不祥事に思うこと

 

 この本には間に合わないタイミングだったのか、京都に本社を置く大手企業ニデックも上場廃止すら検討される銘柄に落ちた粉飾決算がありました。

 直近では、外資系大手のプルデンシャル生命も随分と不祥事がありました。企業ではないですが、東京大学も贈収賄で逮捕されるなど、いろいろやらかしています。

 私のいたカネボウのことももう世間から忘れられたと思ってましたが、この本には書かれています。

 著者はカネボウ再建に乗り込んだ産業再生機構にも属しておられた方です。さらに以前はリクルート事件当時にその社員だったようです。

 戦前は日本最大の民間企業だったカネボウの崩壊に関しては先日も某有名YouTuberが東レなどの繊維業界を取り上げていました。カネボウの中興者であり、崩壊へと導いたといわれる伊藤淳二元会長の闇の話を詳しく振り返って解説したのを見ました。

 その後、平成から令和とコンプライアンスが厳しく言われ出した時代で、多くの大企業も不祥事が明るみに出ました。

 粉飾もパワハラも無くなるわけでもなく、東芝、ダイハツ、宝塚歌劇、フジテレビ、名だたる有名企業や一流大学、団体が雁首並べています。

 カネボウが糾弾された時、社員としては痛恨の思いでいっぱいでした。

 何処でもやってるというのは免罪符ではないですが、その後も当たり前に大きな企業トップが謝罪で頭を低く下げる姿を見ました。

 人間は弱い生き物だし、組織となって悪い方向に向かうと、止められないケースが多いのを痛感します。

 やはり財務系に強く、倫理をトップに進言できる人材がいるかどうかが重要なポイントです。これは政治でも、町内とか小さな組織でも同じでしょう。

 まさに、昭和のカネボウから令和のニデックまでそうですが、成功した起業家や中興者が権力に溺れたせいです。偉そうな哲学を語り、業績の不振を見られたくなくないエゴがヤバいということです。

 こんな透明でガバナンスがしっかりしてるはずの時代の方が罪が重いとも言いきれないですが、とにかく人間は弱いから正しい方向への導きが必要なのでしょう。

 

読書レビュー:「ヒロシマ」ジョン・ハーシー

 米軍従軍記者が、原爆投下直後の広島から.生き延びた6人を追ったルポ。

 医学博士、ドイツ人神父、牧師、開業医、女性労働者、市井の後家さん、それぞれ家族や友人を失い、自らも原爆病と戦いながら生きていきます。

 当たり前のことですが、原爆の日からしばらくは、爆弾の威力も病気になることも誰もわからなかったのです。ガソリンやマグネシウムを前もってまき散らしたのかとも思われていました。

 普通の市民や医者が考えて、当時想像された火器の威力を遥かに超えていました。人道上使用されるべき兵器として、殺傷力だけでもケタ違いすぎていました。

 東京裁判はもちろん戦勝国の主催の法廷であり、公平公正を願うのは無理ですが、日本人に限らずドイツ人やアメリカの一般市民でさえ原爆を投下を決定した者こそ絞首刑にすべき戦犯ではないかと言うのは本音でしょう。

 かと言って、ルポは淡々と綴られます。家が崩れた後にやがて草花が生えだすとかいうのは、やはり取材されてないとわからない描写です。

 1985年までの各人の生き様を追っています。その間に、アメリカはビキニ環礁で核実験、第五福竜丸の事故を起こし、ソ連、中国、インドと核を開発し実験を行う時系列が書かれています。

 ヒロシマの訴えは、常に警鐘を鳴らしておかないと、原爆の惨劇を知らない世代の国会元首や軍人が何をしでかすかわからない時代に入ってきています。

 焼夷弾の空襲には訓練され、防空壕が各所にあった時に比べて、何の危機感もない軟な世代です。ゲームや映画のオブラートに包んだ表現しか見ずに、あれが戦争と思っています。

 しかも家族、地域や近所で助けあい励ましあうような関係も稀有な社会、人口の密集した都会にこんな核攻撃が起これば一体どうなるのか。

 喉が渇けば、冷蔵庫に蓄えがあり、自販機もコンビニもあり、キレイなトイレも風呂もいつでも使える現代。その当たり前の快適の対局に戦争があることは、少なくとも反戦とか思想、政治信条以前の問題として、事実認識と伝えることは必要なのでしょう。

