国が県になり、都市は県庁になれたかで大きな違い

 日本は世界的にも国家としては歴史のある古い国です。しかし、現在の道府県の形がおよそ整ったのは明治維新以降でまだ150年足らずです。

 もちろん、その後文明の発達で交通網も整備されました。昔は何十日もかかった行程が、日帰りになり、わずかの時間で往復できるようになりました。

 通勤や通学で当たり前に毎日遠距離を行き来して、昔でいう国境を越えるのも当たり前になっています。

 それでも都道府県の区割りかの影響や、交通の発達はかつての国の要衝だった都市の様相を変えている場合もあります。

 単独で県にはならず他の県の一部に扱われ、県庁は遠い別の旧国にある場合もあります。

 県庁には、省庁の地方支所ができ、県議会や地方裁判所などもできますし、その県を取りまとめる企業や銀行の支社、支店、支所もたいていできます。

 その分、人が要り、交通機関や住宅、商業施設もできます。

 ところが、この県庁になれなかった都市は、ワンランク下がってしまう場合が多くなり、県庁都市へ集中する流れはなくなります。

 それでも、地域の雄ともいうべき、中核都市や衛星都市となり栄える場合と、寂れていくケースがあります。

 新幹線や便利な鉄道などがあり、交通が便利でも少子高齢化問題にさらされるのに、ましてや県庁でもなく、交通も不便ではこの先厳しいのは目に見えています。

 日本海側に多く、県としては新幹線の恩恵を受けた石川県の能登半島旧能登国のや七尾市、福井県旧若狭国の小浜市などと取り巻く地域がまさにその例です。

 県庁になれなかった藩の城下町としては、磐城国会津藩会津若松が有名です。やはり朝敵扱いなのか、新幹線や国鉄幹線も避けました。県庁を争って惜敗したのは、松本、弘前なども有名で、高崎や四日市などは県庁都市よりも頑張っているとも言えます。

 県としての例では石川県は加賀、福井県は越前は潤うも、旧能登国、旧若狭国は取り残されています。

 敦賀に北陸新幹線が通ったと思われる方がいそうですが、敦賀市は福井県嶺南地方ではありますが、旧国としては越前の入り口にあたり、小浜との間には距離もあり、実際時間もかかります。

 小浜あたりは京都府に近く、舞鶴市の方が敦賀より早く行けます。

 なかなか反対で進まない北陸新幹線を小浜市が熱望されるのもこのあたりの心理があります。

 実際、近畿地方、中部地方とか分ける場合、この福井県嶺南地方だけ、近畿地方に食い込んでいるのに、福井県ということで、京都府との間に中部と近畿の境目の線が引かれます。

 もし、若狭国がそのまま若狭県なら、近畿地方に入っていたのではと思います。

 そこに県庁があり、交通機関も整備されていたら、小浜市の今の局面は変わっていたのではと思います。小浜市は関西の企業や役所の管轄になり、福井や名古屋にも行かなくてすみ、地方所管は大阪に行けます。

 都道府県の線引き、県庁の都市の決定も、他地域の決定を見ても不可解な要素もあり、それだけにここまでの小浜市の不運、何ともやりきれなく、悲しく思います。

 伝統的なお祭りもあり、古刹も多い小浜市、早く交通機関を充実させてあげたいものです。

名君がいない現代では公共工事が進まない?

 豊臣兄弟がドラマのおかげで注目されています。秀吉の人物については、晩節の外征などは微妙ですが、立身出世したのは英傑であり、才能の持ち主だったのは間違いありません。

