万博の年

大阪で3度目の万博があった今年2025年ももう終わりです。

 大阪では1970年の吹田での日本万国博覧会、1990年鶴見緑地での国際花と緑の博覧会に続き、夢洲で大阪関西万博が開かれました。

 1970年の万博で小学生だった世代は、お金と時間ができて夢洲に何度も訪れた人もいますし、「今さら?万博」とスルーした人もいます。

 営業というか、動員的には目標達成、成功したのか、元々の目標設定が弱気で低かったのかもしれませんが、一応最低限の目標はクリアしたようです。

 国をあげて発展途上に近かった1970年のパワーとは比べられません。

 当時小学生だった世代が.若手社員のバブル期に迎えた1970年の、ワンテーマ博覧会花と緑の博覧会を少し上回る動員程度です。

 こういう風に書くから、私は関西万博アンチとお叱りを受けるのでしょうか。

 一応、モビリティの未来と、京都市絡みで関西のパビリオンは行きましたし、地下鉄は何度も乗りました。

 個人の好みで、結果オーライみたいに「可愛い」と言われてますが、私は一貫してキャラクターの「ミャクミャク」はキモいと思う派で、好きか嫌いかで言うと嫌いです。

 あれがもう少し可愛いと動員もグッズの売れ行きも増えたと思います。

 普通に考えて、人気のあるゆるキャラのような可愛さや、アニメ的なカッコよさなら、少なくとも推しが増えて、何倍かはグッズも売れもっと動員にも繋がつたでしょう。

 好みはあくまで個人の感想です。

 しかし、万博が後半から人気が出てきたように言われますが、バイアスのかかった錯覚です。格安の通期パスのリピーターも多かったようで、このあたりは初期段階での動員が弱気で自信が無かった感が伺えます。規模は70年ほどではないしろ、あれだけの大屋根リングはじめ多くのパビリオンを作ったので強気の設定で良かったのではと思います。

 関西の経済からいうと、やはり跡地のIRが早くできることです。関西らしい元気で活力ある施設を何とか早く作らないと、万博ロスが重くのしかかりそうです。

 怪しげな金の流れが黙認され、破産者も絶たないパチンコやスロットが認められてます。公営で競馬競輪、宝くじが大金使ってテレビCMしてるのに、今さらカジノ反対とかいう上っ面だけのキレイ事二枚舌は何とか黙っていていただきたい。カジノがギャンブル中毒に繋がると反対なら、身近で破産者も沢山産むパチンコや競輪競馬もやめされるように訴えるべきです。

 私は、IRリゾートも人が多いとイヤで.ギャンブルはからっきしなので、まあ静かな万博公園跡地が好きではありますが。

 千里の万博公園も、鶴見緑地も大阪近郊とは思えない広々としてゆったりした癒しのエリアです。関西が首都圏に比べると人が少ないのも分かります。このぐらいのゆとりがある方が良いです。

仕事をしているとエラいという幻想

 何度か仕事に悩む方に向けて元気づけるようなブログ、スランプの脱出方法も書いてます。

 自分も仕事には長年苦しんでいろんな自己啓発書などをむさぼり読みました。

「仕事は苦行か?」という大きな命題はなかなか結論が出ない難しい問題です。また、仕事をしていることが無職よりもエラいのかというのも興味深い問題です。

 お金が欲しいから仕方なく働く、その動機なら決してエラいものではありません。

 ところが、仕事を休んだり、働かないと、何か怠けもののようでエラいようにはとても思われません。私も昭和の仕事社員で、休むとむしろ後ろめたさを感じたものです。

 しかし、少なくともとりあえずお金に困っていないなら働かなくても優雅で、全く問題はないはずです。

 かつては、せいぜいが社交たけで、仕事を普段はしない貴族や武士が尊敬されていました。労働は身分が低い者がすることでした。

 失業給付や生活保護、年金生活、ましては育児休暇などでも何も恥じることはないのです。

 働いてその代償として、お金を貰う訳ですから、働いていることはエラくも何ともありません。

 最初の命題、仕事はやはり使役される苦行だと思います。確かに仕事が充実している時もあるでしょうが、仕事をしていない気楽さに比べるとやはり苦行に近いものでしょう。

 ところが、仕事を離れ、毎日が日曜日となると、例えば今だに現役で働いている人、役員や定年のない仕事で頑張っいる同世代を見るとやはり複雑な思い、気楽さとともに先ほどの劣等感めいた後ろめたさもちらつきます。

