書評:木住鷹人「危険球」 京都関連受賞作 古都と野球

【紹介文より】夏の甲子園出場をかけた京都府大会決勝。木暮東工業のエース投手・権田至の投げたボールが、境風学園の強打者・仁科涼馬の頭部を直撃した。「あんな球、避けられるでしょ」少年はなぜそのような突き放した言葉を放ったのか?
 鮮烈な京都青春物語と銘打たれ、京都文学賞の受賞作です。この投手と打者だけでなく、関わった審判、両校の友人、双方に感情のからむ女性らさまざまな人間関係が描かれ引き込まれます。

 何より、その投球と言動の「なぜ」が明かされる過程は、ミステリの謎説きめいた面白さもあります。また野球のルールや審判の苦労なども描かれ、野球ファンの視点からも楽しめます。そして「東寺と西寺」「衣笠球場」「伏見の酒蔵」など京都の文学賞狙いっぽい巡りも一興です。

 私も個人的に戦後間もない、京都にタイムスリップする小説を書こうとしていて、衣笠球場は題材にしたかったのですが、ちょっと先にやられたかなと思います。ここの知識が立命館大学に行ってる人にはそう珍しいものではないかもしれません。

 ネタバレになりますが、ゲームやルールとしての野球の展開がもう少しあっても良かったかなと思います。やっかみ半分ですが、もうちょっと深堀りできることも多いのではとも感じました。秀作であることには間違いないです。

 同時期に書店で並んでいる「スピノザの診察室」夏川草介の方は、京都「本」大賞なんですが、さすがにこっちはプロ経験も長い、やはり洗練もされていて、感動度合いとほのぼのもあり、京都情緒もいいです。こちらも超おすすめですね。

 今はたまたま冬ですが、京都というとやはり夏ですね。両作品とも何だか、じりじりするような夏の京都がイメージされます。

「逃亡」「争議」から「バレーボール」近代日本を担った産業とは

 年末年始、少し休みも長いので、多読乱読しようと、いくつか目を引いて手に取った本を買ったり、借りたりしました。

 なぜ、東京なのかというとあまり意味はないのですが、あえて薄い線でいうとべらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜つながりの江戸でしょうか。
 実は、この本の第Ⅱ部第6章において40ページ弱も割いて「女工たちは語ることができるか」と題して、紡績工場とそこで働く女性労働者のことが書いてありました。

 退職直後なので5年ほど前に、カネボウの昔を調べ、創作をしようとして紡績工場の労働実態を調べようとしたことがあったのですが、現代文で書かれた物が少なく難解でお手上げでした。
 その時、あたった文献も含め、平たく、鐘紡も含めた紡績工場の女工とその労務管理について書いてあります。

 日本の近代化への道を支えた紡績、繊維産業がその成り立ちからより理解しやすくなっていますし、東京綿商社という鐘紡の前身が他の工場とともに墨田川べりに当時としては大規模な工業地帯を形成していた時代があったのです。

 当初、士族の娘が、女工についたのですが、工業化と社会の変化で女中奉公も減り、女性の働き口として人数も求められて、大規模化し組織化して、過酷な労務管理下におかれます。

 逃亡や脱走もあった中、「虐待」など過酷なものもあったようです。やがて労働争議という問題も出だします。鐘淵紡績は武藤山治社長の時代に、労使協調路線を先駆けて打ちだし、労働者の待遇改善、福利厚生に取り組み、民間企業では日本初の年金制度も取り入れました。
 大正中期には、各地の工場が、女学校の寄宿舎ぐらいの団欒とした集団生活で規範もでき、教育や娯楽も備えて、何年かすると嫁入り支度が整うか、監督や主任職に回るキャリアができていました。
 その娯楽のひとつに「バレーボール」もありました。当初は設備もコーチも整った裕福な子女の通う高等女学校の強かった競技が、やがて紡績工場の強豪チームが主役となります。戦後の高度経済成長期までをリードした繊維産業、紡績工場のチームが東京オリンピックも主力だったのはうなづけます。
 男性の過酷労働は、鉄鋼や化学工場や炭鉱労働などこれまたさらに体力を要し、危険なものが沢山あり、それらももちろん日本の近代化を支えました。鉱山労働の方の年金制度も早い段階で危険なものと認定され、手厚く進められました。