 天下人となって京都や大阪では多くの城や街づくりなどの土木、都市計画でも優れた才能を見せています。

 時代が違うとはいえ、土木や建築の技術が未発達だった昔に、人の力で大きな石や木材を運んで、巨大な建造物ができていたのには感心します。

 土地の所有が細分化され、居住権などの人物が確立した現代、いくら労働力があっても、公共工事は進みません。

 万里の長城やピラミッドなどの時代でも、暴君が命令したら、使役はもちろん、土地の提供など当たり前でした。

 最近では今太閤と言われた田中角栄、賛否分かれますが、日本列島改造論で全国に新幹線や高速道路を作る計画を立て今の日本の繁栄につながっています。

 現代では土地の立ち退きも難しく、地権の及ばない深いトンネルであっても流域や地下水に影響が出て井戸水が止まるかもしれないとか、人権も工事側には難しくなりました。

 人間どころか、野生動物に影響があると言われて工事がストップする場合さえあります

 工事が長引くと、払うトータルの税金は増え、契約した関係者はその間それなり潤います。

 利害のある住民は反対するのは当たり前で、昔なら打ち首になっていたのが、今は平気で事業主体の国などへの悪口を拡散できます。

 関係ない住民は少しじわじわ税金が上がるかもしれないのと、道路や鉄道、橋のできるのが遅れます。

 秀吉の時代や、明治、戦前どころか、高度経済成長期よりも反対反対で遅々として進まない。それでいて、その時代の遺跡を尊み、インフラの恩恵を受けてはいる。

 勝手なものです。いったいどちらの時代がいいもんなのでしょうか。

マイルやポイント割引はオマケ、経済圏に囚われない

 クーポンや特売日というと昔はその日に大変な集客があったものです。

 ドラッグが隆盛してきて、メーカーとしてマツモトキヨシの店舗を担当していた頃は毎月1日カウンセリング化粧品のポイント5倍デーでその日のお客様が多く対応に迫られました。

 ところがポイントデーの日数や倍率、あるいは一般品の割引クーポンの日もどんどん増えていきました。競合店も多いので止めるに止められない感じのようです。

 大手ドラッグは主力のポイントカードプラス自社のポイントカード、SC、地下街などのテナントに入っていればそこのポイントも付くというサービスぶりです。

 客としては、ありがたいようで、企業とか業界として大丈夫かなという気はします。

 メーカーは希望小売価格に基づき卸価格を決めています。しかし、近年のM&Aで、取引先グループはどんどん大きく集約されています。

 売上規模がローカルで小さかった店も、全国規模の大手に吸収されれば、そこのセントラルバイイングと交渉しないといけません。

 さらに大手同士が資本提携を重ねる状態では超大手ができ流通側のシェアも立場も大きくなりすぎます。

 個人店の仕入れとは、どんどん条件格差が開き、かつては商店街で証紙や福引券、オマケだけで定価で売れていたものが、3割とか5割の差ではついていけません。後継者とかの問題ではなく、今や端から個人での商売が難しい時代です。

 テナントに入る条件もテナント家賃もですが、モール全体のポイントシステムも大きな負担です。

 これは、ホテルだとか旅行業界でも、さらにレベル違いになり、定価も何もありません。

 昔は、学割、株主の割引以外は鉄道や船や飛行機も定価、ホテルも季節や曜日で差はつけて定価は決まっていました。

 逆に売れ残ったホテルや、電車の指定席などは、その日の分は空、ゼロになり、二度と売れません。明日になって賞味期限切れで自家消費で処分するとか、スーパーの夕方になって総菜にシールを貼って叩き売りするようなとこもできませんでした。

 ところが業界と言わず社会全体の情報化とデジタル化が進みWEBページの機能、ポイントやネットサイトが進化しました。ホテルは最低限の清掃などがペイできれば、閑散期などで売れ残りそうなら安くして売るようになりました。

 格差比較のサイトができ、定価販売は大崩れして、最初に買った人とバーゲンで買った人は半額以上の差が突き、グレードの低い部屋の方が高い料金を支払うケースさえあります。

