産業転換の発想とサポートが国策として必要

 社会が大きく変革していくとき、喪われていく仕事があります。

 武士という身分と職業が江戸時代にはありました。維新後は士族の不満もあり内乱もありましたが、警察官や軍人になっていた人も多くいました。

 かつて日本経済の発展を支えた職業も、時代とともに無くなったものもあります。日本中にあった炭鉱や鉱山の労働者もそうですし、繊維や鉄鋼、林業、造船、映画なども随分縮小されました。

 近年でいうと、機械、家電などもその衰退、斜陽の代表でしょうか。

 仕事が無くなると、補償や退職金、年金などが必要になります。軍人や、鉱山の坑夫の恩給、年金の始まりで、その後働く場がなく、それなり厚い待遇でした。

 日本の今の問題は廃れゆく産業が既得権益で、新たな成長市場を抑えてしまうことです。

 確かに業界の安定は必要ですが、もはや衰退していくところが政官財癒着して規制緩和を妨げるとこが、経済の低迷の一因でもありました。

 悪い例は、医療とか運輸、電波など、どこにも見られます。それぞれの省庁を見れば、必ず業界がくっついて新規参入や斬新な事業の邪魔をします。

 自動運転なども、世界的に実用化されていて、日本ではタクシーもバスも運転手がいないのに、タクシー業界などが反対して進まないのです。

 規制をするのではなく、業界を見極めて新しい市場へ、雇用をシフトするのが政府の仕事ではないかと思います。

 誰も今浸かっているぬるま湯から出たくはないですが、それを上手く進めるのが政府です。古い業界といつまでも献金を受けて結託してる場合ではないのです。

 成長戦略とお題目では繰り返され、数値目標は出ますが、税金の投入は新しい分野へ雇用を動かし、古い産業を丁重に葬ることです。

100年安心と言われた年金制度改革の巧過ぎる罪

 年金制度の改革は1980年代の共済年金に手をつけた当時から国民年金は破綻寸前で、積立金の豊富な厚生年金や共済と比べ、元々徴収が難しく給付もきつかくなっていたのです。

 官民格差も騒がれて、基礎年金番号を統合して、いわゆる一階の基礎部分を揃えて、国民年金の財政危機は救えました。しかし異なるシステムの統合により、消えた年金という大問題も生まれました。

 元々バラバラだった上に、職場を変わり、姓が変わつた人、支給が近くまでは放置しているも多く、自己申告がないと年金機構側も知りようもなかったので統合しけれなかったのです。しっかりした大企業が全てならまだしも、保険料も届出も遅れがちな雇用主もいたでしょし、マイナンバーもない時代、不明になったこと自体はしかたなかった面もあるとも言えます。

 酷いのはバブル時代に、厚生年金保険料は莫大なお金が集まり、当時はバブル崩壊し、少子高齢化で先細る未来が見通せず放漫は投資で積立を散逸してしまいました。

 グリーンピアに見られたような厚生年金の積立運用失敗は責められます。これがトラウマともなり、なかなか積極的な運用も図れず、保険料と税金の枠での制度適用で、ジリ貧の経済の煽りを受けます。

 20世紀末には年金財政が厳しくなり、切迫した課題となりました。

 支給率は徐々に下げながらも、現役世代の負担は増えていきます。

 それでも「このままでは年金制度は崩れ、将来貰えないから、さらに改革すべき」となり、官僚や年金部会議員が知恵を巡らせます。

「年金100年安心プラン」を当時人気があった小泉純一郎総理と坂口厚生労働相が宣言し、今となっては悪名高い「マクロ経済スライド制」が始まりました。

 年金制度は100年経っても枯渇しないという財政上の制度の持続制可能性を指しているのでしたが、小泉さんの勢いで何だか100歳まで十分な給付で安心とか、国民年金だけでも老後年金制度で暮らせるような錯覚を抱かされました。

 現実は大きくは2度にわたり、厚生年金の標準報酬月額からの給付割合は減らされ、所得代替率は3分の2から、半分に減ったばかりか、そこに時限爆弾のようにマクロスライドがじわじわと作動をはじめ、令和になってからの年金生活者はどんどん苦しくなっていきました。

 この年金受給年齢到達による率の低下はまだしばらく続きます。そして、国民年金も元々苦しかったのが、デフレでストップしていなマクロ経済スライドがキャリーオーバー分含めて作動をはじめて、ますます苦しくなったのです。

 この間には住民税、厚生年金保険料や健康保険料や介護保険料も跳ね上がり、天引きされる金額は増えるので、手取りはますます減っていきます。

 本来は貰いすぎの世代からだけ減らして取るべきところですが、それも無理があり全体を下げて行くしかないのです。

 マクロ経済スライド制も、デフレが続きその厳しい顔をなかなか見せず、百年安心の笑顔だけのイメージが残っていたのもタイミングが悪い罪でした。

 本来は100年安心とか美辞麗句ではなく、「もうウチの家にはお金がないから、おじいちゃんのお小遣いは毎年減らすから、切り詰めてくれ」とはっきり言えば良かったのです。厳しくなるけど我慢してと言えば節約や対策もできたのに、選挙の影響を考えるとバレないようにクリアに言わないまま、じわじわと下げたのです。