 戦後と簡単に括りがちですが、東京や大阪のビル群や洒落た街並みも50年ほどさかのぼると泥臭い工場だったのです。日本は、そういう汗と泥の中から、発展したのです。

お年玉今昔、ファイナンス


 新年なので、親しみやいお年玉の話です。
この写真のお札を見て、懐かしいと言う人は50歳代以上です。昔は100円はおろか、500円もお札でした。やがて100円はお札から硬貨が発行されると、使いやすい小銭の仲間になりました。その後、500円も当時としては大きいと驚いた今の硬貨に変わっていったのです。
 お年玉は紙幣でポチ袋に入ったものを貰うのですが、アラカンから還暦過ぎの人の幼少期に貰ったお年玉の1封あたりの金額は、年齢が上がるにつれて低くなることが分かります。
 このことから、昭和の時代と比べて平成以降今のお年玉の金額が大きくインフレ、上昇しているといえます。
 ところがこの10年ぐらいは据え置き、総額は減少に転じて、1封あたりも抑えられて、少子化にともない、元々親の兄弟が少ないため、子のない叔父叔母からはお金で貰えないとかいうことにもなりゼロというケースも増えているそうです。

 私の子供時代は、このお札、青い500円札か、白くて神々しい伊藤博文の千円札なら喜びました。同じひげ面でも板垣退助がガサガサっと3枚ぐらいだとがっかりでした。

 物価も買えるものも違いましたから、時代の移ろいと言えばそれまでの話です。

 昔は、金額もですが、子供が貰うお年玉やお小遣いで買えるものも限られていました。デパートなどに行くとさすがに買うものもありますが、家の近くではせいぜいお菓子やおもちゃです。おもちゃといっても種類がしれていました。オンラインどころか、自動販売機も少なく、セルフ型のスーパーも少ない時代で、子供が大金を使うことは意外と難しかったのです。今だと、ゲームの課金やオンラインでの買い物など、いくらでもお金が無くなります。大人は怖くて、子供にネットをはじめお金を使う機会を制限せざるを得ない時代です。

 お年玉はそれも含めて、少し日常のお小遣いよりも大きな金を含め、大人になるためのお金の使い方や、貯め方、価値を知る機会でしょう。初めて、経済、ファイナンスとは何かを、学ぶのです。

 それができないと、大きくなっても経済オンチ、破産などを味わう可能性があります。

 少子化やオンラインの制限で、お年玉を貰う機会の少なくなった子供は可哀そうですね。

人生は正解のない思考実験の連続ではないか

 調べてみると、このような多くは明確な正解のない思考実験を取り上げた本は何冊も出ています。「トロッコ問題」のハーバード大学サンデル教授の白熱教室も、文庫にもなっています。

 人生は、こういった思考実験をみずから実証する連続かもしれません。

 進学や就職、結婚、相続など大きなイベントだけでなく、今日何をするとか、どっちの道を選ぶかでも、大きな分かれ目になることもあります。

 重要な選択をいつも、成り行きや他人任せにする人もいれば、熟考や自分の信念のような選択をする人もいるでしょう。

 人生は、数限りない選択肢の連続です。それでも、裏目裏目を選んでしまう人もいます。金運や異性の運の無い人などもそういう感じです。

 思考実験は私などにはパズル的な感じで楽しく読めます。そして、今まで自分の岐路で選択を誤ってきた人は、分析して変えられるヒントになるような気もします。

満額の老齢基礎年金でも生活保護!?