 JRも航空会社も会員囲い込みなどで、とんでもないお得な企画切符も出たしました。

 これは他の携帯電話やクレジットでもそうですが、自社の利用だけでなく、系列カードのポイント、マイルを貯めると、それだけで大きなサービスを受けられます。

 会員特典で購入できる企画商品もあれば、通常価格の5割引きはおろか、貯まったマイル、ポイントでタダで購入できるので、お得感は満載です。

 私もポイント利用はしますし、公共料金でポイントが貯まるのはありがたいサービスとは思います。

 反面、携帯電話会社やJR、ドラッグストアにしろ、そうやって囲い込み、儲けているのですから、消費者側は賢く見ないといけません。

 私は定価販売には意味があると思い、マイルでの旅行やポイントでの買い物が目的になってしまってはいけないと思います。

 そもそも消費しなくてもいいものを刺激されて消費してしまう面も否定はできないと思います。

 ポイント購入などでポイントがつかないのに怒る人もいますが、法律や仕組みは別にして、ポイントはあくまで「オマケをタダで貰う」ものです。

 マイル旅行も長年愛用した旅行会社のお礼、昔なら商店街の福引で当たった招待旅行のような、それが決められた日の団体旅行ではないだけ融通が利き、ありがたいご褒美ととらえた方が上品です。

 株主優待もリスクを怖れずその会社へ投資したことに見合うお礼であり、転売したり、それを節約と自慢するのも、少し違うというか、品がなく思えます。(個人的感想です)

 ガソリンやお米が原価や供給量のせいで、上がるのも直近の難しい課題です。しかし、ここでいう値上げも価格維持も決められた価格あっての話です。

 その価格の感覚を値引きやポイント、マイルで麻痺してしまうと、もう物価問題を語れないのです。スーパーでお米を買ったことのない議員が政治を理解しにくい感覚と同じようになってきます。

 あんなにドラッグストアが乱立していて、少しもつぶれないのは何故か、インバウンドだけでもなく、定価で買う非会員のおかげでもないでしょう。ポイントや割引につられて訪れ買い物する人たちが支えて儲かっているからです。

 ポイントやマイル、カード経済圏、その構造を頭に入れないと、庶民は知らないうちにぼったくられています。

 

 

 

100年安心と言われた年金制度改革の巧過ぎる罪

 年金制度の改革は1980年代の共済年金に手をつけた当時から国民年金は破綻寸前で、積立金の豊富な厚生年金や共済と比べ、元々徴収が難しく給付もきつかくなっていたのです。

 官民格差も騒がれて、基礎年金番号を統合して、いわゆる一階の基礎部分を揃えて、国民年金の財政危機は救えました。しかし異なるシステムの統合により、消えた年金という大問題も生まれました。

 元々バラバラだった上に、職場を変わり、姓が変わつた人、支給が近くまでは放置しているも多く、自己申告がないと年金機構側も知りようもなかったので統合しけれなかったのです。しっかりした大企業が全てならまだしも、保険料も届出も遅れがちな雇用主もいたでしょし、マイナンバーもない時代、不明になったこと自体はしかたなかった面もあるとも言えます。

 酷いのはバブル時代に、厚生年金保険料は莫大なお金が集まり、当時はバブル崩壊し、少子高齢化で先細る未来が見通せず放漫は投資で積立を散逸してしまいました。

 グリーンピアに見られたような厚生年金の積立運用失敗は責められます。これがトラウマともなり、なかなか積極的な運用も図れず、保険料と税金の枠での制度適用で、ジリ貧の経済の煽りを受けます。

 20世紀末には年金財政が厳しくなり、切迫した課題となりました。

 支給率は徐々に下げながらも、現役世代の負担は増えていきます。

 それでも「このままでは年金制度は崩れ、将来貰えないから、さらに改革すべき」となり、官僚や年金部会議員が知恵を巡らせます。

「年金100年安心プラン」を当時人気があった小泉純一郎総理と坂口厚生労働相が宣言し、今となっては悪名高い「マクロ経済スライド制」が始まりました。

 年金制度は100年経っても枯渇しないという財政上の制度の持続制可能性を指しているのでしたが、小泉さんの勢いで何だか100歳まで十分な給付で安心とか、国民年金だけでも老後年金制度で暮らせるような錯覚を抱かされました。

 現実は大きくは2度にわたり、厚生年金の標準報酬月額からの給付割合は減らされ、所得代替率は3分の2から、半分に減ったばかりか、そこに時限爆弾のようにマクロスライドがじわじわと作動をはじめ、令和になってからの年金生活者はどんどん苦しくなっていきました。

