読書レビュー:「ヒロシマ」ジョン・ハーシー

 米軍従軍記者が、原爆投下直後の広島から.生き延びた6人を追ったルポ。

 医学博士、ドイツ人神父、牧師、開業医、女性労働者、市井の後家さん、それぞれ家族や友人を失い、自らも原爆病と戦いながら生きていきます。

 当たり前のことですが、原爆の日からしばらくは、爆弾の威力も病気になることも誰もわからなかったのです。ガソリンやマグネシウムを前もってまき散らしたのかとも思われていました。

 普通の市民や医者が考えて、当時想像された火器の威力を遥かに超えていました。人道上使用されるべき兵器として、殺傷力だけでもケタ違いすぎていました。

 東京裁判はもちろん戦勝国の主催の法廷であり、公平公正を願うのは無理ですが、日本人に限らずドイツ人やアメリカの一般市民でさえ原爆を投下を決定した者こそ絞首刑にすべき戦犯ではないかと言うのは本音でしょう。

 かと言って、ルポは淡々と綴られます。家が崩れた後にやがて草花が生えだすとかいうのは、やはり取材されてないとわからない描写です。

 1985年までの各人の生き様を追っています。その間に、アメリカはビキニ環礁で核実験、第五福竜丸の事故を起こし、ソ連、中国、インドと核を開発し実験を行う時系列が書かれています。

 ヒロシマの訴えは、常に警鐘を鳴らしておかないと、原爆の惨劇を知らない世代の国会元首や軍人が何をしでかすかわからない時代に入ってきています。

 焼夷弾の空襲には訓練され、防空壕が各所にあった時に比べて、何の危機感もない軟な世代です。ゲームや映画のオブラートに包んだ表現しか見ずに、あれが戦争と思っています。

 しかも家族、地域や近所で助けあい励ましあうような関係も稀有な社会、人口の密集した都会にこんな核攻撃が起これば一体どうなるのか。

 喉が渇けば、冷蔵庫に蓄えがあり、自販機もコンビニもあり、キレイなトイレも風呂もいつでも使える現代。その当たり前の快適の対局に戦争があることは、少なくとも反戦とか思想、政治信条以前の問題として、事実認識と伝えることは必要なのでしょう。

 暑い、苦しい、水を求める人々、重症でもはや見捨てられる人の描写はやはりキツいですが、世界のどこかの戦争ではこういう場面が今もあるのかと思うと、人類は何をやっているなかと思います。

 核はやはり禁じ手にしないと

名作読者レビュー:松本清張「点と線」

 古典とか昔の名作を再読するのも滅多にないのですが、たまたま、気になった興味深い点がいくつかあり、文春文庫がキレイで読みやすそうに見えたのでイッキ読みしました。

 とにかく文章上手いし、面白いし、まあそれほど長くないのですが、あっという間でした。

 昭和32年連載開始で、映画化も含め、66歳の私が生まれる前、新幹線もできる前の時代の作品です。

 中学生ぐらいの時に、松本清張さんがわりとブームにもなってて、カッパ・ノベルス(新書判)を母が買ってて読んだのではと思います。内容はあんまり記憶にないのですが、同じキャラの刑事が出る「時間の習俗」も読んだかすかな記憶があり既読だと思います。

 福岡の香椎海岸で見つかった男女の服毒死体。官僚と水商売の女性の心中かと見られたものを地元刑事が、男性の財布に入っていた寝台特急の食堂車から、小さな疑惑を抱き、警視庁の若手刑事へと繋ぎ、精緻で堅牢な大きな壁が少しずつ、

 ネタバレ的に、有名なアリバイトリックが上っ面だけで語られて、交通インフラが進化した今では、古臭い印象だけ上書きされていました。

 いや、なかなか全てに面白いのです。

 アリバイそのものは、専門家の鮎川哲也らが貶したらしいですが、ストーリーとしてよくできています。

 堅牢なアリバイの壁が何重にも刑事に立ちはだかります。そして、犯行の背景が、社会的でもあり、また男女のドロドロした情念もありで、このあたりは鮎川哲也など全く及ばない力量です。

