珈琲豆の値上がりの話から

 

 図書館のカフェコーナーで話していると、珈琲豆の値上がりから話が盛り上がりました。少しご年配の男性ばかり3-4人です。

 珈琲豆に限らず、米はもちろん、チョコレート、ヨーグルト、牛乳、チーズ、卵、コンフレークと何から何まで上がって困るよねという話で盛り上がりました。

 選挙なので、税金の話で、消費税の廃止や、京都市の市民税やら国保料、介護保険料、水道代も高いと愚痴は止まりませんでした。

 珈琲の場合、豆を一定の品質のものとなると、円安や世界的不作、輸送コスト増大とまあ上がる要素のオーパレードです。

 おコメより条件は悪い。と言うかおコメは流通などやり方でまだ抑えられる要素はありますが、珈琲豆は厳しいだけです。コンビニの珈琲も10年ぐらい前にセブンから出た当初は挽きたてが本当に美味しかったのに、今はかなり質の悪い豆を使っていて、イマイチです。

 価格を据え置きしたい売り手の気持ちもやまやまなので、パッケージの見た目を変えずに量を減らすダウンサイジングというやり方はよく使われます。何のことはない、くな小さくっただけでグラムあたりは値上がりしています。

 おコメ5㌔だとか、牛乳1リットルのパックなどはその点ごまかしは効かずある意味正直に値段が分かります。

 困るのは、珈琲豆のように質の悪い安い中身に変えて価格を維持するやり方です。珈琲の場合、ダウンサイジングで昔400g程度あったパックが今は250g以下になっている上、モノによっては質も相当低下しています。

 長年、私は価格維持、定価販売の商売をしてきました。今のようなインフレは経験がなく、むしろ安売りを抑えてブランドを維持する仕事をしてきましたが、質を下げることはブランドを失墜させ顧客を手放すことになります。

 確かに安くて美味しいから、流行っていたお店、唐揚げでも、たこ焼きでも、饅頭でもラーメンでもあったとして、そこの店の味が落ちちゃうと、アイデンティティに関わるのです。それでも価格もまたそこの店、メーカーやサービスの企業が選ばれた理由であるとすると経営者は悩む、考え出して、苦渋の選択をしているのでしょう。

 消費税の軽減や、所得税の軽減で手取りを増やすとかでは抜本的には解決できません。賃金が上がり、大部分の人の可処分所得が上がらないと解決しないのです。

 大手企業は好決算を報告して、株も上がっていますが、ここらの構造、社会全体への分配に問題はあります。勝ち組に集中し過ぎるのか、勝ち方が弱者を出し抜く新自由主義の弊害なのかです。

 選挙の結果はどうあれ、美味しい珈琲豆が手軽に買えるようになって欲しいものです。

真冬にタイトな選挙

 この冬としては、最大級の寒さで雪も少し積もりました。

 近畿でも北部はじめ、北陸などの北国はもっと顕著な雪に見舞われています。

 そんな中、衆議院が解散され、もっとも戦後で短いタイトなスケジュールで衆議院選挙が始まります。

 暑い寒いはしょうがないのですし、衆議院は常在戦場と言われます。それでも16日間という短さ、参議院と違い予定もしていなかったので、政党や候補者も大慌てでしょう。

 これは選挙を管理、運営する選挙管理委員会や、市役所などの地方自治体も同様というか、寝耳に水の混乱が生じています。

 そもそも、年度末を控え、予算や人事の最終調整の非常に忙しい時期です。ポスター掲示板から一切合財の業者依頼やアルバイト手配なども大変だと思います。

 私も市役所で計理の仕事も補助していましたが、年度予算は完全に使いきる状態の時期ですから、特別に申請をまわさないと掲示板の板1枚、時給1200円のアルバイト一人にも支出できません。

 支出の起案稟議が通っても、業者や求人は誰でもいいとは行かず、役所は公募をかけ入札、面接が必要になり、最低限このタイムラグも要ります。

 その事情かどうかわかりませんが、私の住む市では選挙公報の宅配が無理で、新聞折り込みとなりました。前回の選挙で委託業者が公報を配らなかった不祥事があり、入札停止を受けた関係で厳密なのかはよくわかりません。

