおかつメンテナンス含め莫大な経費がかかるのは事実でした。

 【軍隊はあっても戦争をしない憲法】

 戦争をするために、仮想敵国に対し兵士や組織が常に臨戦態勢でいるということは非常に難しい問題をはらんでいます。自国愛と敵国への憎悪は一触即発を生みやすくなります。まして、兵士たちは戦い、武器屋は武器を作り売るのが仕事、ずっと仕事がなく、褒められることもないと、何らかのきっかけを求めたくなるものでしょう。だから戦争は放棄したものだという憲法は必要なのかもと思います。

憲法改正完全版1  安倍さんの悲願が凶弾の引き金か #月刊Hanada#憲法改正#核共有

 いわゆる保守、コテコテの右寄りの論客陣がズラリですが、読んだのはたまたま私は左右に属さぬ愛国、中道です。6月発行のムックなので、ウクライナ問題を受けての憲法改正の機運をそれぞれが述べ、この機に乗じての平和憲法改正、核共有、防衛費拡充に反対する左寄りを一刀両断にしたい感じの内容です。

 7月に凶弾で倒れた安倍元総理の事件の背景は現時点ではっきりしませんが、私は今年2月の安倍さんのアクティビティが重要な伏線かと思います。

 たまたま私も見てました。2月27日、フジテレビ「日曜報道ザ・プライム」に出演。核共有についてもタブー視せず議論すべきではないかと問題提起されました。保守色の強いフジが受けたのか仕掛けた前後して橋下徹、高市早苗政調会長も出演し賛同を表明しました。これに対して、野党側は反発し、国会で岸田総理に問いただしましたが、総理は憲法と非核三原則の順守を答弁し、核共有の意思はないことを示しかわしました。しかし安倍元総理や、高市政調会長に発言撤回や注意することもなく、曖昧に終わりました。その元総理の発言趣旨がこのムック本に詳しく載ってます。

 その後、安倍元総理はご存知の通り凶弾に倒れ、直後の参院選では自民党が勝ち憲法改正に必要な3分の2を改憲勢力が堅持しました。そして、岸田総理は安倍元総理を秋に国葬で弔うと宣言しました。

 裏の本当の事情や背景などわかりませんが、安倍さんのテレビでの提起は、勇断とも見えますが、元総理としてはやや唐突と言うか違和感を覚えます。陰の党内実力者、キングメーカーとして総理を呼びつけようと、強く要望しようと違和感はないです。ただテレビで表だって提起すれば、世論の観測気球となるにせよ、世間へのインパクトは強すぎます。

 素人的に見て、元総理が表だって口出しすれば現総理はリスペクトはせざるをえないが、内心面白くはないでしょう。あるいは岸田総理かわ全て分かって連携して利用していたかと考えることもできますが、どうも前後の流れからはそうではなさそうです。ウクライナ問題を機会に橋下と高市らの保守派とフジが流れを強くしたかった感が強いです。

 この流れがどうして安倍さんの死につながったかは、わかりませんが、安倍業績称賛と一部その否定の過去報道一色の中、やや忘れかけていた今年のインパクトある提起を思い出させました。

 肝心のムック本の内容、憲法改正、核共有問題は次の回へ

    つづく

小沢一郎時代の終焉  #小沢一郎闘いの50年

 安倍元総理が凶弾に倒れた直後の参院選で、もう一人の大物政治家の時代が終焉を迎えました。

 王国と言われた岩手で支援した候補者が敗れ自民党に32年ぶりの議席を許しました。側近の森裕子議員も新潟で惜敗し、自身は衆議院議員ではありますが前回は屈辱的な比例復活当選であり、80歳を超え、剛腕小沢一郎もさすがにもう政界の中央に戻ることはないでしょう。