 昔なら、物価にスライドして年金を1年後に(それでも遅い気がしますが)上げていたのが、それでは賃金が上がらない現役に対して不労の高齢者だけ上がるのはおかしいということで、賃金と連動を加味することになり、ますます物価への連動は遅れていくようになります。

 マクロ経済がさらに悪質で狡猾な面は、デフレで本来年金を下げるべき時はあえて下げず騒がれにくいようにして、インフレの時に上げる分から加算して引くようにしているのです。

 何でこんなややこしいことを考えたかと言うと、年100万円もらっていた人が物価が5%のデフレで支給わ95万円にすると気付いて騒ぎます。その場合は100万円のままにして、次にインフレで8%上がった時に108万円のところをキャリーオーバー分差し引いて103万円に止めるのです。これだと気付くのが難いという小手先の知恵です。

 ただでさえ、わかりにく年金の計算がますます難解になっていくのです。スパゲッティコードといわれる他の業界の知恵者、学識経験者でさえ、理解して解きほぐすのが難しくなっています。

 この間、非正規雇用が増え、元々の標準報酬月額も減り、賞与や退職金も減る世の中となりました。

 年金受給が60歳から65歳になった段階で、多くの人の老後の破綻が誰の目にも明らかになったのです。

 制度として老後を支える公的年金があって憲法で決められた最低限の文化的生活を保証しするには、年金財政も生活保護などの財政も厳し過ぎるのことも、政治家や官僚は気づきました。

 老後2000万円必要問題は、誰言わず財政の実情を遅ればせながら、明言して美辞麗句で誤解された年金100年安心を正したのです。

 年金だけの問題ではなく、賃金や退職金、他の税金や社会保険料で手取りは少なく、ここへ来ての物価高で、現役世代も年金世代も不満と不安が溢れてきたのが、しばらく前からの「年収の壁」「財務省解体」などの問題です。

 いわゆる五公五民の限界を超えた不平不満の爆発なのでしょう。

 さすがに繕っても今の税金や社会保険料は高すぎで、取りすぎです。かと言って高齢者の年金が潤沢かとなるとそこに回しているから現役世代が高いというほどではなく、本当に恵まれているのは今80歳以上の厚生年金受給の高齢者ぐらいです。

 高齢世代の◯◯を削ろうとか、健康保険の率をとやると、結局はこれから老後を迎える現役世代はもっと厳しくなってブーメランが返ってくるのです。

 この大きな国の課題は与野党以上に国会なのか国民会議や、省庁の枠を超えた政治と行政のリーダーたちが、傷みを怖れず改革していかないと進まないでしょう。

 自民党が大きくなったのも良い面悪い面がありますがポジティブに考えたいです。圧倒的な勢力ですから、目先の選挙はもうないのでふ、選挙の支持でお世話になった団体、いわゆる業界などでも改革のためにスバっと切って行く決断ができれば、改革は進みます。

 保守だからといった、憲法さえ変えようというのですから、公務員や官民癒着の構造を改革するのはできます。

 デジタル化の波で改革できるところはいっぱいあるのですが、既得権益に気を使うのと、実際に仕事や利益を失う不安を解消するアイデアや仕組み作りです。

 デジタル化でも人は必要です。特に過渡期ではある程度の人員は必要です。

 自動運転やロボットの登場で、バスや電車、タクシーも専門免許をもった運転士は要らなくなります。ここで業界を守るのではなく、過渡期の監視の人員や自動運転の企業へのシフトなどを上手く回すような仕組みをリードしていかないと、日本は取り残されていくのです。

 憲法も大切ですが、細かい法律を社会の変化に合わせて、既得権益を打破するよう変えることが、財源や雇用を産むのです。

 50年後の日本が素晴らしい国家で残っているかは、今の地味な改革が重要です。

 

 

 

 

楽隠居か姨捨か?高齢世代の憂鬱

 高齢化社会を迎えて、なかなかリタイアした老人が優雅に暮らせる割合は低いのではと言われます。

 昔は「年金生活」というと接頭語に「夢の」とか「優雅な」とかがつきましたが、昨今の響きは全く違います。

「悲惨な」「不安な」が頭につきそうな年金生活の人が増え、今後高齢で年金受給を迎える方はますます現役の所得代替率が下がり、不安の通り悲惨となる人が増えそうです。

 昨今の急激な物価高には、年金支給額は対応できません仕事がある場合は別にして、相当な蓄えや、副業や運用で所得がある人以外は楽隠居はありえなくなりました。

 若い人は「ご隠居さん」とか、「楽隠居する」と言われてもピンと来ない言葉かもしれません。

 それでも昔は飢饉や恐慌などもあり、身分によっては弱い老人にまで食い扶持が回らず姨捨という悲劇もありました。

「楢山節考」という映画で描かれ、昔は姨捨という因習がありました。隠れて住まわせた老人の知恵が村を救って、姨捨制度を改めたという美談もありましたが、一般には見捨てられたのでしょう。