 暑い、苦しい、水を求める人々、重症でもはや見捨てられる人の描写はやはりキツいですが、世界のどこかの戦争ではこういう場面が今もあるのかと思うと、人類は何をやっているなかと思います。

 核はやはり禁じ手にしないと

名作読者レビュー:松本清張「点と線」

 古典とか昔の名作を再読するのも滅多にないのですが、たまたま、気になった興味深い点がいくつかあり、文春文庫がキレイで読みやすそうに見えたのでイッキ読みしました。

 とにかく文章上手いし、面白いし、まあそれほど長くないのですが、あっという間でした。

 昭和32年連載開始で、映画化も含め、66歳の私が生まれる前、新幹線もできる前の時代の作品です。

 中学生ぐらいの時に、松本清張さんがわりとブームにもなってて、カッパ・ノベルス(新書判)を母が買ってて読んだのではと思います。内容はあんまり記憶にないのですが、同じキャラの刑事が出る「時間の習俗」も読んだかすかな記憶があり既読だと思います。

 福岡の香椎海岸で見つかった男女の服毒死体。官僚と水商売の女性の心中かと見られたものを地元刑事が、男性の財布に入っていた寝台特急の食堂車から、小さな疑惑を抱き、警視庁の若手刑事へと繋ぎ、精緻で堅牢な大きな壁が少しずつ、

 ネタバレ的に、有名なアリバイトリックが上っ面だけで語られて、交通インフラが進化した今では、古臭い印象だけ上書きされていました。

 いや、なかなか全てに面白いのです。

 アリバイそのものは、専門家の鮎川哲也らが貶したらしいですが、ストーリーとしてよくできています。

 堅牢なアリバイの壁が何重にも刑事に立ちはだかります。そして、犯行の背景が、社会的でもあり、また男女のドロドロした情念もありで、このあたりは鮎川哲也など全く及ばない力量です。

 警察小説的な展開で、最初の犯人の登場からは、あとは全て捜査する警察側からの視点で、倒叙もののような構成です。最後は警視庁と福岡の刑事の書簡だけで真相が明かされます。

 社会派と言われる官僚と癒着業者の不適切な関係、汚職が絡んでおり、時代も当時らしい男と女の情愛も描かれていました。

 その後、角川が横溝正史を掘り起こし、新本格の時代となり、おどろおどろしいミステリが復活して、なぜかリアルな社会派の松本清張はミステリ界でも少し隅に追いやられて行きました。どっこい清張はやはり優れた本格ミステリです。社会派というレッテルだけで読まず嫌いの友人がいて残念でした。

 今の時代とは相当捜査も違うのは仕方ないですが、探偵の発想や捜査の流れはその後の西村京太郎らに引き継がれる王道です。

 今ならメールでやり取りできる依頼を電報でやっているのが少し笑えますが、それが現代の科学捜査への依頼などと、スピード感覚的に変わらないです。

 警視庁の刑事がコーヒー好きで、東京でないと上手いコーヒーが飲めないというのも時代を感じさせます。寒冷前線という言葉が斬新だったとか、応接間に接待煙草が備えてあるのも、今の創作ではまず思いもつかないでしょう。

 難読な香椎(かしい)という地名、香椎海岸、香椎線香椎駅、西鉄香椎駅が重要な舞台となります。

 私にとっては最近の鉄道趣味として、ハイブリッド車両を導入し、自動運転を行う香椎線が頭に浮かぶのですが、もう一つの趣味の読書、ミステリの金字塔のような作品の聖地だったとは驚き、まさに点と線が繋がりました。

 ビートたけしが主演で2007年にテレビドラマ化はありましたが、映画化は、他の松本清張作品に比べ少なく、昭和33年に小林恒夫監督で一度きりです。完全な映像化は内容も時代も難しくなっているようです。