 戦後高度経済成長以降、政界の著名な大物としては、国葬として名の上がる安倍晋三、劇場政治で人気を博した小泉純一郎ら総理大臣経験者もいます。

 しかし、総理大臣にはならずおよそ30年あまり、政界の中央で総理をも操ったり、二度政権交代を実現し、権力を操っていた小沢一郎はやはり稀有な存在でした。

 自民党時代は、自らは総理の打診を受けず、総裁候補者を呼びつけたとも言われる実力者で、総理を傀儡しました。そして、細川政権と鳩山政権で二度に渡って自民党を下野させ、与党幹事長として権勢を振るいました。自民党にとっては、トラウマの下野、奪回はしたものの、小沢一郎に対しては恨み骨髄であり、畏怖の対象でした。反共産等、政党よりも、巨大な相手として反小沢という言葉が定着していたぐらいです。

 私は、政治や国会に、興味を持ち出した頃から同郷の野中広務さんと、その宿敵として小沢一郎に興味を持ち、関連本や記事も賛否両論よく読みました。

 一般には、民主党政権直前に、秘書が逮捕され代表辞任に至った一連の事件で、小沢に政治とカネの汚職のあった犯罪者に思われています。ただ、この捜索は結局不起訴、シロとなり小沢の権力を削ぐための国策捜査だったようです。政治資金規正法は小選挙区制等とともに、小沢自身が作ったもので、都合検察が3方向のつながりから執拗に捜索しながら、法律を破っていることは全く無かったのです。

 多くの司法関係者からは、いわゆるモリカケサクラをあそこまで検察がやれば、国葬うんぬんのあの方はとうに刑務所の中と言われています。

 では、小沢一郎はなぜ、総理、小泉純一郎や安倍晋三になれなかったか。

 最大は、外見、見栄えだと思いますが、それ言ったら全て終わりです。ただ長きに渡り国民の人気を得るには、イケメンというほどでなくとも、朴訥過ぎるのと、口下手で素人、一般大衆受けしないところは大きな欠点です。

 民主党政権陥落後は迷走し、山本太郎や共産党との共闘まで首を突っ込んだため、政策的なところで問題にする人もいますが、小沢一郎は元々自民党の保守政治家で、保守主義、愛国者です。それを、言い出すと民主党は社民党、自民党も社会党、今も公明党と選挙に勝つためには組んできています。

 民主党幹事長時代の大挙引き連れての訪問で中国寄りで左翼的に思われていますが、外交的にはアメリカに物申す保守です。親米保守に最も嫌われるのが、師田中角栄とともにここです。

 そして、剛腕、辣腕の割にどこか詰めの甘い人間的な優しさ、ずぼらさのような面があります。

 恩師田中角栄のムスメには、やはり少し甘く感傷的になったり、父親安倍晋太郎さんには、自民党時代涙が出るほど世話になり安倍晋三元首相には舌鋒鋭くはなれなかった。

 自分が自民党を出て、成長した思いも強く、自分の元を離れたいという政治家をあえて引き留めることをしなかった。

 そんな、甘さや、その優しさを言葉にできない口下手さが、結局はしたたかな後輩に追われ命取りになったように思います。

 そういう人間的な面を含め、私は一番興味のあった政治家です。

 

絶版はなくなる #本#絶版#電子書籍

 「絶版本を国会図書館がPCやスマホで閲覧可能にする」というニュースが流れた。
絶版とはそもそも何かというと

絶版(ぜっぱん、ぜつばん)とは、書物重版しなくなること[1]。転じて、生産が中止、または終了となり一般流通からの入手が困難になっている物品に対しても用いる。

絶版になると、その書籍の現物が流通しなくなるため、在庫分を除いて新刊書店では購入できなくなる。注文しても入手できなくなる。古書店では購入できる絶版本も多い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 紙でできた本を読む人も減りつつある現代なので何のことやらという方も多いでしょう。
私は本を読む方で、世代的にも未だに書店で月に何冊かamazonなど通販で何冊か買い、電子書籍はその10分の1以下の割合です。
 絶版は製造中止という意味合いで、出版社側の放棄のような問題で、今後ますますサイクルは早まるでしょう。
 しかしひと昔前に比べると、本を持っていて売りたがっている人と中古でも読みたい人を繋げるオークションなどのネット機能があり、格段に便利になりました。昔は本は基本定価で、少し珍しいものは、都会の大書店か時間のかかう取り寄せが当たり前でした。
 古本屋というのは、減ってはいるのでしょうが、ブックオフのような業態ができた上、稀覯本を扱う店はそれなりに生きながらえています。
 若い頃、1980年代や1990年代ぐらいまでに読みふけった新書やB級の娯楽小説、エッセイなどなかなか一時期忘れられると入手困難だったものが今は検索ひとつで何とかなります。
 便利な時代なのか、何でも安価で手に入るので著作者には難しい時代かもしれません。