 警察小説的な展開で、最初の犯人の登場からは、あとは全て捜査する警察側からの視点で、倒叙もののような構成です。最後は警視庁と福岡の刑事の書簡だけで真相が明かされます。

 社会派と言われる官僚と癒着業者の不適切な関係、汚職が絡んでおり、時代も当時らしい男と女の情愛も描かれていました。

 その後、角川が横溝正史を掘り起こし、新本格の時代となり、おどろおどろしいミステリが復活して、なぜかリアルな社会派の松本清張はミステリ界でも少し隅に追いやられて行きました。どっこい清張はやはり優れた本格ミステリです。社会派というレッテルだけで読まず嫌いの友人がいて残念でした。

 今の時代とは相当捜査も違うのは仕方ないですが、探偵の発想や捜査の流れはその後の西村京太郎らに引き継がれる王道です。

 今ならメールでやり取りできる依頼を電報でやっているのが少し笑えますが、それが現代の科学捜査への依頼などと、スピード感覚的に変わらないです。

 警視庁の刑事がコーヒー好きで、東京でないと上手いコーヒーが飲めないというのも時代を感じさせます。寒冷前線という言葉が斬新だったとか、応接間に接待煙草が備えてあるのも、今の創作ではまず思いもつかないでしょう。

 難読な香椎(かしい)という地名、香椎海岸、香椎線香椎駅、西鉄香椎駅が重要な舞台となります。

 私にとっては最近の鉄道趣味として、ハイブリッド車両を導入し、自動運転を行う香椎線が頭に浮かぶのですが、もう一つの趣味の読書、ミステリの金字塔のような作品の聖地だったとは驚き、まさに点と線が繋がりました。

 ビートたけしが主演で2007年にテレビドラマ化はありましたが、映画化は、他の松本清張作品に比べ少なく、昭和33年に小林恒夫監督で一度きりです。完全な映像化は内容も時代も難しくなっているようです。

 脱線する蛇足ですが、ちなみに映画の主演、刑事役が抜擢で南廣さん、バンドや刑事ものも出られてますが、ウルトラセブンの終盤客演宇宙ステーションクラタ隊長や、マイティジャックの隊長で子供世代には著名な方。特撮繋がりでは、被害者の役人を演じた成瀬昌彦さんは、ウルトラシリーズ屈指の悪役俳優です。犯人役山形勲さんは時代劇や刑事ドラマの大物悪役が多いですが、ウルトラマンエースでも防衛軍のパワハラ上司でした。ここでも点が線に繋がりました。

 

読書レビュー:城山真一「看守の流儀」ドラマとは全然違う秀作

 このミス上位で手をつけてなかったのてすが、素晴らしい小説でした。

 昨年のドラマは幸か不幸すぐ離脱して見てませんでした。これはもうどう考えても小説から先のが面白いのです。

ドラマや映画、演劇というのは脚本や監督、キャストやスポンサー、尺の問題で原作と違うと、騒がれる場合もあります。

 基本的にどこまでを原作、原案とかに区別するかは微妙な問題です。時代を変えたり、外国を日本になど場所を変えても、基本的な話の根幹が同じなら原作とされる場合が多いです。著作権も絡みますから、イメージだけでこれは原作と違うと読者が不満を言っても難しい所です。