 脱線する蛇足ですが、ちなみに映画の主演、刑事役が抜擢で南廣さん、バンドや刑事ものも出られてますが、ウルトラセブンの終盤客演宇宙ステーションクラタ隊長や、マイティジャックの隊長で子供世代には著名な方。特撮繋がりでは、被害者の役人を演じた成瀬昌彦さんは、ウルトラシリーズ屈指の悪役俳優です。犯人役山形勲さんは時代劇や刑事ドラマの大物悪役が多いですが、ウルトラマンエースでも防衛軍のパワハラ上司でした。ここでも点が線に繋がりました。

 

健康はお金に勝る

 健康とお金というのは二択の問題ではないですが、究極的に選べと言われれば健康です。

 先日も雪の日の朝、近くの寺社の雪景色を撮ろうかと勇んで歩き回ろうとしましたが、道が凍結してツルツルで転倒しそうなので、早々に中断しました。

 年齢とともに身体は衰えますし、病気や障害は避けられない運命かもしれません。

 しかし、あえてトシを重ねて思うのは、ちょっとしたことでもケガに注意をはらい、健康に気をつけるのは大切だということです。

 年齢を重ねててからのチャレンジというのは無謀さを美化するのではあってはいけないのです。慎重に熟慮を重ねてのチャレンジでなくては痛い目に遭います。

 元々体力があって無理がきく、胃腸が強いとかお酒が強い、寝不足でもへっちゃら、少々具合が悪くても出歩けるという過信は禁物です。

 ファイナンシャル的にも、お金では若さも健康は買えませんが、健康を損なうとお金がかかり何かと不便です。

 お金があると、健康診断やジムワークなどにお金をかけられるメリットはありますが、自分の身体の衰えや変化に敏感になることです。

 他人から指摘されるほど、目に見えて、動きが鈍くなったとか、痩せた太ったとかとなれば遅いと言えば遅いのです。

 私自身も大したことはしてないのたすが、私が見てきて自分の健康に対して敏感な人はクレバーな人が多くカッコよく見え、感心します

 地頭がいいというのか、感性が鋭い、自分の体調を冷静に評価できる人は、加齢や病気にも強いと言われます。

 頭がいいとか、感性が鋭いという言葉が適切かはわかりませんが、毎日見て感じている自分を冷静に受け入れられるかどうかではないかとも思えます。

 誘惑に弱い、結局は健康よりも、一時の何かどうでも良いことを、自分に言い訳しながら優先してしまっている人は健康寿命を縮めます。

 ズバリ、歩けないほど健康でなくなると、お金があっても高齢になっての幸福度は下がります。

 確かに、宅配で何でも手に入り、バリアフリー化でそこそこの移動はそれほど不自由なくできる時代ではありますが、いざエレベーターを探すとなかなかそうでもないものです。

 歩けないことによって、身体全体のバランスは崩れ、体力も衰える可能性は高いです。元々若い頃からの障害で歩けない人よりも、高齢で歩けなくなった人は辛いのです。

 健康に対する意識、金銭的にはそんなにかけなくても可能です。むしろ浪費を減らし、いろいろ感じて、考えて、情報を得て、試してみることからです。

 健康に良いからとか、このぐらいなら大丈夫と思ってる運動習慣や、食生活がけっこう問題なケースもよくあります。

 若い頃なら、良かったけれど、そのままでは通用しないことが多いのです。

 数値的なものを見ている人も、この若い頃のバイアスにかかり、まだ走れるとか、まだ夜更かしできると思う人が多いのです。学校や社会でも、数値にこだわり負けず嫌いな真面目な人も、若い頃できたことに寄せたくて無理をします。

 先ほどクレバーと感じると思った人は、ここで無理をしたり見栄をはらないのです。

 タイムやスコアが悪くなるのはトシ取れば当たり前、若い人に負けるのも当たり前だと早く気づかないと大変なことになるのです。

 高齢者の運転もよく問題になりますが、スポーツ、ジョギングやウォーキングその他の身体活動も同じような問題、直接身体を使う分運転より重要ですが、あまり家族は止めません。

 当の本人は、現状維持バイアスみたいなのに、かかります。「毎日これだけ歩いていた(走っていた)から、今日も明日もやれる。去年も登れたから、やれたから今年もやれる」と、なかなか自分の身体の細かい衰えに気づかないか認めようとしないのです。