 横山光輝さんの描く時代ものにも、忍者や剣豪が出てきます。中には高齢になった者も描かれ、生命をかけ主君のために働いたのに、身体が衰えると最低限の食い扶持で蟄居させられ愚痴る場面もありました。

 軍人恩給という年金の原点もそんな感じで始まりました。鉱山作業員も早く年金制度が整いました。生命をかけ、身体も不自由になる仕事に就かせるには年金のような福利厚生が必要だったのです。

 しかし、誰もが働けなくなる老後は不安なのであり、年金制度は発展してきたのです。

 ところが2000年代以降、日本の政府は少子高齢化社会を見据え、大きく舵をきり、支える人間側の都合を鑑みた財政優先の考えのため、年金支給を減額していきます。

 消えた年金の騒ぎや、将来年金制度が破綻するのではという煽りで、年代で区切り厚生年金の支給の計算比率を下げ、さらに巧みに物価や賃金にスライドするはずの年金支給の乗率を下げていきました。

 高齢者は増えますが、その多くが時代を追うに連れて、年金では生活できなくなりました。定年も少しずつ延長されだしましたが、年金の支給も蜃気楼のように遠ざかっていきます。

 新自由主義が掲げられた2000年代以降、非正規社員比率が増え、所得も減り、貯金も退職金も少ない人がこれからどんどん高齢者になります。江戸時代や明治大正とかの昔に比べて医療も発達し、寿命は伸びて、高齢を迎える人は増えました。

 私の家の家系でも、母方の祖父は私が生まれる前に早死にしていますし、父方の祖父や兄弟も戦死や病死が何人かいました。父母の世代になると、それぞれ80歳は超えて生き、妻の父母は80代後半で健在です。ただ、この世代は自営も長く続けるのに恵まれた時代でしたし、年金もフルに厚生年金受給だと潤沢です。私たちの世代はその30年遅れて年金支給は遅く少ない。そしてさらに若い世代はもっと苦しい世代で自分の今が精一杯になり、高齢者を支えるのも、自分の老後への備えもままならないでしょう。

 冗談にもならない姨捨の時代が来るのです。

 子供が親を大切にしてくれるのか、しかし世代としては他人の高齢者まで支えてくれるのでしょうか。後期高齢者の負担を増やせていう世論もここからきています。

 高齢者に気遣う、長幼の序など知らない世代が占める割合が増えると、本当にギスギスした住みにくい世の中になりそうです。

 育ててくれた親の世代を大切にする社会が続くのか、終わってしまうのか、世代間の闘争などない社会であって欲しいものです。これは自分の目の前のためのエゴではなく、誰もが老いは避けられない高齢者を大切にするということはやがて自分たちも老いてうく、未来の自分たちの世代を大切にするという理解を広めることでしょう。

 

2年で倍になった品目も多い

 500グラムで1000円を切っている値段の珈琲豆に思わず飛びつきスーパーに行きました。今や半分以下の240グラムでも1000円近い値段、ちょっといい豆なら100グラムで1000円超えます。

 エンゲル係数が低い庶民にとってはここ2年ぐらいの物価指数の上昇は10%なんてとんでもない。米にしろ、2倍になってるものも多いじゃないかと言いたくなります。家電とかあまり毎日の生活に関係ないもので平均をごまかしているのかと思います。

 エネルギー価格も上昇して、住宅関連など住んでいるだけで上がるものもあります。

 生鮮食料品は確かに野菜などはまだらで、上がり下がりはあります。

 しかし、大問題になった主食の米をはじめ、買い物をしている人は目に見えて上がっているものが多く物価指数との乖離も感じるのでしょう。

 確かに統計をしっかりとっているはずですが、大多数の国民を支える物価という面ではどうしてもズレます。

 テレビのコメンテーター、アナリストなども頭の良い方は官僚の巧みな説明にごまかされていますが、実際にはお金持ちで庶民感覚がありません。

 政治家も残念ながら伝聞だけで自分は毎日スーパーで半額シールの貼られたパックを買う訳ではないのです。

 年金は本来物価や賃金にスライドして上がるはずですが、統計の反映はずっと後です。ましてや賃金がそもそも上がっていない上、年金は財政健全のためマクロスライドで上がるのは抑制されていますから、待っても物価に対応する上昇はほぼないと言えます。

 普通に年金だけで生活をしている人はどう考えてもおかしいと感じるはずです。この不満と不安も逼迫したものですし、かと言って今の年金を増やすとますます現役世代が負担になるので、どこかから財源をとなってしまいます。