 最近は作家が映像に寄せて、これこれの俳優をイメージしてキャラクターを作っている場合さえあります。

 しかし、小説というものは、活字の文章から読者が想像するもので、そもそも最初から完成した情報が入ってくる映像作戦とは違うのです。

 全てを実写、実際の役者さんが演じると、ミステリの場合は使えないジャンルのトリックがあります。

 この小説をドラマを先に見るべきではないのはキャスティングを見ただけで重要な結末が予想されてしまうからです。

 もちろんその意外な結末を知っていても、十分本は楽しめるのですが、肝心の意外性、やられた感は奪われてしまいます。

 まして、ドラマで見ちゃうとわかったようになって原作を読まない人もいるので残念です。

 映像化の原作なら、本が売れるのも分かりますが、これはちょっとドラマ化しちゃうのは私なら反対です。

 それでもドラマ化したテレビ局はある意味エラいですがね。

 ずいぶん、ネタバレ的なところまで引っばって書きましたが、刑務所の中がほとんどの連作短編で、刑務官と受刑者、関係者が登場人物で納得ゆく結末もあるものの確かに重いストーリーです。

 この時代、恵まれた当たり前の暮らしをしている人に刑務所の中、犯罪者の暗い背景、そして地味な公務員としての刑務官の描かれ方は普段なかなか想像できないものです。

 これをよく完成されてミステリにしています。

 しかし、ドラマっていうと、やはり美形の俳優が演じてしまって、そこで想像が止まるからやはり難しいですね。刑務官なんて地味な公務員の中で最たるものだから、イケメン俳優や美人女優が充てられた段階で、いくら演技をがんばっても違うものになります。

 それはそれで人気俳優に出てもらいみんなに見てもらってテーマを分かってもらえばという意見もあろうかと思います。しかし、それもやはり内容によるのです。

 だもんで、二重の理由で、このドラマと原作は全く別物、なおかつ先に小説を読むべしです。

 刑務所の中でもいろんなハラスメントがあり、刑務官も公務員、上位職や年功、経験でいろいろイヤなことがある。いろんな組織が、一面社会の縮図なのでしょう。

 

 核はやはり禁じ手にしないと

 漫画のレビューをするのは珍しいのですが、少し広島の原爆を調べていて見つかった本です。後半、熱く長くなってしましました。

 考え方が真っ直ぐで原爆の悲惨さをしっかり伝えたい訴えたい気持ちがよく分かります。

 広電の女性運転手、被爆電車のお話はドラマ化もされ有名です。もう一話、反戦の気持ちを抱えながらも軍医となった広島陸軍病院の医師が焦土の中を奔走するお話。

 この本を読み終えたのはモールのカフェコーナーで、外は寒くても暖かい中でした。平和な日本で珈琲と甘い物を食べ、多少は景気が悪く貧しくとも周りもみんな楽しそうで、赤ん坊を連れた母親もくつろいでいます。

 この人たちは、身体中に火傷を負い真っ黒の遺体になることも、突然高熱と発疹、吐血で亡くなることもない。平和な日本です。

 しかし、広島、長崎の原爆の日から、80年を過ぎたのに、世界から核兵器は消えていないのです。

 いたずらに戦争反対、核保有反対と叫ぶことに与するつもりはありません。

 しかし、戦争が罪なき市民を巻き込み、健やかだったはずの人生を蹂躙するのはやはり悲しいことです。

 戦争は、それぞれに大義はあっても、国の疾病のようなもので研究し、治療せねばならないものでした。80年前に投下された原爆は、その悲惨な実験が終われば永久に国と国との紛争に使わないという選択肢がなぜなかったのかと思わずにいられません。