 この年金受給年齢到達による率の低下はまだしばらく続きます。そして、国民年金も元々苦しかったのが、デフレでストップしていなマクロ経済スライドがキャリーオーバー分含めて作動をはじめて、ますます苦しくなったのです。

 この間には住民税、厚生年金保険料や健康保険料や介護保険料も跳ね上がり、天引きされる金額は増えるので、手取りはますます減っていきます。

 本来は貰いすぎの世代からだけ減らして取るべきところですが、それも無理があり全体を下げて行くしかないのです。

 マクロ経済スライド制も、デフレが続きその厳しい顔をなかなか見せず、百年安心の笑顔だけのイメージが残っていたのもタイミングが悪い罪でした。

 本来は100年安心とか美辞麗句ではなく、「もうウチの家にはお金がないから、おじいちゃんのお小遣いは毎年減らすから、切り詰めてくれ」とはっきり言えば良かったのです。厳しくなるけど我慢してと言えば節約や対策もできたのに、選挙の影響を考えるとバレないようにクリアに言わないまま、じわじわと下げたのです。

 昔なら、物価にスライドして年金を1年後に(それでも遅い気がしますが)上げていたのが、それでは賃金が上がらない現役に対して不労の高齢者だけ上がるのはおかしいということで、賃金と連動を加味することになり、ますます物価への連動は遅れていくようになります。

 マクロ経済がさらに悪質で狡猾な面は、デフレで本来年金を下げるべき時はあえて下げず騒がれにくいようにして、インフレの時に上げる分から加算して引くようにしているのです。

 何でこんなややこしいことを考えたかと言うと、年100万円もらっていた人が物価が5%のデフレで支給わ95万円にすると気付いて騒ぎます。その場合は100万円のままにして、次にインフレで8%上がった時に108万円のところをキャリーオーバー分差し引いて103万円に止めるのです。これだと気付くのが難いという小手先の知恵です。

 ただでさえ、わかりにく年金の計算がますます難解になっていくのです。スパゲッティコードといわれる他の業界の知恵者、学識経験者でさえ、理解して解きほぐすのが難しくなっています。

 この間、非正規雇用が増え、元々の標準報酬月額も減り、賞与や退職金も減る世の中となりました。

 年金受給が60歳から65歳になった段階で、多くの人の老後の破綻が誰の目にも明らかになったのです。

 制度として老後を支える公的年金があって憲法で決められた最低限の文化的生活を保証しするには、年金財政も生活保護などの財政も厳し過ぎるのことも、政治家や官僚は気づきました。

 老後2000万円必要問題は、誰言わず財政の実情を遅ればせながら、明言して美辞麗句で誤解された年金100年安心を正したのです。

 年金だけの問題ではなく、賃金や退職金、他の税金や社会保険料で手取りは少なく、ここへ来ての物価高で、現役世代も年金世代も不満と不安が溢れてきたのが、しばらく前からの「年収の壁」「財務省解体」などの問題です。

 いわゆる五公五民の限界を超えた不平不満の爆発なのでしょう。

 さすがに繕っても今の税金や社会保険料は高すぎで、取りすぎです。かと言って高齢者の年金が潤沢かとなるとそこに回しているから現役世代が高いというほどではなく、本当に恵まれているのは今80歳以上の厚生年金受給の高齢者ぐらいです。

 高齢世代の◯◯を削ろうとか、健康保険の率をとやると、結局はこれから老後を迎える現役世代はもっと厳しくなってブーメランが返ってくるのです。

 この大きな国の課題は与野党以上に国会なのか国民会議や、省庁の枠を超えた政治と行政のリーダーたちが、傷みを怖れず改革していかないと進まないでしょう。

 自民党が大きくなったのも良い面悪い面がありますがポジティブに考えたいです。圧倒的な勢力ですから、目先の選挙はもうないのでふ、選挙の支持でお世話になった団体、いわゆる業界などでも改革のためにスバっと切って行く決断ができれば、改革は進みます。

