過疎地の商店の物語

ローカル鉄道をめぐり、廃線跡などを散策する途中には、タイムスリップしたような古い看板やお店を見かけます。意図的な景観保全ではなく、昭和から令和まで息づいていて、かつては繁栄もあっただろうに朽ち果てている姿が哀れを誘います。
シャッター商店街が話題にあがりますが、アーケードがあって、企画などのあったスケールの商店街ではなくても、駅前に賑わいがあった痕跡がうかがわれる場所はよく見かけます。
鉄道がピーク時は毎日通勤や通学、買い物の人でにぎわい、乗客や、鉄道車両の管理のための人員とその家族までたくさんいたことも分かります。そんな駅も無人化、廃線となり、大型モールはクルマで飛ばせば行ける時代になり、駅前の店は後継ぎもなく、そもそも商売が成り立つほどのお客さんが来なくなったのでしょう。

そんなさびれた駅前で代々続いた米屋を営んできたY子さんは、ご主人を亡くしながらも、女手一つで、店を回しきました。イオンモールが郊外にでき、若い人がすっかりいなくなっても、Y子さんは近所に配達し、お年寄りを何かと気遣いして細々と商売を続けてきました、
嫁にだした娘の青果店はとうに廃業し、旦那さんの勤めで遠くの近いに引っ越してしまい、年に一度顔を見る程度です。
頑張っていた多くの近所の店も平成の半ばでほぼなくなりました。
令和が始まっても、何とか重い米を外まで買いに出かけられないお年寄りのために商売を続けてきたY子さんですが、コロナにもかかり、復帰する時、腰を痛めてしまいます。
そして、トドメを刺されるように、米の卸先から、回せる米が無くなったと告げられます。とても年金ぐらしのお年寄りにか買えない値段の米しか卸して貰えず、お店の米が売りつくされ、棚がすっからかんになった時、Y子さんは商売をやめる決意をしました。
国民年金とわずかな貯えで店の処分ではマイナスになり、とても高額な施設には入れず、介護サービスを受けながら、シャッターの奥の自宅で、つつましやかな老後生活を送るY子さん。
かつて、にぎやかだった駅前通りをたまに夢のように思い出すことがあるそうです。

というような物語を創作してみたくなります。
この後は、Y子さんから不動産も年金も巻き上げようとする悪徳業者を追い払いう、薙刀と合気道の達人、孫の美少女が活躍。

一人旅、「孤独」を楽しめるか

 気楽な一人旅が楽しめる人とそうでない人はいます。旅は道連れとも言いますが一人旅できる人、できない人が世の中にはいるようです。
 還暦を過ぎて定年後時間もお金をある人が家族にも仕事にも縛られずあちこち旅に出ているSNSも見かけます。また最近は鉄道ファンや温泉やお城マニアなどにも若い女性も増え、一人旅のアップもされています。

 どこかのサイトで一人旅ができる人の特徴のようなものが書いてあり、独立心や好奇心があり、計画性と柔軟な対応力、知らない土地でのコミュニケーション力などに優れているということでした。いいようでもあり、逆に言うと一人旅派はまたマイペースで自分勝手で、依存心はなくとも協調性にかけ、社会や家族とは一定孤立しているのかもしれません。

 一人旅は、自由と孤独のバランスです。また今までの人生の経験にもより、得意や苦手、食わず嫌いもあり、どちらがいいとも言えません。
 地図や時刻表、旅行企画を見るのが得意で好きな人と、そもそもそれを読むことが苦手な人もいます。一人旅できる人も、綿密にプランを立てる人と、明日はどこへ行こうと気ままな旅の人もいます。しかし、ある程度の予備知識や経験、前記でいう柔軟な対応力があっての気ままさです。どんなに計画が密でも天候や交通事情などでトラブルが発生するのが旅まさにトラベルです。
「ここがダメならあっち、あっちはちょうどイベントやっていた」などと、臨機応変さがいいのです。

 旅は行くまでのプランニングが楽しいと言います。一人旅でもそうでない旅の人でも、まずは行きたいとこを調べ、美しい映像や興味ある名所などをインプットして見て、行き方を仮想してみてはと思います。
 人生の旅も、孤独なのか、それでもいつも一人ではなく、時に多くの人に関わり、最後は一人で旅立つのです。

 

海の古都:福井、小浜と結ぶことは京都にも便益

 京都を代表するお祭りの祇園祭が今年も前祭の宵山、巡行と賑わっていました。友人知人も地域で支える役目をしたり、見学にかけつけていました。相変わらず、地下鉄から大変な混雑でした。
 参議院選挙も投開票まじかで、みなさん大変な暑さと突然の雨の中、ヘビーな活動です。もちろん、日々仕事など日常を頑張る人も暑さや、何だかんだ息苦しい夏です。