 高齢者が意地のようにマラソンやフットサルやったら危ないのはさすがに解るでしょう。

 同様にちょっとしたスポーツゲームでも出場時間を短くしていく、ジョギングやウォーキングもスキーやスキューバでもタイム、距離や歩数ではなく準備運動をしっかりして、姿勢を整え短い時間でも愉しみ習慣づけることです。

 長く外で過ごせば歩いているだけでもリスクであり、ましてやスポーツとなると危険性は高まります。

 もちろん全然動かないとないとか、動いてこなかった人も適切に運動はしないと論外です。

 ダイエットは食べ過ぎを抑えるのと、適度な運動程度であって、体重を落とすような運動は高齢では無理と諦めるべきが定説です。

 平均寿命が伸び、健康寿命が大事と言われていますが、本当に健康でいられるか、よく感じ、考えて、実践していかないと簡単では無さそうです。

 

 

 

読書レビュー:城山真一「看守の流儀」ドラマとは全然違う秀作

 このミス上位で手をつけてなかったのてすが、素晴らしい小説でした。

 昨年のドラマは幸か不幸すぐ離脱して見てませんでした。これはもうどう考えても小説から先のが面白いのです。

ドラマや映画、演劇というのは脚本や監督、キャストやスポンサー、尺の問題で原作と違うと、騒がれる場合もあります。

 基本的にどこまでを原作、原案とかに区別するかは微妙な問題です。時代を変えたり、外国を日本になど場所を変えても、基本的な話の根幹が同じなら原作とされる場合が多いです。著作権も絡みますから、イメージだけでこれは原作と違うと読者が不満を言っても難しい所です。

 最近は作家が映像に寄せて、これこれの俳優をイメージしてキャラクターを作っている場合さえあります。

 しかし、小説というものは、活字の文章から読者が想像するもので、そもそも最初から完成した情報が入ってくる映像作戦とは違うのです。

 全てを実写、実際の役者さんが演じると、ミステリの場合は使えないジャンルのトリックがあります。

 この小説をドラマを先に見るべきではないのはキャスティングを見ただけで重要な結末が予想されてしまうからです。

 もちろんその意外な結末を知っていても、十分本は楽しめるのですが、肝心の意外性、やられた感は奪われてしまいます。

 まして、ドラマで見ちゃうとわかったようになって原作を読まない人もいるので残念です。

 映像化の原作なら、本が売れるのも分かりますが、これはちょっとドラマ化しちゃうのは私なら反対です。

 それでもドラマ化したテレビ局はある意味エラいですがね。

 ずいぶん、ネタバレ的なところまで引っばって書きましたが、刑務所の中がほとんどの連作短編で、刑務官と受刑者、関係者が登場人物で納得ゆく結末もあるものの確かに重いストーリーです。

 この時代、恵まれた当たり前の暮らしをしている人に刑務所の中、犯罪者の暗い背景、そして地味な公務員としての刑務官の描かれ方は普段なかなか想像できないものです。

 これをよく完成されてミステリにしています。

 しかし、ドラマっていうと、やはり美形の俳優が演じてしまって、そこで想像が止まるからやはり難しいですね。刑務官なんて地味な公務員の中で最たるものだから、イケメン俳優や美人女優が充てられた段階で、いくら演技をがんばっても違うものになります。

 それはそれで人気俳優に出てもらいみんなに見てもらってテーマを分かってもらえばという意見もあろうかと思います。しかし、それもやはり内容によるのです。

 だもんで、二重の理由で、このドラマと原作は全く別物、なおかつ先に小説を読むべしです。

 刑務所の中でもいろんなハラスメントがあり、刑務官も公務員、上位職や年功、経験でいろいろイヤなことがある。いろんな組織が、一面社会の縮図なのでしょう。

 

 核はやはり禁じ手にしないと

 漫画のレビューをするのは珍しいのですが、少し広島の原爆を調べていて見つかった本です。後半、熱く長くなってしましました。

 考え方が真っ直ぐで原爆の悲惨さをしっかり伝えたい訴えたい気持ちがよく分かります。

 広電の女性運転手、被爆電車のお話はドラマ化もされ有名です。もう一話、反戦の気持ちを抱えながらも軍医となった広島陸軍病院の医師が焦土の中を奔走するお話。

 この本を読み終えたのはモールのカフェコーナーで、外は寒くても暖かい中でした。平和な日本で珈琲と甘い物を食べ、多少は景気が悪く貧しくとも周りもみんな楽しそうで、赤ん坊を連れた母親もくつろいでいます。