 新聞宅配など今や3割の家しかやってないのに後はどうするのか、混乱ぶりが察せます。

 大阪は知事、市長も兼ねる選挙なので、ポスター掲示板を大幅に減らすそうです。

 公職選挙法で決められたことが、形骸化してて、なし崩しにできるならば、もっと早い時期にムダな支出を減らし、税金を節約できたのにと思います。

 ネット選挙の時代に、昔からの公選法のやり方で、業者と半ば談合、支出は抑えられないとかなら、時代は変わらず減税など絵に書いた餅です。

 与野党とも、ネット選挙に重きを置きだしたなら、このあたりの改革です。

 自民党と維新の政権基盤が強固になるのか、中道改革連合が生き残るのか、どちらかわかりません。しかし、税制や経済、社会の構造を発展させ、変えるときに、こういうムダを排除して、その際に消滅する業界に代替の産業基盤なり、就くべき仕事をフォローすることも必要だと思うのです。減税だとすぐ財政、財源の議論になるのですが、税負担のたらい回しや先送りではなく、ムダをなくし新たな税収を探すのてす。

 

 

AIがあふれる時代

 自社のモデルが有名タレントでなくって、AIだという場合、社員やらのモチベーションはとうなんだろうか?CMモデルに金かけず社員の給料に回すとか、原価下げた方が評価されるかな?

 AIがどんどん進化して、ちょっと前は、ぎこちない特徴なので丸分かりだったのが、だんだんよく見ないと本物かと思えるのも増えました。

 振り込め詐欺、マルウェアなども、どんどん巧妙になってきています。自分はだまされないなどと思わないこと、チェスや、将棋で人間が名人クラスでもコンピューターに勝てなくなったのと同じようなものです。

 AIのモデルを使っていると、明記しているもの、チラリと作成AIのロゴが画像に入るものなとはまだ分かります。

 背景だけとか、人物の顔だけを入れ替えるのも巧妙になりました。

 有名人が被害にあっているディープフェイクのポルノなど不適切なのも問題になっています。

 話は少しズレますご、昔化粧品会社に勤めていた頃、化ける女性はたくさん仕事で相手にしてきていました。整形や化粧で入社当時はおぼこい女性が、びっくりするほど変身した例は見ました。

 そこそこの年齢になると、化粧を落としたすっぴんを見ようものなら、別人と見まがうとか、幻滅より恐怖すらありました。

 今、ティクトックやYouTubeで再生数をものすごく稼いでる方がいます。

 可愛い女性がいかにも男性受けする水着や透けた衣装など、あざといスタイルで散歩というだけで10万20万とか再生をもらうインフルエンサーがいます。かなりAIを使って美形に加工した動画という説が有力だそうです。

 課金できるプランではもっとセクシーな姿も披瀝しているらしいですが身体の方は本人なのか、やはり修正してるのかもわかりません。知ったところでどうだという話です。

 あざとい水着姿なり、ヌードの女性の美しい顔はAIだったとして、それで課金というのは、何だか虚しいお金の流れです。

 結婚する男女が減る、少子化なのも解ります。

 化粧と整形を重ねて、虚飾の仮面を被った生身の人間と、AIならどっちが良いとか悪いとか、倫理にかなうのかももうわかりません。

 私の会社時代の後輩に、イケメンではあるものの大変な女好きがいて、ルッキズムの典型で遊びまくっていました。「女性は顔で決めるとか美形の経済効果は計り知れない」と言ってはばかりません。

 でも、女性ばかりの会社でトップクラスでも、本当にすっぴん見ちゃうと私は幻滅はしました。虚飾と分かってもいいのかなと後輩には尋ねました。

 実際にAIでCMモデルに作られるとか、動画になるのは当たり前に美形です。アンドロイドとかヒューマノイドもたぶんそうなるでしょう。

 何十年かすると、顔面偏差値はさらに上がって、生きてる人間もロボットもさぞ美形だらけになっていることかと。

 

 

昭和歌謡の時代があった

 昨年末の紅白歌合戦には矢沢永吉さんや布施明さん堺正章さんら70歳以上のレジェンド歌手が7人も出演、その他にも還暦過ぎの歌手がスペシャルなどで活躍し、卒業して経年劣化のアイドルグループも出戻り、一部ではナツメロ大会と言われました。

 1980年代頃、フォークソングがニューミュージックとなり、その後JPOPなんて言われたのですが、音楽的にはもうそれほど変化なく、今の若い人がカバーしても新曲と変わらない70歳ぐらいの歌手の若い頃の歌が感覚的に変わらず受け入れられていたようです。

 昭和40年後半なら50年頃にかけては、紅白歌合戦の視聴率や占拠率は凄まじく、その前の時間にあったレコード大賞も大変な人気でした。

 日本レコード大賞を独占するTBS以外の民放はその次に権威のあった歌謡大賞を持ち回り、独自の賞も設定していました。年末は賞が目白押し、普段も毎日のように歌謡番組がありました。今とは少し音楽的には曲も歌詞もレトロな感じの時代です。夜のヒットスタジオやその後のザ・ベストテン等も今では考えられないほどの人気歌番組でした。

