わざわざお金をかける旅はムダ?

 旅というのは時間と体力と、お金を浪費し、節約した貧乏旅でも贅沢と言えば贅沢なもの、ムダと言えばムダです。

 今や、書物はもちろんリアルは映像で世界中の街を知ることができます。

 大金をかけ、時間と体力をかけて、行ったことがない場所だから実際に見てみたいと思って行ってもガッカリする場合もあります。

 目的にもよりますが、季節や天候が悪かったり、交通機関や宿泊施設のトラブル、自身の体調や同行者の具合によっても、思っていた楽しい旅にはならない場合もあります。

 旅番組やネットなどの情報を信じて行くと、天候が悪いならあきらめはつくものの、もう廃止や休業の場合があったりしますし、ドローンを駆使したり、タクシー移動や膨大な待ち時間を使わないとそんな光景や体験ができない場合もあります。

 それでも現地に行くと安心し、満足してしまい、お土産を買いインスタに上げ、◯◯に行ったと自慢したがるものです。

 別に知り合いが行った自慢を見なくても、他にもっとプロが撮った美しい画像はあるのです。

 ましてや、天候が悪いとかイベントでもないとなるなと、そんなに自慢のものでもありません。

 歴史や文化、映像を見るなら実は旅行しなくても、十分です。

 逆にその土地の文化、風俗、歴史、気候などを本当に知るなら1〜2年住むぐらいでないとわからないものです。日本国内ですが、北日本から中四国まで転勤であちこち住んだ私だ

からわかることです。

 あえて今さらそれができない場合は、同じ旅先に季節やイベントを狙って何度も行くことです。旅の醍醐味はむしろそこかもしれないと思います。

 初乗りや廃線好きの乗り鉄であり、旅大好きの私があえている旅の持論です。

 旅に対する考えも人それぞれですから、旅の目的、ツアーが好きな人や一人旅が好きな人もいて感性が違うのはしかたないところでしょう。

 私は鉄道そのものと、最近は産業遺産にハマってますが、城とか歴史が好きな人とかが、そこに行ってみたいというのは、その目的がはっきりしてるとスッキリします。

 私はあまりプライオリティは高くないのですが、グルメや温泉目的という人も、リアルでないと味わえないのは分かります。まあ、東京や大阪ではたいていのグルメは味わえて、お土産はネットで取寄はかなりできる時代ではあります。

 まあ、やはり旅は気分転換の時間とお金の贅沢な使い道で、旅に行かずにできることは行かずに済ますことです。

 

憧れを壊すな

 昨日、昭和歌謡の話を書き、今昔の紅白歌合戦の比較にも触れました。

 昨年度は昭和のスポーツ界で活躍された、長嶋茂雄、釜本邦茂、尾崎将司と巨星が堕ちました。それに比べ、まあ音楽界は昭和から平成の大物歌手がそれなり残ってはいて、紅白歌合戦にレジェンドで出たり、マイナーな番組や営業をされてたり、発掘映像で見つかったりもします。

 しかし、まあ、ヒーローやアイドルが亡くなるのも寂しいですが、老いて、衰えた姿というのも、私はあまり見たくありません。

 若い頃から美人女優だったのが、すっかり老け役というのも憧れていた者からは寂しいです。吉永小百合さんのようにニノ線?美貌をいつまでも崩さない人もいれば、誰これと言う人もいます。

 昭和の特撮ヒーロー物も好きでこの頃リメイクされ、ウルトラマンや仮面ライダーの初代の俳優さんが存命なのは嬉しいですが、嬉々と出演されるのはちょっと引きます。

 たまに発掘されますが、引退後一切顔を出されない山口百恵さんなどは立派だと思います。

 ベテランでも支援する人や応援するファンなどしがらみもあるのでしょうし、年齢を重ねた役もあるし、ビジネスとしてはしかたないとは思います。

 ただ、歌手の場合は、元々元気な頃の音源はあるので、今さらナマで出て老醜とまで言うと失礼ですが、衰えをファンに見せるのはいかがなものかと思います。

 アスリート同様、鍛錬して衰えが隠せなければ、出られない、ファンも、思い出を大切にできて、憧れを裏切らないからです。

 中森明菜さんも、ディナーショーなどで少し活動は再開されてるようですが、強烈な激しいボイスはもはや望めないようで、毎年噂される紅白歌合戦のナマ出演はやはり無理な年齢でしょう。

