生活保護の課題

 ミステリとしての出来としては、原作も映画も私はちょっと引っかかります。

 しかし、まあ社会問題としての生活保護をよく取り上げています。

 高級外車を乗り回す強面のいかにも不正受給者に対して、正義感あふれる女性職員が物怖じせずに糾弾します。

 本来、受給する資格の無いものが、不正に受け取り、本当に餓死寸前で、最低限の文化的生活が送れないものを、しっかり精査できるほど、自治体に予算も人員もありません。これは今の日本の大きな問題です。

 生活保護や破産手続きの言葉の印象が悪ければ、苦しくても、家族などの手前申請できなくて破滅する人も多いでしょう。

 こういう底辺の問題にスポットを当てた作品としては意義があり、有名俳優が好演技で賞まで取り興行的にもそこそこヒットして注目されたことも結果的にはとても良かったです。

 ただミステリ的に不満な点は以下、ネタバレになってしまいます。

[ネタバレ注意]冒頭、役所の生活保護担当職員が拘束され餓死して発見されるという怪事件から始まります。魅力的なミステリらしい謎です。

 最後に明かされる犯人役の俳優も狂気じみた演技が素晴らしく、助演賞などの評価も分かります。

 その演技により、カバーはされていますが、魅力的な冒頭の謎から、やはり意外な犯人を探す中山七里ミステリの様相にやはり少し無理があります。

 これは松本清張の砂の器、森村誠一の人間の証明などでもそうですが、(背景、動機なとは違います)出自とか貧しい時代から、せっかく努力して社会的地位を掴んだ(相当苦労して)人が、そんなに簡単に人殺しをするのはおかしいという、私の個人的な感性です。

 苦労をしているから、その地位を手放したくないという動機(砂の器、人間の証明)も、苦労してきたが、許せないものは決して許さないという本作品も、どうも殺人という手段を選ぶのは、少し考えれば得策ではないのです。

 警察はもちろん、小説の読者や映画を観ているものをも欺く意外な犯人の緻密な犯罪ですから、当然衝動ではなく計画的です。それ故、同情の余地は少なく、余韻は悪くなります。

 社会問題を扱う難しさですが、殺人等に走る前にもっとやれる手段はあったと感じてしまいます。

 

 京都市の区役所で生活保護の担当をしていますが、医療扶助などもありがたい制度であり、逆に健康保険負担の課税世帯から見てうらやましいくらいです。

 しかし、うらやましいから不正受給をしている一部の情報をあげつらうのではなく、本来の生活水準には一体どのくらいのお金が要るのかまず考えるべきです。

 そこから孤独で支援する家族もいない人は本来国が年金を増やすべきですが生活保護も今は選択の一つです。

 この問題も奥深いところで、年金生活でも格差は大きく、社会のひずみは大きいのです。浪費はしなくても生活保護や破産のケースは多くあります。

 こんな底辺の問題は選挙の票にもならないし、経済の底上げにもならないかもしれませんが、そこをきっちり考えやっていくのは政治、行政の義務です。

 

介護保険上がり、働いても、実質年金は増えない

10月の年金明細天引きを見てからがっかりでした。年金自体は増えているはずが、天引きで減っているのです。

実際、65歳以降働いても年金は微々たる増額で、その分税金やら公的保険料が増えれば、実質減額です。

手取りを在職老齢年金を超えるまで働けば、年金は減ります。この額は返ってきません。所得が無くなると、その翌々年には税金や保険料は安くなりますが、だいぶ先のことです。全般に高齢者なので、その恩恵を受けることのない人もいるでしょう。

もう一つは、とにかく年金額も天引き後の振り込み額も、計算が煩雑過ぎて来てみないとわからない点です。

わざと難しくしてるのだろうと勘ぐられますが、私も含めて前もって計算するのは無理でしょう。私ですら、来たものの計算根拠は検算できても、先々ライフプランを見越す細かい計算まではできません、

税制はじめ、健康保険、介護保険、年金、社会保険料など、今も政争の具となっていますが、国民もたくさん取り立てられ稼いでも手取りが増えず怒りが爆発しているわけです。
しかし、政治の争いは一体どう決着するのか、結局時限的とか妥協の産物になると、仕組みが複雑になり過ぎます。