 しかし、年金は本来現役世代からたくさんのお金を貯めている訳で、その運用でもっと収益を上げられるはずです。国の事業で儲けてはいけないと考える人はいますが、儲けてはいないのです。多くの金融機関や保険会社などと同様、お金を集め信用創造し、運用で益金を得れば税や保険料を増やさなくてもいいはずです。時限的にもそこから回さないと、マクロスライドの限界と、急激な物価高への非対応は明らかになっています。

 次と年金改訂検討では厚生年金から国民年金に回そうとしていますが、そんな卑怯なアクロバット的愚策を考えるなら、あと2年は運用益、政府の外貨資産で回すでいいはずです。

 

老老介護の時代か

 私の住むところも政令指定都市とはいえ、周辺部の住宅地で日本のどこにも漏れず高齢化の進んだ街です。

 新築購入のマンションには住んでしたが、12年経過して住んでいる人は私も含め熟年が増えてきています。

 小学生のまとまっての登校、幼稚園、保育園のお迎えのバスも来ますが、少しピークが過ぎるとデイサービスのバスもいくつも来ます。高齢者なのでお迎えというのは冗談にも不適切と言われるのでしょうか。介護サービスに預けた後のご家族さんも少し息がつける安心感が何とも切ないです。

 散歩に歩く近所のお家も小洒落た新築もあるものの、昔からの家が多いです。

 やはり高齢者がデイサービスに来る姿も見ます。

 杖やストックで頑張っておられる高齢者も見かけます。

 私もリハビリ中で杖こそないですがそんなに早く歩けないので、概ねよほど弱った高齢者以外は先を譲るぐらいです。

 鼻歌を歌いながらマイペースで歩幅や姿勢に気をつけてさっさとは歩いているつもりです。

 ある日の、後ろから♪カラスなぜ鳴くのと「夕焼け小焼け」を口ずさむ声が聞こえて来ました。ちょうど同じぐらいの速度からだんだん近づいて来ます。

 ホラーっぽい感じですが、高齢の女性が、やはり高齢の車椅子に乗ったご主人に歌を聴かせながら押して歩いておられるのです。

 ご主人が認知なのか足が不自由なのかはわかりません。ご近所の方も、どうですかみたいな声をかけて、ぼちぼちですと無難な返事をされていました。

 微笑ましい光景でした。このこ婦人が車椅子を押せる体力と、老いた夫を気遣う優しさを持っていることに感心しました。

 夫婦が老いていき、他に家族で介護する人がいないとなり、お互いのどちらかがが車椅子を押して介護する確率というのはどのくらいなのでしょうか。

 家族なら当たり前のようで、お金が潤沢なら人に頼むとか、片方が急に悪くなり過ぎる場合や、双方そこまでの体力も気力もないとこれはできません。

 経済状態や過去の経緯など知るよしもないのですが、当たり前に介護する側、される側それなりに徳があったのではとも思いました。

 そんな徳のある人が多い時代ではなくなってきているので、やはり自分の健康、特に足腰にはますます注意していきたいとは思いました。

 医学が発達して、統計上高齢者の平均余命は長くなっています。それは健康寿命が伸びている訳ではなく、長く生きながらえるということは辛い場合も多いのです。

 やはり、棺桶に入るまで自分の足で歩いていきたいものです。

http://seizafpkotodama.com/2026/02/14/%e3%80%8c%e6%a3%ba%e6%a1%b6%e3%81%be%e3%81%a7%e6%ad%a9%e3%81%93%e3%81%86%e3%80%8d%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93%e3%81%a8%e6%ad%a9%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%91%e3%81%aa%e3%81%84/