 この人たちは、身体中に火傷を負い真っ黒の遺体になることも、突然高熱と発疹、吐血で亡くなることもない。平和な日本です。

 しかし、広島、長崎の原爆の日から、80年を過ぎたのに、世界から核兵器は消えていないのです。

 いたずらに戦争反対、核保有反対と叫ぶことに与するつもりはありません。

 しかし、戦争が罪なき市民を巻き込み、健やかだったはずの人生を蹂躙するのはやはり悲しいことです。

 戦争は、それぞれに大義はあっても、国の疾病のようなもので研究し、治療せねばならないものでした。80年前に投下された原爆は、その悲惨な実験が終われば永久に国と国との紛争に使わないという選択肢がなぜなかったのかと思わずにいられません。

 戦争という人間の原罪、宿痾は治癒することなく、現代も社会を蝕み市民を危険にさらしています。

 日本人を守るというためには、核保有も選択肢とされています。どこかの国が核兵器で攻撃してくるので、そのためには必要かと言われればあながち間違いではないでしょう。

 丸腰で、何の武器も力もなく、武器がないから攻撃されない、財産や生命を奪われないとは強盗には通用しない理屈です。

 国際法や国連、人道上許されない兵器を禁じる条約も、結局は無力とも言われます。

 では強いものが勝ち、常に正しいのか。あるいは強いものの庇護のもとなら、人道上許されない兵器が使われても良いのか。

 正義とは何で、正義とはどこにあるのでしょうか。

 核兵器を持たないというだけで、核兵器を持つ国の傘に入っている。

 原発に反対しながら、原発の電気を回してもらい、原発の危険は他の地域や国に被ってもらう、お金が回っているならそれでいいかなというのと、やや似ています。

 原子力も発電の場合は上手くコントロールすればアリとも言えますが、兵器としての核はやはり最終的に使われてはいけないのが大前提にならねばです。

 放射能の恐ろしさは、戦後アメリカの免罪のための正当化や原子力政策のため、少しずつ、マイルドに表現されるようになったのではと思います。時代の波、経年でその悲惨さと鋭利さが伝承されないのではと思います。

 冷戦時代は、SFや特撮ものでは、核兵器による人類絶滅の終末が描かれたものが多かったです。ゴジラはじめ東宝や円谷でもそうですが、放射能も核兵器もマイルドな描かれ方になって、CGや科学的裏付けはしっかりしても、終末は多岐な未来の一つのようになり、危機感を伝えるものでなくなってきたように思います。

 独裁的な人間たちのナショナリズム支配では、核兵器の発射ボタンが押される確率は残ります。

 かつて戦争は兵士同士が名乗りを上げて戦っていました。今でも宣戦布告はあり、禁じ手はあります。戦争が中世、近世、近代、現代と進むに連れ、かつては考えられなかった市民、ロジスティクスを攻撃するなどもアリとなりました。

 軍事施設を攻撃するだけではなく、食料倉庫や病院、学校なども攻撃すると、国際法上許されないとは言われます。しかし、逆に偽装した部隊やゲリラが逃げ込んでいる場合もあり、フェアな戦争の判断は難しいです。近代の戦争はたいてい陰謀めいた暗殺や爆破事故などがきっかけで真実はわかりません。

 権力者が、大量破壊兵器を隠し持っていたからとか、あの紛争地域の自国民を救うためと強弁すれば何でもあり、勝ったものが正義です。

 主義や思想や宗教は自由としても、市民を巻き込む人道上許されない方法での戦争とその兵器に関しては、早く禁じ手を全ての国が批准して決めないと、やがて日本民族の危機も来ますし、人類の危機は続くのです。

 あえて左翼系、平和を訴える人にもここで強く考えて欲しいのは、戦争反対、核保有反対、平和憲法、自衛隊派遣反対と、戦争に頬かむりして蓋をしてもいけない。戦争とは何かしっかり見て伝えることです。

 自衛隊が無ければどうする?もっとアメリカに頼るのか?