 当時は、若いアイドル歌手も歌謡曲のジャンルに入る人が多くいましたし、演歌やムード歌謡等の中堅からベテランの歌手もたくさんいました。

 昭和42年とか45年の紅白歌合戦のリストを見て年齢計算すると、子供時代に見ていた歌手が意外に若いのに驚きます。今の紅白歌合戦のような60歳や70歳なんて人はいません。

 これは社会全体の傾向、高齢化なんでしょうか。

 昭和42年の紅白歌合戦、司会は白組宮田輝アナウンサー、紅組歌手の佐良直美、総合司会山川静男アナウンサーでした。

 応援団長に堺正章、水前寺清子といますが、司会のタレントは歌手の佐良直美さんだけでした。今は朝ドラの番宣のヒロインが入りタレントや俳優が司会が当たり前ですが、昔はアナウンサーでした。やはりプロの司会が前奏に重ねて滔々と流れるような口調で曲紹介をし、丁寧で手際の良い進行は、当時の歌謡曲に欠かせないものでした。

 歌謡曲の歌詞、演歌というジャンルも、社会そのものが今とはどこか違う感覚がありました。どこか知らない土地や、大人の水商売や裏の世界に引き摺り込まれるような感覚もあり、貧しさの中に温かさや、苦さが混じり、微妙なテイストの名曲も多いです。

 演歌は演じる歌や、怨みの歌か、艶の歌か、縁(えにし)の歌かとか滔々と紹介されていました。

 個人的に、優劣とか何もない好みですが、昭和42年日本レコード大賞を取った、ちあきなおみさんの「喝采」という曲は名曲だと思います。

 時代も風景も変わり、歌詞にある「止める貴方 駅に残し、動きはじめた汽車に、一人飛び乗った」というのは、現代ではあり得ない描写ですね。鉄道ファンでも苦笑しそうですが、列車が動き出してると、ドアは閉まっていて飛び乗ることは今の車両構造では無理です。とは言え情景や気持ちは分かりますね。

 今回の紅白歌合戦に79歳で特別出場された堺正章さんだと、私はこないだは歌われなかった曲ですが、昭和48年の「街の灯り」がしみじみとした名曲だと思います。当時もオイルショックなど不安な世相で、落ち着いた歌が求められ、この年のレコ大の作曲賞と、紅白歌合戦の楽曲に民放ドラマの挿入歌としては珍しく選ばれていました。

 良い楽曲は、時代を超えていつまでも心地よく響きます。本人たちはもう亡くなられたり、老いて表に出られなくても歌は残る、それもまた良いことです。

 

 

日本を知らな過ぎだと痛感

 只今勉強中。

 日本にも、まだまだ行ったことのない場所、知らなかった文化、歴史、遺産が多いことを痛感いたします。

 私な多分比較的全国を旅行や転勤で回っている方だと思いますが、まだまだあまり知らない県はあります。

 全く初耳もあれば、名前だけ何となくの場所も多くあるものです。

 通過しただけとか、仕事で取り引き先には行ったとか、乗り継ぎで駅には行ったが、肝心のその場所は行ってない、知らないとかもたくさんありますね。

 かつて日本にはたくさんの国や藩がありましたし、明治以降も近代日本を支えた忘れ去らがちな産業もありました。

 生命を削って、山を切り崩し、鉱山に入り、資源を運んだ道を作った先人がいたから現代の日本があるのです。

 飛行機や新幹線、高速道路で行き過ぎると、見落としてしまう地方の街中に、ひっそりと遺るものがまだまだあります。

 限られた一生の時間、世界中を旅するのも選択です。それでも日本の隣にある都道府県でさえ知らない町やそこの文化、遺産はいっぱいありますね。

 地理の勉強、旅行案内としても面白いです。

人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

親分肌の弊害

 一昨日も書いた件で、少し長くなって書きたりなかったエピソードなどがありました。

 合併すると、よく旧◯◯派とかできます。合併しなくても、そこそこ大きな会社だとやはり派閥みたいなのがあって、誰々のグループにいて、親分のイエスマンになれば、少々トラブルを起こしても揉み消してくれるとかありました。

 信じられない方もいますが、私の化粧品会社だと、ザラにありました。どうしても女性の多い会社で、仕事はできるけど、女癖の悪い人も多くて、今なら人権、コンプラ問題のひどい話も多いです。