健康はお金に勝る

 健康とお金というのは二択の問題ではないですが、究極的に選べと言われれば健康です。

 先日も雪の日の朝、近くの寺社の雪景色を撮ろうかと勇んで歩き回ろうとしましたが、道が凍結してツルツルで転倒しそうなので、早々に中断しました。

 年齢とともに身体は衰えますし、病気や障害は避けられない運命かもしれません。

 しかし、あえてトシを重ねて思うのは、ちょっとしたことでもケガに注意をはらい、健康に気をつけるのは大切だということです。

 年齢を重ねててからのチャレンジというのは無謀さを美化するのではあってはいけないのです。慎重に熟慮を重ねてのチャレンジでなくては痛い目に遭います。

 元々体力があって無理がきく、胃腸が強いとかお酒が強い、寝不足でもへっちゃら、少々具合が悪くても出歩けるという過信は禁物です。

 ファイナンシャル的にも、お金では若さも健康は買えませんが、健康を損なうとお金がかかり何かと不便です。

 お金があると、健康診断やジムワークなどにお金をかけられるメリットはありますが、自分の身体の衰えや変化に敏感になることです。

 他人から指摘されるほど、目に見えて、動きが鈍くなったとか、痩せた太ったとかとなれば遅いと言えば遅いのです。

 私自身も大したことはしてないのたすが、私が見てきて自分の健康に対して敏感な人はクレバーな人が多くカッコよく見え、感心します

 地頭がいいというのか、感性が鋭い、自分の体調を冷静に評価できる人は、加齢や病気にも強いと言われます。

 頭がいいとか、感性が鋭いという言葉が適切かはわかりませんが、毎日見て感じている自分を冷静に受け入れられるかどうかではないかとも思えます。

 誘惑に弱い、結局は健康よりも、一時の何かどうでも良いことを、自分に言い訳しながら優先してしまっている人は健康寿命を縮めます。

 ズバリ、歩けないほど健康でなくなると、お金があっても高齢になっての幸福度は下がります。

 確かに、宅配で何でも手に入り、バリアフリー化でそこそこの移動はそれほど不自由なくできる時代ではありますが、いざエレベーターを探すとなかなかそうでもないものです。

 歩けないことによって、身体全体のバランスは崩れ、体力も衰える可能性は高いです。元々若い頃からの障害で歩けない人よりも、高齢で歩けなくなった人は辛いのです。

 健康に対する意識、金銭的にはそんなにかけなくても可能です。むしろ浪費を減らし、いろいろ感じて、考えて、情報を得て、試してみることからです。

 健康に良いからとか、このぐらいなら大丈夫と思ってる運動習慣や、食生活がけっこう問題なケースもよくあります。

 若い頃なら、良かったけれど、そのままでは通用しないことが多いのです。

 数値的なものを見ている人も、この若い頃のバイアスにかかり、まだ走れるとか、まだ夜更かしできると思う人が多いのです。学校や社会でも、数値にこだわり負けず嫌いな真面目な人も、若い頃できたことに寄せたくて無理をします。

 先ほどクレバーと感じると思った人は、ここで無理をしたり見栄をはらないのです。

 タイムやスコアが悪くなるのはトシ取れば当たり前、若い人に負けるのも当たり前だと早く気づかないと大変なことになるのです。

 高齢者の運転もよく問題になりますが、スポーツ、ジョギングやウォーキングその他の身体活動も同じような問題、直接身体を使う分運転より重要ですが、あまり家族は止めません。

 当の本人は、現状維持バイアスみたいなのに、かかります。「毎日これだけ歩いていた(走っていた)から、今日も明日もやれる。去年も登れたから、やれたから今年もやれる」と、なかなか自分の身体の細かい衰えに気づかないか認めようとしないのです。

 高齢者が意地のようにマラソンやフットサルやったら危ないのはさすがに解るでしょう。

 同様にちょっとしたスポーツゲームでも出場時間を短くしていく、ジョギングやウォーキングもスキーやスキューバでもタイム、距離や歩数ではなく準備運動をしっかりして、姿勢を整え短い時間でも愉しみ習慣づけることです。

 長く外で過ごせば歩いているだけでもリスクであり、ましてやスポーツとなると危険性は高まります。

 もちろん全然動かないとないとか、動いてこなかった人も適切に運動はしないと論外です。

 ダイエットは食べ過ぎを抑えるのと、適度な運動程度であって、体重を落とすような運動は高齢では無理と諦めるべきが定説です。

 平均寿命が伸び、健康寿命が大事と言われていますが、本当に健康でいられるか、よく感じ、考えて、実践していかないと簡単では無さそうです。

 

 

 

人生100年と言いながら高齢者冷遇の世?

 人生100年時代とは言われるものの、高齢者を取り巻く環境、さまざまな法律や制度、言葉の端々にしっくりしないものを感じます。むしろ、「老人など要らない」と燻したい印象もあります。

 平均寿命やら健康寿命やと言われるものは伸びて、100歳まで生きておられる方も自治体にはたくさんおられます。

 人生50年と言われていた時代もあり、私たちの子供の頃は定年が50歳から55歳になったとかでした。30代は今なら若手ですが、中年と言われベテランの域でした。今と比べると10歳から20歳ぐらい間違いなく落ち着いいて、ぶっちゃけ老けていました。現代はここ50年ぐらいの間にそれぞれ老いが遅く、寿命も活動時期も伸びています。

 そんな社会でも50歳過ぎあたりから、会社では風当たりが強くなり、シニアは役職定年、再雇用制度などに充てられます。企業で60歳、65歳を超えると働けてもせいぜい定年延長、新規で雇うところはないでしょう。とりあえず70歳までの雇用を政府は努力目標にしましたが、いかにも役所の考える上っ面の施策です。かえって高齢者の雇用の弾力を弱めてしまいます。

 人生100年だとあと何十年かは年金と貯金で食つなげということでしょうか。

 雇用保険は高齢者雇用制度、健康保険は後期高齢者制度など、やや差別的な名前の割にはそれほど恩恵はありません。後期高齢者が75歳というと100歳まで25年あり、前期よりも延々と長い期間です。