 結論が出る問題ではないのですが、核兵器使用に至るような戦争は絶対に止めるというポイントだけは、どんな国の人、どんな思想、宗教の人にも刻んで欲しく、伝えて欲しいのがヒロシマの教訓です。

 

 

人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

提案や意見は人物で見るものではない

 友達や職場での議論や審議、あるいは上は外交の交渉、国や自治体の大事なことを決める提案などでも、「人物が」とか「そのグループ」が嫌いで決まらないことがあります。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がありますが、袈裟に罪はないという話です。

 それぞれを具体的に例示すると、いかに大事な考えかわかりやすいと思います。

 何か難しい問題が例えば10問なり50問あってとして、全問に最適の答えを出すのは秀才であっても至難です。90点ぐらいがせいぜいです。

 間違った問題に関しては誰一人正解ではないかというと、中には確率的に正解者がいます。その正解者は90点には及ばないけれどその問題には最適解を出しているというケースはあり得ます。

 50問中、一人しか正解のない最難易度の問題があったとして、その一人の成績は凡庸だという場合や劣等生という場合もあります。

 秀才を高市くん、凡庸以下を玉木くんとか、野田くん、山本くんとかに当てはめると政治の問題になります。あるいは小泉くんとか、石破くん、河野くんとかでもいいです。

 優秀な総理大臣、力ある与党なら常に最適解を出せるなら良いのですが、どう考えてもそうはならないということです。

 残念なのは、今の政治の仕組みでも、選挙に落ちた人が素晴らしい提案、最適解を一つだけ出していても、それをピックアップして実現されることはなきのです。

 アイデアをある分野で出せても総合力がないとか、良き親分の下でないと実現できないのは、政治以外の世界にもあります。

 派閥の長か、長老や親分、御局など、職場などでもグループを束ねる人がいます。正式な組織の長や影のボスでも、自分の気に入った人をかわいがり、他を排除して意見も聞かないことがよくあります。逆に子分や愛弟子は少々ミスしても、犯罪を犯してもかばう場合さえあります。

 こうなると主流の派閥とかグループ以外の人間だと良い意見が通る訳がありません。改革など良い提案などが遅れをとるのです。

 個人の場合も自分は差別しないひいきしないと、バイアスにとらわれないと言いながら、意見を言った人に対する好き嫌いで決めてしまうことは多いです。

 政治でも、ネットなどの論争でも、とても優秀で弁も立つのに、天敵みたいにいつもどちらかが何か言えば上げ足を取り、その反対を必ず言い合う不毛の関係みたいな人たちもいます。

 政党もそれぞれ良いとこと、問題アリと感じるとこもあるとは思われますが、一議員で見ると、党是には関係なく良い主張をされる人もいます。

 党是は問題でも、あるジャンルにはしがらみがなく、良い意見を出す人や党もあります。

 ところが、それを通すと、そのグループが支持を集めて困るという選挙の利害も生まれると、良い意見が揉み消され、無難な多数意見しか通らず、かたやアイデア不足に嘆いているのです。

 会社にしろ、国家にしろ右肩上がりで余裕のある時は、好き嫌いの意見や人事がまかり通っても、それがために優秀なアイデアが揉み消されても何とか形になっていました。

 しかし、そういう時代は終わってしまいました。あるいは、そんなことが続いたから悪い時代になったのでしょう。

 個人として、生き残るためにも、他人の言葉を参考にする場合は、誰が言ってるかは正しいとか間違いではなく、誰しも間違いもあるし、胡散臭いやつも正しい時はあります。

 大事な選択、生き方に関しては、自分でよく考え、是々非々で見極めないと大損をしたり、大きな間違いを犯すことがあり得ます。

 

 