人生とは孤独 ヘルマンヘッセ「霧の中」より

ヘルマン・ヘッセ「霧の中」から

暗さを知らないものは、

賢くはないのだ。

不思議だ、霧の中を歩くのは!

人生とは孤独であることだ。

だれも他の人を知らない。

みんなひとりぼっちだ。

 人間は弱いから、他人に頼ったり、自慢したり、認め合い、許し合わないと「孤独」を感じてしまうものです。
 孤独に対する耐性や強さは人により環境やDNAで違うかもしれません。
 孤独をさけるためマザコン、ファザコン、シスコン等に陥ったりします。ゲームやペットなど趣味、クスリなどに過度に依存する場合もあります。
 親も伴侶も友達もいつかいなくなります。ペットなどもちろんそうです。最初からロスが見えているものには覚悟が必要です。死別でなくとも、物理的精神的に距離があけば同じことです。物理的距離や死別を嘆いても、精神的にはとうに離れている場合もあります。
 所詮は生き物、人間は一人で生まれ。一人で死んでいくのものです。そこは納得して受け入れ、心を整えるしかありません。さみしい、さびしがりという人が他人に頼ると結局さらに寂しいロスを迎えるのです。

SFかミステリか          余命3000文字 #読書レビュー

 正月休み、図書館も閉まっていてこのミス上位の本はなかなか順番が回ってこず。何となく書店で何冊か文庫本を購入しました。
「キミスイ」とか「1リットルの涙」みたいな恋愛ものではありません。泣けはしませんが故星新一さんを彷彿させるようなショートショートでそれなり楽しめました。
 近未来描くのがあったり、ユーモアや奇矯な世界などバラエティに富んでます。オチに不満とか言い出すとこの枚数では限界がありますから、それは野暮でしょう。
 高校時代に星新一はほとんど読みました。SF?全盛だったのか小松左京、筒井康隆、平井和正もよく読みました。ミステリと並行して乱読しました。推理小説はまだ新本格が出る前で清張や森村誠一ピークの頃、都築道夫、土屋隆夫とかややマニアックでSFに比べて完成して伸びしろのないジャンルと言った友人がいました。
 文学界に精通はしていませんが、賞や著名作家。出版の数だけ見てもその後SFは衰退縮小し、ミステリが皮肉にもなぜか盛況しました。
 まあジャンルに明確な区分があるわけではなく、マンガや映像に比べ文学そのものもシュリンクしていった昨今です。
 SFにしろ本格推理にしろ、大御所は事実上引退もしくは他界し、次の世代すらピークをとうに過ぎてしまい次の世代をフォローするのも難しい時代です。ホームズや乱歩、横溝から入った子らではなく「名探偵コナン」や「金田一の孫」が原点の人らがそれなり立派な作家になってるのですから。
 スキマ時間にはとても面白い本でした。

沁むる哀愁の鉄道物語

  今年は北陸本線の海沿い旧線廃線跡トンネル等を見て。敦賀までの新幹線工事の進捗もチラ見しました。全通から105年を過ぎた長大な鉄道、列車や駅に多くのドラマがあることが良くわかります。
 沁むる夜汽車の物語も各地の駅や鉄道の話をまとめ、本やBSの映像にもなっています。
 鉄道も最盛期を過ぎ。メインストリームは高速道路、クルマになっていく時代ですが、都市部も含めやはり列車や駅への哀愁は独特のものがあります。
 私の世代でさえ、SLが実質的に運行していたリアルタイムは知らず汽笛はせいぜいディーゼルのものですが、何となく心に深く刻まれる音色です。
 道の駅やSA、モールなどにかつての地方益、街の駅の機能が移され、異動された人もいるでしょうし、新設の新幹線やリニアに戻る人もでるでしょう。移動に長時間かかり、出迎えや別れ、列車の中での苦悶、喜びも嗚咽もたくさん乗せて時代を走り抜けていく鉄道です。