 こう書く高齢者側のひがみと言われるかもしれません。世代間の誤解は多く不毛な対立を生んでいます。「シニアにも割引や特典があり、年金を貰って逃げ切れているじゃないか」と若い人は思っています。

 一つには人口ピラミッドの歪さがあり、若者がたくさんの高齢者を支えて医療費等を負担しなければとの植え付けられたイメージがあるのでしょう。

 賦課方式の年金だと、賃金や物価の上昇に合わせるので、支払った年金保険料よりは長生きすれば貰える年金給付金は増えます。若者にすれば、「今の年寄りはそんなに払ってないのに沢山貰えて逃げ切れた。俺達が年取ってら年金がどうなるかわからないのに」という苛立ちがあるのでしょう。

 実際には今も年金だけの高齢者の生活はそんなに楽ではありません。

 高度経済成長期に入ったばかりでそれなりの標準報酬で厚生年金にずっと入り続けた人は、世代としてはそんなに多くないです。しかもそろそろ人数が減り、お金を使い遊ぶ世代ではありません。

 団塊の世代から今年金を貰い始めた人はだんだん年金支給率も現役の所得代替率も厳しくなりました。潤沢に年金がある人は社会保険料の負担が大きくなり、若者が思うほど楽ではありません。

 長年生きて働いてきても年金が少なく、ハードワークを強いられている高齢者を街中で見かけることが多いのも、決して世代が楽ではない証明か仮説にはなります。

 そう、小ぎれいな軽作業などでは高齢者ではほぼ仕事がないのです。憲法の平等でいうなら高齢者ももう少し楽な仕事があってもよく、70歳で厚生年金の資格が無くなるのも変な話です。低年金がわかっているのなら、せめて厚生年金に入らせてあげたら、身体が悪くなりどうしても働けなくなった場合に年金が増えていれば生活保護費も削減できるのにと思います。

 何だかんだと、戦争という大きな境目もなく、いろいろな豊かや発展を見てきた程度で、戦争を知らない高齢者と今の若者の価値観はそんなに違いません。植え付けられたイメージで世代間の対立が煽られているだけの気がします。

 どんなに少子化といっても国や制度は無くなりません。やがて今の若者も高齢者になるのです。100歳までどう生きればみんなが楽しく幸せになるか、そんな社会を考えないといけないのです。何歳からがこうだという名前や制度のレッテルは極力なくすべきです。

 

壁を超えて次の壁も壊せ!

 物価高の中、手取りを増やしてという年収の壁問題がもうかれこれ参議院選挙や首相交代をはさみ1年近くやってるのではと思います。

 所得税非課税の壁を年収178万円にする国民民主党の案に近い形で決着しそうですが、時間もかかりすぎて、何だったけと言う人も多いでしょう。

 103万円が178万円になって何がどうなるか、さらっと説明できる人も案外少ないのではないでしょうか。

 所得税の基礎控除と給与所得控除を合わせた額が103万円から178万円に上がります。扶養でパートやアルバイトで働くのを103万円に抑えていた人がもっと働くことができ、フルタイムで働いていた給与所得者も年収により、3万から4万円ほど所得税が減ります。

 このことは、国民民主党玉木さんも頑張り、伏魔殿と言われる財務省を統括する高市総理もよく応じました。

 しかし、まだ実は所得税の非課税の壁だけではなく、住民税は控除の壁の控除額は変わらず健康保険料や介護保険料の社会保険料負担も大きいまんまです。

 国民年金扶養の壁、健康保険料や介護保険料など、いくつもの壁が存在し、その制度ごとに所得の定義も違い計算は複雑です。

 いろんな制度のルールが必要で、各機関の担当者でないと正確な計算は難しく、確定した金額はその場ですぐには分からない場合もあります。政治家でも専門で部会に入らないとなかなか分からないですし、高収入だと実感がわからない問題もあります。

 壁があるとどうしてもそれを超えるとゼロだったり、少なかったものから急に大きな負担がかかり、せっかく所得を増やしたのがムダになります。

 さらに、減税とか景気対策などで非課税世帯、子供のある世帯だけにポンと手当が支給されると、少し所得がある世帯だとその差は大きくなります。

 ギリギリで非課税を超えてしまって厳しい状況の人こそ助けて欲しいのに、困った事態です。

 社会保険料や住民税は自治体が決めます。国民健康保険だと、自治体にもよるのですが、毎年財政が苦しいと、年収400万程度で今年度年3万円ぐらいはしれっと値上がりしています。

 確かに高齢者など非課税世帯が増えてきてはいますし、就職氷河期など非正規で低い所得水準の人も多いです。収入がある人の保険料負担は増えています。

 物価高で賃金や年金が追いつかなく苦しい層があまりにも多くなってきているため、政府与党に対する不満は長く根深く続いてきています。

 一時的には高市総理の支持は上がりました。

 しかし、目先だけではダメです。

 長い政治不信の根は政治家や官僚が、経済の低迷が続いてもう税や社会保険料を搾取するのにも限界が来ているのことに気がつかないか、分かっていても目先を変えてごまかすからです。