 保守だからといった、憲法さえ変えようというのですから、公務員や官民癒着の構造を改革するのはできます。

 デジタル化の波で改革できるところはいっぱいあるのですが、既得権益に気を使うのと、実際に仕事や利益を失う不安を解消するアイデアや仕組み作りです。

 デジタル化でも人は必要です。特に過渡期ではある程度の人員は必要です。

 自動運転やロボットの登場で、バスや電車、タクシーも専門免許をもった運転士は要らなくなります。ここで業界を守るのではなく、過渡期の監視の人員や自動運転の企業へのシフトなどを上手く回すような仕組みをリードしていかないと、日本は取り残されていくのです。

 憲法も大切ですが、細かい法律を社会の変化に合わせて、既得権益を打破するよう変えることが、財源や雇用を産むのです。

 50年後の日本が素晴らしい国家で残っているかは、今の地味な改革が重要です。

 

 

 

 

風化されつつある震災15年の運命

 私自身が5年前、10年前と比べて3.11を思い起こすことが少ない今年の3月でした。

 東北からは遠い関西では30年以上前の阪神大震災を1月に思い出す同年代の方が多いかもしれません。新聞やローカル局の報道も神戸の1月の割合の方が大きい感じです。

 私の場合は、東北宮城県に震災の2年前まで住んだことがあり、被災した同僚や知古も多くいました。

 運命のいたずらとはいえ、そこに居合わせなかったことを、僥倖とまでは言わないまでも、どう受け止めるのか複雑な思いです。当時、その2年前までは仕事で訪れていた仙台東部道路や石巻市北上川、仙石線野蒜駅に真っ黒な津波が押し寄せるの報道の映像で見た時は、怖さで鳥肌が立った記憶があります。

 当時も今もチャリティーだとか、ボランティアとかふるさと納税など、小さなことしか、東北に役立てることはできませんが、やはり何かやりきれない思いを抱えて15年が経ちました。

 15年の間、京都に居を構え、勤めていた会社も波乱もありましたが無事卒業し、小中学生だった子供も成人しました。世間はその後、コロナ禍にも見舞われて、経済は低迷を続けました。

 この15年、家族を失い、家を失くし、風評に苦しむなど未だ東北の震災の傷は癒え切ったとは言えません。

 復興特別所得税が名前としては残っていますが、多額の血税が徴収されているのに、決して上手く活用されているとは言えないのが悲しいところです。

 日本の税金を予算立てる省庁は、復興とか、森林環境、子育て支援とか名前はキレイでもっともらしい名目をつけます。しかし使われ方は題目の目的と違うとか、特定の法人等が潤うなど、サギまがいになっています。

 公務入札ビジネスを全て否定はしませんが、少なくとも人の不幸を助けるためとかでお金を集めて、半分はそれを利用して儲けているというのはとんでもない構図です。

 震災から時が経てば経つほど、離散していく人、仕事に就けない、健康を害したなどの因果関係の証明も難しくなります。いたずらに手当を上げるだけでなく自立を促さないといけない場合もあり、一律の対応も難しいでしょう。

 復興支援にしろ、被災した人の幅広い柔軟な対応が必要になっています。

 コロナの時もそうですが、緊急自体的な時だけに、急ぐのも大事ですが、悪質な中抜きは厳しく戒めないと、政官財の癒着による国民の苦しみは絶えません。

 震災から15年、個人としては達観した部分もできました。私益を捨てて考えると、能登の地震対応等を見ても、やはり公はもっと迅速かつ厳格であって、柔軟に動く、公僕とならないとと思います。

 

https://seizafpkotodama.com/2021/02/23/%e3%80%90%e6%9d%b1%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%a4%a7%e9%9c%87%e7%81%bd10%e5%b9%b4%e3%80%91%e7%94%9f%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%80%e9%81%8b%e5%91%bd%e3%82%92%e5%88%86%e3%81%91%e3%81%9f%e9%87%8e%e8%92%9c%e9%a7%85/