 親分が揉み消すのは、ほとんど金か女のトラブルで、豪傑も多く、真面目に働いてトラブル無い人よりも、むしろそういう奴のが出世して、処分されてもまた浮かび上がるのには、呆れるケースもありました。

 西日本を統括してる人が私の仲人でしたが、各県の支店長は自分がトラブルを揉み消した経験があると話してました。

 社長になった方も、名古屋時代に私の上司でしたが、パワハラやセクハラありありでしたが、見事に当時のチームを本社の側近に持っていきました。

 親分に取り立てられ、ミスも揉み消してもらったメンツで固めれば、ある程度結束は凄く強いですが、いかんせん不正には弱くなってしまいました。

 これは潰れそうになった民間企業の昔の話ですが、最近でも聞きますし、役所でもあるようです。

 国家や国家間はどうなんでしょう。人間がやってるのでは、やはり似たりよったりです。市会議員さんや、国会議員さんのお話でも、やはり政治もよく似たもんです。

 年明けにまた大きな戦争のニュースが入りましたが、世界の警察や親分となる国、それに従う同盟国はどういう感じなんでしょうか。

 戦争とまでなると、生命がかかりますから、親分が正しいかどうかはしっかり見極めないととんでもないことになりそうです。

http://seizafpkotodama.com/2026/01/05/%e6%8f%90%e6%a1%88%e3%82%84%e6%84%8f%e8%a6%8b%e3%81%af%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%82%8b%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/

未来の交通を阻むモノ

 全国的に一般にはあまり知られていませんが、JRの鉄道では唯一?JR九州福岡県の香椎線という路線で自動運転が行われています。

 複雑なポイントやらは少ない都市近郊ではシンプルな盲腸線です。ただ、踏切もある路線なので、自動運転の完全なレベルではありません。

 関西万博ではアクセスに自動運転バスも運行されていました。

 運転手がいない!と不安になる人もいるかもしれませんが、乗り物の安全性という面では状況にもよりますが、今後ますますロボットや機械に任せた方が、ムラのある人間よりは安定しています。今までの電車、機関車では運転手になるのに大変な熟練も必要で、今後の人手不足を考えても、人間が自ら運転するシステムは早めに淘汰されないといけないでしょう。

 ホームドアの位置に合わせてマスコン、ブレーキを毎回どの駅にもピタリと停めるのは明らかに人間よりAIの方が得意なはずです。

 人間に任せるのは、災害などの緊急事態や、高齢者や障碍者への配慮、運賃や行き先、乗り換えなど細かい問い合わせへの対応ぐらいでしょうか。

 役所の窓口での申請なども、ゆくゆくほぼデジタルで可能になります。中での処理も今後ロボット化が進むでしょうが、(法律の改正など諸問題はありです)こちらもデジタル難民的な人への対応に人が要り、少しそういう対応に人は残ります。

 介護等含めてロボット化が進めば、社会の中で人間のやる負担は減ります。

 とは言え、進化の袋小路なのか、狭い道路は昭和以来の古い建物が立ち退かず、道幅も広がらないままで膠着しています。

 介護サービスもなかなか保険料は高騰するのに実態に合わない割には、業界は低賃金でブラックは状態が長く続いています。

 日本だと、タクシー業界などが、自動運転に反対します。

介護サービスにロボット導入というと抵抗する人かまた騒いで時間がかかるのでしょう。

 既得権益をもった業界や役所の関係者は急激な変化を嫌がり、上手く反対意見を盛り上げ粘ります。

「絶対反対」とか「暫定に」とか、「段階的に」とかで新しいアイデアをなかなか認めません。

 官民で連携して考えるべきは、AIに仕事を任せた時、人間がやるべき仕事です。

 自動運転の鉄道などでは、マスコンの操作は無理でも、人員は要ります。

 安全の知識があり、トラブル時の再起動などができ、鉄道会社への要望を聴くなど乗客への対応ができ、普段はひたすら運転台横に座って前面車窓とモニターに張り付けるだけの運転補助のような人が必要です。

「デジタル化は困る!ロボットに仕事を奪われては嫌だ」という人が反対すると、ますます未来は遠ざかります。

 子供の頃に想像された未来の都市が実現されるには古い家、建物やら、古い考え方を変えられない人は、申し訳ないけれど邪魔になります。

 しっかり補償して、未来的住居に移転してもらうことです。かつて高度経済成長期には今から思うと狭い団地や、ニュータウンがトレンドの憧れの住居だった時代があります。人気が出るような、住みやすい未来型住宅を作り、道路幅をまず自動運転に揃えることです。