 その点では、昨日書いた紅白歌合戦の70歳代の歌手たちプラス還暦超えて、すっかり声が衰えた人たちも、高い受信料からギャラをせしめてるのですから、「もう少しがんばりましょう」の人が多すぎです。

 長嶋茂雄さんも晩年はずっと車椅子だったので、亡くなられても若い人にはそれほどの大ニュースではありませんでした。

 長嶋茂雄にファンが求めたのは、現役時代の華麗な動きであり、中森明菜は10代から20代の不良っぽく、薄幸な悪女の力つ叫び声であり、還暦過ぎた明菜は見たくないのです。

 誰にも老いは来るのですが、それだけに、若い頃の憧れを壊してもらいたくないものです。  

昭和歌謡の時代があった

昭和歌謡の時代があった

 昨年末の紅白歌合戦には矢沢永吉さんや布施明さん堺正章さんら70歳以上のレジェンド歌手が7人も出演、その他にも還暦過ぎの歌手がスペシャルなどで活躍し、卒業して経年劣化のアイドルグループも出戻り、一部ではナツメロ大会と言われました。

 1980年代頃、フォークソングがニューミュージックとなり、その後JPOPなんて言われたのですが、音楽的にはもうそれほど変化なく、今の若い人がカバーしても新曲と変わらない70歳ぐらいの歌手の若い頃の歌が感覚的に変わらず受け入れられていたようです。

 昭和40年後半なら50年頃にかけては、紅白歌合戦の視聴率や占拠率は凄まじく、その前の時間にあったレコード大賞も大変な人気でした。

 日本レコード大賞を独占するTBS以外の民放はその次に権威のあった歌謡大賞を持ち回り、独自の賞も設定していました。年末は賞が目白押し、普段も毎日のように歌謡番組がありました。今とは少し音楽的には曲も歌詞もレトロな感じの時代です。夜のヒットスタジオやその後のザ・ベストテン等も今では考えられないほどの人気歌番組でした。

 当時は、若いアイドル歌手も歌謡曲のジャンルに入る人が多くいましたし、演歌やムード歌謡等の中堅からベテランの歌手もたくさんいました。

 昭和42年とか45年の紅白歌合戦のリストを見て年齢計算すると、子供時代に見ていた歌手が意外に若いのに驚きます。今の紅白歌合戦のような60歳や70歳なんて人はいません。

 これは社会全体の傾向、高齢化なんでしょうか。

 昭和42年の紅白歌合戦、司会は白組宮田輝アナウンサー、紅組歌手の佐良直美、総合司会山川静男アナウンサーでした。

 応援団長に堺正章、水前寺清子といますが、司会のタレントは歌手の佐良直美さんだけでした。今は朝ドラの番宣のヒロインが入りタレントや俳優が司会が当たり前ですが、昔はアナウンサーでした。やはりプロの司会が前奏に重ねて滔々と流れるような口調で曲紹介をし、丁寧で手際の良い進行は、当時の歌謡曲に欠かせないものでした。

 歌謡曲の歌詞、演歌というジャンルも、社会そのものが今とはどこか違う感覚がありました。どこか知らない土地や、大人の水商売や裏の世界に引き摺り込まれるような感覚もあり、貧しさの中に温かさや、苦さが混じり、微妙なテイストの名曲も多いです。