 京都のことをよく知らない他の地方に住む鉄道のファンから、「北陸新幹線延伸の乗り入れ、大深度工法で京都の地下水の問題とかで京都市民はすごく反対してるんですね?』と言われました。
 しかし、北陸新幹線延伸に反対する声はそれなりに聞きますが、個人的にはそれほど感じませんし、大部分情報の間違いや煽られてのものです。
 今さら新幹線はこれ以上要らないという話とで今のオーバーツーリズムの弊害と混同だったり、市の財政を鑑みこれ以上負担が増えても困ることなどが錯綜して、本当は水が主な原因ではないです。京都には鴨川が流れ、飲料水は琵琶湖からの疎水で賄われています。確かに、市内各所に名水の湧き出ているところもあり、伏見の酒造会社はその水で清酒を作っていることはあります。しかし、大手酒造会社は、別の県で製造や桶買いを貰っていますし、拘りもわからなくはないですが、大深度工法イコール地下水の枯渇ではなく、ほとんど杞憂です。
 手術で動脈に針かメスで傷がつき、大出血して死んでしまうようなイメージが飛び交っています。むしろお腹を大きく切り裂いた回復手術ではなく、内視鏡で負担なく慎重に進める最新の手術のイメージです。何度も回復手術しても大出血しなかったのに、今度は内視鏡をしかも慎重に進めるのに、大反対というのは政治的な嫌がらせに感じます。
 一応は国が決めていることを「お金がないから」とは言いづらくて「京都は『水の都』で地下水を使って、和菓子や清酒を作っているので枯渇すると大変」などと煽り、京都仏教会まで絡んで、北陸新幹線延伸小浜ルート反対に便乗しているだけの気がします。

 すでに京都には戦前から新京阪(現在の阪急)の地下線が掘り進められ、河原町まで延伸、京阪も七条から三条を地下化し、さらに出町柳までを延伸しています。そして、地下鉄も南北の烏丸線が昭和の終わりには市電に変わりできた後、平成の間には御池通に市内東西を貫く東西線も完成しました。これらの時代は開削工法と言われ、地上から大きな穴を掘って圧縮して線路や駅を作る旧来のやり方で、時間もかかっていました。私の実家近くの二条城の南側も長く時間をかけていました。
 最近の地下鉄はシールド工法といい、円筒状のマシンが地下を掘り進むやり方で、地上に現れないため、随分早く工事はできます。これだけ考えると、すでに書いたように、これまでさんざん地下線を掘っている京都市内で、大深度でシールドマシンで掘るのに、何で今度だけ水の問題で大反対するのか意味が分かりません。

 リニアの都市部や北陸新幹線延伸はこのシールド工法で40メートル以下の大深度を掘るやり方で、土地所有者の承認なく進めることができるのです。
 このやり方の方が、立ち退きや迂回渋滞もなく工事が楽なのと、地下水への影響も少ないとされています。
 そもそも高度経済成長期以前に、土地買収できた東海道新幹線などに比べ土地の買収はリニアや整備新幹線で、都市部に乗り入れる場合大変なコストでしたが、そこをクリアできたのです。
 

 京都市は別に、堀川通の五条から十条まで地下トンネルのバイパスを作ることは昨年決めていますし、その他にも雨水を貯めコントロールする地下幹線や、商業施設も地下にあります。
 大深度工法に関して、町田や福岡で陥没があった例で不安と騒がれますが、要因は複雑で特定できないものですし、大部分の地下施設の上や周辺が都会では不安になりますが99.9%の他の所では何も起こっていないのです。
 

 京都仏教会が北陸新幹線延伸乗り入れに反対と書くと、京都のお寺がこぞって反対に聞こえますが、清水寺や金閣寺の有名観光寺院だけのグループで、多くの檀家を抱える一般のお寺は別です。
 福井の永平寺はじめ、北陸地方にはつながりの深い寺社が多く、今は直通特急も無くなり不便になっていますから、小浜経由の延伸は待望されています。
 そして、写真であげた小浜市のお祭り。「小浜放生祭(ほうぜまつり)」は、380年以上の伝統を誇る、小浜市八幡神社の例大祭で、県の無形民俗文化財に指定されています。祇園祭に似た、神輿や大太鼓・神楽・獅子・山車などの演し物が2日間にわたり旧小浜町内を巡行し、芸や囃子を披露します。
 ひとつの祭りに4種の演し物が出る、全国的にも珍しいお祭りです。県外から多くの観光客が訪れる若狭地方最大の秋祭りです。
 とはいえ、小浜市の人口はたった3万人、市政の規模としては小さいもので、周辺を合わせても過疎地域が増え、祭りや寺院を支えるのも大変だと思います。
 祇園祭はじめ、京都の文化や行事を支える方々のご苦労も知っていますが、100万人以上いる大都市で、ファンドをするにしろお金の集まりも違います。
 私は京都の賑わいを見ると、少し分けて上げたいの想いもよぎり、北陸にも魅力ある場所や祭りもいっぱいあることを知って欲しいです。