「薬品メーカーに正義はあるのか」という本の感想

新型コロナのワクチン接種の時期に、あまりに物騒な話の本で何なのですが。
やはり薬の承認、ワクチンの相反といろんな見方も読んでおかないといけません。この方や、この方のグループの専門家もかなり今のコロナ対策に否定的な書き方の本も出版されています。
それらもどちらが正解かなんていうのは薬害エイズや子宮頸がんワクチンのように時が経って歴史にならないとわかりません。
今の段階で100対ゼロでどちらが正しいとか誰にも言えないのです。私はどちらにも組するつもりもありません。片方を盲信して爆走する人にはちょっと待てよと言いたくなるだけです。
この本普通に読まれるとちょっと怖くなるので、怖がりの方にはおすすめしません。下の要約だけで十分かもしれません。

まずは要約紹介


ディオバン事件で明らかにされた「製薬会社」と「医療」の近すぎる関係とは!?
徹底取材で「利益相反」の実態と癒着の核心に迫る。

第一章 カネで動いた子宮頸がんワクチン
1「心の問題」にされた少女たち
2製薬会社のセールスマンとなった専門家
3政治家を動かす製薬ロビイスト
4キャンペーンに加担したマスコミ

第二章 薬漬けにされるニッポン人
1高齢者の二人に一人が高血圧? ~隠された数字・NNT~
2カネで売られる「診療ガイドライン」
3病気をつくる疾患啓発広告
4そして我々は、高い薬を飲まされる

第三章 製薬会社のカネに依存する医学界
1タダ飯にたかる医師たち
2「奨学寄附金」という袖の下
3都合よくつくられるエビデンス
4利益相反が生んだ薬害

第四章 癒着を引き剝がす処方箋

最後の章では多少ポジティブに締めてはいますが、なかなか攻撃的な本の中身です。
しかもまんざら薬品、医療、厚労、マスコミのとりまく問題としては、嘘八百の罵詈雑言ではなさそうです。
しかもその体質、慣習が今度のコロナワクチンとは全く関係なく、コロナ関連はクリーンで正義と使命にのみ溢れてる等とは到底思えないでしょう。
ただここで全てを不信と思われたら、薬も医者も一切受け付けないのと一緒です。コロナもワクチンにもいろんな政治商業的的な大人の経緯は考えられますが、エビデンスが全てデタラメだというわけでもないのです。
またこの本で指摘された高血圧やメタボ等の過剰な脅しに関しては、コロナには従順に怖がった人が何だそんな裏があるのかと憤る場合もあるでしょう。
日本のこれからの行財政を考えれば、こんな澱んだ状態でどんどん薬品メーカーやその取り巻く医療、厚労が腹を肥やすことは許されない大きな問題です。
厚労だけでなく、行政とそれを取り巻く族とその膿は、どこかでキレイに揉みださないといっけないでしょう。
しかしそれを深く考えるのはもう少し高所に立つ人でいいはずです。確かに今後の社会保険料負担、今回のコロナワクチンや感染症対策や景気対策の税負担の是々非々は市民が見ていかないといけない点があります。
これほど厚労省の一挙手一投足が問題になり注目された時期もありません。厚労大臣やら関係閣僚、知事がこれほど露出しそのリーダーシップが問われたこともかつてありませんでした。ある意味ピンチのコロナ禍は改革のチャンスかもしれません。

政治をチエックする観点は社会参加として必要ですが、また行政の指示に従い、法に従う姿勢を忘れては国家の統制も国策も進みません。
いろんな知識や思考をめぐらすのも必要ですが、社会の成り立ちを支える義務ははたしていかないといけません。
自分や家族の未来までの健康を考え、よく情報をとり、社会への参加の義務をはたしていくことをこういう読書の中で強く感じます。