ここまでに所得を抑えるとか、いつまでに申請すると給付されるとか、いつの間は料金が安いなどとするのは、結局不公平と、複雑さを産むのです。

税金や年金、健康保険料の計算って、それぞれ控除額も違ったり、何でこんな迷宮にしてしまったのか、本当に簡素な原則が守られていないのが残念です。

書評:ホラーランク1位 上條一輝「深淵のテレパス」

 ホラーのランキングもミステリと同じく毎年出て、新しい作家も、読み応えある作品も次々と出ています。

 ホラーはミステリには近いものから、オカルトやサイコ、伝承、妖怪もの、さらに幅広くさまざまなジャンルに枝分かれしています。

 私は残虐な描写のスプラッシュスティックはやや苦手で、ロジックなミステリに近いものが好きです。

 そんなホラー度まあまあでミステリ度の高い作家を発掘しました。

 ホラーの年間最高の人気作品ということで初読みの作家さんでしたが、掛け値無しに面白く、サクサク読めました。

 怪異の弊害の依頼を受けた事務所が、あれこれ探索せずまず物理的に止めるアイデアも面白い。ゴーストバスターズ的チームのテンポの良い活躍ぶりと、本格ミステリ顔負けにロジックで、妖かしの仕業の部分と、人間の悪行を見事に解いて行きます。

 続編の「ポルターガイストの囚人」も思わず入手してしまいました。こちらもシリーズ的に楽しめます。

 秋の夜長を楽しめる、ホラーの中でも、スカッとする作品群です。

転売、ネットオークション、金券ショップはしょせんダフ屋代替

マクドナルドのハッピーセットがおまけのカード目的で転売用に大量に買われ、セットは売り切れの上、多くの消費者や関係者に迷惑が掛かった案件です。
食べられずに、大量に捨てられたら大変なブランド棄損でもあり、環境やSDGsからも大きな問題です。
私の子供時代にも、特撮ヒーローのカードがついたスナック菓子を子供たちがカード目的で買い、菓子は食べずに捨てるという事件がありました。
今の問題は大量に、しかも転売で儲けるのが目的の外国人などの大人、転バイヤーと言われる人種です。
有名アーティストのライブなど、手に入りにくい各種チケットもプロに抑えられて、高額でやり取りされたり、金券ショップの店頭に法外な値段で並ぶこともあります。
これらは、マックの件もそうですが、悪質な組織的なものです。しかし、塗人数制限を設け、譲渡や売買を監視するしかありません。
昔は、プロの野球や有名な公演やイベント会場には必ず、現代なら反社に分類されるダフ屋と言われるひとたちが、たくさんいました。
余っているチケットがあれば買うと叫び、まだチケットを買ってない人がいたら窓口で並ぶ前に絡んできて、売りつけてきます。

いい席をダフ屋が抑えて高く売りつけたり、前売りや招待を窓口より安く売る場合もありました。この機能を今は金券ショップとオークションサイトがになっているわけです。
マックのハッピーセットなどは、販売数量の制限や、子供連れの店頭販売で、目視した子供の人数に限るなど、制限をかけることは、売上は下がってもできるはずです。
メーカーに勤めていた経験ではそんな販促では、ブランド価値が落ち、やがて商品が売れなくなる悪循環になり、ますます利益を失うのです。
そっちは自業自得として、転売ヤーを防ぐのにはどうするべきなのでしょう。金券ショップやオークションサイトも、それだけでは違法ではありません。クレジットのショッピング枠限度まで、ギフトカードやJR回数券を買いこんで、破産に落ち込んだりする、悪質金融からの指示で出回ってるチケットが並んでも商売は違法ではないのです。