「海の古都(奈良とも京都とも)」言われますが、観光で行くにはJR小浜線は本数も少なくアクセスは厳しいです。新幹線ができ、京都や大阪と短時間で繋がると、ビジネスや観光の掘り起こしが可能なポテンシャルはかなりあります。その経済効果はとても大きいので、既存の米原駅にいまさらつなぐのとは比べ物になりません。公共事業とはどうあるべきかの使命は何か意味を考えさせられる問題です。
 すでに東海道新幹線のある米原は今さら発展もないでしょうし、JRも滋賀県も反対であれば実現はハードルも高いし、作る意味がないのです。
 米原ルートが近くて安価にできると思いそちらにしたらとまで勝手いう政党までいましたが、思考が浅いとしか言えません。

 新大阪・京都からこの小浜、敦賀、その先の福井、金沢、富山からつながるのが北陸新幹線の完成形です。
 東海道新幹線と最終的には並行代替機能もあり、東京と新大阪で双方つながるようなケースは初めてで、何とか政治的に地元負担も例外的なものを設けて、早期の実現に動いて欲しいものです。

 昔は騒音や振動と言った公害が問題にされましたが、高速車両技術が改善し、トンネル採掘技術が進みクリアされた面もあれば、陥没やら水の問題とか新たな可能性への配慮も求められるようになりました。井戸水の枯渇など可能性への補償というのは、リニアの問題でもそうですが、公共事業と個人の生活を補償するのは完璧はないだけに、前もって補償するのも難しいところです。

 元々鉄道事業は立ち退きなど、反対する方の気持ちを抑えないといけないものでしたから、JRや国はしっかり頑張って欲しいものです。
 京都にとっても、永平寺のある福井など北陸とのつながりが便利になるのと、格差のある北部の発展、舞鶴、橋立経由の山陰新幹線への布石にもなるのです。
 だから京都の人も、昔の時代の技術よりもはるかに環境に配慮した工法に対し、科学的根拠のない印象で反対に与するのは避けて欲しいです。
 これはリニア問題の静岡県他の人に対してもそうです。ことに静岡県の場合、デメリットしかなくメリットはないと言いますが、元々奇妙な県境の引き方で、全く人のいないはみだした県域の山地を通るだけです。たまたま大井川の上流に位置するだけで、国や他の県から見れば難癖をつけているとしか見えない感じです。すれ違いざまに肩口に掠った程度で胸倉掴まれるようなものです。
 確かに水が枯渇するかもしれないという不安はあるでしょうが、良く調べると大深度でその可能性はゼロ近似、非常に低いものです。ただ完全ゼロなどとは証明できないのが科学、工学の難しさです。
 こういったあたりは、大深度工法の技術書や理系の方にもっと、フランクに確かめるべき点が、どうもJRの態度とかで頑なに感情的になってしまわれています。
 しかし、結果として工事が遅れるのは1年で下手すると何千億という利益を損ないます。国であれJRであれ、最終的に蒙るのは、反対で工事を長引かた人以外の日本人です。一部のゼネコンだけが契約料や事務所を立てている間は儲かりますが、その他は地元も国もJRも負け負けの関係です。
 よく当地に住んでない人がそういうな、当事者はやはり心配だと返されますが、第三者だからこそ、技術的な本も読み、無茶なことをしているわけではないことも冷静に解ります。

 京都もそうかというと、こういう時には、一部の政治からみで何でも反対という世論を煽る輩もおり、マスコミも面白がって取り上げて何が真実かファクトチエックが難しくなるのです。
 国策に抗うなど、昔なら非国民で厳罰です。権利を主張するのは自由な人権の時代ですが、それだけに国全体の決め事が進まないので、みんなでもっと勉強することが大事です。ネットは自分が思う方向のサイトを次々と関連で勧めますから、まず冷静になって、図書館などで調べ直すことを私もやっています。


 万博では未来社会に心をときめかせ、能登の地震には復興を祈る人が、未来の世代を慮る人が、新幹線やリニアには妙に我利に拘り、心を狭くしている場合が多いように思います。
 京都の人、都人(みやこびと)は本来新しいもの好きで、他国との交流も好きで、交通の要衝として、旅人を歓迎する度量があったはずです。また旅の拠点、ハブ機能を他の街に譲ると、衰退につながることも、他の古都の流れを見ると分かります。