 戦争という人間の原罪、宿痾は治癒することなく、現代も社会を蝕み市民を危険にさらしています。

 日本人を守るというためには、核保有も選択肢とされています。どこかの国が核兵器で攻撃してくるので、そのためには必要かと言われればあながち間違いではないでしょう。

 丸腰で、何の武器も力もなく、武器がないから攻撃されない、財産や生命を奪われないとは強盗には通用しない理屈です。

 国際法や国連、人道上許されない兵器を禁じる条約も、結局は無力とも言われます。

 では強いものが勝ち、常に正しいのか。あるいは強いものの庇護のもとなら、人道上許されない兵器が使われても良いのか。

 正義とは何で、正義とはどこにあるのでしょうか。

 核兵器を持たないというだけで、核兵器を持つ国の傘に入っている。

 原発に反対しながら、原発の電気を回してもらい、原発の危険は他の地域や国に被ってもらう、お金が回っているならそれでいいかなというのと、やや似ています。

 原子力も発電の場合は上手くコントロールすればアリとも言えますが、兵器としての核はやはり最終的に使われてはいけないのが大前提にならねばです。

 放射能の恐ろしさは、戦後アメリカの免罪のための正当化や原子力政策のため、少しずつ、マイルドに表現されるようになったのではと思います。時代の波、経年でその悲惨さと鋭利さが伝承されないのではと思います。

 冷戦時代は、SFや特撮ものでは、核兵器による人類絶滅の終末が描かれたものが多かったです。ゴジラはじめ東宝や円谷でもそうですが、放射能も核兵器もマイルドな描かれ方になって、CGや科学的裏付けはしっかりしても、終末は多岐な未来の一つのようになり、危機感を伝えるものでなくなってきたように思います。

 独裁的な人間たちのナショナリズム支配では、核兵器の発射ボタンが押される確率は残ります。

 かつて戦争は兵士同士が名乗りを上げて戦っていました。今でも宣戦布告はあり、禁じ手はあります。戦争が中世、近世、近代、現代と進むに連れ、かつては考えられなかった市民、ロジスティクスを攻撃するなどもアリとなりました。

 軍事施設を攻撃するだけではなく、食料倉庫や病院、学校なども攻撃すると、国際法上許されないとは言われます。しかし、逆に偽装した部隊やゲリラが逃げ込んでいる場合もあり、フェアな戦争の判断は難しいです。近代の戦争はたいてい陰謀めいた暗殺や爆破事故などがきっかけで真実はわかりません。

 権力者が、大量破壊兵器を隠し持っていたからとか、あの紛争地域の自国民を救うためと強弁すれば何でもあり、勝ったものが正義です。

 主義や思想や宗教は自由としても、市民を巻き込む人道上許されない方法での戦争とその兵器に関しては、早く禁じ手を全ての国が批准して決めないと、やがて日本民族の危機も来ますし、人類の危機は続くのです。

 あえて左翼系、平和を訴える人にもここで強く考えて欲しいのは、戦争反対、核保有反対、平和憲法、自衛隊派遣反対と、戦争に頬かむりして蓋をしてもいけない。戦争とは何かしっかり見て伝えることです。

 自衛隊が無ければどうする?もっとアメリカに頼るのか?

 結論が出る問題ではないのですが、核兵器使用に至るような戦争は絶対に止めるというポイントだけは、どんな国の人、どんな思想、宗教の人にも刻んで欲しく、伝えて欲しいのがヒロシマの教訓です。

 

 