 年収の壁問題で、国会でもネットでも議論されています。
 しかし、この問題がここまでクローズアップされたのは、結局社会保険料割合が高く、税金の割合も高い、物価が上がるのに賃金のいい仕事にそうやすやす就けず年金が上がらないからです。生活保護を申請する高齢者は増えています。
 国民皆保険、皆年金の全体の立て付けは悪くないのですが、国の財政のためと負担割合ばかりが多いのです。
 特に基礎年金は月7万円、それだけでは生活するのに全く足りないからなのです。
 2階部分のある厚生年金の受給者でさえ、この物価高はこたえます。
 稼いでも稼いでも、半分近くを税金と社会保険料に抜かれる。これでは、制度がどうこうというよりも、よほど丁寧な説明で納得させない限り、不満が爆発するのは当たり前です。
 東日本大震災の復興特別所得税とか、森林環境税とか見栄えの良い寄付金か募金ではないので、名前を変えて取らないでも、普通の所得税とかの中でやればいい話です。
 もっと言えば、年金も税金にくるも徴収を一本化すれば、取りっぱぐれも少なく、手間も組織もシンプルになるはずです。
 生活保護もよく、ベーシックインカムと一緒に問題にされ、不正受給もよく話題に上がります。しかし、生活保護の方の多くは高齢者です。本来年金で生活できるはずの人が生活保護を全額もしくは一部支給されています。制度や申請、考ええただけで複雑です。

 本来、生活保護は家庭や健康の事情などで、一時的に生活が苦しい人に支給されるべきで、教育扶助や医療扶助などで、失業保険が切れた後、働けるまでの繋ぎであるべきです。もう働けない高齢者にずっと支給し続けるのは、本来は趣旨と違い年金の役割です。

 年金保険料を納めた人に手厚く年金を支給し、本来はそこよりも下に生活保護の世帯があるはずです。しかし、実態は、国民年金の満額支給で我慢しながら家賃、医療費や保険負担まで払っていては生活保護の方が圧倒的にリッチな生活になります。
 これでは、真面目に年金保険料を納めるきにもならないでしょう。

 この辺の立てつけや、壁はもっとシンプルに、実態にあったものに考えないと、底辺側の年金問題は解決しません。財源だけで、厚生年金から、国民年金側の基礎年金にお金を回すのは目くらましの詐欺行為です。厚生年金の方でも、物価高で現役所得の代替率がどんどん下がり、結局不満は募っています。

 目先の壁ばかり、議論していないでもっと底辺の実態から見ないと、政治は何をしているかという感じです

【年金】繰り上げか繰り下げか、損得、元が取れるという発想が違う

 還暦を過ぎ、同窓で集まると年金の受け取りをどうするか、繰り上げ受給と繰り下げ受給、どちらが得かについて、悩まれて相談される方が多いです。同年代はすでに、65歳前後で繰り上げのタイミングではなく、繰り下げて年金を増やすかどうかのハガキが来てその選択のようです。
 趣旨、制度を確認しますと、
 繰り上げる場合は、受給期間が長くなるため、1ヶ月につき0.5%減額されます。
繰り下げる場合は、受給期間が短くなるため、1ヶ月につき0.7%増額されます。
繰り上げ受給を選ぶと、年6%が減額され、減額された年金額が一生涯続きます。60歳で受給を開始すると、30%もの減額です。
 66歳以降に繰り下げて年金を受け取る場合、繰り下げた方が65歳からもらうよりも年の総受給額70歳からの受給にすれば、65歳からの受給に比べて月額は42%アップする。さらに一昨年から75歳まで繰り下げ可能になり、この場合月額84%アップとなります。
 ただし、その間は年金を貰わないわけですから年額は増えても5年遅らせると取り戻すのに10年以上かかります。損益分岐点とか言われますが81歳、90歳と生きれば計算上はプラスが増えます。

 こんな計算を強いる政府の方も罪です、このためファイナンシャルプランナーや社労士も相談を受けることが多く、両論が動画サイトなどにも挙がっています。両方のメリットデメリット、損益分岐点や税金、減額対策も出ています。どちらが正解?