 万が一にも、小浜ルートが無くなった場合、京都の人がふるさと増税でもファンドでも良いので、小浜を少しでも支援してあげて欲しいものです。

追悼1999年のヒロイン その鉄道ロケ地

 NHK連続テレビ小説「すずらん」(1999年前期)のヒロインを務めた女優・遠野なぎこさん(45歳)が亡くなっていたそうです。それほど、詳しくは知らないのですが、自死ではないけれど、孤独死に近いのか、事故死のような情報でした。
 当時の朝ドラは若手の登竜門で、今ほど売れたスターをヒロインにして、放送中からCMにわんさか出たり、民放ドラマや映画にすぐに出まくるわけではない感じで、放映後もオファーが少なく、地味に終わる方も多かったのです。
 どうも、この方は母親含め、本人も男運が悪いのか何度も何度も苗字を変えたという逸話も伝わります。
 そんな彼女ですが、清楚な顔立ちと、北海道の駅、鉄道を舞台にした作品は、今残る映像で見てもなかなか美しいものですし、SLや駅や鉄道の好きな人にも感慨深い作品です。

 留萌本線恵比島駅(えびしまえき)が、ドラマの中で明日萌駅(あしもいえき)として登場しました。ドラマの撮影のため昭和初期の駅舎を再現し、現在もそのまま駅舎として使用、駅舎には「明日萌駅」という表示も残されているのです。

 ちょっと重い感じのドラマで、「母を訪ねて」という感じは、近年の広瀬すずや、永野芽以、橋本環奈とかのドラマとはも、色合いそのものが違いました。セットやロケは、けっこうよく作っていた感じがしました。
 物語の設定上の時代もですが、まだリアルタイムでも鉄道がそれなりに重要な交通機関で、赤字で廃止されるのが寂しがられた感じです。
 そして、奇しくも同年に、映画で「鉄道員(ぽっぽや)」というのも上映されました。浅田次郎の原作で高倉健が主役の不器用な壮年の運転手を演じていて、当時トップクラスの人気女優広末涼子も出演しており、やはり北海道の実在駅を、ロケに使っていました。こちらは南富良野町に実在する根室本線の幾寅駅が、廃線が決まったローカル線の「幌舞駅」として撮影されており、駅にはロケ地巡りの人を迎える展示コーナーもあります。25年前のロケをしっかり刻んで残している駅や街の関係者にも感謝したいところです。

 この映画は、本当に健さんもいいですし、鉄道好きでもそうでなくても、楽しめます。残念ながら、こちらのヒロイン広末さんも、俳優として再起できるのか厳しいところです。40歳を超えると、若さと美貌でイケイケだった時代が忘れられない人は難しくなるような気がします。

 
 鉄道の古き良き時代を演じたヒロインの哀惜をこめ、遠野さんのご冥福を祈ります。

 

東北と悪石島を結ぶ来訪神

 秋田にいた時、男鹿のナマハゲを実際に実演もみて、伝承館などにも行きました。
 商店街とタイアップ?した中学生ぐらいの自由研究に、ナマハゲに代表される日本各地に伝わる来訪神が紹介されているのを見たことがあります。
 その中に、日本とは思えない南洋のような奇抜な色彩の神様が、今地震で苦しまれている鹿児島県トカラ列島悪石島の「ボゼ」でした。

 ナマハゲが、藁のような蓑をまとい、体色はやや地味で赤か青の仮面なのですが、ポゼは緑の葉をあでやかにまとい、仮面も大きく多色をまとっています。
 年に一度来訪し、女子供を戒め、勤労と豊穣、無病息災等を祈念する来訪神が日本の各地にいろいろな形で点在しているのは面白いです。

 秋田のナマハゲ館は、ショッカーの再生怪人軍団のようで、なかなかの迫力ですが、各地の来訪神行事は、観光化されずに、過疎化で伝承も厳しい局面のところもあるようです。

 いつか見たいと思っていた悪色島のポゼですが、島が危険な状態となっており、安全になれば、一度はやはり見てみたい気持ちは強まります。

 子供の頃、来訪神にこっぴどく諫められなかったので、少し怠惰な大人になったのかもしれません。そこは素直に反省しています。

「未来の交通」ネタ切れと閉塞

 大阪・関西万博にも2度行きましたが、2度とも朝からでもなく半日程度です。2~3回で全体像を語れるスケールでもありません。
暑いのと混雑もあり、55年前と違い体力も落ちて歩き回るのと並ぶのは限界が早いので、パビリオンコンプリートなどはさすがに断念です。
 気になるところをピックアップして見学の方針でそれぞれ短時間で訪れました。
 さすがに今さら、ガンダムやみゃくみゃくではないので、鉄道のファンとして、交通遺産ウォッチャー、交通系インフルエンサー(自称)としては、最低減交通系の提案にあるパビリオンを見て、ご紹介します。
 西口のさらに海沿いにあるので、「未来の都市」まで、東口からはかなり歩きました。

 