 名前を変えては税金の種類が増えて、義務付けられた社会保険料は騒がれことなくしれっと増えて、実際の手取りは増えない。

 額面の収入が増えれば搾取がさらに増える。

 日本は確かに経済が低迷し、少子高齢化が進んでいますが、もっとできることはあります。本当に弾力のある自由主義経済ではないからです。一部の富裕層と貧困層を除く8割ぐらいの人が同じように働き社会に尽くす社会主義体制と同じです。

 企業献金の改革、公務員の改革、天下りの根絶からです。

 甘い汁を吸ってきた人らには厳しいでしょうが、真正面から取り組むことです。高市さんはやれる素養はあります。玉木国民民主党も吉村維新も他与野党も協力できるはずです。

 おコメ券を配る、給付金、税金の微調整以上に、やるべきこと、やれることは多いのです。歳入や徴収も、財務省の税務署、厚生労働省の年金事務所・労働局、地方自治体とバラバラに非効率にやるのをやめて、マイナンバーを利用してもっとシンプルにできるはずです。

 もう、楽に天下りで管理や事務で高給を貰える仕事はさすがに無くなるでしょう。民間企業でもAIに随分と人間の楽な仕事の幅は狭められてみんな必死です。

 それでも一次産業、高齢者への対応、障碍者や介護、インフラ整備など、人間に残された仕事は沢山あります。

 今は低賃金ですが、構造を根本的に変えて、ロボットやAIと併用しながら労働条件を良くして、そちらにお金を回すのです。

 高市総理の支持が高止まりななるかは、ここまでぐらいやるかです。一時的で一部のお茶濁し程度では、悪評の岸田、石破政権と経済面では大差はありません。

 具体的には年収800万程度までの中間層に対して、ガッツリと減税、社会保険料負担低減を行なうことです。

 財源は税金の挿げ替えではなく、真正面から構造改革で行政のムダを削るのです。今すぐのリストラではなくても、それを担保の国債を発行して、段階的に公務員待遇も天下り先も縮小し、最後は無くすのです。

 税金のたらい回しでは何も良くならない。地球温暖化に対してクーラーを入れるのと同じで、熱交換しているだけでどこかが冷えてもどこかが熱くなるのと同じです。

 どこかの税金を下げ、社会保険料を下げて、どこかに付け替えて増やしても結局付け替えるムダな経費が増えるだけで国民も企業も負担はトータルでは減らないのです。

 これでは経済は回りません。

 バブルの崩壊以降、昭和や平成の前半に大企業や名門企業と言われていたほとんどの会社が、その後次々と苦戦をし、倒産や合併、リストラ、デジタル化の波からDXを経験し、経営者も社員も辛酸を舐める苦労をしてきました。

 ステレオタイプに言われるのは、公務員はどんな不況にもリストラされない、役所は安泰で、基本的にはまさにその通りです。

 民間企業が大変な苦労をしている時代、公務員はどんなに赤字でものうのうと決められたボーナスを貰え、給与もカットされない、もちろん国家機関も省庁を廃止や統合する訳でもなく、人員を減らす訳でもなかったのです。

 省庁のセクト化、縦割りなど、この間むしろ尖鋭化し、横串を通して連携すらるよりも、溝は深まってる印象で、国民も議員も振り回されるのです。

 民主党政権が官僚に抗ってコテンパンに崩された経験は、高市さんも見てきています。だからこそ、ジャンヌダルクよろしく切り崩して欲しいのです。

 多くの企業が令和にはカスタマーの心を掴み生まれ変わっています。外資をはじめ企業にできて政治家、優れた日本人にできないことはないはずです。

 大変困難なことを提案しているようですが、全くごく当たり前のことです。

 

 

 

 

 

 

健康保険料はとにかく複雑で高い

 60歳の定年後、再雇用には応じず、仕事を探している時、ライフプランの勉強にもなると、区役所や年金事務所に勤めていました。

 その後も労働保険や、裁判所の民事部で破産や過料、市役所の土地の開発許可などのけっこう難しい受付や審査事務をやってきました。

 久しぶりに役所に手続きに行く側になり、よく面倒くさくみんな行くものだと思います。

 そんな私でさえ、国民健康保険料の減免手続き、計算のややこしさと、その支払う金額の多さには愕然とします。。

 こんな手続きの受付を毎日していたのかと思うとびっくりしますが、もう少しシンプルにならないかとも思います。

 専門の方が電卓を叩き、ソフトを使ってもかなりの時間をかけていました。もちろん間違いは許されないお金の計算ですが、複雑を極めてなかなか素人がササッとやれるのではありません。