ここまで書く私は、旅行好き、鉄道好きですが、金券ショップでは基本チケットは買いません。あくまでJRや旅行代理店で、企画切符や株主優待などは公私しても正規の値段で買います。JRや私鉄大手は最近はネットでの販売で割引企画もありそれらを利用するだけです。
鉄道ファンの中には、不正乗車もする「くず鉄」と呼ばれる人種もいて、この間も万博まで不正乗車で、万引きまでして捕まっていました。
しかし、鉄道好きなら、本来鉄道会社が潤うことが、嬉しいはずで。元が取れなくても、ローカル線の乗り放題の切符などを買って支援につなげたいわけです。
アイドルやアーチスト、アスリートなどの「推し」もそうです。チケット入手の難易度はありますが、本来はその人たちが正規の購入をして、所属する会社などが儲かることが推しの姿勢のはずです。
私は昔、人気のないパ・リーグの野球場へ行き推しの不人気球団のため、高くても正規窓口でチケットを買いました。
青春18切符も昨年改正されたルールは、期間を分けて乗ることはできなくなり、連続使用なので、余りがでてもその連続日に消化しないといけないので、転売は難しくなりました。1枚、2枚の残りを別の人が使用可能な日にちで買えるのは難しくそもそも店頭の並ぶことも珍しくなりました。
転売防止にはいいルールだと思います。
使いにくくなった、金券ショップで買えなくなった、余りを売れなくなったとい「改悪」が良く嘆かれますが、少なくとも困ってもいないのに、非正規ルートを利用して安くあげるのは、ちょっと違っていたのだあと思います。
元々が企画ものの激安切符です、個人の友達に売るならまだしも、転売するとか、最初から非正規ルートで1円でも安く買うのは、王道?正道から外れたものです。
金券ショップで真面目に働き、経営している人もいるかもしれませんが、私はあくまで正規ルートで売り買いすること以外は、基本的に認めないものです。もしやり取りするなら、しっかりとルールを決めて、管理をして、市場を守るべきですし、一般の方も少し安いだけで、非正規を利用するのは止めにすべきです。

高校野球 出場停止の基準は明確にすれば

甲子園の夏の全国高校野球大会は沖縄尚学の優勝で幕を閉じました。広陵高校の不祥事からの辞退問題などでネットが荒れ、閉会の会長の話にもこの事態の反省や自戒と対応が異例の時間を割いて語られました。
沖縄は、街から人が消えるほどの盛り上がりで、まだまだ地元での甲子園人気のすさまじさを改めて感じます。
高野連だとか野球界の体制批判もしてきましたが、スポーツ観戦と地元応援が何よりの庶民の娯楽であり、発散なのだとも思います。
その上で、やはりまっとうな大会運営、健全なスポーツ大会への改革を進めるべき時期には来ています。
DH制の導入というのも決まり、私立の有力校が有利になると話題になりましたが、そもそもがもう有力校が選手を集め、指導者にも施設にも恵まれ、応援体制も充実して強いのが当たり前の時代です。
一発勝負で負ければ敗退のトーナメントであり、総合力が優れたチームが必ず勝ち続けるわけではない面白さもあります。そこにはドラマも生まれるし、理不尽もあります。しかし、許せる理不尽と許せない悪質なものと、それを生む土壌は変えないといけないでしょう。
最低限、規律として、不祥事に対しては、どうのような基準で罰則とするのか、いわゆる連帯責任で対外試合停止、出場辞退になるのは、どういうケースかをルールとして決めておかないと、今回のような執拗なネット暴力がはびこります、
刑事事件などのこれこれの案件はチームの出場停止、これこれの程度なら戒告とか明確にしておけば、それ以上に罰を求めるネットの声はヘイトと同じで抑えて削除などの対応もできます。
昔、私は見た学生演劇で、高校野球の青春もののパロディで、甲子園目指す球児が、在校生の「自転車の夜間無灯火」で出場停止になり愕然としたり、次々と泣き崩れる場面がありました。
そんな本来、泣きたいけど笑えるような矛盾だらけの、その場その場での処分では、青春をかけた生徒たちはやってられません。
現代はネットやAIによって、ルールが甘いととことんその隙をついたり、抜け穴で徹底的に悪用される時代です。
全てにあったルールをがっちり決めるのも大変ですが、悪質なものには法の精神をあてはめ、厳しく対処して悪習を断つことこそ、高野連はじめ関係者に求められます。
毎年、春と夏の年中行事のようにそれなり注目される高校野球ですが、せめて、中身も爽やかにちょっと変わっていって欲しいものです。