 演歌は演じる歌や、怨みの歌か、艶の歌か、縁(えにし)の歌かとか滔々と紹介されていました。

 個人的に、優劣とか何もない好みですが、昭和42年日本レコード大賞を取った、ちあきなおみさんの「喝采」という曲は名曲だと思います。

 時代も風景も変わり、歌詞にある「止める貴方 駅に残し、動きはじめた汽車に、一人飛び乗った」というのは、現代ではあり得ない描写ですね。鉄道ファンでも苦笑しそうですが、列車が動き出してると、ドアは閉まっていて飛び乗ることは今の車両構造では無理です。とは言え情景や気持ちは分かりますね。

 今回の紅白歌合戦に79歳で特別出場された堺正章さんだと、私はこないだは歌われなかった曲ですが、昭和48年の「街の灯り」がしみじみとした名曲だと思います。当時もオイルショックなど不安な世相で、落ち着いた歌が求められ、この年のレコ大の作曲賞と、紅白歌合戦の楽曲に民放ドラマの挿入歌としては珍しく選ばれていました。

 良い楽曲は、時代を超えていつまでも心地よく響きます。本人たちはもう亡くなられたり、老いて表に出られなくても歌は残る、それもまた良いことです。

 

 

日本を知らな過ぎだと痛感

 只今勉強中。

 日本にも、まだまだ行ったことのない場所、知らなかった文化、歴史、遺産が多いことを痛感いたします。

 私な多分比較的全国を旅行や転勤で回っている方だと思いますが、まだまだあまり知らない県はあります。

 全く初耳もあれば、名前だけ何となくの場所も多くあるものです。

 通過しただけとか、仕事で取り引き先には行ったとか、乗り継ぎで駅には行ったが、肝心のその場所は行ってない、知らないとかもたくさんありますね。

 かつて日本にはたくさんの国や藩がありましたし、明治以降も近代日本を支えた忘れ去らがちな産業もありました。

 生命を削って、山を切り崩し、鉱山に入り、資源を運んだ道を作った先人がいたから現代の日本があるのです。

 飛行機や新幹線、高速道路で行き過ぎると、見落としてしまう地方の街中に、ひっそりと遺るものがまだまだあります。

 限られた一生の時間、世界中を旅するのも選択です。それでも日本の隣にある都道府県でさえ知らない町やそこの文化、遺産はいっぱいありますね。

 地理の勉強、旅行案内としても面白いです。

大晦日2025年雑感

 年末年始の休み期間に入り、今年は曜日の並びで一般的な公的機関や大企業も土日合わせて9連休という所が多いようです。仕事納めが12月28日が法令ので土日だと前倒しになる関係ですね。三が日の後が土日だとこれまた休みが続くのです。

 9連休がさほど騒がれないほど、当たり前のような年間休日数の時代になっているような気がします。9日あればすぐに帰省したり、旅行に行かなくても良いし、ギリギリまで居て帰省ラッシュにあうのも分散できそうです。

 仕事や業種によっては年末ギリギリまで働く、お正月も働くところもあり、お店は開いてますし、宅配も来ますから、皆さんお疲れ様で痛み入ります。

 若手から中堅社員だった時代は年末年始でそこまでの連休は無かった記憶です。5日から6日の休みで、結婚しても双方の実家を訪ねるだけで慌ただしかった思い出です。

 昔の仕事は、月末が売上計上や集金入金の〆の販売管理でしたから、そうそう早められない会社の事情もありました。

 現金の集金はさすがに時代の流れで無くなりました。

 直近最後の民間での仕事でも決算が12月で物流は31日着までデータは流れ、おまけに1月1日が最大の人事異動の発表もあり、やはり落ち着かない年末年始でした。

 年末休みに入った時に、売上達成の報告を電話で受けて、聞いてた家族にも喜ばれた時もありました。

 風情が無くなったとは言え、どんな仕事や家庭でもお正月はそれなり特別なものでした。

 キチンと掃除をして飾りをつけて年明けを待つ所もあり、買い出しに行く人で賑わいを見せる商店街には普段ない活気です。

 毎日営業のコンビニでさえ大掃除していました。

 町内でも照明カバーや、大きなガラス窓や窓枠を磨いたり乗用車を大掃除している人を見かけると何だか微笑ましく感じます。時代劇などで、昔話でよく餅代のためだけにはとか言われるのは、それだけ正月が大切なんだということでしょう。