 そして、やはり高いです。今、年収178万円に税金控除の壁を上げると騒がれますが、やはり本丸の問題は社会保険料です。

 そう稼いでない庶民には所得税よりも住民税が高く、さらに健康保険料、介護保険料の比率が高いのはこの物価高とくに厳しいです。

 医療費控除や、寄付金控除などで少し税金を還付してもらったところで、なけなしの給料や、年金からガッツリと社会保険料を払わないといけません。

 参議院選挙では日本維新の会がこの少子化でいま、社会保険料とくに健康保険の仕組みを改善する公約を掲げていました。最終的には与党に入った維新ですが、この公約は地味で参議院選挙には惨敗でした。

 結局、維新の政策の中でもプライオリティイは下になり、議員定数削減が連立の条件となって、現在に至ります。

 その議員定数削減すら有耶無耶になりそうですし、実際議員が減ったところで、当面国民には大したメリットはありません。

 特定の上級国民や利権に繋がる層だけが潤い、世の中にはびこり、日本の経済を長く停滞させた仕組みを改善していかないといけないのに、総理が変わってもやはりこのあたりに自民党では勢いのついたアクションはありません。

 与党にしろ、公明、国民民主や参政、立憲やれいわでもここらの手取りを増やす国民への思いは共有できるはずです。

 大きな改革を伴う政策を進めるにはやはり目先の利害が絡み反対の声も必ず上がります。それを精査して、抑えながらも剛力で進めないと、この国は末期を迎えます。

 健康保険の負担を減らす医療の抜本的改革をすれば、医療現場が困り中小の経営の苦しい病院や医者や看護師も困るんだと訳知り顔で反論する人がいます。

 健保財政のために高齢者や現役世代の中間層の負担を増やすのは悪手です。

 医療機関、医師会、医療機器や製薬へのムダな支出を根本から見直しです。

 湿布や消毒、痛み止め程度には健康保険は使えない、そこからでも一歩です。

 日本だけが検診機器も多く、その負担が患者に回っています。

 農業だと零細農家だったり、どこの業界でも人質のように弱者を前面に出して改革を妨げる向きがありますが、議論の前提が違います。

 ムダを無くすことに、基本的に聖域も弱者もないはずです。

 医療の現場でも、農業、建設、政治、役所、業界団体、要らない組織やムダな活動を改めて、時限を決めて廃止して未来に病巣を残さないことが、日本のこれからに大事なことです。

 ここで改革しないと、維新の猪瀬直樹議員が著書「昭和16年の敗戦」に例えて主張されたとおり、日米開戦の時と同じく分かっていながら敗北への道に進むのに手をつけないということです。

 少子化のまま社会保険料、医療費が膨大になって破滅に向かうのです。

 

おばちゃんとは言えない職業にちょっと感動

 比較的大きな官公庁の職場なので、銀行のATMも郵便ポストも、資源回収ボックスもあり、何かと便利ではありました。

 私のメインバンクの都銀が入ってて助かったのですが、出向で来ておられる方もいて、ちょっとそのあたりの関係は怪しい点もありますが、そこは利便もあり目をつむりましょう。

 乳酸菌レディ?生保レディ?とかも来られます。レディも今、不適切な言葉かと考えてしまいますが、さすがに男性でヤクルト売り歩く人は見たことないです。

 昔は、平然と◯◯おばさん、◯◯のおばちゃんという言葉を使っていました。

 大手生命保険会社の昭和のCMでは、堂々と歌詞に歌われていました。今でも、耳に残る世代の方はおられると思います。

 そんな大手生命保険会社と法人としてさまざま契約しているそうなので、職場にも生保レディの方が代わる代わる何名かで立ちん坊営業されます。

 組織としてタイアップしていても、今どきなかなか厳しい営業だとは思います。超優良の大企業ですが、いまだにこういう落ち穂拾いみたいなマンパワー営業するのが伝統なのでしょうか。

 アンケートをして、SNSでつながってもらうとか、いきなり声かけてのアプローチですから、昼休みやかえりがけなので冷たくされるケースも多いようです。長年、店頭で営業に関わってきましたから、私は保険には今さら入りませんが、いろいろな協力はして、友達みたいに親しくなった方もいました。

 ドライな通販型や外資も進出する中、個人の生保に占める大手シェアも安泰ではないでしょう。表には見えないけど、ノルマ的なものもありそうに見えました。広告費やこれらの人件費も馬鹿にならないとの批判的なロジックも聞かれます。

 少し資産運用の話も提案してもらいましたが、あくまで元本保証の保険ベースですから、まだまだ利率も低いので、リタイア世代の私には内容的には参考程度でした。

 しかし、その後、7〜8枚ぐらいの私向けのデータを作っていただき、マーカーや付箋が何箇所もあって、手書きのメモで、いくつものメッセージが書かれていて、心温まるものでした。

 正直、最初から契約する気はない話をしていたのに、ここまでパーソナルな資料を作り、懇切丁寧にやってくれたことには、感動に近い感謝の気持ちでした。

 令和の時代にも、「ニッセイのおばちゃん」なかなかやるなっと思いました。