スポーツは教育でも軍隊でも、金儲けでもない – 天使の星座

被爆者=反核、戦争反対=左翼ではない

戦後80年の節目ということで、戦争を深く考える特集が組まれ、一方保守側も昨今の参政党の躍進など日本人ファーストなど愛国心を訴え、自虐史的な戦争を否定しています。
保守の中には、核を持ってもいい、軍隊を持たないと侵略を受けるのではないかと、心配している人もいます。それも、間違いではないと思い書くのです。核保有に反対している人も、アメリカとの同盟があるからいざとなったら助けてもらえると思っている淡い期待の依存心があります。
しかし、関税交渉を見ていて、アメリカの軍隊が、日本が攻撃されて、即座におっとり刀で駆けつけるとは、普通に考えて思えないでしょう。
まして、竹島も占拠されても、尖閣に何かあり、台湾で有事となっても、丸腰では何も言い返せないです。憲法9条で、軍隊を持てない国だから、日本にはどこも攻めてこないと、真剣に信じている人はどのくらいいるのでしょうか。
核兵器も開発にも保有にも、お金がかかり、技術が要ります。原子力発電と繋がるものも多いです。しかし、原発も反対の勢力が多く、イメージが悪く、原子力のこれからの発展のための、理系の優れた人材が集まらないそうです。
核融合技術など、これからの日本を支える科学分野で、世界から取り残されることは、ますます日本の得意だった経済、ひいては国力全体を弱めます。

戦争の悲惨さ、核の脅威、原爆の被害は伝えないといけないことです。だからこそ、怖い、恐ろしいだけではなく、平和を紡ぎ、国を護るため、国を発展するためには何が必要か、もっと普通に議論すべきなのです。
本の紹介はしていませんが、理系の著者で、保守に分類されますが、感情や情緒で戦争反対、反核と思いこんでいる人も一読の価値ありです。国立大学などの法学や経済学を学んだ優秀な文系の人はどうも論理的なようで、結局情緒的なふわっとしたリベラルに陥りがちな印象があります。

書評:森博嗣「日常のフローチャート」クールな頭脳は魅力だが

ミステリ作家はほぼリタイアされ、印税だけでも悠々自適でしょうが、その飄々とクールな思考には、いつも唸らせられます。
確かに、頭も良く成功した人だからの余裕から、優雅に、子供のような庭園鉄道などにハマり、田舎でまったり暮らせるのでしょう。

私も影響を受けた面が多いですが、田舎に住んでここまで孤独でもいい境地にはなれないですし、いろいろ割りきるここともできません。
しかし、愚民政治や劇場政治で世の中に不幸な価値観が広がるのを、もう少し彼のようなクールな頭で、リテラシーを持てれば、随分現状の閉塞を打破できるのでしょうが。
森博嗣さん的には、作家として研究者として、成功していなくても、大して変わらずに、生きていったでしょう。もしそうだと、これらのエッセイでこういう生き方が世に伝わらなかったと考えると、この本を読める私たちは幸せです。彼の成功によるものでむしろその運命は妬むどころか感謝すべきです。
私の兄の世代で、体力がアラ古希で年齢とともに落ちてきたことも、本当にさらりと、良く理解されています。健康雑誌や医学誌を何冊も読まなくても、自分の動作への観察が半端でないのでしょう。
そして、私も含めたいわゆる凡人、愚民がやりがちな、見栄や妙なこだわりや、他人への協調の習慣が、時間やお金を浪費することの多いことが良く分かります。無理をしたり、ウケを狙った逆張りではなく、ほんわかとしているところが、成田悠輔なんかと違うところです。
先輩や兄の世代の著名人が、高齢になっていくのもつくずく寂しくは感じますが、少しオジン臭くもなりながらも、いつまでも飄々としていて欲しいです。

書評:島田荘司「伊根の龍神」ミステリ大御所の冒険噺?