 週5日働いての週末の休みの解放感は、実際毎日が日曜日になると味わえません。

 それでも、まとまった休みが続いてこそ、できることも多いのです。

 特に還暦を過ぎれば、働き方も、これまでの生き様、住んでいる家も持っているお金も家族、取り巻く状況は全て人それぞれ違います。

 今だに働いている方は立派、偉いととるか、苦行を今だに続けさせられエラい目にあってるのかはその人でないと分かりません。

 現役であろうとリタイア組でも、仕事は苦行だったと、そう考え割り切った方がいいかもしれません。仕事にやりがいがあって、あくまでそれが充実と見なす方も自由で、それは感じ方しだいではあります。

 実際にはそう両極端にも考えられないものです。

 仕事であれ、休みであれ、今の時間を充実させ、楽しむことです。リタイアすると、学生や現役の時代が懐かしく思われますが、感傷的になるのは今とこれからの未来を考えると良くはないです。

 資格や能力は過去から培ったものがありますが、あくまで過去は振り返るのではなく、趣味や今からの活動、新たな仕事にせよ、全てはこれからを見つめていくことで、未来が充実すると思います。

戦争はルールのない喧嘩

 戦後80年という年があと少しで暮れそうな時期になって、どうもきな臭い情勢です。

 戦争も辞さないという保守と、あくまで戦争そのものまで否定するリベラルのかみ合わない論争は過去にも書いています。

 しかし、心配なのはナショナリズムの煽られ方です。嘘でも真実でも、ある国の政治体制が悪い、◯国人が信用できない。それは真実相当性があるのでしょう。

 けれども、この雰囲気の中、次に何らかの事件がもし起こったとして、それがその国が犯人なのか、その国に見せかけた開戦派、軍部なのかは結局、わからないのです。歴史的にも、たいてい開戦のトリガーは陰謀です。

 それでも勝てば官軍、歴史はいいようになります。

 このナショナリズム世論の後押しの怖いのは、止めるタイミング、休戦の水面下の交渉が難しくなることです。

 世論に嫌われる唾棄すべき国にも外交のパイプはつないでおかないと、休戦の交渉のテーブルさえできません。

 昔は騎士や武士が名乗りを上げて尋常な戦いをしていました。

 火器を使い始め、無差別な攻撃も始まり、戦争の被害は時代とともに増えました。それでもルールが皆無な戦いではないのです。

 ウクライナでもガザでも交渉はあります。戦争はルールがない喧嘩に見えますが、やはり国際法や暗黙のルールが存在します。

 その境界をギリギリ破ってきたのが、過去の勝者でもあります。

 戦争はただのガチ喧嘩ではなく、どこかで密な交渉がなされます。

 兵力、国力以上に世論を誘導したしたたかさも必要です。国民も賢くならないと、悲劇が繰り返されるのです。

https://seizafpkotodama.com/?p=14473

昔イメージの未来の食はグルメの対極

 昭和のSFのドラマや映画で描かれた未来の食事は、宇宙食のように簡単に食べられるイメージでした。

 宇宙船内では重力の関係で、パックから吸うような、今のゼリー飲料、固形や錠剤でもバランス良く栄養が取れて味付けされ空腹が収まるものが想像されていました。

 ウイダーやカロリーメイトなどの感じですね。今もモーレツに働く高市総理はそんな感じでしょうか。今だとブラック企業が、24時間戦えますかと昭和では栄養ドリンク飲んで働いて働いて働いて働いて働いてのモーレツ社員もいました。