 年々世知辛く正月らしさが減っていると言われればそうなんでしょうが、長くても短くても1年の計、〆と始まりを感じて、メリハリをつけるのは良いことです。

 最後な私事ですが、2025年今年1年もいろいろありました。一番痛いのは股関節痛でこれはつまらないけれどやはりトップニュースです。健康がいかに大切かを切実に感じました。

 仕事面でもまあ、この年でいろいろチャレンジできて、裁判所かは市役所に回って都市計画開発指導の仕事などをさせてもらいました。

 本当に1年前は予測していなかったことがあるから人生は面白いです。

 今年1年に感謝して、2026年に期待します。

 

万博の年

大阪で3度目の万博があった今年2025年ももう終わりです。

 大阪では1970年の吹田での日本万国博覧会、1990年鶴見緑地での国際花と緑の博覧会に続き、夢洲で大阪関西万博が開かれました。

 1970年の万博で小学生だった世代は、お金と時間ができて夢洲に何度も訪れた人もいますし、「今さら?万博」とスルーした人もいます。

 営業というか、動員的には目標達成、成功したのか、元々の目標設定が弱気で低かったのかもしれませんが、一応最低限の目標はクリアしたようです。

 国をあげて発展途上に近かった1970年のパワーとは比べられません。

 当時小学生だった世代が.若手社員のバブル期に迎えた1970年の、ワンテーマ博覧会花と緑の博覧会を少し上回る動員程度です。

 こういう風に書くから、私は関西万博アンチとお叱りを受けるのでしょうか。

 一応、モビリティの未来と、京都市絡みで関西のパビリオンは行きましたし、地下鉄は何度も乗りました。

 個人の好みで、結果オーライみたいに「可愛い」と言われてますが、私は一貫してキャラクターの「ミャクミャク」はキモいと思う派で、好きか嫌いかで言うと嫌いです。

 あれがもう少し可愛いと動員もグッズの売れ行きも増えたと思います。

 普通に考えて、人気のあるゆるキャラのような可愛さや、アニメ的なカッコよさなら、少なくとも推しが増えて、何倍かはグッズも売れもっと動員にも繋がつたでしょう。

 好みはあくまで個人の感想です。

 しかし、万博が後半から人気が出てきたように言われますが、バイアスのかかった錯覚です。格安の通期パスのリピーターも多かったようで、このあたりは初期段階での動員が弱気で自信が無かった感が伺えます。規模は70年ほどではないしろ、あれだけの大屋根リングはじめ多くのパビリオンを作ったので強気の設定で良かったのではと思います。

 関西の経済からいうと、やはり跡地のIRが早くできることです。関西らしい元気で活力ある施設を何とか早く作らないと、万博ロスが重くのしかかりそうです。

 怪しげな金の流れが黙認され、破産者も絶たないパチンコやスロットが認められてます。公営で競馬競輪、宝くじが大金使ってテレビCMしてるのに、今さらカジノ反対とかいう上っ面だけのキレイ事二枚舌は何とか黙っていていただきたい。カジノがギャンブル中毒に繋がると反対なら、身近で破産者も沢山産むパチンコや競輪競馬もやめされるように訴えるべきです。

 私は、IRリゾートも人が多いとイヤで.ギャンブルはからっきしなので、まあ静かな万博公園跡地が好きではありますが。

 千里の万博公園も、鶴見緑地も大阪近郊とは思えない広々としてゆったりした癒しのエリアです。関西が首都圏に比べると人が少ないのも分かります。このぐらいのゆとりがある方が良いです。