「誠と謀略」戦後80年開戦は避けられたのか考察する

読書レビュー:橋本惠「誠と謀略」岩畔豪雄の知られざる日米和平交渉の記録

 戦後80年という節目の年で、「戦争を知らない世代」の割合が増え、ましてその深層まで掘り起こして知る人は限られてきています。

 このところ太平洋戦争が開戦前に日本人によって敗戦確実と研究されていた「総力戦研究所」の話が取り上げられ、ドラマのモデルが訴訟する件も話題になっています。

 同じ昭和16年やはり、日米間でもワシントンで繰り広げられた知られざる交渉があり、悪化した日米関係を修復しようと外交努力があったことを伝えているのが本書です。

 岩畔豪雄、井川忠雄の名前は私もついぞ存じませんでした。近衛首相や、松岡外相、東條英機ら戦争を止めず前に進めた名前の方が知られています。

 成立しなかった交渉に奔走した男の挫折を、太平洋戦争の裏歴史として、史実に基づき著しています。

 外交はつくづく伝えられる歴史だけでなく実らなかった裏があり、埋もれたものがあります。

 状況の変化もあり、ゼロか1かの成果では語れないものがあります。

 改訂版として、著者のご子息が、重い内容を現代にもわかりやすくされ、使命感を持って令和の時代に再度上梓されています。

 現代でも、世論の勢いだけでは危険であり、国際社会の外交は一筋縄では行かないものがあります。

 敵対的とされる中国やロシアにも、毅然とするだけではなく、人間的な外交努力もしていかないと国益は保てません。

 先の戦争以来、現代の戦争は多くの火器を使い一般市民の多くも巻き込み大変な国土と国民を消耗させる悪手です。

 単に厭戦、平和を望むことを軟弱・お花畑と保守層は揶揄しますが、やはり国と国が戦いもじさぬ時には、その裏ではあらゆる妥協点を見出す外交努力が必要です。

 戦後「戦争を知らない世代」と言われましたが、戦争を知る世代に育てられ多くの生き証人の話を聞けた世代する少なくなっていきます。

 歴史を現代から未来に活かすためにも、保守もリベラルも書を読み、学び、感じて次の日本の舵を取し、行き先を間違わないよう見極めないといけないでしょう。

壁を超えて次の壁も壊せ!

 物価高の中、手取りを増やしてという年収の壁問題がもうかれこれ参議院選挙や首相交代をはさみ1年近くやってるのではと思います。

 所得税非課税の壁を年収178万円にする国民民主党の案に近い形で決着しそうですが、時間もかかりすぎて、何だったけと言う人も多いでしょう。

 103万円が178万円になって何がどうなるか、さらっと説明できる人も案外少ないのではないでしょうか。

 所得税の基礎控除と給与所得控除を合わせた額が103万円から178万円に上がります。扶養でパートやアルバイトで働くのを103万円に抑えていた人がもっと働くことができ、フルタイムで働いていた給与所得者も年収により、3万から4万円ほど所得税が減ります。

 このことは、国民民主党玉木さんも頑張り、伏魔殿と言われる財務省を統括する高市総理もよく応じました。

 しかし、まだ実は所得税の非課税の壁だけではなく、住民税は控除の壁の控除額は変わらず健康保険料や介護保険料の社会保険料負担も大きいまんまです。

 国民年金扶養の壁、健康保険料や介護保険料など、いくつもの壁が存在し、その制度ごとに所得の定義も違い計算は複雑です。

 いろんな制度のルールが必要で、各機関の担当者でないと正確な計算は難しく、確定した金額はその場ですぐには分からない場合もあります。政治家でも専門で部会に入らないとなかなか分からないですし、高収入だと実感がわからない問題もあります。

 壁があるとどうしてもそれを超えるとゼロだったり、少なかったものから急に大きな負担がかかり、せっかく所得を増やしたのがムダになります。

 さらに、減税とか景気対策などで非課税世帯、子供のある世帯だけにポンと手当が支給されると、少し所得がある世帯だとその差は大きくなります。

 ギリギリで非課税を超えてしまって厳しい状況の人こそ助けて欲しいのに、困った事態です。

 社会保険料や住民税は自治体が決めます。国民健康保険だと、自治体にもよるのですが、毎年財政が苦しいと、年収400万程度で今年度年3万円ぐらいはしれっと値上がりしています。