 正確にいうと、未来社会ショーケース事業「フューチャーライフ万博・未来の都市」 でその中心の一つ、日立やクボタ、KDDIなど名だたる企業の共同パビリオンの中で、KAWASAKIが移動交通手段の提案をしています。
 一つ目はKAWASAKIらしいバイクの未来系、CORLEOです。
 ロボット事業とモーターサイクル事業を持つ川崎重工グループだからこそ提案できる4脚による走破性、安定性、操る楽しさを持つ新感覚オフロードパーソナルモビリティです。モーターサイクルのスイングアーム機構により、前脚部と独立して後脚部が上下に動きます。これにより、移動時の衝撃を吸収することに加え、ライダーは常に進行方向の地形状況を確認しやすい姿勢を保つことができます。操作は乗馬のようにライダーの重心移動によって行います。CORLEOが複数のポーズを取る様子が見れました。


 さらに、サムネ写真、こちらはグリーン車の個室のような未来の客車です。
 個室内は見学できます。映像ではこのキャビンを鉄道やトラック、船舶、飛行機などにそのままつないで、乗り換えなしで移動できるものです。発想そのものは、昔座りながら未来の公共交通システム「ALICE SYSTEM」の中心となるALICE Cabinが接続する瞬間を切り取ったALICE Railも展示しています。

 確かに、CG映像でのイメージは美しく、未来感がありますが、1970年から見た50年後の未来と比べると、アイデアが斬新かというと、正直さほど驚きはありません。乗り換えなしは便利ですけども、基本的な発想は、連絡線に客車ごと搬送されたり、在来線を併合・分割したミニ新幹線が走るとかと同じものです。

 片方では、空飛ぶタクシー的な、ドローンのようなヘリが注目されているところです。果たして乗り換えなしのラウンジのような客車型の汎用ユニットに、50年後とはいえ現実味はあるのかツッコミたくなるところです。

 北陸新幹線や北海道新幹線の延伸が15年から30年、リニアの新大阪開業も30年前後先と見られる中、全国各地にもっと楽に移動できる時代が来るのでしょうか。そんなに環境を破壊してまで、急いで移動する手段など要らない、新しいモノを作っても人口は減るばかりと反対の向きも多いご時世です。

 大阪・関西万博は、高齢者には懐古趣味もあり、若い人にももちろん楽しめるイベントではあります。
 しかし、SFという言葉さえ真新しかった1970年当時と違うのは、、若い人にとって、すでにネットやゲームであらゆる未来の情報が既知、既読のものです。それが美しくリアルなヴィジュアルで表現されているとか、デティルが上手く仕上がっているのが面白いというのが感想のようです。あっと驚く新しいモノに出会えた面白味は何人かのレポートからも伝わってきません。

 移動手段など「未来都市」の提案も、現代がむしろ袋小路という閉塞感というか、未来のネタ切れのような印象というのは、ある意味残念です。

 新しい乗り物、その完成、開通というのは子供心、街やそこに住む人を必ず輝かせるものです。「未来の都市」で展示された、移動手段が早く実現できるよう、期待します。

我田引鉄の歴史、整備新幹線は?

 「我田引水」という言葉が原点としてあってそれをもじった「我田引鉄」という言葉が鉄道ファンの中では著名な造語です。
「我田引水」とは、何となく字面で分かるように、「自分の田んぼに水を引き入れる」ことから派生した言葉で、自分の都合のいいように物事を解釈したり、行ったりすることを指します。これは、元々村で用水を共有する際に、その水配りを担当する者が自分の田を優先したことから生まれた言葉です。
 水の替わりに鉄道のルートを自分の街に通すように有力政治家などがルートや駅を誘致したのを、面白おかしく揶揄した言葉が「我田引鉄」です。明治以降の鉄道草創期は、他に交通機関もなく、道路も未整備でしたから、鉄道は、地元の街にとって、喉から手が届くほど誘致したいものでした。
 現代でも高速道路や新幹線は地方で来て欲しいと言われる交通機関ですが、昔の鉄道はもっと差し迫ったものです。隣町の学校や県庁に行くのに電車やバスもない、材木や農産物の運搬も河川を頼るなど、今では想像できない苦労のあった時代であり、集落の有力者にとって鉄道誘致は町の盛衰に関わる喫緊の問題でした。
 町同士も政治家を絡めて、我が町に鉄道をという時代ですから、まさに「我田引鉄」となったルートが今も残る路線がいくつかあります。
 有名なのが岩手県内陸の一ノ関から、宮城県沿岸部の気仙沼を通り、岩手県大船渡市へと向かう大船渡線です。ナベツル線とかドラゴンレールと歪な形に愛称ができています。当時の政友会と憲政会という二大政党の地元有力者の綱引きで、一度まっすぐに東進するはずが、北上してからの東進となり、さらにそのままかと思うと、再逆襲があり、もう一度南に回ってからの東進となり、さかさまの鍋のような形の路線ができ、時間帯によっては歩いて追いつけるような変な迂回ルートができました。
 当初は東北本線(現在は新幹線も止まる)一ノ関から陸前門跡を東へ千厩へ向かう予定が摺澤の攻勢で北へ逸れたものの、千厩もそのまま東進は譲らず、再度捻じ曲げて自分の街へ引き戻したのです。
 こんな迂回のただでさえ、遠回りのルートですから、現代では高速道路や国道が整備されると、厳しい経営状況は当たり前です。