  年金は自分の老後、長生きした時に働けなくても生活できるお金を貰える保険制度であり、基本的に投資のように損得を考えるべきではありません。結論はこれなのです。ここが理解されず、「どっちがいいの、どっちが得なの?」の疑問が多く、それに対する考察的回答が多いですが、私は正解などないですし、語れません。

 言えることは損得ベースではなく、今お金が必要ならば、繰り上げるか、タイミングを過ぎても65歳以降なら今すぐ貰うかです。在職老齢年金の話はまた別に語りますが、今お金が潤沢に回っていたら、繰り下げてもいいという程度の話です。

 損益分岐点などと言いますが、他の保険で、例えば医療保険で元を取るために病気やケガをするでしょうか!確かに医療費の支払いの足しになりラッキーと思ってもそのために病気を幸運とは思いません。自動車事故を起こし保険で元が取れたと喜ぶこともないでしょう。
 乗り放題パスだとか、食べ放題や飲み放題のバイキングなどで、損益分岐点を超えた時点で大喜びはするでしょうか。実際には元とれなくても、一喜一憂はあまりしません。損得だけでは本質的な旅や食事を楽しめません。元を取るために、無理に食べたり、移動したりして不必要なことをして喜ぶのと同じで、よく考えるとあまり意味はないのです。人生もそうです。

 繰り下げで問題なのは、在職老齢年金制度で、高額で稼いでいる人はその時点で停止や減額されますから、増額にはなりません。さらに税金の壁を超える場合もあり、最初の計算式が全て成り立つとも限りません。在職老齢年金制度も年金にかかる税金も計算は複雑ですし、これから改定になる可能性が濃厚ですので、ますます損得の正解はないのです。まあ自然体でいいのではと思います。

「今何してる?」と訊かれ

「今何してるの?」と昔の友人に聞かれることがあります。悪気もない日常会話でしょうが、学生時代以来、40年ぶりとかかなりひさしぶりに会った人です。
 SNSでも繋がってないのでプロフィールも、卒業後の就職さえ知らない人に、40年をかいつまんでで、キャリアを語るべきのか、今?「息してる」とボケるか、「本読んでる」とか、勤務先だけ語るのか、「遊んでます」とか何か適当にかわすのか悩んでしまいます。

 本当に悪気はなくとも、こういう質問は、無職だったらどう応えるとか傷つくかもしれないのかなあと思ってしまいます。
 短縮版でキャリアを書きますが、カネボウという会社に大卒で入社して、途中会社が傾き花王グループに吸収されましたが、何とか60歳の定年までは勤め上げました。定年延長や再就職はせず、新しい仕事を探しまして、伏見区役所で半年あまり保険年金課で契約で働いた後3年間京都西年金事務所で国民年金の職員として勤め、京都労働局で3か月有期雇用の後、現在は京都地方裁判所というところで事務官をして1年弱経過しています。

 端折っても、前置きも長くなりましたが、定年後は公務員みたいな堅い仕事をやっていますが、何ていいますか。よくそんなところで採用され、働けましたねと言われますが偶然もあり幸運ですが、大したことではありません。定年以前に比べてわりと力は抜いた感じで、適度に緊張もしながらも楽しんで学ばせていただいています。

 写真の本なのですが、「雇用は契約」の方は、労働や、社会保険、雇用保険などの問題は俯瞰して良く分かる本です。改めて思いますに、私も含め、多くの方が社会人になっても雇用の形態というものは良く分からずに働いているものです。

 大学を卒業してずっと正社員で働き、定年まで同じ会社に安穏としていると、パートさんを雇用していても、家族がアルバイトでもあまり自分の立場や契約というものがわかりません。
 正規非正規、パートや無期有期など、表面的に言葉は分かっていてもなかなか意味や仕組みまではわからないですし、時代によってもいろいろ変わってきます。今もパートの年収の壁なども議論されていますが、雇用問題も10年ぐらいごとに大きく法律も変わっていきます。定年退職か雇用延長を悩み、年金を貰おうかという年代になりやっと労働契約が見えてくるのかもしれません。
 友人や後輩の中には、それでも周りに流されながらという人もいます。転職もせいぜい1回、定年延長や年金受給で、選択を迫られると慌てるものです。