 動物は食事を味わうことはなく、必要な栄養を危険を避け、そそくさと取り入れます。交尾も危険を避けて手ばやく済ませます。

 人間もかつては飢えさえ、しのげば満足だった時代が長かったはずです。

 貴族や富裕層から食事を贅沢に楽しむようになりました。

 昭和の頃あるSF作家は、未来の食事を宇宙食のようになるのかと言う質問に、真逆の回答をされていました。

 手間暇かけた味や見栄えが良く、栄養は少ない食事を、時間をかけて味わうようになる。と正鵠を得た予言をされていました。性行為が、妊娠のためではなく、営みを楽しむためだけになってきたのと同じようにと、不適切なタブー的発言もありました。

 今は庶民でさえ、有名なラーメン店やらには行列を作り、ちょっとしたイベントの後では家族や仲間で豪華なディナーを囲みます。

 人間の社会が豊かになり、油断していても大丈夫な世界になったのは喜ばしいことでしょう。

 熊の出没などは、自然界が驕れる人間へ警鐘をしているのかもしれません。

 

翻弄され続けた国の歴史

 たまたま手に入った古い本。最近の国際情勢で重版されてるようです。

 読んでいた五木寛之「青春の門」にウクライナ人も登場し、シベリアやソ連の歴史も描かれ、つながるように読みました。

 黒川祐次 著 ウクライナ大使を務められたた外務省の方 2002年のことで、ソ連崩壊で独立後のことはそれほど記述はありません。最近はキエフをキーウと表記されますが、キイフとの説もあるようです。

 世界史はあまり詳しくないのですが、ヨーロッパでも東欧、アジアよりはあまり世間にもよく知られてはいませんでした。ソビエト連邦の構成国にロシア、ウクライナ、ベラルーシのルーシ3国があって、モスクワのあるロシアが格上で偉そうにやっているようなイメージだけ持っている人が多いのではとも思います。

 ウクライナの歴史がモスクワロシアよりも古く、そのルーツでさえあることに驚かれされます。

[紹介文]ロシア帝国やソヴィエト連邦のもとで長く忍従を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出し続けたウクライナ。不撓不屈のアイデンティティは、どのように育まれてきたのか。スキタイの興亡、キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、一九九一年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰。人口五千万を数え、ロシアに次ぎヨーロッパ第二の広い国土を持つ、知られざる「大国」の素顔に迫る。

 以上

 島国の日本は、侵略戦争を仕掛けられ国土を失い離散することは一度も経験していません。

 戦前に領土を拡大し、敗戦で焼け野原になり、一時期アメリカの占領下にはありましたが、民族と国土そのものは存続し続けました。

 ヨーロッパの国の興亡のダイナミックさの感覚はなかなか日本人にはわからないのかと思います。

 かつて、ユーラシアから世界を席巻した国もあれば、常にそういった大国に蹂躙されながらも、歴史を刻んでいる国があります。

 日本の戦後の趨勢、第二次世界大戦の終焉を決める重要な会議が開かれたのがウクライナのヤルタです。極東では国境を接するロシアですが、そのシベリア地域には多くのウクライナ系住民が住み、ソ連抑留の最西端がウクライナというのも因縁です。

 昨今のプーチン政権でのウクライナ侵攻には、長きに渡るロシアとウクライナの国の成り立ちからの歴史も少なからず要因があると知るのも面白いです。

 

 

多様な食文化の現代日本

 時々、ランチやディナーを私もインスタグラムに上げてます。

 世の中にはとんでもなく贅沢なレベチの食事をSNSに上げてる人もいて、私など比べられると恐縮し、後悔するときもあります。

 しかし、まあ考えて見れば物価高で、サラリーマンの昼や、ちょっとした家族向けの外食もどんどん値上がりしてる昨今です。そんなに映える写真をアップできる人は贅沢で、一握りの富裕層です。