 デジタル化の第2の波はデジタル難民が減った段階で、国のインフラ系の集中整備で、統廃合が必要です。 

 スマホがほぼ全員に行き渡り、使えるようになった時に、まずは電波の届くエリアをインフラ整備エリアとしてセグメントすることが、これからの限られた予算の投下には必須かと思います。

 私はローカル線や廃線跡など、古い街並みを見るのは好きですが、未来を考えた場合、朽ちゆくもの、要らないからこそ可哀想ですが選別すべきものがあります。

 

 

初夢?胡蝶の夢か夢応の鯉魚?現世はパラレル

 初夢はいつ見たものを言うのかという議論もありますが、それはさておき、新年に限らず夢はよく見ます。記憶の断片なのか、願望なのかはたまた予言なのか、何を意味しているのかよく解らない内容が多いです。

 人にもよるそうで、いい夢ばかり見る人もいるようですが、私なんぞは若い頃苦労した状態に戻っていたり、旅中とかで失くしものを探すようなイヤな夢が定番でよく見ます。

 楽しい夢は1割ぐらいで、夢はまだやり足りないようなことを見るのでしょうか。

 パラレルワールドにいる自分が夢の世界かもと思います。

 胡蝶の夢という例え話も好きです。

 自分の人生は実は今眺めてる蝶が見ている夢だという話です。

 似た感じで、夢応の鯉魚というのもありこっちは何か悪夢に似ています。お坊さんが夢の中で鯉になって泳いでいる、戻ると殺生を戒め鯉の絵を書き続きるようなお話でした。

 鯉や蝶というのは前後の生まれ変わりなのかもしれません。

 今は、タイムリープというSFがドラマなどで流行りで、何周目の人生とかも聞かれます。

 夢だと思うのは前世か来世かもしれませんね。あんまり苦労はしたくないですね。できるただけ、次に活かせる経験を記憶しておきたいものですね。

 毎晩熟睡したあと、周りの世界を含めて記憶がリセットされて、違う人生を歩んでいるんだと書いている人がおられました。

 人生のターニングポイントで別の選択をした方を夢で見ている。あるいは時々入れ替わっている。直前に見た夢は選ばれなかった自分の人生という考え、面白いですがなかなか怖くもあります。

「誠と謀略」戦後80年開戦は避けられたのか考察する

読書レビュー:橋本惠「誠と謀略」岩畔豪雄の知られざる日米和平交渉の記録

 戦後80年という節目の年で、「戦争を知らない世代」の割合が増え、ましてその深層まで掘り起こして知る人は限られてきています。

 このところ太平洋戦争が開戦前に日本人によって敗戦確実と研究されていた「総力戦研究所」の話が取り上げられ、ドラマのモデルが訴訟する件も話題になっています。

 同じ昭和16年やはり、日米間でもワシントンで繰り広げられた知られざる交渉があり、悪化した日米関係を修復しようと外交努力があったことを伝えているのが本書です。

 岩畔豪雄、井川忠雄の名前は私もついぞ存じませんでした。近衛首相や、松岡外相、東條英機ら戦争を止めず前に進めた名前の方が知られています。

 成立しなかった交渉に奔走した男の挫折を、太平洋戦争の裏歴史として、史実に基づき著しています。

 外交はつくづく伝えられる歴史だけでなく実らなかった裏があり、埋もれたものがあります。

 状況の変化もあり、ゼロか1かの成果では語れないものがあります。

 改訂版として、著者のご子息が、重い内容を現代にもわかりやすくされ、使命感を持って令和の時代に再度上梓されています。

 現代でも、世論の勢いだけでは危険であり、国際社会の外交は一筋縄では行かないものがあります。

 敵対的とされる中国やロシアにも、毅然とするだけではなく、人間的な外交努力もしていかないと国益は保てません。

 先の戦争以来、現代の戦争は多くの火器を使い一般市民の多くも巻き込み大変な国土と国民を消耗させる悪手です。

 単に厭戦、平和を望むことを軟弱・お花畑と保守層は揶揄しますが、やはり国と国が戦いもじさぬ時には、その裏ではあらゆる妥協点を見出す外交努力が必要です。

 戦後「戦争を知らない世代」と言われましたが、戦争を知る世代に育てられ多くの生き証人の話を聞けた世代する少なくなっていきます。

 歴史を現代から未来に活かすためにも、保守もリベラルも書を読み、学び、感じて次の日本の舵を取し、行き先を間違わないよう見極めないといけないでしょう。