「誠と謀略」戦後80年開戦は避けられたのか考察する

読書レビュー:橋本惠「誠と謀略」岩畔豪雄の知られざる日米和平交渉の記録

 戦後80年という節目の年で、「戦争を知らない世代」の割合が増え、ましてその深層まで掘り起こして知る人は限られてきています。

 このところ太平洋戦争が開戦前に日本人によって敗戦確実と研究されていた「総力戦研究所」の話が取り上げられ、ドラマのモデルが訴訟する件も話題になっています。

 同じ昭和16年やはり、日米間でもワシントンで繰り広げられた知られざる交渉があり、悪化した日米関係を修復しようと外交努力があったことを伝えているのが本書です。

 岩畔豪雄、井川忠雄の名前は私もついぞ存じませんでした。近衛首相や、松岡外相、東條英機ら戦争を止めず前に進めた名前の方が知られています。

 成立しなかった交渉に奔走した男の挫折を、太平洋戦争の裏歴史として、史実に基づき著しています。

 外交はつくづく伝えられる歴史だけでなく実らなかった裏があり、埋もれたものがあります。

 状況の変化もあり、ゼロか1かの成果では語れないものがあります。

 改訂版として、著者のご子息が、重い内容を現代にもわかりやすくされ、使命感を持って令和の時代に再度上梓されています。

 現代でも、世論の勢いだけでは危険であり、国際社会の外交は一筋縄では行かないものがあります。

 敵対的とされる中国やロシアにも、毅然とするだけではなく、人間的な外交努力もしていかないと国益は保てません。

 先の戦争以来、現代の戦争は多くの火器を使い一般市民の多くも巻き込み大変な国土と国民を消耗させる悪手です。

 単に厭戦、平和を望むことを軟弱・お花畑と保守層は揶揄しますが、やはり国と国が戦いもじさぬ時には、その裏ではあらゆる妥協点を見出す外交努力が必要です。

 戦後「戦争を知らない世代」と言われましたが、戦争を知る世代に育てられ多くの生き証人の話を聞けた世代する少なくなっていきます。

 歴史を現代から未来に活かすためにも、保守もリベラルも書を読み、学び、感じて次の日本の舵を取し、行き先を間違わないよう見極めないといけないでしょう。

書店にて

 年末が近づいて各社今年のミステリランキングが発表されました。

 このところ、知らない作家も上位を占める時も多かったのですが、今年は各社ダントツで私の推し「櫻田智也」氏の「失われた貌」が4冠でした。

 寡作な作家さんで短編集を3つ出されてる程度で、その3冊とも評価が高く、長編第1作で見事にミステリの頂点に輝きました。

 昆虫好きの優しい青年が探偵役で日常の謎を解く今までの短編ではなく、警察小説っぽい感じですが、リアルさと優しさは変わらず評価されているようです。

 前作「六色の蛹」収録の「赤の追憶」は良かったです。切なく、かつハートウォーミングな読後感で、謎の回収も見事でした。これぞ日常ミステリの傑作中の傑作と言えます。

 ポインセチアが花屋の店先に並ぶ、この季節に登場人物二人を思い出しそうになります。

 季節外れにもポインセチアが並ぶことがある?そんな謎の結末を知りたい方は、是非読んでいただきたい。

 あと、元気印の「成瀬は天下」の最新作、完結編が出てました。この作家は売れずぎて、別シリーズキャラが難しい悩みがあるかと思います。

 あれこれ評論するのは簡単ですが、作家は難しく、厳しい世界です。ランキングに何年も続けて入る作家はいません。

 一度人気が出ると名前だけでずっと売れ続ける安定した業界ではなく、非常にシビアだと感じるのが、この毎年のランキングです。

翻弄され続けた国の歴史

 たまたま手に入った古い本。最近の国際情勢で重版されてるようです。

 読んでいた五木寛之「青春の門」にウクライナ人も登場し、シベリアやソ連の歴史も描かれ、つながるように読みました。

 黒川祐次 著 ウクライナ大使を務められたた外務省の方 2002年のことで、ソ連崩壊で独立後のことはそれほど記述はありません。最近はキエフをキーウと表記されますが、キイフとの説もあるようです。

 世界史はあまり詳しくないのですが、ヨーロッパでも東欧、アジアよりはあまり世間にもよく知られてはいませんでした。ソビエト連邦の構成国にロシア、ウクライナ、ベラルーシのルーシ3国があって、モスクワのあるロシアが格上で偉そうにやっているようなイメージだけ持っている人が多いのではとも思います。

 ウクライナの歴史がモスクワロシアよりも古く、そのルーツでさえあることに驚かれされます。

[紹介文]ロシア帝国やソヴィエト連邦のもとで長く忍従を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出し続けたウクライナ。不撓不屈のアイデンティティは、どのように育まれてきたのか。スキタイの興亡、キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、一九九一年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰。人口五千万を数え、ロシアに次ぎヨーロッパ第二の広い国土を持つ、知られざる「大国」の素顔に迫る。