 もう一つの代表例が中央本線の「大八廻り」と言われる諏訪から塩尻へ抜けるルートです。諏訪から西へ向かう路線は岡谷を過ぎ大きく南に辰野まで進んでから北へ向かって塩尻を目指します。まっすぐトンネルで結べば短い距離を、当時の帝国議会議員で鉄道局長という要職だった伊藤大八という大物政治家が、辰野から今の飯田線ルートで伊那谷、飯田から豊橋に繋ぐ主張を通そうとしたことで、「大八廻り」と言われます。

 最終的には辰野から塩尻、木曽路を抜けて、中津川から名古屋に向かう現在の中央西線はこんな経緯でちょっと迂回しています。

 当時と比べて、鉄道の相対的な役割りは低下して、期待度合いも違うものがありますが、今の整備新幹線の悶着は、昔の政治家ならどう思い、いびつな路線が残った街の人はどう感じるでしょう。

 新幹線駅が欲しい地域はまだありますが、並行在来線はJRから分離され、地元負担が重くなります。建設費で地元財政が厳しくなる上、3セクで生き残った路線も割高で地元民にも負担が重いもので、通学や通勤、通院の足にしても気軽に乗れなくなります。

 その上、盲腸型の路線の末端になるターミナルができる地方は活性化できていいでしょう。金沢への新幹線延伸は大成功でしたし、地元も負担した意味がありました。
 しかし、現在の北陸新幹線や西九州新幹線で佐賀県や京都府はすでにターミナル駅と近くて、新幹線駅もあり、私鉄や複数の手段で、東京、大阪や博多のターミナルに行けるので、同じ条件ではなく、メリットは少ないのです。その上で、負担や環境問題が出ては反対に転じるのもわかります。
 明治期ともここは違います。「我田引鉄」ではなく、「我田嫌鉄」がまかり通っています。

 国の大きなプロジェクトと考えると、一度〇〇から△△駅へ新幹線を計画した時、おおよそのルートは決まっていたはずです。そこまで行かず未成に終わりそうとか、違うところでおしまいでは約束が違う話です。 確かに長大トンネルが必要で、大深度工法で京都や大阪の都市部近くに新路線というのはお金もかかり、反対の住民も増えます。しかし、それまで作ってきた路線の人もやがて完成するからと、土地を提供し、環境に我慢をしてきた背景があります。長野、新潟西部、富山、金沢、福井と多少の差こそあれ東京とが繋がった恩恵を受けつつ、京都、大阪の近畿圏ともつながる完成を最終形スキームと聞いて受け入れているのです。
 北陸新幹線も長い間途中の長野までで、長野行新幹線と言われていました。その後、ようやく段階を経て、金沢、昨年敦賀と延伸しました。元々が東京から北陸を経て新大阪へ行く新幹線なので、敦賀で終わりとか、米原でつないでしまうのはスキームを根本的に変えなくてはいけないので、それをもっても無理筋だと思います。

 小浜からさらに西へ廻って京都府舞鶴市から、京都へ向かうという案まで復活し、山陰新幹線の布石にもなるのでそれも良いという話も出ています。負担があって便益の少ない京都府の中では北部の活性につながる点はポイントではありますが、先のナベツル線のような迂回のようで、ますます工費も所要時間もかかります。それぞれの課題、メリットデメリットは検証し終えての「小浜ルート」であり、いちいちリクエストやVARを受け付けていては試合が終わりません。

 地方と都会の格差をどう埋めて、未来の日本はどういう形なのか、JRと政府がもっと前にでて、分かりやすい希望のあるプランで国民を納得させて進めるべきところです。

北陸新幹線延伸反対の世論に思う | 天使の星座

鉄道ファンとなったキッカケのシリーズ

 この間も、鉄道のファンが集まっているところで、ジャーナリストや一般の郷土研究家から、『なぜ、鉄道好きになったのですか』という質問を受けました。

「男の子はみんな鉄道好きじゃなかいですか、そこから車や他の乗り物、スポーツや音楽などの趣味に変わっていく人がいて、そのまんまが鉄道ファン』と何か、わらながら。自虐的な間の抜けた応えをしていました。

 専門的な鉄道好きになったのは、先ごろ廃刊になった雑誌「鉄道ジャーナル」が始まりで、独身の頃のヒマつぶしに、写真のキレイな雑誌を手に取り、地元中心の鉄道記事から読み始め、だんだんと日本中の鉄道のエポックを知りました。