ミステリ界の重鎮、新本格の創始者である島田荘司もすっかり老いて、古希を迎えられ、元々それほど量産型の人ではなく、年一ぐらいに分厚い長編力作を出していたイメージではありますが、このところすっかり間隔は開いて、ランキングも圏外が多く、これは3年ぶりぐらいの、御手洗シリーズの長編です。
時代が違うとか、時間の経過が異様に遅いキャラミスなどのシリーズが多い中、御手洗ものは、ほぼ現実に近い時間と同時進行、リアルタイムで語り手と探偵たちが年齢を重ねているようです。
ワトソン役の石岡氏が、出ずっぱりの冒険噺ですが、70歳設定になり、かつては恋愛対象か微妙な女性にどぎまぎするとかありました。今回も若い女性に事件に引っ張り込まれますが、恋愛や親子どころか、孫のような年齢差が痛々しく描かれます。リアル進行の時間だと、かつて若かった女性キャラも40歳や50過ぎとかになってしまいます。このあたり忠実なのは、好感です。いつまでも老けない設定のため、同年齢時に事件が頻発すると、一度小学生に戻ってもとうに、成人してそうなコナンみたいになってしまいます。

肝心の御手洗探偵は最後に出ますが、こちらはそう年齢を感じさせない、快刀乱麻ですが、もうトリックというよりは政治・社会問題的な方を描きたかったのでしょう。
冒頭から石岡氏の70年代学生運動の回想なども、長い年月をしみじみ感じさせます。

【ネタバレ】
謎に関しては読んでいると想像がつき、考え及ばないのは石岡氏だけじゃないかと少しイラつくぐらいのわかりやすい謎です。しかも、龍神という怪物の正体も初期の別シリーズや最近の上下巻の長編とかぶります。
視点と時代が彼方にいくのは増山実という放送作家の書いた「勇者たちへの伝言 いつの日か来た道」を思い出しました。こちらはプロ野球のオールドファン向けのファンタジーかと思うと、この問題を取り上げていて、すっかり騙されました。

あの国の方の拉致や工作員を問題にすると、スパイ的になり、ミステリも重い社会派的なものになりどうしても後味は良くないのです。
そこを「伊根の龍神」は、いいところをかっさらう狙撃の達人と、御手洗と石岡の高齢コンビの掛け合いの軽快さで最後をうまく終えています。
そろそろ、絶筆、最後の事件になるかとも心配します。ミステリとしてのトリックはほぼなく、立ち上がる龍神や、飛ばされた自動車の物理的な謎説きと、叙述面の仕掛けぐらいです。

 

物価高と嘆かずに乗り切ろう

所得が少ない、物価が高いと嘆かず、工夫をするなり、浪費の習慣を断ち、吝嗇である程度は乗り切ることはできます。

大騒ぎで、経済や政治も問題にもなった米の値上がりにしろ少し落ち着いた感じです。これから7年産の新米が出てきて、店頭には米が種類も増え潤沢になり、相対的には、もう少し下がると思います。

確かに、燃料や人件費、配送代やら原料費も上がり、これからも食品の各品目は上がります。贅沢はしていないつもりでも、NB(ナショナルブランド)とか、国産品、産地などに拘るとかなり高い買い物になります。
コメの例でいうとブランド米は2年前ぐらいと比べると2倍ぐらいになります。そこをベースにすると、食費がほぼ2倍かけられる人でないと、ブランドの新米は食べられないことになります。
でも外食でさえ、よほど高級店でコメをウリにしてるところでないと、それほど良いコメを使っていません。カレーやチャーハンなどで調理したり、ふりかけやお茶漬けなどで味付ける機会をあれば、ほぼ家庭でも古古米でもカリフォルニア米でも分からないレベルです。

外食にしろ、スーパーやコンビニの総菜にしろ、ちょっと家で手を加えれば本来安くできるものが、利益を乗せて高く売られています。
ラーメンだと、生めん、袋めん、カップ麺の順に高くなり、添加物も増えます。価格は手間賃で、物臭なひとの贅沢なのです。
アイデアとして、「甘栗をむいた」「パンに何かを塗ってはさんだ」「ビールにトマトジュースを混ぜた」「アイスにオレオを混ぜた」という簡単な、家でもできることが、商品の値段を跳ね上げています。