 以上

 島国の日本は、侵略戦争を仕掛けられ国土を失い離散することは一度も経験していません。

 戦前に領土を拡大し、敗戦で焼け野原になり、一時期アメリカの占領下にはありましたが、民族と国土そのものは存続し続けました。

 ヨーロッパの国の興亡のダイナミックさの感覚はなかなか日本人にはわからないのかと思います。

 かつて、ユーラシアから世界を席巻した国もあれば、常にそういった大国に蹂躙されながらも、歴史を刻んでいる国があります。

 日本の戦後の趨勢、第二次世界大戦の終焉を決める重要な会議が開かれたのがウクライナのヤルタです。極東では国境を接するロシアですが、そのシベリア地域には多くのウクライナ系住民が住み、ソ連抑留の最西端がウクライナというのも因縁です。

 昨今のプーチン政権でのウクライナ侵攻には、長きに渡るロシアとウクライナの国の成り立ちからの歴史も少なからず要因があると知るのも面白いです。

 

 

音楽、芸術の難解と困難

ミステリ作家の作品で、死の真相が謎として追われるものの、音楽家を描いた青春、職業小説的な色が強いです。

 マンガ喫茶で働く、チェリスト坂下は奔放な演奏の由佳に魅入られ、その死の真相を追いかけて、鵜崎四重奏団のオーディションに挑むます。

 死の真相に立ちはだかる、鵜崎の芸術や音楽の既存の価値観の否定と、激論する主人公の戸惑いも面白いです。

 有名な演奏家、高価な楽器が本当にいいものなのか問いかけられます。

 芸能人が出る格付けのテレビで、ワインやグルメ、楽器などの本物と安物を当てる番組があり、実際それらしい描写もあります。たぶんテレビはヤラセが多いでしょうが、まさにそれを揶揄しています。

 大衆は実は高級品バイアスにかかり、有名音楽家の演奏もまたそれにとらわれたビジネス、因習が成り立つ世界になっている。

 感覚や技量を磨き、経験を積んでも結局は、それぞれのレベルでのバイアスからは離れられないものなのか、本当に価値のあるものがあるのか。それは誰にわからない境地でしょう。

 一般の人は、高価な料理や、ブランド品、崇高な芸術よりも、目の前にある安いランチに満足するのです。

 音楽なども、好みや、聴く環境、その人の状況で全く価値観は変わります。クラシックなど、何を聴いても違いがわからない人が多数いて、さらに名前や雰囲気だけで違いがわかったような気になる層なまた沢山いる。そして、本当に音楽がわかっていそうな人も結局はかなり名前や権威のバイアスに囚われている。

 芸術の価値観は伏魔殿のようなものです。芸術の世界は、ビジネスや学校、行政よりさらに古くドロドロとしたものにも思えます。

 私の妻も音楽大学を出て、それなりの努力はしてきていましたが、音楽家で生きていくのは難しいのは当然です。元々の金銭面でもそうですし、才能やコネでも超一流になるのが厳しいのは分かります。

 音楽界の酷さもよく描かれているのか、本当のところはわかりませんが興味深く読めました。

戦後80年の66年

 先日「青春の門」が今だに続いているという投稿が結構な反響を呼んでおりました。

 大河小説で最終巻が今のところ9巻目で10巻目で完結と予告されていますが、作者の高齢を考えるとどうなるかわかりません。長いシリーズものは、パターン化されたものが多いですが、この小説は伊吹信介を主人公としてはいますが、巻ごとに状況は大きく変わります。