読書レビュー「サイコセラピスト」アレックス・マイクリーディーズ

 ハヤカワポケットミステリなんて何年ぶりに読むのかという感じです。

 洋書の新書判サイズで、紙の端っこがなぜか黄色い。世界のミステリが揃っていました。

 何年か前にベストセラーになったイギリスのミステリ。

 イギリスらしい陰鬱な情景と、病院の怪しげ人物が、ぎこちない翻訳でも何となく伝わります。

 夫殺しの容疑で、一言も発せられなくなり沈黙を守り続ける画家アリシア、興味を抱いた心理療法士セオ。

 ❴少しネタバレ❵

 施設やアリシアをめぐる様々な人間をセオの一人称で展開する中、アリシアの日記が挿入された構造で進みます。

 他のレビューでは、ネタバレ前でも、後半の劇的展開、騙されたと語られてました。そう思って読むと、予想どおりという感じで、一人称、日記挿入というと◯◯トリック。犯人も、騙しの構図も何となくそうじゃないかと思ったとおりでした。

 前半がダルいとも書かれていますが、海外作品なので登場人物の名前とキャラが頭に入るかで変わってきます。

 良くできたプロットではあるのですが、それだけに騙されるレベルの人には鮮やか、気付く人には丸わかりみたいな印象です。

 今どき外で本を読んでる人も少ない中、ハヤカワポケットミステリ読んでるという字が自のカッコ良さに酔えます。

 

国連も国際法も無意味なのか

 

「国際法とか国連は時代遅れで機能していない」という論調が広がっています。

 トランプの指示によるベネズエラやイランの奇襲ともいえる攻撃には驚かされました。

 親米の論客は「日本はトランプ政権に追従するしかない、国際法や国連主義を訴える人は左翼やリベラルで国を危うくする」との論調です。

 それでも、日本は国連に世界でも突出した割合で供託金を出しています。

 トランプが次々と無駄な利権がらみの国際機関から脱退しているように、日本もそれなら国連も国際機関もやめたらという意見は出ないのでしょうか。

 親米はわかっても、アメリカには貢ぐ、国連や国際機関にも払い続けるでは、いくら税金があっても国内にはまわせません。

 国際法に至っては、プーチンや習近平には秩序を求めているので、ダブルスタンダードです。ベネズエラやイラン、かつてのイラク攻撃もですが、さすがにアメリカなら何でもありでは、世界のどこでも秩序はなくなり、大国に媚び、安心して眠れたなくなりめす。

 戦争にもルールがあり、毒ガスや地雷には制限がかかっています。中世の騎士や武士の戦いのように、名乗りを上げて兵士だけフェアな戦争するのではく、近現代は兵站や市民も巻き込む戦争が当たり前になってきています。

 人民をないがしろにするあまりにも非道な独裁者も、かつての歴史では必ず報いを受けて退場しています。

 それを早めるトリガーがトランプの奇襲と言われれば、一見正しそうですが、確定した証拠や裁判もなく、他の人も巻き込まれながらです。制裁は必要となった場合、多少は形式的でもやはり国際機関の公平な認定が必要ではないかと思うのです。

フットケア初体験 もう転ばない!?

 お試しの機会があったので、フットケアというものを初めて体験してきました。

 美容・健康というイメージと介護や福祉の資格も備えた施術よ方で、いろいろ良いお話を聴けました。

 年齢の割にはキレイな足だと褒められました。女性の脚のスタイルではないですが、まあお世辞でも褒められると嬉しいものです。

「巻き爪やタコ、角質、ひび割れ、臭い、水虫」などということは最低限ないので、私は楽なお客だったのでしょうか。そこはまあ薄い手袋をしていてもイヤな汚い足のお客様もあったのでしょう。

 股関節痛がらみで、歩き方の悩みも相談しようと思いました。

 そこは股関節痛の整体とは違うので、脚ではなく足のポイント中心でした、

 最も参考になったのが、靴の選び方や履き方でした。高価なスニーカーでなくても、つま先がちょっと浮き加減の靴が良いとのことです。

 それと、一番納得したのは、靴の紐です。横着なので、つい緩めにして、都度靴紐を締めず履きやすく脱ぎやすくしていると、ゆるゆるでスリッパを履くような歩き方になり、負担がかかりやすいのです。