忘れられない冬至

 今日は冬至ですね。1年で日照時間が一番短い日です。

 晴れて暖かいと思って外を歩いていても、夕暮れが早く、日差しがなくなるとやはりこの季節の寒さです。

 1年の終わり、四季の殿(しんがり)が来たようで、押し詰まった感じがします。

 この季節となると、寒い地方にいた頃を思い出します。世紀は変わっていたので、昔というほどでもないと思っていたのですが、赴任からは20年以上経っているのでした。

 まだ寒さにも耐えられる若さがあった頃を思い出します。

 東北地方に住んていたこの時期には、もう雪が積もる日も多く、子供たちは雪遊びで喜び、大人は出勤や営業が大変、妻も洗濯や雪かきが大変でした。

 北国に旅行とかの短期ではなく、いざ住むとなると、やはり毎日続く寒さ、日本海側の日照の少なさは違いました。

 冬鳥を見たり、つららや樹氷など、そうそう見られない自然もあったのですか、やはり毎日は寒かったです。

 毎日を慣れない環境で過ごさせた家族、特に妻には本当に辛い思いをさせたと心底思います。

 彼の地で幼児から小学生の時代を過ごした子供らが成人したのですから、雪遊びしていた頃はやはり懐かしい情景です。

 

 

 

訃報や喪中便りに思う

 11月末あたりから、年賀状の断りのハガキがチラホラくる時期です。年賀状そのものが減ったとはいえ、ご丁寧な対応です。

 若い頃は友人からだと、祖父母のケースが多かったのですが、最近は父母の場合が増え配偶者というのもありました。

 そして、同世代の方が鬼籍に入られたということで、年賀状のリストから消すこともあります。

 1年を振り返って、著名人の訃報をまとめた特集などもあり、寂しく思うこともあるかもしれません。今年でもプロ野球の大スターだった長嶋茂雄さん始め多くの有名人が亡くなられています。

 同年齢の方が、今自身が患っている系統の病気などで亡くなられると、「次は自分か」などと思ってしまうようです。あるいは、その有名人が活躍した時代、自分も若く元気に満ちていたと戻らない時間に切ない感情にとらわれます。

 しかし、まあそんなことを寂しがってもしょうがないのです。有名人や知人といっても、過去であり、他人であり、今の自分ではありません。

 今直接一緒に利害があって何かをやっているわけではないでしょう。

 しょせん人間は今をこれからの未来に向けて歩むしかないのです。

 今はそのものも減った年賀状に子供や孫の写真を印刷する人がいます。人それぞれですが、子供のいない人の中には不快な印象の場合もあります。

 子供がいる、孫がいるというのは一つの属性かもしれませんが、その人本来のプロフィールではありません。

 本人が心身の状態がどうで、どういう考えを持ち、何をやっていて、次はこういうことをやりたいとかいうことが、本来伝えるべきプロフィールです。

 人間か過去にとらわれると未来の希望をなくします。

 過去を上手くまとめ、どんどん新しい経験を積み重ねて新しいことに取り組む方が良いのです。

 そう考えると、す人生の目的が見えるかもしれません。

 

鉄印帳、三セク地方鉄道を応援

 乗り鉄、ローカル鉄道と廃線探索好きですが、それほど几帳面な性格ではありません。

 撮り鉄とは程遠いカメラ技術ですし、切符などの収集を、スタンプ集めするほどマメな細かさも持ち合わせません。

 いろいろやりだすとゆっくり楽しめないこともあります。

 ローカル線の撮り鉄など、待ち時間も大変ですし、クルマなどでないといけない場所で長く待つのも、本来の鉄道好きとはちょっと違う気がします。

 あまり、鉄道のその情景というは、モノとして残りにくい、伝えにくいものというのもあります。

 ただ、大変遅ればせなからですが、全国の第3セクターの鉄印帳を始めました。

 お寺の朱印帳の鉄道駅版のようなものです。書き置きや印刷もありますが、本体を持っていてその駅までの切符を持ってないと書いて(売って)貰えないものです。

 対象のローカル鉄道の駅では、けっこう目的にされて先に待っている人にも出くわします。

 時間的には贅沢な趣味かもしれませんが、経営では相当厳しい元国鉄の赤字地方ローカル線転換がほとんどなので、協力してあげたいと思います。

 もっと、先にやっとけば、あそこであの時貰えたのにと思うところもありますが、それはそれで再訪する運命と思い頑張ります。

 