 もちろん、外食に、関わる方も、存亡がかかっていて、値段をどうしようか悩んでるところです。

 それでも日本人は食事のバラエティという面では、贅沢です。

 友達との会話でも、すぐフレンチやイタリアン、中華や、焼肉と美味しい店からリーズナブルやムードにあわせて、いろいろ知ってる人が多いです。

 普段、スーパーやらで買い込んで作る料理も、そこそこやる人はもちろん、惣菜やレトルトを使う人でも、やはり洋食、和食、中華とさまざまにレパートリーはあるでしょう。

 海外旅行すると、各国のグルメは味わえますし、探せば現地で和食もあります。しかし、これほど各国の料理を、自国内でいろいろ節操なく連日食べているのも日本人ぐらいでしょう。

 そして、特に日本では、食べやすく、整ったカタチ、清潔な個別包装が好まれます。

 果実も、甘い糖度で剥きやすく、種もないものばかりになりつつあります。

 柿の皮を剥き、渋を取って、種も取るなどもはや誰もしないのです。

 ブドウも種はおろか、皮ごと食べるシャインマスカットなどが一気に主流です。

 カップ麺、レトルトなども沢山の種類で溢れています。生活保護者でも、4食入りの袋入りラーメンにモヤシぐらい入れて食べた方がガス代入れても安いのに、割高なカップ麺を購入して文句を言う始末です。

 終戦で焼け野原になり、食べ物もなく、残飯さえ漁っていた日本人の復興にも関心しますが、美食、飽食、偏食にも呆れるのです。添加物まみれといわれながら、戦後生まれ世代の寿命も、どんどん長くなり、長寿国になっています。

 身体に悪いとか言われる、グルテンとか、トランス脂肪酸、カンスイなんかは、寿命には影響しないけれど、人間から問題意識や向上心を奪い、快楽嗜好で、従順なナマケモノにしているのかとさえ思います。

 

戦後80年の66年

 先日「青春の門」が今だに続いているという投稿が結構な反響を呼んでおりました。

 大河小説で最終巻が今のところ9巻目で10巻目で完結と予告されていますが、作者の高齢を考えるとどうなるかわかりません。長いシリーズものは、パターン化されたものが多いですが、この小説は伊吹信介を主人公としてはいますが、巻ごとに状況は大きく変わります。

 1巻2巻の映像化のイメージが強いと思いますが、筑豊編と自立編でも、舞台が大きく変わったように、その後も北海道から、やがては旧ソ連へと舞台は転々とします。

 第8巻を最近読みましたが、第二次大戦末期のソ連参戦の暗部、ソ連核実験のためシベリアに強制移住されたウクライナ人の話なども描かれます。

 今の国際情勢につながる戦後すぐの時代を20代の青年が奔放に歩みます。

 自由に海外旅行に行ける今では考えられない世界での冒険もあります。

 戦後80年といいますが、私の生きた66年は、物心つけば大変平和で恵まれた時代に入り、若者は安定を求め、好奇心も冒険心を失っている人が増えました。大人たちも、臆病に冒険しない人生を子供に求めたのかもしれません。

 私も、生命をかけるような冒険も、恋愛も友情も、テレビや本の中でしか経験はなく、直接は体験しないで年齢を重ねてしまいました。

 世界を見渡すと、本当に恵まれて生きてきたとは改めて思います。

 それでも、風雲編の主人公、作者の生きた時代を慮ると、自分も何か死ぬまでにもっと、できることはないかと、模索したくなります。

 

とんでもない大河小説がまだ続いていた件

 一昔前は「青春の門」と言えば知らない人はいないぐらいの勢いでした。五木寛之、近年はシニア向けのエッセイでも知られます。

 最近の若い方は元々小説をあまり読まれていないでしょう。私の高校生ぐらいの頃はカッコよく人気のある有名な作家でした。戦前生まれ93歳の年齢から、おそらく一番読まれたは私より、もう一回りぐらい上の世代だったでしょうか。

