村山元首相死去101歳

 総理になられた33年前ですら、白髪に白眉毛の高齢に見えましたが、大往生されたとの報でした。

 今も政局がまだ混迷する中、自公連立政権ですら24年も経過しているので、それより前の枠組みや人物は若い人、若い政治記者ですら近現代の歴史と捉えてるでしょう。

 戦後社会主義、共産主義の台頭を抑えるため、自由党と日本民主党が一つになり自由民主党が生まれました。自民党も英語ではリベラルデモクラシーパーティーですから、保守というよりも、社会主義に対峙する幅広い民主主義政党でした。自民党と社会党の対立する55年体制が40年続きました。

1993年、社会党が万年野党化する中、リクルート事件などで政治の浄化を叫ぶ声と、ドロドロの権力争いで自民党が分裂し、新生党ができ、日本新党、さきがけ、社会党、公明党、社民連などと細川連立政権が生まれました。

 この非自民連立の細川内閣、続く羽田内閣から政権を奪い返すため、武村正義のさきがけを引き抜き、続いて、対立軸であったはずの社会党を連立政権から切り崩して委員長だった村山富市を首班指名することを条件に力技で取り込んだのです。

 今の連立の組み直しが、政治信条が違うから組みないと綺麗事を言うなら、当時は水と油のような自民党と社会党が、小澤一郎の新生党から与党を奪い返すには手段を選ばず、憲法解釈も自衛隊容認も後付けで強引にタッグを組んだのです。

 現在まで悪弊、禍根を残す数合わせの政治が始まったのが村山富市総理の1994年です。

 裏で社会党を説得したのは梶山静六、野中広務、亀井静香ら自民党の地力わ持つコワモテで、野中や亀井はその後の自自公連立政権の影の立役者です。 

 勝てばいい、数が多ければいい、お金がたくさん入り儲かればいい、政治にも社会にも新自由主義的な考えの蔓延が、日本をダメにしたのではと思います。

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