博覧会とともに進化した大阪メトロ

 今年は関西万博の年でした。万博を歴史も含めて書くと長くなりますので、主に鉄道に絡んだお話とします。

 1970年吹田千里で開催された日本で初めての万博、当時私は小学生でした。

 当時のメイン輸送は大阪地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線に直結した北大阪急行で、太陽の広場などメイン会場のすぐそば万国博中央口駅を結んでいました。御堂筋線は難波や梅田のターミナル、新幹線の新大阪にも接続していて、大量輸送に応えていました。

 この北大阪急行は千里に向かう途中から分岐する専用の臨時の支線で、なんと会期中限りの営業でした。

 32もの改札、券売機を備えた巨大駅がわすが1年足らずの設置だったのには驚きます。現在中国自動車道の施設になっています。

 短い期間で線路や駅は所有が原則ですが、土地を買うわけにいかずこの期間だけ、北大阪急行が道路公団に頼み込んで貸してもらったそうです。国家プロジェクトの凄さを感じるエピソードです。

 1970年の万博は目標をはるかに超える6400万人の動員は、今も破られない史上空前の記録で、日本中の人が大阪に来たような数字です。

 会期終了がせまった9月5日の土曜日には835832人もの入場があり、迷子や尋ね人が2000人以上、閉門時間にも帰れない人が17万人も出て、北大阪急行は付けを超えても深夜輸送をしましたが、ビジネスホテルすらない当時に難波や梅田に送られても結局夜をそこで過ごす人が数万人いたそうです。

 連合赤軍が太陽の塔の目の部分に立てこもる事件もあり、安保の年で中国との国交正常化はまだ2年後の時代。

 それに比べますと、時代が違うとはいえ55年後の今回の万博はトラブルにしろ、スケールは小さいものです。猛暑で行列もでき、目標をクリアしたとはいえ入場者は2900万人で、1970年の半分以下、関西に住む還暦超え世代は懐かしくて何度も訪れている人もいましたが、全国的に見るとわざわざホテルまでとって大阪まで来る人は少なく関西ローカルのイベントに過ぎない感は否めません。

 1970万博の20年後、大阪市鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開かれました。こちらも関西で開かれた博覧会協会公式の認定博覧会です。入場者は2300万人とテーマが絞られた認定博覧会では1985年つくばの科学博覧会の2000万人を上回る動員で、今回の関西万博に劣らない賑わいでした。

 この時のアクセス鉄道は、大阪地下鉄の鶴見緑地線のいう新しい路線で、リニアメトロと呼ばれる新しい技術の地下鉄でした。従来の車両よりコンパクトで地下トンネル断面も小さく低コストで建設できました。当時の次世代技術で今も走り続け、全国の地下鉄線、私鉄線にも継承されています。

 今回の関西万博では大阪メトロ中央線を夢洲まで延伸して400系という宇宙船をイメージした未来型の車両が導入されました。クロスシート、WifiやUSB電源、大型液晶モニターを備えた車内で、自動運転にも対応できる車両です。

 桜島、舞洲方面からのバスは一部自動運転が導入されていました。博覧会の目玉に、空飛ぶ車や、ライオン型のパーソナルモビリティ「コルレオ」、住空間のようなキャビンごと移動する「アリスシステム」など未来の交通機関の展示もありました。

 大阪の鉄道駅にはQRコード対応の改札口がほとんど設置できており、ペイペイなどで入場できます。メトロの駅には顔認証の改札もできており、自動改札ができた55年前から、確実に未来に来ているのです。

 なぜか、博覧会開催は関西に多く、鉄道の新しいシステムも関西から生まれるのが多いのは少し嬉しいです。

 いずれにせよ、これからの未来の発展を楽しみにしています。