 そして、やや専門的でのめりこみ始めたのが、鉄道アナリスト、川嶋令三さんの本です。旅情あふれる、宮脇さんや種村さんではなく、シニカルで工学のことも書きながらマニアからも書きミスが多く暴走気味との酷評もありますが、それゆえ面白い筆致です。’今も書棚にある「これでいいのか特急列車」などからはハマリ、この全国の全路線を歴史、車窓、ダイヤ、車両、未来まで評論する一大シリーズでした。始まりが30年以上前で完結まで15年以上かけて、改訂するわけでもなく、当たらなかった未来も含めて、廃線となった路線も含め、今でも貴重な資料となっています。

 東北にいた頃、早く東北版が出ないかと待っていましたが、最後になりました。最初こそ、親しみのある地域以外は、とっつきにくかったのですが、やがて旅行でも良いガイドになるのが分かり、重宝していました。四国や信州、北陸や九州なども、当初は頭の中だけで情報として詰め込んでいたものを、そこまで旅をして、乗り鉄や廃線ウォークで歩くと、以前書かれたのもがとても参考になりました。

 実現できた路線や、頭打ちのまま廃線になったところもあり、30年の歳月は残酷でもあります。

 国鉄型のディーゼル特急列車が、三セクの新型車の代走で頑張って最高スペックを出している路線に対し、「多くの同期仲間の列車たちが三途の川への鉄橋を渡ろうとしているときに、、』と書かれているのには爆笑しました。

 相互乗り入れや、高頻度(フリークエンス)の提案、カーブ路線を改良して、振り子機能を使うなどして何とか、在来線高速化という、今の整備新幹線が無理なエリアの中速鉄道を先見しているところもあります。
 的中した未來と、実現は程遠い夢だったものを、30年後に検証する旅も面白いです。当時は弱小出版社のレアな本で、amazonもなく入手に奔走しました。それにしても、昭和と言わず、平成の初頭も遠くなりました。

北陸新幹線延伸反対の世論に思う


 北陸新幹線延伸、小浜ルート京都市内乗り入れ、京都市議会も反対を採決し、ここへ来て総スカンですが、少し違和感もあります。
 松井市長は国家的意義という言葉は確認しておられます。いろんなところで議論を聞きますが、このままでは敦賀で放置で何も進まない上、リニアや他の新幹線の延伸工事の大深度工法でやるところにも悪い先例になります。
 京都人は、もう少し寛容で、都人として、他国の人を受け容れ、新しいことにチャレンジするのではないでしょうか。
 日本で初めて、路面電車を開業し、私鉄の阪急の地下線も東京の銀座線に次ぐ、日本で二番目、関西では最初の地下鉄です。
 官制鉄道の東海道線、新幹線ができる時も反対はあったようですが、今振り返ると駅ができていることは当たり前で、町の発展に欠かせないものです。その時も、騒音や環境問題、立ち退きなど課題を乗り越えて、国家と地域のために英断を進めてきたわけです。
 仏教会の『千年の愚行』というのも、京都を『水の都』と強調していますが、それは大阪のイメージのようですし、そういうならば京都人は千年の間『愚行』を繰り返し発展してきたのです。鴨川や、伏見の清酒など、水文化はありますが、京阪も阪急も市営地下鉄も作っておいて、北陸新幹線だけダメ、リニアには今だにラブコールも変ですよ。
 大深度の地下をシールド工法で掘るのは、開削方式で工事していた時代よりも、地下水への影響は基本的に少ないというのが定説です。専門家も全く水に影響がないとは言えませんが、では今まではもっと地上から路線面全体を掘りまくった工事をしてきて、シールド工法はそれよりも影響は少ないのです。大規模な高速道路も最近は大きなトンネルでぶち抜いています。そこからの残土なども、厳密にはさまざま自然破壊、生態系の激変がおこっていますが、そんなに問題になった話は聞きません。
 リニアはどうせ来ないと思っているなら、リニアの招致協議会など、今すぐ解消すべきです。
 自民や維新市議も、仏教会などの世論でぐらついています。
 しかし、ハシゴを外される小浜市の期待にはどう思うのでしょう。またもし米原ルートにして滋賀県に押し付けたらその影響で、負担やJRから切り離される路線が出ます。
 そこは迷惑だと考えないのでしょうか、今さら『水や残土、環境と』キレイごとで小浜京都ルートを否定する人は自分さえよければ良いのかと思います。
 府や市の市民への負担の仕組みには、私も反対ですが、それはお金の問題であって、国家的意義を理解してということと、あくまで負担と便益を考えて主張すべきです。