 確かに高齢者など非課税世帯が増えてきてはいますし、就職氷河期など非正規で低い所得水準の人も多いです。収入がある人の保険料負担は増えています。

 物価高で賃金や年金が追いつかなく苦しい層があまりにも多くなってきているため、政府与党に対する不満は長く根深く続いてきています。

 一時的には高市総理の支持は上がりました。

 しかし、目先だけではダメです。

 長い政治不信の根は政治家や官僚が、経済の低迷が続いてもう税や社会保険料を搾取するのにも限界が来ているのことに気がつかないか、分かっていても目先を変えてごまかすからです。

 名前を変えては税金の種類が増えて、義務付けられた社会保険料は騒がれことなくしれっと増えて、実際の手取りは増えない。

 額面の収入が増えれば搾取がさらに増える。

 日本は確かに経済が低迷し、少子高齢化が進んでいますが、もっとできることはあります。本当に弾力のある自由主義経済ではないからです。一部の富裕層と貧困層を除く8割ぐらいの人が同じように働き社会に尽くす社会主義体制と同じです。

 企業献金の改革、公務員の改革、天下りの根絶からです。

 甘い汁を吸ってきた人らには厳しいでしょうが、真正面から取り組むことです。高市さんはやれる素養はあります。玉木国民民主党も吉村維新も他与野党も協力できるはずです。

 おコメ券を配る、給付金、税金の微調整以上に、やるべきこと、やれることは多いのです。歳入や徴収も、財務省の税務署、厚生労働省の年金事務所・労働局、地方自治体とバラバラに非効率にやるのをやめて、マイナンバーを利用してもっとシンプルにできるはずです。

 もう、楽に天下りで管理や事務で高給を貰える仕事はさすがに無くなるでしょう。民間企業でもAIに随分と人間の楽な仕事の幅は狭められてみんな必死です。

 それでも一次産業、高齢者への対応、障碍者や介護、インフラ整備など、人間に残された仕事は沢山あります。

 今は低賃金ですが、構造を根本的に変えて、ロボットやAIと併用しながら労働条件を良くして、そちらにお金を回すのです。

 高市総理の支持が高止まりななるかは、ここまでぐらいやるかです。一時的で一部のお茶濁し程度では、悪評の岸田、石破政権と経済面では大差はありません。

 具体的には年収800万程度までの中間層に対して、ガッツリと減税、社会保険料負担低減を行なうことです。

 財源は税金の挿げ替えではなく、真正面から構造改革で行政のムダを削るのです。今すぐのリストラではなくても、それを担保の国債を発行して、段階的に公務員待遇も天下り先も縮小し、最後は無くすのです。

 税金のたらい回しでは何も良くならない。地球温暖化に対してクーラーを入れるのと同じで、熱交換しているだけでどこかが冷えてもどこかが熱くなるのと同じです。

 どこかの税金を下げ、社会保険料を下げて、どこかに付け替えて増やしても結局付け替えるムダな経費が増えるだけで国民も企業も負担はトータルでは減らないのです。

 これでは経済は回りません。

 バブルの崩壊以降、昭和や平成の前半に大企業や名門企業と言われていたほとんどの会社が、その後次々と苦戦をし、倒産や合併、リストラ、デジタル化の波からDXを経験し、経営者も社員も辛酸を舐める苦労をしてきました。

 ステレオタイプに言われるのは、公務員はどんな不況にもリストラされない、役所は安泰で、基本的にはまさにその通りです。

 民間企業が大変な苦労をしている時代、公務員はどんなに赤字でものうのうと決められたボーナスを貰え、給与もカットされない、もちろん国家機関も省庁を廃止や統合する訳でもなく、人員を減らす訳でもなかったのです。

 省庁のセクト化、縦割りなど、この間むしろ尖鋭化し、横串を通して連携すらるよりも、溝は深まってる印象で、国民も議員も振り回されるのです。

 民主党政権が官僚に抗ってコテンパンに崩された経験は、高市さんも見てきています。だからこそ、ジャンヌダルクよろしく切り崩して欲しいのです。

 多くの企業が令和にはカスタマーの心を掴み生まれ変わっています。外資をはじめ企業にできて政治家、優れた日本人にできないことはないはずです。

 大変困難なことを提案しているようですが、全くごく当たり前のことです。