 年金問題と言いますか、年金の制度や手続きも難しいですし、年金事務所に勤めていた私ですら厄介なことが多いです。社会保険労務士の試験となると、年金と合わせて雇用・労働が問題に出ますから、難易度の高い試験です。士業数あり、〇〇士というのは、それなりに必要でもあり難しいというのも良く分かります。
 そして、士業、国家試験でも法曹関係というと、全ての法律を網羅して最高峰かと思いますが、「六法全書」とかいうと、本当にスゴイとも思いますし、その勉強も大変です。しかし、司法試験、弁護士さんや裁判官といえども全てを覚え、実務を行うわけではありません。

 今、私がやっている仕事はパラリーガルと言いますか、裁判所事務官です。六法からさらに細分化した裁判事務、立件や処罰の書類も作り、審査や保存の補助もしますが、ある細分化エリアでは全く未経験でも、分かる部分があります。
「要件事実マニュアル」という本は条文だけ、書かれている六腑から、申し立てや訴訟のやり方をマニュアル化しているものですが、これでも相当な抜粋で、全4冊になります。世の中の全てが法律に絡んでいます。一つの分野で何冊も本がでていますから、法務も奥が深く、ややこしいものです。

 会社法、労働法などは当たり前に、一般企業の経営者や総務などには必要な知識です。

物価高でも買い替え、修繕の出費

 ほぼ毎日家事として、ルーティンで使う家電や住宅設備に、マイコンが使われていて、半導体も部品として入っています。
 随分前から、家電の計画的陳腐化、商品ライフサイクルの短縮、買い替え促進の戦略が見えていましたが、食品や消耗品の物価高と賃金が上がらない人、年金中心の暮らしで余裕の無い人には大変にイラつく喫緊の問題です。
 私はマンションに住んでいますので、家電に限らず、マンションの自動ドアや駐車場のシャッター、火災報知器や、防犯カメラ、宅配ボックスや、全体と個人宅のモニター付きドアホン、免震装置や屋根の防止など、共用部分の設備も10年以上経過すると、老朽化交換を迎えて、管理組合でも予想できたもの予想外のもの含めて大きな出費となるのを毎年見ています。

 ネット環境の設備、4K8Kのアンテナとケーブル、EV車用の充電装置と当初予期しなかったものの要望も出てきます。

 多くの機器がこれまた保証期間が5年とか長くて10年です。10年以上経つとどうなるかわかりません。更新は大変な出費です。

 掃除機だとか炊飯器、洗濯機なども毎日使えば結構な頻度で買い替えが必須となります。修理も馬鹿にならない値段で、やがて部品も製造、保有がなくなり、新機能の商品が主流だと買い替えが必然になります。買った時が最新でないと、部品の保有期間も短いケースもあります。スペックが優れ、いろいろ機能もあって高いからといって寿命が長いとは言えず、むしろ脆い場合もあります。
 電化される以前の鍋や釜、火鉢や懐炉、石炭ストーブは壊れて買い替えることは少なく、修繕しながら何十年と使えたものです。
 炊飯器と釜、洗濯機と盥・洗濯板では、主婦の手間が違いますが、結局は便利なものは意外にも大金がかかるのです。時間がある人で手間を惜しまない人は、冷蔵庫やエアコンは替わりは無理でも、炊飯器や掃除機、洗濯機、湯沸かし器程度の代替は、自分の力と工夫でできます。メーカーや流通業者の思惑通り、買い替えていたらいくらお金があっても足りません。
 大きな住宅の修繕や、食品などの毎日の物価には備えられても、家電などの中堅から少し大物クラスの買い物が高頻度で来るのは、ファイアンス的には準備が少なく苦しいです。

 保証期間をよく考え、実際に要るかも含めて検討が必要です。マンションなどもオーバースペック気味だと、やがてメンテナンス費用が厳しくなります。外壁材なども含めて、高給そうなら良いわけでもないでしょう。

 物価がこれからも上がると、このあたりの買い替えは難しい選択になります。

「年収の壁」2 厚生年金106万撤廃は負担激増

 