時計や化粧品、ファッション、スニーカーやバッグなどブランド品にいたっては、ほぼ同じ品質、機能でマークが違うだけで、大きな差です。
見栄を張らず、マニアックに拘らなければ支出を抑えられます。友達などがそれを見せびらかすなら、そこは任せておけばよいことです。

 

戦後80年、女性の権利は増えたが、

 サラ・パーシー「女性戦士の歴史」
 戦後80年で、今年は戦時下の悲劇などがドラマやノンフィクションで掘り返されると思います。定番的には、徴兵され招集されていく夫の兵士と、それを見送り家を守る妻が描かれ、戦場で苦闘し命の危険にさらされる夫と、委細はわからずただ待つだけで家を守る妻がおり、やがて戦死か復員かの結末です。
 昔男女差別で問題になったCMではないですが、『私、家を守る人、僕、兵隊になって戦う人」と、男女の役割は明確だったのです。

 ところが世界の趨勢は今や、男性だけが戦う時代ではないのです。戦争は男性のものなんて言うと、大変な男尊女卑、差別発言となるかもしれません。

 ふと目に留まったこの本。
 帯やレビューには
 元始、女は戦った!圧政からの解放、独立、革命のために立ちあがった!伝説の英雄から無名兵士まで、その闘いと数奇な運命を描く。時代の波に翻弄された女性の戦闘方法と処遇の変容を描く。
 その煽りだと、ジャンヌダルクとかの時代やアマゾネスがもう少し描かれるのか
と思いましたが、大戦時のソ連など、近現代の戦争からの女性の兵士に関しての形成や、現代の戦争での状況が書かれている部分が予想より多かったです。
 『同志少女よ、敵を撃て』旧ソ連を舞台に女性戦闘員を描いた日本の小説家逢坂冬馬の本屋大賞を受賞した小説がありました。
 どうしても、女性の人権が守られるかの問題に注目が集まりがちです。
 女性戦士というと、日本では有名なアニメをはじめ、少しエッチ系の特撮をイメージされる方も多いでしょうし、そっち系のAVなども不謹慎ですが多く企画モノで出ています。

 現代は男女共同参画、男女雇用機会均等と言われ、もはや共産系も自由主義諸国でも、女性だから軍隊に入れないとか、兵士になれないとは言えません。では徴兵はどうなるかというと、だんだんそれも女性を分かるロジックがなくなってきています。射撃や武道にも長けた『同志・・』の主人公のような優秀な女性が戦術的にも有効となると、部隊としてもある程度の女性兵の人数が招集してでも必要になります。

 女性の戦い方、働き方を書いたり、発言したりすると、どうしても差別と言われそうです。兵隊に限らず、昔は男性だけが働き、家を女性が守り支えていた。多くの勤め人家庭のパターンが今は崩れています。
 女性が男性同様に働くのを制限するような発言をすると攻撃され、炎上するのが当たり前ですが、本当の女性に幸せからすると、戦地に送り込まれるかもしれないほど平等にされない方が良いのではないかと思います。

 極論だと言われますが、勤めに出るというのは結局多くの敵と戦うことと昔は言われました。専業主婦の方は、また家を守ることに特化し、専門性を高め、効率を極めて、男性が働き稼ぎそれを癒すことで貢献し、他人に預けず子供を育てることにも細心の注意を払って、繁栄をもたらしていました。
 こういった考えを、今の人権主義者は古いとか、差別とか、保守だと言わしめること自体が、言論の自由を弾圧していて問題です。少なくとも、女性の社会進出、平等を求める意見の対として、女性は家にいて、家庭を守っていてくれた方がいいよという両論が自由に発言できていいはずです。

 そういう権利を求めて煙たい女性が多く、少し保守の発言を聞くと傷付いたとか騒ぐようです。
 私が知る限り、子供が小さいのに働きに行くのがイヤ、保育園に預けるのもイヤという女性は多く、育休の制度なども、収入やキャリアの問題だけでなく、社会が無理やり働かしている空気を作って、苦しんでいる女性の方がずっと多いと感じます。
 国が女性の管理職、経営者が少ないとか、数値で目標など意味にないことです。働きたい人は男性でも女性でも平等にチャンスを与えたらいいだけです。