 同年同日生まれの石原慎太郎、野坂昭如、遠藤周作、北杜夫らが当時の人気作家でした。

 他界された方が多い中、何と五木寛之は今だに未完の大作「青春の門」を第9部まで書き、まだ完結目指し書き続けておられます。

 主人公は戦中生まれで、第9部でもまだ1961年を20代後半で青春真っ盛りとして描かれています。60年ぐらいに渡って一人の青春時代だけを描いた稀な大河小説です。

 日本の場合、アニメや漫画で原作者が死んでも年数も重ねていく作品はあります。人気が出ると全く年をとらないで、エピソード、事件が起こっても同じ年代で繰り返し、いつの間にか世の中は携帯電話が出てスマホに変わっても主人公は年取らないシリーズが多いです。

「青春の門」は、最初の筑豊編と自立編が、かつてドラマや映画にもなり、覚えている方も多いでしょう。作者は平成に入って長く休篳もされていて、第7部あたりからはよほどのファンでないと続いていたことさえ知らないでしょう。

 ストーリーをレビューするのはまたの機会にしますが、なかなか戦後すぐのこの頃の若者を詳しく描いた小説は少ないので、時代の情景だけでも面白いです。

 早稲田大学時代の自立編では、演劇青年緒方、娼婦カオルが出てきて、劇団をやっていた私も共感もありました。

 しかし、学生運動もですが、売血や赤線が出てくるリアルに出てくるのにはやはり驚きます。たった、15年か20年ぐらいの間に随分日本は小綺麗になったとは思います。

 みんなが、まともに大学を出てサラリーマンになるか、家業を継ぐ時代に、こういう奔放に放浪する若者像はどう響くのでしょうか。また、最近のドラマだとどうしてもタブーが映像化されないのです。制約も多いのと、そもそも若い制作者らが時代考証を軽んじて知らないので、実感が歪曲して伝わってしまいます。自販機やスマホ、ウォシュレットがないだけが時代ではなく、淘汰されたもの、不便や不適切なものがあり過ぎる時代なのです。

 戦後を紐解くには、生き証人の文筆しかないのです。

考えさせられる外国人移民問題

 昭和40年代に始まったウルトラシリーズ、本格的な空想特撮とはいえ、初期の段階では宇宙科学も現代ほど広く知られていない時代で、脚本や設定にもツッコミどころ、不可解なものもあります。

 宇宙はおろか、外国にもそうそう行ってない人が想像で脚本を書いていたのですから、むしろ大したものです。

 沖縄の脚本家の方も、地球侵略を、沖縄の問題から投影したような作品もありました。

 日本人にとって侵略者もウルトラマンも、異国から来た外国人の概念から始まっていたのは間違いありません。

 宇宙人というのも、まだ火星からタコのような怪人かと言われていた時代で、程なく火星には知的生物がいないというのがやっとわかってきました。

 ウルトラマンの第2話に登場する侵略者バルタン星人は、シリーズの怪獣の中で知名度はトップクラスです。ウルトラマンと初めて戦った宇宙人であり、初めての本格的な侵略者です。

 生命という概念を理解できない人間との会話の中身からも、分身や巨大化などの能力も、地球人とは全く違う存在です。よくわからない制作陣が手探りの思案の末の「宇宙人らしさ」が満載です。

 主人公ハヤタはウルトラマンとは別人格ですが、母星を失って彷徨っていたバルタン星人の難民を、「地球の風俗、習慣を守り法律を守るなら、それも不可能なことでもない」と最初肯定的でした。