「年収の壁」1 分断を増長する話 – 天使の星座

【私はどうも納得いかない!】
 マスコミの報道の在り方は酷い。
 マスコミというのは右寄り左よりあると言われていますが、結局大きなニュースは横並び、政府や検察、行政の言う通り、垂れ流しているだけです。少し考えれば両論併記の社説ぐらい書けるのに、勉強不足なのか隠蔽なのか。
 兵庫県知事選挙や、紀州のドンファン事件などは、派手に考察されても直接国民の負担にはつながらない喫緊でも何でもない話題です。
 兵庫県知事選挙も酷いも酷いと言われましたが、年金問題もそうです。「103万円の壁」が与党と、野党の国民民主党で段階的に178万円に引き上げることに合意したとされます。これでも随分の進歩と言われますが、物価の上昇からいうと当たり前の話です。
 こちらは、片方で税金を負担しない「年収の壁(103万円)」を、最低賃金に見合った水準に上げる議論を、希望のある見え方で、じゃんじゃん報道しています。ところが議論もなく、しれっともっと負担の大きい社会保険の壁をあげるどころか撤廃する、実質国民の手取り負担が増える仕組みがどさくさに通されるのです。
 補正予算が国会通過しましたが、与野党の談合の指摘は免れません。
 増えた厚生年金保険料で、在職老齢年金を拡大するとか、基礎年金の財源基盤に回して、将来の基礎年金を3割上げるとか体よくだます感じで導入が図られます。
決して、基礎年金がいきなり3割上がるわけでもなく、これは詐欺的表現です。
 しかも、当面保険料負担を減らす時限的スキームで、保険者や小企業を助ける策を講じると、煩雑なややこしいことを言っています。企業が負担すれば、それはそれで大変でパートは雇えません。

 「社会保障の壁」と言われる「106万円の壁」は、無くなれば、パートで小規模なところで働いている人は週20時間を超えれば、みんな厚生年金に入り、給与を労使折半で天引きされることになります。
 年金委員として年金機構の幹部とお話を聞いた際、106万の壁、130万の壁を引き上げて、扶養のしくみを守る気など、サラサラないのが良く分かりました。壁は所得に合わせて上げるのではなく、取り払うのです。ホンネは3号の主婦年金をほぼ廃止に追い込みたいのです。
 週20時間以上のパートも厚生年金となると、もう全くの専業主婦ぐらいでないと、3号被保険者になれない仕組みを数年で作っていくのが本音のようです。

 しかも、こんな負担増なのに、こちらは政党同士のしのぎ合いもなく、スルッと来年通常国会で決まりそうです。
 将来の年金が増えるから、長い目で見ればいいことではないかという方がいます、確かに92歳以上長生きすれば、理論上は払った保険料の元が取れ得をします。しかし相当長生きしても増える金額も期間もしれています。月8000円払うとして自分で積み立て運用したら、永遠にその差は埋まらないという専門家もいます。
 貰える厚生年金が少しだが増えると、そこを強調して、正攻法で国民にわかりやすく説明するならまだしもです。
 難しいのを盾にして、他の壁の報道に混ぜて、目くらましをして、強引に厚労省独走で、政治家も国民も無視して進めるとは何たる卑劣さかと思います。

 実際に、年金が増えて得をする人が少なく、長く待ってもあまりにも金額も少ないケースが多い割に、今現在の手取りは増える、悪法、あくどい制度もいいところです。

 まだ段階的な導入年など細部は決まったわけではないですが、早く反対のムーブメントを起こさないと大変なことになります。

日本が戦ってくれて感謝しています (井上和彦)

 12月8日は日米開戦の日でした。
 冬の寒い日に戦争が始まり、暑い夏の終局を迎えたのです。
 戦争に対して語るとか、記録を残そうというと、どうも右と左、保守とリベラルで大きく価値観も変わり対立するようです。もうかなりのお年寄りだけが、小さい頃戦争を経験した世代です。それ以外の人は、伝聞、教育で戦争を教え込まれています。