 1巻2巻の映像化のイメージが強いと思いますが、筑豊編と自立編でも、舞台が大きく変わったように、その後も北海道から、やがては旧ソ連へと舞台は転々とします。

 第8巻を最近読みましたが、第二次大戦末期のソ連参戦の暗部、ソ連核実験のためシベリアに強制移住されたウクライナ人の話なども描かれます。

 今の国際情勢につながる戦後すぐの時代を20代の青年が奔放に歩みます。

 自由に海外旅行に行ける今では考えられない世界での冒険もあります。

 戦後80年といいますが、私の生きた66年は、物心つけば大変平和で恵まれた時代に入り、若者は安定を求め、好奇心も冒険心を失っている人が増えました。大人たちも、臆病に冒険しない人生を子供に求めたのかもしれません。

 私も、生命をかけるような冒険も、恋愛も友情も、テレビや本の中でしか経験はなく、直接は体験しないで年齢を重ねてしまいました。

 世界を見渡すと、本当に恵まれて生きてきたとは改めて思います。

 それでも、風雲編の主人公、作者の生きた時代を慮ると、自分も何か死ぬまでにもっと、できることはないかと、模索したくなります。

 

生活保護の課題

 ミステリとしての出来としては、原作も映画も私はちょっと引っかかります。

 しかし、まあ社会問題としての生活保護をよく取り上げています。

 高級外車を乗り回す強面のいかにも不正受給者に対して、正義感あふれる女性職員が物怖じせずに糾弾します。

 本来、受給する資格の無いものが、不正に受け取り、本当に餓死寸前で、最低限の文化的生活が送れないものを、しっかり精査できるほど、自治体に予算も人員もありません。これは今の日本の大きな問題です。

 生活保護や破産手続きの言葉の印象が悪ければ、苦しくても、家族などの手前申請できなくて破滅する人も多いでしょう。

 こういう底辺の問題にスポットを当てた作品としては意義があり、有名俳優が好演技で賞まで取り興行的にもそこそこヒットして注目されたことも結果的にはとても良かったです。

 ただミステリ的に不満な点は以下、ネタバレになってしまいます。

[ネタバレ注意]冒頭、役所の生活保護担当職員が拘束され餓死して発見されるという怪事件から始まります。魅力的なミステリらしい謎です。

 最後に明かされる犯人役の俳優も狂気じみた演技が素晴らしく、助演賞などの評価も分かります。

 その演技により、カバーはされていますが、魅力的な冒頭の謎から、やはり意外な犯人を探す中山七里ミステリの様相にやはり少し無理があります。

 これは松本清張の砂の器、森村誠一の人間の証明などでもそうですが、(背景、動機なとは違います)出自とか貧しい時代から、せっかく努力して社会的地位を掴んだ(相当苦労して)人が、そんなに簡単に人殺しをするのはおかしいという、私の個人的な感性です。

 苦労をしているから、その地位を手放したくないという動機(砂の器、人間の証明)も、苦労してきたが、許せないものは決して許さないという本作品も、どうも殺人という手段を選ぶのは、少し考えれば得策ではないのです。

 警察はもちろん、小説の読者や映画を観ているものをも欺く意外な犯人の緻密な犯罪ですから、当然衝動ではなく計画的です。それ故、同情の余地は少なく、余韻は悪くなります。

 社会問題を扱う難しさですが、殺人等に走る前にもっとやれる手段はあったと感じてしまいます。

 

 京都市の区役所で生活保護の担当をしていますが、医療扶助などもありがたい制度であり、逆に健康保険負担の課税世帯から見てうらやましいくらいです。

 しかし、うらやましいから不正受給をしている一部の情報をあげつらうのではなく、本来の生活水準には一体どのくらいのお金が要るのかまず考えるべきです。

 そこから孤独で支援する家族もいない人は本来国が年金を増やすべきですが生活保護も今は選択の一つです。

 この問題も奥深いところで、年金生活でも格差は大きく、社会のひずみは大きいのです。浪費はしなくても生活保護や破産のケースは多くあります。

 こんな底辺の問題は選挙の票にもならないし、経済の底上げにもならないかもしれませんが、そこをきっちり考えやっていくのは政治、行政の義務です。