 しかし、旅行中に母星が核実験で住めなくなったにしては、ミクロ化して20億というのは多すぎます。

 まさにオーバーツーリズム?地球に勝手に永住を決めて、侵略をすることにしたと宣言され、交渉は決裂、戦闘が始まります。

 難民というだけなら、人数の多寡に関わらず助けるのが本来は正義です。

 人道的に助けても風俗、習慣が違うクルド人が一部の町に沢山集まり、騒音などて住民が困っています。

 外国人と一括りにはできない問題も多いです。逆に風俗、習慣を守り、もちろん法律を守り、働いて税金を収めている人が差別に合う場合もあります。

 母国の政治信条などから、やがて侵略に向かうのではと思われる国もありますが、一人ひとりの人間から判断するのは非常に難しいです。

 地球人を助けるウルトラマンもハヤタと一体化した宇宙人ですし、次のウルトラセブンは、地球人に化けている完全な宇宙人です。

 バルタン星人の移住許可の判断もですが、そもそも宇宙人の善悪や居住許可は誰が判断できるものでしょうか。

 ウルトラマンは、20億ものバルタン星人が乗った円盤をスペシウム光線で攻撃し撃墜しました。大虐殺ともいえます。

 地底人や植物の怪人、海底人も、先住民族の可能性があるのに全滅させられています。

 難民や外国人居住問題を問いかけている作品もありますが、子供向き作品とはいえ、大人が悩み、考え抜いた部分も垣間見られて、考察するのもまた面白いです。

 

クレームをつけたい時もある

 自分が公務員側ので立場でクレーム的な要望を受ける時があります。

 説明を求めていても、違う対応を受けると相手によってはキレる場合があります。しかし、私も逆の立場で役所の窓口や電話の対応、あるいは民間でもカスタマーサービスなどに感情的になったこともあります。

 役人や、民間企業の人間でも、どうしても前例に縛られ規則を説明するだけのタイプがいます。そんな人に私はがっかりしますし、立場はわかるけれどやはりわかる故に不満が爆発する時があります。

 民間企業で得意先や愛用者、部下に説明する場合でもそうです。

 今は、いろんな情報がネットで手に入り、書式もダウンロードでき、規則なども詳しく知っている人もいれば、全く知らずに訊いてくる人もいます。

 私などは、対面や電話で離すより、ネットで調べ、電子申請等解決できるものはやってしまいます。 

 人に頼む際や尋ねる時は、それなり難易度の高い時になります。これが対応者のレベルによってやっかいなことになります。

 上司、補職者等はそのためにいるのですが、その人たちでさえ、難しいことに対応できないレベルで杓子定規なことを言い出されると、激怒することになってしまいます。

 私の会社時代にも、そんな残念な上司はいました。規則をただ説明するなら自分で見られるので必要ない。

 特別な相談をし、特例を許可して欲しいために進言しているのです。

 原則の説明をされても時間のムダです。

 厳しい言い方をすれば要らない存在に税金とか企業の関係売上からの給料は要らないのです。

 若い頃苦労したインセンティブとして、年功序列の管理職で逃げ切るような人は、それも権利だと言う向きもいますが、採用すらされなかった人から見ればやはり不公平です。同程度の能力の人が、正職員というだけならまだしも、長くいただけで管理職の高給というのは、非正規から見れば理不尽な差別とさえ感じられます。

 同一労働同一賃金はもちろんですが、基本的な能力の確認を昇給の前に行わないと、呆れるような不条理がはびこっています。それは、本来ムダである以上に、もちろん職場の勢いを削ぐのです。

 基本的な事というのは、電子ででき、AIの対応で十分な時代です。

 まず仕組みとして、それが社会に浸透しないといけません。時間があるから、この御老人には丁寧に対応し、助けてやって仕上げたら、その方は次もそうやらないと、毎回リクエストされ、しないことがクレームになります。

 対応する人は、幅広いレベル対処を学ばねばならず、効率は悪くなるのです。

 インターフェースの使い勝手、ヘルプ機能の充実が大前提です。

 多くの役所や企業でも、一度システムを導入すると、お金もかけてるのでそれが万全と思い込みますが、使いづらい面はどんどん改良しないといけないのです。

 風通しの悪い組織はここができないので、いつまでも入力のコツ、トラブル対応などを、人的な力に頼る以前と変わらぬ状態が続きます。

 デジタル化と叫ばれながらも、なかなか本当の意味で組織や仕事の見直しができていないところは、結局中途半端に効率が悪いままなのです。