 観光資源があり、通勤環境が整えば大化けするエリアを活性できるのかは、あるいはその逆でマイナスの過疎化を産むかは地方の死活問題です。そして、今京都や大阪にとって、すでに交通至便なところには、別の条件のスキームでないと、今さら新幹線が繋がるメリットはないのですから、キレイごとを並べると矛盾が起ります。
 経済効果、便益が負担より大きくなることを示さないといけない、あとは国家的意義と恩恵を受ける側からきちっと理解を求めることなのです。

カナソハイニノ国 廃線に抗う、ミニ独立国があった

「カナソ・ハイニノ国」旧国鉄が赤字ローカル線の廃止を進めていた1984 (昭和59)年、当時の中町商工会青年部有志が鍛冶屋線存続運動の象徴として建国しました。旧中町側から鍛冶屋-中村町-曽我井-羽安-市原-西脇-野村の全7駅の頭文字を取って難解な国名が誕生しました。
 1980年代、井上ひさしさんの『吉里吉里人』に端を発した吉里吉里国をはじめ、ふるさと創生ブームに乗り、全国に誕生した多くのミニ独立国の一つで、今ならファンドやふるさと納税なのでしょうが、国債なども募っていたようです。
 「カナソ・ハイニノ国」はローカル線維持という、極めて実利的な政治課題のために作られた国です。

 

 今回、廃線跡をたどるツアーに参加し、当時の「カナソ・ハイニノ国」官房長官を務めたかが、語り部のように案内をしていただきました。
 鍛冶屋線の廃止への経緯に関しては、不運な面もありましたが、35年を経て地方では鉄道が個人の移動手段としても物流の機能としても、役目を終えてしまった時代に入って、語り継ぐ歴史も風化してきています。

 昨年、市原駅跡以北の全線歩いては行けなかった鍛冶屋線跡を今回、バスも借り切りのツアーで終点鍛冶屋駅跡まで訪ね、役場の関係者さんはじめ、地元の語り部や、ツアー関係者、多くのファンの方とお話できました。

 当時の国と国鉄の融通の利かない特定地方交通線の方針、で、加古川線の支線3線はそれぞれ数奇な運命をたどります。ミニ独立国は、平成2(1990)年3月31日、関係者の涙ぐましい努力空しく、愛された鍛冶屋線は多くの人に惜しまれ、見守られながら廃線となり、ミニ独立国もその設立意義を失い解散となります。

 改めて、画像や映像、資料を見て、今の赤字ローカル線よりはるかに存続してもよさそうな活気があたようです。今、廃止といってもマニア的な葬式鉄は集まるものの、実質は普段ほとんど利用されない路線がほとんどです。
 前にも書きましたが、国鉄は線名毎の輸送人員で特定地方交通を決めたことが鍛冶屋線の悲劇でした。鍛冶屋線は本来、加古川線の西脇市(当時野村駅)西脇市街の西脇駅までが大正2年に播州鉄道として最初に開通しました。その後、大正12年までに市原、中村町、鍛冶屋まで延伸しますが、大正13年に西脇市側が野村から福知山線の谷川まで延伸して加古川線となり、鍛冶屋側が鍛冶屋線という分岐する支線扱いになったのが悲劇だったのです。

1995年の大震災が促進したもの 兵庫県のローカル線 | 天使の星座
 

 加古川線野村(現西脇市)~谷川間は集落の少ない閑散区間でした。今も2~3時間に1本しか電車の通らないJRのお荷物区間で優等列車はもちろん加古川への直通列車は昔も今もありません。これに対し、鍛冶屋線は鍛冶屋から加古川線に乗り入れ神戸方面への通勤通学や用務客も多かったのです。線名ではなく、区間ごとの乗降客数、きめ細かい車両の運用まで判断して、地方特定交通を決めれば、廃止するのは西脇市~谷川間で、鍛冶屋駅もしくは、西脇市の中心部の西脇や市原あたりを加古川線の終点としていた方が、実情にあっていたのです。

 ところが、例外を認めだすと、支線名を変えたり、地元からの要望を聞き、ぐちゃぐちゃになるのを恐れ、国は線名基準を頑として変えませんでした。そして、運悪く兵庫県も第一次のの特定地方交通方針で三木線、北条線の三セクを三木鉄道(廃止)、北条鉄道として受け継いで大赤字となり、もうこれ以上赤字路線を抱え込みたくないので三セクとして受け入れられずに、鍛冶屋線の命運は尽きました。

 現在、かろうじてただ一つ生き残った北条鉄道は、厳しい環境ながら牧歌的でノスタルジックな旅情あふれるローカル線として頑張っています。
 ツアー参加者に、北条鉄道沿線のファンの母娘が来ておられて、エールを送りました。
 クルマの保有台数が3桁ほど違う時代で、荷物もトラックが運び、全国に高速道路が整備された時代に入り、ローカル線は牧歌的に残るか、廃止されて産業遺産となるかです。

 それでも地方と都会の格差は少なかったのか、間違いなく日本に活気があふれていた時代です。