 ずっと、その価値観の中で、教師がいて、教育を受け、本を読み、資料を見ていると、どうしてもバイアスのかかった見方を信じきってしまうようです。

 私は一つの本について、書評を含め、必ず左右の見方を確認して両側からの見え方を確認します。

「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」
 この本は保守的な方の書かれたもので、いわゆる日本がアジアに対して植民地支配をしかけ侵略戦争を仕掛けたという自虐史観を否定する内容です。
 フィリピン、インド、台湾、パラオ、ミャンマー、マレーシア、多くの国が欧米諸国から支配され、削除されていた状況から解放、独立して、日本には感謝こそすれ、侵略された意識などないということです。

 私は戦争に至った経緯、国民の多くを犠牲にしてしまった帝国主義がなかったとは言いませんが、多くのアジアの国を解放したことは事実で、この点は左翼の自虐観を全否定します。

 そして、当時は蒋介石率いる国民政府軍と戦いが始まったのが、日米開戦以前の日中戦争であり、朝鮮の併合はさらに前にさかのぼります、中国、韓国には若い世代になっても、反日の歴史が伝わっています。
 しかし、毛沢東語録にも「何も申し訳なく思うことはない。日本は中国に大きな利益をもたらした。日本軍国主義なくして、中国共産党が権力を奪取することはなかった」と日本の政治家に語ったことが記されています、

 その他のアジアの国も、黄色アジア人種が、欧米に対して、各国の奴隷的立場から解放し、近代化の道筋を使ったのが日本だという評価は間違いないのです。

 多くのアジア人は、直接の日本とのかかわり以上に、アジア人が欧米とよく戦ったことに、勇気づけられ、またその後解放、独立につながったことに感謝しているのです。
 中国や韓国は、確かにそこまで感謝されない背景もあるのも分かります。しかし、南京大虐殺にしても、あり得ないほど、日本人が、侵略、略奪をするとはあまりにも誇張、捏造が妄想的過ぎます。

 戦後の一時期、非武装中立、軍隊不保持がもてはやされ、多くの文化人、ジャーナリストも軍隊非保持、非武装中立がお題目になり、「戦争反対」「憲法9条を守る」「自虐」が当たり前の理念になり。自虐からの戦争忌避の考えが浸透しました。「軍隊はいらない、いざ敵国が攻めてきたら、命懸けで家族や国家を護る」という考えを真剣に披露している人もいました。

 もちろん、私以下の世代が知りもしない。焼け跡の闇市を経験している、戦後焼け野原で食うや食わずに生き抜いて、多くの「敵」も見て戦争の辛さ、奪われた者、失った家族との苦い体験をしてきた人です。戦争の問題からは、だからこそただ反対というのは逃げていることにも思えます。

 ならず者のような国家があるのは、否定できません。国家間の戦争でなくても、国境を超えて恐ろしい敵が略奪に来るときがあります。非武装中立だけでは、さすがにならず者は抑えられないのです。国家には、国を護る人、組織は必要です。

 東京裁判の理不尽で、日本が自力で戦争をする力を与えられなかった。その部分をさらに広げて、アジア全体に侵略を企図ぢたというのはいくら何でも否定しないといけなのです。最初は日本も組織や国民のため、戦争を始めました。決して略奪のためではなかったのでした。
 南京での虐殺が大虐殺というまでのスケールか、全く無かったかは分かりませんが、両極端ではなさそうです。大虐殺で何万人というのはあり得ません、日本の長崎、広島の原爆、東京大空襲や沖縄戦は盛っていなくて、何十万人と亡くなっています、事実と、推測は分けて考えるリテラシーが必要です。私は保守でも右翼でもないですが、左翼自虐バイアスにかかった人が使う日本が行った「侵略戦争」というのは少なくとも間違いだと思います、

 この本だって、都合の良い証言を集めて、盛っているところはもちろんあるでしょうが、全部を否定できるものではありません。沢山取材もされています。

 日本はアジアの少なくとも何割かの国の人に感謝されていたのです。