 せっかく歩いても、スリッパですり足気味に歩いていては負担ばかりかかるのはわかりました。上の緩んだところも締めて、都度ビシッと結ぶと、足の甲に負担が分散するのがわかります。これは習慣づくと、心地よく、歩くのがまた楽しくなります。

 爪を磨き、オイルでマッサージをしてもらい足の裏や指の間も揉んでもらいました。

 私の場合、小指があまり使われずに内側に向いて爪も少し劣化している程度で、引き続き良く洗ってハンドクリームなどでもいいから保湿をすると良いと言われました。

 靴が合わないのはもちろん、爪の変形、角質やタコ、ひび割れは不衛生になり、感染症になったり、痛みや痒みをともなうと、バランスが崩れ転倒の元です。

 保湿?など細かく関係ないと思われがちですが、本当につまずく時は小さな微妙な感覚の齟齬からなので、防ぐのも小さいことからです。

 ちょっとした段差でつまずくのが高齢者と言われますから、この微妙なサインを見逃さずに気遣いすることです。

 手足の指の感覚がクリアになると、筋力回復や、姿勢や身体バランス、体幹も向上し歩きやすくなるとのことです。

 逆にだんだんバランスが悪くなると、身体全体も衰え、爪切りやしゃがんで靴紐結びとかが困難となります。そうなると転落まっしぐらです。

 適度な体操などと合わせてケアして行きたいものです。

 転ばぬ先のフットケアです。

 

 

 

 

ネットテレビの時代

 テレビを買い替えました。

 壊れたわけではないのですが、4Kやネットに対応ということもあり、約15年ぶりの購入です。

 2011年アナログ地上波終了を前に政府がエコポイント付与をやっていた時期から15年ほどで、まあよくもったものです。

 この間個人的にも還暦、定年を迎え、子供たちも就職、このテレビも買うまでに成長しました。

 しかし、エコポイント付与は官主導の典型的な愚策だったのか、家電業界の凋落は始まります。液晶テレビで勢いに乗っていた名だたる国内家電大手はこの15年の間に、どこも大きな変革にさらされ、一部は消滅、吸収され、撤退し、日本経済とともに転がり堕ちるのでした。

 この間、ネットやスマホの普及も顕著で、ガラケーが淘汰される時代になりました。

 地上波チューナーのないテレビもありました。私の子供らはまだ新聞のテレビ欄を見てという習慣はありますが、もう新聞も取らない地上波テレビも見ない世代が親になっていき、いわゆるオールドマスコミはコンテンツを発信する一つの業態になっていきます。

 テレビも、多くのネット配信を見るモニターとしてのハードとなりました。

 たった15年、変わっていないと思いつつ、世の中どんどん変わっているのです。

 衛星放送で他チャンネル化した時も、こんなにたくさん見るものがあったら、時間がいくらあっても足りないと思いました。

 今WBCで騒がれるネトフリや、ダゾーン、ティーバーやアマプラ、ABEMA、YouTube、家族のサブスクでいろいろ見れると、何だかとんでもないコンテンツ飽食の時代も感じます。

 それでも本を読むのがまた、カッコいい。

 

 

 

春は曙 花粉でモヤッと

 昨日は朝、昼と移動を伴う私用で天気は良かったけれども花粉は「非常に多い日」でした。

 マスクや帽子で防備はしていたものの、完全に防げるものではなく、目も鼻もやられました。咳の風邪が治まったと思えば花粉症の時期で、外に出かけるのには良い気候なのですがジレンマに陥ります。

 立ち寄った区の総合庁舎で御琴の演奏をやっていました。風も通る広い吹き抜けで演奏の方も花粉に悩まされてる感じでしたが、唱歌等の穏やかな演奏で和ませてもらえました。

 中東の戦火の報道を目にすると、いろいろ思うとこるも多いですが、とりあえずは安穏な春が来たことを噛みしめて、また一歩進みます。